クルルのおじさん 料理を楽しむ

W杯2018ロシア

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国宝姫路城。1993年(平成5年)12月に、奈良の法隆寺とともに、日本で初めての世界文化遺産となっています。2009年から6年かけて大規模の保存修理工事が完了して、2015年3月から大天守の一般公開が再開。改修後、初めての訪問です。以前に行った時よりも立派に美しくなっていました。暑い中ではありましたが、大天守の最上階まで足を運びました。大満足。2018年7月19日、撮影。

 

 

 

既に古い話題かと思いますが、W杯2018ロシアを堪能させていただきました。『卒業』後、翌日の(いや、深夜の試合では当日の)予定が詰まっていないことの有難さです。テレビの報道取材で「深夜の試合を見ますか?」と街頭インタビューしていましたが、かなり(ほとんど)の方が、翌日(当日)の予定はいつも通りではあるが「絶対、見たい」との答えでした。4年に一度、それも日本チームが大健闘した大会ですから、然も有りなんと感じます。前回のW杯の時もそうであったと思いますが、深夜の試合で日本チームが得点を挙げたり、逆に点を取られたりした瞬間には、深夜であることを完全に忘れて「ギャー!、オオッ!」と大声をあげてしまいます。思わず、ご近所さんにご迷惑をかけたかと心配になりますが、何のことは無い、ご近所さんでも同様のリアクションがされていて、笑ってしまったり。日本中で一体感が高まっている瞬間であると楽しくなります(お休みになってらっしゃった方には、本当に申し訳ありません)。

 

 

優勝はフランスチーム。チーム全体が若いチームですが、中でも19歳のエースが一躍次世代のスーパースターとして大きく注目されました。フランスの優勝は20年ぶり二度目とのこと。

フランスチームのW杯で記憶に残っているのは、ジダン選手が決勝戦の延長時間帯にイタリアの選手にヘッドバッド(頭突き)をかまして一発退場となり、結局はPK戦で負けてしまい優勝出来なかった大会。あれは2006年ドイツ大会だったそうです。

 

また、大きく取り上げられていますが、20年前の1998年に初めての優勝をした時のキャプテンが今回のフランスチームの監督であるデシャン監督です。選手と監督の両方でw杯優勝したのは、ブラジルのザガロ、ドイツのベッケンバウアーに続いて史上三人目とのこと。ザガロさんは1950年代に活躍された選手だそうですから、まったく覚えていませんが、ベッケンバウアーは僕らの世代にサッカーの面白さを思い知らせてくれたスーパースターの一人です。彼がw杯で優勝したのは1974年のこと。地元西ドイツでの開催。西ドイツ、東ドイツという二つのドイツがあったこと自体が懐かしい思いがします。この年は、僕はニューヨークに長期研修で赴任していた時でした。日本でも、そして、アメリカでもサッカーは今ほどの人気を集めてはいない時代。W杯の話になっても関心が無い人も結構いたほど。それでも熱心なフアンはいるもので、ベッケンバウアーを話題にして、彼の柔らかい膝の動き、冷静沈着なプレイぶりを称えあって盛り上がったことを覚えています。彼が監督でW杯を制覇したのは、1990年イタリア大会だったそうです。

ちなみに、日本がW杯に初めて出場したのは、1998年フランス大会。デシャン監督がキャプテンとして優勝した大会です。日本は予選リーグ全敗して敗退。まだまだ歴史が浅いということでしょうか。

 

 

最優秀選手は、クロアチアを初めての決勝に導いたモドリッチ選手。7試合の合計で694分のプレイ時間は今大会の最長とか。クロアチアというのは人口が約4百万人の小国、地図上でどこにあるのか正確に示せる人はほとんどいないかも知れません。彼と彼らのチームにとってW杯決勝に進んだということは、まさしく国の歴史に記録を残す大偉業であったと感じます。あっぱれ!。

  

 

今回の日本チームは、前評判が芳しくなかったにも拘わらず大健闘でした。決勝トーナメント進出を決めた試合、”1点差の負け”を死守する戦いぶりには、評価が分かれたようです。海外のメディアからも「サムライ魂が無くなった!」と酷評されていた由。結果は、決勝トーナメントのベルギー戦の大健闘が全てをカバーしてくれたと思います。ベルギーに2点を先制した上での、2:3の逆転負け。初めてのベスト8は残念ながらお預けとなりました。健闘を称える解説がなされていますが、選手の皆さんは世界トップレベル(=ベルギーは世界ランキング3位です)が死にモノ狂いになって反撃した時の恐ろしさを肌で痛感したことと思います。今までは”善戦”の一言で終わっていたものが、今回、2点をリードして勝ち切ることの難しさを本気になった世界3位に思い知らされたということでしょう。まだまだ、歴史、経験の差が大きいのだと感じました。それでも、感動させてくれた日本チーム、監督、選手に拍手を送りたいと思います。

 

四年後を今から楽しみにしていたいと思います。

 

 

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クルルのおじさんの一人料理。Smart Natural Lifeを提唱されている上田涼子さんのブログを拝見、「ラップ成型もコンロもいらない、炊飯器で作る”やわらかジューシー鶏ハム”」のアイデアを基にして作ってみました。この写真は、二回目にラップ成型をしてトライしたもの。

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「炊飯器の保温機能を活用すれば良い」、「そのためには耐熱仕様のポリ袋があれば良い」という考え方に感心してやってみました。二回目は、ラップ成型したものを耐熱仕様のポリ袋に入れ、基本の調味に加え、シソの葉、バジルの葉、粒胡椒を加えてやってみました。「電気炊飯器の活用で時間はかかるが手間はかからない」料理です。次回は、カミさん、家族に自慢してみようかと。ちなみに、耐熱仕様のラップは東急ハンズ渋谷店で、岩谷マテリアルの”アイラップ100”を購入しました。2018年7月9日、料理と撮影。

 

『平成30年7月豪雨』

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 東山動植物園の休日。普段は大勢の人で賑わっていますが、月曜日は休館日。晴れ上がった良い天気だったので、久しぶりに東山一万歩コースに挑戦。平日にのんびり散歩・ウオーキングというのにも少しは慣れてきました。動物園の前ということで横断歩道の白黒の模様がなにやらシマウマさんのように感じられます。2018年7月2日撮影。

 

 

