クルルのおじさん 料理を楽しむ

『サピエンス全史』

『サピエンス全史---文明の構造と人類の幸福』。原書のタイトルは「Sapiens---A brief history of Humankind」。さり気無い表現でクールですね。2019年1月10日撮影。(今、気づきましたが、下巻の帯に書いてある池上彰氏、白熱対談!というのが再放送されたのですかね)。

 

 

『サピエンス全史』 を再読しました。キッカケはまたまたNHKの番組に刺激を受けたからです。最近、僕はNHKにはかなり刺激を頂いているように思っています。チャンと料金を支払いしていますので何も後ろめたさは無いのですが、ニュース番組はやや食い足りないものの、特集番組とかドキュメンタリー番組とかは値打ちがあると評価しています。

 

年末年始は今年もゆっくりとのんびりと過ごしました。年末に家族全員集合の食事会、夫婦二人だけの大晦日とお正月、親戚との賀詞。コスパの大変に良い定例行事です。この期間は全く自堕落に過ごします。僕の頭はそのように刷り込まれているようで、ついつい動くのが億劫になりボケっとテレビを見る機会が多くなります。大晦日紅白歌合戦、良いですねえ。この二年ほど、内容が充実していると思います。今回は、サザンとユーミンが圧巻でした。チコちゃん、表情に変化なかったのが残念。箱根駅伝、新年のスポーツはグッドです。次女家族が鶴見中継所で東海大を応援していました。食べて飲んで、お陰様で本年も素直に体重アップしてしまいました。

 

週末は、名古屋の隠れ家に移り、名古屋のお友達との新春ゴルフを楽しみました。所謂、初打ちです。その後、日曜日からの三日間は一切予定無し。体調管理(体重調整)を主眼に、散歩、ウオーキング、読書、料理、音楽を楽しみたいなあ、と。反省を込めて、少しは食事を節制しようかと?。 

 

 

ノンビリ日曜日、まだ、正月気分が抜けきらない状態でお昼からお酒を頂いてテレビを見ていました(注釈;普段は原則アルコールは夜しか飲ンでいません、念のため)。

 NHKBS放送で、「『衝撃の書』が語る人類の未来(再放送)、「サピエンス全史」、「ホモ・デウス」」が放送されていました。前編は午後の一時から、後編は二時から。テレビを見ながら自慢の本棚に飾ってあったこの本を取り出しました。

 

 

『サピエンス全史---文明の構造と人類の幸福』は、上下巻ともに、2016年9月30日に初版が発行されています。僕が買ったのは、上巻、2017年2月2日、第14刷。下巻、同年1月25日、第6刷。出版と同時にベストセラーになっていたと思います。2017年の2月初めに買ったモノと思います。買ってすぐに読みました。とにかく面白かった。

 

「何故、人類が生き残り、繁栄できたのか?!」。著者は「認知革命」「農業革命」「科学革命」が歴史の道筋を決めた!と指摘しています。食料・食品の仕事に従事してきて、かつ、料理大好き人間の僕としては、いきなり「調理をする動物」「火を手なずけたこと」の記述が出てきてワクワク・ドキドキしたことをよく覚えていました。また「農業革命」が格差の始まりであったとの見方は大変な驚きでした。種の繁栄を”DNAの数の増加”という観点から眺めると「小麦が人間を家畜化した!」という見方にも驚かされたものです。

 

「認知革命」というのは最近の言い方をすれば「モノガタリ」能力ということになるのでしょう。「虚構が協力を可能にした」、これも以前から指摘されていたことではあると思うものの、ここまで鮮やかな記述はなかったのではと感心します。テレビでは、もっと過激なお話でした。著者は日本の修行僧を思わせる風貌です。インタビュアーの池上彰さんの巧みなリードもあるのでしょう。「”天地創造”はハリー・ポッターのお話と同じ。虚構である。”神”はポケモンと同じ、実際には存在しない!」と。この人、原理主義的過激派から狙われたりしないのかと心配になります。

 

 

『サピエンス全史』の続編で、『ホモ・デウス』上下巻が出版されていることは知っていましたが、柳の下の二番煎じ、かと感じて買うことは控えておりました。でも、改めて、このテレビ番組をみて『サピエンス全史』を再読すると、この著者が言いたいのはこの二番目の本に書かれていることなのかしらと思うようになりました。

『サピエンス全史』の一番最初、第一章の第一頁に「科学革命は歴史に終止符を打ち、何か全く異なる展開を引き起こす可能性が十分ある」と何やら暗示的な記載がされています。

 

 

著者、ユヴァル・ノア・ハラリさんは、1976年生まれのイスラエル歴史学者。バイオテクノロジーとAIの進化をベースにした次元の異なる次の革命の可能性を想定しているようです。テレビのインタビューでは真剣な表情で「人類は神になろうとしている。これは比喩では無い」とのコメントをしていました。「人間の頭脳には、知能と意識、がある。知能は問題解決に、意識は喜怒哀楽、感じること。人間は両方を補い合うが、AIは知能のみ。問題解決には最適であるが、意識=感情、主観は無い」。また「テクノロジーの進歩は人間の手に負えないモノになる」とも。インタビュアから「それでは、これから人類はどうしていけばよいのか?」との質問には「自分を知ること。人間力を鍛えること。テクノロジーを追うだけではなく現状に満足する方法を考えること」等々、すごく平板なコメントです。「人間は『幸福』になったのか?この本でそれを問いかけている」とのコメントが印象的でした。このオニイチャンの頭の中では、一体全体、人類の世界がどんな風に見えているのか覗いてみたくなります。

 

 

本屋さんをブラブラしていたら、やはり、この本に出会いました。『ホモ・デウス---テクノロジーとサピエンスの未来』。上下巻ともに2018年9月30日、第一刷。本屋さんに置いてあったのは、上巻は2018年10月2日、第二刷。下巻が2018年10月4日、第四刷。何故、下巻の刷が早いのか不可解ですが、買いました。

