クルルのおじさん 料理を楽しむ

『凌ぐ!』、巣ごもりの日々

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エンドウ豆の莢に実が膨らみ始めてます。花が過ぎた後、ふと気が付きました。無事に最後まで育ってほしいものです。2020年4月21日、撮影。

 

kururupapa.hatenadiary.jp

 

 

巣ごもり生活を続けています。「コロナとの闘い」「コロナ戦争」「対コロナ籠城戦」等の言葉を目にする機会が多くなりました。ドイツのメルケル首相は「第二次大戦以来、最大の危機」と国民に語り掛けて強い対応措置をとっているそうです。僕は1950年生まれですが、確かに、生まれてこの方こんな事態は初めてです。前回、記載した通りですが、国家の危機には”政治の真価”を期待したいと思いつつも、もともと「自分の城は自分で守る」のが原理原則だと思っている方ですから、この「最大の危機」を何とか「凌い」で乗り切りたいと素直に思っています。一人巣ごもりの生活にもかなり慣れてきました。従来の予定は8割以上無くなってますから、丸一日、外部と接することがないまま過ごす日もあります。一人籠もって悶々となると、ツイツイ、悲観的、否定的な方向に考えがちになりますから、意識して明るい兆し、前向きなこと、元気が出ることを探しながら生活しています。

 

 

こういう新しい巣ごもり生活パターンに際しても、自分なりのルーティンが大切、というコメントを沢山目にします。ルーティンはペースをつかむのに大事。早く今の巣ごもり生活のペースをつかまねばと思います。かつて、同期会で仲間があいさつに使っていたフレーズを懐かしく思い出します。「年を取ると、”教育があること”、”教養があること”が大切になります」。聞いている方のほとんどは既によく知っていますから、この段階で拍手か、苦笑いか。稀には初めて聞いて大受けして喜んでいる方も。「今日、行くところがある。今日、用事がある」。鯱城学園の元気な年寄り三原則も「よく食べる、よく動く・運動する、よく喋る・笑う」です。一人でやるのは勿論、みんなで一緒にやるのがもっとも効果的!(鯱城学園は2月末以降、休校が続いています。講義を受けていたのがもう随分と昔のような気がします。寂しいですねえ。5月末までは休校が続くことが決定しています)。

 

緊急事態、”ステイホーム”は、まったくこれらの真逆ですから、今まで健康的な生活を心掛けてきていたお年寄りの方々が、その生活パターンが変わってしまって調子を崩さないか大変に心配です。自分でも早くこの生活のペースを心地よくつかまえることが出来るルーティンを作りたいと思います。

 

 

4月25日(土)のNHK特集で「緊急対談パンデミックと世界」と題してハラリさんとの対談が放映されていました。この緊急事態に際して、人類(の歴史)を深く掘り下げた考察でベストセラー作家になった歴史学者のハラリさんがどのような受け止め方をしているか、日本のフアンの方は大変に関心が高いようです。この番組に先立ち、3月31日(火)の日経にもハラリさんの寄稿が掲載されていました。僕も彼の大フアンの一人ですが、モチロン、素直に注目して拝聴しました。NHKと日経でのハラリさんの発言の骨子です。

 

 

NHKの番組の収録をしたのは、たまたまですが緊急事態宣言がなされた4月7日でした。道傳愛子さんの流暢な質問振りに応じて、いつも通り切れ味鋭いお話でした。「いま一番心配していることは、発展途上国。医療の不備、および、経済力が弱いことから、支援がなければ崩壊する可能性が高い。もう一つの心配は、今後、ウイルスの突然変異が起こる可能性=致死性が高まる恐れがあるかもしれないこと」と。1918年-1919年の「スペイン風邪」の時、二回の波が襲ったことを例に挙げて説明、「先進諸国はそれなりにこの事態を克服することは可能であろうが、崩壊の恐れのある発展途上国への支援を行うことが、自国の安全のためにも必要だと強く認識しなければならない。パンデミックの性質上、世界全体で協調して対応していかねばならない」ことを強調されていました。「グローバルな結束をすることが出来れば、コロナに勝利するだけでなく、21世紀に人類を襲うであろう様々な病気の大流行や危機に勝利することが出来る」と。逆に言えば、今の世界は、米国第一が象徴しているように各国バラバラな対応が目に付くということなのでしょう。

  

ハラリさんのもう一つの鋭い指摘は、「危機下では変化が加速する」と。「今、政府・政治家は、コロナ対策の必要性から”国の経済・教育システム、国際関係等々のルールを書き換えるチャンス”を握っている。非常時に書き換えられたルールは、平常時にも権力の都合の良いように維持されてしまう」「監視テクノロジーを駆使して感染拡大を食い止めようとする動きは、監視社会が構築される仕組みと重なってしまう。運用の仕方一つでは民主主義の危機、民主国家の崩壊につながる」と。

ハラリさんは「特定の個人に権力を集中させてはいけない。国家が国民を監視するのに対して、国民が国家を厳しく監視できる、チェック&バランスの双方向の仕組みが絶対に必要だ」と強調されていました。

 

 

ハラリさんの現状認識も「人類は今、世界的な危機に直面している。おそらく私たちの世代で最大の危機だ」とのことです。彼の頭の中には「人類はもちろんこの危機を克服する、出来る。問題はその克服のやり方いかんでは、将来、さらに恐ろしい悲劇が増すことになろう」という懸念があるのでしょう。歴史学者としてのハラリさんの見方からはモットモなことで、指摘していることも傾聴に値すると思うのですが、いかんせん、凡人の僕としては、「今そこにある危機」をどうやって克服すればよいのかが最大の関心事ですから、アタマでは理解できても、今の気持ちを安らげることには通じないところがありました。

 

 

番組の最後に道傳さんが「生命の恐怖と経済的な不安を抱く人々に対してのメッセージは」と聞かれたことに対して「自分の心をいたわること」「科学を信頼すること」と答えたのが印象的でした。やっと少しは安らぎを感じました。ハラリさんは今も一日2時間の瞑想を続けているそうです。また、トランプ大統領がWHOへの支援ストップを発表した後、私財百万ドルをWHOに寄付したそうです。なぜ祖国イスラエルに寄付しないのかとの批判も強かったそうですが「いまパンデミックのなかで同胞を救うためには国際的な協力・連帯以外に道はない」と。やはりエライ人ですね。

 

 

巣ごもりしているとTVニュースを見る時間、新聞を読む時間が多くなります。事態に何か進展がないか、やはり大変に気になっているからでしょう。新聞の頁数は随分と少なくなりました。日本・世界全体が縮んでいるようです。チラシ広告もすごく減りました。スーパー等は感染拡大を恐れ集客活動をしなくなっていると。TVではスポーツ実況番組がほぼ無くなりました。週末はプロゴルフ(特に女子ですが)を見ながら繕いでいたのが懐かしい限りです。”スポーツを見て楽しむというのが気持ちの安らぎにつながっていたんだ”ということを痛感しています。

 

コロナ関連の記事を読んでいるとやはりストレスが溜まります。政府のトップ、行政の対応ぶり、厳しい見方かと思いますが、三密を避けようとかステイホームとか外出自粛・営業自粛とかの呼びかけを一生懸命やっているのは必要なことだとよく理解は出来るのですが、とにかく、政府・行政のやっていることが、”遅い”、”緩い”ように感じられます。これがストレスを高める一因になっているかと思うほど。結局、苦労しているのは現場の方々(医療、看護、食品店・スーパー、物流関係の方々、くれぐれもお自愛下さいますように)。 そして、感染・生命の恐怖と経済的な不安を感じている人々に政府・行政の手がうまくとどく様になるのか。

 

 

新聞記事に「コロナ検査・機能不全、検査まで一週間vs海外・大量検査の対応強化」とか「非常時議会、欧州でvs日本、対応に遅れ」「緊急対策、実現に二か月vs米欧は既に複数回を実施」「経済再開、三つの条件vs日本は検査と医療の双方で遅れが目立つ」なんて記事を読むにつけてホントにイライラが増します。

 

 

日経の「コロナと世界」のコラムで菅義偉官房長官のインタビュー記事がありました。彼はTVニュースで見る限りですが、冷静な対応を昔から心掛けているようで決して嫌いなタイプではありません。面白いコメントが記載されていました。「国の基本は、自助、共助、公助だ。まず、自分でやってみる。地域で助け合う。それでどうしようもなくなったら国が必ず責任をもって対応してくれると国民から信頼される国をつくるのが大事だ」。全く、同感。いざというときには最後は国が守ってくれる!という安心感、信頼感を持てることが肝要かと。

 

 

 文藝春秋の5月号は「コロナ戦争」総力特集。「日本の英知で『疫病』に打ち克つ」と題して著名人のコメント・寄稿が掲載されています。元大阪府知事・弁護士の橋下徹さんが「安倍総理よ、強い決断を!」というタイトルでエール(多分?)を送っています。面白い件がありました。「最終的に『あいつが言ってるんだったら、今回はしゃあないな』というのが、政治家と有権者の理想のリスクコミュニケーションだと思います」。橋下さんは必ずしも僕の好みのタイプではないのですが、この前段では「(しんどいことを)国民に納得させる一番しんどい仕事を担うのが政治家です」といいコトを言われています。

 

僕がストレスを感じてしまう一番の原因は、TVで国民に語り掛けている方々(首相、知事の方々、大臣各位等々)を見ていて、”そうか、しゃあないなあ、今回はお前についていったるわ、任すから頑張ってくれよ”と感じさせる方がいないから!と妙に納得してしまいました。

 

アメリカではニューヨーク州のクオモ知事の人気が高くなっているそうです。誠実そうな人柄、粘り強く対応継続している姿勢。TVニュースで垣間見る印象ですから、どこまで当たっているかは不案内ですが。最近、クオモ知事は「BBB」=「Build it back better」(再建するなら、前よりももっと良いものを)という標語を使い始めたそうです。コロナ後は環境にも人々にも優しい生活を実現しようというモノ(日経、4/24記事)。こういうのイイですよね。

  

 

「俳句のお話の続き」を書くつもりだったのですが(NHK俳句、大変に興味深く視聴しております)、ツイツイ、愚痴っぽい話になってしまいました。まだ、若いのかなあ。修行が足りないのか、平常心が保てていないのかも知れません。俳句のお話はぜひ次回に記載したいと思ってます。

 

  いつもならゴルフ観戦春重く  孔瑠々

 

  新聞のページが減って朝寝かな   孔瑠々

 

