クルルのおじさん 料理を楽しむ

1950年 生まれ

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新居の古るーいマンションの玄関先が寂しかったので花を植えました。これだけでも結構、癒されるものですね。2018年3月18日撮影。

 

米原万里さんのファンは今でも沢山いらっしゃると思います。二年前、2016年6月19日の新聞記事に「米原万里没後10年 7社共同でフェア・回顧展」という記事が掲載されていました。文藝春秋カドカワ講談社集英社、新潮社、筑摩書房中央公論社のビッグな7社が共通の帯を付けて文庫フェアをやる、という企画です。それぞれの出版社のかつての担当編集者=米原万里さんの人柄に魅了された編集者が協力して文庫フェアや展覧会などの催しをしていると。

皆さまご存知の通り米原万里さんは2006年5月に56歳の若さで急逝。ロシア語の同時通訳者でエッセイストとして大活躍されていました。彼女は1950年生れです。僕と同じ年の生まれです。今回は、若くして逝かれた同年配の万里さんを偲ぶ会です。

 

 

僕はずっと一方的な誤解をしておりました。その1.お名前。どういう訳か全く分からないのですが、”海原”万里さん、と思い込んでおりました。きっと、お父上が国際航路の船長さんで世界の各地を回っておられた。それで”万里”と名付けたに違いない。その影響でこれだけ日本の枠を飛び越えた迫力のある女性が生まれたのだと。我ながら大変な想像力だと感心するほどの誤解です。その2.生まれた場所。僕は絶対に関西・大阪生まれだと信じておりました。実際は東京の様です。お上(オカミ)に対して言いたい放題に言えるのは関西系の特質だと思っていますので、彼女の語り口の面白さ、切り口の鋭さは、これはもう間違いなく関西系、それも大阪か京都だと。

 

かなり前から何冊かの本は読んだことがあって、”同時通訳のオモロイおねーちゃんやなあ”位に思っていたのですが、改めて、認識するようになったのは僕の敬愛する「読書の達人・本の目利きの師匠」から紹介してもらってからです。紹介と言ってもご本人とお会いして名刺交換とか握手した訳ではありません。オモロイ「本」「作者」として紹介してくれました。この時には、米原万里に加えて内田樹も紹介して頂きました。たまたま偶然かと思いますが、この四人=有名なお二方、そしてその二人の本を紹介した方とされた方の四人すべてが1950年(昭和25年)生まれでした。その時に海原さんでは無く米原さんであること、プラハにあったソビエト国際学校でのロシア語での教育が海原さんのスケールの大きさの背景にあることがようやく理解出来ることになりました。

 

 

米原万里さんの同時通訳をテーマにしたエッセイは、単純・明快に面白くて好きです。

日本人が「他人のフンドシで相撲を取る」と言ったのを「他人のパンツでレスリングをする」と訳してしまったり、別な場面ではロシア人が「ベルトをキッチリ締めていかねば・・・」との発言を「フンドシを締めてかからねば・・・」と訳してしまった話とか。フンドシに拘った万里さんであったようです。

日本人のユーモアを交えた発言「失楽園じゃなくて豊島(年増)園でした」を如何に瞬時に通訳することが難しいかを説明・解説した話とか。

この二つのエピソードはご本人も印象深かったのか色んなところで出てきます。

読んでいて楽しいと同時に、結構、奥が深い。日本・日本人、言葉・言語というものを考えさせられるところが沢山あります。

下ネタも得意中の得意の分野です。「ガセネッタ&シモネッタ」というタイトルで本になるくらい。

 

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新居の古ーいマンションのお隣の一戸建ての植え込み。沈丁花が満開。朝の香りが最高です。2018年3月18日撮影。

 

 

食べ物に纏わるエッセイ集もあります。「旅行者の朝食」2004年10月第一刷。1998年10月から2002年5月初出を編集したもの。

このタイトルの「旅行者の朝食」というのが面白い。ソビエトロシアのお話。旅行者と熊さんのお話ですが、ソ連の国内事情、ロシア人であれば誰でも知っている不味い缶詰のことが背景にあるのでロシアの人々は大笑いするとか。一瞬、宮澤賢二の「注文の多い料理店」を思い出しました。童話・寓話はやはり怖い話が多いですねえ。

妹さんのお話も出てきます。姉妹ともに食べるのが大好きで食い意地が張っている。妹さんは料理の先生・料理研究家になった。ちなみに妹さん=ユリさんのダンナさんは作家・戯曲家の故井上ひさしさんです。二人が結婚する時に「ひさしさんは幸せ者だ。ユリの料理(確かチャーハンだったかと)を毎日食べさせてもらうことが出来るのだから」とのお祝いを述べていたように記憶します。姉妹仲が大変に良かったようです。ユリさんは2016年5月に「姉・米原万理」を刊行しています。 

 

 

「発明マニア」サンデー毎日、2003年11月から亡くなる直前の2006年5月の連載。2007年3月第一刷。イラストも、ご自身で描いています。別途ペンネームを付けてイラストレーターが登場。ペンネームは「新井八代」=あら、嫌よ。何やこれは、全身が駄洒落の塊ですね。尽きること無し。但し、この頃のエッセイには、時の政権への痛烈な批判が随所に出てきます。特に、ブッシュ・小泉両氏に対しては大変に手厳しいコメントとなっています。

 

   

「他諺(たげん)の空似 ことわざ人類学」2009年5月初版、2003年から2006年の初出。光文社。養老孟司さんが解説をしています。「とにかくエネルギーを感じる」と。そして万理さんの本の中では「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」が代表作だと思っていると。僕も同感です。僕はこの本=「嘘つきアーニャの・・」を読んで初めて同時通訳のオモロイおねーちゃんの域を超えた立派な思索家・文筆家なんだと認識を新たにしました。

米原さんの背景にあるのは、旧ソ連時代のプラハにあるソ連の国際学校。お父様の仕事の関係で9歳から14歳までをチェコプラハで過ごした。プラハにあるソ連大使館付属学校に入りロシア語での授業を受けた。お父様は日本共産党幹部で衆議院議員であった方、所謂、大変なエリートです。ちなみに祖父は鳥取県の議会議長、衆議院議員。同じ年生まれというのは面白いもので、万理さんの9歳から14歳というのは、僕も9歳から14歳ですから(当たり前や)時代環境はカラダで理解出来るはずなのですが、この場合、環境が違い過ぎて、別な世界の人のように感じてしまいます。

 

  

「心臓に毛が生えている理由」角川学芸出版。2008年4月初版。初出は1998年9月から2004年9月までのモノを纏めたもの。この中に「嘘つきアーニャの・・」を執筆した理由が書かれてます。NHKの取材がキッカケで旧友三人と再会、NHKの番組も大好評であった。しかし、アーニャの発言にひっかかりを感じてしまった万里さん。その番組のあと、それぞれ2回づつのインタビューを重ねて三つの物語を書くことになったとのことです。万里さんのファンの方でまだ「嘘つきアーニャの・・」を読まれてない方は是非ご一読をお薦めします。

  

 

「戦艦ヤマト」のドラゴン先生も大の万里さんファンです。確か、全作品を揃えようと奮闘していたはず。一度、蔵書を拝見しに行ってみたいものだ。僕も何冊かは読みましたが全くの乱読。亡くなられてから編集・発行されたもの等々。一度、オリジナルを時系列に読んでみたいように思います。