 

 『ホモ・デウス---テクノロジーとサピエンスの未来』。これも原書のタイトルはシンプルに「HOMO DEUS---A brief history of tomorrow」です。2019年1月10日撮影。

 

明日は神奈川に移動します。今回は「ぶらっとこだま」を初めて利用します。利用する際の制約が多く時間は「のぞみ」に比較すると倍近くかかりますが、割安料金なので読書を楽しむには有難いサービスかと。『ホモ・デウス』を読むのが楽しみです。

 

一月上旬の体重調整は上手くいかず、中旬以降に持ち越しとなりました。

本年も宜しくお付き合いくださいませ。

今回で100回目になりました。

 

  

追記;兼高かおるさんがご逝去されたことが報じられていました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

おまけ:久しぶりに「タジン鍋」料理。かぼちゃ、玉ねぎ、にんじん、ピーマンを炒めて、酒を加えて蒸し焼きに。櫛が通るくらいになったら、ソーセージを加える。柔らかくなったら溶けるシーズとケッチャプをかけて。ワインに合います。2019年1月9日、料理と撮影。

平成最後の・・・

大阪・御堂筋、本町の交差点辺り。東京・原宿にも負けず、ビューテイフルでした。高校の同級生と二人で忘年会を楽しみました。2018年12月21日、撮影。

 

 

 

年末が近づくにつれ、「平成最後のナントカ」という言葉が目に着くようになりました。平成最後の冬、平成最後の天皇誕生日、平成最後のクリスマス・・等々。今の天皇陛下のご退位が2019年4月30日、皇太子さんの即位が同年5月1日とすることが、昨年末、天皇陛下のご意向を受けて閣議決定されていますから、本年の5月以降の出来事は全て「平成最後のナントカ」に相当しています。

 

平成最後の大納会日経平均は20,014円と辛うじて二万円台を維持。平成元年=1989年末が史上最高値の38,915円で、その後1990年以降は下落に転じました。平成の最初の20年間はバブル崩壊の「失われた20年」と言われたものです。平成21年=2009年3月にはバブル後の最安値7,054円を着け、その後、ナンだカンだありましたが、なんとか”半値戻し”で平成最後の大納会を終えたことになります。

 

何回も記載している通り、僕も仕事生活を本年6月で卒業しました。改めて「平成」の時代を自分史的に振り返ってみると、平成元年=1989年=39歳で怖いモン知らずの時から、平成30年=2018年=68歳で無事に仕事生活を卒業するまで、それなりに波乱万丈の30年間であったなあ、と感慨深いモノがあります。昭和生まれの三人の子供たちも平成の時代にチャンと30歳年を取り(当たり前や)、それぞれ結婚して子供(僕の孫)にも恵まれました。有難いことです。とにかく健康と安全を祈りたいです。天皇陛下の挨拶にも「とにかく(日本では)戦争の無い時代=平成であったことがよかった」てな主旨の言葉があったと思いますが、その通りだと思います。

 

少なくとも「明治」以降「生前退位」は初めてのことだそうです。「昭和」が終わったのは、昭和64年=1989年の新年早々1月7日に天皇陛下がご崩御された日。即日、新元号に関する会議が招集され「平成」と決定。翌1989年1月8日から「平成」がスタートした訳ですから、その前年(1988年=昭和63年)末に”これが昭和最後の年末だ”と確定していた訳ではありません。天皇陛下のご容態が良くないとの話で、なにかにつけて自粛ムードが広がっていたことはよーく覚えていますが・・。

 

日本人と元号の間合いというのは人によって立場によってイロイロと異なるとは思いますが、一つの区切りと認識して、特に生前退位等により年末にその時代を振り返りながら新しい時代に思いを馳せる。年末の過ごし方としては、結構意義があるのかも知れないなあと感じております。

 

 

来年、新しい年号になって、その翌年2020年には東京オリンピックパラリンピック。それから2025年には大阪万博の開催も決定しました。僕の高校の同級生の大多数は大阪生まれの大阪育ちですから、同期会の近況報告には「少なくとも2025年まで生きる目標が出来た!」と開催決定を喜んでいる書き込みが見られます。1970年の大阪万博の時はナント20歳、2025年=75歳で二回目の大阪万博を元気に観ることが出来れば、これは”あっ晴れ!目出度い!”。僕も、今から楽しみです。

 

一方、以前『愛・地球博公園⇒「ジブリパーク」に』(2017/6/24を参照下さい)で記載した通り、愛知では、2005年の愛・地球博の理念を継承して、愛・地球博公園200ヘクタールに、宮崎俊監督の「となりのトトロ」の世界を再現する計画が発表されています。こちらは2020年代初めの早い時期にオープン予定。

このブログに、”僕は(開催の申請をしている)大阪万博よりもジブリパークを応援したいと考えています”と書きました。ジブリパークを応援したいという考え方に変わりはありませんが、開催決定したからには大阪万博も是非頑張って欲しいですね(お金の遣り繰りがどうしても心配でしょうがないのですが)。やはり大阪生まれの血が騒ぎます。

 

更に、2027年には、リニア中央新幹線=品川ー名古屋間・40分!が開業される予定です。はい、その時には77歳になっています。尤も、こちらの方は移動時間の短縮が最大の狙いでしょうから、最近の僕にとってはどれだけ有用なものと思えるか疑問ですが。移動中の読書の時間は奪われたくないなあ。今は、逆に在来線で時間をかけての旅行に関心を強くしています。とにかく、日野原さんが言ってらっしゃったように”先の予定を楽しみにする”というのは良いことですよねえ。

 

 

