クルルのおじさん 料理を楽しむ

4月からの生活

 大阪環状線天満駅、北側の商店街に渋ーい呑み屋が立ち並んでいる一角がありました。昭和の景色が残っている、これぞ大阪!。僕の原風景かも。学生時代の体育会クラブの同期の集まりです。僕はこの一角にあるお店に入りたかったのですが、もう少し先のビルの一角にあるもっと上品なおでん屋さんに行きました。卒業後、小学校の先生になった同期のかつての教え子さんがやっているお店。”教師と教え子の関係もなかなか良いモノであるなあ”と嬉しくなりました。おでんも勿論美味しかったです。2019年3月12日、撮影。

 

 

長男が医科大を卒業しました。医師の国家試験にも無事に合格。4月からは所謂、研修医として母校の大学病院勤務になります。1980年生れの長男、普通の卒業生とは一回り以上も年長の新米医師の誕生です。

 

 

数年前、突然「医者になるためにもう一度大学に入り直したい」と言い出されたときは正直ビックリしました。その時点ですでに学業生活とはかなりのブランクがあった年齢です。そもそもが高校・大学一貫校育ちの所謂「文系」畑です。大学受験のしんどさを味わったことはありません。医者になる以前の問題で、医学部入学そのものが、30歳を超えている”おっさん”にとってチャレンジして実現可能なものなのか?!。

  

 

本人も十分に自分のポジションを自覚しているらしく、僕に言い出す前にイロイロと調べ十分に覚悟した上でのコトのようでした。かなり以前から医学部受験のための勉強はやっていたようで、学力的にはそれなりの自信をもっている様子。年齢的な問題が一番のネックの様に感じているようで、僕もそれが心配でした。受験資格にダメとは明文化されていないもののイロイロと内規がありそうな気配です。はっきりしたことは分らないのですが、そのような制約が無い大学もあるとのことを信じるしかありませんでした。一方、卒業後の国家試験の受験資格には年齢の制限は無いことは確認が出来ました。

  

親=僕に対しての要望は「自分なりに入学後の6年間の学費は蓄えた。この年になって申し訳ないが学生生活を送る上で今までと同じように食事と部屋をそのまま提供続けて欲しい」との事でした。”一応、言ってることに筋は通っている。それまでの中途半端な生活(彼は堅気な仕事についていた訳ではなく、ナント、世に言うパチプロで稼いでいたのです)を続けるのに比べると雲泥の差がある。なんでもっと早い時期にそう思ってくれなかったのか”とは感じましたが、”思い立ったが吉日、考えこめば出る時は無し”です(本来の意味とはかなり違いますが)。本人が真面目にチャレンジしようとすることに異議があろうはずは無く賛成して激励しました。

 

 

一人だけでの受験勉強には苦労していた様子でした。話合った結果、予備校にも通うようになりました。あっという間に入学試験。国公立大学の試験では筆記は通過したものの面接で厳しいことを言われて悔しい思いもしたようです。幸い、今の大学に無事に合格することが出来ました。一学年が110名程度、歴史のある医科専門の大学です。ノンビリした校風、スキンシップを大切にしているような雰囲気に助けられてか、年の差も気にすることなく同級生とも親しい仲間になり、傍から見ていても勉強もクラブ活動等も一生懸命にやっている様子でした。自分と同じ年くらいの先生に教えてもらうような場面もあったそうです。楽しくかつ真剣に人生二回目の学生生活を過ごしていたように思います。

 

 

最大の、そして最高の嬉しい誤算は、在学中に今の嫁さんに出会えたことでしょう。彼女も同じ医科大の学生、長男より4歳の年下ですから他の学生と比較すると長男と同様にかなりの年長さんになります。但し、長男とは違ってそれまでのキャリアは素晴らしいものです。そのキャリアを一旦横に置いて、ある強い決意のもとに医学を志した。縁が有って長男と知り合い、あれよあれよという間にゴールイン。いい歳の二人ですが文字通りの学生結婚。大学から数名しか参加できない一か月ほどのアメリカ研修に二人揃って参加することが出来て、周りからは”新婚旅行を兼ねて海外研修に行った初めてのケースだ”と祝福されていました。昨年一月には「小雪」ちゃんにも恵まれ、学業と子育てを両立しながら、明るく楽しい家庭を築いているように思います。

  

 

卒業の式典に、親バカ振りを発揮してカミさんと一緒に参加してきました。卒業式は大学の講堂で。夜は、帝国ホテルで謝恩会が行われました。やはり医科大は派手なのでしょうか。

卒業式では、成績優秀者の対象となって表彰を受けていました。長女を授かってからは、パパ、ママともに学業と育児を両立させるのに大変な苦労をしていたので、”最終年度にかけては成績が下がってしまった”とボヤいている場面もありましたが、6年間を通算しての成績をベースにした表彰とのことで立派な銀杯を頂いていました。第二席とのことです(書いていて、自分でも全くの親バカの極致だと思うのですが、嬉しくて記載しています)。

 

 

一旦、マンションに戻りお弁当の昼食。嫁さんママは朝から実習の授業で不在。小雪は、嫁さんのお母さんが面倒を見てくれています。小雪に卒業証書を見せたり、表彰の銀杯を見せたり、長男パパが抱っこしている写真を撮ってやったり。小雪も、周りが喜んでいることが分かるのか、いつも以上に上機嫌でパパに笑顔を振りまいていました。長男パパも、おしめの取り換えを慣れた手つきでやっています。”こいつは立派にちゃんとイクメンをやってるんだなあ、エライ”。僕は三人の子供に対して全くやったことがありませんでした。

嫁さんママは臨床実習の授業から帰宅したと思ったら、小雪の保育園のことで、すぐに外出。二人は卒業式の様子を話し合う時間も無い程です。”こいつら、よお、やってるなあ”と改めて感心しました。両方のお母さんも慣れたもので、阿吽の呼吸でそれぞれの役割を大変にスムーズに熟してくれていました。ご苦労様です。ありがたいことだと思います。

 

現在の嫁さんママの最大の悩みは小雪ちゃんとのスキンシップに十分な時間を取れないこと。朝、まだ小雪が寝ている間に登校。夕方~夜に帰宅するときには、すでに休んでいることもある。小雪の笑顔を見れない、話が出来ないのが寂しい由です。

  

4月以降、嫁さんママはいよいよ5年生、長男パパは研修医。ママが卒業するのに、そして、パパが一人前のお医者さんになるのに、あと二か年はかかります。それぞれ、学業・仕事と子育てを両立していく大変ハードな生活が続きます。小雪は両方の母親が入れ替わり泊まりこんで長期戦で孫育てをすることにしているそうです。パパ、ママ、両方のお母さんの協力で長丁場を乗り切ってほしいなあ。小雪の笑顔がパパ、ママ、みんなの活力源になっている様子。とにかく健康で、元気で、明るく頑張ってほしいなあと思います。戦力外の僕はただただ祈るばかりです。

 

 

夜の謝恩会では、長男が総合司会をやっておりました。多分、卒業生のなかで最年長さんだから。先生方、来賓の方々のご挨拶のあと、改めて卒業式で表彰を受けた卒業生の挨拶もありました。司会者の長男も登壇して挨拶。結構、マジに自らのことを話し、無事に卒業できたことについて皆さんへの感謝の言葉を述べ、そして最後に、かなり取って付けたようにではありましたが、両親への感謝の言葉を話してくれました。やや眼鏡が曇るように思いましたが、嬉しく携帯のカメラ機能を駆使して写真を撮りまくっておりました。カミさんもべそをかきながらニコニコしていたように思います。何時まで経っても親は親、親ばかは永遠です。