 

 

1950年(昭和25年)生まれ。区切りの良い年度です。50年経つと新しい世紀=21世紀が始まる。中学・高校の時にはどんな未来になっているのかあれこれ妄想したものでした。あっという間に時代の節目を通り越してしまいました。万里さんが元気に生きていれば、今の瞬間をどう切り取っているかしら。一刀両断。ユーモアと毒舌。読んでみたかったですねえ。

万里さんの話を書いていたら、渋谷のロシア料理のお店を思い出しました。「渋谷ロゴスキー」。兄の亡くなった奥様(僕の義姉)が大好きだったロシア料理屋。何回か両家族一緒に大人数で連れて行ってもらいました。ビルの建て替えで閉店したはず。銀座に店を移したとか。また皆んなで行ってみたいものです。義姉と万里さんを偲びながら楽しく会食できれば良いなあ。

 

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 2016年6月19日の新聞記事。日経かな。米原万里ベストエッセイ1.角川文庫、平成28年4月初版。これは1994年から2004年の間に各紙に掲載されたエッセイを集めたもの。この本のなかに新聞の切り抜きを挟んでおりました。今回、偶然に見つけました。

 

出産読本

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根津神社の鳥居。最近、特に外国人観光客、中でも中国からの方々に神社の鳥居が大人気だそうです。京都の伏見稲荷は連日観光客で一杯だとか。2018年3月11日撮影。

 

 

長男夫婦の長女=僕とカミさんにとって初めての女の子の孫、のお宮参りに行ってきました。生れた日が何年ぶりかの大雪の日でしたので、お宮参りも大荒れの天気にならないか密かに心配していたのですが、やや風はあったものの穏やかな良いお天気でした。彼らの住まいの近くにツツジの名所でも有名な根津神社があります。そこでお宮参りの参拝儀礼も執り行って頂けることが確認出来たので長男が予約をしてみんな揃って出かけました。大きな神社なので何組かを纏めてのものになるのかと思いましたが、日曜日にも拘わらずそれほど混雑していなかったからか一組づつ丁寧に執り行って頂けました。僕たち夫婦、長男の嫁ハンのお母様が参加。孫は、出産後、検診のために病院に行く以外は初めての外出ですが父親に抱かれて気持ち良さそうによく眠っていました。

 

 

この二週間ほど前に長男が母親に「この本、面白いから読んでみい」と言って本を一冊持ってきました。『嫁ハンをいたわってやりたい ダンナのための妊娠出産読本』。荻田和秀さん著、講談社+α新書。著者は1966年、大阪府生れのお医者さん。産科医にしてジャズピアニストという異色のキャラクターで人気の「週刊モーニング」連載漫画「コウノドリ」の主人公である鴻鳥サクラのモデルとなった医師です。長男は嫁ハンの妊娠中に読んだそうです(長男のお嫁さんのことを”嫁ハン”と書いているのは、早速にこの本の影響です)。留守宅のテーブルの上に置いてあったので、イントロを拾い読みして見たのですがこれが面白い。というか「なるほど、そうや」という記述が多々ありました。今さら僕が読んでもこの本の主旨には合致しないと思いつつ、今までの反省の気持ちも是有りで読んでみました。

 

 

「はじめに」のところでググッと読者=奥さんがご懐妊された男性諸氏の気持ちを引き付けます。曰く、

「日本に限らず多くの地域では古くから妊娠出産は男子禁制みたいになっていて、代々嫁ハンが何んとかするもんや、みたいな感覚で現代まで来ました。ところが最近になって急に何かしないといけないような雰囲気になって・・・」

「挙句に”イクメン”などと持ち上げられて啞然としていると”役立たず””アホたれ”などと叱られて・・・、世話を焼き過ぎると仕事に支障は出るし嫁ハンには鬱陶しがられるし・・・」。この本は、

「そんなダンナさんが妊娠した嫁ハンとの距離感を測れるようにするために・・・」「良い頃合い、ちょうど良い距離感」これが「本書のコンセプトの一つです」と。

 

 

 僕たちの世代は全くその通りで、嫁ハンが妊娠しても慌てず騒がず何もせず、動じないのが男の姿なんてカッコ付けていた気配があったように思ってます。

最近、と言っても数年前ですが、次女が妊娠・出産した時の次女のダンナの対応を見て大変に感動させられました。同時にえらく反省しました。

 彼は全くの自然体で素直に喜びを表して出産にも当然の如く立ち会いました。この本のなかで何回も記載されていますが「何をするかという中身では無く”嫁ハンとの距離感”がうまく取れていれば、イクメン」であると。次女のダンナは、あっぱれイクメン一号でした。

 

イクメン一号の影響もあったと思うのですが、長女のダンナもイクメンです。見事なイクメン二号です。尤も、長女の場合、余りにも出産がスムーズであったために、ダンナは立ち会いの機会を逸しています。責任感の強いダンナは、長女を病院に連れて行った後、お医者さんに”まあ、今日の夜になるでしょうね”と言われて、いったん、学校の様子を見に帰った(彼は小学校の先生です)のですが、戻ってくるまでに無事出産していたという訳でした。余談ですが、イクメン二号は料理の達人です。彼の「豚の角煮」は絶品。先日、作り方を教わりました。そのうち挑戦して紹介します。

 

今回、長男ダンナも出産に立ち会いました。荻野先生はどうしようか迷っているダンナから聞かれた時には「立ち会い出産」を薦めているそうです。産科医療の現場としてはダンナの立ち会いは「めっちゃ邪魔」だそうですが、それでも赤ちゃんのためには「そばにおってもらう方が良い、というのが分かっている」からだそうです。

出産後すぐに話をした時、長男ダンナは神妙な顔をして「いやあ大変だわ。こんなに出産が大変だとは思わなかったわ。立ち会って良かったと思う」と言っておりました。ちょっとは父親の顔になっていたと思います。お宮参りのあと彼らのマンションに戻りお茶を御馳走になっている時におしめ交換タイムとなりました。二回目は長男ダンナが一人でおむつ交換をやっていました。(本人は「俺はもともと器用である」と言うのですが)僕の目からは昔から余り器用でない方だと思っていたのですが、意外と手際よくやっておりました。イクメン三号の誕生です。

 

ちなみに、荻野先生によれば、立ち会っているダンナのなかには極く稀れに失神するとか号泣するダンナさんもいるらしいですが、ほとんどは「シンプルに固まっている。何もできずにただただ圧倒されている」状態だそうです。そうだろうなあと思いますが、僕は弱い方なので、もし立ち会っていたとすれば極稀に属していたかも知れません。

 

 

それにしても漫画の力は凄いですねえ。「コウノドリ」の作者は、奥様がご出産の時に荻野先生にお世話になったそうです。荻野先生ご自身が医師で、かつ、ジャズピアニストであり、この作者=鈴ノ木ユウさんが荻野先生をモデルにしてこの漫画を描いたそうです。コミック「コウノドリ」がヒットして、それを原作にしたTBSドラマまで生れたと。既に二回に亘ってシリーズとなった由。