仕事生活「卒業」から半年、神奈川・名古屋の半々生活は予想以上に快適に続けております。それなりに充実した「日々、新しい生活」を出来ているのかなと。この生活パターンを選んだのはイロイロと理由があるのですが、いままで記載していないことがあります。これも大きなファクターであるので、平成最後の年末のブログに書いてしまいます。

ピアノのレッスンを名古屋で受けています。原則、週に一回。一回は一時間。新年1月で5年目に入ります。毎年1月29日が僕のピアノ記念日。それまで鍵盤に触れたこともほとんど無い全くの素人のレベルからスタートしました。よちよち歩きのピアニスト(と言えるかどうか)。でも、料理と同じくらい楽しんでやっています。ピアノ、音楽で新しい世界が広がったようにも。ピアノのことは、また、新年になってから、改めて書きたいと思っています。

 

 

今夜は、平成最後の紅白歌合戦。今年の流行語大賞は僕の一押しの『そだねー』でしたが(これも『平昌オリンピック』2018/2/28をご参照下さい)、トップテンには「チコちゃんに叱られる!」の「ボーっと生きてんじゃねーよ!」も入っていました。面白い番組。ネットの噂では紅白の司会にチコちゃんが登場するとか。フェイクだと言われているそうですが、僕は出てくるものと思っています。最近のNHKは結構アドリブが好きだから(先ほど、新聞のTV欄を見たら「チコちゃん岡村も登場」と書いてありました)。

その時の興味は、あのチコちゃんの表情を舞台=リアルの場でどう表現するのか?テレビの番組でのあのチコちゃんの生き生きとした表情はCG技術の賜物だと信じておりますが、生放送の舞台ではどういう技を駆使して表情を表現するのでしょうねえ。大変に楽しみにしております。

 

 

今年も一年お付き合い頂きありがとうございました。

良いお年をお迎えください。

 

名古屋市千種区平和公園。僕の散歩道。気に入っているスポットです。大回りすると一周、歩いて一時間以上かかります。平成年末最後の散策でした。2018年12月22日、撮影。

 

 

おまけ:「小雪鍋」オリジナル二回目。前回の材料に、小松菜,油揚げを加え、へベスのポン酢で頂きました。この鍋は失敗知らず。平成年末最後の隠れ家での料理でした。日本酒が美味い。2018年12月22日、料理と撮影。

 

 

蒼太の包丁

東京、原宿から表参道にかけての交差点。久しぶりに大都会のクリスマスシーズンの景色を見て。「やはり東京は豪華絢爛やなあ」と感じ入りました。この近くの蕎麦屋さんで以前の会社の仲間と楽しく忘年会をしました。2018年12月12日。

 

 

「蒼太の包丁、銀座・板前修行日記」、全41巻を読破しました。と言ってもそれ程自慢することではないのですが。僕としては一気に読まず、じっくりと味わいながら読み終えた面白さです。『知の巨人vs全41巻』(本年9月10日付けのブログを参照ください)で紹介した通り、僕の長女のダンナが僕の誕生日祝いに名古屋の隠れ家に全巻揃えて送り届けてくれました。

 

副題に「板前修行日記」とある通り板前になる蒼太くんの修行物語です。下町の人情味溢れる人々との触れ合いを通じて、蒼太くんが成長していく姿を折々のお料理の紹介も含めて描かれています。ストーリーと料理を一緒に楽しめるのが面白い。

 

料理人、特に日本料理の料理人さんというのは世に言う料理研究家とは全く違う人種なんだなあと改めて納得します。「修行」というのはイロイロな世界、特に職人さんの世界では当たり前のことなのでしょうが、もはや死語になっている分野もありそうかと。一方では、その道を極めるためにわざわざ辛い修行を重ねる若者も出てきているようにも。報道されるのは、それだけ少数だから取り上げられるのでしょうね。自分自身は何年も修行を重ねるのは不得意なタイプだと思ってますが、自分では出来ないだろうと思うから余計に頑張って修行している人は応援したくなりますね。

 

この連載は終盤になると物語がイロイロなところで急展開していくのですが、その一つにまだ一人前の板前でない=修業中の三人組が大衆向けの料理屋に挑戦したい、転向したい、というクダリが出てきます。修行に耐えられない、修行が嫌になったという意味では全くなく、お客さんとフェイスtoフェイフで接することが出来て、お客さんの喜ぶ顔を目の当たりに出来る嬉しさを実現したいという前向きな意味での転向なのですが、僕としては、やはり修行を完遂してから次の展開に向かってほしいなあ、と感じてしまいます。これも年のせいですかね。どうも親父目線でモノを見てしまうのかも。

 

さらに物語では蒼太くん本人を取り巻く環境にも大きな変化が起こってきます。最終章ではそれなりの結末となって終わっているのですが、なんとかく尻切れトンボとも感じる終わり方。やや釈然としないので、僕よりもこの漫画に精通している長女のダンナと真剣に意見交換をしました。”どうも続編があるらしい。既に発売されているかも。そして、続編で、もう少しスッキリした終わり方、全てハッピーエンドの終わり方に繋がっていくのではなかろうか”との見方。さすがに読みが深い。気になったので調べてみると、この連載が終了したのは掲載されていた雑誌そのものが廃刊になったためとか。とにかく一旦連載を打ち切らざるを得なくなったということらしい。そう理解して最終41巻の巻末挨拶を読むと原作者、漫画家のお二人とも「じつは本当の物語はこれからだったりします」とか「わたしのなかでは”蒼太の包丁”はまだ終わっておりません」とかモロに後ろ髪を引かれているようなコメントが記載されていました。人気漫画も雑誌経営との兼ね合いで大変な影響を受けるモノなんですねえ。

 

 