7月の6日から7日は、退任あいさつの積み残しの最後の公式行事が予定されていました。東京、名古屋、福岡の会社の方々が集合して博多で会食とゴルフ。毎年やっている恒例の行事なので、主催者の方が、僕が参加する最後の機会であろうから(退任後の)7月ではあるが参加するように要請してくれました。有難いお話なので皆さんの了解を得て参加させてもらうつもりでいました。

 

 

ところが、5日辺りからお天気の様子がおかしくなってきました。もともと大雨の予報が出ていましたが、半端ではない大雨の様子に。幹事の方は互いに連絡を取りつつ、天気予報とにらめっこして大わらわ。6日当日には、大雨予報というよりも大雨の警報が発令される状況になり、早々にゴルフの中止を決定。会食も中止して全てを延期とする意見が大勢を占めるかに見えましたが、既に名古屋組の一部は現地に向かっている、また、地元博多では特に問題もなさそうとの福岡組のコメントもあり、結局、東京組が参加見合わせとなりましたが、福岡・名古屋組での懇親会として開催しようということになりました。

 

 

僕は午後に名古屋発の新幹線でのんびりと行くつもりをしていました。交通情報にだけは注意していましたが、早朝の情報では若干の遅れが発生している程度とのことでしたので、予定よりも早い便に乗車すれば良かろうとゆったりと構えていました。しかし、時間が経過するにつれ状況は急速に悪化。大幅な遅れになり、遂には部分的に不通そして運休に。急遽、セントレアからのフライトに切り替える手配をお願いしましたが、ちょうど時間の良い便は既に満席。次のフライトは会食の開始時間に若干遅れてしまうものの席が残っていましたので止む無くその便を手配してもらいました。雨の中、福岡空港上空に到着。飛行自体には遅れは無かったのですが空港の滑走路の混雑で着陸待ちとなり、それでも15分~20分程度の遅れで着陸。そこからが大変。タクシーは大混雑、道路も大渋滞。運転手さんが「これほどの混雑は今までに経験が無い」というくらいの大渋滞。ようやく会場に到着しましたが、約束の時間からは一時間以上遅れての到着になってしまいました。

 

 

一息ついて乾杯をさせて頂いたところで、福岡組のトップの方から「今日、天気が最悪のなかで無理して集まってもらったのは、XXさん(僕のこと)に感謝の気持ちを伝える場を持ちたかったから」と何とも嬉しい挨拶をしてくれました。この会社の会長さん(今回の総会で相談役に)と社長さん(同、会長に)のお二人とはほぼ同じ年齢で、それこそ公私ともに大変に楽しいお付き合いをさせて頂いている間柄です。年齢的には一番若い僕が先に「卒業」ですが、卒業後もお付き合いを続けたい方の一人(いや二人)です。

 

 

6月末に僕は退任のご挨拶のハガキを発送しておりました。そのハガキには連絡先として神奈川の自宅の住所、電話番号。携帯電話の番号。メールのアドレス。それに加えて名古屋のマンションを”隠れ家”と称して書いて入れておきました。案の定、僕が到着する前にその話題になっており物議を醸していたようです。何やこの”隠れ家”というのは?! 

イロイロな反応があり、面白いコメントも沢山いただき大変に楽しかったです。“別荘のようなもんかい”。”なんかわからんけどオモロそうなニュアンスがでとるで”。”男の隠れ家、ええなあ”。

30年以上お付き合いしている関西のジャーナリストのおっさんからは「すばらしいフレーズやおまへんか!」と激励のメッセージを頂戴しました。皆さんのご期待?に沿うべく隠れ家での生活も大切にしたいと思ってます。

 

 

翌7日の土曜日、ほぼ朝一番のフライトで帰路に着きました。空港はもちろん大混雑。予約してあるチケットを入手するのにも普段の倍以上の時間がかかるほど。疲れましたがとにかく無事に名古屋の隠れ家に戻りました。シャワーを浴びてホッと一息。ところが、新聞、テレビを見て、改めて、豪雨の状況にビックリ仰天です。

 それ以降、テレビの報道で被害の状況が明らかになっていくのを信じられない思いで見ていました。地震、台風による被害ではあるまいし、「雨」の被害で、これ程の災害が発生するものなのか。

 

 

今は、神奈川の自宅で7月10日の日経新聞朝刊を読んでいます。一面に「豪雨被害 平成で最悪、 西日本 治水の想定を上回る」。9日までに死者126人、安否不明が80人以上。気象庁が「大雨特別警報」を発令したのは、佐賀、福岡、愛媛、高知、広島、岡山、鳥取、京都、兵庫、岐阜の10府県に及んだそうです。6日以降8日までの二日間の雨量は123地点で観測史上最高を更新したと。

大雨特別警報とは「数十年に一度の重大な災害が予想される警報」とのことですが、残念ながらその通りになってしまっています。

相変わらずこういう場面で何もすることが出来ず、家族・親戚・友達・知り合いの安否を心配することが精いっぱいで、無事の確認が出来たら一安心しているだけの自分がやや情けなくなります。被災地の多くが9日には梅雨明けして気温が上昇しており、熱中症感染症が懸念されているとのことです。くれぐれもご自愛くださるようにお祈り申し上げたいです。

 

 

同じ日経朝刊の記事にタイの洞窟に閉じ込められている地元サッカーチームの少年達が9日までに合計8人が救出されたことが記載されていました。少しは明るい話題の記事がありホッとしています。少年達がコーチと共に洞窟に入ってから9日で、17日目になるそうです。残りは5人とか。一刻も早い全員の救出を祈りたいです。 無事が発見された時、「救出されたら何をしたいか」との質問に対して、「w杯2018ロシアを観戦に行きたい」と答えたと聞きましたが、是非、全員無事に救出されて夢を実現してもらいたいものです。

  

 

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 隠れ家での料理。『肉みそのっけ冷奴』。アイデアNHKきょうの料理の高城順子さんのレシピ「レンジマーボー豆腐」。電子レンジで作る肉みそをベースにしたものですが、肉みそは他の先生のレシピを見てそれなりにチャンと作ってみました(電子レンジの調理が得意ではないので)。あとは高城さんの盛り付けに従って。ちなみに、お豆腐は「いしかわ」さんの豆腐です。2018年7月7日撮影。

 

 

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『肉みそソーメン』。同じく高城さんの「マーボーそうめん」のアイデアに沿って。昨日の肉みそを使用。きゅうりにレタスも加えました。肉みそをソーメンの上にのっけて撮影したのですが余り盛り付けが上手くいかず。かえってガッーと混ぜた方が美味しそうに感じたもので(美味しそうに見えているかしら?)。きゅうりはもっと細く切る方がキレイに見えるのでしょうね。食べてみると結構美味しく頂けました。2018年7月8日撮影。