 荻野先生の本は、2015/10/21が第一刷。ちょうど一回目のドラマが始まったころに出版されたとのことです。この本は関西弁がベースになっています。重い内容の本ですが、関西弁の柔らかさで随分と読みやすくなっているように思います。お宮参りの翌日、近所のbook offでコミックの第一巻、二巻を買って来ました。確かに公衆の面前では読まない方が良いですね。泣けます。コミックは大阪弁で無かったのがやや残念なように思いました。 

 

 

長男夫婦の許可が下りたので孫の名前を紹介します。

小雪

大雪の日だから小雪。僕のイメージはsnow whiteならぬsnow prettyですね。目もパッチリ、エクボも可愛い。良く食べるので今はホッペが膨らんで△山のおむすび姫のようですが。とにかくカワユイ。今回は、全くの爺バカの話でした。

 

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桜も開花。これは梅ではなくてもちろん桜ですよね。春ももうすぐ、かな。根津神社、2018年3月11日撮影。

 

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都内のど真ん中でもこれだけ広い境内です。静かな落ち着いた環境です。都会にある神社仏閣の存在は有り難いですね。同上。

 

 

平昌オリンピック

平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックでの日本人選手の活躍は素晴らしかったですね。特に女子選手。僕は女子のスピードスケートと女子のカーリングでハラハラドキドキ最高の感動を頂きました。

 

 

小平奈緒さん。500mで勝った後、惜しくも二位に終わった韓国選手との称え合いは素晴しかったです。最高水準を競う合うライバルで且つ親友、なかなか成立しないことだと思うのですが、ここまでのレベルに達した選手の方々だけが初めて到達出来る関係なのかも知れません。インタビューで二人の昔の逸話も紹介されていましたが、本当に素晴らしいお二人だと思いました。国を超えて、特に、お隣の韓国の選手と日本の選手が世界最高を争う競争相手でありながら親友であるというのは稀なことだと思いますし、大変に素晴しいことだと思います。小平選手の金メダルは女子スピードスケートでは初めて。大本命と言われた重圧を跳ね除けて、また、日本選手団の主将も務めていましたが、日本選手団の主将は金をとれないというジンクスなんぞなんのその五輪新記録での勝利でした。 

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2018年2月18日、スピードスケート女子500m。レースを終えて、泣き崩れそうな地元韓国・李相花選手を抱き寄せ健闘を称え合う小平奈緒選手。中日新聞、2月19日。

この時、お二人はお互いに相手を尊敬していると言葉をかけあったそうです。この種目、李選手はオリンピック三連覇を狙っていたのですが惜しくも銀メダルに。二人は、この後それぞれの国旗をまとって一緒にリンクを回りました。最高の日韓友好のシーンだったと思います。

 

 

女子のカーリング。この競技は単純明快なルールなのに戦術的には奥が深そうですね。前回のオリンピックで随分と身近な競技になりました。ゲーム感覚を楽しめるスポーツです。面白いなあと興味を持ってはおりましたが、攻め方・守り方の要諦が何なのか理解出来ておりませんでした。今回の大会で何試合かをその試合全体を通して見て初めて戦術というものが少しだけ分かるような気分になりました。ゲーム自体が面白い。各エンドの押さえ方をどうするか。エンドごとの攻め方、守り方が大変に重要な意味を持っている。一試合の時間が結構長いのが珠に傷かと思います。よほど大きな注目される大会・試合か、のんびり心に余裕のある時かでないと、なかなか一試合を最初から最後まで見ることは難しいかと思います。でもこの競技は最初から見ないと、その試合の流れ、駆け引きが分かりませんから面白くないんですね。

  

日本代表チームは素晴らしいチームですね。LS北見チーム。LSは「ロコ・ソラーレ」。ロコはローカル、それにチームの練習場のある場所が北見市常呂町でその土地の子を「常呂っ子」という言い方が定着しているので、その語感を取り入れたとか。ソラーレは太陽。北見市は日本のカーリングの聖地です。

プレイしている選手四人の笑顔。すっかり有名になりました「そだねー」。休憩時間にエネルギー補給のため美味しそうにおやつを食べている姿。明るく楽しい中に、メンタルがしっかりしていることが伝わってきて大変に頼もしく感じられました。

 

銅メダルを取った後のインタビューでは、試合には登場せず、いつもベンチで厳しい顔で表情を変えずに試合をチェックしていた本橋選手が感極まって一人泣きだしていました。彼女は主将でリザーブ。そして実質的なチームの創設者だそうです。2010年に彼女が中心になりチームを結成。恵まれた企業チームでなく活動資金にも結構苦労されたそうです。他のメンバーは明るく笑い泣き。本橋主将を取り囲んで皆さん本当に良い表情をしていました。五人全員が北海道北見市出身だそうです。チームワークが素晴らしい最高のチームである由縁でしょう。

 

日本に勝って決勝に進んだ韓国チームは惜しくも銀。でも典型的な北ヨーロッパの伝統競技でアジア勢が銀、銅を取ったのは大変に高く評価されることだと思います。あっぱれ。 

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 2018年2月26日、日経新聞。後列左から、藤沢五月、吉田知那美本橋麻里。前列左から、鈴木夕湖吉田夕梨花の各選手。良い笑顔。それにしても皆さん個性的なファーストネーム。”子”はいないんですね。

 

 

このオリンピックで日本は自国開催であった1998年長野大会の10個を超える史上最多の13個のメダルを獲得しました。13個のメダルの中で女子種目が8個。女子の活躍が圧倒的でした。 男子のメダルは5種。

惜しくも銀の渡部選手。この人のフェアな試合ぶりはサムライ・スピリットですね。ノルディック複合の距離競技は順位を競うものですが、道中では風の抵抗を避けるためずっと先頭に立つのは得策でない。相手に先頭を取らせ風よけに使って自分の体力を温存する。それが常套手段とのこと。ところが、今回の渡部選手は、トップ二人だけの争いに絞られている中で、ずっと二番手に付けておけば体力を温存出来たにも拘わらず自分からトップに踊り出て風よけ役を同等にこなした。態々ライバルと同じ条件にして、その上で勝ちたいとの気持ちであったとのことです。何がなんでも結果の勝ちに拘るというよりも、自分の思うフェアな勝負に拘る、あえて正々堂々の勝ち方に拘る。二位に終わった悔しさは滲み出ていましたが、相手をレスペクトして正々堂々の勝負を挑んだのは、この方のサムライ流儀の生き様が出ていて大変に気持ちが良かったです。

おまけに渡部選手は大会前の練習で転倒して肋骨にヒビが入った状態であったそうです。このクラスになるとこの程度のケガは大したことはないということなのでしょうか。羽生選手も痛み止めの注射を打っての試合であったとか。カラダには決して良くないはずです。くれぐれもカラダは大切にして欲しいと思います。

 

フィギュアスケートは、男子が大活躍。羽生選手が二連覇の金、全くモノに動じない(ように見える)宇野選手が銀。一方の女子はロシアの選手が金と銀。「OAR」=Olympic Athlete from Russia、表彰式でも自国の国歌を聞くことが叶わなかった。選手はどんな気持ちでやっているのかしらと心配になります。

これとは別ですが北朝鮮の問題も終始話題になっており、政治の影が色濃く前に出た大会でありました。 

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 2018年2月27日、日経新聞。この大会が盛り上がったのは期待されていたビッグネームが良い成績を挙げたことが大きかったと思います。その中で、最初にメダルを取ったのは、あまり有名でなかった原選手。頑張りましたよね。よかった、よかった。