  

 

続・地元再訪。オオカンザクラが満開です。前回掲載のカンザクラはすでに葉桜になっていました。神奈川県大和市の泉の森公園・ふれあいの森。2019年3月16日、撮影。

 

追伸;

戦力外の僕は、4月から週に二日ほどお仕事を再開することにしました。また、鯱城学園という年寄り大学の講座を受講してみようとも思っています。いずれも隠れ家をベースにして。自宅と隠れ家を行ったり来たりの生活がまだまだ続きます。料理と本を楽しんで、秘かにピアノのレッスンにも精を出して励みたいなあと。そのうちに隠れ家生活について記載したいと思っています。

 

 

居酒屋ヒデさん

地元再訪。神奈川県大和市の「泉の森公園」。野外に能舞台があります。昔は、ここでシーズンになると薪能をやっていました。向かって右側が広場になっていて薪能の時には、五段以上のかなり大掛かりな観客席が設置されていました。最近はどうなのかしら?。久しぶりに散歩で足を延ばしました。2019年3月5日、撮影。

 

 

三月最初の土曜日、長女家族のマンションに遊びに行きました。長女家族とは、今年のお正月に神戸にある僕の一族のお墓詣りに一緒して以来。僕の二番目の孫=彼らの長男は現在、二歳と半年。正月に会ってから二か月しか経っていませんが成長ぶりが本当に楽しみです。うちのカミさんからは”そんなに急に大きくなる訳がない”といつもの爺バカを指摘されますが、普段よく会っていないおじいちゃんの目には二か月でもその変化が分かる(様に思う)のです。

 

長女のダンナさんは、このブログでも何回か登場しています。あの「小林秀雄」さんと一文字だけ字が異なる名前です。「蒼太の包丁」全41巻を贈ってくれた料理大好き人間。

料理の腕前は相当なものです。『知の巨人vs全41巻』(2018年9月18日)でも書きましたが、少なくとも「焼き方」以上のレベルと評価しております。仕事はかなり忙しく、週末のお休みの時でも学校に出ている時が結構多いらしいので、手間をかけさせたくないから、かれらのマンションの近くにある美味しそうなお店で気楽に昼食でも、と思っていたのですが・・・。メールでやり取りをしていたところ”「居酒屋ヒデさん」を開店します”との嬉しい返信がありました。

 

 

若干の買い物を済ませ11時ごろにマンションに到着。ドアを開けると孫がバアッと顔を出してくれます。もっとも、僕が近づこうとするとすぐに離れていきますが。とにかく元気そうでなにより。荷物を置いて、コートを脱いで、そして手をチャンと洗ってから着席。手を洗わないと孫に触れることを許してもらえません。最初は”俺をバイキン扱いかよお!”とあまり良い気分ではなかったのですが、今はすっかり納得して素直に手順を踏んでおります。はい、全ては可愛い孫に触れるため。

 

 

ヒデさん=長女のダンナさんは、一人、厨房(マンションの台所ですが)で黙々と調理中でありました。”むむむっ、調理している姿が何やらサマになっている。傍目で観ても手際が良さそう。また一段と腕を上げたか”てな印象を持つのは、贈ってもらったマンガを読んだ影響ですね。軽く挨拶したあとは料理人の邪魔をすることなく、孫とのスキンシップに集中。リビング一帯は彼のプレイグラウンドです。とにかく動くのが大好き。ここかと思えばまたあちら。”お前は牛若丸か!”と思うほど。「疲れを知らない子供の様に」という歌詞がありましたが、二歳半にしてすでにおじいちゃんはフォローするのが大変なほどの運動量になっております。組みワザ、寝ワザではこちらのモノだとプロレス技を駆使しましたが、激しい抵抗を受け長くスキンシップを楽しむことは出来ません。”ひょっとすると臭いのせいか?”、僕は体臭とは無縁だと思っていますが、豊臣秀吉の晩年の逸話を思い出し恐る恐るカミさんと長女に聞いたところ「男の人は嫌がるみたい。女の人だとニコニコして抱かれているよ」と。これも素直に納得してしまいました。孫と遊ぶこと約30分、ちょうど良いタイミングでお料理の準備が出来上がりました。

 

 

この日のメニューは、

・菜の花のペペロンチーノ風

・新玉ねぎとワカメのサラダ

・サーモンの和風カルパッチョ

・生ハムのモッツアレラチーズ添え

・鯛のカルパッチョ・レモン風味

カニクリームのフライパンコロッケ

・きのこのアヒージョ

バケット

 

日本の居酒屋というよりもスペイン・バル風居酒屋かと。よくこれだけ準備しようと思ったものだ。全体のバランスも良く取れている。メインはフライパンコロッケですが、ホワイトソースの粉がダマにならないでうまくクリームが出来上がっていました。カミさんも感心する出来栄え。僕は菜の花のペペロンチーノ風、きのこのアヒージョを高く評価。お酒のつまみにベリーグッです。自分でやると、なかなか味が決まらない。「次回は是非、牡蠣のアヒージョを」とリクエストしたら「牡蠣はハードルが高いです」との慎重なコメント。”そうか具材により調理のコツというものがあるということか、僕は何でも同じパターンでしか調理していなかった”と思い知らされました。

それでも、僕が料理した「牡蠣とネギ塩炒め」(『大”阪”なおみ』2019年1月30日の写真を参照ください。嬉しいことに彼も僕のブログの読者です)の事は褒めてくれていました。単純なもので上級者から褒められると大変に嬉しいものです。

 

今回の料理で最も時間がかかっているのは「生ハムのモッツアレラチーズ添え」とのこと。チーズに生クリームを浸透させるのに一晩寝かせる方が美味しい、との理由から。同じように見えてもちゃんとひと手間かけているから美味しい味が出せるのか。またまた目から鱗です。アヒージョのスキレッドもよく手入れが行き届いているような印象を受けました。爺バカならぬ、義父バカです。

 

ビールで乾杯した後は、ちゃんと白ワインを準備してくれていました。お昼のお酒は酔いが回ります。四月以降のお互いの生活パターンの変化も話題にして。あっという間に、ワインが二本、カラになっておりました。出された料理も完食。

 

 

食後、マンションの敷地内の公園に。バランス・バイク=ストライダーという製品(=ペダルが着いていない自転車)ですが、これは面白い。牛若丸の得意種目の由。公園の一角になだらかに凸凹をつけてある子供達用の遊びスペースがあります。ストライダーに乗ると、幼児でも一人で足で地面を蹴って軽快に動くことが出来ます。そして凸凹の頂上からは両足を浮かせて一気に坂を駆け降りる。大人が自転車で坂道を下るのと同じことです。幼児の時に自分一人の力でこれだけのスピードの感覚を得られるのは、これは凄いなあと。スピード感覚が身に着くのと同時にバランス感覚を養うのにも大変に良さそう。ペダルに足が届くようになれば、自転車にも抵抗なく乗れるようになるのでしょうね。くれぐれも安全第一で。 

 

 

「泉の森公園」の先には、「ふれあいの森」が広がっています。カンザクラが一本だけ、ほぼ、満開の状態で咲いていました。実際はもう少し鮮やかな色です。撮影技術の至らなさ。残念。2019年3月5日、撮影。

