クルルのおじさん 料理を楽しむ

東京2020パラリンピック

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自転車トラック男子3000m個人追い抜きの川本翔大選手の雄姿です(日経新聞、8/27)。

残念ながらメダルには届きませんでした。本当に惜しかった。10時ごろからTVで観戦していたのですが、予選では世界新を更新したのです。見ていて”これはメダルを狙える”と期待が膨らんだのですが、その後に登場した選手が続々と世界新を連発。結果、予選のタイムは5番目でした。次のステップには4位以内の選手しか進むことが出来ないので、その時点で川本選手の競技は終わりました。”悔しい!”と思ったのは、川本選手の予選では、コースの反対側から半周ずれてスタートしているもう一人の選手と川本選手のスピード差があり過ぎて、途中で川本選手はその選手を追い抜いたのです(コンマ何秒を競う世界大会では普通は起こり得ない(はずですよね))。追い抜くときには当然タイムロスしますから、この僅かな差が影響して上位4位に入れなかった、と思った訳です。ところが、上位の選手が一人失格となり川本選手は4位に繰り上がり、3位決定戦への進出が出来ることになりました。

まだ”天”は彼を見捨ててはいない、頑張れ!。決定戦では「オーバーペースになっても狙う」と序盤から果敢に攻めた由です。後半、逆転されて結果は4位に終わりました。記事にも書いてありますが、予選タイム5番で「着替えを済ませて帰る支度をしていた。びっくりした」そうですから、やはり決定戦に臨む時にはまだ気持ちの整理、集中力が十分では無かったのかも知れません。残念ではありましたが、決定戦に出場することが出来て良かった、そして自分の力を全て出し切ったと思いたいものです。

 

 

「パラ『1964』はなぜ画期的だったか」という興味深い記事が日経新聞(8/26付)が掲載されていました。恥ずかしながら、この記事を読むまで1964年に開催された東京パラリンピックのことは全く記憶に残っていませんでした。東京オリンピックには”感動した”とか”興奮した”とか言って大騒ぎしていたのですが。

記事によると「当時の日本では(多分、世界的にも)障害者スポーツには国民の関心も高くなかった。献金を募っても企業の反応も乏しかった。障害者スポーツは、まだ、スポーツ大会というよりもリハビリの延長のように見られていた時代であった」との記載がありました。確かにその通りであったのでしょう。

パラの歴史をググっとみると、そもそもの起源は第二次大戦後、脊髄損傷のため下半身が麻痺した兵士の治療と社会復帰を目的として、ロンドン郊外の病院にてスポーツを治療の一環として取り入れたことから始まっているそうです。そして、1948年のロンドンオリンピックの開催に合わせて、病院内で車椅子患者がアーチェリー大会を行ったことが、パラリンピックの原点である由です。その後、この車椅子選手のスポーツ大会は毎年開催されることになり、近隣ヨーロッパ諸国の参加もあり”国際”大会に発展。発祥の地であるロンドンの病院の名前を取って「国際ストーク・マンデビル大会」と呼ばれることになったそうです。そして4年に一度のオリンピックの年にはその都市でオリンピックの終了後にこの大会を開催しようということになったと。

1960年のローマオリンピックのあとに開催された国際ストーク・マンデビル大会が第一回のパラリンピック大会と位置付けられているそうです。

そして、1964年東京オリンピック。オリンピックの直後に一部と二部に分けて障害者のスポーツ大会が開催されたそうです。第一部は、ローマ大会に続き国際ストーク・マンデビル大会(これは後に第二回パラリンピック大会と位置づけられている)。パラリンピックという名称は「オリンピック開催の年に開催国で行われる国際ストーク・マンデビル大会=パラプレジア(Paraplegia=脊髄損傷による下半身麻痺者)のオリンピック=パラリンピックということで、東京大会の際に日本で名づけられた愛称であったそうです。

記事によると”画期的であった”とされているのが第二部。第二部は日本の国内大会として開催されたのですが、第一部に参加出来ない車椅子以外の障害者、すなわち視覚、聴覚、四肢障害者など広い範囲の障害者の大会としたそうです(西ドイツから6人が特別参加)。

この大会は資金不足に悩まされたそうですが、大きな支えになったのが当時の皇太子ご夫妻(今の上皇ご夫妻)。第一部、第二部の両方の開閉会式にご臨席、毎日協議を見て回られた由。この大会の第二部の成功により、従来、狭い範囲で捉えられていた障害者の枠が大きく広がった。皇太子ご夫妻がこの第二部大会を発展的に継続して毎年開催するように大会関係者に促したのは周知のことのようです。

 

その後、1985年にパラリンピックが正式名称に。元々の意味であるパラプレジアは障害の範囲が限定されていて、広義の身体障害者の大会には馴染まないので、ギリシャ語の接頭語、パラ=para(沿う、並行して)+オリンピック=パラリンピック、と解釈することになったとか。今日の巨大イベントに繋がるキッカケが「パラ『1964』」であったという記事でありました(以上、8月26日付けの日経記事と日本パラ委員会のHPより抜粋です)。

 

 

世の中、相変わらずの緊急事態ですから、僕も相変わらず「本」を読んで過ごす時間を楽しんでいます。最近は、なんと「ジェンダー研究」関連の本を乱読しています。これも僕の頭の中では「神谷美恵子」さん繋がりになるのですが、今まで「コテコテの男社会」で生きてきた自分の意識を一度整理してみようかと。神谷さんは、あの時代のジェンダー不平等の壁を乗り越えて家庭的にも社会的にも個人的にも充実した生き様をされた素晴らしい方として認識しています。