蒼太くんの下宿先の隣に、おばあちゃんが一人でやっている大衆居酒屋があります。立ち飲みのお店、千円でベロベロになるほど飲める安い店=センベロというそうです。蒼太君の弟子=まだ「追い回し」クラス、そして前述の三人組が休日を利用してこの居酒屋のお手伝いをします。普段は本格的な日本料理店で働いている料理人(の見習い)ですから、普段は出来ない大衆料理を工夫する場面が出てきます。イカの煮つけ缶詰めを使ったツマミとか、オニオンスライスの作り方と各種のタレとか。超簡単な立ち飲み居酒屋料理でも料理人のひと手間が加わると次元の違う料理になる。ひと手間の大切さ。面白いですねえ。嬉しいですねえ。

 

 物語は、東京オリンピックに向かって続いていくそうです。いつの日か蒼太くんとその仲間たち全員がハッピーな姿で本当の完結を迎えることを祈りたいと思います。2025年・大阪万博も決まりましたから、そこまで続くかもしれませんね。

 

 

話が変わりますが、「知の巨人vs全41巻」の「知の巨人」というのは小林秀雄さんのことですが、彼の「考えるヒント」には続編が出ており「考えるヒント2」「考えるヒント3」も買ってしまいました。「考えるヒント2」の最初の章は「忠臣蔵」をテーマにした考察で、これはかつて確かに読んだことがあるような微かな記憶が蘇りました。この小林秀雄の切り口は面白い。

この考察には全く関係ないのですが、赤穂浪士が討ち入りしたのは12月14日です。そして、この日は次女の誕生日なのです。大発見したように思ったのでラインで家族のみんなにその旨を発信しました。

瞬時に「今頃何を言っておるの」「前からミンナ知っておるよ」と優しくも棘のある反応が返ってきました。そう云われてみると確かに次女が生れて直ぐに、そのようなことを話題にしたことがあったような。ボケかな。チコちゃんにどなられそうや、こわっ。

 

もう一つ大発見がありますので、めげずに記載しますが、「小林秀雄」の名前と長女のダンナの名前は一字違いだということに気付きました。小〇秀雄、×林秀雄、小林秀△、小林□雄。〇、✖、△、□の一つだけに一文字いれて正解を当てられた方には「今年の一皿」のサバ缶を一個プレゼントします。

  

 

2018年度の「今年の一皿」は「鯖」と発表されました。これはぐるなび総研が「人々の共通の遺産として残すために、その年の世相を反映、象徴する食」を選んでいるものだそうです。「サバ缶」が注目されたことが選定の理由。災害に見舞われた一年、防災意識の高まり=「缶詰め」等の非常食の再評価。および、青魚に含まれる必須脂肪酸EPA,DHA人気を反映したもの。

今年は青魚に凝っていましたので、早速にやってみました。世相を反映してサバ缶料理のレシピが沢山掲載されてましたので適宜参考にさせて頂いて。小松菜、それからやはり”しょうが”ポイントだと思います。青魚の臭みが気にならなくなります。結構見栄え良く出来た(と自己満足)。2018年12月11日、料理と撮影。

ちなみに2017年の今年の一皿は「鳥むね肉料理」、2016年は「パクチー料理」、2015年は「おにぎらず」。なるほどねえ、と納得です。

 

富士山に白雪。晴れた日にお目にかかると何回見てもいいもんですねえ。それにしても最近のスマホの写真の性能の良いこと。「私にも写せます」という古ーいCMがありましたが、嬉しい限りです。2018年12月17日、撮影。

 

直島

直島・宮浦港に展示されている「赤かぼちゃ」草間彌生さんの作品。かぼちゃというよりもてんとう虫のお化けか仮面ライダーの怪物のように思えますが、見ていて全く飽きない、印象に残る作品です。つつじ荘の方には同じく草間さんの作品「南瓜」が展示されています。こちらは渋い黄金のナンキンです。2018年12月4日撮影。

 

 

直島に行って来ました。瀬戸内の「アートの島」です。安藤忠雄(のオッサン)さんがマスタープランを作成して、美術館を設計したことで有名なところです。安藤のオッサンの大フアンで本の目利きの師匠から以前に紹介されたことが頭に残っておりました。今回、カミさんと二人で宮崎・日向・博多・長崎を訪問する機会がありましたので、その帰路、思い切って直島に立ち寄ることにしました。

 

 

博多から新幹線で岡山に。ローカル線を乗り継いで宇野駅、5-6分歩いて宇野港に。それからフェリーに乗って。それぞれ乗り継ぎの待ち時間があるので岡山から直島には約二時間ほどかかりました。外国人の多いこと。それも欧米人風の、年配の方も、若い世代も。どことなくアートの気配を漂わせているカッコよい人たちが多数いました。もちろん、近隣の韓国、中国、台湾の方も沢山。ハイ・シーズンでは無いので空いていたと思いますが、それでも結構な人数の訪問客です。その半分以上が外国人。

 

直島は岡山県からの方が場所的に近いですが、所在は香川県です。香川県香川郡直島町。島の南側がアートの地域。町長さんと地元地域出身の実業家の方が協力して1989年ごろから安藤のオッサンのマスタープランに沿って「人と文化を育てる」島作りを目指した由です。

 

 

宮浦港に近い旅館を予約しました。博多を早く出たので、昼前には旅館に到着。荷物を預けられれば良いと思っていましたが、案内のお兄ちゃんが親切な人で”部屋は空いていますから”と快く中に入れてくれたので軽く休憩することが出来ました。島の地図をもう一度確認して、早速、島巡りに。運良く一日一本だけの「地中美術館」行きのバスに間に合いました。一番のお目当ての美術館に直行。

 

地中美術館の入口手前の歩道沿いの景色。美術館に展示されているモネの作品を期待させてくれます。美術館では入口のゲートを一歩入ったところから撮影は一切禁止。館内にあるカフェでも撮影禁止。徹底されています。

 