  

 

丁度、オリンピックの期間中に引っ越しをしました。名古屋市の同じ区内なのですがチョット考えるところがありまして。余裕を持って準備を開始したはずなのですが、単身とは言え、たまに泊まりにくる家族用に何かにつけて五人分の家財道具があり。また普段からの整理の悪さを痛感させられました。断捨離、僕は全く不得意ですね。食材の溜め置きが何んと沢山あったことか。災害保存食品、缶詰、レトルト、調味料等々。冷凍庫で眠りっぱなしの食材も。これは家庭内の食材ロスだ。もったいないことしてはイカン。二週間ほど、生鮮食品以外一切の食材の買い物を禁止。滞留食品の消費を心掛けました。日本の食品の品質管理は大変に良く出来ております。少々、消費・賞味期限が切れていても、自己責任で食べてみた限り安全性には全く問題ありませんでした。

 

途中からカミさんが引っ越し作業の助っ人に来てくれました。その期間は助っ人の慰労も兼ねて食事は近所の食堂、居酒屋に行きました。まだ残っていた滞留食品は新居に引っ越しすることに。冷凍食品は結構片付けました(胃袋に収めました)。新居といっても古ーいマンションです。駅からは遠くなり自然豊かな公園にはすぐ近くになりました。

 

普段、電気系はめっぽう弱くほとんど全て業者さんとかにお任せでしたが、今回は自分でテレビの配線接続を急いでやりました。荷物を解包しながらオリンピック中継を楽しむため。

カミさんは荷物の整理が一段落した後、留守宅に戻りました。直ぐに簡単な料理が出来るように整理したはずなのに、いざとなると、あれも無いこれも無い。二日間はスーパー・コンビニの惣菜と滞留食品・缶詰で凌ぎました。三日目でようやくご飯を炊きました。レトルトカレーに蒸野菜を加えて。結構美味しかったです。

 

ここのお湯は夜間電力を有効活用する温水器タンクを使っての仕組みとなっています。かつてはハイカラなモダンな設備だったのです。電力会社さんのアドバイスに従って前日に操作しておいたつもりなのですがダメでした。夕方になってお風呂に入ろうと思いましたがお湯が出てこない。冷水のみ。風呂は諦めガスでお湯を沸かして顔を洗い体を拭きました。炊事の時の水の冷たさを思い知らされました。忘れていた辛さ。昔は台所仕事は何かにつけて大変であったのだ。村上龍の「半島を出よ」で北の工作員が日本のホテルで蛇口を捻ればお湯が出てくることに驚いているシーンがあったことを思い出しました。便利になって普段忘れてしまっていることって結構多いモノなんですねえ。

 

 

新しい場所の古いマンションでの生活については、もう少し落ち着いてから、また書いてみたいと思っています。台所はもちろんガスです。IHではありません。果たして「戦艦ヤマト」は新しい環境に対応できるでしょうか?

 今回は感動を与えてくれたオリンピック選手の方々に感謝です。しんどい引っ越し作業もお陰様で苦痛を感じないで済ませることが出来ました。

また、その翌日、中部電力さんの迅速かつ親切なサービスのお陰でお湯のある生活に戻ることが出来ております。念の為。 

 

「フォレストガンプ/一期一会」

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平昌オリンピック第9日、フィギャー男子。羽生くんの金、宇野くんの銀に感動。テレビなんて見てないで体を動かそうと近所の平和公園ウオーキング。もう春も近いと思わせるお天気!、だったのですが・・・。

 

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30分も経過していないのに、一転俄かに冬雲が。雪、みぞれ吹雪に見舞われました。名古屋でこんな状態だと北陸・東北は大丈夫かと心配になります。2018年2月17日、土曜日撮影。

 

 

昨年の12月に久しぶりに長男夫婦とカミさん、僕の四人で会食しました。長男の奥さんが妊娠中のため彼らのマンションから余り遠くないところを選んでもらいました。彼女は年明けが臨月の状態です。初めての出産でそれなりのストレスもあり、気晴らしも兼ねて気楽に行けるところに。後楽園遊園地の一角にある「Bubba Gump Shirimp」(ババ・ガンプ・シュリンプ)の席を取ってくれました。アメリカン・カジュアルな明るいお店です。長男の説明では、映画「フォレストガンプ/一期一会」をモチーフにしたレストランとか。映画は知っていましたが、何故、シュリンプのレストランと関係があるのか、分かるような分からないような。お昼なので、アルコールは控えめに。久しぶりだったこともあり、会話は弾み楽しく会食の時間を過ごすことが出来ました。名物のシュリンプは豪華にどっさりと出てきました。ややオイリーでしたが香ばしく美味しく頂けました。このレストランは後楽園ドームのすぐ近くの遊園地の敷地の中にあります。この遊園地には入り口がありません。当然、入場料は取らない。地下鉄の駅から歩いていると、もう、そこは遊園地の中です。レストランに行く途中、メリーゴーランドがあって順番待ちの列があったり、歩いている頭上をジェットコースターが走っていたり、今まで知りませんでしたが面白い空間が広がっています。さすが東京のど真ん中の遊園地。お子様を連れて行くと、きっと、大変なことになるでしょう。(入場料はいりませんが、乗り物にはお金がかかります。念のため。)

 

 

楽しイ食事の帰り道、カミさんと二人になって、改めてこの映画の話をしました。二人ともウラ覚えでした。”かなり前に公開された映画である、当時、凄く話題になっていた。宣伝が強く印象に残っている、その年のアカデミー賞を取ったはずだ”程度の認識で内容も朧げに知っているような程度でした。お互いにシュリンプとの関係はスッキリと分からない。やはり見るしかない。数日後、近所のDVDレンタルショップで借りてきました。

 

 

二時間超の大作。ほぼ時間の経つのを忘れて楽しむことが出来ました。”ああ、そうだったのか”。二人とも見たことがあるように思っていましたが、ちゃんと見るのは間違いなく初めてでした。主演は、トム・ハンクス、演技派の名優と言ってよいと思います。この人じゃあないとこの映画は成功してないんだろう、と思わせます。大人の童話のような映画です。

 

 日本公開は1994年です。丁度、僕たち家族はマレーシア、シンガポールで生活をしている時でした。古い映画ですから、ストーリーを紹介しても差し障りはないと思いますが・・・。

 

 

主人公には若干の知的障害があります。また、幼年期には背骨の障害矯正のため足腰にコルセットを着けていました。ひょんなキッカケ・偶然の出来事から、突然に動くようになりました。それも一気に走れるように。走ることに大変な才能を持っていました。強い精神力を持っている母親の努力、主人公の素直な気持ち、周りの人とその時代の巡り合わせで、次から次へと彼の人生は展開して行きます。学生時代にはアメリカンフットボールで一躍スター選手に。また、ベトナム戦争では戦地で上官、仲間を救助したことで英雄に。自身も負傷したもののリハビリで初めたピンポンで名選手に。退役後、亡き友との誓いを守ってエビ釣り漁船を始め、突然のハリケーンのお陰で大当たり。更に後年にはアップルの株式を買って大金持ちに、ニコニコマークのデザインにも影響を与えてしまう。

 

