クルルのおじさん 料理を楽しむ

『21世紀の人類のための21の思考』

名古屋の隠れ家のお隣の沈丁花。今にも開花しそうです。2020年2月19日、撮影。

 

    冬曇り満を持したり沈丁花    孔瑠々 

 

2018年3月にこの沈丁花の満開の写真を掲載していました。隠れ家に移ってもう2年になるんですねえ。”早いもんや”。 

 

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ハラリさんの三作目の本を読みました。「21世紀の人類のための21の思考」、2019年11月、初版発行。友達から薦められ、やはり買ってしまいました。ハラリさんのことは何回も書いています。以前のブログをザッと読み直したら、最初の「サピエンス全史」を読んだのは2017年2月頃というのを再認識しました。もう3年ほどのお付き合いになっています。「ホモ・デウス」の時もそうでしたが、今回も同じく心配が先に立ちました。作品を重ねるに連れて、内容が面白くなくなる=二番煎じ、同じようなことをクドクド言っている等々、読んで失望することになると嫌だなあと。ハラリさんに対する高い評価を落とすことがないことを祈りたい。今回の本は、タイトルからして「21Lessons」、”なんか今までの繰り返しになっているのでは”てな気がして、買って読むのをかなり躊躇しておりました。

 

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読んでみての感想は?。はい、良い意味で完全に裏切られました。僕ゴトキが余計な心配をする必要は全くありませんでした。それどころか、いままでの二作は、この三作目を書くための下拵えであったかと思えるほどに内容の充実したものでありました。「はじめに」の章で著者が記載していますが、最初の「サピエンス全史」は人間の過去=人間が如何に地球を支配する動物に上り詰めたのかを描いたもの。二作目の「ホモ・デウス」は、生命の将来=神の領域に上り詰めるような存在になり得るのか?に警鐘を鳴らしたもの。そして、今回の三作目「21レッスン」は、現在に焦点をあてて書かれたものです。

 

 

現在に焦点をあてていると言っても、ハラリさんの視点は、歴史学者として長期的な観点にたっています。その軸にブレはありません。また、この作品は「歴史の物語ではなく、一連の考察として意図されていて、読者がさらなる思考を促し現代の主要な議論に参加するのを助けることにある」と位置付けています。そして、この点が僕は”なるほど!”と感心するところなのですが、グローバルな観点に立っての課題の認識、問題の指摘が素晴らしく良く出来ています。

 

 

現在がかつてない平和と繁栄を謳歌していることを高く評価しているのですが、その一方では、生態系の崩壊、大量破壊兵器の脅威、そして、技術的破壊に曝されようとしていることに大変な危機感を持っています。そして、今までオールマイティであった「自由主義、民主主義、はたまた、哲学も宗教も科学も解を見いだせない」ことを鋭い切り口で指摘しています。

技術的破壊とは、テクノロジーの発達により、職、伝統、制度、機関が喪失したり破壊したりする、混乱と無秩序を招く急速な変化のこと。ハラリさんが言うテクノロジーとは、情報テクノロジー(IT)とバイオテクノロジー(BT) 、その双子の革命のことを意味しています(訳者さんの註)。 

 

 

そして、これら21世紀の課題=生態系の危機、技術的な破壊は本質的には全てグローバルなもの。国を超え、宗教・文化を超えて、地球規模の問題になっている。そのようなグローバルな難題への対応には、グローバルな協力が必要なのに、今に至る国家ナショナリズム、それぞれの宗教・文化のせいで、かえって協力が難しくなっている。これらの問題に対して、国家、国の制度・仕組みは答えを見いだせていない。また、従来の哲学、宗教、科学は揃って時間切れになりつつある、との誠に的を得た指摘がされています。

 

 

 邦訳を読んだあとでですが、興味があったのでペーパーブックの原書をアマゾンで注文しました。届くのには10日ほどかかるとのことでしたが、実際には4-5日で隠れ家に送られてきました。配達料は別途負担でしたが、アマゾンってホントに便利ですねえ。

原書のタイトルは「21 Lessons for the 21st Century」、邦訳のタイトルは「21世紀の人類のための21の思考」となっていますが、改めて”上手い訳やなあ”と感心しました。

 

 

この本は目次を見るだけで内容のイメージが湧いてきます。邦訳と原書の目次それぞれを並べて見るのも面白いです。本の構成は以下の五部構成になっています。

第一部(Ⅰ)テクノロジー面の難題(the technological challenge);ℒ1からℒ4まで

第二部(Ⅱ)政治面の難題(the political challenge);ℒ5からℒ9まで

第三部(Ⅲ)絶望と希望(despair and hope);ℒ10からℒ14まで

第四部(Ⅳ)真実(trush);ℒ15からℒ18まで

第五部(Ⅴ)レジリエンス(resilience);ℒ19からℒ21まで

原書の本文は318頁、邦訳では392頁でした。丁寧な翻訳になっていると思います。

 

 