 

 

 後日、メールをやり取りしていたら、 ”またのご来店、心よりお待ちしております”との嬉しいお便りが来ておりました。いやあ、もはや「焼き方」どころではなかった。すでにシェフである。是非、また「居酒屋ヒデさん」にお呼ばれしたいものです(これで名前の一文字はバラしてしまいましたが、許して頂戴)。

 

大失敗でした。折角の料理の写真を撮るのを完全に忘れていました。次回は必ず忘れずに撮りますからねえ。

 

 オマケ。「豚の角煮」と煮卵。シェフ・ヒデさんに教えてもらったレシピで。『出産読本』(2018年3月13日)を参照ください。一年経ってから初めてトライしてみました。今まで、料理本を見ながらの自己流では、あの角煮の柔らかさがでなかったのですが、今回は、それなりに出来たかなあと。一晩、寝かせるというのが大事なポイントなのかと思っています。それにしても盛り付けのセンスが悪いなあ。反省です。2019年3月10日、料理と撮影。

 

 

 

 

『ボヘミアン・ラブソデイ』

 

2月中旬にカミさんと二人で映画を観に行きました。

ボヘミアン・ラブソデイ』

昨年来、映画の目利きの友達から”是非に”と強く薦められていた作品です。”「クイーン」のリードボーカルの伝記ドラマを映画化したもの”ということ以外、何の予備知識も持っていませんでした。ただ一つ”音楽”がキーワードの映画ということだけは理解していましたので、音響設備を売りにしている映画館を探しました。幸い、さほど遠くないところにTOHO cinemas/IMAX大型スクリーンの映画館で上映されていました。

映画館に行くのは随分と久しぶりのこと。窓口でチケットを買う時、年齢を聞かれ高齢者割引の対象であることが分かりました。一方では”IMAXスクリーン”なるものには料金にプレミアムがついており、結局は当たり前の料金を支払ったように思います。そのプレミアムの分、スクリーンの画質と音響に期待が高まりました。

 

 

平日であったのでゆったりと座ることが出来ました。それでも結構な入場者で半分程度は埋まっていたような印象を受けました。”やはり、凄い人気なのだ” 。飲み物は持参していた(これ、本当は反則技かも知れません)ので、ポップ・コーンを一つだけ買ってツマミながら観ることにしました。塩味の利いたポップコーンで、カミさんからはイエローカードが出ていました。いよいよ、上映開始。

 

 

いきなり、反っ歯の薄汚いお兄ちゃんが登場してきた時には「おいおい、こいつが主人公なのかよお??」と信じられない印象を受けました。しかし、そんな心配を吹っ飛ばすようなテンポの速い畳みかけるような展開です。あれよあれよ、という間にクイーンがスターダムに駆け上っていきます。原作も然ることながら脚本が大変にしっかりしている。ダサいとしか言いようのなかった反っ歯のお兄ちゃんもあっという間にスターらしい格好に、そして、スターそのものの風貌に変貌を遂げていきます。

映画では主人公=リードボーカルのフレデイ・マーキュリーが苦労して音楽を勉強したことは端折ってありますので、彼が天性の素質だけで、その声の美しさと豊かさ、それと彼のパフォーマンスだけで、一瞬にして、一夜にしてスターになってしまったかのような印象を持たせてしまいます。”そんなに上手くいくはずないやろオ”とややついていけない感がありましたが、そんな理屈に合わないことも問答無用と言わんばかりの力技でトップスター、トップグループに発展していく様が描かれています。

 

新曲を構想する時のクイーンのそれぞれのメンバーの真剣ななかにもユーモアに溢れた活動ぶり、フレデイの生き様がイロイロとねじれていく様子、それがクイーンの活動にも悪影響を与え大変な紆余曲折が・・・、これらがテンポの速い展開で進みます。そしてクライマックスは、あの「ライブ・エイド」のコンサート。

偶々ですが、この映画を観た数日後に、アカデミー賞を4部門を受賞したことが報道されました。音響編集賞、録音賞、編集賞が含まれています。このコンサートのシーンは、まるでほんもののフレデイが、クイーンが、本当の大観衆のなかでパフォーマンスをやっているかの如く表現されています。アカデミー賞も当たり前だ!。

プレミアム料金を払って”IMAXスクリーン”で観た甲斐が間違いなくありました。映画のなかのコンサート会場の大観衆と同じように、映画館にいる我々観客も臨場感に浸ってクイーンと一体となって楽しむことが出来ました。

 

 

自宅に戻り、YouTubeで「ライブ・エイド」の実況を改めて見ました。映画の俳優さん達が、それぞれクイーンの実際のメンバー=本物にそっくりなことにビックリ仰天。

LIVE AID」=一億人の飢餓を救う!、アフリカ難民救済のチャリティーコンサートです。1985年7月13日に行われています。漸くにして、当時、大変な話題になっていたことを朧げに思い出しました。間違いなく世界の超有名ミュージシャン、グループが総出演した20世紀最大のコンサート。その中でクイーンのパフォーマンスが他を圧倒した。クイーンが伝説のロック・バンドになったのは、まさに、この瞬間であったことが実感されました。

 

 

本物のフレデイ・マーキュリーは、1991年に45歳の若さで死亡。エイズでした。逆算すると1946年生まれになります。チョット先輩ですが、ほぼ僕たちと同年齢。僕たち世代には古き良き思い出の一つとして頭に刻まれているのだと思います。

映画の達人さんに観たことを報告しました。すぐに返信がきて”最後のクレジット(オマケ)の映像で泣けた。「ショウ・マスト・ゴー・オン」は、フレデイが最後に吹き込んだ曲”とのことです。

同じく映画を観た日に、古い友人とメール交信をやっていた際、偶然、彼もカミさんと一緒にほんの数日前にこの映画を観て感動していたことが分かりました。”夫婦一緒に、同じ時期に、何と奇遇な”。久しぶりのメール会話がこの映画のお陰で大変に盛り上がりました。この映画で「フレデイ」「クイーン」「ライブ・エイド」、あの時代を思い出した人が日本中のあちこちでキットたくさんいらっしゃるんでしょうね。

 

 

映画を観てクイーンとの距離が近くなったせいでしょう。2月22日朝、日本の誇る無人探査機「はやぶさ2」が、地球から約3億㎞離れた小惑星「りゅうぐう」に着陸成功したことが報道されていました。そのNHKニュースのなかでギターのブライアン・メイが「ブライアン博士=天体物理学博士」としてお祝いメッセージで登場していました。大変なタレントさんです。

そして、2月24日、第91回アカデミー賞が発表され、フレデイ役のラミ・マレックが主演男優賞、前述の賞を含め合計4部門を受賞。ギターのブライアン・メイ、ドラムのロジャー・テイラーは、この映画の音楽総指揮を執っていたそうです。日経によると「今年の授賞式は司会者が不在で、クイーンの演奏で始まった」そうですから、ブライアン博士は大忙しだったのでしょう。おめでとうございます。

 

長男夫婦にも話をしましたら”嫁はんが前から見たい”と言っていたことが再度判明。早速にうちのカミさんが小雪チャンの面倒を見に行き、二人は久しぶりに映画鑑賞に出かけることが出来た由です。『ボヘミアン・ラブソデイ』の話題一色の2月中下旬となりました。

何故か、映画解説者の故淀川長治さんのことを思い出しました。

「映画、いいですね、いいですね。良い映画は本当にインパクトがありますね。また、観たいですねえ。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ・・・」

