クルルのおじさん 料理を楽しむ

鯱城学園、三学期のスタート

鯱城学園、園芸科の授業で園芸家の吉田篤先生から譲って頂きました。「一子侘助(いちこわびすけ)」。侘助というのはオシベが退化した筒先きの種。赤の色が深いのが特徴とのことでした。横の小さいのは「フレッシュラパン」、ビオラの種類とか。花がウサギさんのように見える?。撮影のあとでそれなりの鉢に植え替えました。元気に育って欲しいモノです。2020年1月22日、撮影。・・・この日は、小雪ちゃん誕生日です。元気に2歳になりました。

 

 

鯱城学園の三学期がスタートしました。1月22日(水)、共通講座の新年初回は、学長講話。名古屋市の市長さんが鯱城学園の学長をされてますので、河村たかしさんが登壇されました。河村さんは個性的な物言いで、市長さんのなかでも全国的に知名度の高い方だと思います。開口一番「日本で一番給料が安い市長です!」と定番のご挨拶。学長講話の内容のレジメも配布されていたのですが、のっけから脱線調です。大ホールの席は、各クラスごとに纏まっているのですが、学期ごとに移動があります。舞台・演台からの遠近で不公平が生じるのを避けるためにローテーションされています。これも学園運営のノウハウの一つ、良い気配りだと思います。席替えで僕たちの園芸科はホールのかなり前の方の席になりました。河村さんの表情も良く分かるほどの距離。

 

河村さんは僕よりも2歳年上、今年の誕生日で72歳に。あまり姿勢は良いとは言えませんが、顔の色つや、言葉の響き、大変にお元気のように見受けられます。名古屋市長になり給与を減額した話はよく耳にしておりましたが、詳細をお聞きするのは初めて。それまでは2800万円であった給与を800万円に下げ、更に4年ごとに支給される退職金4200万円を廃止したと。すでに10年、市長をやっているから、この間で、ナント3億円ほどを返上したことになる由。「みんな、わかっとるウッ!」と強調されていました。名古屋のおばちゃんもよい反応をするもので、会場から大きな声で「だから、投票しとるがねッ!」と黄色い声援(ヤジ?)が飛ばされていました。

 

率先垂範!、市長の給与を大幅に削減することにより、市役所職員の給与も10%カットしたそうです。それまでは東京を除くと日本一の給与水準であったものを12位の水準まで落とした。そして、生み出した財源をすべて減税に充当したと。名古屋市の人口は約232万人=100万所帯とのことですが、この減税で一所帯当たり年間で1万円相当の減税を実現したそうです。・・・エライですね。自ら身を削って市長としてやるべき事を追求するということはナカナカ出来るものでは無いと思います。今まで、河村さんをTV等々で垣間見るにつけ(失礼ながら)やや不遜な言いまわしが鼻についていましたが、この点については見直しました。今、河村さんが忸怩たる思いをしているのは、こういう動きが名古屋市以外に広がりを見せてない!ということだと嘆いていました。

 

新聞、TVを賑わした国際芸術祭「愛知トリエンナーレ」(の「表現の不自由展」)につてもコメントされました。河村さんの主張は「愛知トリエンナーレ」は、愛知県と名古屋市が主催する”公共事業”であるということ。公共事業=税金でやっている事業でやりたい放題やるのは許されない、ということでした。当時、朝日新聞からは「きしめんのように薄っぺらい男」と批判されたことも面白おかしく紹介してバサッと切り捨てていました。慰安婦像、表現の自由、共に難しい問題だと思います。

 

もう一つアピールされていたのは子供たちの問題。”子供達がほがらかに健康に”が河村さんの政治家としての主要テーマの一つであると。”子供達がいじめ等により自殺してしまう”ことに対して行政が出来ることを真剣に研究し、アメリカの制度を参考にして中学校に常勤のカウンセラーを配置するようにしたと。教科を教える先生方と同等の立場で生きることを教える先生が常勤している、学校でいつでも相談に乗ってくれる先生(カウンセラーさん)がいてくれるということで子供たちの悲劇が起きないようにしたい、人材を確保してさらに充実させていきたい、と熱っぽく語っておられました。

 

配布されているレジメには「”チャレンジ&チェンジ”のマチ ナゴヤ」というお題が記載されていました。講話の最後は、このレジメに沿ったお話で、鯱城学園の学生さんに期待するのは「学園で学んだことを社会で生かしていただきたい!」と。これも河村さんらしく、この学園の運営には税金を使っているのだから、市民の方々に納得してもらうためには、卒業してから名古屋社会にチャンと還元してよねえ、と分かり易くお話されていました。これは説得力がありますね。そうありたいと思っています。

 

 

講話は一時間で終了。皆さんの盛大な拍手で退席されました。公務多忙な市長さんですから最初から一時間と設定されていたものと思います。講座の時間が30分余りましたが、事務局はちゃんと第二の講師を準備されていました。これもしっかりした責任ある運営だと思います。名古屋市老人クラブ連合会の会長、三溝芳隆さんが登壇され「人生100年時代における老人クラブの役割」と題してお話をされました。珍しいお名前です。”さんぞう”と読むそうです。この3月で90歳!、鯱城学園第13期の卒業生の由。登壇の際の歩く姿勢、スピード、そして、声の大きさ、素晴らしいものです。

 

老人クラブ連合会は全国組織になっているとのことで、「全国老人クラブ連合会」(=全老連)のもとに各市の老人クラブ連合会(=市老連)、更には、各区の老人クラブ連合会(=区老連)、学区ごとの連合会(=学区老連)と。最後の学区老連が基礎組織として活動しているそうです。老人クラブの活動として、(自分の)生活を豊かに楽しくする活動と、同時に、地域を豊かにする社会活動の二つが大切であることをアピールされていました。”老人クラブ”、”連合会”なんて名称を聞くと封建的な気配が残ってそうでヒケてしまいますが、この会長さんも名称には悩んでおられるそうです。地域の自主組織として活動する時には「なごやかクラブ」の愛称を使われているとか。この方が好感を持てそうですね。河村さんが言い残したことを学生の皆さんにお伝えされて、講義の時間もチャンと30分で纏められました。好感の持てる市老連会長さんです。 

 

 

 お昼にお弁当を食べてから、午後は園芸科の専門講座。この日は「苔玉」でもお世話になったお馴染みの吉田篤先生。お題は「ガーデニングの楽しみ」と「椿を楽しむ」。相変わらず心安らぐ優しい語り口で、園芸全般における吉田さんなりの楽しみ方を紹介していただきました。吉田さんの園芸家としてのモットーはとにかく珍しい品種を見つけだすこと。自分でも育種されているし、珍しい品種の話を耳にするとすぐに現地に飛んでいく、育種家の方に会って話を聞いて、そしてほとんどの場合、譲ってもらう=買ってしまうそうです。新しい品種を見つけた時にはとにかく嬉しくて楽しくて自分で世話をしたくなるとのことです。(ビンボウだけど)自分の好きなことを仕事にしているのだからこんなに幸せなことはない、と。

 

素人でも園芸を楽しむコツは、チョットだけ人と違うものを育ててみること。カラーリーフを楽しむとか、花変わりを楽しむとか、葉姿・木姿を楽しむとか、鉢を楽しむとかを心掛けると園芸をもっともっと楽しむことが出来ますよお、とのことでした。僕にはなかなか出来そうにありませんが”そうだろうなあ”と思います。文化祭の作品の「苔玉」の赤い葉の「万両」も確かにインパクトがありました(まだ、隠れ家でチャンと元気にキレイに育ってくれています)。冒頭の「一子侘助」は、講座の説明用に持参されていたものですが、お聞きしたら譲ってくれるということだったので思わず買ってしまいました。園芸家の先生から直接に譲ってもらえる、というのも何やら嬉しいですね(お値段が超お値打ちなので余計にそう思ったのか!、関西人の楽しい”サガ”やなあ?と思います)。

 

 

新学期も楽しくスタートしました。この日は、講座の終了後、園芸家4班の新年会をしました。僕が珍しく場所幹事。鯱城学園の近くには、名古屋では知らない人はいない(であろう)御園座がありますが、その裏に昔からの馴染みの店があります。昨年末にすごーく久しぶりにお邪魔したらお店のお二人ともにお変わりなく元気にやっておられました。大変に楽しかったので今回の新年会に利用させて頂こうと、無理を言って早めにお店を開けてもらいました。授業が終わるのが3時なので、3時半からやって頂戴!と。 4班は9名いるのですが、ナント全員参加。普段、授業にも農園にも余り顔を出さない気難しいオッサン(ごめんね)も参加。小さなお店なので9名入るとちょうど貸し切り状態。優しい班長さんのもとで大変な盛り上がりです。気難しいオッサンも変わらずの表情ながら打ち解けて話に加わっていました。とても半年強のお付き合いとは思えないほど和気あいあいです。

