クルルのおじさん 料理を楽しむ

「彼岸過迄」

彼岸過ぎまで暑い日が続いています。今年の秋分の日は9月23日。この前後、朝夕は爽やかな風を感じる日があり「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだなあ、と感心していたのですが、それ以降、また暑さがぶり返しています。最高気温が30℃以上が真夏日ですが、今年は全国至る所で真夏日が90日以上もあった由。春・夏・秋・冬の四季というのは既に死語になったという話をよく耳にするようになりました。敢えて言えば、春・夏・真夏・夏・秋・冬といったところでしょうか。彼岸を過ぎたのに暑い日が続いています。”彼岸過ぎまで暑いなあ”と連日言い続けているせいで、漱石さんの「彼岸過迄」を懐かしく思い出しました。

夏目漱石の「彼岸過迄」は、明治45年1月1日から4月29日まで朝日新聞に連載。このタイトルは春の「彼岸過ぎまで(この連載を)書く予定」という意味でつけられたもの。改めて文庫本を見直してみたら、ご本人が序文にそのことを読者にチャンとことわっていました。但し、この序文はタイトルの意味を説明しようとした訳では無く、この小説に対する漱石さんの思いを述べたものと受けとめられています。ましてや「彼岸過ぎ迄、暑いなあ(寒いなあ)」という意味で使った訳ではありませんから。念のためです。

この「彼岸過迄」は漱石さんの後期三部作の第一作とされています。もう少し涼しくなって”読書の秋”の風情になった時に、まだ読んでいない「明暗」を読んでみようかと思っています。早く「秋」になって欲しいものです。

 

残暑厳しい9月下旬、名陶クラブの焼成作業に参加しました。このクラブは開催曜日により四つの班から構成されています。僕の班は土曜日の午前中に開催されます。これがⅭ班。今回の焼成はⅭ班が当番です。楽陶館では専属の先生が焼成作業をやってくれますので、生徒は全く関与無し。という訳で僕にとっては今回が初めての焼成作業となります。作業は「素焼き」「本焼き」それぞれで「窯詰め」⇒「火入れ」⇒「火止め」⇒「窯出し」の工程を行います。今回、僕が参加したのは「素焼き」の「窯出し」、「本焼き」の「窯詰め」「火入れ」「窯出し」。

今回の焼成は作品数が通常よりも多くありました。メンバーの作品に加えて折に触れて開催している親子陶芸教室の作品も加わったため。「素焼き」の失敗=ヒビ入り、ヒビ割れが発生する主な原因は、作品の形そのものに無理がある場合ですが、それ以外には、粘土の練りが不足している場合、作品の厚さにムラがある場合、乾燥が不十分な場合が多いとか。今回は、いつも以上に素焼き中の損傷が多く、幹事さんは責任を感じている様で気の毒でした。楽陶館の先生が作陶の際、作品の厚みを一定にするようにと口酸っぱく注意しているのがよく理解出来た様に思います。

施釉した後の、本焼きの窯入れも大変な作業となりました。作品数が多いため、作品の間隔を空けるのが大変です。3時間を超える作業になりました。

「火入れ」の作業はこの会の会長さん=Ⅽ班でいつも指導を頂いている師匠と僕の二人だけで。このクラブの窯は「ペットキルン・ガス炉(倒炎式窯)」。使用燃料はLPガス液化石油ガス)。マニュアルに従って火入れの準備をしてから6本のガスバーナーに着火していきます。バーナーに点火する順番も決められています。一度に6本全部のバーナーに点火する訳ではありません。最初は対角線にあるバーナー2本だけに点火します。作品は施釉により水分を多く含んでいるため焼成の最初の段階では焼成室の扉も開放したままにして蒸発による水分除去を行います。1時間後、追加2本のバーナーに点火。ガス圧を少しづつ上げ、1時間半後、水分蒸発を確認してから扉を閉めます。更にガス圧を上げていき、2時間後にさらに2本のバーナーに点火、これで全バーナー点火です。窯の温度は500℃位の状態、この状態までは温度の急上昇を避ける「焙り(あぶり)」の段階というそうです。この辺り以降、作品の素地や釉薬結晶水の放出が始まるとか。「焙り」から「攻め」に入っていきます。

