クルルのおじさん 料理を楽しむ

「暦の上では」

2024年の立春は2月4日。「暦の上では春」ですが今から寒い日々が続くことになりそう。2月3日の日経の「あすへの話題」に土井義晴さんの「オーガニックな暦」という記事が掲載されていました。以下、全文コピーです。

 

『オーガニックな暦』

「暦の上では春」と言われた暦とは旧暦。ならば、邪気を払う鬼やらいの豆まきの日の節分は新年を迎える前日の大晦日(おおみそか)。その翌日が新春の正月だ。大寒のすぐ後に春が来る旧暦(太陰暦)は、人間の目にみえる月が満ち欠ける29.5日に基づいたもの。今のカレンダーは地球が太陽を回る一年約365.25日を基点にした新暦太陽暦)。

日本人の発明である歳時記は、季節の移ろいを暮らしの暦に照らした美的表現。睦月(むつき)(新暦2月)に梅の花が咲き、弥生になれば、白蓮(びゃくれん)、桃、半ばに山椒(さんしょ)が芽吹く。卯月(うづき)(新暦5月)、春たけなわの桜に筍(たけのこ)、桜鯛(さくらだい)。皐月(さつき)(新暦6月)、新緑の夏が来て、初なりの茄子(なす)がそろそろ。文月(新暦8月)、露地もんの小ぶりな茗荷(みょうが)が出回り、秋が来る。

気温に合わせ4分割したカレンダーの春は3、4、5月。夏は6、7、8月。秋は9、10、11月。冬は12、1、2月。そうしたら、はしり、さかり、なごりという細やかな季節感とは、ずれた。すると新暦の無機質な時計の時間に支配され、季節の移ろいを知る機会を失い、感性は鈍る。

「暦の上ではとっくに春なのに、今朝はずいぶん冷え込みましたね」「そろそろ花が咲きますね」と挨拶を交わす。大自然とあなたと私は一つである。人間だけじゃなくそれぞれの生命に社会と時間があるという。

目玉焼きを蓋はしないで弱火で焼く。やがて白身は盛り上がり、黄身はナイフを入れても流れない。早く焼き上げたいという我を無くし、卵にまかせたら、人生一の目玉焼きが焼けた。花鳥風月というオーガニックな時間をメインにしたらおもしろい。

さて、私も季節の時間の今を生きていく。

土井善晴、日経「あすへの話題」、2024年2月3日)

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土井さんらしい美味しそうな「暦」の記事を楽しく拝見しましたが、いつもこの種の「暦」に纏わる書き物を読む時に、僕自身、旧暦と新暦というのが相変わらず分かったようで分かっていない(時々、全く分からなくなる)と感じています。

偶々ですが、今日(2月10日)の日経「くらし探検隊」に「日付が毎年変わる旧正月春節)」という記事が出ていました。昨年の旧正月は1月22日、今年は2月10日、来年は1月29日、と大きなブレがあります。この理由はこの記事を読むとそれほど抵抗なく理解が出来ました。以下、解説の要約。

 

旧正月は旧暦の正月のこと。旧暦は月の満ち欠け(新月から新月まで)を一か月=約29.5日としているから一年は約354日。太陽の動きに沿っての季節は約365日の周期で変化するから、旧暦では年々、暦と季節がズレる。この為に2~3年に一度「うるう月」を導入して一年を13カ月としてそのズレを修正する。太陽暦は暦と季節が合うのが特徴だ。」

なるほどと思いながら、ちょっと待てよ。” 立春は毎年2月3日、4日辺りで一定している。旧正月のブレほど大きくないのは何故なのかしら ”。以前、疑問に思ったことで再度悩むことになりました。

 

ググること約一時間。「国立天文台」のウェブに分かり易い解説がありました(多分、昔、見たことがありそう)。以下、その要約。

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立春」は「二十四節気」に基づくモノ。月の満ち欠けを基にした暦では実際の季節と合致しないから、農業従事者には季節を知る手立てとして「二十四節気」が使われていた。こちらは太陽の動き=昼と夜の時間を元にして決めたモノ。現在の暦も太陽の動きを元にしているため、現在の暦で二十四節気の月日は毎年ほぼ同じとなる。

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おおっ、何と分かり易い解説。これでスッキリしたような。さらに丁寧な解説が続いて記載されていました。

 