  春の朝ラインの孫に励まされ   孔瑠々

 

 

おまけのお料理です。

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ジャガイモ(小)の甘辛煮。ニラレバ炒め。そして、新作!、アボガドと竹輪と明太子和えマヨサラ。「しにぁごはん」さんのブログで紹介されていたもの。お酒のつまみにグーです。簡単に出来ます。「しにぁごはん」さん、ありがとさんでした。

『凌ぐ!』、2020年4月の景色

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名古屋市東山動植物園、桜の回廊の「八重紅枝垂桜」。鯱城学園の園芸講座で教わったエドヒガン系の桜です。愛知県でも独自の緊急事態宣言が表明されて、東山動植物園も明日(4月10日)から約一か月、休園となります。サクラは今が絶好の見ごろなのに残念な限り。今日は予定を取りやめて隠れ家で籠っていましたが、ニュースで明日からの休園を知り、気合を入れ直して出かけました。2020年4月9日、撮影。以下の桜の写真は全て同じ日に撮影したものです。

 

 

4月7日に東京など7都道府県に緊急事態宣言が発令されました。愛知県はその対象地域に含まれていませんでしたが、10日に県独自の宣言が出されました。そして、4月16日、緊急事態宣言の対象は全国に広げられました。愛知県を含む13都道府県は「特定警戒」指定となっています。5月6日までの期間とされています。全国の知事さんが法的根拠に基づいて、外出自粛などを要請出来ることになるそうです。

 

翌4月17日の日経朝刊の社説では「ドタバタ劇を演じている場合ではない」と政府・与党に(日経としては珍しく)厳しく注文をつけています。コロナ対策をめぐって官邸と省庁の意思疎通の悪さ、国と都道府県との行き違いを指摘して「”政治の真価”を示すときだ」と主張しています。

 

 

海外でもコロナ対応で”政治の真価”が問われているようです。韓国では15日投開票の総選挙で与党が圧勝しましたが、徹底した防疫で感染拡大を抑え込んでいることが政権の評価が高まった大きな要因になっている由。この大統領は運のよい人だなあと思いました。

一方、WHOへの資金拠出の停止を表明したトランプ大統領には国際社会から批判が相次いでいます。一貫して中国の対応を擁護してきたWHOが、米国・台湾と中国の政争の場になっているようです。マイクロソフトの創業者、ビル・ゲイツさんもトランプ大統領の措置に対して「実に危険なこと」だと厳しく批判。ビル・ゲイツさんはご夫妻の財団で慈善事業に取り組んでいますが、コロナウイルスのワクチン開発に多額の資金拠出をされているそうです。

 

トランプ大統領の「アメリカ第一」は当初からイロイロな批判を浴びてきていますが、このWHOへの対応を見ていると、国家の危機に対応できる指導者とは思えないですね。それ以上に、イアン・ブレマー氏が指摘した「新型コロナとの闘いに各国が協調して臨むという姿勢が見えない(3/19、日経)」ことが改めて切実な問題と感じてしまいます。イアンさんに言わせると「新型コロナは、国際社会を主導する国が存在しない『Gゼロ』時代に入っての初めての地政学的な危機」とのこと。

 

 

「コロナ」との戦争→世界の危機、日本の危機→「緊急事態」の時には”政治の真価”を期待したいところですが、一方では「自分の城は自分で守る」ことを肝に銘じたいと思います。自分の健康、家族の安全、会社の存続、地域社会の落ち着き、等々。今の僕に出来ることはそれほど多くありませんが、少なくとも、自分の健康だけはしっかり維持したいもんだと思っています。

 

昨年の4月は、鯱城学園に入学してピカピカの一年生、同時に、親しい会社の顧問になり週に二回の勤務を再開して、新しい生活のパターンを作り始めた時期でした。あっという間の一年間、思った以上に楽しく充実していた一年間と満足していたのですが、まさか「疫病」で自分の日常生活が激変するとは全く想定しておりませんでした。鯱城学園は春休みのあとも4月中は休校になっていましたが、さらに延長され5月末までの休校が決定されています。残念ですが、当然の措置だと受け止めています。

 

通信機器の発達はホントに有難いもので、僕の家族はラインを共有して毎日の挨拶を交信していますが、メッセージの交信に加えて写真・動画を授受出来るのは嬉しい限り、有難い限りです。タカト君(次女の長男)が絵を描いているところ、ケーキを焼いているところ見たり、サクト君(次女の次男)の誕生日には、アラタ君(長女の長男)と小雪ちゃん(長男の長女)が”happy birthday to Sakuto-kun!”と歌っている動画を見ることが出来たり、これだけで元気いっぱいになります。病は気から、笑いを忘れず、前向きな気持ちを大切に。お陰様で僕もカミさんも子供達家族も全員元気です。

 

 

 三月末に留守宅に帰って以降、ずっーと隠れ家での単身生活を続けています。仲間と集まって飲み会をするのが大好きな僕ですが、今の環境では当分は難しいと覚悟を決めています。もっとも、お酒は大好きですので、夕食の時には規則正しく楽しんでおります(自分ではアル中では無いと確信していますが、アル中の人で自分がアル中だと認識している人はあまりいないとか。注意したいと思います)。

という訳で、最近は、もっぱら、読書、散歩、ピアノ、料理、そして、俳句を楽しんでいます。”結構、一人でも楽しめるモンがあるものや。自分の好きなことやって忙しく毎日を過ごすことが出来るというのはエエことや、有難いことや”と思っています。

 

 

緊急事態宣言は5月6日までの期間とされていますが、連休明けにはどんな景色が待ち構えているのやら。コロナとは長い闘いになるのかも知れません。多くの識者の方が指摘されているように、長期戦の覚悟をしておくことも必要かと思っています。コロナとの闘いに疲れて折れたりしないこと。上手くコロナとの闘いを「凌い」でいく。いま「凌ぐ」という言葉を気に入ってます。

たまたまですが、僕の出身大学の学友会(OB/OG会)の名称は「凌霜会」「凌霜クラブ」と言います。「凌霜」とは、霜を凌いで咲く菊の様な”不撓不屈(ふとうふくつ)の精神”のことだそうです。「逃げる」のではなく、『凌ぐ』という言葉が、長くなるかも知れないコロナとの闘いのキーワードかと感じており大切にしたいと思っております。

  

 

 

「俳句のお話」の続きになりますが、「NHK俳句」4月最初の放送を見ました。また”目から鱗”を感じました。4月から新年度に入り選者の先生が交代されたようです。第一週の先生は小澤實さん。昭和31年(1956年)生まれ。

放送講座のテーマは「令和の新星」。”令和の俳壇を彩る新星たちの俳句に学ぶ”をテーマにされています。番組ではゲストに若手の俳人、福田若之さんが登場。1991年生まれの方。この日の兼題は「ヒヤシンス」、いきなり福田さんの句が紹介されました。

 

   ヒヤシンスしあわせがどうしても要る  福田若之

 

この句は福田さんが東日本大震災の直後に発表した句だそうです。もう一句、紹介がありました。

 

   春はすぐそこだけどパスワードが違う  福田若之

 

小澤さんの解説では「口語ながら新たな切れを生み出している」「今を生きる”われ”と向き合っている、生活に根ざした句」と。対談では福田さんの伸び伸びとした話ぶりと小澤さんの先輩面しない真摯な話ぶりが大変に印象的でした。

選者の小澤さんが兼題「ヒヤシンス」の投句から選んだ句が印象的でした。10句選んで紹介された中から特選の三句を記載します。

 

一席   風信子探偵はソファーで眠る

 

二席   少年を操る少女ヒヤシンス

 

三席   かつ丼のふた取れば湯気ヒヤシンス

 

特選には選ばれなかったものの、

 

   校長と肘掛け椅子とヒヤシンス

 

   もうおしゃべりなんだからヒヤシンス

 

最後の句なんてビックリ仰天、面白いなあと感心しました。今回の投句がタマタマ僕が新鮮と感じる句が多かったのか、選者の小澤さんの選び方が懐が広いからなのか、僕には随分と俳句の景色が変わりました。

 

  

次回の応募要領「兼題は『夏』、4月20日まで締め切り、6月7日に放送、8月号に掲載」を聞いた時にモッタさんが話していたことを思い出しました。TV放送の難しいところだと思うのですが、兼題の季節とそれを読む(作る)時期が全くずれている。「夏」を4月20日までに詠んで投稿する。モッタさんは、こんなやり方に疑問を呈していました。「頭のなかだけで作る、これはクイズか頭の体操か。単なる文字遊びか」ということだと思います。今回のヒヤシンスは春の季語ですが、投句の締め切りは2月。これでは「客観写生」とか「対象を深く見る」なんてことは出来ないはずです。”虚子さんとか汀子さんはどう思うのかしら”と例によって理屈っぽく考えてしまうのですが、時代の流れと共に俳句の作り方も変化しているのかも知れません。今回の番組は大変に面白かったので、”まっ、エエか。頭の体操でエエやん。はたまた、訓練か修行かと割り切ってやってみるのもアリやわ”と前向きに受け止めております。全く別な話ですが、ツラツラと考えるにつけ、俳句に級・段の階位を設けていないのは大変に結構なことだなあ、と改めて思います。

 

 

東山動植物園の桜の回廊。イロイロな種類の桜が咲いていました。 

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左から、三ケ日桜、手弱女、太白。三ケ日桜は浜松市乎那の峰(おなのみね)が有名。手弱女は京都平野神社、手弱女(たおやめ)はしなやか、優雅の意味、益荒男と対を成す言葉(もう死語ですかね)。太白は、中国では宵の明星、金星のことらしいです。太白ゴマ油というと、煎らずに低温で搾ったゴマ油のことを言います。最高級の食用油です(元、油脂原料取り扱いの商社マンの一言)。

 

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左から、鷲の尾、紅豊、嵐山。紅豊はマツマエベニユタカとも言われ北海道松前町のサクラ。大輪の八重桜です。

 

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大島桜。桜の原種の一つです。ソメイヨシノの片方の親の品種(のはず)です。これは見事なサクラでした。

 

   サクラいまがキレイでも明日から休園  孔瑠々

 

   桜吹雪ゴリラがないてる日曜日  孔瑠々

 

   桜散りまだ続いてる休園日  孔瑠々

 

 

 おまけです。

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会食、飲み会の機会が激減しています。その分、隠れ家で料理する機会が増えています。ゆっくりと料理する時間があるのが”楽しい!”、と思えばストレスが溜まる訳が無い。久しぶりに野菜たっぷりラーメン。ニンニクとショウガを沢山入れました。美味しかった。「栄養取ってコロナを凌ぐ」ことが肝要と思うのですが、僕の場合は逆に食べ過ぎて太らないよう注意が必要です。

 

   春深し一人籠って飯を炊き  孔瑠々

 

   春ゆうべ新じゃが小の甘辛煮  孔瑠々

 

引き続き皆さまくれぐれもご自愛くださいませ。凌ぎ切って下さいます様に。

 

「俳句」のお話、その3.

