クルルのおじさん 料理を楽しむ

今年も半分過ぎました

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名古屋市千種区、千種図書館です。大変にお世話になっています。今日も三冊返却して、また、三冊借りました。後ろには東山植物園が広がっています。僕の散歩コースの一つです。2021年7月3日、撮影。

 

 

7月になりました。今年も半分、終わったことになります。6月20日に緊急事態は(沖縄を除く9都道府県で)解除され、21日からは東京や大阪などの7都道府県で「まん延防止等重点措置」が適用されてます。7月11日までです。僕は愛知と神奈川を生活のベースにしていますが両方とも仲良く?適用範囲になっています。6月21日からはワクチンの職場接種も本格的に始まりました。現役世代への接種が加速することが期待されています。高齢者の一回接種終了が5割に迫っているとか、2回完了した人は1千万人を超えたとか、ここに来てスピードアップされていることの報道が目立つようになったと感じます。案の定、世論調査での内閣支持率は素直に上昇したようです。

 

一安心?も束の間、今朝(7月3日)のニュースでは、首都圏での新規感染が増加傾向にあること、感染者は20歳代が一番多くなっていること等々から専門家が「一都三県では第5波の入口に来ている」と厳しく注意するコメントをしていました。ワクチンの継続供給にも支障が出ていて、接種スピードアップの決め手になりそうであった企業での職場接種の新規受付は6月25日から一時休止、今朝のニュースでは一部自治体でも新規予約の受付を一時停止せざるを得ない状況であることが報じられていました。

 

感染力の強いインド型(デルタ株)の比率が急上昇している中での東京オリンピックパラリンピックの開催が迫ってきました。海外からの選手団の来日も増加しています。「平和の祭典」が「コロナのまん延」に繋がらないことを祈りたい気分です。

 

 

相変わらず、千種図書館にお世話になっています。最近読んだ本です。

鶴見俊輔伝』、新潮社、2018年12月第二刷。著者は黒川創さん、1961年生まれ。お父さんが京都べ平連・事務局長をされていた方で、ご本人も「思想の科学編集委員の方です。

図書館の書架で目に入ったので”神谷美恵子さん繋がり”で読んでみました。鶴見俊輔神谷美恵子さんとの思い出・追憶を書いたモノは読んでいました(「神谷美恵子の世界」みすず書房編集部編)。いわく「神谷美恵子は聖者である」と。その中にも記載されていましたが、1938年の夏、アメリカ留学の時に現地で彼女と会ったこと(この時は前田美恵子さんですね。俊輔は16歳で日本では全くの不良学生であった由)。その時の美恵子さんの印象がそれはそれは強いものであったそうです。美恵子さんは俊輔がまだ若いグレていたころに影響を与えた一人であったように感じます。その後、1960年の日米安保の年、俊輔が発起人になって「アイゼンハワー米大統領の訪日は適切でない」という声明をアメリカ留学生グループ12人の連名で出したこと、その中に神谷宣郎、美恵子夫妻も加わってくれたこと等々もこの『伝』の中に記載がありました。

 

鶴見俊輔は1922年生まれ、美恵子さんよりも7歳年少。お互いの父親が一高~東大の同級生で盟友とも言える関係であったそうです。俊輔の母親の父は後藤新平。”超ブルジョアの家に育った人”です。若いころはその家柄への反発もあり不良じみた生活をしていた由。戦後は1945年には、26歳で最年少の京都大学助教授に就任。「思想の科学」を創刊し編集・執筆、1965年代には「べ平連」(ベトナムに平和を!市民・文化団体連合)を立ち上げた。「べ平連」、小田実、なんて今の若い人はご存知ないですかね?。

 

