クルルのおじさん 料理を楽しむ

カワセミを見た!

僕の隠れ家の近辺は散策には大変に恵まれた場所で、ブログで何回も紹介しています「平和公園」「東山動植物園」があります。名古屋市千種区です。それぞれその周辺が一万歩コースのウオーキングコースになっていますが、この辺りから東側に足を伸ばすともう少しワイルドな感じの「緑地」が残っています。千種区のお隣の名東区です。

前回、鯱城学園の楽陶館のことを紹介しましたが、楽陶館は名古屋市名東区にあります。そして、名東区には地図を検索すると直ぐに気がつくほど大きな緑地が少なくとも二つあります。一つは「牧野ヶ池緑地」、もう一つが「猪高緑地」。牧野ヶ池緑地はその緑地の中に名門「愛知カンツリー俱楽部」を擁するほどの大きな緑地。このゴルフコースには仲間に連れて行ってもらう機会があるのですが、前回にプレイした時にゴルフ場を取り巻く緑地にある神社(白美龍神)の話を聞き、その翌日に隠れ家から歩いて散策に行ったことがありました。緑地の周辺も散策して予想以上のウオーキングとなりました(道にも迷いました)。往復で5時間ほどは歩いたかと。

 

そして、もう一つの「猪高緑地」は楽陶館の近くにあります。「猪高=いたか」と読みます。「楽陶館」の場所を検索している時に気がつき、機会があれば歩いてみようと思っていました。

5月8日、日曜日。快晴。元々の予定していた行事が順延となりポッカリと時間が空いたので爽やかなお天気に後押しされて隠れ家から歩いてみようかと思い立ちました。

 

楽陶館の最寄りの駅(本郷駅)までは僕の駅から6っ目になります。地下鉄の駅の2~3駅程度はちょうど歩くのに適当な距離なのでよく歩いていますが、6っとなるとややハードルが高い。それでもお天気が気持ち良い快晴であったのと、最近の運動不足の解消のため!と気合を入れて挑戦することにしました。

 

猪高緑地の方がやや遠いのですが、牧野ヶ池緑地を歩いた経験から、まあほぼ同じような遠さ加減であろうと、それなりの感覚は持っておりました。歩きやすい服装(ほぼ京都トレイルに行く時の格好)をして水分だけは多めに持参して出発しました。

 

そう言えば最近新しい”道”を歩く機会が少なくなっていることに気がつきました。いつも同じ道を歩いていると刺激が無い。無理してでも違ったルートを通るべし。今は亡きあの日野原さんもおっしゃっていたように思います。途中までは勝手知ったる道でしたが、出来るだけ裏通り、知らない道を通るようにしました。

残念なことに(予想していたとはいえ)、道中は主要道路の側道、歩道を歩くことになります。ずっと舗装道路。高速道路のジャンクションを越えていく必要もあります。歩いていて面白いとは思えないルート。京都の市街、郊外散策とは比較にならないのが寂しい限りです。

 

楽陶館を通り越して緑地の南東側の入り口に到着しました。既に一時間半ほどは歩いたか。道中が余り楽しい道路でなかったので距離がすごく長ーく感じます。楽陶館から歩いて10-15分の処でしょう。緑地の中に足を踏み入れると起伏が多く、人が少ない。自然がそのまま残っている環境なのに驚きました。東山、平和公園の周辺コースよりも、京都トレイル並みの自然が残っている感じがします。気持ちの良い里山の風情です。

緑地の北西側の湿地に差し掛かる辺りに小さな池がありました。そこでカワセミを見たのです。周りに誰も人はいない。ゆっくりと近づいてみよう。残念、焦ってガサッと音を立ててしまいました。カワセミ君は、さっさと飛び立ってしまいました。その飛び去った時の色が誠に見事な青い色でした。大変に鮮やか。キレイとしか言いようがない。写真に撮ることは出来ませんでしたが、まあ、僕の携帯のカメラで撮れたとしても、きっちゃんのようにはいかなかったでしょう。撮れなかったことで余計に鮮やかさが記憶に残ったのだろうと思います。

ここに至る道中の舗装道路をトボトボと歩いたアホらしさも忘れてカワセミを見たことで大変に嬉しい気分になりました。ここまで歩いて良かったと思いました。「犬も歩けば棒に当たる」「思い立ったが吉日」、よく言ったもんだと思います。

 

カワセミがいた池です。この横の木に留まっておりました。魚を狙っていたのかしら。

 

猪高緑地の中心部にある「塚の杁池」、最大の池です。途中、休憩も取り寄り道もして隠れ家を出てから代えるまで6時間近くかかっておりました。ゆっくりと休みました。

 

連休中は、家族、仲間達と沢山遊ぶことが出来ました。久しぶりに予定がいっぱい詰まって連日の行事をこなしました。一昔前はこの程度は当たり前だったと思うのですが、コロナのせいか、はたまた、歳のせいか毎日何かやらねばならないことが続くと(例えそれが楽しいことでも)やや疲れるようにも思います。逆に何もすることが無くなると寂しくなるのに全く贅沢なことです。とにかく心身ともに健康を維持したいものです。

 

 