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次女の長男(=僕の初孫)、タカト画伯の作品。お題は「しめじ」。何と生き生き、伸び伸びと描けていることか!。色、形、構成、全てが素晴らしい!。・・・爺バカです。2020年3月19日、撮影。
 

 

「俳句」のお話の続きです。 今回は、稲畑汀子さん著「俳句入門」。前回の兜太さんの「自分の・・」とは随分とスタンスが違うというか、この本は、文字通りの「入門書」です。お付き合い頂ければ嬉しいです。

「はじめに」にこの本の構成が説明されています。目次と合わせて併記すると分かりやすいかと思いますので記載しておきます。 

 

第一部;入門・投稿俳句のための12章---(俳句に対しての基本的な知識の理解)

第二部;実践・俳句の作り方---(徐々に実践的な句作に入っていく)

第三部;歳時記と季の言葉---(俳句にとって最も大切な季題を初心者のうちから正しく理解し、身に着けておくことは、その人の将来の上達のために、計り知れない糧となるはずである)

第四部;自然を詠う・花鳥諷詠の心---(「花鳥諷詠」の解説)

第五部;客観写生とは何か---(「客観写生」の解説。これら「花鳥諷詠」「客観写生」は高浜虚子の用語であるが決してかたよった主張ではなく、300年の俳句の歴史に共通して認められる性質として抽出されたものである)

第六部;虚子の俳句

第七部;芭蕉の俳句

第八部;心の風景を詠う・私の俳句---(筆者の俳句、エッセイ。季題と俳句の織り成す世界を楽しんで頂きたい)。

となっています。カッコ内が汀子さんのネライ・主旨です。

 

 

稲畑汀子さんは高浜虚子のお孫さん。祖父・高浜虚子、父・高浜年尾について俳句を学ばれ、1979年、お父様のご逝去により日本最大の俳句結社「ホトトギス」主宰を引き継がれた方。1931年のお生まれですから「ホトトギス」主宰は48歳の若さの時なんですね。1987年に日本伝統俳句協会を設立して会長に就任されたそうです。お家柄と経歴を拝見するだけで俳句の世界では畏れ多い存在の方!との印象を強く持ちます。

 

汀子さんは、この本の執筆時(1998年7月に第一版第一刷発行)には、「ホトトギス」の主宰として毎月3万句、朝日俳壇では毎週7-8千句に目を通しているとのことです。その選者の立場から投句に見られがちな一般的な傾向について感じるところを記載する、という意味での入門書になっています(第一部、入門・投稿俳句のための12章)。

 

 

前置きが長くなりましたが、第一部は俳句の基本、初心者がおかし易い誤りについて記載されていますので、ちょっと、長くなりますが整理しておきたいと思います。 

 

一章の冒頭から「五・七・五の十七音、季題というのが俳句の約束」と記載されています。「約束」という言葉使いですが、この「約束」は兜太さんのいう「規定=必要条件」という強い意味で使われていると理解しました。

更に、この章での指摘としては「季重なり」は誤り。理由が明解です。「季重なりの句はどうしても散漫になる」から。「一つ一つの季題を大切にし、研究することが--(中略)--必要なのではないだろうか」と。

 

二章、切れ字の基本は「や」「かな」「けり」。そして、切れ字も季重なりと同様に重ならないようにすべきと。「切れ字の意義は強調と省略である」(虚子の「俳句読本」から引用)とのことです。兜太さんは『「切字」は「断定と余韻を持った省略!」である』と説明していましたが、言葉を比べてみるだけでも”面白いもんやなあ”と思います。切れ字は合計18あるそうですが、汀子さんに言わせると「初心者は、この三つ、「や」「かな」「けり」を使いこなせれば充分」とのことでした。

 

三章、定型とは五・七・五の十七音。「この定型を破ればそれは俳句では無くなると私は思っている」と。この定型を守るために必要なことが「省略」。「意志的に省略すること。---余韻とは省略により生まれる省略された内容以上のものである」と。

 

四章、感情言葉「嬉しい、悲しい」などは避ける。「自分の感情を述べるよりも、その感情を誘った事物をそのまま叙する」との指摘は”なるほど”と思います(実際に句で表現するのは難しいんですけどねえ)。

 

五章、説明する句よりも感動の方を大切に。「説明や理屈の句が多いのもまた初心者の傾向」と!、まったくその通りだと思います。大反省。「説明しないで事実を述べる。そのことで省略が効き、かえって一句の背景がよく見えてくる」。おっしゃる通り!。人様の良い句を読むと指摘されている点が良く分かる気がします(頭で分かったように思えても実際にはなかなかそのように句にできないのですが)。

 

六章、推敲とは、表現を平明にすること。「執着していた言葉を思い切って捨ててみると案外、余韻の深い句になったことに気がつく」というのは鋭い指摘であるなあ、と感じます。

 

七章、類句にいい句はない。これも鋭い指摘かと思います。故意で作ることを言っている訳ではないのですが、人間、ついつい同じような情景、気持ちを安易に読んでしまうことがあることへの警鐘かと。「代表作となる俳句には、その人だけの受け取り方による表現があるはずだから」というのも正にその通りかと思います。

 

八章、客観写生とは対象を深く見ること。「ともすれば月並み、マンネリズムに陥り易い。それを防ぐ唯一の方法は絶えず対象を深く見ることより他にないであろう」というのもその通りだと思います。

 

  流れゆく大根の葉の早さかな  虚子

 

という虚子の句を例にとって説明がありました。一緒に吟行していた虚子の高弟は「この早さが見えなかった」と嘆いたそうです。この句は兜太さんも高く評価していた句でした。

 

九章、独りよがりに早く気づく。「推敲する時には一度作品から離れ、一読者として見直す」。推敲の大切さと併せて基本の大切さの指摘です。

十章、本物の感動を詠む。

十一章、選句は善意のたまもの。選者の立場として「選は悪意でなく善意で持って選ぶべきである(高浜年尾の言葉)」ことを常々心がけて選句しているとのことです。その心構えを投句者も理解すべし、との意味かな?。

 

十二章、俳句とは有季定型を正しくすること。「正しい俳句の条件とは有季定型を守ること」「有季定型こそが俳句であり、そうでないものはいかに優れた短詩であろうとも俳句ではない」。明確に記載されています。最後の章に改めて記載されているのがいかにも”強い主張”と受け止められて大変に印象的です。

 

 

第一部だけで、すでにお腹いっぱい状態。本をよく見ると「第一部から第三部が初心者のための講座で、第四部以降が中級者のための講座」との注釈がありました。僕は第一部だけでこの状態ですから、よちよち歩きの初心者そのものです。奥が深い、というよりも、先が長そう。

 

 

第三部には「季題のあるなし」という章があります。「俳句を作るということは季題と出会い、言葉と出会うことである」ことを分かりやすく説明されています。ある投稿句をめぐって、兜太さんと「楽しい議論」があったことも。「無季容認の金子さんが--中略--『矢張り季題が入った方が良い』というのでびっくりしながらおかしかった」とのことです。『季題のないのは俳句ではない」という虚子の言葉を何回も引用されていますが、このお二人のレベルになると、”言わんとすることは同じなんやろなあ”と思ってしまいます。

 

 

ホトトギス」は1997年12月号で、創刊百年の1200号に達したそうです。この歴史と伝統を「主宰」として、そして、実質的な創刊者のお孫さんとして背負ってるわけですから、これは僕ごときが想像もできないほどに大変なことなんだなあ、と感じます。汀子さん編の「ホトトギス新歳時記」を持っていますが、この編纂も大変な作業だと思います。俳人として主宰として選者として編者として活躍の広さ・深さには驚くばかり。

 

 

それにしても、最近、日本の季節のお天気が変化してきていることには、愕然とするときがあります。かつては「四季」をその通り感じることが出来ていたと思うのですが、昨今では、冬と夏の間にチョコット春と秋があるだけ、なんて思う時があるほど。俳句の季題は、そもそも難しい言葉・漢字が多いと思うのですが、それが更に、日常では目にしない、肌で感じることが出来ないことが多くなっているのでは、と心配になります。まだまだ、勉強不足の身ではありますが、いつまでも「季節」を新鮮に感じ続けることができればイイなあ、と祈らずにはいられませんね。

 

 

コロナがここまで大騒ぎになっていない時に、ドラゴン先生、モッタさんの三人でいつもの反省会をする機会がありました。「『俳句』のお話」をアップしたあとだったので、お二人にとっては格好のツッコミの対象に。僕が真面目に「俳句の本を読んだり、チョット勉強したつもりになると、却って、頭でっかちになって、そして、肩に力が入るようで最近、全く句が作れなくなってます」と弱音とグチをこぼしたところ、口は悪いが心は優しい(多分)お二人からは暖かい励ましの言葉(これも多分)がありました。

 

 

ドラゴン先生のお話では、先生の友達で俳句に凝っている方は「とにかく、毎日、五句書き残す。それをずーっと続けている」とか。俳句上級者のモッタさんは、もっと自然体で「無理して作句する必要はないと思います。何か句にしたいと思う・感じることがあればそれを読んで句にして残せば良いと思います。自分は50句作って一句だけ残すようにしています。あとで読み直すと、その時の気持ち・情景が目の当たりに蘇リます。俳句は素晴らしいと思っています。」とのことでした。 自然体の大切さ!。

 

  

とにかく余りに圧倒されると句を作ることが出来なくなる、変に作句のワザを覚えたつもりになると素直な言葉使いが出来なくなる。”アカン、アカン、楽しむために俳句をやろうと思っているのが逆にストレスになってしまうような。これは打破しなきゃあ、駄作でも何でも作ってブログに載せて読んでもらおう、それが嬉しさ、喜びに繋がるはずやあ。例によって大袈裟に自分に言い聞かせて、以下、三句です。

 

   しらさぎや飛ばずに春虫つつきおり   孔瑠々

 

   行き過ぎて香に呼ばれ沈丁花   孔瑠々

 

   スパっと春電線の無い表通り   孔瑠々 

 