 

三学期も楽しく過ごしたいものです。この会でようやく新年会も一区切りつきます。新年会はもうお終いです。そして、はい、このあとも食事会、反省会と名前を変え今年も飲み続けていくことになるのでしょう。

 

 

おまけの写真です。 

新学期が始まる前の週末に農園に収穫に行きました。一か月弱ぶりです。仲間から、僕の「畑でブロッコリーが早く食べてくれッといってまっせ」とお便りメールを頂き(原文は京都コトバでしたが)、今年初めて農園に行きました。大収穫!。先生お二人も作業に来られており、収穫の仕方を教えて頂きました。カリフラワーは一回の収穫で終了=根も抜いておくこと。ブロッコリーは収穫したあとも次の成長が期待出来るのでそのまま残しておく方が良いと。知らないことばかりです。先生から白菜、キャベツを分けて頂きました。大きなリュック、手さげの袋が満杯に。この時ばかりは車があると助かるなあっとしみじみと思いました。2020年1月19日、撮影。 

 

写真ストーリー「新年会=街の景色」と(おまけの)料理 

 

いきなりテーマとは異なる写真ですが・・・。「松竹梅」の梅が咲きました。東京、神奈川で新年会を楽しんだ後、名古屋の隠れ家に戻ったら優しい桃色の花が咲いていました。自動給水システムが機能して4日間で2ℓペットボトルの水が半分ほど給水されていました。その後三日経過。ほぼ満開の状態の時に写した写真です。2020年1月16日、撮影。

 

 

一月も第二旬になっていますが、幸せなことに新年会が続いています。普段はブログに掲載する写真が不足して困っているのですが、今回は面白い写真がたくさん撮れましたので、写真を中心にしてお喋りを。高校時代の同窓会の話が中心ですが、題して『写真ストーリー「新年会」=街の景色』。おまけ(の写真)はモチロン「料理」です。おまけのおまけも付けてしまいました。

 

 

2020年1月15日、熱田神宮に参拝に出かけました。

名古屋市熱田区にある熱田神宮三種の神器の一つである「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ )」を祀る神社です。6万坪の敷地。写真は樹齢1千年を超えると言われる大楠。弘法大師さんお手植えとも伝えられているそうです。初詣には毎年2百万人以上の参拝がある由。  

  

 

     

 

 この日、熱田神社では「歩射の神事」が行われていました。豊年と除災を祈る神事とのことです。僕たちがのんびりと境内を散策している途中、突然に大歓声が響き渡りました。”やっ、何事が起ったか?!”。この神事は六人の射手がそれぞれ2本づつ三回、合計36本の神矢を放つものです。左の写真です(これは仲間が熱田神宮のHPから転載して送ってくれたもの)。そして、最後の矢が射られたと同時に参拝者たちが一斉に大的を目指して殺到、大的に付された木片を奪い合います。この木片が魔除けとして御利益があると言い伝えられているからです。丁度、僕たちが聞いたのはこの最後の矢が放たれた瞬間、参拝者さんたちが木片を目指して殺到した時の大歓声であったようです。

 

 

しばらく奪い合いの凄まじさを見物していましたが、徐々に落ち着いて一段落してきました。親切な方がこの木片と大的の背板に敷き詰められている藁(これも御利益があるらしい)をお裾分けしてくれました。右の写真は仲間の一人が家に持ち帰り、藁で輪っかを作り木片を飾ったもの。娘さんにこの木片と藁をセットにして”これは大変に有難いモノである!”と恭しく授けたそうです。ちょっと手を加えるだけで確かに有難さが倍増=御利益も倍増しそうですね。この一手間を加えるのがエライ。左の写真は(熱田神宮のHPに掲載されている)神事の様子ですが、僕たちは、この写真の大的の向こう側の静かな道を散策している途中の出来事でした。

 

 

この日は、高校時代の同学年の集まりでした。令和の新年初めての集まり。この地域在住のいつもの4人組で熱田さんに参拝に行こうということになりました。「歩射神事」で期待していなかった木片と藁をゲットして大喜び。夕方、日が陰り始めると一気に寒くなってきました。夜は、北海道からの新しいメンバーを迎えて新年食事会。これが今回のメインイベントです。名古屋駅セントラルタワーズの12階の和食のお店に。幹事さんの計らいでお値打ちコースを堪能。食事のあとは健康のため「カラオケ」に。年を取ると大きな声を出すのは健康のため、カラオケも健康のためです。楽しく盛り上がったあとは、健康第一に早めの解散となりました。

 

 

話が前後しますが、この日の前週末に、同じく高校時代の東京・関東地区の同学年の集まりが横浜で開催されました。 仕事生活を卒業して以降は、出来るだけこの種の集まりには参加しようと考えていたので、昨年から顔を出させてもらっています。二年連続の参加です。僕の高校は、何回も記載していますが、大阪府大阪市のど真ん中にある高校です。卒業後、大阪ではもちろん、東京中心の集まりも継続されています。昨年に続き、横浜ベイホテル東急の最上階近辺の展望の良いレストランの一室を借り切って行われました。

 

 

みなとみらい駅からすぐ近くのホテルですが、今回は、早めに到着して近くを散策しました。むかーし昔、まだ20代の商社勤務時代のころ、仕事でよく横浜港の山下埠頭辺りに来ておりました。輸入された大豆を保管・加工する倉庫がこの近辺にあり、仕事のあとは桜木町辺りでよく飲んだものです。裕次郎の映画に出てきそうな飲み屋がありました。今は、立派なビルが沢山出来ており、すっかりキレイな街並みになっています。改めて街の変わりようにビックリです。

 

 

よこはまコスモワールド」。ベイホテルの前にあります。奥に見えるのが大観覧車、手前の空飛ぶ円盤(表現が古いなあ、と自分でも思いますが)の様なのは、スーパープラネットとかギャラクシーとか呼ばれる絶叫型の乗り物です。ここはオープン型の遊園地で入場料はかかりません。乗り物の乗車券のみ支払えばよい仕組みになっています。入り易いですね。この乗り物の注意書きには「年齢制限、64歳まで」と記載されていました。別に乗りたいと思ったわけではないのですが、やや、複雑な心境です。看板を足で蹴ったりはしませんでした。

 

 

この日の同期会の集まりには、総勢20名弱が参加。東京・関東圏だけでなく、大阪やそれ以外の地域からも参加されてます。会の名称は「獅子丸会」と言います。高校卒業が昭和44年であったので”シシ”丸会。これが、この年次の同窓会の正式名称。前述した名古屋の集まりは「獅子丸会の名古屋の会」ということなのですが、ある時ある人が”せっかくだから名前を付けよう”と言いだして自ら「あほ桐会」と命名しました。それ以降”「あほ桐」の集まり”と言うようになっています。大阪弁のホンワカした「あほやなあ」というイメージを大切にしたいとメンバーの皆さんのお気に入りの名称だと思っています。

 

 

今回の「獅子丸会」関東圏の集まりの幹事さんは大変に気配りの人で、”わざわざ、東京・関東圏以外から食事会のみに参加してもらうのは心苦しい。翌日に東京を楽しめる企画をして都合が付けば参加してもらい是非喜んで帰ってもらおう”と特別ツアーを企画してくれました。豊洲でやっているチームラボを中心にした特別イベント企画です。僕は最近の東京事情には全くの不案内なので喜んで参加させてもらうことにしました。チームラボがどんなモンか全く知らない状態でありました。

  

 

teamLab Planets Tokyo、豊洲。2020年1月12日、撮影。 

  

チームラボというのは、デジタルコンテンツ制作会社だそうです。といってもピンとこないですが、とにかく、東大、東工大の大学院生の方々が設立した会社。プログラマー、エンジニア、数学者、建築家、絵師、グラフィックデザイナー等々、時代の先端を行くプロが集結。集団的創造をされている由です。

 

僕たちが行ったのは豊洲でやっている「チームラボ、プラネッツ」。大きな体育館のような建物に四つの空間を設けている。僕なりの解釈では、土・水・空気・光をテーマにしているのではないかと。ここは写真撮影が自由です(ストロボはダメ)。左の写真は、光の間。右が、水の間。鏡をうまく使ってあり、空間の上下の広がりと奥行きが俄かには捉えられない、頭で理解できない状態になります。”体で触れる、その空間に身を置いて感じる”ことをテーマにされているとか。水の間では、裸足になってズボンの裾を膝まで上げて水に入ります。プロジェクション・マッピングで鯉が泳いでいたり花が浮かんでいたりしています。人が歩いて水面が揺れても、鯉の姿、花の姿は歪みはしない。これ当たり前なのかしら?。小さいお子様連れ、赤ちゃん連れのご家族もいらっしゃいました。水の間では、小さい子供はパンツが濡れるかも。”鏡を駆使しているのでスカートは避ける方がよろしい”と気配りの幹事さんが連絡してくれましたので、僕もズボンを穿いて行きました。