美恵子さん繋がりで面白い発見です(興味ない方には全く面白くも何とも無いとは思いますが)。俊輔はアメリカではハーバード大学プラグマティズムの哲学を学びますが、1941年12月に日米開戦。戦況の悪化に伴い1942年6月に交換船で帰国することに。この時期、俊輔は所謂卒論を書いていたのですが、3月にFBIに連行され留置場での拘留生活をしていたそうです。卒論は留置場でのトイレで作成を続けたと。交換船には日本の大使、公使等々、社会的身分の高い階層から俊輔のような留学生までが乗船。船内では社会階層別に部屋割りがなされていたそうです。美恵子さんの父親(前田多門)もこの船に乗っているのですが、当然、大使クラスの方と同じ最上級の部屋に。俊輔は最下層の第六階級の部屋に入れられたそうです。同じ階層の部屋には後に美恵子さんのダンナになる神谷宣郎氏もいたと。また、ハーバー大で大変に世話になり影響を受けた都留重人ご夫妻もこの船に乗っていたそうです。都留重人さんというと僕らの世代では「サムエルソン・経済学」でお世話になった先生ですが、俊輔の10歳年長さんでありました。俊輔にプラグマティズムの研究をするようにアドバイスをしたのが都留さん、また、卒論が認められ学位授与が決まったことを伝えてくれた(交換船のなかで)のも都留さんであったそうです。帰国後の「思想の科学」の立ち上げの際にも「都留重人の教えに負うところが大きい」と俊輔自身がコメントしています。

 

ハンセン病との関わりについてもたくさんの記載がありました。そのうちのいくつか。「思想の科学」の繋がりから、詩人、大江満男さんと付き合うことに。大江さんの家に全国の療養所から寄せられていた詩稿を「ハンセン氏病者の歌」として雑誌「芽」に掲載(この雑誌は第二次「思想の科学」に相当するモノ)。この時、俊輔はそれぞれの詩の作者に「芽」に掲載することの承諾を求める手紙を書いた。多くの方との文通がなされたそうです。これが切っ掛けで長島愛生園の志樹逸馬さん(詩人、文筆家)との交流も始まり園内誌である「愛生」に関わるように。同園での「文芸祭」に掲載する選考作業を足かけ15年間も続けたそうです。エライですね。志樹逸馬さんは「思想の科学」の研究会員でもあったと。1959年に42歳で死去。

俊輔が結婚するのは1960年ですが、その新婚旅行に長島愛生園を訪問したそうです。志樹逸馬さんの奥さんはまだ島で生活されておられた。逸馬さんのお墓参りをして在園者の皆さんたちも二人を待ち受けてくれていたそうです。

俊輔はこの後、鬱病に苦しむことになりますが、前述の通り、1965年には「べ平連」の活動も。晩年まで、執筆、シンポジウム、講演活動を続けて、2015年、93歳で死去。戦後の日本を代表する思想家と言われています。

 

 

今朝(7月3日)のNHKニュースで白熱授業のサンデル教授のインタビューが流されていました。コロナ禍での「正義の問題」について。競争原理に基づく勝者と敗者の区分け。いずれも「自己責任」という風潮に対して”全ての労働に尊厳がある”との故キング牧師の言葉を引用しながら現在の問題を指摘していました。サンデル教授はハーバード大ですから俊輔の後輩になりますね。

 

神谷美恵子さんの”思いやりの心”、”寄り添う心”の大切さが改めて問われている時代になっているように思います。今少し、美恵子さんの研究(勉強)を進めたいと思っています。

 

 

話が変わりますが、立花隆さんが逝去されました。1940年生まれ、80歳。「田中角栄研究」のインパクトが凄かったですが、戦中、戦後生まれの方が次々と亡くなられるのが何やら寂しい限りです。立花さんは僕より10歳年長さんですが、年齢を重ねるごとにほぼ同時代人のように感じておりました。この世代の方々の考え方、生き方に対しては最近、改めて強い関心を持つようになっています。