コロナに負けず、俳句のプレッシャーにめげず、お弁当持って散策に行こう、てな気楽な調子で続けることができれば良いのですがねえ。 

  

 

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平和公園、散策。サクラが満開です。強い風に桜吹雪が舞っていました。例年に較べて花がモッてくれているような気がします。外出を控えようとの風潮のなかですが、それでも、結構な数のご家族連れが来ていて、皆さん、花見を楽しんでいました。安心しました。2020年4月4日、撮影。

おまけの二句です。

 

   晴れの日にブルーシート無き花見かな  孔瑠々

 

   サクラ舞う今年はことしだけのもの  孔瑠々

 

 

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ハイビスカスの花が咲きました。今年は蕾が5-6個ついています。次々に咲いてくれると嬉しいなあ。一度にこれだけ多くの蕾をつけてくれたのは初めてです。でも、花は一日、せいぜい二日ほどで終わるんですよねえ。ちと寂しい。2020年4月5日、撮影。

 

2020年4月7日、とうとう「緊急事態宣言」が発令されました。とにかく「医療崩壊」を防ごうということだと思いますが、医療関係の皆さまには更に一層のご自愛をお祈りしたいです。いま顧問をしている会社は、お米・小麦粉・砂糖等々を取り扱っている会社ですが、こういう時には会社としての使命感が問われます。トップの方がその気持ちをシッカリと持って経営しているのが頼もしい限りです。個人的には、自分のことは自分で守ること、家族、特に孫の安寧を祈ることくらいしか出来そうにありません。日常を大切に生活していきたいものです。皆さま、くれぐれもご自愛下さいます様に。  

「俳句」のお話、その2.

 

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名古屋の隠れ家のベランダから見えるモクレン。朝、ふとカーテン越しに見ると満開でした。一瞬、ボケっと生きてると見過ごしてしまう、と反省しました。気が付いて良かったです。世の中、コロナ騒ぎで鬱陶しいですが自然は力強いですねえ。2020年3月25日、撮影。

 

 

前回の続きです。自分の俳句の”勉強”のつもりでまとめています。よちよち歩きの初心者にお付き合い頂ければ嬉しいです。金子兜太さん著「自分の俳句をこう作っている」の感想です。

 

 

兜太さんは怖そうなお顔に似合わず、後輩の指導に熱心・丁寧であったそうです。あの下重さんが言ってるのですから僕は素直にそう信じています。以前、兜太さんと故日野原さんとの対談の本を読んだことがありますが、その時も、年長の日野原さんをちゃんと立てて真摯な素直な対応をされていて、良い印象が残っていました。また、それ以前に、もっとズーッと前のことになりますが、何かの折に兜太さんの句、

 

  梅咲いて庭中に青鮫が来ている  兜太

 

を読んで大変に驚いたことを覚えていました。”へえー、こんなイメージの景色を俳句に読めるんだわ、凄いなあ ”とビックリして感心しました。その時の解説?には「前衛俳句、云々」と書いてあって、写真を見た時には(多分、その時が、兜太さんを初めて見た時だと思いますが)、”エライ強面のおっさんやなあ、とっつき悪そう””と感じたのですが、この句は僕のお気に入りとして兜太さんの名前とともに記憶に残りました。

 

 

この本の冒頭「文庫版まえがき」には、「いまの(兜太さんご自身の)句作のありのままを伝える気持ちで書いています---所謂、俳句の入門書とは違います」と記載されています。「五・七・五字(音)は、驚くほど強靭で不思議な詩形です。表現の喜びを、おおかたはささやかに、しかし、ときには大きく満たしてくれる”生きもの”でもあります」と。読んだ後には、これが兜太さんのありのままの気持ちなんだと感じるようになりました。例によって、目次を概括しておきますと、

第一章 「実感」を俳句に生かす

第二章 俳句は言葉をリズムで整える

第三章 写生と主観、作句法のあれこれ

第四章 喩え・もじり・なぞり

第五章 ありのままのこころを伝える

俳句の上級者の方が一覧されれば、兜太さんが何を言わんとしているか、これだけで理解出来るんじゃないかとも思います。

 

 

第一章の初めに「有季定型」についての兜太さんの考え方が記載されています。俳句の世界では大半の先生が「季語は『約束』以上の必要条件、五・七・五字の『定型形式』も同様(必要条件)、この二つのうちどちらがなくてもそれは俳句ではない」とおっしゃるそうです。

これに対して、兜太さんは「『有季定型』は俳句の伝統であり約束である、という意見に反対ではない。問題はその程度である。五・七・五字を必要条件とすることには賛成であるが、季語を必要不可欠(な必要条件)と決めてしまうことには反対。『約束』と言うのは、もう少し自由であるはず」とのご意見。

別途、稲畑汀子さんの「俳句入門」の感想も書きたいと思っていますが、確かに、こちらの本には「正しい俳句の条件とは『有季定型』を守ること」と明快に規定されています。イロイロあって面白いなあと思うのですが、兜太さんの記載で面白いのは、「季語は必要条件である」ということに反対しながらも「季語」を高く評価していること。曰く、

「季語には長い歴史がある、そこらにゴロゴロしている言葉より、ずっと味わいがある。季語を捨ててしまうというようなことは、もったいなくて出来ない。捨てるどころか大事に使いたい」との記載がありました。それを必要条件と縛ってしまう、規定されるのには反発されているのでしょうね。一方、兜太さんが「五・七・五字を必要条件とすることには賛成である」と記載しているのには、驚きました。僕が最初に接した兜太さんの青鮫の句!、”これのどこが「五・七・五字は必要条件」やねん。どう数えても五・七・七やないか”。後に記載がありましたが、兜太さんの考えは「俳句の基本は三句体=三つの区分け、と、奇数字(奇数音と言っても良い)」という事のようです。更に「自由律俳句」とか「口語俳句」も否定されている訳ではありません。

  せきをしてもひとり   尾崎放哉

  鉄鉢の中へも霰     種田山頭火

の句に対しても「三句体に読めて、奇数字中心だから、俳句の基本に収まっている。私(ご自身=兜太さんのこと)などは、九字(三・三・三)から二十一字(七・七・七)、時によっては、二十七字(九・九・九)も許容します。」とシャーシャーと記載されていますから、最初に記載があった「五・七・五字を必要条件とすることには賛成である」と言うのも、「五・七・五字を約束である」と理解するのが妥当かなあと。えらいエエ加減なオッサンのようにも思えますが、この方、憎めないですねえ。「有季定型」は俳句の伝統であり約束である(必要条件=規定ではない)、そして俳句の基本は三句体と奇数字(音)である、ということに煎じ詰まると理解しました。

 

「理屈よりも今の生活実感を大切に」、そしてその「実感」を情景の奥に秘める、具体的に「物」をつかむ、そして、その「実感」「物」を生かす言葉をさがす=「生活実感、物、言葉の三位一体」を忘れるな、とのことでした。

 

 

第二章以降では、俳句独特の表現方法について説明もされています。その説明の言葉使いが面白い。「切字」は「断定と余韻を持った省略!」であると。言葉に”キレ”があるなあと思いました。「説明にとどまることなく、響きを出す。言いたことをボンボンぶつけていって、それをリズムで整える」。

「二物衝撃」と言うのは、二つのモノをぶつけて、一つの世界を作り出す方法のことを言うそうです。これも「切字」が重要な役割を果たすと。例句として、僕の大好きな芭蕉の句を取り上げて説明がありました。

 

  荒海や佐渡に横たふ天の川   芭蕉

 

「『荒海』と『佐渡に横たふ天の川』の二つのモノが、切字『や』で結びつけられている。これは『ぶつけられている』と言う方が正しい状態である」と。この句は迫力のある句ですよねえ。これを生み出しているのが、切字「や」、であると指摘されると”なるほどなあ”と改めて感心・納得致しました。

 

 

おさらいになりますが「発句を独立させて、これを俳句と名付けたのが正岡子規」、そして、「その弟子の高浜虚子が十七字と季題という拘束を設けて、俳句は有季定型なりと規定した」と。「規定の良し悪しはべつにして」と兜太さんはよくよく拘束とか制約とかには反発されているようですが、虚子の功績は高く評価されていました。虚子が「十七字という定型の形式をはっきりさせたこと」に対しては最大級の評価。虚子がこれを現したのは大正3(1914)年のことだそうです。虚子の句、

 

  流れゆく大根の葉のはやさかな

 

について「この句こそ、十七字の形式なしには存在しない」と。季題の規定には強く反発しながらも、俳句の形式を明確にした虚子を高く評価されているようです。

 

 

さらに、「俳句は十七字を基準とした定型詩なり」=「俳句は韻文なり」との主張を強くされています。桑原武夫が昭和21(1946)年に「第二芸術ー現代俳句について」で俳句・俳壇を批判したことに関しても、「(俳壇に安住している)党派性に甘えている大家・中堅をこっぴどく叩いたのは有意義」と評価する一方、「この論文の最大の欠点は、俳句を散文扱いしたところにある」と厳しい指摘をしていました。

 

 

第三章は、いよいよ「写生」と「主観」について。 

子規が「何よりモノをよく見る、見たものを描き取る」と言ったこと、それを更に虚子が「写生」「客観写生の技」に昇華させたことを紹介して、「虚子のいう『客観写生の技』、私(兜太さん)の言い方では『描写』に熟達することが俳句の第一歩であり、俳句の基本である」と。

 

  桐一葉日当たりながら落ちにけり  虚子

 

を例にとり、「葉に日の当たるさまを見てとった」ところがポイントであることを「見るだけでなく見つける」、その客観性が素晴らしいことを説明しています。説明がお上手なので納得できるのですが、理解は出来ても自分で見つけられるのか大変に重く難しく感じてしまいますね。この辺り以降になると、読んでいて理解が正しく出来ているのか、分かったような気分になっているだけなのか、不確かになる件が多々出てきます。残念ながら、僕の今のレベルではついていけない話なのかも知れません。

 

兜太さんは、写生だけではなく主観を加えることを自然に、当たり前に大切なことである、と言っていると思うのですが、「物とか主観とか区別してあれこれ考えたりいじくったりしているうちは、まだ序の口です」と言われると、”いやあ、まさにその通りなんでございましょう”、としか突っ込めなくなります。

