クルルのおじさん 料理を楽しむ

炒り豆腐の思い出

 東京の日本橋三越から昭和通りに入った裏通りに「長助」という小料理がありました。随分と昔の話です。昭和50年代かな。僕もまだ若い時。30代になって仕事も面白くなってきて、回りからも一目置かれるようになりつつある時期です。当時の先輩、特に、直属の上司である課長さんが馴染みにしている店でした・・・この課長さんのお話は、後で、また出てきます・・・。気の置けないお客さんと、気楽に一杯やるのによく利用されていました。

 

ある晩、課長さんとその更に上司の部長さんが、僕の担当しているお客さんの専務さんを交えて一杯やることになりました。このお客さんは八丁堀にある老舗の大手業務用の食料品の問屋さんの専務さんで、業界の重鎮、銀白髪で歌舞伎役者のような風貌で、近寄りがたいオーラが漂っている方でした。僕は、毎朝、この方に電話を入れて、海外の相場情報をお伝えしておりましたので、年の差は関係なくお付き合いをさせていただいておりました。三人で飲むことが決まった時に、この方のほうから、「xx君(僕のこと)もいれてやんなよ」と声がかかったそうで、ご一緒することになりました。

 

お酒を飲みながら、皆さん、楽しく歓談。上司の二人から「xxさん(=重鎮)から、お前(僕のこと)も入れてやれ、なんて言われるようになって、お前も成長したなあ」なんて褒めてくれました。僕は、普段、担当者として意見交換しているのだから「当たり前やろ」くらいにしか思っていなかったのですが、この方(=重鎮)が話すのを聞いていると、「いつも電話をかけて来るのは、xx君(僕のこと)くらいだよ」とのことでした。重鎮さんは回りのみんなから「怖い」と思われているので、その下の部長さんとか課長さんとかに連絡を取る方がほとんであったようです。素直に喜んでいいのやら、忙しい時に電話を入れて迷惑をかけていたと反省する必要があるのやら、瞬間、どう反応したらよいのか考えましたが、重鎮さんが気配を察してか「これからも電話してこいよ」と言ってくれたのが嬉しかったですね。

 

この会食の時に、重鎮さんが所望した料理の一つが「炒り豆腐」でした。この店は、おばあちゃんと女将さんのお二人で切り盛りしているお店。お料理は全て女将さんの手作り。炒り豆腐は、評判の一品。何回も来ている重鎮さんの好物であった訳です。

 

重鎮さんは、自分自身で料理を嗜むとかで、「何回か家でこの炒り豆腐に挑戦したのだが、この味・この食感が出せない」と真剣に悩んでおりました。女将さんを呼びつけて「どうしたら出来るんだよお」と聞くものの、女将さんに適当にアシラワレテおりました。当時の僕は、「自分で料理をするオトコなんて、コイツ、よっぽど暇なのかいな」くらいにしか思いませんでした。今から思えばなんと不遜な思いであったかと・・・。

 

今、自分が作る「炒り豆腐」は、まったくこのお店のレベルではなく、重鎮さんが女将さんに聞いていたように「どうしたら出来るんだよお」と聞いてみたく思います。重鎮さんは、15年ほど前にお亡くなりになりました。合掌。

 

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 2016年8月27日、上高地、明神池