展示されているのは、クロード・モネ、ウオルター・デ・マリア、ジェームズ・タレルの作品と安藤忠雄設計の建築。これだけです。これらが”恒久設置”されています。作品と建築が一体となった美術館です。今から行かれる方のために詳細は記載しません。これだけの美術館ですが、素晴らしいの一言。僕はタレルの空間に度肝を抜かれました。カフェのサンドイッチも美味しかったです。

 

 

直島の南部を時計の文字盤に置き換えると宮浦港は10時くらいのところにあります。7時くらいのところに地中美術館を初めとする美術館、5時くらいのところにつつじ荘のバス停、1時くらいのところが本村エリア=家プロジェクト。普通は宮浦港からは時計回りにバスが運行しているのですが、この一日一回の便は逆時計回りに地中美術館に直行してくれます。地中美術館の後、近くの李兎換(Lee Ufan、カンは火偏です)美術館まで歩いて行きました。その後、つつじ荘のバス停からバスで移動するつもりでしたが、待ち時間が30分ほどあり。曇り空で雨の気配もあるものの旅館で借りた傘もあり、過去数日間の食べ過ぎ・飲み過ぎを少しでも解消させようとノンビリとバス路線に沿って歩いて行きました。

 

本村エリアには焼杉の黒い外壁の家が沢山残っています。風情ある街並みです。街の景観を損なわない様に配慮しての「家プロジェクト」。この写真のお題は「角屋」。この家のほかに5-6か所の作品があります。お題「南寺」はまたまた安藤のオッサンとタレルさんの作品でした。この空間にも感心させられました。面白い!。別途、「ANDO MUSEUM」もあります。オッサンさんの作品が紹介されています。”何回見ても、このオッサンのスケッチ、デッサンの線はホンマにきれいやわ。なんであの顔からこんなにキレイな線が出てくるのやろ”と不思議に思います。

 

 

本村エリアのバス停=役場前で休憩、この町役場がまたまたレトロな建物。これも家プロジェクトかと思うほどですが、これは本物。中ではちゃんと皆さんお仕事をされていました。島を紹介・展示するコーナーがあり。金の採掘、銅の精錬所等々が説明されていました。漁業とアートの島かと思っていたので、やや驚きました。

 

結局、バスの時間が中途半端なので、歩いて宮浦港の旅館に戻りました。これで島の南部地域のオヨソ3/4を歩いたことになります。歩いた時間は延べ1時間45分ほど。旅館のお風呂で汗を流してから夕食に。鯛のお頭付きの活き作りをそれぞれに出してくれました。お腹も空いていたので沢山出されたお料理を夫婦共に完食。”このお値段でこの料理は嬉しいなあ”。到着時の親切なお兄ちゃんがこの宿の若旦那でした。お客の接待から、料理、片付けまでほぼ一人でやっている由。”料理人を目指していたがこの旅館の跡を継ぐことになった。古い、設備の悪い旅館なので、せめて料理で喜んで貰おうと努力している”とのことでした。爽やかな好青年。美味しかったです。これからも頑張ってください。

 

旅館の食堂の壁に李美術館のLee Ufanさんの直筆がさり気無く掛けてありました。Leeさんもここに泊ったのか、食事に立ち寄っただけなのか聞けず終いでした。美術館にはこの絵のタッチのような彫刻、置物、絵が屋外、屋内に展示されています。

 

 

翌朝はのんびりと島を後にしました。フェリーから島を見ていると中部を過ぎて北部の辺りになると山のなかの煙突から白い煙が棚引いていました。土砂か鉱物かを貨物船に積み込んでいるところも。家に帰ってから島の歴史を調べてみると、土壌は農業には適さないところで漁業以外の産業もなく貧困で人口減少に悩まれていた由。「アートの島」を目指された先達の皆さんのご苦労を知りました。

 

 

(オマケ)に、例によって料理の写真、今回は、小雪鍋・part-II=「牡蠣の小雪鍋」を載せようと思ったのですが・・・撮影に失敗。湯気のためボヤケてしまいました。鍋は美味しかったです。今回は直島訪問記でした。

 

 

 

 

 

三木清『人生論ノート』

物見の丘。あいち海上の森センター内の施設。風よけに透明の板でカバーされており、向こう側の鳥は張り付けてある写真。本物の鳥が中に入ろうとして透明の板にぶつからないように。この後、近くの物見山に登りました。2018年11月25日、撮影。

 

 

またまたNHKです。「100分de名著」という番組。11月は「三木清『人生論ノート』」でした。2017年4月放送のアンコールです。『同期会、2018年』(2018年10月31日)で記載した通りですが、三木清さんの故郷=龍野を訪問した帰路に本屋さんを覗いたら、この番組のテキストに出会ったものです。

毎週月曜日の夜に25分の放送があり、一カ月で4回=100分で名著を紹介する番組です。最近、テレビはNHKを見ることが多くなりました。製作にもお金をかけている印象を受けます。民放が所謂お笑い系のタレントがゴチャゴチャ出てきて大騒ぎしているのと対照的かも。といってもお笑い系をバカにしている訳では全くありません。念のため。

 

番組は録画して自分の好きな時間にお酒を飲みながらユックリと観ました。大きな声の大きな顔をしたタレントさんと女性のアナウンサーが喋り過ぎかと心配しましたが、指南役と紹介されていた哲学者=岸見一郎さんが冷静に分かりやすくお話をされていたのが印象的でした。

 

録画を見るのと並行してこのテキストを読みました。テキストも岸見さんが優しく解説しているのでスムーズに読むことが出来ました。若い頃、多分、高校生の時に一度は読んだことがあると思っていましたが、何となく思い出すようなところも出てきました。

 

 