「景色に主観を加えようとするとき、それによって、景色がふくらみ変化しないといけません。逆に景色が縮んで小さくなるときは、主観そのものがつまらないものなのか、加え方に工夫がたりないのか、そのいずれかです。そこにご注意を。」と丁寧な(難しい)ご指導が記載されていました。下重さんが兜太さんのことを熱心・丁寧な指導者と言われるのはその通りだと改めて思いました。問題はその指導を理解できるか、自分のモノにできるかということなんでしょう。その人の技量と感性が問われることになるんでしょうねえ。

 

  

本題とは関係ないですが、面白いと思った件を紹介しておきます。第四章では「本歌取り」を「もじり」と「なぞり」に分けて説明されているのですが、中村草田男の句、

  降る雪や明治は遠くなりにけり  草田男

の本歌の一つが、

  獺祭忌明治は遠くなりにけり  

であることを紹介しています。読んだ後で”そういえば、昔、この話は聞いたことがあった”と思い出しましたが、獺祭忌は正岡子規の忌日で明治35年(1902)年9月19日のことだそうです。兜太さんがこの句を引用したのは、「本歌取り」の説明のためなのですが、僕は、この時にずっと疑問に残っていたことの一つが解決出来て、大変にスッキリした思いになりました。

 

今や、人気の日本酒「獺祭」ですが、もう何年も前このお酒が出回り始めた頃の話です。立派な料亭で会食の機会がありました。「今、人気のお酒です」と恭しく席にもってこられました。”難しい名前のお酒やなあ”と思いつつ”どこかで見た言葉やなあ”と思ったのですが記憶は蘇りませんでした。会食の席では「獺=カワウソが採った魚を川岸に並べる様を、先祖への供物と見立て祭儀になぞらえた」とのウンチクをお聞きして”なるほど”とそのまま理解しておりました。今回、再認識出来たことは、子規が自分のことを「獺祭書屋主人」と号していたのでした。そのことから、正岡子規の忌日は獺祭忌と呼ばれるようになっていた。お酒の「獺祭」はこれも掛けたネーミング、”そうやそうや、これやこれ”、昔のかすかな記憶の謎が解けた、大変にスッキリした思いでした。

 

 

第五章では、「俳諧」とは何か、について書かれています。「『滑稽』と言われたり、『意外性』と言われたり、『アイロニー(反語性)』などとも言われ、いまだに決定論が無い」とのことです。中国古辞書に「俳、戯也」「諧、和也」とあることを原義とすべきとの説があり、兜太さんもその説に賛成とのことで、兜太さんは「俳諧とは、戯れ和するための言葉の工夫=心情を伝えるための工夫のすべて」と受け取っているとのことです。

江戸期に入り、俳諧は二つの流れに。一つは、川柳への方向=世事風俗をそのままの姿で、面白おかしくとらえていく方向。いま一つは芭蕉の生き方。芭蕉は「俳諧」を「詩」として庶民の中に定着させる努力とした、との見方です。面白いのは、二つの相反した道の合流点に、兜太さんは「小林一茶の世界をおいています」と。

この本の最後は「俳諧は、自然に極まる、と言い切っても良いのです。いや、俳句を書くということの行きつく先もここにある、と言い切っておきたい」と締め括られていました。

 

 

文庫版150頁の小さな本なのですが、中身がテンコ盛りで、お腹がいっぱいになりました。早く消化しないと、句が出てきそうにありません。改めて、兜太さんって面白いオッサンやなあと思いました。やはり、俳句は奥が深い(当たり前か)。僕自身は、二つの流れの”面白おかしい世界”の方に行ってしまうのではと自分が心配になりますが、いま少し、努力を続けてみたいと思っております。自然体で楽しむことを大切にすれば良いはずですよねえ。

 

 

世の中、コロナ大騒動が続いています。山中先生の話では長期戦を覚悟して日常生活を設計していく必要があるとのことです。ワクチンが出来上がるまで、ダマシ騙しでも感染しない生活を維持していきたいものです。鯱城学園は3月に続き、4月いっぱいも休校となります。皆さまもくれぐれもご自愛のほど。

 

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名古屋市西区にある「ノリタケの森」公園。恒例の陶器市に行ったのですが、大騒動のお陰でこれも中止となっていました。残念。のんびりと周辺を散策して帰りました。洋食器で有名なノリタケ、創立100周年の記念事業として2001年にオープンした公園です。名古屋駅から徒歩で行けるところで、今、更に大規模な開発計画、テーマは「美しい名古屋の本命に!」が進行中のようです。2020年3月22日、撮影。

 

 

「俳句」のお話

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名古屋市東山動植物園の正面玄関。日曜日の昼過ぎなのに入場者はやはり少な目です。園内の屋内施設は閉鎖されているところが多い様です。ここまで隠れ家から桃源寺、おちょぼ稲荷を経由(大回り)して45分程度のウオーキングです。ここから動物園周辺の東山公園1万歩コースに挑戦しました。2020年3月15日、撮影。

 

 

今年に入り俳句に再度、挑戦中です。小さなノートを買ってきて作った句を書き残すようにしています。それから、NHK俳句という月刊誌を1月号から買って読むようにしました。同時に番組を録画して見ています。日経新聞の俳壇の欄を切り取ってメモしたり。はたまた、本棚にある(昔買った俳句の)本を読み返したり、本屋さん巡りして面白そうな本を新しく物色したりしています。このところ、幸か不幸か家で一人でいる時間をたくさん確保出来るようになっていますので、読書量も一気に増えました。

 

 

今のテーマの一つは、俳句作りそのものとは別に、どうすれば俳句作りを楽しむことを持続させることが出来るか?。我ながら変なテーマだと思うのですが、考えてみると、今までにも何回か俳句に興味を持ったことがあったのですが、その都度、継続することが出来ず、中途半端に終わってしまったことの繰り返しです。淡白というのか、飽きっぽいだけなのか、エエ加減な性格のせいなのか。

 

 

旅行で初めての景色を楽しんだ時とか、何かの出来事に感激した時、はたまた、日常生活の中で季節を感じて新鮮な気持ちになった時に、その感動、感激を残しておきたい、感じたことを素直に句に書き留めておければ楽しいなあ、と極めて単純な気持ちで俳句を作ってみたいと思うのですが、いつも尻切れトンボで終わっています。感動する気持ちが持続すること自体が難しいようにも思いますし、句になるような感動を探そうとすることにも疲れてしまう。自分の感動発掘能力の低さ加減が嫌になってしまう、ということでしょうか。

 

気持ちの盛り上がりがピークアウトした後で考えると”そりゃそうだろう、自分の身の回りに感動・感激がゴロゴロしている訳が無い。毎日、句を作り続ける気分に欠けることになるんやから継続出来ないほうが当たり前や”と自分を慰めておりました。

 

 

NHK俳句の3月号に面白い記事がありました。何回目かの目から鱗かも。「お悩み相談室」。この種の雑誌によく有る、読者からの相談・質問・悩みに先生が答えている欄です。回答者は岸本尚樹さん。2018年度のこの番組の選者の方。質問は「俳句を毎日作りたいが、感動の無い毎日です」。まさに僕の尻切れトンボの気持ちそのもの!。

先生の回答は「俳句は感動の結果ではなく、俳句を詠んだ結果、感動するもの。---感動のない毎日だからこそ、感動するために俳句を作る。---感動とは別なところで俳句で遊ぶことを面白がる。---句にしてみたら面白かった、そういうものを毎日探すことを私は心掛けています」とのことでした。

 

 

理屈っぽいですが根が単純な僕は、この回答に痛く感激「そうそう、そうなんや。これ僕の思っているテーマの答えですわ、ありがとさん」。と思った時に、”昔、同じような気持ちになったことがあったなあ、ブログにも書いたことがあったはずや”ということを思い出しました。  

 

 

kururupapa.hatenadiary.jp

 

もう三年も前の記事ですが、小川軽舟さんの『俳句と暮らす』を読んだことを記事にしたものですが、いま読み返しても結構まともなことを書いていたように思います。その時々の気持ちを書き残しておく、というのは大切ですね。ブログを継続していてよかったなあ、と思いました。

僕の俳句のテーマは「平凡な日常を俳句で遊ぶ」ということにしようと思っています。

 

 

一人で俳句を作り続けるというのも味気ないので、どうするのがいいのかしらと思いつつ、新しく見つけた本を読みました。「俳句、はじめました」、岸本葉子さん、角川学芸出版、平成22年(2010年)1月初版、同年3月再版発行。著者は1961年生まれのエッセイストで、ご自身が俳句を始められてから、句会に入り吟行に参加して席題にも挑戦、まさに俳句を楽しみながら研鑽を積まれていく様子が生き生き楽しく描かれています。なるほど、こういう続け方が正統派の道なのかとよく理解出来ましたが、逆に「これはアカン、僕にはとんでもなくハードルが高すぎる。その場でそして限られた時間内に何句も作るなんてことはマズ無理や。これは心臓に悪い。」と思ってしまいました。

 

 

句会への参加が難しいと感じてしまう時、それでは他にどんな方法があるのかしら?。NHK俳句の放送を見ている時に、はたと思い当たりました。”そうか「投句」すればよい。これは良い方法だ。自分の自由なタイミングで一方的に提出すれば良いのだから、自分勝手な性格にも合致するやり方だ”と思い当たりました。

調べてみましたら、NHK俳句はパソコンから投稿できることが分かりました。4人の選者の先生の兼題に対して一回に一句しか投稿出来ませんが、平均すれば週に一句を投稿することが出来る。

日経俳壇は週に一回の掲載。葉書一枚に三句まで書いて投稿することが出来ます。兼題は特にない様子。選者はお二人なので最大一週間に6句までを投稿することが出来ることになります。

 

 

気合が充実している時にやろう、”考えこめば出る時は無し”。早速、NHK俳句に二句、日経俳壇に二句、投稿しました。 

その後、NHK俳句の放送を見ていたら、進行役の女性の一人が、先ほどの「俳句、はじめました」の著者、岸本葉子さんであることに気がつきました。さらに、先程の「相談室」の窓口役にも登場されていました。面白い繋がりです。「俳句、大好きの岸本葉子です」とにこやかに挨拶されていました。やはり楽しんで続けることが一番ですね。

 

 

本屋巡りして見つけた別な本です。『この一句---108人の俳人たち』、著者は下重暁子さん。大和書房、初出2013年3月、文庫版2016年12月第一刷発行。下重さんは、以前、このブログで記載したことがありますが、僕の高校の先輩です。

 

kururupapa.hatenadiary.jp

 

 

