クルルのおじさん 料理を楽しむ

お葬式

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永良部のユリの写真、その1。今年も豪華に咲いてくれました。奥にヘベスの苗木が植わっているのですが、この写真では見えないくらいユリがいっぱいに咲いています。2018年6月3日、撮影。

 

 

 

取引先の会長さんの奥様が亡くなられました。葬儀・告別式に参列してきました。早く到着したので会長さんに元気を出してもらうよう挨拶をしようとしたのですが、会長さんの目が真っ赤でした。言葉が出てこず涙が出てしまいました。会長さんが喪主としてのご挨拶をされた時には、思わずもらい泣きをして、また、涙が止まりませんでした。心よりご冥福をお祈りしたいという気持ちと、同時に、残された旦那さん=会長さんが早く元気になって欲しいという気持ちを強くしました。

 

 

小麦粉、砂糖、お米等々の取り扱いで全国トップクラスの会社の会長さんです。会社の会長だけでなく業界団体の役職もされている方なので、多数の方々が弔問に来られていました。僕は、そのなかでも長年にわたり、そして、公私にわたり深くお付き合いをさせて頂いている一人であろうと思います。会社経営振り、営業・販売方針等々では、いつも強気で積極的な会長さんです。商売の話になるとお互いに激しくやり取りする時もありましたが、いつも良い刺激を頂ける方です。仕事で壇上に立って挨拶をする際には、強面の顔で”みんなで一生懸命頑張って儲けましょう”と気合を入れた威勢の良い挨拶をされるのが常でありました。

 

 

この日ばかりは、喪主さんとしてのご挨拶はボロボロ、クシャクシャでした。もともと挨拶は得意ではない。気持ちを大切にされて、強気の姿勢を前に出してやってられる方だと感じておりますが、この日も、自分の気持ちを分かってもらえるように素直に話しようとされていました。「自分が会社で社長、会長をやることが出来ているのは、仕事以外の全てを安心して任せることが出来た女房がいてくれたからだ。自分より先に逝くなんて信じられない。残念でならない。」という趣旨のことを何回も言葉に詰まりながら、顔をクシャクシャにされながら挨拶されていました。参列していたほぼ全ての皆さんが、亡くなられた奥様の存在がいかに大きかったのかを改めて認識されたことと思います。

 

 

この葬儀には、喪主さんと大変に仲の良いもう一人の業界の重鎮の方(この方も会社の会長さんです)が東京から参列されると連絡があったので、名古屋駅で待ち合わせをして一緒に会場に入りました。葬儀の席でも横に並んで参列していましたが、喪主さんのご挨拶の時、ふと横を見ると僕よりも激しく涙を流されているのが目に入ってしまいました。三人の年齢ですが、この方が最年長=70歳後半、喪主の会長さんが真ん中=70歳前半、僕が最年少=60歳後半。客観的には三人とももう立派なおじいちゃんですが、僕も含めて三人とも極めてお元気、その年には見えない方ばかり(自分で言うのはチト恥ずかしいですが)。僕も自分では気持ちを若く保っていると自負していますが、最年少の僕よりもお二人はずっと気持ちが若い。仕事は現役で熱心にやられているし、話題は豊富、自分の気持ちを熱く語る、熱心に議論する。ゴルフも楽しく一緒によくやっています。いつもキャデイさんが年齢を聞いて驚くくらい。

 

 

昨年の5月に、それぞれ夫婦一緒に六人で会食をしました。喪主の会長さんの亡くなられた奥様にお会いしたのはこの時が初めてでした。年長さんのご夫妻が会話をリードして場を盛り上げて頂き、大変に楽しい会食でありました。年中の喪主さんは、男だけの会食の時には仕事の話中心に強気で迫力のある話しぶりで会話をリードし、年長さんも年少さんの僕も黙らされることがあるのですが、この時ばかりは勝手が違ってか、大変に大人しく優しい旦那さん振りでありました。口の悪い(=三人ともに、常に相手にスキあらば突っ込もうと準備しているタイプですから)年長さんと年少さんの僕の二人は、喪主さんのいつもと違う態度に、思わず膝を打ち、声を合わせて「そうか、アンタは奥さんが一緒のときはすごーく優しくて良い旦那さんになるんだ。これからは、いつも奥さんに同席して頂くことにしよう。回りの方々が大変に助かる!」と声をあげて大喜びしました。調子に乗って、僕は奥様に向かって「奥様はすばらしい猛獣使いですね」と大変に失礼なことを言ってしまいました。奥様は優しく「そんなことありませんよ。家では優しい旦那さんです。」と笑って軽く往なしてくれました。その間、旦那さんは、余り会話には入らず、恥ずかしそうな、ふてくされているような怖い顔をしていました。内心では”こいつら、勝手なことをしゃべりやがって、けしからん。あとで覚えておれ。”と紋々としていたことなのでしょう。