 

 

挨拶回り

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6月26日、最後の出社の日に会社の皆さんから花束を頂戴しました。部屋の中が随分と明るく豪華になりました。感謝、感謝。2018年6月27日撮影。

 

 

『卒業』に際しての最後の挨拶回りをやっています。6月が区切りの月なので、なんとか6月29日の金曜日で完了するように無理やり(失礼の無い程度に)お願いしてアポを取ってもらいました。

 

 

会社に出社するのは6月26日が最後の日となりました。夜、会社の近くで幹部の方々との最後の食事会があるので久しぶりに出社しました。日中は部屋、机を片付けて、夕方、事務所にいる皆さんと少人数のグループごとに写真を撮ってもらいました。食事会に移動するために会社を退社するときには、在社していたほぼ全員が事務所前に集まってくれて全体の記念撮影をしてもらいました。立派な花束も頂戴しました。それから会社を去っていくところを皆さんに見送って頂きました。会社の入退場ゲートを通り過ぎるときには”次にここを通る時にはOBとしてなんやなあ”と思うとややこみ上げてくるものがありました。

 

 

挨拶回りは、うちの会社の製品の販売をやって頂いている特約店さんへのご挨拶が中心です。この地域=名古屋、三重、岐阜、静岡、京都辺りでは、オーナー企業の比率が圧倒的に高い。挨拶するのもオーナー会長さんとかオーナー社長さんとかがほとんどです。何人かの方とは会社としても個人としても大変に長~く親しいお付き合いをさせて頂いているので、お互いにほとんど遠慮というのがありません。皆さま大変に立派な方なのですが、お口は決して上品とは言えず(と僕が言うと”お前には言われたくないわい”と間髪おかずに反応があります)得てして突っ込みの応酬になります。傍で聞いている人からすれば、二人で漫才をやっとんやないかてな会話になっています。

 

 

予想通り、極めて親しくしてもらっている方から「仕事人間が急に仕事を離れたらボケるんとちゃうか。可哀そうに。何もやることが無くなって寂しいやろ。」といきなりキツーイ一発を見舞われました。こういう時には黙っているとカサにかかって攻めて来られますから言い返すのが礼儀です。「その通り。会社を卒業するのはサラリーマンの特権。うらやましいでしょ。卒業出来ないのはオーナーさんの宿命。体を壊さないで、ずーっと元気にお仕事して頂戴。」この程度は言い返すとやっとイーブンな会話になります。(念のための注釈。オーナーさんは皆さんが大阪弁を話してるわけではありません。ちゃんとした標準語を駆使されています。)

 

 

サラリーマンという言い方は余り好きではありません。植木等さんの”サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだあ~”というフレーズの印象が強く残りすぎています。サラリーマンも間違いなく大変。一方、オーナーさんもやはり大変。確かにオーナーさんは卒業出来ないんですよね。卒業という概念が無い、という方が分かりやすいのかも知れません。役職を退かれてもオーナーである限り会社にバイバイという訳にはいきませんから。逆に、サラリーマンは、役職を離れたら口を挟むべきではない。口を出してはいけない。バトンタッチしたらスッキリと会社から離れるのが一番だと思います。日本のトップクラスの企業で発生している不祥事は、第一線を離れた年寄りがそのまま影響力を保持しているのが原因の一つだと指摘されていますが、それはその通りですね。反則技です。やったらアカンと思います。

 

真面目なオーナー社長さんから「すっきり・さわやかな顔しとるねえ。やりたいことをやり尽くして、後任にバトンタッチ出来て。うらやましい限りやわ。」とシンミリと言われた時には返す言葉が無くなってしまいました。自分ではスッキリ爽やかな心境では無いと思ってますが、心のどこかではやはりホッと一息ついているのかも知れません。

 

 

相変わらず移動時の読書の時間は大好きです。イシグロさんを一通り読破した後、今は、内田樹さん「街場のマンガ論」(小学館)を読んでいます。以前、古本屋さんで何冊か買ったものが机の横に積んでありました。そもそも内田さんに関心を持った切っ掛けは例によって本の目利き師匠の紹介です。随分と前ですが、最初に読んだ本(名前は忘れました)に、神戸女学院の講堂についての記述があり、その描写が素晴らしかったのを覚えていました。その後、彼の代表作レヴィナス三部作の一作目「レヴィナスと愛の現象学」を読もうとしたのですが、一気に読める本ではなくて、途中まで読んだ辺りで、その本が何処かに行方不明となりそのままになっていました。この「マンガ論」はいまのところ結構面白く読んでいます。

 

 

体重は、心配した通り素直に増加しております。6月27日の計測では、遂に昨対アップしてしまいました。僕は結構、記録魔で何でもカンでもメモを残しています。後から必要な時にそれをリファー出来ないことが圧倒的に多いのですが、体重はリファー出来る数少ない記録の一つです。記録を遡るとナント2015年9月8日以降、前年同日との比較では増加したことがなかったのです。増減そのものは結構の幅がありましたから、季節的に増える(減る)ときは毎年ほぼ同じ時期に増えていた(減っていた)ということなのでしょう。それがついに、2018年6月27日には昨年同日を上回ることになってしまいました。今週末は、覚悟して昨対マイナスに再挑戦します。

 

 

何のために記録を書き残しているのか。僕としては自己満足としか言いようがないかと思っていますが、この体重の推移のように必要な時にうまくヒットしてくれると満足度はグンとアップします。

 

再度「マンガ論」の本の話に戻りますが、内田樹さんは「必要な情報を必要な時に取り出す能力に恵まれている」そうです。だから「膨大な参考文献をシーケンシャルに、ノートを取りながら、網羅的に読む、ということが出来ない」と。そういう検索の仕方ではなく「パラりと開いたそのページに、まさに読まれるべき言葉が書かれていたという出会いを信じたい」という表現をされております。凡人からすると何やらオカルト的読書・検索法のようです。

 

更に、この本(街場のマンガ論)のなかに「これから書くレヴィナス三部作の最終巻『時間・記憶・身体』の刊行を楽しみにして頂きたい云々」というクダリがありました。2003年12月の文章。この「マンガ論」との”出会い”のお陰で、もう一度、レヴィナス三部作に挑戦してみようかという気持ちになってきております。実は、この内田のオッサンも1950年生まれなんですね。三部作を楽しんで読むことが出来れば『1950年生まれ、その3.』で書くかも知れません。