下重さんはエッセイ、評論、小説等々、分筆活動でご活躍されていることは重々承知しておりましたが、俳句にも造詣が深いことは知りませんでした。この本は、江戸・明治・大正・昭和から、戦中・戦後、そして現代に亘る108人の俳人たちの俳句を彼女の感性で選んだもの。現代俳句の章には金子兜太さんの句も収められていました。筆者コメント欄に、「兜太さんが後輩の指導にも熱心であったこと、そして『各界俳人三百句(金子兜太編)』に自分の句が三句とりあげられたことがどんなに嬉しかったことか」と抑えめながらも情熱的に記載されているのが印象に残りました。

 

 

今、金子兜太さんと稲畑汀子さんの本を読んでいます。

●「自分の俳句をこう作っている」、金子兜太著。講談社α文庫、初出は1997年12月、2001年7月第一刷。

●「俳句入門‐‐初級から中級へ」、稲畑汀子著。PHP新書、1998年7月第一刷、2001年5月第四刷。

 

金子兜太さんは1919年の生まれ。前衛俳句運動を主導、現代俳句協会会長を務めた方。2018年に逝去されました。2月20日が命日です。 一方の稲畑汀子さんは1931年生まれ、ご存じ高浜虚子のお孫さん。日本伝統俳句協会の会長さん。

俳句が「有季定型」と言われていることに対しての、ご両者の考え方が拝見できて面白いです。また、別な機会に書いてみたいと思います。

 

 果たして、今回は、俳句を作り続けることが出来るかな。僕の俳句ノートのタイトルは「続くかな?」としております。前回のブログからチト間隔が空きました。コロナで連日、大騒ぎが続いていますが過度に委縮しないで生活を楽しみたいと思っています。皆さま、くれぐれもご自愛くださいます様に。

 

 

おまけです。まずは桃源寺です。  

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名古屋市千種区にある桃源寺。地下鉄本山の交差点から名古屋大学方面に向かい表通りからチョット入った処にあります。それほど広くない境内ですが、こんな大仏像があります。仏像が10m、台座が5m。名古屋大仏と言われるそうです。意外と地元の方も御存じの無いスポットかも。この色彩はインパクトがあります。台座の象さん、お坊さんも特色があるかと。この辺りは高低差が激しい場所なので、周辺の建物(マンション等)があまり気にならないアングルで写真を撮ることが出来ます。桃源寺は、織田信秀の菩提を弔うために信行が建てたお寺とか。信秀は信長のお父さんですから、今年の大河ドラマでそのうちにこのお寺が紹介されるかも知れません。隠れ家からのんびり歩きで25分弱の処です。2020年3月15日、撮影。

●2020年3月22日、追記。お寺の名前を間違えていました。正しくは、桃巌寺、です。それから、このお寺は大仏も有名なのですが、「眠り弁天」というお宝がもっと有名のようです。一見(一触?)の価値ありの様です。chaさんからご指摘を頂きました。


続いて、おちょぼ神社(名古屋支所)です。
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 有名な木曽三川の「おちょぼ稲荷」=千代保稲荷神社の名古屋支所です。先ほどの桃源寺から名古屋大学方面に向かい大通りを左折した辺りにあります。 支所ですが、立派な佇まい。初午の時には、会社の皆さんと一緒に参拝に来ました。隠れ家からのんびり歩きで35分程度のところ。2020年3月15日、撮影。

 

 

「大豆」のお話

エンドウ豆の苗木が成長して花を咲かせています。鯱城学園「文化祭」園芸4班で皆さんに配布した苗木、二鉢を手元に残して隠れ家のベランダで育てています。背丈は1mほどになりました。無事に実を付けてくれるかな?。2020年3月5日、撮影(「大豆」のお話なので「豆」つながりで)。

 

 

「大豆」の本を読みました。『大豆と人間の歴史』、クリスティン・デュボワさん著、和田佐規子さん訳、築地書館、2019年10月31日初版発行。376頁のハードカバーです。

 

 

「大豆の会」というのがあるのです。昔むかし仕事で「大豆」に関与していた方の集まりです。メンバーは、総合商社=丸の内の二社と青山にある商社。鎌倉河岸にある製粉・製油メーカー、日本橋穀物問屋、大阪の業界誌等々、各社OBの集まりです。最年長の長老さんは85-86歳くらいかと思います。1950年生まれの僕が最年少。古本屋街で有名な神田神保町の中華料理屋で四半期に一度ほど集まって旧交を温めています。皆さん、お元気でお酒大好きの人が多い。商社マンの平均寿命は各社とも低くて60歳プラスだと思います。若死する方が多いことが原因と言われていました。逆説的に言えば、それを乗り越えた方は通常の方よりも元気な方が多いかと、僕の持論です。まだまだ現役の活動をされている方が何人かいらっしゃいます。長老の方が海外出張も含めて活動範囲がいちばん広いように思います。いまだに世界を飛び回ってらっしゃる。

 

 

本年度初めての集まりを今月(3月)末に予定していたのですが、コロナ大騒動で中止・延期になりました。残念なことですが、お元気とはいえ皆さんの年齢を考えれば適切な判断だと思います。落ち着いたら、また、改めて日程のすり合わせをやらねばと思っています(僕が日程の連絡調整役をやっています、”若手”だから)。

 

 

前回の集まりは、昨年の11月でした。皆さん、大変なキャリアの方々ですから話題は豊富です。国際情勢、政治経済、スポーツ・芸能、健康・病気。話好きな方が多いので、あっという間に時間が過ぎてしまいます。この時、ちょうどこの大豆の本が出版された時で皆さんの話題になりました。「大豆」には特別な思い出を持っている方々の集まりですから、当然、関心は高いようでした。自分たちが経験した歴史的な出来事も記載されているのではないかと。

 

 

1972年から1973年にかけて、日本では「大豆パニック」と言われる大騒動があったのです。その遡る数年前から、世界の穀物・油糧種子の需給が逼迫、旧ソ連による穀物・油糧種子の大量買い付けが引き金となり、大豆・穀物相場が暴騰。”日本で必要な大豆を輸入することが出来なくなる、豆腐が食べられなくなってしまう”と、1973年の初めには「豆腐騒動」が起こりました。商社・問屋が原料の大豆を売り惜しみをしていると悪者扱いされて、国会で各社のトップが参考人質問に立たされてしまうほど。1973年6月には米国ニクソン大統領が大豆の輸出規制を行うなど、とんでもない混乱が広がった時代だったのです。僕が入社したのが1973年ですから、ちょうど入社前後の話ですが、周りが大騒ぎしているのは理解していましたが、その仕事をしている当事者としての実感は全くありませんでした。この「大豆の会」に出席されている先輩諸氏にとっては大変な毎日であったと思います。皆さん、当時、大変に苦労された方ばかりです。

 

 

この会の時点では、まだ、この本を読んだ方はいなかったようでした。僕も注文はしていましたが、その後、届いた後も本棚に積んだままにしておりました。この2月後半以降、コロナ大騒動で会食等の集まりの大半が中止・延期となっています。僕も不要不急の移動を止めるようにしています。我が家のヘッドクォーターであるカミさんから、新幹線乗車も避けるようにとの「要請」が出されました。すでに3週間ほど隠れ家での単身生活を続けることになっています。幸か不幸かまさに晴耕雨読の毎日です。料理を楽しみ、ピアノの練習も出来て、畑に行く回数も増えました。そして、読書の時間もたっぷり。本棚で寝ていたこの本を読みました。

 

 

著者は、ジョンズ・ホプキンズ大学の大豆プロジェクト前研究部長とのことです。年齢不詳です。目次を一覧すると本の内容を概括できると思いますので、以下に記載しておきます。 

 

序章  隠された宝

第一章 アジアのルーツ

第二章 ヨーロッパの探検家と実験

第三章 生まれたばかりの国と古代の豆

第四章 大豆と戦争

第五章 家畜を増やす飼料となって

第六章 大豆、南米を席巻する

第七章 大豆が作る世界の景色

第八章 毒か万能薬か

第九章 大豆ビジネス、大きなビジネス

第十章 試練の油---大豆バイオディーゼル

 

第九章辺りになると、元商社マン・大豆担当、実務を知っている人間として、邦訳に注文を付けたくなる(突っ込みたくなる)件がたくさん出てきます。表題の通り「大豆ビジネス」は本当に「大きなビジネス」で、カバーする範囲も多岐に亘っています。畑から消費地までの物流のダイナミックさ。伝統的な豆腐等の食用大豆としての消費需要があれば、片方では油と粕を採るための製油会社向けの需要があります。大豆油と大豆粕に分ける製油工場での工程の流れ、価格(相場)体系の指標となる商品先物市場の仕組み等々、この業界の専門知識・専門用語が沢山出てきます。翻訳の方も大変に苦労されたこととと思いますが、餅は餅屋ですから、「大豆」業界の方に業界専門用語を相談されればよかったのにと思うところが散見されました。

 

 

以下、知らなかったこと、面白かったことを中心に抜粋します。例によって僕の備忘録として記載しています。お付き合い頂ければ嬉しいです。

 

 

この本の副題には「満州帝国・マーガリン・熱帯雨林破壊から遺伝子組み換えまで」と記載されています。日本人にとっては、昔から、豆腐、納豆、味噌(それから枝豆も)に親しんでいるお陰で、作物のなかでは最も身近なものの一つと思いますが(これは我々世代の思い込みなのかも知れませんが・・)、世界の方々、特に欧米の方々にとっては新しい作物であったようです。戦争が切っ掛けで、大豆の価値=タンパク質リッチな食品であり、油と飼料となる粕を採れる重要作物であることが広く認識されたようです。

 

 

序章の一行目から、いきなり日露戦争「1904年、203高地の攻防」の話が出てきたのには驚きました。「(満州の)大豆は紛争の火種となった」と。そして、西洋世界が大豆の有用性に出会ったのが日露戦争だという見方です。

大豆の栽培が新大陸(アメリカのこと)で盛んになるのは20世紀に入ってからのことですが、第一次世界大戦(1914年~1918年)前後には既に栄養失調の子供たちに豆乳を与えようとの研究が進んでいたとも。

 

自動車王のヘンリー・フォード自動車産業だけでなく「農産化学」の分野でも革新的な事業を展開していたそうです。1934年のシカゴ万博では、大豆由来の発明を展示して100万人をこえる入場者を記録した由。当時は、牛乳が結核・その他のバクテリアの温床だと考えられており、フォードの研究チームは豆乳の生産向上を目指す研究を行っていたとのことです。また、大豆油を自社製自動車の塗料製造に利用するとか、大豆プラスチック製のギアノブ、アクセルペダルを作ったとか。1936年にはタイム誌はフォードを「大豆の親友」と呼んでいたそうです。フォード社の工場は、アメリカが戦争に入ると全て軍需製造に転向して、大豆を利用する仕事からは手を引いた。その研究、大豆加工の設備・製法は他社に売却され、フォードは大豆との関係を終わらせた訳ですが、国全体でみれば、これが(大豆産業の)大きな始まりにつながったとのことでした。全く、知らなかった話でした。

