クルルのおじさん 料理を楽しむ

日野原先生のこと、その2.;讃歌

 

名古屋市美術館でのビュールレ・コレクションに行ってきました。開催される前から、地下鉄の車両を始め街の至るところ多数のポスターが張られ大変な宣伝ぶりでした。美術館の入り口にもそのポスターの特大版が飾られていました。「絵画史上、最強の美少女」と書いて「美少女」に”センター”とルビを振ってあります。AKB48等々の”センター”をイメージさせるものと思いますが、なかなかのキャッチコピーだと感心しておりました。ルノワールの名作です。なんと、このセンターの美少女は当時まだ8歳であったとのことです。その既に完成された姿・形に只々驚きです。2018年9月14日、撮影。

 

 

日野原先生のことは、このブログで何回も書いておりますが、最近、偶々ですが、ご著書を二冊読みました。今まで新聞・雑誌の記事、対談、訳本は読んでいましたが著書を読むのは初めてであったと思います。

 

「100歳になるための100の方法;未来への勇気ある挑戦」、文藝春秋。単行本は2004年1月に刊行。僕が読んだのは例によってbookoffで買った文庫本。文庫本は2009年1月が第一刷。その第四刷、2017年7月30日のモノです。後述の通り、先生が亡くなったのが2017年7月18日ですから、その後に印刷されたものですね。

 

前書きの一番最初の書き出しが「私は2003年10月に満92歳の誕生日を迎えました」と記載があり。大のフアンとは言え、天の邪鬼の僕は”へえ、92歳で「未来への勇気ある挑戦」とはねえ”とウガッタ見方をしてしまいました。ご本人も前書きの最後に「100歳をめざす今回の著述に対して読者のご批判を賜りたいと希望して」いると書かれているので、ご本人も流石に肩に力が入り過ぎているのを反省されながら書いているのかな、と思ったものです。

 

 

ところがドッコイ。この先生の日常生活の様子を読んでビックリ仰天。仕事、仕事、仕事。病院に出勤は当たり前、一週間に三回ほど講演に出かける。毎日、複数の新聞・雑誌・専門書に眼を通す。毎日、自分宛てに届く20~30通!の手紙を読み、返信の必要なモノには翌日に返信する。毎日、執筆を2-3時間やる。急ぐ原稿があるので週に一回は徹夜!して400字の原稿用紙20から25枚を書き下ろす。自宅だけではなく、移動中の車、飛行機、新幹線、いつでもどこでも原稿を書くか校正をしている。食事にかける時間は一日を通して1時間半くらいのみ(忙しくて時間が無い!)。摂取カロリーは基礎代謝量程度のみに抑えている。ご本人が「自分でもよく過労死しないと思う」とおっしゃってます。

 

 

日野原さんは生涯現役を続けていたというのは有名なお話ですが、この日常を見ると、所謂、50~60歳代のバリバリの第一線の最高責任者と同等か、多分、それ以上のご活躍ぶり。ここまでの”現役”を継続されているとは恥ずかしながら全く存じておりませんでした。

 

「引退を間近に控えた人へ」という項がありました。以前にも書いたことがありますが、僕はこの類の書き物は”当たり前のことをえらそうな物言いでモットモらしく書いてあるだけ”と思い込んでおり、まず読まなかったのですが、今回は、その前段で92歳になってもこれだけの日常を熟している先生の活動にビックリ仰天でしたので、謙虚に真面目に読みました。2018年6月21日付け『卒業』で記載した倉本聰さんの言葉、河合隼雄さんの記述を久しぶりに思い出しました。重複するので内容は記載しませんが、年を取ってからも元気な人の極意は、根っこのところで共通していると感じます。

 

日野原先生の生活で面白いのは「運動の時間がないので、階段を使う。エスカレーターには乗らない。空港では動く歩道に乗らない。階段を駆け上がったり、動く歩道の横を早足で歩いたり。それに乗っている若い世代を追い抜こうとする。上手く追い抜いた時には”ヤッターという達成感”を感じ」てらっしゃるそうで、そのことが健康法になっていると。僕も歩くのは大好きで、散歩する時には道行く通行人を追い抜いて勝手に喜んでいる気持ちが確かにありますが、92歳のおじいちゃんが”ヤッターという達成感”を健康法だと言われるのには全く脱帽だと思いました。