1960年から1970年代のアメリカ社会の出来事が随所にフラッシュバックされます。特殊撮影の妙で主人公と本物のケネデイ、ジョンソン、ニクソン大統領との絡みが出てきます。同じく、主人公の少年時代に無名時代のプレスリーが家に泊まり主人公と一緒に遊んで踊ったのがプレスリーの振り付けに影響を与えたとか、また、ヒーローになってからテレビでジョン・レノントーク番組に出たりとか、有名人・スーパーヒーローと主人公が共演しているかのように撮られています。特殊撮影技術の面白さ、映画ならではの映像の面白さです。

 

Bubbaは戦地での友人の名前です。彼は黒人で家は貧しいエビ取り漁師です。本人は自身をエビ取りのプロだと自慢しています。”生きてアメリカに帰ったら二人でエビ取り漁船を買って大儲けしようぜ”と誓い合いました。友は戦死。Forrest Gumpは主人公の名前ですが、Gumpはあだ名なのかも知れません。スラングで”うすのろ”とかの意味があるそうです。差別言葉のように思います。 「Bubba Gump Shirimp」(ババ・ガンプ・シュリンプ)は、映画の中の二人の名前を取って、二人の誓いのエビをメインにしたシーフードレストランです。コンセプトが面白いですね。大繁盛していました。

 

 

アメリカがピカピカに輝いていた時代です。その中で、ケネデイ暗殺、ベトナム戦争、そして、ウォーターゲイト事件(これらも映画の中に出てきます)がありました。アメリカの戦後現代史の恥部の出来事なのかも知れません。最近のアメリカの気配に繋がってしまう翳りがこの時に既に表れ始めていたのかも知れません。

  

 

僕の敬愛する先輩が最近出された本を読みました。先輩=『先輩』(2016/10/22)を参照ください。一番、印象深い件を抜粋・紹介しますと、

〇「西欧文明の制度疲労」を大変に懸念されています。西欧文明は「個人の自由、民主主義と科学的合理主義を中核とする」文明という認識ですが、その「西欧文明が一つの壁に直面している」と。

〇「共産主義は(皆が期待したような)民が主人ではなかった、ということがその楽屋裏を見て白日の下にさらされてしまった。」「資本主義国の民主主義はそれとは違って、民が主人と信じていたのに、こちらも実際の楽屋裏を見ると、実のところは同じように信用に値しないことが分かってしまった。」

〇「なんといっても、『自由と平等』という建国の理念を持つアメリカで、その理念を公然と否定する人物が代表として選ばれ、国を二分する対立を生み出している。」「放っておいたら、資本主義はむき出しの欲望が息づく弱肉強食の経済システムになってしまう。」

以上、「日本の未来の大問題」丹羽宇一郎さん著(PHP研究所)です。(註:著者さんは大変に未来志向の方で、問題を打破していくためのご自分の施策をチャンと提示されています。僕の個人的な見立てですが、全くのネアカ=楽天的な方です。)

 

  

映画を、まだ見られてない方にはストリーを書いてしまって申し訳ありません。お薦めの映画です。特に僕と同年配の方には時代背景も懐かしく感じられると思います。それから、先輩のこの本も大変に面白いです。ご一読下さい。

 

 

年明け、長男夫婦には無事女の子が誕生しました。大雪の日でした。長女、次女は、それぞれ既に男の子に恵まれていますので、僕たちにとっては初めての女の子の孫の誕生となりました。ありがたいことです。

この子たちが大きくなったとき、昭和の時代、平成の時代は、どんな風に見えるものですかねえ。その時には、世の中の仕組みがもっともっと夢と希望に満ちたものになっていると良いですねえ。  

 

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大好きな東山公園駅の近辺。こんなイタリアンのお店もあります。更に・・・

 

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book&cafeのお店もあります。名古屋市千種区、地下鉄東山公園駅の近く。2018年2月17日撮影。

 

 

朝市

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おでんを作りました。”いしかわ”さんの豆腐製品と朝市で僕らの隣のお店で売っていたコンニャクを使って。熱めのぬる燗で一杯。おでんの煮込みが薄く味が決まらなかった。はんぺんが縮んだのも残念。2018年2月3日撮影。(註:翌日、味を整えたら納得出来るおでんになっていました。一安心。)

 

 

2月3日、土曜日。「おとうふ工房いしかわ」さんが主宰する朝市に行きました。早朝5時半過ぎに家を出て。こんなに朝早く家を出るのは、留守宅の神奈川にいる時に千葉方面にゴルフに出かける時くらいかしら。まだ、外は暗かったです。愛知県高浜市に向かいました。同社の石川社長は『お酢の話、その2』(2017年7月17日)で書いた通り、南三河食文化研究会を主宰されていて、地域の文化、特に食文化を大切にされています。本業は豆腐製品の製造・販売ですが、その枠に留まらず、ショップ、レストランの展開から、最近、聞いたところではクラフトビールの運営まで。この方のキーワードは、””旨いと安全・安心を通じて皆さんに喜んでもらうこと””と理解しています。

 

高浜市に”いしかわ”さんの本社工場があるのですが、隣接する場所に「おとうふ市場大まめ蔵」という名前の豆腐製品ショップ、レストランを運営されています。その駐車場を開放して青空市場を開催。毎月第一土曜日、7時から9時までです。もちろん、自社製品の販売促進・宣伝を兼ねてのものですが、それ以上に、地元の方々に貢献したい、という石川社長の心意気が出ている企画だと思います。地元の方が、喜んで足を運んでくれる、楽しく買い物をしている笑顔を見るのが嬉しいなあ、という石川社長の気持ちが大きいと感じます。

 

 

僕が朝市の会場に到着したのは7時チョット過ぎた頃でしたが、すでに沢山の方が来場されていました。”いしかわ”さんの豆腐製品だけでなく、地元・地域の方々が商品提供をされていて大変に活気のある朝市です。地元の農家さんが農産物を提供したり、地元・地域の食品メーカーさんが自社の製品を提供したり。こんにゃく、納豆、菓子、粉モノ、惣菜等々、ホッとするような安心感のある食材が出店されています。きっと、南三河食文化研究会のメンバーの方々も石川社長さんの考え方に共鳴され協力、出店されているのでしょう。

 

 

『クルルのサトウキビ収穫体験会』(2017/12/24)で書きましたが、クルルの工場で育てているサトウキビも、そろそろ最後の収穫時期になりつつあります。担当の役員が以前からキビジュースをこの朝市で提供しようと考えており、ずっとタイミングを測っておりました。2月の朝市が時期的には最も良さそうだということになり、この日の前日遅くに皆で協力してキビの刈り取り作業を行い、葉を除去して50-60㎝に裁断、300本程度をコンテナに詰め込みました。そうです、キビは新鮮さが命です。早朝、自慢の圧搾マシーンも会場に持参し設置完了、クルルの幟も立てて、地元の皆さんに美味しいキビジュースを試飲してもらおう、お砂糖の良さを味わってもらおう、と準備万端です。

 

たまたまですが、1月22日(月曜日)のNHKの”あさイチ”で、「基本の調味料シリーズ、驚き!砂糖マジック」が放送されました。フェアーな観点から砂糖を紹介してくれて、砂糖の良さをアピールしてくれました。大変な反響がありました。個々の企業でも、そして業界でも啓蒙アピール活動はやっているつもりなのに、全く、反応の大きさ・広さが違います。さすがテレビ、天下のNHKのパワーだと痛感しました。