 

 

第六章の「大豆、南米を席巻する」には、大豆パニックが切っ掛けとなって、日本がアメリカに代わる供給国としてブラジルでの大豆栽培、調査研究に支援を行ったこと書かれています。1972年から1973年にかけてのペルーでのアンチョビ不漁、アメリカ政府の大豆輸出を中止したことが記載されていますが、旧ソ連穀物・油糧種子の大量買い付けの記載はありませんでした。やや片手落ちではないかと思っています。「大豆の会」の先輩諸氏が読まれれば、”いやいや、そうではない。ここは間違ごうとる。あれは、こうやった”と議論百出かと思われます。

 

とにかく、南米での大豆生産は急速に増加。日本の協力支援とブラジルの努力により、1970年には(たった)150万トンだったブラジルの大豆生産量は、2015年には(ナント)約1億トンにまで増加したとのことです。 

 

以前、マイケル・ポーランが「雑食動物のジレンマ」の中で大規模単作農業に警鐘を鳴らしていることを紹介しましたが、この本でも、南米での大豆の生産拡大によりアマゾン流域を中心とする熱帯雨林の破壊に繋がっていることに厳しい指摘がなされています。「人間の最も破壊的な活動、さまざまな生命体に最も有害な活動は『普通の農業』(大規模単作農業のことですが)なのだ」との記載もあります。

 

kururupapa.hatenadiary.jp

 

さらに大豆については、遺伝子組み換え作物であることの懸念が多々指摘されていることについても詳細な記載があります。大豆は作物のなかでも遺伝子組み換え(以下、GE)種が作付けされている割合が最も大きく(2016年、世界の大豆の作付け面積の約80%はGE種)、また、大豆は世界中のGE作物の作付面積の最大の作物(2016年には50%)とのことです。著者は科学者の立場から、指摘されている懸念に真摯に向き合い、逆に科学的でない言いがかり的なモノには厳しく反論をしています。フェアな記述を心掛けていることが感じられます。

 

 

栄養価の高い大豆を救助物資として利用する、所謂、「支援プロジェクト」についても、「支援プロジェクトにより、極度の貧困による劣悪な栄養状態を大豆の栄養価により和らげることが出来る」としながらも、一方では、食料・大豆の継続的な援助は、その地域の農業そのものをダメにしてしまう恐れがあること。また、その土地で大規模単一作物が広がれば小規模農家は追い出され、自給自足の多種の作物の栽培を継続することが難しくなり、結果として貧困層の食料の安全が脅かされる懸念についても丁寧に説明をしています。

 

 

著者は大学で大豆プロジェクトの部長をしていた方ですから、決して、大豆に対して否定的な見方をしている訳では無く、科学者としてのフェアな見方に立って記述していると感じられます。熱帯雨林の破壊の問題点を、もっぱら北半球・先進諸国が指摘することに対して、「何故、南米にばかり環境保護を押し付けるのか」とか「アメリカ中西部を元のバイソンが動き回っていたような環境に戻そうという努力をしないのか」という視点からの記載もあります。大豆の生産の拡大(がもたらす問題)という観点からは、「食肉になる動物の飼料として使わない方法、すなわち、大豆という作物を人間が食料として消費すること」を考慮すべき、という考え方も紹介しています。

 

大豆に対する筆者の基本的な捉え方は「単一栽培、遺伝子組み換え、有害な化学肥料の使用、地表の浸食、淡水の枯渇、気候変動等々、現実的、潜在的な問題が提起される。--中略--しかし、これが大豆の宿命だとするのは検討違いである。農業が及ぼす破壊的な効果はていねいな研究と創意工夫により軽減されうる。--中略--問題は我々が自然界を保護するためにどれだけの努力を行うかにかかっている」ということのようです。

 

 

いやいや、昔むかしお世話になった「大豆」のお話でしたが(原書のタイトルは「The Story of Soy」でした)、懐かしく楽しく読めたところ以上に、重たい記述が随所にありイロイロと考えさせられる読み応えのある本でした。コロナ大騒動のなか時間が十二分に取れて、読書する体力・気力があったから一気に読むことが出来たのかも知れません。改めて表紙の帯を見ると「大豆が人間社会に投げかける光と影、グローバル・ビジネスと社会・環境被害の実態をあますところなく描き出す」と書かれていましたが、その通りの内容の本でした。 

 

 

そう言えば、1973年10月には「中東戦争」が勃発して、石油パニックも起こりました。改めて、大変な「大騒動」の年だったと思います。当時、スーパーの店頭からトイレットぺーパーが完全に無くなりました。供給は十分なはずなのに、消費者の買いだめが原因と解説されていました。

昨日も今日も、散歩がてら近くのスーパーに立ち寄った時、店員さんに”トイレットペーパーはどこに置いているのか”と尋ねたら、”売り切れ状態です、次の入荷はいつになるか分りません”との返事でした。一部では「買占め」の動きも出ているそうです。僕がノンビリし過ぎなのかもしれませんが、半世紀ほど経過すると、社会の学習効果は持続するのが難しくなってくるのかも知れません。

 

 

平和公園を散歩している時に。シラサギ君??が疎水を遡りながら一生懸命にエサをつついていました。僕が近づいても全く意に介していない。よほど腹が減っていたのか、それとも、この地は安全だと決めつけているのか。何となく”春が近いなあ”と感じます。2020年3月1日、撮影。

 

 

おまけです。お題は「味噌もやしラーメン」(=「大豆」繋がり)なのですが、春菊、ネギを大量に投入したら、もやしの存在感が薄くなりました。インスタントラーメンをベースにして好きな味噌を加え、野菜炒めをのっけて食べてます。ラー油と擦りゴマも加えて。春菊がラーメンに合うことを発見して大喜び。2020年3月7日、料理と撮影。盛り付けが下手(下品)で美味しそうに見えませんが・・・残念。

名古屋の景色・鯱城学園の講座、そしてコロナ

 名古屋市・栄にある「名古屋オアシス21」。公共・商業の複合施設です。「水の宇宙船」と言われているそうですが、今まで認識がありませんでした。お隣の愛知県美術館のある文化芸術センタービルの上階から展望して初めて理解出来ました。空中に浮かぶガラスの大屋根がシンボルとのことです(下の広場を通行しているだけでは余りピンときません)。右奥は改修中の名古屋テレビ塔です。2020年2月11日、撮影。

 

この日、2月11日(火)は「8クラブ展」の初日でした。この展示会は、鯱城学園の書道、水彩画、水墨画、写真、陶芸、絵手紙、パソコン、パソコンペイントの8クラブのクラブ員が作品を出展するもの。中区区役所の名古屋市民ギャラリーの7階展示場で五日間、開催されました。時間があったので、すぐ近くの愛知県美術館でやっている「日展」=第6回日展・東海展と「コートールド美術館展」を見てきました。仲間の友人が「日展」彫刻の部で特選を受賞したとのことで見に行こうと思っていたのですが、同じ場所でやっている「コートールド」が面白いとのアドバイスをもらったので両方見ることにしたものです。

 

日展」の作品レベルは素晴らしいものでした。残念なことに「彫刻」は展示スペースと作品の数・大きさがアンバランス、特選をはじめ多数の力作がトコロ狭しと並べられている状態、窮屈そうで可哀そうでした。「コートールド」は予想以上に良かったです。ゴッホ、モネ、ルノワール、マネ、モディリアーニ、ゴーガン等々。昔、見て印象に残っていた点描で色の彩を表現する画家の名前がスーラであることを思いだしたり、楽しく時間を過ごせました。

 

いつもの事ながら「コートールド美術館」というのがナニなのか知らずに出かけたのですが、コートールドさんはイギリスの実業家の由。化学繊維事業で財を成し、1920年代に、当時はまだ高い評価を受けていなかった画家たちの作品を自分の目で選んで収集したそうです。エライ人ですね。ロンドンにある美術館ですが、今や、この美術館は”イギリスが世界に誇る印象派、ポスト印象派の殿堂”と言われているとか。三月中旬までやっているはずですから、まだご覧になってない方にお薦めです(と言っても、今週に入ってからのコロナ大騒動が心配ですが)。

 

 

8クラブ展は、お陰様で盛況のうちに終了しました。5日間、パソコンクラブの展示室へのご来場者だけで1,200人以上(多分)。最終日の15日は、作品を撤去し会場を掃除してから、クラブの仲間と打ち上げをしました。土曜日の夜でしたので、お酒が好きで時間がある人は宴会モードに。僕も含む三人のおじさんは、夜の11時ごろまで熱心に反省を続けました(ワインを飲んで楽しく歓談しました)。今思うと、この時は、まだコロナ云々が無い平和な時で良かったなあと思っています。

 

 

前回以降の鯱城学園の講座内容を記載します。例によって僕の備忘録として書いてます。お付き合い頂ければ嬉しいです。

 

 

2月19日(水)、共通講座。お題は「ユニバーサルデザインとは」。

E&Cプロジェクト名古屋代表、名古屋芸術大学デザイン領域非常勤講師の小塚武志さんが講師です。講義を聴く前には、「ユニバーサルデザイン」というのは”トイレマーク等、万人が理解できる分かりやすいデザインのことかな”という程度に考えているだけでした。講義は奥が深い内容でした。僕は全く認識が不足しておりました。

 

講義を開始する前に、空のシャンプーボトル、牛乳パックが場内に回覧されました。そして小塚さんから「ユニバーサルデザインは、最近では小学校の教科書にも紹介されています。意外と大人、特に年配の方で知らない人が多い」との説明が。まるで僕に向かって話されているような口ぶりです。

 

E&Cプロジェクトでは、聴覚障害視覚障害の方や車いす生活の方の「日常生活の不便さ」を調査して「共用品」デザインを開発する活動をされています。健常者には気づきにくい、これらの方々の日常の不便さを見出す。「従来は、モノに合わせて暮らす時代であったが、今後は、障碍者、高齢者への配慮の時代に変えていこう。バリアフリーから更に進めて、共生・共創することが出来る時代、更には、身体的障害を個性として捉える時代にしていこう」というものです。 