  

 

 名古屋にも美味しいそば屋さんがあります。名古屋駅と栄の繁華街の間に昔ながらの商店街、住宅街が残っていますが、その街の民家を改修した、コ洒落た料理屋、割烹、居酒屋が人気です。フレンチ、イタリアンもあります。「那古野」(那古野村=ナゴヤむら、とか、那古野町=ナゴノちょう、とか読まれるようです)と呼ばれる一帯、四間道(シケミチと読みます)界隈のそば屋さん。右側は十割そば、左側は二八そば。お値打ちのお店です。2019年2月26日、食事と撮影。

 

追伸;名古屋のど真ん中にテレビ塔がありますが耐震改修工事のため2019年1月7日から全施設休業中。この名古屋テレビ塔のキレイな時の写真を掲載しようと友達のカメラマンさんに写真を提供してもらっていたのですが、このブログに張り付けることが出来ませんでした。僕のワザの至らなさ。残念、そして、kissyouチャン=カメラマンさん、掲載できず、ごめんね。なお、テレビ塔は2020年夏にリニューアルオープンの予定です。

 

 

 

子供食堂

青山墓地(東京都港区)の夕暮れ。むかーし、この辺りでよく花見をやったものでした。夕方、会社を終えてからが多かったですが、それ以前には、平日のお昼にやったことも。豪快なボスがいらっしゃって、お客さんにも参加してもらい、お昼から飲めや歌えやの大宴会。昭和の古き良き時代のことです。昔は周辺には、さほど大きなビルは建ってなかったのですが、いまはナントかヒルズとかタワービルが周りに立ち並んでいます。景色は随分と変わりました。桜はまだでしたが、梅が咲いていました(これ、梅ですよね?)。2019年2月18日、撮影。

 

久しぶりに長い期間、神奈川の自宅で過ごしました。昔の会社の友達との飲み会があったり、子供たちの家具の移動を手伝ったり、カミさんと映画を観にいったり、兄と食事したり。四月からイロイロと忙しくなりそうなので、今のうちにノンビリしておこうと(この一年はほぼずっとノンビリしてるんですが、スミマセンね)。その中で今回のメイン・イベント!です。

 

子供食堂」のお手伝いに行ってきました。地元、大和市には4か所か5か所の「子供食堂」活動をしてらっしゃるグループがあるそうですが、そのうちの一つに。運営されている方とカミさんが顔見知りであったので、紹介してもらいました。地元で保育園を経営されている方が中心になって、保育士さん、管理栄養、衛生管理のプロの方々、料理と子供大好きなボランテイアおばちゃん等々、錚錚たる女性陣です。お一人若いお兄ちゃんがいらっしゃったのでややホットしたのですが、彼は事務局的役回りで部屋の外にいて受付・整理を担当。結局、マンションの部屋の中に男性はボク一人。改めて、”これは軽はずみに大変な場に来てしまった。プロ集団の中で役立たずの木偶の坊が一人の構図”と身が縮む思いがしました。しかし、そこは皆さん、さすがにプロ。木偶の坊の扱いにもなれてらっしゃるようでお客様扱いすることなく「あれやって、これやって」と適宜適切な指示を出してくれました。

 

子供食堂」は、”当たり前に家で食事が出来ない子供たちに無料で温かい食事を提供する場”と理解していましたが、この子供食堂の運営のコンセプトは”地域の子供たちが集まって、楽しく一緒に食事をすること”というふうに考えられています。食事に困っている子供たちとそうでない子供たちを見分けることは大変だし、そもそも子供たちを区別しない方が良い。柔軟に対応しよう。温かい食事を一緒に楽しんで食べる場を提供することが大切だ、との考えです。100%賛成です。

 

場所は地元の小学校から徒歩数分の便利な場所にあるマンションの一階。3LDKのスペース。月に一回の開催です。行政から食材費相当の支援はあるものの、運営されている皆さんは、食材の安全・安心、栄養バランスにこだわりを持たれて運営されているので、持ち出しになるケースが多いとか。それでも地域のネットワークに支えられて活動を継続出来ているとのことです。もちろん、全員がボランティア活動として参加されています。

 

本日の献立は、炊き込みご飯、お雑煮、ホウレンソウのごま和え、果物(文旦)。それとは別に、「おにぎりコーナー」。3時頃には皆さん集合されてテキパキと準備開始。毎回、次回の献立をどうするか打ち合わせを行い役割分担を決めて当日までの準備・段取りをしているそうです。5時に開場するのですが、10-15分前には、ドアの前には子供たちが既に列をなして待っています。順番・整理の仕方にもイロイロ工夫されています。お兄ちゃんが一人ずつに整理券を配る。合言葉は「フェアに」。ズルをしてはいけない、させてはいけない!。子供たちは大人が思う以上に頭が回転しますから順番待ちの仕組みに欠陥があると、例えば、一人を席取り役にして並ばせておいて、並んでいない子供があとで横入りするやり方を考案してしまう。そんなことを考えさせないように「フェアに」。

 

5時の開場とともに元気な挨拶をしながら子供たちが続々と入ってきます。食事する場所は、3LDKの奥にある二間続きのスペース。これを一つにして小さなテーブルを6っ程並べてあります。それぞれに4-6人ぐらいが車座に座れるように配置してある。すぐに全席満席に。これでほとんど足の踏み場も無いくらいの状態です。それぞれの席に食事を運ぶのは運営者側の女性陣。参加者が少ない時は、子供たちが自分で台所に行ってそれぞれの料理を運んで席で食事する方法をとっていたのだそうですが、人数が多くなり満席の状態になると、給仕・配膳をする方がスムーズ・効率的だから。子供たちは、結構、行儀よく配膳されるのを待っています。”いただきまっーす!”の元気な声。食事が配られて一瞬の間は食べるのに集中するのか静かになりますが、ものの10分もしないうちに、また元気な声「お代り、くださっあーい」「お前、残すんじゃあねえヨ」とか楽しそうな声が聞こえてきます。

 

そして「おにぎりコーナー」。一番小さなテーブル席を「おにぎりコーナー」にしてあります。子供たちが自分でおにぎりを握って食べることが出来るように。小さなお皿にラップを敷いて塩を振ってご飯を乗せてラップでくるんで整えて食べる時にノリを巻く。係の大人が一人は席についていて、小さな子供には手伝って一緒におにぎりを作ってやり、大きな子供にはラップを切って渡してあげる。それだけの単純業務。女性陣は追加の料理と相変わらず配膳作業で大忙しで、この役回りが僕に振られてしまいました。

 

何を隠そう、恥ずかしながら不特定多数の子供たちを相手にするというのは全くの不得意分野。ベテランの女性にやり方を指導して頂き席を交代して僕が座ると、順番待ちをしている子供たちも一瞬引いたような気配が。”そりゃ、そうだろう、木偶の坊っぽいオッサンが目の前によいしょと座ったら怖いよなあ。こちらも緊張してるのが伝わるんだろうなあ”。自宅からエプロンは持参していましたが鉢巻用の手拭いは忘れたのでスカーフ(バンダナ)をお借りしました。やはり衛生管理が第一ですが、誰が見ても全く様になっていない。子供たちが引けてしまうのも無べなるかな。

 