 

  

「俗世を離れてやりたいことを楽しむ」というのは随分とレベルの高い境地だと思うようになってきました。俗世の最後の最後の段階で、あれこれと考えている今日この頃です。 

 

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久しぶりにゴーヤ・ソーメンチャンプルーを作りました。今後、名古屋に居る時には一人メシの機会が多くなるでしょう。料理は何のため?。単純に食いしん坊の自己満足を最大化させるため。その内、人の笑顔を見たいため、なんて言える日も来るかしら。そうめんのゆで方はカミさんに指導してもらいました。「とにかく味見をして確かめること」と。2-3回やったら何となく要領が分かったと思うようになりました。2018年6月30日料理と撮影。

『卒業』

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支笏湖の北方民族伝統工芸品・限定遺作品を取り扱っているお店で買ったもの。表情豊かな作品かと。買ったのは2018年5月。撮影は2018年6月20日

 

 

6月14日付けで、会社の一切の役職から退任しました。僕の仕事人生の卒業です。6月14日は、碧南の会社の全社集会で挨拶する機会を頂きました。翌15日は、日向の会社の同じく全社集会で同じ機会を頂きました。2003年に碧南の会社に来て以来、早いもので15年経っています。当時、若手・中堅の社員だった仲間が、今では、会社の中核を担う幹部・役員に成長しています。挨拶の時にも、「そのことが大変に嬉しく、頼もしく思っている」ことをお話ししました。また、会社を離れても、名古屋での生活を続けるつもりで、神奈川の留守宅と名古屋のマンションを行き来する生活をしてみるつもりであることも話しました。説明を端折ったので「何、それ?」と思われた方も多かったかもしれません。

 

 

日向の会社の常勤の役員さんは、昨年度から、全員が日向の会社の生え抜きの方々になっています。「自分としてはそれを大変に嬉しく思っている。今の役員さんもその重さを改めて認識して頂いて頑張って欲しい」旨をお話ししました。最後まで、説教じみたことを話したかと後で心配になりましたが、役員の方が「ありがとうございました。苦しかった時のことを思い出してジーンときました。チョット、ウルウルしてしまいました。」と言ってくれたので、”言いたかったことは通じてたんや”と思って、僕の方もウルウルしそうになりましたが、流石に涙は見せないで済ますことが出来ました。その夜は幹部・役員さんとの懇親会がありました。翌日の土曜日は恒例の懇親ゴルフが予定されており、ゴルフの話題を中心にひたすらに明るく楽しく場を盛り上げることが出来ました。

 

 

先週あたりから、お客さん・取引先への挨拶回りをやっています。久しぶりに大忙し。夜の会食も続いています。なぞなぞクイズ「減らすのは大変に難しく、増やすのはチョー簡単なことは何でしょう?」。貯金は全く逆だと思いますが、正解の一つは体重でしょう(個人差はもちろんあります)。僕の場合、会食=食事を楽しむと同時にお酒を飲んでしまうことですから抑えていた体重も簡単に増加傾向になってきます。この生活パターンは7月上旬くらいまで続くことになります。ハードなスケジュールで彼方此方回ることになるので、結構、疲れますが、ちゃんと挨拶回りさせて貰えるだけでも本当に有難いことだと感謝しています。その時に、僕のお腹回りはどうなっていることやら、やや心配、かなり心配、大変に心配です。

 

 

そんな訳で「卒業」しても挨拶回りがあり、それが一段落するのはもう少し後になりそうなのですが、はてさて、その後は、どんな生活になるのでしょうか。それなりの準備をしてきたし、覚悟は出来ているはずなのですが。不安と言うのでは無いと思っているのですが、まだ、実感が沸いてこないというところです。

 会社・仕事に行かなくても良い=行く必要が無い=行かねばならないところが無い。時間を潰すことは、それなりにいくらでもあると思っているのですが、それで自分が満足したり、充実したりを実感できるものなのかしら。仕事というのは、お金=お給料を頂いて、さらに、仕事上の充実感、達成感、満足感も持つことが出来て、こんな有難いものは他には無いのかもしれませんねえ。やはり、僕は会社・仕事人間だったんでしょうねえ。

 

 

本屋さんでその関係のコーナーを覗くと、例によって沢山の本が並んでいます。定年後のなんじゃら、とかそういう類の本。僕は、料理の本とか、健康とか、ゴルフの本とか所謂ノウハウ本も結構よく読んでいるほうかも知れませんが、このテーマの本は読んでみようと思わないですね。端から全く期待していない。天邪鬼な性格からなのか、尤もらしいことが書いてあるだけでアホらしいものと読まないで勝手に決めてかかっている。

 でも一方では、「卒業」後の生き方について、先達からの金言とか心構えとか、すっと腹に落ちるフレーズを求めているのは間違いのないところです。ふとした時に、そういう言葉に出会うと素直に嬉しくなることがあります。この一年の間にも有難いことに、そういう出会いがありました。

 

 

日経新聞であったと思いますが、某大手トップ飲料メーカーさんの広告の一面広告がありました。製品の宣伝ではなくイメージ広告。タイトルは「60代の若者たちへ」。今まで仕事、仕事で生きてきて、とうとう会社・仕事から離れることになった年代に対するこの会社のアピール広告でしょう。脚本家・劇作家・演出家の倉本聰さんのメッセージが掲載されている。倉本さんは1935年生れ、15歳も年上です。所謂、カッコ良く老いていると思わせてくれる方。短い文章でしたが、それを更に短くすると

「長く生きることより、どのように生きるかに価値がある。」

「もう一度、原点や初心に立ち返ってみてはいかがか。」

「この先どう生きるか。しまっておいた夢を取り出してみないか。」

しまっておいた夢を取り出して、アームチェアに座ってこの会社のウイスキーをロックで飲んでいる姿を想像してしまいそうな、相変わらず上手いアピール広告だなあと感心しました。言葉というのは大変なもので、頭のなかではこのような気持ちを持っていることは分かっているのに、それを言葉に書き表すということが出来ない。プロの文章家さんの凄いところだと思います。

 

 

もう一つは、図書館で借りてよんだ本の中で出会いました。河合隼雄さん「出会いの不思議」創元社。もともとは中央公論社の巻頭言に掲載された短文を纏めたもの。学者、研究者、知識人等々の方と面談した時、または、彼らの文章を読んた時に、河合さんが関西弁でいう「オモロイ」と感じたことを綴ったもの。 