 

 

   

 チームラボを体験した後、豊洲市場を見学に。お休みの日ですが市場全体を散策しました。左の写真が市場の屋上からの景色。遠くに見えているのは東京レインボーブリッジです(多分)。見学後に、のんびりとお昼を取り、その後、お登りさん宜しく”スカイバス”に乗りました。丸の内から東京タワー周辺、そしてレインボーブリッジを走行してくれました。逆側から豊洲を眺めたことになります。

 

 

カイバスに乗車する時には、小雨がぱらつき始め気温も低下したお天気で見物客も極めて少数。結果的には、僕たち5人のグループだけでした。頭からすっぽりとかぶる大きなカッパを着用して乗車。このバスは二階席のみに乗車するように作られています。貸し切り状態であることも手伝い気分はすっかり高校生、まあ修学旅行気分ですね。二階席から地上を行き交いする人々を見て笑っていましたが、地上の人々は”こんな寒い、天気の良くない時に安物の大きなカッパをすっぽりと被って観光バスで都内見物をしている田舎者”と映っていたことでしょう。

  

 

今回の5人組は全員がスマートフォン利用者。仲間の一人が手際よくラインでつないでくれました。お互いに撮した写真をラインで交換。直接に話するのとラインで交信するのと、また、違った趣があると思います。今回の五人のラインは「チームラボ」と命名されました。なんと、この命名した方が 「獅子丸」の名づけ親であることを知りました。”なかなかセンスのエエやっちゃ!”。また、「チームラボ」のメンバーが「あほ桐」のメンバーとイロイロな接点があることも分かりました。類は類を呼ぶものか。ラインを通じて二つのグループの交流が深まっています。「あほ桐」の方は幹事役がまだガラ系なので正式な「あほ桐」グループのラインは出来ておりませんが、とにかく、通信機器の発達でグループの交流が深まるのは面白いことだと思っています。

 

同期会の「獅子丸会」のもとに、名古屋の「あほ桐」の集まり、特別イベントの「チームラボ」、イロイロな組み合わせの楽しい集まりが出来て嬉しいものです。

 

  

おまけ・その1、料理の写真です。「居酒屋ヒデさん」、お昼の料理。2020年1月13日、撮影。 

「チームラボ」の翌日、成人の日のお休み。長女の旦那さんの「居酒屋ヒデさん」にカミさんと二人でお邪魔しました。急なアポにもかかわらず、チャチャっと準備してくれてお昼から楽しく歓談しました(翻訳すると、お昼から飲みました、という意味になります。ビールと美味しい白ワインを頂きました)。今日の料理は、写真奥から「エビのマヨ炒め、大根スティックとトマト・スナップえんどうのサラダ、茹でブロッコリーとシラス・グリーンリーフのレモンサラダ、チャーシュー、ブリ大根、ネギの塩レモンマリネ、スモークサーモン・チーズとキャベツのミルフィーユ。この後で僕の大好きなカキとマッシュルームのアヒージョを出してくれました(写真を撮るのを忘れた)。

 

 

おまけ・その2、料理の写真。ヒデさんに教わった料理を翌日に名古屋の隠れ家でやってみました。写真左から、カキのアヒージョ、マッシュルームにブロッコリーも加えてしまいました。”あまりゴチャゴチャ加えない方が良いのかしら”と反省。エビのマヨ炒め、これもエリンギを加えました。同様の反省。ネギの塩レモンマリネ、レモンをたっぷり絞りました。これは見た目はパットしないがなかなかに美味しく出来ました。

    

 ちなみに、居酒屋ヒデさんのレモンも、僕の使ったレモンも年初に兄の家に行ったときにお土産に沢山頂いて持ち帰ったモノです。2020年1月14日、料理と撮影。

 

 

おまけ・その3、これで最後です。2020年1月15日、撮影。

    

名古屋駅ゲートタワーモールにあるスタジオジブリの「どんぐり共和国」。トトロとネコバスがお出迎え。愛・地球博記念公園ジブリパークは2022年にオープン予定です。今年のオリンピックのあとのメインイベントは、ほとんどの方は2025年の大阪万博、というでしょうが、どっこい、その間にこのジプリパークのオープンがあります。

 

この隣にある銀行に用事があったので立ち寄って撮影しました。この後、前述の熱田神宮の参拝につながります。ほぼ一週間、楽しい新年会が続きました。

 

 

 来週から鯱城学園の三学期が始まります。飲んでばかりいないで、真面目な学生生活に戻ることになります。と思って手帳を見たら、会社の新年会、鯱城学園の新年会、まだまだ沢山の予定が入っていました。嬉しい限りです。風邪を引かないように、飲み過ぎ・食べ過ぎに注意して元気に予定をこなしていきたいと思います。日野原さんのように何年も先の予定を沢山入れて楽しみにしながら。 

 

 

新春、今年のやりたいことをイロイロと妄想して、その中から、ちとハードルが高そうなことを二つ選んで挑戦しようとしています。有言実行を目指そうかとも思ったのですが、余り、自分にプレッシャーを与えずにのんびりとやっていこうかと。もし上手く進めることが出来ていれば、半年から一年後のブログで紹介したいと思います。期待をされないで、その時期が来るのをお待ちいただければ嬉しいです。

 

 

年始雑感、令和二年のお正月

神奈川県大和市諏訪神社。昨年と同様、元旦にカミさんと二人で。夕方になってもまだ沢山の方がお参りに来ていました。門前のお店も賑わっていました。我々は”お参り”というよりも夕食前の散歩ですが(スミマセン)、それでも、ちゃんとお賽銭を入れて柏手を打って今年一年の安寧をお祈りしてきました。令和二年(2020年)1月1日、撮影。

 

 

令和二年(2020年)、最初のブログです。本年も宜しくお付き合い下さいますよう。英語では「twenty twenty」とゴロのよい年です。何と言っても東京オリンピックパラリンピック。足を運ぶ予定はしていませんが、やはり今から楽しみです。

 

 

長い連休のあと新年6日が月曜日。今、お世話になっている会社の年初式に出席するため、朝、世間のお勤めの方と同じように通勤しました。新春賀礼の日ですから、ハレのネクタイを締め上下揃いの礼服の様な黒っぽいスーツに身を包んで。お仕事時代は当たり前のカッコウなのですが、久しぶりに新春出社の初日ということで昔のことを思い出して懐かしい気持ちになりました。それなりに心地よい緊張感があるものです。僕がナニする訳ではないのですが、少しは気が引き締まるというのか。手袋をしていてもまだ手が悴むほど寒い朝でしたので、余計にそう思ったのかも知れません。

 

会社では早朝から年初式。いつもは強面の会長さんもさすがにこの日は晴れやかな顔つきでご挨拶。真面目な社長さんは今年の抱負、会社の方針を気合を入れてお話されていました。僕の大好きな「三方良し」=売り方良し、買い方良し、世間良し=近江商人さんの矜持と言われていますが、良い言葉だと改めて懐かしくイロイロなことが思い出されました。仕事生活を卒業して結構時間は経過しているのですが、何かの切っ掛けがあると凄く臨場感を持って思い出してしまいます。長い期間に染み着いているモノはなかなかに離れてくれないモノのようです。 

 

 

正月は今年ものんびりと過ごしました。大晦日紅白歌合戦をいつも通りに楽しんで。豪華な出演者で面白いのですが、やや辛口に言えば、ウッチャン紅白もマンネリの気配が漂っているかと。登場人物、構成等々に斬新さを感じなくなっています。視聴者というのは贅沢・横柄なものなのでしょう。ひばりさんのCGは、特に製作の過程・工程は興味深いものがありました。曲・歌・声ともに面白い。表情・動きにはまだまだ違和感があるかと思います。ホンモノの美空ひばりさんはやはり天才だったのですね。「東京キッド」時代の映像、今見てもなんと新鮮なこと。

 

二日は昨年同様に兄の自宅にお邪魔しました。兄の長男は近くに住んでいるのですが、今年は長い連休を利用して家族水入らずの海外旅行に。入れ替わりにシンガポールに住んでいる次男一家が年末の数日、お泊りに来て一緒に過ごしていた由です。既に二日目にして御節には食指が動き辛く、正月に開店しているお店で居酒屋風のおつまみを持ち寄って食事会=宴会。とはいえ、最近の兄は以前ほどにはお酒(アルコール)を飲まなくなっています。それでも、カミさんと僕が持参した白ワインを飲んでいると一緒に付き合って楽しそうに飲んでいました。

 

