クルルのおじさん 料理を楽しむ

新年コロナ感染記

 

新年早々、コロナに感染してしまいました。

 

のんびりと元旦を過ごしておりました。カミさんと二人だけのお正月なので朝もゆっくり起きてのんびりとお雑煮とお節料理で新年をお祝いしました。正月の三が日はずっと昔から朝の食事の時から日本酒を頂いています。今年も熱燗にして美味しく頂きました。ほろ酔い気分でTVを見ていると、そのうちに賀状も届いたようで。賀状でしか近況の連絡を取り合っていない方々の様子を懐かしく思い出したり、まだ出していなかった方に賀状を認めていました。

 

散歩がてら町の郵便局に賀状を投函しに行きました。年末の一週間はほぼ何も運動していなかったので郵便局の帰りはわざわざアップ&ダウンの道を選んで遠回りしながら歩きました。”坂道では普段よりもやや体が重く感じるなあ、朝からの熱燗のせいかな、この一週間の飲み疲れも運動不足もありそうだ”。

 

夜はすき焼きです。元旦はスーパー等々も閉店しているお店が多くなっています。お肉等は前日、大晦日の日に僕一人で買出しに行ってきました(カミさんは最後の片づけと飾り付け)。大勢のお客さんが来ているのに驚きました。正月のすき焼きは人気定番メニューの様でお肉が売切れていました。二店目でなんとか買うことが出来ました。

夜は、ビールを飲んで更に熱燗を頂いて、のんびりと美味しくすき焼きを頂きました。この辺りから心なしか喉が引っ掛かるような感じがしてきていました。やや寒気もする。いつもはだらだらと飲み続けているのですがこの日は珍しくここで切り上げました。体温を測ると37.4℃。嫌な予感がしましたが、早く寝て疲れが取れれば大丈夫であろうと早めに就寝しました。のんびりした正月はこれで終わりました。

 

 

翌日、1月2日。早朝、喉が痛くて目を覚ましました。”これはヤバそうだ”。体温は37.1℃、それほど高くはない。しかし、喉が痛くて声が出ない。急いで家にあった抗原キットで検査しました。初めてなので勝手が分からない。説明書を丁寧に読み込んでから失敗しないように検査。15分後の結果判定は、物の見事に「陽性」。二本の赤いラインがくっきりと浮かび上がっていました。わあ大変。いざとなるとどうすればよいのか全く分っていない。抗原検査キットに添付されている説明書、PCで神奈川県のコロナ対応説明等々をカミさんと手分けして調べました。僕の場合は②65歳以上、④重症化リスク有(高血圧)に相当するので「陽性者登録」は出来ず、医療機関での受診が必要となります。カミさんに頼んで「感染ダイアル(各市に設けられているコロナに関する相談窓口)」に電話して診察してくれる病院を問い合わせしました。この時点で僕は喋るのも大変な状態。喉が痛くて声が出ない、話が出来ない。無理に話をしようとすると激しく咳き込んでしまう。これがまた大変に痛い。腰が痛くなる。頭にも響く。とにかく苦しい。

 

幸いに徒歩で行くことが出来る近くの病院が発熱外来を受付していることが分かり、早速その病院に電話(カミさんが)。「今日、診察はやっているが既に予約で一杯の状態。来院して待って貰えれば受付出来るかも知れない」とのこと。藁にもすがる思い、とはこういうことを言うのだと思います。待ち時間が長くなることを覚悟してイロイロ準備して早速にその病院に行きました。

 

病院の玄関前に設置されているテント群です。手前に三張り、先に二張り。一つのテント内に2,3の簡易仕切りが設けられており、これらのテントで10人近くが待機して検査を受けることが出来ます(この写真は2023年1月9日、隔離期間が終了して初めての外出、散歩の時に撮影したもの)。

 

事務員の方が一名、看護婦の方が一名で受付と検査を対応していました。テントは満杯の状態で外に置いてある丸椅子で待機。予想通り時間がかかりそうです。”時間がかかっても受診して薬を貰いたい”の一念です。幸い良いお天気の日で風もなく外で待っていることは大して苦痛ではありませんでした。15分ほどしたら事務員の方が問診調査票を持ってきて記載するように指示されました。”ありがたい、これで診てもらえることになりそうだ”。更に15分ほどしたら看護婦の方が来て「検査します」と。この写真の一番手前のテントが検査用テントになっていて透明のパーテーション越しに検査をしてもらいました。鼻から細長い綿棒を入れて唾液を採取するやり方、TVニュース等でやっている景色です。

 

さらに待つこと15分~20分。先ほどの看護婦さんが出てきて「陽性」の確認がありました。このあとは当直の先生に診てもらって薬の処方がされることになると。「どれくらい時間がかかりそうですか?」と恐る恐る質問。看護婦さんも不案内の様子で「予約も一杯、救急搬送も多い。大きなトラブルがなければ良いのですがね」と当然のお答え。確かに待っている間にも救急車の出入りが少なくとも二回はあったように思います。改めて考えれば正月二日目からこんな状態で医療に従事している方々の存在を多分初めて肌で感じたことになります。”皆さん、頑張ってくれてるんやなあ”。医療関係の皆さんに改めて、感謝です。

待つこと30分程度だったでしょうか(この時にはテントの中に入れて貰えていました。ちゃんと電気ストーブも一台づつ設置されていました)、自分の予想よりも早く当直の先生が登場。検査結果を踏まえて問診、および薬の処方・説明をしてくれました。先生からすれば(年寄りとは言え)普通の症状のコロナ患者でしょうから、紋切り型の説明だったと思います。