 

「隠遁生活ではなく”陽遁”を」

「年齢が来たから、それまでの地位を退く人は多い。その時に、退職とか考えずに”陽遁”すると思うと、ずいぶん感じが変わる。煩わしいい俗事を離れて、自分の好きな世界に陽気に入っていく。何かを失うのではなく、新しい生活を拓くことになる。白洲正子の晩年は、まさに陽遁であった。」河合さんの言葉ではなくて、どなたか学者さんが引退されるに際してのコメントであったと思います。

「煩わしいい俗事を離れて、自分の好きな世界に陽気に入っていく。」これも、倉本さんのメッセージと同様にナカナカ一行では言い表せない言葉でオモロイなあと思いました。

 

 

挨拶回り雄の道中で、カズオ・イシグロを更に二冊読みました。「日の名残り」と「私を離さないで」。「日の名残り」は、退任・退職・引退しようとしている立場の方が読むと、更に印象深い読み物かと思います。イシグロのおっさんは、やはり、只者ではない。大した作家だと思いました。

 

本日は、若干メランコリックになっているのかも知れないクルルのおじさんでありました。

 

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沖縄のグラス。いつも連れて行ってもらう那覇にある地元の料理屋さんで泡盛を頂くときに出てくるグラスです。工芸品店とかお土産屋さん等々で同じ輝き・色調のものを探すのですが今まで見つけられず仕舞い。今回で当分このお店にも来れないかと思い、思い切ってお店の方に話をしたら破格のお値段=そのお店の仕入値段で分けてくれました。これで焼酎を飲んだら、夢を取り出せるかな。2018年6月17日撮影。

お葬式

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永良部のユリの写真、その1。今年も豪華に咲いてくれました。奥にヘベスの苗木が植わっているのですが、この写真では見えないくらいユリがいっぱいに咲いています。2018年6月3日、撮影。

 

 

 

取引先の会長さんの奥様が亡くなられました。葬儀・告別式に参列してきました。早く到着したので会長さんに元気を出してもらうよう挨拶をしようとしたのですが、会長さんの目が真っ赤でした。言葉が出てこず涙が出てしまいました。会長さんが喪主としてのご挨拶をされた時には、思わずもらい泣きをして、また、涙が止まりませんでした。心よりご冥福をお祈りしたいという気持ちと、同時に、残された旦那さん=会長さんが早く元気になって欲しいという気持ちを強くしました。

 

 

小麦粉、砂糖、お米等々の取り扱いで全国トップクラスの会社の会長さんです。会社の会長だけでなく業界団体の役職もされている方なので、多数の方々が弔問に来られていました。僕は、そのなかでも長年にわたり、そして、公私にわたり深くお付き合いをさせて頂いている一人であろうと思います。会社経営振り、営業・販売方針等々では、いつも強気で積極的な会長さんです。商売の話になるとお互いに激しくやり取りする時もありましたが、いつも良い刺激を頂ける方です。仕事で壇上に立って挨拶をする際には、強面の顔で”みんなで一生懸命頑張って儲けましょう”と気合を入れた威勢の良い挨拶をされるのが常でありました。

 

 

この日ばかりは、喪主さんとしてのご挨拶はボロボロ、クシャクシャでした。もともと挨拶は得意ではない。気持ちを大切にされて、強気の姿勢を前に出してやってられる方だと感じておりますが、この日も、自分の気持ちを分かってもらえるように素直に話しようとされていました。「自分が会社で社長、会長をやることが出来ているのは、仕事以外の全てを安心して任せることが出来た女房がいてくれたからだ。自分より先に逝くなんて信じられない。残念でならない。」という趣旨のことを何回も言葉に詰まりながら、顔をクシャクシャにされながら挨拶されていました。参列していたほぼ全ての皆さんが、亡くなられた奥様の存在がいかに大きかったのかを改めて認識されたことと思います。

 

 

この葬儀には、喪主さんと大変に仲の良いもう一人の業界の重鎮の方(この方も会社の会長さんです)が東京から参列されると連絡があったので、名古屋駅で待ち合わせをして一緒に会場に入りました。葬儀の席でも横に並んで参列していましたが、喪主さんのご挨拶の時、ふと横を見ると僕よりも激しく涙を流されているのが目に入ってしまいました。三人の年齢ですが、この方が最年長=70歳後半、喪主の会長さんが真ん中=70歳前半、僕が最年少=60歳後半。客観的には三人とももう立派なおじいちゃんですが、僕も含めて三人とも極めてお元気、その年には見えない方ばかり(自分で言うのはチト恥ずかしいですが)。僕も自分では気持ちを若く保っていると自負していますが、最年少の僕よりもお二人はずっと気持ちが若い。仕事は現役で熱心にやられているし、話題は豊富、自分の気持ちを熱く語る、熱心に議論する。ゴルフも楽しく一緒によくやっています。いつもキャデイさんが年齢を聞いて驚くくらい。

 

 

昨年の5月に、それぞれ夫婦一緒に六人で会食をしました。喪主の会長さんの亡くなられた奥様にお会いしたのはこの時が初めてでした。年長さんのご夫妻が会話をリードして場を盛り上げて頂き、大変に楽しい会食でありました。年中の喪主さんは、男だけの会食の時には仕事の話中心に強気で迫力のある話しぶりで会話をリードし、年長さんも年少さんの僕も黙らされることがあるのですが、この時ばかりは勝手が違ってか、大変に大人しく優しい旦那さん振りでありました。口の悪い(=三人ともに、常に相手にスキあらば突っ込もうと準備しているタイプですから)年長さんと年少さんの僕の二人は、喪主さんのいつもと違う態度に、思わず膝を打ち、声を合わせて「そうか、アンタは奥さんが一緒のときはすごーく優しくて良い旦那さんになるんだ。これからは、いつも奥さんに同席して頂くことにしよう。回りの方々が大変に助かる!」と声をあげて大喜びしました。調子に乗って、僕は奥様に向かって「奥様はすばらしい猛獣使いですね」と大変に失礼なことを言ってしまいました。奥様は優しく「そんなことありませんよ。家では優しい旦那さんです。」と笑って軽く往なしてくれました。その間、旦那さんは、余り会話には入らず、恥ずかしそうな、ふてくされているような怖い顔をしていました。内心では”こいつら、勝手なことをしゃべりやがって、けしからん。あとで覚えておれ。”と紋々としていたことなのでしょう。

