クルルのおじさん 料理を楽しむ

『武相荘』

 

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旧白洲邸の「武相荘」です。2018年8月10日撮影。 

昔は鶴川村と呼ばれていました。今は、東京都町田市能ケ谷という地名になっています。8月10日(金曜日)のお昼、珍しくカミさんも他に用事が無く、前から行ってみたいと思っていたこともあり、二人でブラリと訪問してきました。神奈川の僕の家から車で一走りのところです。もっとも16号線が平日でも渋滞してますから予想以上に時間はかかりました。

武相荘」という名前は武蔵と相模の境にあるところから付けられた名前ですが、そこは白洲次郎さんのこと。「ブアイソウ」と読ませ「不愛想」を掛けて喜んでいたそうです。

 

 

旧白洲邸というのは、白洲次郎さんと白洲正子さんが1943年(昭和18年)に引越しして以降ずっと住んでおられたお家のこと。当時で言えばド田舎の農村地帯にある、貧しいボロボロの茅葺きの農家です。次郎さんは、戦後、吉田茂に請われてGHQとの折衝に当たり、GHQから「唯一、従順ならざる日本人」との評価?を得た方。正子さんは樺山資紀の孫娘。能・骨董・執筆・経営の達人、安直な表現をすればマルチタレント・スーパーレデイ。僕のなかでは、お二人とも昔からイメージが定着していた方ですが、最近、改めて正子さんの方に興味を持っておりました。

 

 

河合隼雄さんの本を何冊か読んだのですが、とりあえずの最後に読んだ本が対談集。このおっさんは人と対談してオモロイことを見つけ出す名人かと思います。その対談の相手のお一人が白洲正子さん。「能面」で読売文学賞を受賞。他にも「明恵上人」「西行」等々多数の著書あり。河合隼雄さんとの接点も「明恵上人」が切っ掛けとなったそうです。その著書の中の一冊「白洲正子自伝」を例によって古本屋を徘徊している時にたまたま目に留まったので買ってきて読んでおりました。

 

 

この自伝は、1991年(平成3年)から1994年(平成6年)にかけての連載を同年1994年12月に単行本として刊行されたもの。正子さんは1910年生まれですから、81歳から84歳にかけて執筆されたことになります。自伝の構成は「祖父・樺山資紀」の話から始まり、最後は「西国33か所観音巡礼」=1964年(昭和39年)東京オリンピックの年=正子さん54歳の時、観音巡礼の取材の旅をした年のことまで。刊行時、彼女は84歳ですが、その時のあとがきには「人間同士は誤解によって繋がっているのはふつうのことだから・・・」と言いつつ「私に残っているのはただ感謝の念あるのみ。『韋駄天お正』の成れの果てとは、かくの如きものである」との締め括りの言葉。ちなみにご本人は1998年に88歳で他界されていますから、お亡くなりになる4年前のことになります。

 

 

全くの余談ですが、正子さんが「祖父・樺山資紀」を執筆している時、テレビで西郷隆盛を主人公にした『飛ぶが如く』をやっていたそうです。「今でも鹿児島県人にとって、セイゴドンが崇拝の的であるように、私の祖父や父も神さまのように思っていた。その神さまを相手に西南戦争で戦うハメにおちいったのは、祖父にとっては生涯の痛恨事であった」とのこと。いまのNHKは「セゴドン」で、確かに、馴染みがよい響きですが、幕末・明治モノの大河ドラマを見てこう言う感想を述べることが出来る方は年々減ってきてしまってることを痛感します。

 

 

河合隼雄さんとの対談でも紹介されていますが、交友の広さ・深さには本当に感心します。青山二郎さんとか小林秀雄さんとか。解説の方(車谷長吉と仰る方)の彼女に対する見方・この本の読み方が面白い。テーマ「何が正子を正子たらしめているのか」を紐解く糸口をこの本に求めています。僕が興味を持ったのも全く同じことでした。

今時、こんな人いないですよねえ。こんな生き方・考え方が出来る日本人が存在していたこと自体が驚きです。解説者の解析では、よく指摘される彼女の「めぐまれた環境」というのは物の数ではなく、①度胸、②公平な目、③近代を経験した速さ、④能の修行、⑤米国留学・他の海外経験、⑥古典の素養、⑦付き合い・交流の広さ・深さ、等々を指摘されてます。全てモットモ、なるほどなのですが、僕としては、やはり明治維新という革命を勝者として乗り越えた武士の心構え=それも薩摩隼人の血筋を引き継いで、かつ、大変に「恵まれた環境」に育ったことが両方合わさって「正子さんを正子さんたらしめている」と感じています。

 

 

ご夫妻は二男一女を得ておられますが、この「武相荘」を管理・運営されているのは長女の牧山桂子さんとその旦那さん。桂子さんは「白洲次郎・正子」夫妻についての沢山の著書を出されています。その中の一つ「白洲次郎・正子の夕餉」が僕の蔵書のなかにあるのです。恥ずかしながら、何時、何故、買ったものか(全く)覚えていない。多分、写真がキレイで料理も面白そうで、そして、器が立派なものだったからなのでしょう。今回、改めて見たら、やはり器がしっかりしているのに感心しました。また、グルメの極致のようなお二人が庶民の味を好んでいたことも良く理解出来て、それなりに親近感を持ちました。「普通のおでんでは物足りなくて、居酒屋で食べたことがある牛すじやソーセージをいれた邪道おでん。両親も喜んでたべていた」なんて書かれてあると嬉しくなります。このおでんの写真で使われていた鍋は、京都・有次の銅製おでん鍋でした。残念ながら、関西人には欠かせない粉モン系=たこ焼き、お好み焼き系の料理は載せられていませんでした。まあ、これは仕方がないか。勘弁してあげよう。

  

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「PLAY FIRST」。次郎さんは晩年までボルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長を務めたそうです。自分の信じた原則=プリンシプルには極めて忠実。このPLAY FIRSTもその一つでしょう。武相荘の一角にバー&ギャラリーがありますが、その名前が「PLAY FIRST」と命名されています。

 

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同じく武相荘のレストラン。コーナーのお酒のボトル等々の棚の横に、さり気無く昔風の照明スタンドが。ウエイトレスさんの説明では「次郎さんが自ら製作したもの」と。台所用品、ガーデニング用品等々、自分で製作するのがお好きであった由。誠に”スーパーおもろいご夫妻”だったと思います。ウエイトレスさんが「次郎さんは・・・」という言い方をするのが、大変に新鮮な、親しみのある印象を受けました。

 

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おまけの写真。朝ご飯をゆっくりとったので、ハウスサンドウィッチを二人で分けて食べました。結構ボリュームがありました。撮影は全て2018年8月10日、武相荘にて。

蛇足の言い訳;8月10日に発信しようと頑張ったのですが、機械が言うことを聞いてくれず。ようやく発信できそうです。引き続き宜しくです。