ジェンダーフリー」のテーマの基になっているであろう男性中心(マジョリテイ)社会ですが、最近読んだ本では、男性側が一方的に「自己批判」しているような本が多いのに驚いています。

 

●「さよなら男社会」、尹雄大さん著、亜紀書房。2020年12月初版。

●「うしろめたさの人類学」、松村圭一郎さん著、(株)ミシマ社。2017年10月初版。

●「男子劣化社会」、フィリップ・ジンバルドー/ニキータ・クーロン共著、晶文社。2017年7月初版。

いずれも観点はイロイロですが「男らしさ」を要求されている男性側の問題、懸念をこれでもかこれでもかと記述されている内容です。なかなか僕にはシックリこないので、正統派の「ジェンダーフリー」の活動についての本を探してみました。今、オックスファム・イギリスの「ジェンダー活動は効果あり」という本を読んでいます。こちらの方が、まだ、言わんとすることは理解が出来そうな。そもそものジェンダー活動、その問題をどう整理して捉えれば良いのかまだ理解出来ていないので追加の教材本を探しています。

●「ジェンダー活動は効果あり---国際NGOオックスファムの経験から」、編者オックスファム・イギリス。特定非営利活動法人WE21ジャパン、2002年9月発行。

・・・千種図書館では、古い本の処分を随時やっています。入り口の横のスペースに「自由に持ち帰り下さい」と多数の本が段ボール箱に入れて置かれている時があるのですが、この本はその段ボール箱から見つけました。ノミの市の面白さで覗いていると装丁もキレイで面白いテーマの本を見つけられることがあります。宝物発見ですね。今までにも、俳句の句集だとか特定テーマの歴史書とか何冊かを発見して持ち帰って本棚に積んであります。

ジェンダー」についてはもう少し頭の整理が付けば何か纏めて記述してみようかと思ってますが、こんな本を読みながらパラリンピックを見ていたら面白い発見をしました。

 

その1.「ボッチャ」

杉村英孝選手、ボッチャ(個人・脳性まひBC2)で日本初となる金メダルを取りました。ボッチャの試合を最初から最後まで見たのは初めてです。戦術、戦略はカーリングに似ているのかと思いました。カーリングでは相手の石を弾きますが、ボッチャでも相手のボールを弾いて、いかに基点「的」となるボールに自分のボールをたくさん近づけるかを競います。面白いのはこの基点「的」となるボールも弾いて移動させることが出来ること。カーリングより一層、奥が深くて難しいのかも知れません。ミリ単位で投球を調整できる精緻なワザが必要だそうです。

予選をTV観戦しましたが、杉村選手の対戦相手は女性でした。驚きました。この競技には障害の程度によるクラス分けはありますが、男女の区別は全くありません。男の選手も女の選手も全く同じ条件で競い合う。僕の知っている限り完全にジェンダーフリーの競技はボッチャだけだと思います。

 

 

その2.「車椅子ラグビー

日本チームは準決勝でイギリスに敗れ三位決定戦でオーストラリアを破って銅メダルでした。日本は前回のリオ五輪で銅、2018年の世界大会では優勝しており今回は金メダルを狙っていただけに選手は大変に残念そうにしていました。一方のイギリス、ヨーロッパチャンピオンながら、過去五回の五輪ではメダル無しでしたが今回は見事に金。

車椅子ラグビーの国際試合を見るのは初めてでした。期待に違わず、大迫力。車椅子のあの迫力のあるタックルの音、無観客の中で余計に迫力がありました。キャプテンの池選手、ポイントゲッターの池崎選手を初め各選手の大活躍に拍手を送りたいと思います。ボールが丸いのは知っていました。驚いたのは男女混合競技であったこと。

各選手は障害度合いで0.5点から3.5点までの点数が付けられています(0.5点が最も障害が重い)。コート上の四人の選手の合計が8点を超えないように重度と軽度の選手を組み合わせてメンバーを構成する仕組みになっています。その中で女性選手が加わると合計点数に0.5点が加算され四人の合計が8.5点まで許されることになる。激しいタックルはされるものの防御用の車椅子はしっかりと出来ていてタックルにより体に直接のダメージを受けることは無い。女性選手はディフェンス役をこなして、かつ、合計点を0.5点多くすることが出来る訳ですから貴重な戦力となります。一見、よく考えられた仕組みのように思ったのですが、よくよく考えてみると何故女性を加えることにしたものか、理解が出来なくなりました。障害の程度に応じてハンディを与えるのはフェアであると思うのですが、その中で女性だからという理由で更にハンデイを付けて参加させるというのはどういう意味があるのかしら。

 

 

パラリンピックは今日が最終日。先ほどチラッとTVを見たら、無事に閉会式も終了したようです。党の総裁選への不出馬を表明した総理も出席していました。総裁選は今月17日に告示、29日の投開票とのことですが、不出馬を表明した総理が「コロナ対策に専念」して効果のある施策を行えるものか。9月12日が期限の緊急事態をどうするのか責任のある対応を取れるものか。まだまだイライラが続きそうです。二回接種が終わっても油断せずに十分に注意して引き続き凌いでいきたいものです。皆さま、ご自愛ください。

 

 

おまけの料理です。何れも8月25-28日に料理と撮影。

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左;豚の角煮入り、竹輪・ピーマン・シシトウ・人参のチャーハン。

右;卵とトマト煮。これは味付けが決まりました。完成形ですね。盛り付けがキレイでないですねえ。

 

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右;茄子と鶏肉のトマト煮。これはすっかり定番になりました。

左;それを次の日に焼うどんに加えたもの。味、良し。これも盛り付けが下手だなあ。