因みに、今は姜尚中さんの『在日』を読んでいます。姜さんは1950年生まれですから、僕と同じ歳です。この本は姜さんの自伝です。「在日」と「祖国の分断」を抱えながら日本名を捨てて「姜尚中」を名乗る決意をした経緯が赤裸々に描かれています。読みながら僕も自分の育った時代環境を思い出しています。この本にも「ハンセン病」(および、その患者さん)のことが出てきます。美恵子さん研究の参考にもなりそうです。

 

 

来週の月曜日、7月5日にワクチン接種の二回目を受ける予定です。一回目はお医者さんから言われた通り、肩が重い状態が丸一日続きましたが、その後は普通の状態に戻りました。二回目も特段の副作用が無いことを祈りたいです。

 

 

 

NHK俳句、6月第四週。第四週は「NHK俳句部」。先生は櫂未知子さん、級長は塚地武雅さん、今月の生徒は櫻井紗季さん。今まで通り生徒さんに宿題十句。お題は「短夜」「夏の月」「泉」「ハンカチ」「夏料理」「蛍」「夏木立」、それと自由題。先生から8点(10点満点)を貰った生徒さんの句で面白いと思ったものを紹介します。

 

   冷奴自慢の皿に乗せにけり   塚地武雅

   注連縄の堂々たるや夏木立   櫻井紗季

   手のひらにゆらり収まる蛍かな   いとうまい子

   縁台に寝転びてみる夏の月   田中要次

 

先生の厳しい指摘がありました。「蛍」というとかなりの人が「暗闇」「闇夜」「夜の川」を詠みたくなるそうです。”つきすぎ”、ありふれた連想の句は取らない、取れないとのことでした。天邪鬼の僕は、その人にとって新鮮な発想であれば遠慮すること無く詠めばよかろうと思いますが、これが素人の発想なんでしょうねえ。

 

 

今月の季題は「ハンカチ」(汗拭い)。季語としてハンカチは汗を拭くものだそうです。悲しくて涙を拭く、手を拭く、モノを包む、膝に広げるというのは季語としては不適切のようです。

 

今週の大賞は、

 

   牧場は遠くまで空汗拭ひ

 

面白いと思った入選句です、

 

   さ緑の雨の匂いや汗拭ひ

 

「さ緑」という言葉が先生、級長、生徒さんからも評価されていました。

 

続いて、「俳句二歩めに」のコーナー。初心者が勘違いしがちな季語について。「枝豆」は夏だと思いやすいがこれは秋。「あまざけ」は寒い時と思いがちだがこれは夏の季語であると。説明を聞くと分かるのですが、当時(かつて季語の季節を決めた時)と、すでに時代感覚が変わってきている、ずれてしまっているモノがあるように感じます。不易流行?。どう折り合いをつけていくのが正しいのでしょうかね。

 

最後は特別編で、生徒の櫻井紗季さんが気になっていた句(数年前にNHK俳句コンクールの一席に選ばれた)、

 

   青梅や考え直すきっかけに

 

当時女子高校生であった作者の心の内を、同年配の紗季さんがずっと気になっていて、その作者に当時の気持ちをインタビューで語ってもらうという新しい試みのようでした。今は社会人として活躍されている作者ですが、高校生の当時は「明日を迎えるのが恐いという時期があった」由。その気持ちを投句したのが一席に選ばれたことで「自分を肯定して生きていこう」という気持ちになれたそうです。なかなかに面白かったです。

 

 

おまけの料理です。

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留守宅の庭の草むしり、植え込みの剪定をしました。 植えたことも忘れていたローズマリーが立派に育っていて良い香りを漂わせていました。切った枝を日陰干しました。よし!料理に使おうと。カミさんの指導の下にイロイロ調べて「鶏モモ肉とナス、タマネギのトマト煮」を。”取り立てのローズマリー”の香りが良かったです。留守宅では久しぶりのクルルのおじさん料理でした。2021年6月29日、料理と撮影。

 

おまけの駄句です。

 

   植え込みの強剪定や俄か雨   孔瑠々

   夏の朝雑草取りを二人して   孔瑠々