しかし、そこはやはり、おにぎりの力!、です。会話が無いまま、ラップを切って渡したり、小さい子にはご飯をよそってあげたりしていると場も落ち着いてきました。「もっとご飯を入れて」とか「ノリを巻いて下さい」とか可愛い注文も。そのうちには「ノリが無い」「サケを出して」「梅干し、ください」とかの要求も出てきました。それでも概してみんなゼントルマン(&ウーマン)。これが大阪の子(悪ガキのイメージです。大阪のよい子たち、ゴメンね)であれば、「おっさん、やること遅いなあ」と間違いなく相手を見透かして突っ込みを入れてくるに違いない。大和市の紳士淑女の子供たちに感謝でした。

この子供食堂は夕方の5時から7時まで(最大7時半程度までの延長もあり)ですが、この夜は、その間にほぼ三回転。子供50人強、大人10数人の合計70人程度の入場者であったそうですが、5時半ごろに交代してから終了までの間、おにぎりコーナーは途切れることがなく子供たちがおにぎりを楽しんでくれていました。

最後のほうでは、サケのフレークは品切れとなり、ノリも底を着き始めました。炊飯器はフル回転。最初は大きなボールにご飯を移して(火傷しないように)冷ましてからおにぎりコーナーに持ってきてもらっていたのですが、「ご飯、まーだ?」コールに負けて、炊き立てのアツアツのご飯を届けてもらいました。子供たちも「あつい!あつい⁉」と大騒ぎ。火傷させないようにだけは十分に注意しましたが、アツアツのご飯をみんなでフーフー言いながら、おにぎりを握るのも子供たちにはキット楽しくて良い体験になったに違いない。ご飯は結局、この夜、4升分を消化したそうです。1升は10合で、約1.5㎏(炊飯前ベース)ですから、約6㎏のお米。味付け(の具)にはお塩以外にも、サケのフレーク、梅干しを準備されていましたが、一番シンプルなご飯にお塩、それを握ってノリで巻くおにぎりが一番人気でした。おにぎりは最高の団欒ですね。日本の食生活の象徴だと感じました。

お米の消費が減っていることがイロイロな面で問題にされていますが、こんなに楽しくおにぎりの味を楽しんだ子供たちが元気に育ってくれれば、お米の未来も明るいと思います。ご飯、おにぎりは日本人のDNAにしっかと組み込まれているのだと実感しました。

 

終わった後はササッとあと片付けをして、そして、キチンと反省会をされていました。スペース・人員に余裕があれば、食べた食器を自分で洗うようにしてもらうとか、お箸の持ち方を楽しく教えてあげるとか、小さい子供への配慮を自然に出来るように席を工夫するとか、前向きな意見が沢山出ていました。近い将来には、もう少し大きくて便利なスペースを利用出来る可能性が出てきているとのことです。益々の皆さんのご活躍、ご発展をお祈りしたいと思います。

 

 

 青山やぶ蕎麦。2018年9月10日付けの『知の巨人vs全41巻』でも掲載しましたが、お店の佇まいに全く変化なし。この日は早く到着したので、冒頭の写真にある懐かしの青山墓地を散策しました。今回も四人が集まり楽しく歓談。女将さんも相変わらずお元気でした。約二人は痛飲。一人は僕のことです。反省。2019年2月18日、撮影。

 

 おまけ;『猪鍋』です。鹿児島の猪を地元の猟師さんがご自分で捌いて送ってくれたもの。切り口のなんと鮮やかなこと。名古屋の繁華街のど真ん中、錦三丁目(錦三=キンサン、と呼ばれています)にあるメンバーズクラブで。土曜日にプライべートの食事会として特別に料理してもらっています。お味噌は滋賀県の特製「とりやさいみそ」を使用。もう15年間、継続しています。この日は、約6名が参加。第一回目の時はみんな50代でありました。月日の経つのは早いモノです。あと少なくとも10年は継続したいと念じております。2019年2月9日、撮影。

読書三昧;”頭休め”vs『ホモ・デウス』

次女の長男=僕の初孫、現在、4歳2か月。彼が世に出した記念すべき第一作です。タイトルは「自画像」。特徴をよく表現出来ていて驚きました。爺バカの典型で”末はピカソか!”と喜んでおります。それにしても、彼の世代が見ることになるであろう次の世紀は、どんな世の中になっているのでしょうねえ。2019年1月、次女撮影。

 

 

”読書の達人”のお友達から、五木寛之さんの「知の休日---退屈な時間をどう遊ぶか」という本を頂きました。集英社新書、1999年12月第一刷、2005年4月第11刷。ちょうど『ホモ・デウス』でお腹がいっぱいの時だったのでのんびりと読ませて頂きました。(『ホモ・デウス』は1月10日付けの『サピエンス全史』、1月20日付けの「ちょいと良い話、その2.」を参照ください。)

 

 

面白いもので、僕の気持ちを寛之さんがいきなり忖度してくれていました。「はじめに」の章で、寛之さんが読者からのコメントを紹介しています。「いつも面白く読ませてもらっている」「あなたの本は、”頭休め”にはもってこいの内容だ」。ご本人は”やや引っかかるところがないでもない。でも、よく考えるといいところをついている”と懐の深い受け止め方をしてらっしゃる。僕もちょうど”頭休め”の本を欲しておりました。本との出会いとは面白いモノだと思います。ちょうど良い時に巡り合うものです。

 

 

寛之さんの解説では、”頭休め”とは心身の緊張をゆるめること、しかし、ゆるめきってしまう=だらけることとは違う。要するに「緊張のしすぎは困る、といって、ゆるみきってしまうのは、もっとよくない」というものでした。同感です。

 

タイトルの「知の休日」の「知」という字には「ココロ」と振り仮名をふっても良いし、「アタマ」と読んでもよい、と。本の帯には「頭と心に心地よい刺激を与える、新しい緊張感のある休日の提案の本」と宣伝されていました。このところは、ご本人が、本文のなかでもっとうまく表現されてます。

曰く、

「この本で紹介するのは、読者のひとり一人が勝手に自分流のやり方を発見するためのサンプルにすぎない」。そして、高光大船さんの言葉、「人の手本にはなれんが、見本ぐらいにはなれる」を引用されております。

寛之さんの”頭休め”の工夫が一杯詰まった本で、本文構成は「xxと遊ぶ」という流れになっています。第二章以降、「体と遊ぶ」「アートと遊ぶ」「車と遊ぶ」「声と遊ぶ」「靴と遊ぶ」「夢と遊ぶ」「何とでも遊ぶ」と続きます。

もちろん、第一章は「本と遊ぶ」。

”一冊の本の中の一行が頭に残るのは、何気なく読んだ言葉が、錐をもむようにこちらの魂に突き刺さってくるときである”。

”声に出して読む。漱石や鴎外の作品などは、声に出して読めば、いままで感じられなかったことが体で感じられる”。

文筆家の方のこういう表現は凄いなあ、と感じます。寛之さんの頭休みの工夫は、”面白くやる、ワクワクしながらやることが基本”になっていることを理解することが出来ました。

 

 

散歩がてらに近所の図書館に行きました。1月29日に橋本治さんが死去されており、彼の大のフアンである ”読書の達人”のお友達から追悼のメールをもらいました。恥ずかしながら全く読んだことのない方でしたので、図書館で作品を探してみようかと。亡くなられて貸し出しが増えているのか余り沢山の蔵書はありませんでした。「巡礼」という小説と「大不況には本を読む」という新書本を借りました。寛之さんの棚を見ると「人生の目的」「こころ・と・からだ」というのがあったので、これもついでに借りました。寛之さんには”ついで”で申し訳ありません。