これで十分なんですねえ。患者はそれだけの診察で安心して、そして薬をもらってホッとするものだと思います。

さらに15分~20分待って、隣接する薬局の薬剤師さんが薬を届けてくれ飲み方を説明してくれて診療は終わりました。

 

 

僕の場合、発症したのが1月1日、その日をD-0として7日間が隔離療養期間となります。D-7=1月8日までが隔離期間で、その間、症状が軽快して24時間が経過する場合、D-8=1月9日から隔離は解除可能となります。「症状が軽快する」というのは「解熱剤を使用せずに解熱して、呼吸器症状が改善傾向である場合」を言います。但し、10日間(D-10)が経過するまでは感染(させる)リスクは残るそうです。

 

病院から帰ってから改めて家族と兄に連絡をいれました。年末の一番最後に一緒に食事をしたのが75歳の兄だったので、兄のことが心配でした。12月30日のことですから感染の可能性、リスクはあるはず。ラインですぐに返信があり「こちらは大丈夫、全く元気」とのことで一安心。却ってこちらの状態を心配かけることになってしまいました。子供たち家族がこちらにお泊りに来る予定、こちらからお邪魔する予定等々を全てキャンセル。お年玉はまだあげることが出来ない状態が続いています。

 

心音先生にも連絡して、1月7日の「おさらい会」に参加出来ない旨をお伝えして快くご了解を得ました。もちろんドラゴン先生にも、「あほ桐」の仲間にも、鯱城学園の園芸四班、陶芸クラブの園芸組の仲間、飲み会の仲間等々にも連絡。その他、1月にゴルフを予定していた仲間にも欠席する旨の連絡を入れました。ゴルフの予定日までには回復するであろうとは思ってはいたものの、とてもゴルフの気分ではありませんでした。

 

幸いに部屋の余裕はありました。長男が使っていた部屋を隔離部屋にしました。最近は僕の書斎のように使っている部屋。長男のベッドはそのまま残していましたので、その部屋で寝起きすることに。CDは聴くことが出来ますがTVは無し。僕のPCは置いてあるので交信は出来ます。

 

 

気持ちの記録を兼ねての駄句です(季語も何もあったもんじゃありません、申し訳ありません)。

 

   新年や抗原キットに二本線   孔瑠々(以下、同じ)

   発熱外来テントに凛々しい天使様

   咳がでる喉かきむしられるしゃがみこむ

 

喉が耐えられないほど痛かったのは最初の二日ほどでした。僕は痛さ等に大変に弱い方ですから、この時は、ホントに死ぬのではなかろうかと思う程に辛かったです。熱は最高が38.4℃でしたからマシな方であったと思います。助かりました。

 

   隔離部屋お節の味を噛み締めて

   痰がでるテッシュでぬぐう山になる

   隔離部屋差し入れ受ける有難さ

 

大変に有難いことに味覚を失うことはありませんでした。食べ物の味はしっかりと感じることが出来ていました。長男の指導もあり、D-3(1月4日)からはノンアルデイにしました。

 

   おにぎりの味を味わう嬉しさよ

   夜の汗回復の兆しと言い聞かせ

   差し入れに太り過ぎぬか心配し

 

D-7(1月8日)の朝、起床した時に体が「もう治ったよ」と言ってくれました。就寝中にまだ咳が出て汗をかいていますがピークに比べると辛さ程度はもう「屁」の様なモノです。体重はD-5(1月6日)までで2㎏減少して、その後は横ばい状態となっています。差し入れの食事量が僕には適切なモノなんだと目から鱗です。確かにこの量に比べると今まではナント沢山食べていたのかと実感します(それもダラダラと酒飲みながら)。

 

D-8(1月9日)隔離期間、解除の日になりました。久しぶりに一階で朝食をとり一週間ぶりに外に出ました。30分ほど街を散歩(病院の写真も撮ってきました)。身体は随分と軽く動くように思いますが、心なしか体力が落ちているように感じます。体重はこの程度を維持して筋力の回復を図りたいものです。

 

今晩は美味しいモノを買ってきてカミさんに介護お疲れ様祝いと僕の回復祝いをしようかと。久しぶりにお酒も飲んでみようかなあ(何故か今は適切な飲酒が出来るような気がしております)。

 

おまけの読書です。

療養中に読んだ本です。酒を飲まず、TVで時間を遣わない一週間でした。部屋でじっとしているしかない時にはドンドン本が読めることが分かりました。楽しく読書に集中し続けることが出来ました。上の段の本は長男の本棚にあったもの。「生きがいについて」は、以前、神谷さんのことで会話した時に「多分、買っただけでまだ読んでいない」と言っていたことを思い出しました。名古屋に来るときに持参して欲しいとのことなので重いですが持っていこうと思っています。下の段の右の本はタイトルが読めないと思いますが養老孟司さんの「骸骨考」という本です。面白い本がたくさん手元にあって楽しく時間を過ごせたと感謝してます。

心音先生から、1月7日の「おさらい会」が無事に終了したことの連絡がありました。二回目(もっぱら僕のためにダンナさんとの二人)の「おさらい会」を2月に企画してくれています。改めて「気合をいれて」ピアノの練習を再開しようと思います。

 

皆さま、本年もよろしくお付き合いのほど。そして健康にはくれぐれもご留意くださいます様に。