話題は家族のこと=もっぱら孫のこと、それから、やはり健康のこと。兄はまだ半分は現役で仕事を続けていますので外食の機会が多いのですが、出来るだけ家でのんびりと食事することを心掛けていると。かつて僕の名古屋のマンションに泊ってもらった時に、食事を僕が手際よく(?)準備したことをよく覚えていて、「料理を難しく考えていたが、あの時に目から鱗。(弟が出来るのであれば)自分でも出来そうだ、やってみようと思った。」と。褒めているのやら、弟に出来ることであれば自分でも出来ると思ったということなのか、やや複雑な気持ちはするのですが、とにかく、良い切っ掛けになったのであれば嬉しい限りです。

 

性格、モノの考え方は似ているとは思いませんが、兄も時間がある時には一人で料理を楽しんでいる由。そして最近は「ゴマ」に凝っていると。何かにつけゴマを入れる、かける、挙句の果ては、家で本を読んだり書類仕事をしている時に、ゴマをそのまま口にするとか。これには驚き。僕と全く同じことをしている!(ゴマをそのまま口に入れるというのは、口が寂しいから。ついつい、スナックに手が出ますが、その代わりにゴマ、という訳です)。

やれ、炒りゴマが良いとか、いや、消化を考えればすりゴマが良いのだとか、ゴマ談義。横で見ているカミさんは”面白い(変わった)兄弟だねえ”と呆れ顔の様子でありました。

 

ちなみに、「ゴマをする」というのは”すり鉢でゴマをするとすり鉢やすりこ木にすられたゴマがべったりとくっつく”=相手に媚び諂うことを言うようになった(かどや製油さんのHP)とか。僕の前の前の会社(=商社)では、直接、本人にゴマをするのは「直ゴマ」、その人に伝わることを狙って別な人にその人を褒めたたえることを「間ゴマ」と言い伝えられていました。「逆ゴマ」とか「裏ゴマ」という難しいワザもあるとのことでした。勿論、上に立つ人の自戒を促す言葉としてですが、イロイロな面白い意味を含んでいたのかも知れません。今日は昔のことをよく思い出します。

 

  

 昨年末、名古屋の隠れ家の近くにある千種図書館で本を借りました。年末年始は通常以上に長い期間、たくさんの本の貸し出しがOKとなっています。気楽に読める短編小説をたくさん借りました。まだ、冊数に余裕があったので最近、興味を持っている「玄米・玄米食」の本を探しました。結構、たくさんあるものです。

 

 

マクロビオティック」というのが元々は日本発祥の考え方であることを初めて認識しました。日本人(僕も含めて)は逆輸入されたモノ・考え方に影響をより強く受けるのかも知れません。確かに「玄米菜食」というより「マクロ・・」の方がナウい(死語ですねえ)かと。「身土不二」「陰陽調和」「一物全体」、四文字熟語はやや仰々しいですが、今読んでも面白い考え方だと思います。この考え方が提唱された当時は、消化が悪いこと、それから、調理・炊飯に時間とエネルギーコストがかかり過ぎることが問題点として指摘されていたそうですが、今や前者はそれが長所に変わり、後者は炊飯機器の発達で解決されていると思います。玄米・菜食のレシピもたくさん記載がありましたので、また、折に触れて作ってみようかと思っています。お弁当の写真の説明に記載しましたが、最近、隠れ家では白米50%、玄米49%、もち麦1%を楽しんでおります。これに納豆、しらすメカブを加え温泉たまごを乗せてとノリを刻んで混ぜて食べています。美味しいです。

 

年末、図書館からリュック一杯の本をしょいながら隠れ家に帰る途中、交差点でいつも何気なく通り過ぎているレストラン(=食堂のイメージが似合いそうなお店)の看板が目に入りました。なんと「マクロビオティック」と書いてある。”ありゃあ、面白い出会いやなあ、今まで、全く気が付かなったのに・・・”。入口を見ると、その食堂で料理教室が開催されていることが分かりました。野菜料理教室。”ほおっ、これも楽しい出会いであることよ”。月に2回の開催なので都合がつくのか不明なのですが、多分、参加してしまいそうに感じております。

 

 

昨年は充実した満足できる一年だったと思っています。今年も戦争の無い、平和で良い年でありますように。今年も一生懸命に生きていきたい。やりたいことを真面目に楽しみながらやっていきたい。そして、僕なりの三方良し=”自分良し、相手良し、そして、みんな良し”、感謝の気持ちを大切にしてやっていきたいと思っております。

 

 

東京都大田区にある「田園調布・多摩川浅間神社」。案内板のキャッチフレーズは「田園調布の古墳の丘の氏神様」。兄の自宅裏の丘に古墳群が点在しています。兄の散歩コースです。この神社のすぐ西側横に多摩川が流れており、昨年の台風・大雨の時にはやや上流の一部で決壊となってしまいました。長く住んでいる方々が誰も想像すら出来なかった状況であったとのことです。令和二年(2020年)1月2日、撮影。

 

 

オマケです。

「松竹梅」の梅のつぼみがはち切れそうです。今にも開花しそうな気配。隠れ家に置いたままで、年末年始の不在の時には「自動給水器」を設置して水不足にならないように注意しました。さて、これからはどう手入れしていけばよいものやら??。令和二年(2020年)1月9日、撮影。

 

  

令和元年、年末のご挨拶です

地元紹介です。神奈川県大和市の中央林間図書館。隣の駅は先日、紹介しました「南町田グランベリーパーク駅」ですが、反対側の隣の駅は東急田園都市線の終点「中央林間駅」です。小田急線の同じ駅もあります。駅構内に東急スクエアがあり一階は東急ストア、二階は専門店が入っています。そして三階に、この図書館があります。オープンなフロアでゆっくりと閲覧して本を読むことが出来ますし、手前側には「星乃珈琲店」があります。改めて大和市のHPを見ると「図書館城下町 大和市」と記載されていました。今まで余り利用していなかったのですが、勿体ないことをしていたかと。来年は是非、利用させて頂こうと思っています。2019年12月30日、撮影。

 

 

令和元年もあっというまに今日が最終日となりました。大晦日。今日の夜は、例年通りカミさんと二人で年越しそばを食べて、家でのんびりと紅白歌合戦を楽しむ予定です。

 

今年も無事に元気に一年間過ごすことが出来て良かったなあと話合っております。ご存知の通り本年4月からは、ある会社の顧問をやらせていただく傍ら、鯱城学園での学生生活を開始しました。両方とも予想以上に充実した時間を過ごすことが出来ており、有難い限りだと感謝しています。

新しい仲間との出会いもありました。この年齢になって新しい「仲間」と呼べる方々とのお付き合いが出来るようになるとは思いもしていなかっただけに、これも嬉しい限りです。その波及効果かとも思うのですが、今までに懇意にして頂いている方々とも更に懇親を深めることが出来ているように思います。友達、仲間の輪がチョコッとながらも広がりを見せてくれているようで一人喜んでおります。

 

 

12月29日、日曜日には、池袋のオオおばあちゃんを囲んで食事会をすることが出来ました。オオおばあちゃんはこの一か月ほどやや体調を崩しておりました。自宅の修理をやろうとしていて、業者の方が家に出入りするのに気を遣い過ぎたから。珍しく外出するのを億劫がるようになっている様子だと。

 

年寄りが今までの生活パターンを崩して家に籠りきりになるというのはロクなことが無いはず、カミさんと相談してやや強引に食事に誘いました。なかなか踏ん切りがつかない状態が続いていましたが、体調が少しは回復したこともあり、また、自分でも努力して外出しようと心掛けている気持ちがあり、実現することが出来ました。まあ、決め手は何と言っても曽孫パワーでしょう。子供に会うのも嬉しいが、孫に会うのはもっと嬉しい。曽孫となると想像出来ないほど嬉しいのではないかと思っています。

 

子供たち家族もそれぞれ忙しい年齢になっているので、なかなか、全員集合して食事する機会を持つことが難しくなっています。「オオおばあちゃんを囲む会」というのは格好のイベントになります。年末、押し迫った時ですが全員集合しての食事会を持つ日時を設定することが出来ました。

 

池袋駅の東口にあるよく使っている中華レストランです。偶々でしたが、今年の9月にオオおじいちゃんの13回忌の法要の時の食事会を催した同じ部屋を予約することが出来ていました。改めてオオおじいちゃんのことをみんなで偲ぶことも出来ました。

 

オオおばあちゃんからは曽孫たちに少し早いお年玉のプレゼント。曽孫たちも慣れたもので(?)、プレゼントをもらう時にはちゃんと「ありがとう(ございました)」とお礼を言って、両手でオオおばあちゃんと握手したり、背伸びしてハグしたり。オオおばあちゃん、感激の一場面です。