 

 

この”いしかわ”さんの青空朝市でも、キビジュースが大好評でした。7時の開始から9時の終了まで、継続して順番待ちの列が出来ていました。嬉しいですねえ。沢山の人に試飲して頂きました。「この辺りでもキビは育つんですねえ」「この面白いマークは良く知っとるけど、砂糖工場が碧南にあるとは全く知らなんだよ。」「あさイチ、見たよ。お砂糖、いいねえ!」「これを植えたら芽が出て来るのかねえ?」お土産に持って帰りたいとのご希望も結構ありました。「家で植えてみたい。」「家に持って帰って家人に割いてしゃぶらせてみたい。」僕の会社の連中は、普段、最終消費者の方々との接点がそれ程ある訳では無いので、リーダーの役員と二人の若手の社員も、朝早くからやっていることに地元の皆さんから大変に良い反応を頂いて喜んでいました。よかった、よかった。

 

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 キビジュース試飲会の風景。右隣は、ピザの販売店。後ろに見えるのが「大まめ蔵」のショップ・レストランですが専用のピザ釜が作られていて本格的なピザを頂けます。そこは豆腐屋さん、生地の上に厚揚げ・油揚げ、野菜をトッピングされてました。レストランでは、旬のとうふ定食、田楽、がんもが人気とか。ショップには、豆腐製品、湯葉トーカンスー、豆腐ベースの総菜、パン、ドーナッツが。次回はショップでの買い物方々、レストランに食べに来たいものです。左隣には、コンニャク屋さんが出店。おでん、味噌田楽、炒り煮を試食出来ました。美味しかった。買って帰って冒頭のおでんを作りました。

 

 

この日は節分。開始から一時間ほどたったころ石川社長がド派手な帽子をかぶって登場。トラックの荷台に乗って節分の豆まきです。笑う門には福来る、炒り大豆の子袋を配り捲り。炒り大豆が無くなってしまって、追加で同社のきらず揚げ、納豆も大サービス。もう朝市の会場は完全にお祭り状態です。

 

 

やっと一段落して改めてご挨拶。お話をしましたら、今日は、なんと石川社長の誕生日ということでした。「地元の皆さん、お客さんが喜んでくれたら本当に嬉しい」と。”いしかわ”さんの会社のHPを覗いて頂けるとよく分かりますが、企業理念が「全ての人を幸せにしたい」です。普通の社長がこんなパフォーマンスとかこのような理念を書くと、かなり鼻に着いたりするものと危惧しますが、石川社長の人とナリに接すると””このおっさんは、心の底から、そう思ってやっている人や””と実感します。日本人って素晴らしい民族だなあ、と元気をもらえます。僕はこの社長とこの会社を応援したいなあと感じています。

 

 

前回、チラッと書きましたが石川社長とは大変な縁があります。『炒り豆腐の思い出』の業界の重鎮さん。この重鎮さんのライバル会社に、昔、石川社長は努めていらっしゃって大豆の取引、豆腐会社の経営を勉強されていたのです。この会社の社長さん、僕もずっと懇意にさせていただいた方で僕が仕事を変わった後も30年近くずっと交信をさせて頂いていました。4文字のお名前で〇賀 正〇、中の二文字を繋げると「賀正」となる誠に喜ばしいお名前。重鎮さんがずっと年上ですが、重鎮さんと賀正さんは大変に仲が良かった。大変に良いライバルであられました。お二人ともご立派な経営者さんであったと改めて思い出します。この賀正さんも、昨年11月に亡くなられました。石川社長ご夫妻は今でもこの賀正社長を大変に敬愛されています。

 

 

共通の知人がいることも更に確認出来て、僕にとっては何十年ぶりの方になりますが、石川社長が会食の予定も設定してくれました。ちょっとしたキッカケから、新しい輪(古い輪なのかな?)が広がるのは嬉しいですね。「話」が広がって「和」になると楽しいですよねえ。

 

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 名古屋の地下鉄東山線、一社(いっしゃ)駅の近くにある”いしかわ”さんの販売店。とうふや豆蔵・一社店「まめぞうデリ」。表に素朴な言葉が記載されてます。ほのぼのとした気分にさせてくれます。一家団欒が浮かんでくるイメージですね。

東山線の駅名には、あれっと思うのがあります。この一社(いっしゃ)駅の次の駅は上社駅と書きます。”かみやしろ”と読みます。

 

 

 

 

高尾山

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高尾山薬王堂の天狗様。天狗様は大権現の随身で神通力を持っているとか。薬王堂は1300年の歴史を持つお寺です。社殿前方には鳥居があります。寺院の中に神社がある神仏分離以前の典型例だそうです。2018年1月8日撮影。以下も同様です。

 

 

1月8日、月曜日・成人の日の祝日、早速、高尾山に挑戦しました。年末年始に考えた今年の挑戦テーマの一つです。神奈川の自宅から、近くて安全・安心、手軽に行けます。ちょっと時間がある時に思いついたら、朝早く出発すれば午後早々には帰ってこれるはずで、この手軽さが有難いと感じています。正月に自堕落な生活をして体重も素直に増加してしまいました。山歩きをすれば、鈍らな体も少しは緊張感を取り戻すでありましょう。

当日、カミさんはもともとの予定が入っており僕一人だけの山行です。以前書いた通りですが、ちょっと険しい山に一人で行くのは怖いと感じるようになっていますが、それを感じさせないのが高尾山の良いところだと思います。登山口には9時ころに着いていたいと思うのですが、逆算しても自宅を8時前にゆっくり出発して十分到着出来る。近いことは有り難い。天気予報は晴れでありましたが、寒さ対策と雨対策だけはキチンと慎重に装備をして。携帯電話、ipadも忘れないように注意。おまけにチョット仰々しいと思いましたが両手ストックまで準備して出発しました。

 

 

八王子から中央線に乗り換え高尾方面に。車内は登山客でいっぱいです。いずれも腕に(足に)自信満々の面々、高尾山にしょっちゅういらっしゃってる気配の方々です。やはり、お年寄りが圧倒的に多い(お年寄りと言っても、僕と同年配かしら)。京王線に乗り換え、高尾山口駅に。

ゆっくりと支度を整え、入念に準備体操をして、さて、どちらの道を行けばよいのか。下調べしたルートは6号路。ケーブルカー、リフトは使わない。登りはとにかく歩いて行くぞ。帰りは疲れ具合を見て考えよう。登りは、最も自然な風情のありそうな登山道を行きたい。それが6号路。

ケーブルカーの駅から6号路への登山道に入ると、あんなに沢山いらっしゃった登山客が急に少なくなりました。やや意外な感じ。何故だろう?。

なだらかな山道です。僕がイメージしていた通りで歩きやすく心地よく山歩きを楽しめます。これは気持ちが良い。予定時間よりも早く琵琶滝に無事に到着しました。 

 

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琵琶滝。もともと高尾山は山岳修験のお山です。この琵琶滝と蛇滝の二滝は水行道場として一般にも開放されている由。申し込めば行衣も借りることが出来て、入滝指導もやって頂けます。滝に打たれて身を清める!邪念を払う!。やってる方はいませんでした。やはり一月は寒いでしょうね。