 

 

奥様は享年70歳。お元気に生活されていたとのことですが、5月上旬に突然に倒れられました。介護の甲斐なくお亡くなりになったそうです。余りにも若く、そして、全く急過ぎるご逝去です。

 

 

この年齢になってからですが、この数年、仕事関係で親しくなった方と、夫婦でお会いする・会食する機会を持たせて頂くようになりました。旦那さんは皆さん元気で仕事大好き人間ばかりですが、家庭の外=仕事の場と家庭内での表情に結構個人差があることを感じます。①家庭外も家庭内も全く変わらず、素晴らしい企業人であり家庭人である方。②仕事では厳しく激しく近寄りがたい様に見えるが、いったんご家庭に入ると、本当に優しい旦那さんに変身する方。③外面はそこそこ優しく何かと気を遣うように見えるが、家の中では我が侭、勝手し放題の方。

はい、年長さんは①のタイプ。年中さん(喪主さん)は②のタイプ。そして年少さん(僕のこと)は③のタイプかと思います。

 

 

 ご遺族をお見送りしている時に、沢山の参列者のなかに、老舗の海苔・ゴマ等々の食品会社のオーナー会長さんの顔をお見かけました。この方は年長さんほどのご年齢の方。足をチョット悪くされてますが、全く、お元気。やはり、目を真っ赤にされていました。「旦那が先に逝くと女房は元気になって10歳ほど若返るというのにねえ」と冗談を言いながら、しみじみと「女房が先にいったら、ダメだねえ。辛いだろうねえ。キビしいねえ。喪主さんに何と声を掛けたら良いのか分からなかったよ。」としみじみと仰ってました。参列者の皆さんも、もし、自分のカミさんがそうなったらと考えられて神妙な気持ちになられていた方が沢山いらっしゃったかと感じます。

多分、この夜、少なくないご家庭で、「かーちゃん、元気で長生きしてよねえ。最低でも、僕より長く生きないと困るよ」てな会話があったのではないかと思います。 

  

年長さんは、出てくる前に奥様に同様のお話をされたそうです。奥様は、一枚も二枚も上手で、”当たり前でしょ。あなたは私よりも先に逝く方が良いです。そうでないと、あなたが一人残ると、子供達にも会社の方にもとにかく周りの人に迷惑をかけてしまうから。”と厳しく言い返されたそうです。「いやはや、全く。俺は一人になると迷惑なバイ菌みたいに言いよる。当たってるから何も言い返せなかったわ。やはり考えれば考えるほどカミさんには”お先にゴメン、あっちで待っとるからねえ”で逝きたいわなあ。」と。誠に奥様の突っ込みは明言であると感心致しました。

 

 

以前、このブログで書きましたが(『ひと手間』2016/11/13、『台所』2016/9/22、を読んでいただければ嬉しいです。)僕の兄も嫁ハンに先立たれました。今、どういう生活をしているかと言いますと、仕事が忙しいので助かっていると。兄は昭和22年生まれの旧企業戦士ですが、元々公認会計士の資格を持っており、今は自分の事務所を開いていますので、世間でいえば「先生」と呼ばれる立場にあります。腕に覚えの資格を持っていることにどれだけ助けられていることか。僕の尊敬する弁護士先生も同様の生活を送られております。昭和前半の世代は、仕事を中心にしたなんとも真面目な生き方をしていることかと感心します。

 

 

年中さんの会長さんが今からどういう生き方をされることになるのか。とにかく、今は、ご自身の健康に十二分にご留意くださるようにエールを送りたいと思います。そして、改めて、亡くなられた奥様のご冥福を心よりお祈りしたいと思います。合掌。

 

 

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引越しの後、どこに仕舞ったのか分からなくなっていたノートが出てきました。レシピを書き込んだノート。軽く200頁はあると思います。久しぶりにスパニッシュオムレツ。最近は、料理の色=緑、赤、そして白、黄ともう一つ計5色を組み合わせることにチョットだけ拘っています。パン・ウエイさんの本を読んだ影響です。中国4000年の知恵!だとか。焦がしすぎたのが残念。2018年6月8日、料理・撮影。

 

 

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永良部のユリの写真、その2。名古屋でお世話になっている先生のご自宅。2~3年前に球根をプレゼントしたら、奥様がしっかりと育てられて、今や、庭中に咲いています。鉢植えにされている一角。この左側には地植えしてあるユリの花が咲いています。2018年5月31日、撮影。

 

カズオ・イシグロ、その2.

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 北海道、支笏湖の観光船。支笏湖は透明度の高い湖。乗船して地下の座席に着くと湖底が見えるように設計されている。座った途端にヒメマス、ニジマスがお出迎え。お客様との最後になるであろう懇親会に参加してきました。皆さんに感謝の気持ちをお伝えすることが出来ました。感謝、感謝です。2018年5月25日撮影。

 

 

かなり前に、電子書籍と在来の本の比較をしている記事を読んだことがあります。普通の本の良さ=電子書籍では感じられないであろうことの一つに、普通の本は読んでいて残りの枚数が分かる。その時点で半分まで読んだとか、残り1/3になったとかが 一目瞭然に感じられることを挙げられていました。久しぶりに500頁近い長編小説を読み終わりましたが、最後の最後までハラハラドキドキ、まだ、終わらないで頂戴、もっと続けて欲しいと感じながら、あっという間に、全部、読み終えてしまいました。やはり、頁を自分で捲りながら、今、この物語のどの辺りにいるのかを感じながら読む方が楽しいと思います。

 

 

カズオ・イシグロさん著「忘れられた巨人」。文庫本で478頁の長編力作です。長編小説としては「わたしを離さないで」以来10年ぶり、短編集「夜想組曲」からも6年ぶりの作品の由。2015年に発表されて、日本でもすぐに翻訳出版されたそうです。前回の『カズオ・イシグロ』でテレビ番組=「文学白熱教室」の事を書きましたが、この番組は「忘れられた巨人」の日本での販売プロモーションを兼ねた企画で来日された時に収録されたもののようです。本を読み終えてから、もう一度、借りたビデオ録画を見てみました。

 