やや体調が悪かったので、外出を控えて、隠れ家でノンビリと”頭休め”を続けようかと。三日ほど読書三昧でした。

 

肝心の橋本治さんの本ですが、「巡礼」は頭休めには余りある重たいテーマでした。独特の節回しのようなものも感じられて面白かったですが、まだ、治さんの良さがピンと来ていないかも。やはり、次回は彼の代表作、面白そうな作品、「『三島由紀夫』とはなにものだったのか」とか「小林秀雄の恵み」を読んでみたいと思います。お友達の案内で内田樹さんのブログを覗いたら、あの樹さんが「橋本治さんへの追悼」記事を何回にも分けて載せていました。影響を受けた三人の中のお一人に挙げており、この三人ともが逝去されたことを残念に思っている旨を素直に記載されておりました。改めて橋本治さんのご冥福をお祈り致します。

 

 

それにしてもハラリさん、です。”頭休め”の読書三昧で、ココロ、アタマ、魂、ワクワク、感じること、気持ち、という言葉が出てくる度に『ホモ・デウス』に戻ってしまいます。言葉ではなく、本そのものが、グサッと突き刺さっているような。

 

『サピエンス全史』には、生物のチャンピオンになった人類が将来「自然選択の法則を打ち破り、生物学的に定められた限界を突破する」危うさが書かれていましたが、『ホモ・デウス』では、更に突っ込んで「人間は心と体をアップグレード、神のヒト=ホモ・デウスに自らをアップグレードする」「テクノロジーは人間の手に負えなくなる」可能性が書かれています。それも大変に具体的に、臨場感のあるタッチで。

 

「人間の頭脳には、知能と意識、がある。知能は問題解決に、意識は喜怒哀楽、感じること。人間は両方を補い合うが、AIは知能のみ。問題解決には最適であるが、意識=感情、主観は無い」という見方は変わってはいないと思いますが、AIとバイオ・生命科学の急速な進歩により、特に「生物学者が”生き物はアルゴリズムである”と結論付けた途端、生物と非生物の間の壁は取り崩され、コンピューター革命は機械的なものから、生物学的な大変動に変え」たとの見方です。

意識というものの解明はまだ十分には進んでいないとのことですが、「生き物はアルゴリズム」であり、「生命はデータ処理」であるというのが既に科学界の定説になっている由。「人間の心や意識は、脳のなかでニューロンが信号を発し、データを処理しているだけである」「意識や意思を持った”私”でさえ”虚構”なのだ」「AI=人口知能が急速に発展し、あなた自身よりもあなたについて詳しく知るようになる」云々。

 

僕が説明しようとすると三文SF小説としか思えないですが、ハラリさんの凄いところは、最先端技術の知識、事例説明がムチャ具体的で説得力があること。その最先端の技術が意味するところを歴史学者としての考察を通じて解きほぐしていくことが出来るところ。

 

 

改めて本を手に取ってみたら表紙の帯に、山際壽一さんの言葉が掲載されていました。『サピエンス全史』下巻には「進化と文明の歴史を幸福の視点から問い直す」、同じく『ホモ・デウス』下巻には「科学技術の終焉か?パンドラの箱が今開く」。人類学者、霊長類学者の観点から、是非、NHK「90分de名著」等で、解説・論表してもらったら面白そうだなあと思います。

 

まだ、ハラリさんを食べ過ぎて胃モタレ感が残っているような状態です。これは決して食あたりではないと思うのですがね。

 

 

 お題「冬を乗り越えようとしている鉢植え」。やや春の兆しが、と思いきや今週は大変な寒波到来です。皆さま、くれぐれもご自愛のほど。2019年2月8日撮影。

 

 

オマケ。じゃこ入りニラ玉炒め。じゃこをカリカリに炒めてからお酒で煮詰める。いったん取り出す。卵を半熟程度に、塩コショウして、これもいったん取り出す。ニラを炒めて豆板醤を加え、じゃこ、卵を戻し入れる。お酒のつまみです。冷えてもソコソコ美味しい。1月31日、料理と撮影。

大”阪”なおみ

日経新聞、2019年1月29日掲載。大坂なおみ選手の写真記事広告。

 

 

テニスの大坂なおみ選手が1月26日にメルボルンで行われた全豪オープン女子シングルスで優勝しました。昨年の全米優勝に続いて、グランドスラム=テニスの四大世界大会を二連覇したことになります。彼女は、1997年生まれとのことで、まだ21歳。この若さで、世界ランキングも一位に上り詰めました。

勝戦はもちろんTV観戦しましたが、今回の大会は、放送された彼女の試合はほとんど見ることが出来ました。平日でものんびりと家でTVを観ることが出来る嬉しさ・楽しさです。暇なときTVをダラダラ付けておくのは主義に反するので、見たいものだけをチャンと見るように心がけています。最近は録画して見ることも簡単に出来るようになったので、時間を拘束されることはあまりなくなりました。でも、スポーツの試合だけは結果が分かってしまっては、興味が半減します。一生懸命にやっているプレイヤーには申し訳ないですが、結果を知ってしまっては観ていても面白味がありません。決勝以前のなおみ選手の試合も録画して後で見ることがありましたが、その際には、ニュース、ネット記事で結果を見てしまうことが無いよう、結果が耳に入ることの無いように注意して(録画を)観ます。

 

なおみ選手の試合はとにかく面白い。”凡ミスは多いがショットの切れには目を見張るものがある。肝心な時の詰めが甘いと感じるが、追い込まれた時の集中力がこれまた凄い。楽勝に思える時でも勝手にドタバタして苦労するし、もうダメかと思うところからよく盛り返す。ハラハラドキドキ、プロの試合の面白さを堪能させてくれる”と感じています。

 

そもそもシード選手は試合数がもっと少ないものだと思っていました。ベスト8の一つ手前くらいから出てくるものかと思っていたら、そこに行くまでに少なくとも三試合は戦っていました。ちょっと調べてみましたら、本戦は、128人でスタートし、64人→32人→16人→ベスト8となり、順々決勝、準決勝、そして決勝戦で勝って漸くチャンピオンとなる由。これが本戦ですが、実績の無い選手は更に過酷な日程で設定されている予選を勝ち抜いて初めて本戦に出場してくる訳です。

 

メジャー大会本戦の最初の1,2回戦の試合を見るのは滅多にない機会でした。通常、準決勝か決勝を観るだけで満足して喜んでいます。TVで放送されないことも大きな理由の一つでしょう。今回は、贔屓の選手が最終チャンピオンにまで上り詰めてくれたので、途中の試合も観戦することが出来ました。予選から勝ち上がってきた選手、乃至は、世界ランキングのずーと下位の選手の気迫には感心しました。素人の目にはどちらがランキング上位なのか分からない、何故この選手がこれほど下位のランキングなのか分からないような選手がゴロゴロいるように思います。世界レベルでの選手層の厚さ!、改めてメジャー大会のチャンピオンになることの大変さを痛感します。

 

 

優勝後のインタビューは、相変わらず、小さい声で恥ずかしそうに受け答えしていました。彼女にとっては当たり前のことでしょうが英語で受け答えが出来るのは素晴しいことですね。全米の決勝の時、負けたセリーナ・ウイリアムズ選手への贔屓の裏返しでなおみ選手にブーイングが出ましたが、優勝インタビューでは多分涙を流しながら”セリーナを尊敬して憧れていた”ことを素直に話して会場から万来の拍手を集めました。彼女の性格の素晴らしさですが、あれは日本語を通訳してでは起こりえなかった感動であったと思います。