そして、曽孫四人勢ぞろいの写真パネルをオオおばあちゃんにプレゼント。タカトくんとサクトちゃんはタカトくん七五三の時の紋付き袴の晴れ姿、アラタくんは得意のストライダー(ペダル無し自転車)に乗っているヘルメット姿、小雪ちゃんは可愛いとしか言いようのないアイドルポーズ、それぞれの写真を編集して一枚のパネルに合体させたもの。この編集は長女(アラタくんの母親)の得意技です。印刷仕上げは専門店に頼んだもので、なかなか立派に出来上がっています。オオおばあちゃんも出来栄えに感心してくれていました。

 

カミさんが会を仕切って開会の挨拶と乾杯の発声をしてくれました。ビールとジュースで楽しくみんなで乾杯。最初はやや緊張していた曽孫たちも徐々に調子が出てきて、仲良く交流している様子です。それぞれの席でも楽しく会話が弾んでいる様子。一段落した様なので、前々日に密かに準備しておいたもの=僕のピアノ演奏を携帯電話に録画したものをオオおばあちゃんに聴いてもらいました。

ピアノの先生から「恥ずかしいかも知れないが、自分の演奏を録画して聴いてみるとすごく良い勉強になる」とアドバイスを頂き、挑戦したものです。3分24秒の大曲(僕にしたら)、久石譲さんの「summer」。録画するとそれだけで緊張してしまうものでなかなか最後まで弾き終えることが出来ないのですが、この時は集中を切らすことなく一応最後まで弾くことが出来ました(もちろん、途中で何度も間違えていますが)。

 

オオおばあちゃんは熱心に聴いてくれて褒めてくれました。相変わらず褒めて育てるのがお上手な方。そのやり方は熟知しているつもりなのですが、オオおばあちゃんの褒め上手振りに僕は天にも舞い上がるほどに嬉しく思いました。

“やったアっ!、5年間のレッスンの成果や”。

「次はホントに演奏しているのを聴きたいわ」と言ってくれたので、来年は、是非、我が家に足を運んでいただいて演奏会!?をしたいものだと思い込んでおります。

 

オオおばあちゃん、元気に長生きして頂戴ねー。僕たちも、カミさんも僕も、元気に楽しく生きていきたいと思ってます。隠れ家生活を楽しんでいられるのも二人ともに元気だから出来ることですからねえ。

 

 

皆さま、

今年1年、お付き合い頂きホントに有難うございました。良いお年をお迎えくださいますよう。まだ来年も続けようと思っておりますので、引き続き宜しくお付き合い頂ければ大変に嬉しいです。良いお年をお迎えください。

 

 

鯱城学園、令和元年最後の講座

 

正月飾りの「松竹梅」を作りました。鯱城学園・園芸科、令和元年の最後の授業です。隠れ家に持ち帰り、ピアノの椅子を台にして記念撮影。材料は、松、梅、笹、ヤブコウジ南天、そして、苔。富士石を三個、仕上げに寒水石を。正面は設定するのですが、どの方面から見ても鑑賞に堪えられるように配置するのが極意とか。2019年12月18日、制作と撮影。

 

 

令和元年も押し迫って来ました。忘年会=飲み会・反省会を繰り返すうちに残すところ10日を切ってきました。時間が経つのがホントに早いと感じます。今回は、鯱城学園の最後の講座の紹介です。例によって、僕の備忘録として記載しています。お付き合い下さい。

 

 

12月11日の共通講座です。お題は「踊りで体操してみよう」、講師は日本舞踊の西川流総師の西川右近さん。1939年生まれの80歳と自己紹介されましたが、和服で登壇されたお姿は背筋がピンと伸びて所作の一つひとつが美しい。さすが日本舞踊の家元をされた方と感心しました。講義は10時からですが、約一時間半のあいだ舞台中央に立ちっぱなし、携帯マイクを駆使して舞台を動きながらずーっとしゃべりっぱなし。「お話をするのが大好きである」とご本人もおっしゃっていましたが、落語家さんの間合いのような聴衆の気を逸らすことのない自然な楽しい語り口でした。最近、家元を息子さんに譲られ、ご自分は「総師」という偉そうな肩書を付けて楽しんでいると。

 

 

冒頭で、日野原さんと交流があったことを紹介されました。日野原さんが98歳の時とか。右近さんが鯱城ホールのような大きなホールで講演した時の話です。テーマは同じく「踊りで体操」。”日野原さんは自分(右近さん)のあとトリの講演を行う予定と聞いていたが、気が付くと舞台の裾でずっと自分の講演を熱心に聞いている。そして予定には全く無かったが、体操の実技の時にはとうとう舞台に登場してもらって、一緒に最後まで「踊りで体操」をこなして頂いた。当時、自分もすでに70歳を超えていたが日野原さんのお元気振りに大変な刺激を受けた、三年先のスケジュールを作られていたことにも大変な刺激を受けた”とのことでした。日野原さんフアンの僕としては、久しぶりに日野原さんがお元気に活躍されていた様子をお聞きして何やら懐かしい思いがしました。

 

 

講義のメインテーマは「踊りで体操」なのですが、その前に介護の話をされました。右近さんは奥さまを亡くされていますが、9年間、在宅で奥さまを介護されたそうです。最愛の奥さまに学んだことは、上手に介護を受けることがいかに大切なことか。巷では介護をする側の心構え等々はよく書かれているが、介護を受ける側のことを書いたものが無い。”介護されていて楽しい、気持ちが良い”ということを奥さまは素直に右近さんに伝えてくれたそうです。寝たままではあるが介護を受けて喜んでくれている奥さまの笑顔で自分の疲れが全てとれた、とおっしゃっていました。壇上から鯱城学園生に対して「皆さんも介護を受けることになるのは時間の問題でしょうから、くれぐれも介護され上手になって下さいねえ!」とエールを送って頂きました。場内の聴衆者からはやんやの喝采、一部は涙して聞いていた人もいたように思います。

 

 

メインテーマの「踊りで体操してみよう」ですが、中京大学名誉教授の湯浅景元さんとの共同研究で「NOSS」を考案、普及活動に勤めておられます。NOSSとは「日本おどりスポーツサイエンス」の略だそうです(こういう洒落っ気のある略語は、僕は好きなほうです)。詳細は割愛しますが、日本舞踊の動きはとにかく非常に体に良い(これは太極拳のゆったりとした動きにも通じるのではと思います、素人の意見ですが)。

講演の最後はとにかく笑顔を忘れるな!で締めくくりです。隣の人と二人一組になり、それぞれが指でほっぺを抑えて横を向き顔を見合わせて「イチ、二イ、サンでニコ(⌒∇⌒)っ」と。確かにこれは笑うしかないですね。どんな時でも笑顔を絶やすな、肝に銘じておきたいと思いました(すぐに忘れそうですが)。口喧嘩をしない極意かも知れませんね。

 

 

この日の弁当です。精米50%、玄米49%、もち麦1%のご飯=のり弁の上に、カボチャとツナの炒め煮、ネギと卵のパラパラ焼きのっけ。おかずは、ニンジンのキンピラ、冬瓜と挽き肉の炒め煮、カブの炒め煮、キュウリと豆のサラダ。カキ一個、カブの浅漬け。ニンジンとカブは農園で収穫したもの(間引いたもの)です。簡単に出来る野菜料理尽くしでした。2019年12月11日、撮影。

 

 

そして、12月18日。いよいよ令和元年の最後の講座です。この日は、共通講座と専門講座がありますが、園芸科の専門講座では、正月飾りの「松竹梅」を制作します。ワクワクしながら授業を迎えました。いつも以上に、出席者が多いように思いました。その前に共通講座です。この日のお題は「高齢社会と成年後見制度について」。講師は名古屋市社会福祉協議会成年後見あんしんセンター所長の伊藤秀司さん。年末、最後の講義に随分と硬いテーマを持ってきたもんだとあきれるほど感心してしまいました。

 

 

期待通り難しいテーマです。メゲズに要約を続けますと、

●まず、成年後見制度とは「判断能力の不十分な方々を保護、支援する制度」です。認知症、知的障害、精神障害等々で判断能力の不十分な方々を対象に、財産管理、介護・サービス施設への入所契約等々を援助したり、悪徳商法の被害等々に合わないように保護し、支援するもの。超高齢社会になり、かつ核家族化・地域の人間関係の希薄化が進み、そして消費者被害や虐待が増加していることがこの制度の背景にあります。

●制度は二つの体系に分かれます。

①法定後見制度と②任意後見制度があります。

②任意後見制度というのは、砕いて言えば、まだ本人がしっかりしているうちに、将来、判断能力が不十分な時に備えて、あらかじめ自分で選んだ代理人に代理権を与える契約=任意後見契約を公証人の公正証書によって結んでおくもの。