 

また、もう一つの驚きは、この年齢になられても「三年先のダイアリーをつけて」らっしゃるそうです。未来への勇気ある挑戦そのもののような気がします。そして、何事につけてユーモアを持って話されている、表現されているというのは素晴らしいと感じます。また、この本の第三章は「人との会話から得られるヒント」で、著名人との対談が掲載されていますが、一番最後は遠藤周作さんとの対談です。患者の気持ちについて、病院について、医療制度について、意見交換をされています。医学・医療・病院に係わる方は是非ご一読されますようお薦めです。

 

 

もう一冊の本は、カミさんが買って読んでいました。「生きていくあなたへ 105歳 どうしても遺したかった言葉」、幻冬舎

「100歳になるため・・」を読んだ時、家にあったのを思い出して、続けて読みました。巻末にこの本のタイトル「生きていくあなたへ;最後のメッセージ」と書かれた項があります。2017年1月31日にご自宅で話をされたものとのこと。以下、抜粋です。

 

「私の長い人生が終わろうとしているけれど・・・。今私は、新たな旅立ちの心意気を感じています。言い尽くせない感謝の気持ちと喜びを胸に・・・。・・・私のこの旅を静かにトボトボともう少し続けたいという気持ちがしています。・・・感謝に満ちた気持ちで、キープオンゴーイング!。」

 

ご自宅でこの話をされた後、約半年経った2017年7月18日に105年10か月の生涯をご自宅で静かに閉じられたとのことです。105歳で最後の最後まで「キープオンゴーイング」と心から言える先生はやはり凄い。この本は感動して泣けます。

 

 

偶々というのは重なるものです。内田樹さんであれば、こういう出会いを、もう少し、気の利いた言い回しをしてくれると思うのですが、日野原先生と一緒にお仕事をされていた方と会食する機会がありました。在宅医療を専門とされているお医者さん。認知症予防等々の啓蒙活動をされており、そのNPO法人のお仕事を僕の兄がお手伝いしている関係です。仲間内の食事会に誘ってくれました。僕よりも若干はお若い先生ですから、日野原先生より40年ほど若いことになります。これだけ年の開きがある先生どうしが一緒に仕事をしていたということですから、改めて日野原さんが異常に長い期間、現役をされていたということが実感されます。初めてお会いしたのですが最初から盛り上がって、それから僕が日野原さんのフアンであることを話ししたら更に盛り上がりました。先生からも日野原さんのことをイロイロと伺って、益々、日野原さんのフアンになりました。この先生のことは、ご本人の了解を得てから、もう少し詳しくお話をしてみたいと思ってます。

 

日野原先生、亡くなられた後も、益々、インパクトを感じさせて頂ける方ですねえ。僕も「keep on going」のスピリットを大切にしたいと思います。

改めてご冥福をお祈りします。 

 

 

美術館のすぐ近くにある名古屋市科学館プラネタリウム」、世界最大規模のモノです。名古屋市のど真ん中にあります。こんなにオモロイところが一杯あるのに何故人気度が全国主要8都市中あいかわらず最低なのかしら。生活をすると本当に良いところであると実感するのですがね。2018年9月14日、撮影。

 

 

おまけ。ある日の夕食。「サンラータン」は、栗原はるみと大庭英子のやり方を参考にして作りました(こういう場合は敬・略です)。まだ中途半端な、インパクトに乏しい味。お酢を投入するタイミングが両者で異なる。まだまだ工夫が必要です。「油揚げの何でも詰め込み焼き」は、①チャーハンの具の残り、玉ねぎみじん切りに②チーズ&/or③塩コンブを乗せたもの。簡単・上手い!、結構、満足してます。「しょうゆ豆」を齧りながら「沖縄のグラスで宮崎の焼酎」で反省会です。2018年9月28日、料理と撮影。