 

 

 琵琶滝を後にして一路、山頂を目指します。道路・方角の標示は丁寧に出ているので山頂への道を間違えることはありません。但し、自分の歩いているのが6号路を辿っているのかどうかは不明になりました。かなりの急な山道になってきます。岩場もあり。

””オイオイ、予想よりも本格的な山道やんか。これは山歩きというよりは山登りや””。歩いている人も少なくなり、前後に登山客がいなくなってきます。やや弱気になり始め、かつ、体力を心配し始めた時に「山頂」の立て札を目にしました。正直、ホッと一安心。急に開けた広場に出てきました。街に出たような気配です。舗装もしてある。茶店、お土産屋さんが何軒も並んでいる。展望台あり。BBQ設備まで完備されています。見晴らしも良し、スカイツリーも見えました。結局、厳しい山道は、ほんの15-20分程度のものだったのでしょう。あっという間に登頂完了か、チト物足りないなあ(少し前には不安を感じていたのに現金なモノです)と思ったのですが。

””ちょっと待てよ。高尾山口駅からまだ一時間も経過していない。これが本当に山頂かしら””。展望台から降りて広場に行くとテントが張ってあり案内役らしきオジサンが座ってました。

 

恐る恐る、恥ずかしながら「ここが山頂なのですよねえ??」とお聞きすると「ははは、はあー、山頂はまだ先です。この先を道なりに行けばよいですよ」と。

””なんと、ここは山頂ではなかったの。これからまた踏ん張らないといけないのかしら””とまた疲れが出てきました。その辺りはケーブルカーの駅の近くの広場で、散歩がてらに普段の恰好のままの登山客・参拝客が沢山いらっしゃいます。道路もずっと舗装されていて、皆さん、山頂を目指して気楽に登っていくような様子です。これなら僕も心配なさそうだ、何とかなるだろう、のんびり行こうかと気を取り直して前進しました。

 

 

ケーブルカーの駅からは、なだらかな登り道になっているのですね。足場も全く問題ありません。門前町を散策する感じです。有名な浄心門を経由して更に先に進みます。階段は苦手なので女坂を経由してタラタラと歩いて行くとこれも有名な薬王堂に到着。天狗さんとご対面です。さらに道なりに行くと高尾山山頂。599m。山頂というのか展望台というのか。立派な売店もあります。山支度した格好の人もいれば、普段着の方も沢山いらっしゃる。売店ではビール・お酒も置いてあります。ケーブルカーを利用すれば、軽いハイキング、散歩がてらに来ることが出来るのが人気の秘密なのでしょう。でも、このケーブルカーの傾斜は日本一の急勾配とのこと。距離は短いですが登るルートによっては結構厳しい工程であるのが理解出来ました。やはり低い山でもナメたらアカンと実感します。

 

 

寒かったので茶店でキノコ汁を頂きました。カラダがジーンと暖まります。山頂で暖かいモノを頂けると本当に美味しく思います。こんなに旨いものは他では味わうことは出来ません。次の機会には自分でコッヘルとコンロを持参して、ゆっくり自前のスープを味わいたいなあ。孫を連れて(連れられて)三世代で来たいものだわ。孫に山頂でスープをご馳走するなんて最高かも知れませんね。

 

 

初めてのこともあり、それなりの充実感を味わうことが出来ました。ゆっくり休憩して体力を回復してから帰路に。下山は苦手です。僕の膝はあまり上等ではありません。登りで無理をすると、その疲れが下りで出てきます。負担をかけ過ぎると下りの時に踏ん張りがきかなくなる時があります。

先ほどのテントのオジサンに挨拶しつつ下りのルートをアドバイスしてもらいました。一番、安全かつゆったりしているという一号路を選択。これが高尾山の表参道だそうです。念のため持参した両手ストックを使って出来るだけ膝への負担を少なくするようにしました。完全舗装のなだらかな下りです。膝も悲鳴をあげないで何とか大丈夫でしたが、舗装道路は膝への負担があるなあと感じます(贅沢な話ですが)。この道は頂上へのメインな道ですから、食材・飲み物・資材等を運ぶため舗装が必要であることは良く理解が出来ますが、欲をいえば、自然の道を残す工夫も出来たらもっと素晴らしい登山道、散策道になるでしょうね。自然と共生して欲しいと思います。 

  

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 高尾山山頂。599m。ブラタモリによると高尾山一帯の植物の種類の多さは大変なモノだそうです。イギリス全土に匹敵するほど植物の種類が多いとか。単位面積当たりでは圧倒的にNO.1の由。都心から近くて手軽に登れることもあり、年間300万人の来場者・登山客が来られているとのことです。一日当りほぼ一万人、やはり凄いですね。

 

 

12時過ぎには無事に下山完了。高尾山口駅の近くには、温泉もありますが湯冷めして風邪を引くのが心配だったので今回は入りませんでした。長女のマンションが帰路の途中にあるので電話してから押しかけました。風邪で調子を崩していたので、食料等を調達して差し入れをしましたが、本当は孫の顔をみたかったからです。ダンナは祝日にもかかわらず出勤中。彼は酒飲み友達なので残念でした。電話をすれば、すぐに飛んで帰ってくるのは分かり過ぎるほど分かるのですが、それでは、休日出勤している意味が無くなってしまう。昔の僕もそうだったなあ、亡くなったおじいちゃん=カミさんのお父さんに誘われたら、仕事・付き合いを放り投げて飛んで帰ってました。ただ一緒にお酒を楽しく飲む為に。一人でお酒を飲んでいるとカミさんが遅れて到着、合流しました。高尾山制覇を自慢しつつ、調子に乗って次回は家族で登ろうと話をしました。長女の長男(=僕の孫)は、一才半。今後どれ位で、一緒に山歩きできるようになるのかしらと楽しみになります。山頂で美味しいスープを作ってやるからねえ。

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高尾山山頂のキノコ汁。熱々です。旨かったあ!。

 

 

 

古本屋さん

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 大阪市中之島図書館。近くのホテルでお客さんと新年会がありました。次の予定まで時間が余ったので一人でプラプラ散歩しつつ懐かしの図書館に。外観はほぼ変化無し。かつて昭和40年代前半!!には自習室がありましたが、もはやそのようなスペースは無くなっていました。2018年1月11日撮影。

 

 

地下鉄の本山駅の交差点から数分のところにお気に入りの古本屋さんがあります。本山駅は、名古屋の東山線名城線が交差している駅で、名城線を南に一駅行くと名古屋大学南山大学中京大学等のキャンパスがあり、東山線で東に一駅行くと東山動植物園平和公園があるところです。名古屋駅から地下鉄で15-16分ほどの便利なところで、近くには覚王山、自由が丘、東山公園、八事等々、名古屋で人気の高い評判の良い住宅街が広がっている地域です。

 

この古本屋さんは、本山の交差点から名古屋大学方面に歩いてすぐのところ、ビルの半地下にあります。表通りが若干の坂道になっているので階段を半階分ほど降りる。入り口はやや奥まったところにあります。店の外、入り口の横に古い本棚を利用して古本が置いてあるのが表通りから覗き込むと目に入ります。表通りには、注意して見ればお店の看板が出ていますが、僕が最初に気づいたのはこの店の外の通路に置いてある本の棚でした。””おお、こんなところに本屋さん、それも古本屋さんのようだ””てな感じです。日が差し込んでこないし、雨風の心配も無さそうなので本が痛む心配もない(と思います)、古本屋さんに適した環境です。古本屋以外では、ちょっと渋い喫茶店が似合うかもしれません。扉を開けて中に入ると、とにかく、古本屋の風情が漂っています。それほど広いお店ではありません。本の棚がやや迷路っぽく並んでいるのも面白い。