この「人生論ノート」は、当時、雑誌「文學界」の編集長をしていた小林秀雄から ”一般向けの哲学エッセイ” を連載して欲しいとの依頼を受け、それに応じて昭和13年から16年(1938年から1941年)にかけて執筆、連載したものを一冊にまとめたもの。昭和16年(1941年)8月に刊行されています。ナチス・ドイツポーランド侵攻が1939年9月、日本軍の真珠湾攻撃が1941年12月という時代のことです。文庫版は、戦後の昭和29年(1954年)に刊行され108刷りの超ロングセラーになっている由。

 

掲載された最初のテーマが「死」、それから「幸福」と続きます。最後のテーマが「希望」。時代背景を考えると長い期間の連載を続けられたものだと感心します。岸見さんの解説でも ”戦争の重苦しい空気が影響を及ぼしている、あえて難解な書き方を選んでいると思われるところも多い” とのこと。当時の三木清の日記にも「狂人の真似をしなければ正しいことが云えない時代かもしれない」と記載があったそうです。このような難解な本が刊行されるやベストセラーになったのですから、日本という国の民度は本当に高かったんですね。一番最後のテーマが「希望」というのも大変に象徴的です。

 

岸見さんは ”この本は今の時代にこそ再読されるべき一冊” と指摘していますが、確かに今読んでも新鮮な印象を与えてくれます。最初は、喋りすぎかと思ったお二人、伊集院光さんと島津友理子アナウンサーも回を重ねるごとに岸見さんとの波長も良くなり間合いも良くなりました。「100分de名著」とはよく名付けた番組名と思うようになりました。

 

 

三木清の本が懐かしいと思ったので、別途、文庫本の「哲学ノート」を買ってきて読んでみました。やはり、難解でした。散歩がてらに偶に行く図書館でも、三木清の本を探してみましたが見つけることは出来ませんでした。評論、哲学史等々をパラパラと見ていたら、三木清の著書:「構想力の論理」=ロゴスとパトスとの弁証法的統一を解明しようとするもの、等々の記載がありました。昔、図書館で同じように読んだ記憶があるように思いました。また、当時、難しい言葉使いをハシャイでいたような記憶を懐かしく思い出しました。

 

三木清は、終戦の年の3月に疎開先で逮捕され獄中で終戦を迎えたそうです。8月の終戦時にも釈放されず、衛生状態が極端に酷い刑務所で病気に感染。終戦一か月後の9月に病死。48歳の若さです。まさに「無念の獄死」であった由です。獄中の困難を生き抜いて、戦後の自由に言論を展開できる時代に活躍できる機会を持てれば良かったことでしょうね。もっともっと分かりやすい言葉で表現で沢山の著書を残すことが出来ていれば良かったのになあと思います。

 

『同期会』で龍野を訪問した効用で、この年になり改めて『人生論ノート』に触れることが出来ました。内容は今も昔も相変わらず良く分からないような、そして、分からなくても分かったような気分を感じています。嬉しい限りです。

 

 

「物見山」の頂上から遥か名古屋中心部を。山歩きの友人から"名古屋市内から近くて安全な山歩きコース”として「物見山」を紹介してもらいました。標高は328mの低山ですが、初めてのコースで久しぶりに一人だったので、かなり緊張しました。標識も良く整理されており無事に往復出来ました。海上の森センター内を散策する時間も含めて3時間ほど山歩きを楽しめました。2018年11月25日、撮影。

 

 

小雪鍋」です。ホントはこれが本日のメインイベント。

前置きが長くなりますが・・・24節気の一つに「小雪」(=しょうせつ、と読みます)というのがあって本年は11月22日だそうです。僕の長男の誕生日です。そして長男の長女(=僕の孫)の名前が「小雪」(=こゆき)です(『出産読本』2018年3月13日をご参照ください)。大変な巡り合わせと驚きました。

「星たちの座談会・地球号の未来」というブログの11月21日付けの記事に紹介されていました。そして、その記事に掲載されていた料理が「大根麺のヘルシー豚バラみぞれ鍋」でした。冬のあったか鍋レシピコンテストの優秀賞とのこと。僕はこれを「小雪鍋」と名付けました。

●大根をピーラーで細く麺状にする。別途、大根おろしを準備する。鍋に大根麺を敷き詰めて、その上に白菜・ネギ・豆腐と豚バラを乗せ、昆布だしを張る。大根おろしを乗せて温めれば良し。ポン酢等で。簡単ですが大変に美味しい!。大根を麺とおろしで楽しめます。もっと大根おろしを大量に準備すればよかったと反省。ブログのレシピ材料には人参、玉ねぎ、水菜、等々も。2018年11月28日、料理と撮影。

 

 

『Ryuichi Sakamoto:CODA』

 名古屋市千種区東山公園・植物園のライトアップ。今年は天気が異常すぎたせいか紅葉の当たり年では無さそうとのことでしたが、池の周りの景色はそれはそれは何とも言いようのない幽玄の世界でした。2018年11月17日、撮影。

 

 

テレビの番組表で11月10日・土曜日の真夜中、正確に言えば11月11日・日曜日の午前零時から映画「Ryuichi Sakamoto:CODA」(2017年日米)が放送されるというのを目にしました。最近、坂本龍一さんに関係することに興味を持っていたので、早速に録画の手配をしました。

 

 

戦場のメリークリスマス」という映画があります。この原作を書いたのはロレンス・ヴァンデルポストというオランダ系の英国人の方です。彼は第二次大戦中に日本軍の捕虜になり、その時の体験を書いたのが「影の獄にて」という小説なのですが、この小説が後に「戦場のメリークリスマスMery Chrisitmas, Mr.Lawrence)」の題名で映画化されました。日本の鬼軍曹ハラと捕虜のロレンス英軍中佐の間の「友情」を描いたものとのこと。まだ僕は原作も読んでおらず映画も見ていないのですが、この映画のテーマ音楽を作曲したのが坂本龍一で、この映画には俳優として日本軍大尉役で出演しています。

 

 