面白い記述、印象に残る言葉を抜き出しておきます。

●ℒ11;戦争(war)。「人間の愚かさを決して過少評価してはならない(never underestimate human stupidity)」・・・最近、肝に銘じたいと思っている言葉です。

●Ⅲ;絶望と希望。「人類は恐れに己を見失わず、もう少し、謙虚な見方が出来れば(if we---be a bit more humble about our views)うまく対処できるだろう」

●ℒ12;謙虚さ(humility)。「あなたは世界の中心ではない(you are not the centre of the world)」・・・この本を通じて西洋文明、一神教ユダヤ教イスラエル人に対する批判的な記載が多く出てきます。このℒ12でもユダヤ教を例にとって説得力のある厳しい指摘をしています。原理的な方々の反発を誘ってハラルさんが不慮の事故に遭遇することが無いことを祈りたいと思います。

●ℒ19;教育(education)。「変化だけが唯一不変(change is the only constant)」

 

 

冒頭の「はじめに」で「個人のレベルをないがしろにするつもりはない」と記載されていますが、それどころか、第三部以降は、個人のモノの考え方・・・意識、心、人生の意味、謙虚さ、そして、瞑想まで、個人の一人ひとりが考えておくべきことが書かれています。この本は、読者の個々人レベルのこと=それぞれがどう生きるか、に重点を置いたものと言えると思います。

あえて突っ込めば、”グローバルな問題を解決するためにはグローバルな協力が必要であるのに、現在の国家、宗教・哲学等はその答えを示すことが出来ていない”と指摘しておきながら、あたかも”個人一人ひとりがその思考を高めていくことが大切だ”ということで終わっているような感じがします。

”これでは答えになってまへんでえ、ハラリさん。”

ハラリさんにも「解」になるようなグローバルな世界の仕組みが、まだ見えていないからなのか、はたまた、次作以降のお楽しみ、ということなのか、楽しみであり気掛かりなところですかね。

 

 

耳慣れない、直ぐに理解出来ない難しい言葉もありました。 

●ℒ14:「世俗主義」(Secularism)。国家の政権・政策・機関が特定の宗教権威・権力に支配されない。宗教権威・権力から独立した世俗権力(俗権)とその原則により支配されるべき、という考え方(ウィキペデイアの受け売りです)。ハラルさんの認識として、世俗主義が理想とする重要な価値観は①真実、②思いやり、③平等、④自由、⑤勇気、そして、⑥責任であると。 

 

●Ⅴ:「レジリエンス」(Resilience)。元々は物理学の用語だそうです。ストレス=外圧による歪み、に対して、「外圧による歪みを跳ね返す力」のことをレジリエンスと。精神医学では「極度の不利な状況に直面しても正常な平衡状態を維持することが出来る能力」と捉えられていると(同じく、ウィキペデイアの受け売りです)。

第五部「レジリエンス」の見出しには「昔ながらの物語が崩れ去り、その代わりとなる新しい物語がまだ現れていない当惑の時代をどう生きればいいのか?」と記載されているのですが、そこにℒ19「教育」、ℒ20「意味(人生の意味)」、ℒ21「瞑想」の章が設けられているのが何やら暗示的ですかね。

 

 

ハラリさんの個人的なことも開示されています。巻頭の言葉「我が配偶者イツイク(と母、祖母)に愛をこめて」。最終の謝辞「配偶者でマネージャーのイツイク、本を書くこと以外の全ては「彼」がやってくれる」。原書では、my husbannd、my spouse、と表現されていました。

アメリカ大統領選挙でも、民主党の若手の注目候補、ピート・ブティジュッジさん(38歳)が、spouseの「彼」と仲良く登壇している姿が映し出されています。民主党の候補者は、ほとんどが70歳超の高齢者、現職のトランプさんも高齢者。年齢だけで選ぶものでは無いでしょうが、もう少し世代交代は進む方が良いかと思ってしまいます。この最年少の候補者さん、健闘して欲しいですね。

 

 

ハラリさんが瞑想の効用を重視しているのは知りませんでした。最終ℒ21;「瞑想」(Meditation)で詳細に記述されています。今でも毎日2時間瞑想し、毎年一か月か二か月、瞑想旅行に行くそうです。「瞑想は現実からの逃避ではない。現実と接触する行為だ。瞑想の実践が提供してくれる集中力と明晰さが無ければ(過去の2作は)書けなかっただろう」と。「心」と「脳」は全く別なモノであり、今までのところ「心」がどのように表れるのか全く説明できていない、との記述があります。また、この前の章ではブッダの教え=万物は絶えず変化している、との記述も。何やら「心」の持ち様が東洋的?、日本人的?なところが多くありそうな。訳者の柴田裕之さんがあとがきで書いていますが「著者はもともと、日本人にとって親しみやすい存在かもしれない」ですね。

 

 

ハラリさんは1976年生まれ、今年で44歳(のはず)。まだまだ著作は続くものと期待されます。次作はどんな「心」を表してくれるものやら、今から楽しみにしたいものです(出版されても、暫くは、買わないかも知れませんが)。