 

お店の一角に狭い番台のようなスペースがあり、その隅っこにお店の人がひっそりと座っています。いつも同じ方がいるので、多分、この方がこの店のご主人なのでしょう。痩せ型、細面・髭面、当然、やや長髪。ジーパンに下駄が似合いそうな、いかにも古本屋さんというイメージの方です。愛想は悪いというのではなく、愛想が無い=そこにいるという気配がしない。年齢は不詳ですが、結構まだお若いと思われる。このお兄ちゃんが即席ラーメンを食べているところは絵になるだろうなあとか、はたまた、かつて70年代の学生運動の闘志であったのだろうかと想像してしまうような気配です(全く時間軸が合わない僕の勝手な想像です)。

静かな店内、お客が入って行っても、どこかの居酒屋みたいに「いらっしゃい!」なんて声は間違ってもかかりません。この店、誰もいないのかしらと思わせるような雰囲気で、ゆっくりと本を見て回ることが出来る空気が漂っています。

 

 

何時お邪魔してもお客さんは精々一人か二人いるだけ。これでよくお店を維持出来ているなあと心配になるほどです。昔、街の本屋さんは、お店に来て本を買ってくれるお客さん以外に、地域の学校に教科書を納める権利を持っているのが大きな収益源になっていると聞いたことがありますが、古本屋さんにも何かベーシックな収益源があるのですかね。

この界隈は名古屋での僕の散歩コースです。東山公園平和公園を散歩した後で、ぶらり立ち寄ります。だいたい何冊か買ってしまいます。それでも定価で一冊分程度で収まります。何か随分と得をしたような充実感。こんなお値段で『スピリットを揺さぶってくれる方々』=オモロイおっさん、おばはん達と出会えるキッカケを与えてくれるなんて、古本屋さんに感謝、感謝ですね。

ご主人とは勘定をする時にだけ言葉を交わしますが、意外と丁寧かつ親切そして清潔感があります。この落差がまた面白い。

 

 

 

一方、東京、神保町の古本屋街。こちらは、専門書、専門分野に特化したプロのお店が多くあります。美術書、古書の専門店とか、文学・哲学・社会科学・演劇・芸術・自然科学それぞれの専門分野の本を集中して取り扱っている店とか。司馬遼太郎さんが執筆を開始する時には、そのテーマの資料を根こそぎ買い求めるので、この界隈の本屋さんでも、そのテーマに関連する書籍が一冊も無くなってしまったとか有名な逸話が残されています。また、幸いな事に空襲の被害にも合わなかったとのことです。

 

メインの通りの北側と南側で本屋さんの数が全く違っています。通りの北側=南向きのお店は日当たりが良い。日当たりが良いのは、古本屋にとってはマイナス材料。強い日差しを浴びると店頭の本が傷んでしまうから。古本屋は、南側=北向きに軒を連ねて並んでおり、北側=南向きには食堂、喫茶店等々が店を出しています。世間一般では南向きの住宅が好まれるのに業種によっては常識が異なっているのですねえ。

 

仕事の関係で同じ地下鉄沿線の近くの駅に時々行く機会がありますので、時間がある時には神保町辺りにも足を延ばします。以前、その筋の先輩から””あんたの好きそうな本が置いてあるはずやでえ””と教えてもらったお店がこの通りの一角にあります。

以前から「食の歴史」とか「食の文化」の本には興味を持っていましたが、最近は、その中で「昭和の時代」のことを綴った本(随筆風のモノ、紀行文的なモノ)に興味を持っています。大正から昭和初期にお生まれの方々が、昭和50-60年代くらいに執筆されている本。余り高価な本には抵抗がありますから、安い文庫本を物色しています。本の横幅のところはセピア色に変色しているような本ですが、さすがに神保町の古本屋さん、本の保存状態はキレイなものです。最近買った文庫本で、表紙を捲ったら、著者直筆の「謹呈xxx先生」日付・サインが書かれているモノがありました。その本の初版・第一刷です。xxx先生、著者のサイン入りの謹呈本は、やはり古本屋さんには流さない方が良いかと思いますが。これも時の流れですかね。

 

 

 

古本屋というのかナント言えばよいのか「BOOK OFF」というお店も凄いなあと感心してます。本、それも漫画本・コミックス、CD、衣類、カバン、おもちゃ、ゲーム等々、多分、それぞれのご家庭で眠っていたであろうこれらのモノを再活性化させたというのが凄い。商売として大変な目の付け処、新しいビジネスモデルを構築された。この創業者の方はたいしたもんだと思います。

 

僕は専らCDを買いに行きます。最初はおっかなびっくりでしたが、音も正常でありました。1000円以下で名曲、名演奏家に触れることが出来る。奇跡のピアニスト、天才と言われる辻井伸之クンの演奏を最初に聞いたのもBOOK OFFのCDでした。昨年末には、民放BS番組で彼のドキュメンタリーが三回も放送されてましたが、どれも素晴らしいものでした。この放送と相前後してBOOK OFFで「今日の風、なに色?」と「のぶカンタービレ!」の二冊を見つけて買いました。いづれも辻井クンのお母様が出版されていた本。多分、書店で見ても買っていないだろうなあ。廉価で提供されていたからついつい買ったんだろう。涙を流しながら感激して読みました。辻井クンの一層のフアンになったように感じています。古本屋さん(それと図書館!)というのは、本当に良いものですねえ。(すみません、本屋さんそのものも大切なモノだと思っています。)

 

 

 

本屋大賞がすっかり有名になりました。この二年は、たまたまだと思いますが、ピアノ・クラッシック音楽を題材にした作品です。2017年は『蜜蜂と遠雷恩田陸さん。幻冬舎。第156回直木賞と第14回本屋大賞のダブル受賞。浜松国際ピアノコンクールを舞台にした力作です。2016年は『羊と鋼の森』宮下奈都さん。文藝春秋。第13回本屋大賞。これはピアノの調律師さんを主人公にした作品。

これらがキッカケになってピアノ、クラッシックの世界がもっともっと関心が高くなると良いですねえ。次の大賞の題材は、食事・料理・食の文化になるのではないかと密かに楽しみにしております。

 

蛇足ですが、本屋大賞の本屋さんには古本屋さんは含まれていないのでしょうね。二番煎じはダメかも知れませんが「古本屋大賞」なんてのもあったら面白いかと(これにはBOOK OFFは入らない方が良いかもしれませんが)。

古本屋さんが「埋もれている名著を再び蘇らせる」!。対象は初版から少なくとも10年以上経っている本に絞るとか。面白そうでしょう。

 

 

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 図書館の隣にある中之島公会堂。かつて、安藤のおっちゃんは、この外観を変えずに内部に球体を埋め込むような斬新な改造を提案したとか。実現したものを見てみたい気もしますが、臆病な僕はやはり今のままでエエやんと思っています。同2018年1月11日撮影。