 

 

翌日の新聞にも”なおみ節、ユーモアたっぷり、シャイで飾らない人柄”等々を称賛する記事がだくさん書かれておりました。僕は、彼女は北海道の生まれ・出身かと思っていました。何かのおり、彼女のおじいちゃんがインタビューされた時の北海道のイメージが強かったのです。 記事を読むと大阪生まれとのことで、かつてインタビューで「出身地と同じ名字なのはなぜか」と質問されたのに対して「大阪で生まれた人の名字はみんなオオサカなの」と愛嬌たっぷりに答えていたそうです。

 

”そうなんや、大阪生まれの大坂なおみちゃんやったんや”、と更にフアン度がアップしました。 1997年10月16日生まれ、大阪市中央区出身とのことです。小さい時に、お隣の西区の靭テニスセンターで練習していた由。

このブログでも何回も登場します僕の高校も大阪市中央区です。僕は隣の城東区ですから一緒ではありません。西区の靭公園あたりには同期生の実家がゴロゴロとあったはず。それだけのことなのですが、元関西大阪人としては何やら大変に嬉しく思っております。このテニスセンターはいまでもあるはずですから、きっと入会希望が殺到しているのではと思っています。

 

 

冒頭の写真、1月29日の日経新聞です。なおみ選手のスポンサーをしている日清食品の広告記事ですが、この会社も大阪生まれ・大阪育ちの食品会社。カップヌードルはいまや世界のブランドになっていますが、創業期のころのご苦労はいまのNHK朝ドラでも感じられるところ。良い意味での大阪のイメージが残っている大阪・関西を代表する食品会社です。この宣伝も、赤と黒の色調で漫画的な手書き文字で表現した関西的な、吉本的な味のあるモノだと評価してます。会社の名前、製品の名前を小さくしているのも好感が持てました。

 

 

この広告と同じ日の記事に、「全豪オープンテニス『アジア重視』。中国・韓国マネーで大会が拡大している。観客数・賞金が過去最高に」との解説が載せられていました。日本企業に触れられていないのがやや寂しいように思いました。また、たまたま、その紙面の上の欄に「大阪万博再び!関西系財閥グループが全力を挙げて取り組む」云々の記事が出ていました。

 

 ”そうや、大坂なおみ選手=大阪出身=2025年の大阪万博のキャラクターに!なってもらえばエエやんか。この会社となおみ選手にお願いして、大坂なおみちゃんが大阪万博を応援しているアピール広告を出してもらえば、きっと、盛り上がるやろう。2025年=なおみ選手はまだ27歳。アブラの乗り切ったころに違いない。四大大会を全て制覇して、きっと、テニス界の世界の女王になってるやろ。・・・まあ、まだだいぶ先の話だから、タイミングを見ながらやってもらうほうが良いかとは思うが・・・”。僕は大阪万博よりは愛知の「ジブリパーク」を応援したいと思っていますので、これは、何んとも大阪のおばちゃん的な発想かと自分でも可笑しくなりましたが、大”阪”なおみ選手にも是非、大阪万博に関与して欲しいものです。それまでには、いまの英語の受け答えと同等レベルで日本語も堪能になっていて、インタビューでは大”坂”弁で会場を沸かせてくれたらサイコーでしょうね。

 

 大阪と大坂の違いとは?・・・「坂」がもともと使われていたが、「坂」の字は縁起が良くない=士が反逆するとか、土に返るとか。その為、明治時代に大阪に変えられた由の説明が書いてありました。真偽のほどは分かりません。

もっとも、なおみちゃんにはどちらもOSAKAでしょうから全く興味・関心の無い話でしょう。

彼女の国籍について。「現在のなおみ選手は日米両国の二重国籍。日本の法律では、22歳までにどちらかを選択する義務がある」らしいです。本年10月16日が22歳の誕生日ですから、そのころにかけて話題になるかもしれません。うやむやにしておいても罰則等は無いとのことですが、有名人の悩ましさで日本人としてのオリンピックへの参加の是非が問われることになるかも知れないとか。何がどうなっても、「大阪」の「大坂なおみ」選手でいて欲しいですねえ。

 

 

 

名古屋市科学館で開催展示されている「スイーツ展」に行ってきました。高校の同期会の集まりです。名古屋での同期会は人数が少ないこともあり中身が濃いのです。折角に集まるのだから何かオモロイことをしよう・観よう・聴こうという趣旨で、毎回、何か工夫して楽しんでいます。今回は、いつもの仲良し四人組に加え、大阪からわざわざこの会に参加するためにもう一人が来てくれました(本当は、都合よく仕事の出張があったから)。僕が昨年まで勤めていた会社の担当役員がこの展示会で、科学館の学芸員さんに資料提供等々イロイロとお手伝いをしたので、その成果を楽しみに行きました。勝手な評論=関西弁で辛辣な感想を大きな声で話しながら、一時間以上かけて真面目に見させて頂きました。面白かったです。

大阪から出てきたオッサン(=高校だけでなく大学も同じお友達なのです)は、まだ仕事は現役なのですが、なんと、この数年、僕と同じくピアノを習っていることが判明しました。ピアノの魅力を感じる人が沢山いるんやなあ、と嬉しくなりました。はたまた、お互いそれぞれにボケ防止の為かも。2014年1月29日が僕のピアノ記念日です。5年が経過して6年目にはいりました。

 

 

「牡蠣のネギ塩炒め」。隠れ家ではなくて神奈川の自宅で、珍しく僕が料理しました。隠れ家の台所ではナニをドコに置いてあるか、ほぼ完全に把握出来ているのですが、自宅の台所では勝手が違う。思わず「人の家の台所は使い難いわ」と言ったら、カミさんからエラく怒られました。スミマセン。

料理は意外と上手く出来たかと。牡蠣をよく洗って、片栗粉をサッとまぶして炒める。一旦取り出す。同じフライパンでネギを十分に炒めてから、牡蠣を戻しいれる。味付けは塩だけ。きょうの料理クックパッドを参考にして。2019年1月29日、料理と撮影。

 

 

 

ちょいと良い話、その2.

神奈川県大和市諏訪神社。カミさんの案内で今年の初詣に行きました。家から歩いて30分ほどの処にあります。由緒のある立派な神社ですが、恥ずかしながら今まで知りませんでした。近くにこんな落ち着いた神社があったことに驚きです。今年は地元を再訪しようかなあ、と思いました。2019年1月15日、二回目の訪問時に撮影。

 

 

1月中旬、予定通り新幹線「ぶらっとこだま」で神奈川に移動しました。こだま号も意外に混んでいるもんです。二人掛け席のお隣にお客さんがいて、やや窮屈な感じ。幸い、しばらくしたら途中の駅で下車してくれました。その後は誰も席に来ず。ゆったりと寛いで二席分を専有、「ホモ・デウス」に集中しました。名古屋から新横浜まで2時間半の旅。僕が集中して読書出来るのは一時間ほどですから、休憩を挟んでちょうど二回のインターバルを消化出来ることになります。オモロイ本を読んでいる時はあっという間に時間が経過してくれます。

 

 