「旧暦の方が季節に合っている、と感じている人が多いのは何故だろうか?」

この疑問に対する答えは、

「『旧暦』から現在の暦への日付の読み替えがうまくいっていないから」

「『旧暦』の日付をそのまま現在の日付に移してしまったことがあるから」。

改めて今日の日経記事「くれし探検隊」を読むと良い解説が掲載されていました。

「伝統的行事は旧暦に由来するものが多い・・・。中秋の名月のように旧暦の日付を守る手法。端午の節句のように旧暦の日付を生かして新暦に置き換える手法。8月の盆のように旧暦の日付を一か月遅らせる『月遅れ』という手法。」

 

イロイロな「読み替え」方法を使っているから、ややこしく感じてしまうのでしょうね。今回は、結構、スッキリした気持ちになりました。

土井さんの真似をして「さて、私も季節の時間の今を生きて」いきたいと思います。

 

 

NHK俳句です。第一週は夏井いつきさんの「凡人からの脱出」。今週の兼題は「入学試験」。春の季語、傍題には「受験生」「受験子」等があり。脱ボン句で紹介された句です。

   受験子の御守り三つ梅模様

「梅」も季語ではあるがこの句の場合の梅は御守りの柄にすぎない、「受験子」が明確に季語である。季重なりと言わないで良かろう、との解説がありました。

季重なり」は絶対にダメというものではないが、季語=主役が二つ登場することになり、どうしても焦点がボヤケル。「主」「脇」を明確に、メリハリをつけるべし=初心者は無理しない方が良い、と分かり易い説明がありました。特選6句で面白いと思った句です。

   二日目は居らず隣の受験生

   野球部は雪かき入学試験の日

 

テキストを見たら4月以降の選者が紹介されていました。第四週の高野ムツオさん以外は全て交代、新しい選者さんになります。夏井さんの「凡人からの脱出」は三月で終了の様です。

 

日経俳壇、2月3日の句です。

   師の見つめし光求めて葱刻む

「黒田杏子さんの代表句を思う」と選者の横澤放川さんの評。

   白葱のひかりの棒をいま刻む   黒田杏子

いい句ですね。

もう一句、神野紗季選。

   ただならぬ災禍こたつにゐて良いか

 

陶芸の仲間と話していたら、僕たちの先輩達(=立派な元気な後期高齢者さん)が何人かチームを組んで被災地のボランテイア活動に応募したことが話題になりました。仲間達のほとんでは(揶揄するつもりは全く無いのです)「二次災害を起こさない様に」「逆に迷惑を掛けない様に」という意見でした。仲間の一人はハッキリと「年寄りは出しゃばって人に迷惑かけてはダメ。出来る範囲で金銭的な支援に応じるのが一番である」と言い切っていました。僕は恥ずかしながらここまでクリヤーに言い切れないし、”金銭支援しか他に出来ること無し”と言われると忸怩たる思いがしますが、実際にはその通りだなあと感じてしまいます(但し、支援活動に名を借りたサギも多いそうですから、公的機関への寄付、信頼出来るルートでの支援を心掛ける必要がありそうですが)。

 

引き続き、楽しい会食(飲み会)を続けています。あほ桐の集まり、テリーさんとの会食、、。ドラゴン先生には再度、件のラーメン屋さんにご一緒してもらいました。注文を取りに来てくれたお兄さんに訳を話してお礼の菓子折りを渡したら、その方が店の看板の台の上に置いてあったカギを見つけてくれた方でした。嬉しい限りです。

 

しし鍋「20周年」も無事に楽しく何時ものメンバーが元気に集まって行うことが出来ました。女将さんが支援金ボックスを設置していて、お客さんにお釣りを寄付するように呼び掛けていました。大変に信頼出来る女将さんなので、皆、喜んで応じていました。輪が広がると良いですねえ。

 

  

暮しの手帖」、2-3月号。「そこにはいつも歌があった」。歌手、沢知恵さんが「国立療養所、長島愛生園」で2023年10月9日に行ったコンサートを基にした記事です。ドラゴン先生は引き続いて関係者の方々との連絡を取り続けているそうです。継続して関与しているというのはエライですねえ。

 

「世界のオザワ」、小澤征爾さん、2月6日にご逝去。今日(2月10日)の日経俳壇の句です。横澤放川選。

   秋時雨続々昭和の男逝く

モチロン、小澤さんの死を悼んで詠んだ句では在りませんが、昭和が益々遠くなってきているなあ、と感じました。小澤さんは1935年(昭和10年)9月1日、お生まれ。

全くの蛇足ですが、何故、この時節の選句に「秋時雨」なんだろうか。「季語」「季節感」、やはり難しいです。

オザワさん、謹んで哀悼の気持ちを捧げたいと思います。