①の法定後見制度が本来の必要性からの制度(だと思います)。こちらは、本人だけでなく配偶者等の親族、検察官などが申請(”申し立て”と言うそうです)することが出来ます。住んで居るところの家庭裁判所に申請します。本人の判断能力の程度に応じて、成年後見人、保佐人、補助人が選任されます。成年後見人等は、本人に代わって財産管理、身上監護を行うことになります。身上監護というのは、本人の生活・健康に配慮して安心した生活が送れるように契約等をすることで、直接の介護や看護をすることではありません。後見人、保佐人、補助人それぞれで与えられる権限、責務が規定されており、報酬は家庭裁判所が決定することになります。・・・等々の詳しい説明が続きました。講師の方も堅いテーマであると十分にご認識されているようで、途中で「コグニサイズ」を挟まれました。

 

 

「コグニサイズ」、話には聞いていましたが、実際にやるのは初めて。最初は簡単な動きです。足踏みする→足踏みして、同時に、声を出して1から20まで数える。→同じ動作を続けながら、3の倍数の時に手を叩く。→この動作を続けながら、3の倍数で手を叩く時に声を出さない。・・・この辺りになるとかなり難しい状況になっています。出来そうで出来ないものです。更にさらに、4の倍数でも同じことをする。そして最後は、3と4の倍数の両方で同じことをする。・・・これは出来ませんでした。口を閉ざせば足踏みも止まる。ないしは手を叩くことが出来ない。回りを見ると結構スムーズに対応されている方がいらっしゃいました。普段からされているような様子、何事も訓練なのかと感心しました。

 

 

講師の方にはやや申し訳ないですが、結局、こちらの方が印象に残った講義でした。コグニサイズに励んで、後見制度を利用しないでも大丈夫な生活を続けたいものだと思いました。

追:家に帰って一人でやってみたのですが、3と4の両方で行うのはかなりの訓練が必要に思います。これを継続すると確かに良い刺激を受けるものだと思いました。是非、お試し下さいませ。 

 

 

令和元年、最後のお弁当です。フライ、から揚げは店やモンです。おかずに野菜系をたくさん入れました。買ってきた総菜を利用することも含め、あまり身構えなくとも弁当を準備することが出来るようになったような。一年間の大進歩と自画自賛しております。2019年12月18日、撮影。

 

 

この日は「松竹梅」の制作をして本年最後の授業が終了。園芸科4班有志で、打ち上げをしました。宴会幹事が場所をチェック、近くで既に開店している居酒屋を見つけてくれました。「松竹梅」を持ち帰るので荷物が大変ではありましたが、授業に出席していた8人全員が参加。楽しく歓談できました。この学園に入学して以降のお友達、一年弱のお付き合いでこれ程の盛り上がりが出来ることになるとは期待以上の展開であると皆さん、口を揃えて喜んでおりました。新しい出会いがあるのはホントに良いことであるなあ、と大変うれしく思いました。

 

 

おまけ、です。 

打ち上げの日の週末に最後の農園実習があったのですが、都合悪く参加出来ず。「年末までには収穫を完了させておく方が良い作物がある」とのアドバイスを受け、翌週に一人で収穫に行きました。カブは一株だけを残して全部収穫、ニンジンは半分残して収穫、ダイコンは試しに二本収穫。ジャガイモは予定していなかったのですが、班長さんや他の方の畑を見ると収穫されていたので、掘り返してみました。”おおっ、これはジャガイモであったのか”。恥ずかしい話ですが、何も分からずに掘り返したらジャガイモが出てきたというのも感激するものです。2019年12月23日、撮影。

収穫した野菜は、その日に飲む約束をしていたきっちゃん、翌日のピアノレッスンで先生にチョコっとづつお裾分けしました。喜んで受け取ってくれる人がいるというのも嬉しいものです。

「食の起源」と「雑食動物のジレンマ」

東急田園都市線の南町田グランベリーパーク駅です。駅のホームでスヌーピーがお出迎えしてくれています。前回、ク「リス」マスの写真が評判良かったようなので、二回目の紹介です。カミさんと再度の訪問。今回はシーフード・レストランに行きました。美味しかったです。ちなみに、パーク内には「スヌーピーミュージアム」があり、12月14日にオープン予定となっています。アメリカ、サンフランシスコの本家以外では、世界で一つだけの公式サテライト=分館とのことです。 2019年12月9日、撮影。

  

 

NHKの番組「食の起源」シリーズを見ました。第一回は、ご飯・米です。この番組のことは偶然に、TOKIOの太一君に教えてもらいました。太一君は「男子ご飯」で栗原心平ちゃんと共演しています。心平ちゃんのお料理と二人の丁々発止の掛け合いが面白く録画してみています。40歳過ぎた男の子を君付けは失礼かと思っていますが、清潔感あふれる好青年(に見える)。彼が「チコちゃんに叱られる」に出場して、冒頭でいきなり正解しました。お馴染みになった「つまんないやつだなあ!」と言われたのですが、直ぐ後に「食の起源」の一部が紹介され、それに出演していた太一君がチコちゃんの質問と同じ内容の話を聞いて驚いているシーンが映されました。岡村(なぜか呼び捨てです)も感心してうなずくほど、NHKも面白い番組予告紹介をするもんだと感心しました。もともと大変に関心の高いテーマだったで録画も準備して放送を見ました。

 

 

アナウンサーとTOKIOのメンバーが進行役、女優さんと大学教授がコメンテーター。現在の我々は何をどう食べればよいのか?という難しい命題に対して、生命・人類の40億年の進化を通してその答えを模索しようとするもの。そして、その模索の結果として、ご飯・お米=糖質の重要性を改めてアピールするものでした。

 

●32億年前の地球、植物プランクトン光合成で酸素と糖を作るようになった。そして糖を食べてエネルギーを生み出す微生物が現れた。自分では糖を食べられない単細胞生物がその微生物ごとまるごと体内に取り込んだ。その結果、20億年前から生物は糖からエネルギーを取り込むことが出来ている。今でも細胞の中にあるミトコンドリアはこの名残である。

● 700万年前の人類の祖先、弱小の生物であり、捕食して肉を食べることが出来る力はなかった。細々とナマの木の実、地下茎を食べていた。200万年前に「火」を使うようになり木の実を焼いて食べた。デンプンがブドウ糖に変化し、祖先は「甘い!という食の喜び」を知るところとなった。ブドウ糖は脳を刺激、神経細胞が成長=脳が成長、巨大化することにより祖先は道具を使い、仲間との結束・連携が出来るようになった。

●1万年前、農耕の始まり。3000年前、日本でもコメを栽培するようになった。

 

この番組がアピールしている点は、でんぷん=糖質は人類がずっと取り続けているものであり、コメは、でんぷん豊富であるだけでなく、その隙間にはたんぱく質、更に植物繊維・ビタミン・ミネラルまでを含む栄養源として優れたものであるということ。

また、シモンズ大学の教授、コメンテーター役の慶応大学医学部の教授さんが「昨今の低糖質ダイエットは半年から一年程度の期間は効果はあろうが、健康な人が続けると栄養のバランスが崩れてしまい、動脈硬化、ガン、脳梗塞のリスクを高めることにもなりかねない」と警鐘を鳴らされていました。

そして、番組としての結論=最適な摂取バランスは糖質を50~55%程度、毎食時に、ごはん一杯程度を取るのが良い!というものでありました。

 

 

 「ご飯は最高の健康食」vs「糖質オフ!健康法」で記載した通り、この問題は僕とドラゴン先生の間では永遠とも言えるテーマなのですが、この番組の内容は僕にとっては正に我が意を得たり! のものでありました。

 

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早速、ドラゴン先生にメールを送りました。すぐに反応があり。予想通り、ちゃんと番組を観ておられました。そして「以前からこういう見方はあります。目新しい話ではありません。また、次回にゆっくりと議論しましょう」と。まったく動ぜず、ガンコというか、とにかく軸がブレないお方です。あまりに動じない姿勢に逆に関心するほどでした。

 

 

話がちょっと脇道に逸れますが、この放送の前後、たまたま図書館でマイケル・ポーランの「雑食動物のジレンマ」(ハードカバーの上下二冊モノ。東洋経済、2009年11月第一刷発行)を見つけて読んでいるところでした。本の前書きに「2002年当時、NYタイムズマガジンの記事が切っ掛けになり、全米が炭水化物恐怖症に陥っている。何を食べればよいのか訳が分からなくなっていることが、この本を書く切っ掛けになった」と記述されていました。

”これは面白そう!”。

著者のマイケル・ポーランは1955年生まれ、UCLA教授、ジャーナリスト。人間と自然が交わる世界を描き続けている方。以前「COOKED:人間は料理をする、上・下」を大変に興味深く読んだことを思い出しました。こちらの続編かと一瞬思いましたが、順序は逆でした。「COOKED」は2014年3月初版第一刷発行。以前のブログでも記載したことがありますが改めて埋め込んでおきます。

 