 

 

奥様は享年70歳。お元気に生活されていたとのことですが、5月上旬に突然に倒れられました。介護の甲斐なくお亡くなりになったそうです。余りにも若く、そして、全く急過ぎるご逝去です。

 

 

この年齢になってからですが、この数年、仕事関係で親しくなった方と、夫婦でお会いする・会食する機会を持たせて頂くようになりました。旦那さんは皆さん元気で仕事大好き人間ばかりですが、家庭の外=仕事の場と家庭内での表情に結構個人差があることを感じます。①家庭外も家庭内も全く変わらず、素晴らしい企業人であり家庭人である方。②仕事では厳しく激しく近寄りがたい様に見えるが、いったんご家庭に入ると、本当に優しい旦那さんに変身する方。③外面はそこそこ優しく何かと気を遣うように見えるが、家の中では我が侭、勝手し放題の方。

はい、年長さんは①のタイプ。年中さん(喪主さん)は②のタイプ。そして年少さん(僕のこと)は③のタイプかと思います。

 

 

 ご遺族をお見送りしている時に、沢山の参列者のなかに、老舗の海苔・ゴマ等々の食品会社のオーナー会長さんの顔をお見かけました。この方は年長さんほどのご年齢の方。足をチョット悪くされてますが、全く、お元気。やはり、目を真っ赤にされていました。「旦那が先に逝くと女房は元気になって10歳ほど若返るというのにねえ」と冗談を言いながら、しみじみと「女房が先にいったら、ダメだねえ。辛いだろうねえ。キビしいねえ。喪主さんに何と声を掛けたら良いのか分からなかったよ。」としみじみと仰ってました。参列者の皆さんも、もし、自分のカミさんがそうなったらと考えられて神妙な気持ちになられていた方が沢山いらっしゃったかと感じます。

多分、この夜、少なくないご家庭で、「かーちゃん、元気で長生きしてよねえ。最低でも、僕より長く生きないと困るよ」てな会話があったのではないかと思います。 

  

年長さんは、出てくる前に奥様に同様のお話をされたそうです。奥様は、一枚も二枚も上手で、”当たり前でしょ。あなたは私よりも先に逝く方が良いです。そうでないと、あなたが一人残ると、子供達にも会社の方にもとにかく周りの人に迷惑をかけてしまうから。”と厳しく言い返されたそうです。「いやはや、全く。俺は一人になると迷惑なバイ菌みたいに言いよる。当たってるから何も言い返せなかったわ。やはり考えれば考えるほどカミさんには”お先にゴメン、あっちで待っとるからねえ”で逝きたいわなあ。」と。誠に奥様の突っ込みは明言であると感心致しました。

 

 

以前、このブログで書きましたが(『ひと手間』2016/11/13、『台所』2016/9/22、を読んでいただければ嬉しいです。)僕の兄も嫁ハンに先立たれました。今、どういう生活をしているかと言いますと、仕事が忙しいので助かっていると。兄は昭和22年生まれの旧企業戦士ですが、元々公認会計士の資格を持っており、今は自分の事務所を開いていますので、世間でいえば「先生」と呼ばれる立場にあります。腕に覚えの資格を持っていることにどれだけ助けられていることか。僕の尊敬する弁護士先生も同様の生活を送られております。昭和前半の世代は、仕事を中心にしたなんとも真面目な生き方をしていることかと感心します。

 

 

年中さんの会長さんが今からどういう生き方をされることになるのか。とにかく、今は、ご自身の健康に十二分にご留意くださるようにエールを送りたいと思います。そして、改めて、亡くなられた奥様のご冥福を心よりお祈りしたいと思います。合掌。

 

 

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引越しの後、どこに仕舞ったのか分からなくなっていたノートが出てきました。レシピを書き込んだノート。軽く200頁はあると思います。久しぶりにスパニッシュオムレツ。最近は、料理の色=緑、赤、そして白、黄ともう一つ計5色を組み合わせることにチョットだけ拘っています。パン・ウエイさんの本を読んだ影響です。中国4000年の知恵!だとか。焦がしすぎたのが残念。2018年6月8日、料理・撮影。

 

 

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永良部のユリの写真、その2。名古屋でお世話になっている先生のご自宅。2~3年前に球根をプレゼントしたら、奥様がしっかりと育てられて、今や、庭中に咲いています。鉢植えにされている一角。この左側には地植えしてあるユリの花が咲いています。2018年5月31日、撮影。