朝の9時から作業を開始して午後の2時半に「火止め」の担当のお二人に引継ぎ・交代。交代時の窯の温度は900~1000℃ですが、交代したお二人(一人がⅭ班の班長さん)はさらに1200℃~1225℃~1250℃に温度を高めて「攻め」から「練らし」そして「火止め」に入るそうです。通常、夜の8時頃までの作業とのことでしたが、後日うかがった話では、作品数が多いので「練らし」に時間をかけて「火止め」を行ったとのことでした。僕はマニュアルを見ながら師匠に指示される通りの作業をしただけですが、師匠や班長さんの様な熟練の方がいらっしゃらないと出来る作業ではありません。こんな作業を各班それぞれでやっている=各班に焼成が出来る熟練の方がいらっしゃる訳ですから、大した陣容のクラブだと改めて感心しました。

三日後の「本焼き」「窯出し」の時には、破損ゼロ!。目出度く全作品が焼き上がって出てきました。よかった、よかった。

 

 

NHK俳句です。第四週。先月までは「句合わせ=ディベイト」形式でしたが、今回から「句会」形式に変更となりました。選者の高野ムツオさんを含め五名の方が無記名で句を提出、その句に対して参加者それぞれが「特選」「並選」の二票を投じて点数付けをします。その後に作者が名乗りを挙げるというもの。今回は西村麒麟さん、松本てふこさんの俳人お二人に加えて、俳句甲子園で三位になった東京と横浜の高校から男子、女子が一名づつ参加。兼題は「茸」。

5点句  街ぢゅうの茸を開きゆく雨か   男子高校生

4点句  茸食べ過ぎたか又も夜の地震   高野ムツオ

3点句  来たときはなかったはずの茸採る  女子高校生

2点句  茸籠子どもが足して行きしもの   西村麒麟

1点句  舞茸の羽根のごときが吸物に   松本てふこ

 

ムツオさんの句、「夜の地震」=よるのなゐ、と読むそうです。古語で地震で揺れることを「ない(ゐ)ふる」と言った由。

高校生お二人のしっかりした講評、鑑賞に驚きました。ディベイト形式の俳句甲子園での練習、訓練の賜物ですかね。番組としては今回の「句会」は大変に楽しいモノでした。良かったです。来週以降が楽しみです。今週の特選三句です。

一席   山神の常夜灯なり月夜茸

二席   分校の廊下を渡る茸鍋

三席   茸飯ありと親父の走り書き

 

駄句です。

   中秋の餅つき汗を滴らせ  孔瑠々

 

9月27日、「あほ桐会」の仲間と豊田市にある「小原和紙美術館」「和紙工芸体験館」に行ってきました。

この小原地区(旧小原村)は室町時代から和紙を漉き初めた歴史を持っており、昭和初期まで「三河森下紙」という番傘に用いる紙を生産していたそうです。昭和7年(1932年)に工芸家、藤井達吉が小原の和紙の質の良さに着目し、工芸品としての和紙、更には、絵画画面を造り上げる「小原和紙工芸」を考案したそうです。

あほ桐会のメンバーで「うちわ」作り体験をしました。館の係の人からご指導を頂き、無事に完成させることが出来ました。

 

おまけです。名古屋市エスカレーター。

  

このブログで何回か書きましたが、名古屋市では「安全な利用の促進」のため10月1日から”エスカレータは両側に立ち止まって乗る”ことの条例が施行されます。この写真は9月26日に撮影したものですが、この日の地下鉄の車両にはこのポスターが全面に貼られていました。エスカレーターには今まで以上に安心して立ち止まってノンビリ乗れることになりそうです。

キャッチフレーズの中で気に入っている優秀作品です。

  立ち止まり左右に乗るのがナゴヤ

 

コロナの感染も、インフルエンザの感染もひどくなっている様に感じます。地下鉄に乗る時には改めてマスクを着用するようにしました。皆さまもご自愛下さいませ。