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2002年当時、アメリカで炭水化物恐怖症的な観点から”何を食べればよいのか?!”ということが社会問題になっていたのは、僕自身は余りピンと来ていませんでした。NHKの食の起源が「進化」にその答えを求めようとしたのに対して、マイケルさんは”いったいアメリカ人は何を食べているのか(食べさせられているのか)、食物連鎖を大地から食卓まで追跡しよう、自分の目で確かめてみよう、自分自身で体験してみよう”とアプローチしたわけです。マイケルさんは「COOKED」でもそうですが、とにかく自分で動いて感じることを大切にしています。タイトルの「雑食動物」というのは、もちろん人間のことを言っているわけですが、現代の雑食動物アメリカ人の食事を三つのジャンルに括ってそれぞれの切り口から追跡をしています。三つのジャンルは象徴的な意味も込めて、①トウモロコシ、②牧草、③狩猟・採集、という括りからなっています。

 

①トウモロコシは、農業の工業化のシンボルとして、化石燃料依存の農業の象徴として取り上げられています。本来、多様性そのものである農業が産業資本と市場のニーズ(と思われるもの)により大規模単作農業に変化した。化学肥料・農薬が投入され反芻動物の胃の機能が変化、抗生物質が投与されることに。そして残酷とも言える加工処理工場。「大地と食卓の結びつきがなくなり、食体系が工業的な生産ラインで管理されるようになってしまった。人間の活動が引き起こした温室効果ガスの1/3は工業的農業に起因している」と大変に厳しい指摘です。

僕は若いころアメリカからの大豆・トウモロコシ等々の食糧の取り扱いをやっていました。アメリカ農業の力強さ、素晴らしさを感じている側の人間なので、やや一方的すぎる見方ではなかろうかと感じてしまうところが多々ありましたが、マイケル流の自分自身で現地に足を運び、体験したことをベースにレポートしている姿勢は(自分の体験に基づく局部的な見方に陥りやすいとの批判も勿論あるようですが)大変に説得力のあるものだと思います。

②牧草は、農業の多様性の象徴として捉えられています。土壌が劣化しない、肥沃さを維持する食物連鎖の基盤であると。本来のオーガニックの原点と位置付けているのですが、マイケルさんも取材を進めるにつれて、本来のオーガニックと別に「工業的なオーガニック」が増加していることを気づいてしまい、オーガニックをわざわざ「当たり前のオーガニック」と「工業的オーガニック」とに二分類せざるを得ないほど。ここでも厳しいながらもフェアーな記載がされています。

③狩猟・採集は、これぞマイケル流の極致かと。昔むかしの食生活を自分で体験してみることを時間をかけてやっています。

 

アメリカにはそもそも食文化が存在したことが無いのかも知れない。人間と食の関係を管理する文化の力、それが弱くなるに従って人間の食生活は苦しみを増すようだ」。自分の意見を押し付けるような記述ではなく、自分で実践して確認しようとしていることを順序だてて記載することで、読者の我々が忘れかけている(かもしれない)自然の多様性の大切さ、豊かさを分かって欲しいと言っているようです。

 

 

NHKの番組「食の起源」は、この後二回目が「塩」さらに「脂」「酒」「美食」と続くそうです。面白い番組だと楽しみにしているのですが・・・。ドラゴン先生の全く軸のぶれない反応と、タマタマ同時期に読んでいたマイケルさんのスタンスを考えると、この一回目の番組の内容は、やや決めつけ過ぎではなかろうかと感じるようになりました。僕自身の受け止め方としてほぼ100%賛成!なのですが、公共放送を標榜しているNHKが自局の番組で、”最適な摂取バランスは糖質を50~55%程度、毎食時に、ごはん一杯程度を取るのが良い!”なんてことを番組の結論として言い切っているのは、いかがなものなのかしらと。穿ち過ぎの見方かと思いますが、何やら上から目線でモノを教え込んでそれに従わさせようとしているような、視聴していて居心地の悪さを感じるようになりました。

 

 

その後、間を置くことなくドラゴン先生とモッタさんの三人で会食(僕たちはいつも「反省会」と称しております)の機会を持ちました。モッタさんからは席につくなり「モッタです」と挨拶がありました。”あら、読んでいてくれたの”、嬉しいやら恥ずかしいやら、感謝、感謝です。豊田市美術館を紹介頂いたお礼をお伝えしました。それぞれ近況報告のあと、自然とこの番組のことが話題に。

モッタさんはその筋のプロの方ですから、お立場上からも注意深く言葉を選んでのコメントですが「番組のなかで”モノを断定して言い切る”と視聴者に強いインパクトを与えることが出来る。一方、異なる意見・考え方がある場合の公平性をどう担保するか、また番組の品格の観点からは、断定するには十二分の確証が求められる」ことを指摘されていました。ドラゴン先生は相変わらず泰然自若「世の中イロイロな意見があって、イロイロな事を言う人がいますからねえ」と全く意に介さずのスタンス。

”ちがいまっせ、僕の言うてるのは番組のスタンスの話です。内容的には賛成なんですよ。そろそろ「糖質制限食事法」を緩めたらどうでっか!”。

 

僕の思いを知ってか知らずか最近のドラゴン先生は糖質オフから一歩”改心”されたようで、糖質控えめ食事法に転向されているような気配になってきています。「最近、自分ではカロリーベースで20%程度の糖質バランスが良かろうと思っている」との見解。なるほど、彦根のチャンポンは完食であったし、この日の〆の美味しい一口親子丼(ホントに極少量です)も素直に美味しそうに食べておられました(註:この日は名古屋で有名な鳥鍋のお店=安くて旨い店で反省会をしておりました)。僕はご存じの通りご飯大好き人間ですが、自分なりにはなんとか40-50%程度に抑えたいと思っています(どれくらい抑えたらこの比率になるのか細かいことは全く分かっておらず、いつも、ついつい食べ過ぎになっていると思っていますが)。ここに来て、ご飯大好き人間と糖質制限先生の両者の乖離幅はその差20-30%程度に収斂しようとしつつあるようです。お二人の懐の深さを学びつつ、次回の「食の起源」を楽しみたいと思っています。

 

  

  

「ぴあの会」に参加しました。僕のピアノの先生の大学の先輩になる方のピアノの演奏会です。ご自宅の居間に10人程度のゲストを迎えて定期的に演奏会をされています。ワインを頂きながら、写真のおしのぎを頂きながら演奏を聴かせて頂けます。ピアノのお皿の飾りつけもおしのぎもプログラムの作成も全てご自身の手作り。手作りのピアノ演奏会。この日は優しいダンナさんもお仕事オフでご在宅。ホスト役をやっておられました。演奏会の終了後はモチロン皆さんご一緒に打ち上げ飲み会をしました。2019年12月15日、撮影。

(追)このピアノ会のことを反省会でドラゴン先生とモッタさんに話をしたのですが、お二人からは予想以上にビビッドな反応。お二人の音楽の造詣の深さを思い知らされビックリ仰天しました。また機会があれば記載したいと思います。

 

 

令和元年12月

久しぶりに名古屋能楽堂に能を観に行きました。曲は「卒塔婆小町」。作者は観阿弥と言われており、老女物の狂女物(四番目物)です。宝生流シテ方、衣斐正宜(いびまさよし)さんの舞台生活65年記念能として12月7日に「卒塔婆小町を観る会」で上演されました。「能楽者となった者、いつかは舞いたいと思うほどの魅力のある奥深い曲」とごあいさつに記載されていました。至難の大曲だそうです。

梅原さんの「梅原猛の授業・能を観る」を読み返していたら、第二章(第二時限)に登場している曲で、観阿弥の最も優れた作品と紹介されていました。梅原さんの授業が面白いので、一度、観てみたいと思っていたのですが、タマタマこの記念公演があることに気づいて足を運びました。

仕舞「岩船」と能「卒塔婆小町」で二時間たっぷり、大変な大曲です。解説講演をされた作家・国文学者の林望さんの話では「観阿弥のオリジナルはもっと長ーい作品であったものを、子の世阿弥が今の形に切り詰めた」とか。能はもう少し勉強してみたいなあと思っていますが、大曲・大作を鑑賞するのには体力が必要なことを痛感します。

拙い知識ですが、宝生流は「謡宝生」と言われるシテ方流儀で、さすがに重厚な謡と舞であったと思います。機会があれば「能」についてはまた書いてみたいと思っています。

写真は、前日に切符を受け取りに行ったのですが、その日が舞台施設公開日であったので中に入らせてもらい誰もいない能舞台を撮影したものです。2019年12月6日、撮影。

 

 

あっという間に12月。今年も、早くもカレンダーが残り一枚になりました。イロイロなことがあった年だと感じます。世の中の先生と呼ばれる方々が、あちこちで走り回っている月になりました。日本には「秋」という季節はもう死語になったかと思わせるような急な冷え込みかたです。身体が寒暖の変化に追いついていかないような気がします。皆さま、くれぐれもご自愛のほど。