このテーマ音楽に興味を持っていた時に、偶々、河合隼雄さんの『大人の友情』(朝日新聞社、2005年2月初版)という本を読んでいたのですが、ほぼ最終章に近いところでこの話が紹介されていたのです。「境界を超える友情」という章で、ハラ軍曹とロレンス中佐の友情の成立を解析しています。"捕虜収容所での全く立場の正反対の二人が自分の世界に立った対話をしていたものが、両者がそれぞれの世界に半歩踏み込んだことで深い友情を結ぶことになった”という「大人の友情」です。

原作は知らない方がほとんどだと思いますが、映画のほうは、監督:大島渚、出演者がハラ軍曹:ビートたけし、大尉:坂本龍一、英軍少佐:デヴィッド・ボウイという異色のメンバー。テレビの宣伝で軍曹役のビートたけしが「メリークリスマス、ミスター・ローレンス」と話かけるシーンが何度も何度も繰り返し放送されていたことを記憶されている方も多いかと思います。ビートたけしはこの頃から大変に存在感のある役者だったですね。尤も、この映画は1983年公開作品ですから、このテレビの宣伝シーンを覚えているのはかなりの年代の方だけですかね。

  

 

河合隼雄さんのこの本『大人の友情』には「裏切り」とか「友の出世を喜べるか」とか「友情と同性愛」とか、いつもながら結構きわどい切り口からの記述が沢山あります。一方では、「夫婦の絆」=「戦友」という見立てもされていて、やはり、このオッサンはただモノでは無いと感じます。オモロイおっさんです。

 

 

 

Ryuichi Sakamoto:CODA』は1時間42分の長編ドキュメンタリー映画でした。2012年から2017年の坂本龍一の軌跡を描いたもの。「坂本龍一の音楽と思索の旅」と紹介されていました。”時間が長すぎる”と感じることは全く無く楽しむことが出来ました。

 

冒頭、『3.11』で津波に襲われた宮城の高校を2012年に訪問しているシーン。その高校の講堂に置き去りにされている死骸のようなピアノ。その弦を弾き、鍵盤を叩いて音を出している坂本龍一の姿に驚きました。そのあと、避難所として使われていた中学校でのコンサートで「戦場のメリークリスマス」が演奏される場面が。ヴァイオリンとベース、もちろんピアノはご本人の演奏。やはり、良い曲、良い演奏だなあと感じ入りました。彼は名ピアニストでもあります。

 

坂本龍一ご本人は2014年にガンを宣告された由。その治療のため活動を停止していた時でも敬愛する映画監督からの依頼には「No!」という事が出来なかったと。曲・音楽作りに心血を注いでいる様が自然体で描かれています。

懐かしいYMO時代のロスアンゼルスでのコンサートの映像、映画音楽を製作している風景、当然「戦場のメリークリスマス」の映画シーンも織り込まれていました。また、森の中に入って行って「音」を拾い集めるシーンとか、雨だれの音をバケツを頭から被って聞いているシーンとか、「音」そのものに対する感性の高さは流石に”世界の坂本”ですねえ。

病気のほうは何とか克服されているのでしょう。彼が「No!」と言えなかったアレハンドロ・G・イニヤリトウ監督の映画「レヴェナント、蘇りし者」の音楽が何とも象徴的でした。

調べたら坂本龍一は1952年1月生まれ。年齢不詳のような風貌ですが、一学年後輩のオッサンでした。これからも元気に活躍を続けて欲しいものです。

 

 

映画「戦場のメリークリスマス」を観たいと思って最大手のDVDレンタル店に行って調べてもらったのですが”今はもう取り扱いしていない”と。

”ない”と言われると余計に手に入れたくなるのですが、残念ながら今日に至るまで、まだ観ることが出来ておりません。

 

 

最近「梅干し」を使う料理に凝っております。 と言っても、同じ系統の料理のみですが・・・。一回目の「鰯の梅干し煮」。2018年11月7日、料理と撮影。

 

 「鰯の梅干し煮」三回目。さすがに、これが最も良く味付け出来ていたと思います。盛り付けに失敗。開いたところが見苦しい。2018年11月16日、料理と撮影。

別途「秋刀魚の梅干し煮」もやってみました。これは久しぶりに圧力鍋を使って。”骨”も全く気になりませんでした。撮影を忘れておりました。残念。

 

 

 

 

『アメリカ農家の12カ月』

愛知・東海自然歩道の「岩巣山」に山歩きに行きました。尾張瀬戸駅から車で15分くらいで登山口のある岩屋堂公園に。最高標高499m、のんびり山歩きです。登山口から往復3時間程度。展望は結構開けており、はるか名古屋の中心部が一望できます。登山口の公園では「もみじ祭り」が開催されており沢山の人が来られていました。写真は「もみじ祭り」の会場=岩屋堂公園。夜はライトアップされます。2018年11月10日、撮影。

 

 

アメリカ農家の12カ月』、例によって神田神保町の古本屋で見つけた本です。1986年8月から1989年1月にかけて、アメリカ中西部ミズリー州で農場を営む夫婦・家族の朝から晩まで、種まきから収穫までを克明に描いたノンフィクションです。著者はリチャード・ローズさん、1937年カンサスシテイ生まれ。「原子力爆弾ができるまで」で1988年のピュリッツァー賞受賞作家。一年間、この農家・農場で生活を共にして書き上げたもの。1993年7月に日本語訳初版、同年10月に二刷。定価3,800円のものですが、1/10以下のお値段で売られていました。

 

以前にも書いたかも知れませんが、僕は商社時代の前半には大豆・油糧種子の取り扱いの仕事をしていました。1988年という年は課長をしていた時代で、大豆・穀物相場が大暴騰した時だったのです。本を手にした時に、瞬時に当時のことが思い出され、当然即買いしました。もともとの定価であれば買ってないでしょうから、古本屋さんというのは本当にありがたい存在だと思います。

