クルルのおじさん 料理を楽しむ

漱石のこと、その2.

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夏目漱石草枕』の「シェレ―の雲雀の詩」の頁。新潮文庫、令和3年6月第155版。2022年1月14日、撮影。

英分の箇所を念のためにコピペしておきます。


We look before and after 
 And pine for what is not:
Our sincerest laughter 
 With some pain is fraught;
Our sweetest songs are those that tell of saddest thought.

 

新年に大学時代の同じゼミ生であったY君からメールを貰いました。不定期に送られてきてその時々の”思いついたこと”が綴られています。昨年の12月に『英語の俳句』で書いた故D君の二人展にY君ご夫妻も訪問されています。たまに僕のブログも読んでくれているような。

 

kururupapa.hatenadiary.jp

このブログで出てくる「京都のY君」がその人です。

 

ご本人は「そもそも私はすこぶる武骨な人間で、ガオーっとハンマーを投げるしか脳が無い人間だったが---」(註、彼は大学時代、陸上部でした。余りメジャーではなかったハンマー投げを専攻(?)していた)と謙遜していますが、大変な碩学。学者になった故D君の良き話相手であったようです。僕が同じく昨年書いた『漱石のこと』を読んでくれたからだと思うのですが、メールのなかで漱石のこと、ピアニストのグレン・グールドのこと、そしてグールドが漱石の『草枕」を大のお気に入りであったことを綴ってくれました。メールのなかには「草枕」に出てくる「シェレ―の雲雀の詩」の件も記載してくれていました(Y君は電子書籍等を操るのは得意な人種ですから多分コピペしたのだと思っていますが)。

 

この詩(歌)のなんとまあ懐かしかったこと。高校時代の思い出ですねえ。当時、この詩と翻訳を見て、その翻訳の素晴らしさに驚いたことを覚えています。オリジナルの英語の詩よりもこの翻訳された日本語の詩の方が良く出来ているのではないかと感心しました。当然、僕の英語の読解能力の乏しいがためだったと思うのですが、今回、改めて読んでみてもやはり翻訳された日本語の詩が素晴らしいなあ、と感じています。これはモチロン漱石が訳したもの(だと思う)ですが、やはり漱石は面白いなあ、と感じ入りました。前期三部作、後期三部作を読み終えて、新年は「明暗」を読もうと思っていたのですが、このメール(というよりもこの翻訳”詩”)を見て、「ちょっと待て、『明暗』を読む前にもう一度『草枕』を読んでみよう」と。

 

早速に近くの本屋に飛んで行き買ってきたのが冒頭の写真。ショックなことがありました。「山路を登りながら、こう考えた。---」からこの詩のクダリ辺りまではそこそこ覚えているのですが、その後が記憶に無い。ところどころ断片的に思い出すだけ。よく”若い時に読んだ本を年取ってから読み返すとまた違った受け取り方をするものだ”とかの記載がありますが、僕の場合はその比較が出来るほどの記憶が残っていないのかも。

きっと頭の何処かの片隅には読んだ時の思いが蓄積されているはずだ、読書は例え記憶から無くなっていようとも頭の栄養になっているはずだ、二回目も新鮮な気持ちで読むことが出来れば同じ本を二度も味わえて楽しいことではないか、などと自分に言い聞かせて読んでいます。ちなみに漱石の本は図書館で借りるのではなくて本屋さんで買ってきて読んでいます(文庫本です)。何やら”手元に取っておきたい”という気持ちがまだ残っているようです。

 

 

1月のNHK俳句です。凝りもせずに自分の備忘録として書いています。本年もお付き合い頂けば嬉しい限りです。

 

新年、第一回目。一月は日曜日が5回ある月なので、そのうち一回は特別な番組となります。今回は1月2日の一回目が「歳時記食堂---おいしい俳句、召し上がれ」でした。舞台はカウンターの割烹でそのお店の女将さんが宇田喜代子さん、若女将が小林聡美さん。常連客にビビる大木さん。お客様が作家の夢枕獏さん。獏さんは俳句歴15年とのこと。料理人の大角公彦さんが女将のお薦めの句に合わせた料理を出してくれます。美味しいお酒を飲みながらその句を鑑賞するという趣向。料理もお酒も美味しそう。いい割烹です。僕もこんなお店で美味しい料理で日本酒を飲みながら俳句の鑑賞をしてみたいものです。