 

回覧されているシャンプーボトルを手に取ると容器の側面にチョットした凸の列が付けられていました。リンスの容器には付いていないそうです。風呂場で視覚障害の方が触っただけでシャンプーとリンスの区別を瞬時に出来るようになっている。当然、ほぼ全てのメーカー製品にこの凸列が付けられている。このプロジェクトが貢献した一例だそうです。同じく、牛乳パックの注ぎ口のところには、凹の切込みが入ってました。これも牛乳とジュース等をパックの注ぎ口に手を当てるだけで区別が出来る仕掛けです。全く知りませんでした。自分の認識の無さに恥ずかしくなりました。

 

持ちやすい形の器、見やすいデザインの書体、指をケガする可能性の少ない俎板、等々の紹介がありました。健常者が考えもしないところに不便がある、それを見出して解決していこうという考え方、まさに目から鱗のお話です。

 

 

「IBOT」という4輪駆動の電動車イスを紹介されました。アメリカのベンチャーの製品ですが、プロモーションビデオを見ると、まるでSFの世界の乗り物と思うほどです。普段は4駆の普通の車イスなのですが、立っている健常者と話す時には、4駆が2駆に変わって車イスが立ち上がる!。まさに四つ足動物が二本足になるイメージで車イスが立ち上がり健常者と同じ目線で話が出来るようになる。そして、誰の助けも無しで車イスのままで階段を上り下り出来る。同じく、バスにも乗り降りが出来る。技術的には実用化にもう少しのところまで来ているそうです。一時はスポンサーが不在となり頓挫する懸念もあったそうですが、トヨタグループが協力することになった由。

 

勿論、大変に高価な車イス(数百万円はするそう)ですが、講師の方に言わせれば「車イス生活の方からすれば有り金をはたいても是非欲しい商品であろう」と。”そうだろうなあ、自分がもしそうならば何としても欲しいと思うだろうなあ”と感じました。

 

講師の方がこれを紹介した意図は別にあって「技術的な問題が全てクリアーされて商品化されることになっても、日本では道路交通法がネックになって実際に表の道路で使うことが出来ない。そして、法制上の改正をしていこうという機運・方向付け、準備が出来ていない、ということが問題だ」とのご指摘でした。不便を解決していくためには、ハード面だけではなくて、ソフト面のフォローが同時並行して必要であることを強調されていました。

 

 別な例として「補助犬法」のお話をされました。盲導犬聴導犬介助犬のことを補助犬というそうですが「障碍者の方からすれば、補助犬は自分の体の一部も同然だが、過去の長い間、レストラン等々に入る時には補助犬を一緒に連れて入ることが出来なかった。漸く平成14年(2002年)に「補助犬法」が成立して一緒に入ることが出来るようになった。しかし、今でも、まだ日本ではその理解・認識が十分では無いと懸念される」と。補助犬が居てくれても、現代社会では法令を含む環境整備が整わなければ役に立たなくなってしまう、ということなんですねえ。

 

 講義の最後には「街で見かけるヘルプマーク(マタニティマーク等々)は、その人が助けが必要な立場であること表現するマークですが、最近は、助けを必要とする人は声をかけてください!ということを表現するマークを付ける運動が進んでいる」ことを紹介されました。

東京大学の学生さんが立ち上げたプロジェクトだそうで「エンパワープロジェクト」と呼ばれているそうです。「協力が必要な時はお声を!」かけてください、ということを意味するシンボル・マーク「マゼンタ・スター」を身に着ける。協力する側が表に出ていく=「協力者がカミングアウト」する運動とのことです。この運動のことも全く知りませんでした。

 

レジメの最後に「やはりハード面だけでは解決できない問題はハートが解決」と記載されていました。やはり最後はハートが大切!、大変に印象に残る言葉でありました。今までの講義のなかで一番重たい内容であったと感じております。

 

 

久しぶりのお弁当。収穫した野菜をふんだんに入れました。ちゃんとロマネス”コ”も使っています。冷めてもサクサクして良い食感です。そして最近、私はますます玄米ご飯にハマっております。白米を加えず「やわらか玄米」100%で炊きました。2020年2月19日、撮影。

 

 

同日、午後の園芸講座です。

お題は『桜と花見の文化史』。今日の講師は日本樹木医会・愛知県支部樹木医・庭師の尾関宗弘さん。園芸科の専門講座も充実しています。三学期に入ってから「ガーデニングと椿」、「梅と椿」、そして今回は「桜と花見の文化史」=サクラに焦点をあてた講義となりました。

 

尾関さんから「私は花見大好き人間です」との自己紹介がありました。前々回の「梅」の講義の時には桜との対比をしながらの講義でしたが、今回もやはり「梅」との対比から。

まず「桜は、梅とは違って『日本原産』の植物」であると。サクラの種類は野生種と園芸品種とを合わせると300種類以上もあると言われているそうで、学者の間でも分類については意見が分かれるところも多いとか。野生種のなかで鑑賞の対象として重要なものは、ヤマザクラ群のヤマザクラ、オオヤマザクラオオシマザクラ、カスミザクラ。エドヒガン群のエドヒガンザクラ。カンヒザクラ群のカンヒザクラがあると。園芸品種としては総称として”サトザクラ”と尾関さんは呼んでいるそうです。ソメイヨシノもこの範疇に入ります。ややこしいですが、日本原産と言っても「種」は遥かネパールが起源となっており人類発生以前に日本に辿り着いていたという意味だそうです(難しい)。

 

文献上、サクラが登場するのは奈良時代のこと。記紀万葉に登場しています。詳しく万葉集に登場する植物の頻度ベストテンの説明がありました。①ハギ(138)、②ウメ(118)、③マツ(81)、中略、⑧サクラ(42)。ウメの登場回数が多いのは、この時代は中国の文化的影響が強く、中国から移入されたウメがサクラよりも詠まれた回数が多くなっていた、との説明でした。

 

花見のルーツについてです。これは面白い考察でした。

縄文時代、サクラはすでに「材」として利用されていたそうです。古代農耕が始まるとサクラの開花は田植え、種まきの「農事暦」して利用され、花見は娯楽ではなく農耕儀式であった。

●古代から中世にかけては、「観梅」から「観桜」に転化していく時代。812年、嵯峨天皇神泉苑で桜花の下で宴会をしたとか、仁明天皇(在位833-850年)の時代、京都御所の「右近の橘、左近の梅」の「梅」が「桜」に変えられたとか、そして、900年代になると、桜を詠む歌が梅を上回ったそうです。

この時代、歌に詠まれた桜とは「吉野の山桜」を対象としたもので、吉野山金峰山寺に参詣する人々がサクラの苗木を寄進する習慣ができ、それが伝承され名所化して「一目千本」の景観が生まれたとのことです。

---中略---

●現在のような花見が行われるようになったのは、江戸時代八代将軍徳川吉宗(在位1716-1745年)の時代。それまでは、いわゆる「一本桜」の花見で、寺院等に散在する名木を参詣がてら鑑賞するという形態であった。吉宗さんは1717年に100本の桜を墨田川東岸に植えさせたり、品川の御殿山、王子の飛鳥山にも大量の桜を植えさせたそうです。やがて桜の開花のころになると庶民が集まり飲食をともにするようになったと。

●この時代の桜は、ヤマザクラエドヒガンザクラが中心で、サトザクラも花見の対象となっていたとのことですが、イロイロな品種があることで、花見の期間は一か月ほど、ずっと花が絶えない状態が続いていたそうです。現在のソメイヨシノ一色の花見では高々10日ぐらいであるのとは極めて対照的であったと。

 

 

 ソメイヨシノという品種は雑種なので、その種子が取れても親と同じ性質にはならない。ソメイヨシノを増やすには挿し木か接ぎ木ということになる。すなわち、ソメイヨシノという種は”クローン”=日本国中のソメイヨシノは全て同じ樹であるとのことです。葉よりも先に花が豪華に咲き、散り際の良さも日本人好みである。園芸的にも活着しやすいので次第に広がっていった。現在のソメイヨシノのサクラの名所は戦後の高度経済成長の時代に爆発的に拡散したものであると。開花情報が出せるのも、均質なクローン植物ならではのことだそうです。

映画・TVで、「遠山の金さん」や浅野内匠頭切腹の場面の背景にソメイヨシノが映っているが、あれはオカシイ。ヤマザクラでなければダメである、とのことでした。

 

 

その筋の日本文化の研究では、今の花見の形態は上野から始まるとされており、花見の要件には三カ条があると。すなわち、①一本ではなく群のサクラを見ること、②詩歌ではなく飲食を伴うこと、③一部の階級では無く、多数の群衆で行われること。

花見大好きな尾関さんとしては、昨今、サクラの保護とは言え、飲食を禁止する花見の場所が増えてきていることを大変に危惧しているとのことでした。江戸、明治の時代、もっとゆったりと花見をしていたであろうことを羨ましく感じておられました。こういう楽しい講師さんとは、是非、花見の時節にゆっくりと講義を聴きながら一緒に飲みたいものだと思いました。

 

 

この次の講座は、翌週の2月26日(水)でしたが、すでにコロナで大騒ぎしておりましたので、大ホールでの共通講座のほうは「自主休講」としました。午後の園芸講座には出席しました。「洋ランの楽しみ方」、ご存じ吉田篤さんの講座で大変に面白かったです。

その後、昨日になり「来週以降、休校とする」旨の案内が通知されました。年度末の行事もほぼ全て取り止めです。日本国中、大騒ぎになっています。パニックにならず、冷静に対応するしかないと感じています。皆さま方もくれぐれもご自愛のほど。最後までお付き合い頂きありがとうございました。

そう言えば、今日は四年に一度のうるう年の日、でした。次のうるう年の日はどうしているでしょうか、楽しみです。

 

 おまけ;吉田さんの講義で。

右が洋ラン=カトレア。ポッドに入っていたものを、教室で吉田さんのご指導の下に各自で水苔を回りに捲いて素焼きの鉢に植え替えたもの。水は少なめに育てる。冬も10℃以上で管理すること。 

左はクリスマスローズ。水はけ良く植え込みをすること。春先は日当たり良く、夏は木陰かヨシズで遮光する。植え替えは秋に行う。鉢植えは1-2年に一度、株分け植え替えをする。アルカリ性の土壌を好むので、石灰、卵の殻を入れる。

写真のクリスマスローズは「ピコティ」という種類です。白に赤の縁取りが特徴とか。株分け出来るまで上手く育ってくれますように。2020年2月26日、撮影。