その後数ヶ月の間、積んだままになっておりましたが今般の整理整頓で改めて読んで見ようと思いました。これも本棚効果です。思い切って本棚を設置してよかったと思っています。

 

 

穀物ベルトと呼ばれるアメリカ中西部の農家の仕事振りと生活そのものを本当に克明に描写しています。全346頁のハードカバーですが、著者が大変に筆力のある方だからでしょう、一気に読ませる面白さです。大おじいちゃん=大祖父の時代にドイツから移民した一族で、四代目・1939年生まれのバウアーさんが主人公。奥さんと子供=長男、次男、長女の三人、犬が二匹の家族。四世代の農家にして主人公の時代には約1,200エーカーの農地を耕作する農家になっています。この耕作面積の大きさでアメリカ中西部ではまだ大きめの中堅農家。1エーカーというのは、約4,000m2です。日本の農家の平均耕作面積は、2~3ha(ヘクタール)。北海道の平均でも25~28ha。1,200エーカーというのは約480haですから、桁違い・想像も出来ないほどの大きさです。これを夫婦二人で耕作している。長男はやや障害を持つ大学生、次男はアメフトのレギュラー選手の高校生で彼が農場を継いでくれそうな気配、長女はまだ9歳。トウモロコシ、大豆が二大作物ですが、これ以外にも豚、牛、鶏を飼育している。男の子二人は学校が休みのときには農作業の手伝いに家に帰って来ますが普段は寮での生活です。

 

 

実は、僕がまだ担当者の時、1980年前後のころですが、産地視察と称してアメリカ中西部イリノイ州を中心に大豆・トウモロコシ畑を一人で車を運転して3~4日かけて延べ1,000㎞以上も走り回ったことがあるのです。当時の課長さん(『先輩』等々で何回も登場して頂いている敬愛する大先輩です)が「可能な限り現場に触れる機会を持とう」という考えだったので実現させてもらったもの。自分で計画して出張したもののやはり大変な一人旅でした。

それでも、道中、農家に飛び込みで立ち寄ってインタビューを試みたり、戦車みたいなコンバインの運転席に乗せてもらったり、懐かしい思い出です。インタビューした時に、小さなお子さんがいたので「将来何になりたいのか?」と誘導尋問のような質問をしたら、予想以上にはっきりと「パパの跡を継いで立派な農家になるんだい!」と胸を張って答えたのにビックリ仰天したことを思い出します。イメージ的にはまるでこの本の主人公のバウアー農場にお邪魔したようなものです。

 

 

これだけ大きな農場を経営していても、決して、バウアーさん家は裕福ではないとの描写でした。質素で堅実な農業一家。アメリカの農業政策が過去10年に大きく変更され、そのしわ寄せが影響していることも説明されています。農業機械、作物、複雑な農政の仕組み等々も丁寧に分かりやすく紹介されています。日本語訳も良く出来ており、それぞれの専門家に助言をもらって翻訳作業をしたとのこと。

 

1988年はアメリカ中西部を熱波・大干ばつが襲った年だったのですが、幸いにバウアーさんの農場は作物が開花・成熟に向かう時期に降雨に恵まれたそうです。よかったですね。つい少し前の事のように思い出しますが、既に古き良き時代のアメリカの様子であったのかも知れません。

 

 

中間選挙の後のトランプ大統領のインタビューは醜かったですねえ。CNNの記者がロシア疑惑或いは中米からの移民キャラバンについての質問をしたのに対して、大統領の言葉とは思えない全く酷い返答でした。「黙れ、もう十分だ、マイクを置け、貴様は無礼だ、CNNは恥を知れ!」。

その翌日には、大統領が、ロシア疑惑に係わる捜査を一切コントロールしようとしない法務長官を実質解任したことが報道されています。

 

 

内田樹が著書『街場のアメリカ論』のなかで、トクヴィルが「アメリカ人は統治者の選択を誤る」、しかし「アメリカの統治システムはうっかり間違った統治者が選出されても破局的な事態にならないように制度化されている」と指摘していることを評価していました。読んだ時には、僕も”なるほど、その通りだ”と納得したものでしたが、ここまで酷い状況は想定出来ていなかったのではなかろうかと最近は心配になっています。

 

 

セサミストリート」が1969年に放送開始されて以来、ずっと「ビッグバード」役を務めていた俳優さんが84歳で引退されると報道されていました。当時、アメリカ大好き人間の僕はかなり熱心な視聴者でした。記事を見ていて、この俳優さんが「オスカー」役もしていたことを初めて知りました。オスカーはゴミ箱に住んでいる脇役のキャラですが、なんともインパクトがありました。

やはり、あの時代のアメリカというのは夢があり希望があり、ワクワク・ドキドキを世界に発信している国だったのだと思います。 

 

 

同じく「もみじ祭り」の川沿いで。陽の光を浴びた紅葉。携帯の画面ではモット鮮やかに見えるのですが‥。残念。

紅葉を楽しんだ後は、近くのスーパー銭湯に移動してゆっくりと休憩。運転のMさんには申し訳ないことながら、他のみんなとビールで乾杯しました。旨い!。

 

 

おまけです。「野菜たっぷりラーメン」。とりあえずの完成形。スープはダシに鶏ガラ顆粒、うまみ・コク味ペーストを加えて。別途、フライパンで野菜=もやしは必須、きのこ、キャベツ、ピーマン、ニンジン等々をニンニクと唐辛子を加えて炒めました。もやしはくれぐれも炒め過ぎない様に。

器にスープを入れ麺と野菜を加えてから自慢の自家製チャーシューを乗せて、胡椒、ゴマ油とラー油をお好みで振り掛けたら完成!(チャーシューもニンニクが効いているので食後はやや匂いが気になるかな?)。チャンポンと野菜たっぷりラーメンの区別はまだよく分かっておりません。2018年11月9日、料理と撮影。