「発表直後の講演だから、内容の詳細は言えないが」と前置きしながら、この小説の骨子を紹介されていました。アーサー王伝説を土台にしたファンタジー的な舞台設定です。「みんなが出来事を忘れていく、記憶が朧げになっていく。その原因は、ドラゴンの魔法の息。ドラゴンを退治すれば記憶が戻るはずとの見方が多いのだが、いやいや、嫌な記憶を封印することで平和が保たれているのだから殺してはならないという空気も結構強い」。主人公は老夫婦、そして、戦士と少年、賢者、さらに老騎士と面白いキャラクターが登場します。イシグロさんは嫌がるのでしょうがファンタジー映画を見ているような素晴らしい展開です。

 

 

イシグロさんの解説によると、

「この物語では語り手の口調が一貫していない。それが物語の進展とともに、徐々に正直になっていく。信頼が置ける様になってくる。すなわち、現実に正面から向き合う様子が描かれている。」

更に、怖い話を例をとって話されていましたが、

「第二次世界対戦中、フランスでは、強い強制があったわけでは無いにも拘わらずナチスドイツへの多くの追従があった。人々は疑心暗鬼になっていた。戦後、ドゴールはフランス国民は”全員が”勇敢にナチスに立ち向かったと信じている状況を作り出した。そうする以外に国をまとめる方法はなかった。」

「現在に至る社会でも状況は変わっていない。ルワンダの状況、南アフリカアパルトヘイト、ユーゴの状況、いたるところに”葬り去られた記憶”がある。」

最初この番組を見た時には、この件は、ほとんど印象に残っていませんでしたが、結構、この本のことを触れられていたのを認識しました。

シャレになりませんが、僕は自分自身の記憶がすぐに消えてしまっていることにかなりの危機感を感じました。いや、これは記憶以前の問題でそもそも番組を見ても何も頭に入っていないのかと一層、不安になりました。これもインパクトの強いこの小説の影響を受けたからだと思いたいのですが。

 

 

講演での彼の解説を説明するとエラク理屈っぽい小説のような印象を与えることになるかと懸念しますが、この小説自体は全くそんなことはありません。素晴らしいファンタジーであり、老夫婦のラブストーリーであり、そして、サスペンス小説です。冒頭に書いた通り、最後の最後までハラハラドキドキ、最後の最後に何が起こるのか!。これは今から読まれる皆様の為に控えさせて頂きます。

最終章に近いところは東京から名古屋に向かう新幹線のなかで読んでいました。あと、わずかで読破できそうというところで名古屋駅に到着してしまいました。読むのを中断するのが残念なので、そのまま駅構内の喫茶店に突入して読み終えました。多分、30-40分ほどの時間だったと思いますが、時間の経つのを忘れておりました。

 

 

 「辛うじて記憶が残っている間に息子に会いたい。記憶がなくなったらお互いの愛も消えていくのでは」と心配しつつ息子を探す旅に出る二人。強い絆と愛情で結ばれている年寄りのご夫婦が主人公です。寓話も至る所にちりばめられています。島への渡し船に一緒に乗船するためには船頭さんの質問をクリアーする必要があります。クリアーしなければそこで夫婦は別れ別れになってしまいます。愛情、信頼が問われます。この話が最後までサスペンス的な緊張感を持たせています。

 

 

原題は「the buried Giant」。英語を逐語訳すれば「埋葬された巨人」とか「葬られた巨人」になろうかと思いますが、「忘れられた巨人」と訳されて小説のタイトルとなっています。地中に葬られ忘れられていた巨人(思い出したくない嫌な記憶)が動き出す恐怖。読みようによっては、ドラゴンの魔法をかけられていること自体を忘れてしまうようになることの恐ろしさ、を言ってるのかも知れませんねえ。

 

 

イシグロさんは、「何故、小説なのか」に大変に拘っていますが、小説の手法として「記憶」というものを意図的に駆使して物語を進めているそうです。演劇、映画・テレビのドラマ等々では表現出来ないモノ、紙の上・小説でしか描けないモノ。それが、記憶という表現方法だと。30年前の記憶と10分前の記憶を織り交ぜて物語を展開していく手法であるとおっしゃってます。それにしてもイシグロさんの素直な語り口には改めて驚いてしまいます。自分の小説の云わばノウハウ=イメージの育て方、小説の構成についての手法、書き方等々、手の内を全く平気ですべて曝け出しているような感じです。これが彼の言う「思いを伝える、感情を分かち合う」ということにも繋がっているのでしょうね。

 

 

久しぶりにbook offに行きました。以前、行った時には、イシグロさんの本を見つけることが出来なかったのですが、この日は、”ハヤカワ”のコーナーが目に入ったので探してみると置いてありました。”そうや、イシグロさんは外国人作家に属しておるんだわ”。以前、僕は日本人作家のア・イ・の欄を探していたのでした。ホンマ、アホですねえ。

置いてあった三冊を買ってきました。「遠い山なみの光」「日の名残り」「わたしを離さないで」。当分、電車に乗っている時間が短く感じそうです。

 

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良い本を読んで気分充実。 久しぶりの二品の料理。

①もやしを食べる為の焼きそば。ニンニク・しょうがをたっぷり。お肉は明宝ハムと合いひき肉、ピーマン・人参・玉ねぎ、油揚げと竹輪も。麺の味付けは醤油とお酒とお酢。最後に胡椒と唐辛子で辛めの味付けに。塩は使わず。

②アボガドサラダ。キュウリ、玉ねぎ、らっきょ漬けを全て微塵切りに。アボガドも同様に細かくカット。

アボガドは皮を剥くのが邪魔くさそうに思っていましたが、先日、カミさんから手ほどきを受け簡単だと理解出来ました。今、アボガドの皮むきにハマっています。撮影技術の拙さが残念。2018年5月29日撮影。

 

カズオ・イシグロ

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神奈川の留守宅の平兵衛酢の苗木です。手前の永良部のユリが沢山大きく育っているので、やや分かり難いかも。当初50㎝程度の苗木でしたが、こちらでも順調に育ってくれています。新しい枝は既に20㎝程度伸びています。2018年5月21日撮影。

 

 

散歩の延長でプラプラと近くの図書館に入りました。特に何を探すでもなく本棚を覗いていたら カズオ・イシグロさんの本が置いてありました。ちょうど出張に行くタイミングだったので、あるだけ借りてきました。「浮世の画家」「わたしたちが孤児だったころ」「夜想組曲」の三冊。

 

 