一品目、お餅。お料理は金箔入りの日本酒に合わせて「からすみ餅」。女将の選んだ句は、

   餅焼いて食ふや男を交えずに   桂信子

信子さんは1914年、大阪生まれ。女性の俳人が少なかった時代の女性ならではの句との女将の解説でした。仕事と俳句を両立させて1970年に俳句雑誌「草苑」を創刊、2004年に90歳で死去されたとか。女将の宇多喜代子さんの師匠であった由。俳句に関しては大変に厳しい、怖い師匠であったとか。富士山にお供して吟行に行った時に師匠が詠んだ句、

   たてよこに富士伸びてゐる夏野かな   桂信子

女将の宇多さんはその時に句作が出来ず。この師匠の句を見て以来、富士山は100回見ても未だに句にならないとのことでした。

 

二品目は鍋。タラバガニ、車エビが入った豪華な鍋が出されていました。日本酒に合いそう。女将が選んだ句は、

   おなべはあたたかい我が家の箸でいただく   住宅顕信(すみたくけんしん)

獏さんが素晴らし鑑賞をされていました。「鍋が暖かいのは当たり前のはず、更に、わざわざ「我が家の箸で」と書いているのが印象的」。女将からは、自由律俳句であること、そして、住宅は1961年生まれ、尾崎放哉の句に影響を受け自由律俳句を。急性骨髄性白血病で入院、1987年、享年25で永眠された由の解説がありました。顕信の息子さんがビデオ出演「この句は3年間入院していた時の最後の正月の句」であることを話していました。涙が出そうでした。

 

三品目はくず湯。2018年のNHK全国俳句大会の特選句だそうです。

   くず湯吹く姓を違えて四姉妹   結城あき

結城さんは83歳の方。35年前に箱根で四姉妹が集まった時の思い出を詠んだ句だそうです。

作家の獏さんが俳句を絶賛しているのが印象的でした。「最後は俳句にすがる!」と。「草枕」にも俳句について記載されたクダリがあります。面白いと思ったので抜粋しておきます。

「---どうすれば詩的な立脚地に帰れるかと云えば---一番手近なのは何でも蚊でも手当たり次第十七字にまとめて見るのが一番いい---涙をこぼす。この涙を十七字にする。するや否やうれしくなる。---苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉しさだけの自分になる。」

女将、若女将、常連客、お客さん、いいお店で楽しい番組になっていました。次の開店が待ち遠しいですねえ。

 

一月の第一週(番組上はこれが第一週です)です。長くなってきたので駆け足で記載します。司会は武井壮さん。選者は片山由美子さん。ゲストにはフェンシング男子エペ、東京五輪金メダリストの加納虹輝さん。武井さんはフェンシング協会の会長を務めている由です。

テーマは固有名詞。俳句に固有名詞を持ち込むと①陳腐になってしまう、または、②特定の人にしか通じない、という欠点はあるが、上手く使えれば生きてくるというお話でした。テクストに久女の句が載せられていました。

   足袋つぐやノラともならず教師妻   杉田久女

これはモチロン固有名詞を使った名句の例として掲載されているのですが、僕が最初にこの句を読んだ時には恥ずかしながらイプセン「人形の家」は頭に浮かばず②の部類に入っていました。

今週の兼題は「探梅」。「梅」は春の季語ですが「探梅」は冬の季語です。

一席   探梅やだれにも会はぬ真昼どき

二席   探梅や古き町の名のこる道

三席   二人ゐて一人のごとし探梅行

難しい季語だなあと感じました。

 

今晩から明日にかけて大雪の恐れです。オミクロン感染も急拡大しています。今週末には本年一回目の京都トレイル、北山・西部コースに挑戦するつもりですが、どうなりますやら。僕はどちらかというと雨男っぽいですので、ドラゴン先生の天気運に頼るしかなさそうです。引き続き、皆さまくれぐれもご自愛くださいます様。

 

以上を書き終えて寝床に入りましたが、朝起きると一面の雪景色。

f:id:hayakira-kururu:20220114100855j:plain朝、7時4分。隠れ家のベランダからの景色。

f:id:hayakira-kururu:20220114100921j:plain同じく、7時31分の隠れ家前の景色。お日様が照ってきました。2022年1月14日、撮影。



軟弱な僕はドラゴン先生にメールを送り、明日の山歩きの延期を打診しました。ドラゴン先生はきっと武者震いして雪を楽しもうと思っている様子が想像出来たので。

「鞍馬では20㎝の積雪で冬山の装備が無ければ危険である」と素直に延期賛成の返信が来てホッとしました。これで今晩は隠れ家で温めの熱燗を楽しむことが出来そうです。