 

 

今回もまた、鯱城学園の共通講座、二題です。文化祭のあとの11月の共通講座の二回分です。書き続けていると中断させるのが何やら縁起が悪いような、しっくりとこない気分になるので記載を続けることにしました。僕の備忘録として書いています、お付き合いください。12月にあと二回、共通講座があり、そのあと冬休みになります。

 

 

2019年11月20日の共通講座『運動で頭もからだも元気』、講師は東海学園大学 島岡清先生。鯱城学園の共通講座の鉄板テーマです。

 

運動をしないことが生活習慣病リスクを大変に高めることを丁寧に説明して頂きました。そして、歩くことの大切さ=歩行能力を維持することの大切さを力説され、最後は「どこでもできる簡単な運動」を舞台の上で実際にやって頂けました。先生は72歳とのことですが、その動きの軽やかなこと。驚きです。

 

2019年9月の時点で日本の65歳以上の高齢者数は 35.9百万人。総人口の 28.4%を占めるそうです。男女別には、女性は全人口のうち 31.3%が高齢者、実に約三人に一人が高齢者になっています。男性は同じく 25.4%、約四人に一人が高齢者です。以前から言われていることですが、改めて指摘されると”なるほど、街を歩いていても地下鉄に乗っていても「年寄り」が多く目につくのは当然のことなんや”と実感させられます(自分のことを棚に上げての感覚で申し訳ありません)。

 

そして、最近の厚労省の調査「国民生活基礎調査・2016年」を基に要介護の主要原因についての説明がありました。今まで『脳卒中』が介護保険制度が始まって以来(2000年(平成12年)にスタート)ずっと主要原因の第一位をしめていたものが、最近では、『認知症』が一位となっているそうです。

 

要介護のうち、要支援1~2レベル(比較的軽度なレベル)では主要要因は運動器の障害ないし機能低下であり、要介護1~5(比較的重度なレベル)では認知症が圧倒的に多いそうです。運動と認知機能との関係が強くあることを説明して頂き、高齢者の健康づくりには「ロコモ予防」が重要であることを説明されました。

 

ロコモティブシンドローム(略してロコモ)=運動器症候群。関節・骨・筋肉等の運動器が衰える結果、要支援・要介護になる危険性が高い状態のことで、その予防には運動器の機能向上のためのトレーニングが必要だということです。

 

運動の効用として最近、分かってきたことです。①運動は脳の血流量を増加させる(加齢に伴い低下することをカバーできる)。②運動(特に有酸素性運動)は海馬の容積を維持あるいは増加させる(海馬は記憶・学習との相関が高い)。③運動はアルツハイマー病の発症を抑制する。④更に、最近の研究では筋肉を鍛えることで認知機能が向上する可能性があることも分かってきていると。

 

ということで、高齢者の認知症予防のためには、ウオーキングなどの有酸素運動が重要であり、更に最近では複合的な運動(これは「コグニサイズ」と言われているそうです)が効果的であると。

また、歩行能力の低下が認知機能の低下や認知症発症の危険と関連があることが分かってきているそうですが、特に、歩行速度が低下することが危険信号とのことです。

 

という訳で「どこでもできる簡単な運動」を紹介して頂きました。歩行能力ですが、いくつになってもトレーニングを続ければ筋量は増やすことが出来るそうです。大腿四頭筋、大腰筋を衰えさせないようにイメージしてトレーニングを続けることが大切とか。

 

紹介された運動の例と注意事項を記載しておきます。

1.足(くるぶしから下)の運動=足裏の筋肉を鍛え、偏平足・外反母趾を予防する。

①足の指を使ったグー・チョキ・パー体操。②足の指を使ってタオル・てぬぐいを引き寄せる。

2.足首を使う運動=血流を良くする。脛とふくらはぎの筋肉を鍛える。

①つま先を伸ばしたり引きつけたりする。②つま先、かかとを回す、ワイパー上に動かす。③かかとを床につけて、つま先を高く上げる(一回5秒程度)。④つま先立ち。

3.膝関節、股関節まわりの運動

①(座って)膝伸ばし(足首に1㎏の重りをつけると効果的)。②膝にボールを挟んで締め付ける。③もも上げ。④椅子から立ったり座ったり(ハーフスクワット)、ゆっくりと。⑤横臥位で、上側の足を数十センチ持ち上げる。⑥仰臥位で膝を90度曲げお尻を持ち上げる(肩、腰、かかとが一直線)。

4.ウオーキングのバリエーション=筋力、バランスを鍛える。

①大股歩き(目いっぱい「大股」で)。②横歩き(同じく、目いっぱい「大股」で)。③小股歩き(足あとが繋がるほど狭めて)。④チェアウオーキング

注意事項:①力を入れる時は数を数えながら、息まない様に注意。②全力は出さない。7~8割程度の力で。③痛みを感じる時は止める。痛くない範囲で行う。④原則1セット10回、余裕があれば3セット行う。一度に行えない場合は、何回かに分けてやれば良い(総回数が大切だそうです。分けてやれば良いと指導されると随分と気持ちが楽になりますね)。

 

4-①の大股歩き、というのは単に大股で歩くのではありません。後ろの足を動かさずに目いっぱいに片方の足を前に出す。重心は極めて低くなり、後ろ脚の膝は地面を擦るくらいに。「歩くスクワット」と表現されていました。街のなかでは出来ません。回りの人がビックリします。舞台で実演されましたが、軽やかな動きでした。後日、公園でやってみましたが大変に負荷がかかる運動です。最初は、まっすぐにバランスを取って進んでいくこと自体が難しいほどでした。お試し下さい(無理をしない程度に)。

 

今更ながら、故日野原さんが歩くことを大切にされていたことを思い出しました。講義でも、階段の二段歩きは大腿四頭筋の強化にお薦めとのことでした。日野原さん、エライ!。

 

 

続いて、2019年11月27日の共通講座『ボランティア活動と地域社会づくり』。講師は、地域ボランテイアグループ「かがやき」代表の近藤京子さん。女性ですがご自分で年齢を開示されました。75歳。当然、とてもそんなお歳には見えません。名古屋市瑞穂区を中心に、すでに30年近くボランテイア活動を継続されている方です。自己紹介の後「ボランティアってなに?」という切り口からお話を始められました。

 

「ボランティア活動とは、『自発性』を軸にする活動とのことです。自己犠牲、献身ということではありません。何よりも他者からの命令や強制ではなく、自ら進んで自分の持てる力を他者や社会の為に役立てていく活動」と説明されていました。近藤さんが肝に銘じているのは①私がやりたくてやる活動=自発性、②誰かの役に立つ活動=社会性、③経済的な見返りを期待しない活動=無償性、と考えていらっしゃると。立派な心構えだと感心しました。

 

 「(ボランテイア活動には)誰かを支える喜びがあり、そして、いつかはこんな風に支えて貰いたいという側面があるように思う」と 素直にお話をされているのが印象的でした。電話育児相談員の活動、その後「手話」通訳者育成講習会に参加したお話、さらに、地域に根差した活動、孤立している高齢者に対する活動を紹介された後、最近は「ひたすら相手の話を聴く不思議なボランテイア活動『傾聴』」のお話をされました。これはマジに傾聴に値します。『傾聴』とは「自分の口をとざす芸術」だそうです。相手を尊重するルールがあるそうです。曰く「アドバイスをしない、説教しない、結論を出さない、自分の考えを押し付けない」。その為に大切なことがあると、曰く「笑顔で接する、うなづく、前かがみで対応する、あいづちを打つ、否定言葉は使わない、そして、最後まで聞く」こと。これはなかなか出来ることでは無さそうに思います。ボランテイア活動で無くても、普段の、日常の生活でも必要なスタンスであろうと大変な反省材料に聞こえました。

 

素晴らしい講義で、ボランテイア活動、特に『傾聴』には目から鱗の思いでした。ただし、講義の最後のほうで、家事はボランティア活動か、というテーマでお話され「家事も立派なボランテイア活動ですよ」とおっしゃった(と理解した)のですが、これはシャレでおっしゃったことなのかよく分かりませんでした。根本的に意味合いが違うように思うのですが、いかがなものですかね。

 

 

 僕の神奈川の家の近くのショッピングセンター=大型商業施設が11月中旬にオープンしました。「南町田グランベリーパーク」。隣の駅なので散歩がてらカミさんと一緒に晩御飯を食べに出かけました。東急グループが二年間かけて再開発した施設。230以上のお店があると。アウトレット、飲食、それから、アウトドア関連に特色があるらしいです。お値打ちの食事処を見つけて、子供たち家族と一緒に行きたいものです。すでにクリスマスシーズンの飾り付けがされており、土曜日であったからか大変な人だかりでした。 2019年11月30日、撮影。