NHK俳句です。僕の備忘録として書いています。お付き合い頂ければ幸いです。

5月第一週。選者は高柳克弘さん。司会はいつもの武井壮さん。ゲストには女優の高柳明音(あかね)さん。今週の兼題は「四十雀シジュウカラ)」。テーマは「はばたけ、野鳥俳句」で、ゲストの明音さんは大の愛鳥家とのこと(同姓ですが親戚筋等ではなさそうでした)。今週も野鳥の映像、動画を映し出して解説していました。四十雀を詠った名句です。

   追ひすがり追ひすがり来て四十雀   石田波郷

テキストにあった面白い句、芭蕉の句です。

   老の名のありともしらで四十雀  芭蕉

ただし、このような詠み方は言葉遊びに近いものになるので映像性に乏しくなることに注意が必要とのことでした。放送では紹介されていなかったと思いますが、以下はテキストから抜粋。野鳥はまだ十分に俳句に詠まれていないテーマで、かつて歳時記での扱いに異議を申し立てが俳人がいたそうです。山谷春潮さん(明治32年生まれ、昭和27年没)。山谷さんは水原秋櫻子主宰の「馬酔木」の俳人であり、日本野鳥の会に所属する愛鳥家。個性ある鳥たちが十把一からげに「囀り(さえずり)」(=春の季語だそうです)や、「小鳥」(=秋の季語)にまとめられているのは問題であると考え、独自に「野鳥歳時記」を編纂(昭和18年刊)したと。「四十雀」自体、歳時記の多くでは「夏」の季語とされているそうですが、この「野鳥歳時記」では「無季」に分類されているとか。歴史の浅い季語では歳時記編者によるブレはよく生じることだそうです。手元にある稲畑汀子編「ホトトギス新歳時記」を見ると「四十雀」は秋・10月の季語に載せられていました。大発見でした。編纂者によってこれ程ブレがあるとは知りませんでした。

今週の特選三句です。

一席   四十雀開店急かす森のカフェ

二席   スコップに掬ふ亡骸四十雀

三席   金婚へぼけとつっこみ四十雀

三席の句は面白いなあと思いました。僕は28歳の時に結婚したので金婚はもう少し先ですがこの句の様に生きたいものです。一席の句は、京都トレイルの森のレストランを思い出しました。いい句ですね。

 

改めてカワセミを思い出しました。ホトトギスの新歳時記を捲ると6月・夏の季語に載っていました。カワセミ翡翠。例句を見てビックリして、感心しました。

   はっきりと翡翠色にとびにけり   中村草田男

僕が感じたことがそのまま句になっていました。これが俳句の季語の力というもんですかね。とても僕にはこの様に言葉に出来ないです。

 

 

第二週です。選者は井上弘美さん。司会は武井壮さん。ゲストも引き続きお笑い芸人のマツモトクラブさん。前回プレゼントされた歳時記を「読み込んできた!」と気合が入っていました。今週の兼題は「立夏」。今年は5月5日が立夏、暦の上で夏に。クラブさんに宿題が出ていました。宿題は「かけがえのない一日を詠む」。

   花立てにカーネーションと感謝とを   マツモトクラブ

亡きお母さまの墓参りに行った時のことを思い出して詠んだ句だそうです。俳句ナビの弘美先生から「良く出来ている。”母の日”と言わないでそのことを表現出来ている」と褒められていました。弘美先生の添削です。

   一束のカーネーションと感謝かな   添削・弘美 

とされていました。クラブさんは「一束」で「(霊前に花を)『手向ける』ことを表現出来ている」と絶妙のフォローをしていましたが僕にはそうは理解出来ませんでした。これで読む人に「亡き母」が分かるのかしら?元の句のほうが「亡き母」と言わないでその事を表現出来ているのでは、と思いました。・・・何事に付けこんな風にブツブツと文句をいってるようでは上達しないのでしょうねえ。素直に学ぶ姿勢を大切にしたいと思います。反省です。

今週の特選です。

一席   百名山百の頂き夏来る

二席   掌に立夏の海のひと滴

三席   一灯にマリアのあをむを立夏かな

 

テキストを見ていたら、第一週の「野鳥歳時記」を編んだ山谷春潮さんは脚本家の倉本聰さんの御父上である、との記載を見つけました。倉本聰は1935年生まれ、僕よりも15歳の年長さんです。数年前に某飲料メーカーの広告記事に登場しておられてインパクトのあるフレーズが掲載されていました。

「60代の若者たちへ」、「この先をどう生きるか。しまっておいた夢を取り出してみないか。」

この新聞記事まだ取ってあります。

 

日経俳壇、5月7日、この週も横澤放川選にウクライナ句がありました。

   ナチス化いけしやあしやあと萬愚節   朝田黒冬

   キエフまで九千キロやかたつむり   野上卓

 

昨日、5月9日はロシアの77回目の戦勝記念日プーチンの演説が報道されていました。軍事侵攻を一方的に正当化するだけの内容だったように思いました。「戦争情態」宣言は無し、懸念された核戦力を言及することも無かったようです。全く「いけしやあしやあと万愚節」としか聞こえません。報道統制が厳しいとはいえ彼の地の普通の人びとはこの演説をどんな風に受け止めているのでしょうか。怖いです。

連休が明けてコロナの感染者が増加しています。益々個々人の対応が大切になってきているように感じます。皆さまもくれぐれもご自愛下さいませ。

今日の午後は楽陶館に行ってきます。陶芸クラブの二回目です。「菊練り」、出来るかなあ?。