イシグロさんのことは恥ずかしながら、昨年、ノーベル文学賞に輝かれた時まで、殆ど知りませんでした。辛うじて名前は聞いたことが有る程度の認識。ノーベル賞を受賞されてから、多くの記事を目にして、そして、興味を持つようになりました。単純な話がキッカケです。週刊新潮の記事に、戦前、イシグロさんの祖父が中国・天津に渡りお仕事をされていた時のことが記載されており、その時に勤務されていた会社が僕が務めていた総合商社であったというだけの話です。それだけのことで一気に距離を近く感じるようになりました。この週刊誌の記事は、イシグロさんを分かりやすく紹介していて好感の持てる記事であったと思います。

 

 

その記事を読んだ時には、僕はまだイシグロを一冊も読んだことは無い状態。ノーベル賞の受賞というのは大変なもので、すっかり、時の人になっています。新聞、雑誌、テレビの番組等々で、情報が勝手に入ってくる。一冊も作品を読まないうちに、その作家の周辺情報をこれだけ知ってしまうというのは、今までに無かったことかも知れません。

 

 

経歴がユニークです。1954年、長崎生まれ。僕よりも4歳年下です。父親の仕事の関係で5歳でイギリスに渡ることに。当初は短期間、例えば一年ほとで帰る予定で考えていたものが、父親のお仕事(=海洋学者さんです)が現地で評価されてイギリス滞在が長期化。そのまま英国に滞在を続け、英国籍を取得。一時は音楽家、それもロックスターを目指したそうですが、方向転換して作家に。本人もインタビューで答えている通り、日本人家庭で育ったものの、家庭の外では完全にイギリス人として育った。学校では日本人は一人もいない。イギリス人以上に完全なキングズイングリッシュを身に着けた方の由。

 

 

僕が彼に興味を持っていることに興味を持ってくれた知り合いが、テレビ番組のビデオを貸してくれました。今年の新春に放送されたNHKの番組「文学白熱教室」。再放送です。昨年、ノーべル賞を受賞されたのに伴いアンコール放映されたもの。この番組中で、ご本人が自分の年齢を「今、60歳」と仰ってましたから、受賞よりずっと前の2014年か2015年ごろの番組かと思います。

イシグロさんご本人が学生相手に「小説とは何か?、何故、小説なのか?」を語りかける形式で、学生さん(日本人が中心のようですが、欧米・アジア系らしき外国人も参加している。日本人と思われる方も英語を流ちょうに操っている。日本での番組と思いますが、これも面白い構成だと思いました。)からも自由に質問が飛び交って、それに真摯に受け答えするイシグロさんの姿勢に大変に好感が持てました。まず、表情と声が良い。お顔つきもなかなかにハンサム、気品のある顔と言って良いのではと思います。

 

 

最初の長編二作は日本を舞台にした小説。僕が借りた「浮世の画家」が二作目。1986年の発表ですから、30歳代前半の作品。ご本人の言葉によると「薄らいでいく記憶を保存しておきたい」という強い気持ちが執筆の源にあるとか。「戦前に一世を風靡した画家が、戦後、時代遅れになってしまう様を描いたもの」と淡々とコメントしていましたが、日本人以上に日本のことを瑞々しく描写していると大変に関心しました。イシグロさん自身が実際には知らない「日本という世界」のイメージは祖父の影響を大きく受けて出来上がっているとのことです。

原書は当然英語ですから、この本は翻訳されたものですが、この翻訳が素晴らしいと思いました。日本生まれで日本人の顔つき・風貌をした作家が英国で英語で書いた日本を舞台にした小説。それを日本人の方が翻訳して、僕が読んでいる。何やら不思議な感覚です。翻訳は飛田茂雄さん。飛田さんは巻末にコメントを記載されてますが、「人間の独善性に対する厳しい批判」そして「年じゅう自己正当化しなければ生きていけない弱い人間に対する深い同情」と多分イシグロさんが描きたかったことを簡潔に評価されています。飛田さんは2002年にご逝去。翻訳されたものは、イシグロさんのお母様がお読みになって、その翻訳の日本語が素晴らしいことをイシグロさんにお伝えになっていたとのことです。

また、イシグロさんの小説の各章には、その時の年月が記載されているのですが、この本の最後の章は、1950年6月。1950年が大好きな僕はこれも気に入った理由の一つになっているのかも知れません。

 

この翻訳された日本語の本を読んだ後で、英語で書かれている原書を読むことが出来れば面白いだろうなあと思いました。日本人の感性が表現されている小説だと思いますが、それをナマの英語で表現したら、どのように書かれているものなのかしらという興味が沸いてきております。

 

 

この日本を舞台にした二作がそれぞれ英国での権威ある賞を受賞してイシグロさんは英国で作家としての地位を確立されたのですが、ご本人は、”日本のことを題材にしている日本生まれの英国人の作家”という評価には不満があったそうで、ご自分としては、もっと普遍的なテーマを扱っていると自負されていたと。これが、第三作目の「日の名残り」につながっていくとのことです。この三作目で、英国文学の最高峰と言われるブッカー賞というのを受賞。”日本”という注釈無しの”英国人の作家”として最高水準の一人との評価を揺るぎないものにされたそうです。

ご本人に言わせると「小説の舞台は動かすことが出来る。ジャンルも変えることが出来る。アイデアの奥深いところに価値がある。」とのことです。この本も読んでみたいですね。

 

 

このテレビ番組でのご本人のお話「何故、小説なのか?」は大変に興味深いものでした。素直な真摯な語り口が大変に印象的な。「(曖昧な)記憶を通して語る」ことの小説の手法としての面白さもよく理解できるような気がしました(最も、昨今の日本の国会での答弁に出てくる「私の記憶のたどる限り」云々は全くシャレにならないと思いますが。蛇足です)。

 

図書館に返却に行き、また、本棚を覗いてみたら「忘れられた巨人」がありました。これは2015年の発表。借りてきました。今日からまた出張に出るので道中の読書が楽しみです。ちなみに出版社はすべて早川書房。何かの記事に、地道に翻訳出版を続け良質の海外の作家を日本のフアンに送り続けているハヤカワを評価するコメントが出ていましたが、全く、同感です。これからも良い作家を発掘・紹介して欲しいものです。感謝。

 

 

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名古屋のマンションの平兵衛酢の苗木。こちらの方が、生育が早い。新しい枝は50㎝程度に成長。前回掲載以降に虫が発生、葉っぱを食べられてしまいました。殺虫剤は一切使用せずに退治したらその後は発生していません。多分、苗木の土の中に卵が着いていたのかと。虫よけにミントの鉢を置いてみました。オマジナイ。2018年5月24日撮影。