新横浜からはJR横浜線に乗り換えます。15分程度の乗車時間ですが、続きを読みたいので、キャリーバッグの上に手さげカバンを乗せたものを片手で持って、もう片方で本を開いたまま。普段、移動の際は荷物は一つだけなのですが、この日はゴルフの衣類と若干のお土産がありキャリーバッグを使っていました。

幸いに横浜線はそれ程混雑はしていない。入口付近に立ち留まらず奥の方に。先に乗り込んだオニイチャンが空いている席に座ったので、その前に立って「ホモ・デウス」を開きました。読書を再開しようとした時、座ったばかりのオニイチャンが立ち上がり「どうぞ、お座りください」。

席を譲られる経験はほとんど無いので、多分、僕は怪訝な顔をしたのでしょう。睨んだわけでは無いと思いますが「なんやお前、俺はそんな年寄りやないで」てな顔をしていたのかと思います。咄嗟の事に素直な反応が出来ない1950年生まれのダメなところです。それでも、そのオニイチャンは大変に良く出来た方なのでしょう、嫌な顔一つすることなく、丁寧に「荷物が多いから大変だと思います。是非、お座りください」と僕の心の内を見透かしたが如く、配慮ある、説得力のあるコメントをして座席を譲ってくれました。今度は素直に”これは一本取られた。完敗”と受け止めて席に就かせて頂きました。お陰さまで「ホモ・デウス」も更に読み進むことが出来ました。

下車する時、まだ、近くに乗っていらっしゃったので、一言「ありがとう。助かりました」と声を掛けました。一瞬、驚いた様子でしたが、それでも「どういたしました。お気をつけて行ってください」とまたまた丁寧な挨拶を返してくれました。立場が逆であれば、僕はせいぜい「いえいえ、どうもどうも」とか、「どういたしまして」程度のボケっとした反応しか出来ていないであろうに。

年齢不詳の風貌。二十歳前後のような?でも、もう少し年はとっているのかも知れません。学生さんか社会人かも分かりません。センスの良いカジュアルな格好をしていました。とにかく、気持ちの良い真摯な対応と受け答えに痛く感心しました。久しぶりにホンワカと良い気持ちになって家に帰りました。 

 

 

もう一件。

翌日は、高校の同期会に参加しました。何度も書いている通り僕の高校は大阪のど真ん中にありますが、今回は、東京・神奈川在住の卒業生の集まりです。大阪からわざわざこの為に出てきている方もおられました。

地下鉄に乗って会場に。引き続き「ホモ・デウス」を離さず。立って読んでおりました。前の席には、西洋人のユダヤ系とも思えるオニイチャンが座っていました。「ホモ・デウス」の著者=ユヴァル・ノア・ハラリさんはイスラエル人です。本の表紙の裏には写真が載っています。TV番組で表情も声も馴染みになっています。この時点では、すでに上巻の半分以上は読んでおりました。相変わらずの鋭い切り口、圧倒的な知識量・情報量、それを基にした物語の展開力・描写力にワクワクしている時ですから、それらしき人を見ると全てハラリさんに見えてしまいます。

頁を繰るときに栞を落としてしまいました。ヒラリひらひらとハラリさんの顔を掠めて足元の床に着地。地下鉄はやや混んでおり、しゃがんで拾い上げるのは回りの方に迷惑になるかとそのままにしていました。床に落ちた栞、ほとんどゴミのようなものです。その時に、何とハラリさんが丁寧に拾い上げてくれました。爽やかな笑顔、流ちょうな日本語で「落ちましたね、ハイどうぞ」と返してくれました。思わず、こちらも、ニコっとして「ありがとうね」。何の衒いもない素直な目が印象的でした。お陰様で、その夜の同期会も楽しく過ごすことが出来ました。

 

自然体で親切にして頂くと大変に気持ちが良くなるものですね。”日本はやっぱ良い国やなあ”と思いつつ、最初に『ちょいと良い話』を書いたのを振り返ってみると、2016年10月16日のブログで紹介していました。まだ、ブログを書き始めてから余り時間が経っていない頃のことです。”おいおい、それ以降は「ちょいと良い話」は無かったのかよお”とも思いましたが、”いやいや、記載するタイミングが無かったからだ”と自分を納得させました。

 

 

「ホモ・デウス」上・下巻ともに、数日後、今度は新横浜から名古屋に向かう「ぶらっとこだま」で読了しました。ハラリさんの未来の考察は大変にショッキングな内容ですが、これは「予言ではなく可能性として捉えるべき」だとのご本人の言葉です。「現在の選択肢を考察」することで「私たちの選択が変わり、その結果、予測が外れたなら考察した甲斐があったというものだ」との観点から執筆されているとのことです。ご自分のモノの見方、考え方を分かりやすく読者に伝えようと努力されているのが、よく理解出来て好感を持ちます。

 

最近、読書する時には、オモロイと思う箇所には鉛筆で線を引いて読んでいますが、上・下巻ともに、結果的にはほぼ毎頁に沢山の線が引かれておりました。今の心境は、久しぶりに中身がむっちゃ濃い本を読み終えてお腹がいっぱいになった状態です。しばらくは余韻を楽しんで、この本の内容の消化に励むのがよさそうな、そんな気分に浸っております。当分は重たい本は遠慮して、肩の凝らない大好きな料理・食べ物の本を読んでのんびりしようかと。

  

 

親切な行い!、たまには『ちょいと良い話』に遭遇してホンワカと気持ちが良くなるような人と人に繋がり。ハラリさんの考察するバイオテクノロジーとコンピュータアルゴリズムの行きつく可能性の世界ではこういう気持ち、感情というのは一体どうなっているのでしょうねえ。ハラリさんも今の子供たちが大きくなった時のことをイロイロと心配してましたが、僕も改めてアレヤコレヤ考えさせられています。

一方で、相変わらず電車の中でスマホをいじくっている人の何と多いこと。座っている人の8-9割、立っている人でも半分以上でしょうね。すでに慣れっこの風景とは言え、ハラリさんの本を読んだ後では、尚更、気持ち良くない。僕は意地でも本を読み続くてやるぞ、と思っています。

 

 

前回の『ちょいと良い話』、2016年のことなのですが、フランス人形のような女の子はもう大きくなってるだろうなあ。そう言えば、最近、パン屋さんには行っていない。明日、時間があれば行ってみようかと思います。

『ホモ・デウス』は自分の中でうまく消化出来れば、改めて、紹介したいと思っています。それにしてもハラリさん。歴史学者として、過去から現在、そして未来に対する考察までやってしまって、これから後、世に問うテーマは一体何が残されているのでしょうか。楽しみでありますが、もし、著述される時には、読むのが怖いような気もしてしまいます。

 

 

同じく大和市の深見城跡。遊歩道としては余り整備されてはいませんが、その分、この辺り一帯はまだ自然が残っています。このお城の北東方面は境川からの急な斜面に遮られて天然の要塞であった由。近くに東名高速道路が走っているのが信じられないほどの静けさ。家から大周りすると往復で1.5から2時間歩くことになります。

 

 

 

おまけ; 隠れ家にて一人料理。家に置いてあった「オレンジページ」を参考にして。メインは白菜なのです。白菜を細切りにして塩に漬ける。牛肉と一緒にオイスターソース・タレで20分ほど煮てトロトロ状態に。その後、細く切ったピーマン、人参を加えて更に数分煮たら出来上がり。現物はもう少し赤と緑がキレイだったのに!、残念。ヌル燗の酒にも合います。2019年1月18日、料理と撮影。