クルルのおじさん 料理を楽しむ

『卒業』

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支笏湖の北方民族伝統工芸品・限定遺作品を取り扱っているお店で買ったもの。表情豊かな作品かと。買ったのは2018年5月。撮影は2018年6月20日

 

 

6月14日付けで、会社の一切の役職から退任しました。僕の仕事人生の卒業です。6月14日は、碧南の会社の全社集会で挨拶する機会を頂きました。翌15日は、日向の会社の同じく全社集会で同じ機会を頂きました。2003年に碧南の会社に来て以来、早いもので15年経っています。当時、若手・中堅の社員だった仲間が、今では、会社の中核を担う幹部・役員に成長しています。挨拶の時にも、「そのことが大変に嬉しく、頼もしく思っている」ことをお話ししました。また、会社を離れても、名古屋での生活を続けるつもりで、神奈川の留守宅と名古屋のマンションを行き来する生活をしてみるつもりであることも話しました。説明を端折ったので「何、それ?」と思われた方も多かったかもしれません。

 

 

日向の会社の常勤の役員さんは、昨年度から、全員が日向の会社の生え抜きの方々になっています。「自分としてはそれを大変に嬉しく思っている。今の役員さんもその重さを改めて認識して頂いて頑張って欲しい」旨をお話ししました。最後まで、説教じみたことを話したかと後で心配になりましたが、役員の方が「ありがとうございました。苦しかった時のことを思い出してジーンときました。チョット、ウルウルしてしまいました。」と言ってくれたので、”言いたかったことは通じてたんや”と思って、僕の方もウルウルしそうになりましたが、流石に涙は見せないで済ますことが出来ました。その夜は幹部・役員さんとの懇親会がありました。翌日の土曜日は恒例の懇親ゴルフが予定されており、ゴルフの話題を中心にひたすらに明るく楽しく場を盛り上げることが出来ました。

 

 

先週あたりから、お客さん・取引先への挨拶回りをやっています。久しぶりに大忙し。夜の会食も続いています。なぞなぞクイズ「減らすのは大変に難しく、増やすのはチョー簡単なことは何でしょう?」。貯金は全く逆だと思いますが、正解の一つは体重でしょう(個人差はもちろんあります)。僕の場合、会食=食事を楽しむと同時にお酒を飲んでしまうことですから抑えていた体重も簡単に増加傾向になってきます。この生活パターンは7月上旬くらいまで続くことになります。ハードなスケジュールで彼方此方回ることになるので、結構、疲れますが、ちゃんと挨拶回りさせて貰えるだけでも本当に有難いことだと感謝しています。その時に、僕のお腹回りはどうなっていることやら、やや心配、かなり心配、大変に心配です。

 

 

そんな訳で「卒業」しても挨拶回りがあり、それが一段落するのはもう少し後になりそうなのですが、はてさて、その後は、どんな生活になるのでしょうか。それなりの準備をしてきたし、覚悟は出来ているはずなのですが。不安と言うのでは無いと思っているのですが、まだ、実感が沸いてこないというところです。

 会社・仕事に行かなくても良い=行く必要が無い=行かねばならないところが無い。時間を潰すことは、それなりにいくらでもあると思っているのですが、それで自分が満足したり、充実したりを実感できるものなのかしら。仕事というのは、お金=お給料を頂いて、さらに、仕事上の充実感、達成感、満足感も持つことが出来て、こんな有難いものは他には無いのかもしれませんねえ。やはり、僕は会社・仕事人間だったんでしょうねえ。

 

 

本屋さんでその関係のコーナーを覗くと、例によって沢山の本が並んでいます。定年後のなんじゃら、とかそういう類の本。僕は、料理の本とか、健康とか、ゴルフの本とか所謂ノウハウ本も結構よく読んでいるほうかも知れませんが、このテーマの本は読んでみようと思わないですね。端から全く期待していない。天邪鬼な性格からなのか、尤もらしいことが書いてあるだけでアホらしいものと読まないで勝手に決めてかかっている。

 でも一方では、「卒業」後の生き方について、先達からの金言とか心構えとか、すっと腹に落ちるフレーズを求めているのは間違いのないところです。ふとした時に、そういう言葉に出会うと素直に嬉しくなることがあります。この一年の間にも有難いことに、そういう出会いがありました。

 

 

日経新聞であったと思いますが、某大手トップ飲料メーカーさんの広告の一面広告がありました。製品の宣伝ではなくイメージ広告。タイトルは「60代の若者たちへ」。今まで仕事、仕事で生きてきて、とうとう会社・仕事から離れることになった年代に対するこの会社のアピール広告でしょう。脚本家・劇作家・演出家の倉本聰さんのメッセージが掲載されている。倉本さんは1935年生れ、15歳も年上です。所謂、カッコ良く老いていると思わせてくれる方。短い文章でしたが、それを更に短くすると

「長く生きることより、どのように生きるかに価値がある。」

「もう一度、原点や初心に立ち返ってみてはいかがか。」

「この先どう生きるか。しまっておいた夢を取り出してみないか。」

しまっておいた夢を取り出して、アームチェアに座ってこの会社のウイスキーをロックで飲んでいる姿を想像してしまいそうな、相変わらず上手いアピール広告だなあと感心しました。言葉というのは大変なもので、頭のなかではこのような気持ちを持っていることは分かっているのに、それを言葉に書き表すということが出来ない。プロの文章家さんの凄いところだと思います。

 

 

もう一つは、図書館で借りてよんだ本の中で出会いました。河合隼雄さん「出会いの不思議」創元社。もともとは中央公論社の巻頭言に掲載された短文を纏めたもの。学者、研究者、知識人等々の方と面談した時、または、彼らの文章を読んた時に、河合さんが関西弁でいう「オモロイ」と感じたことを綴ったもの。 

 

「隠遁生活ではなく”陽遁”を」

「年齢が来たから、それまでの地位を退く人は多い。その時に、退職とか考えずに”陽遁”すると思うと、ずいぶん感じが変わる。煩わしいい俗事を離れて、自分の好きな世界に陽気に入っていく。何かを失うのではなく、新しい生活を拓くことになる。白洲正子の晩年は、まさに陽遁であった。」河合さんの言葉ではなくて、どなたか学者さんが引退されるに際してのコメントであったと思います。

「煩わしいい俗事を離れて、自分の好きな世界に陽気に入っていく。」これも、倉本さんのメッセージと同様にナカナカ一行では言い表せない言葉でオモロイなあと思いました。

 

 

挨拶回り雄の道中で、カズオ・イシグロを更に二冊読みました。「日の名残り」と「私を離さないで」。「日の名残り」は、退任・退職・引退しようとしている立場の方が読むと、更に印象深い読み物かと思います。イシグロのおっさんは、やはり、只者ではない。大した作家だと思いました。

 

本日は、若干メランコリックになっているのかも知れないクルルのおじさんでありました。

 

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沖縄のグラス。いつも連れて行ってもらう那覇にある地元の料理屋さんで泡盛を頂くときに出てくるグラスです。工芸品店とかお土産屋さん等々で同じ輝き・色調のものを探すのですが今まで見つけられず仕舞い。今回で当分このお店にも来れないかと思い、思い切ってお店の方に話をしたら破格のお値段=そのお店の仕入値段で分けてくれました。これで焼酎を飲んだら、夢を取り出せるかな。2018年6月17日撮影。