クルルのおじさん 料理を楽しむ

長島愛生園歴史館・見学ツアー

9月17日(土)、岡山県瀬戸内市にある長島愛生園歴史館の見学ツアーに参加して来ました。昨年も参加しようと思っていたのですが、残念ながらコロナで中止。今年も中止になることを心配していたのですが、ドラゴン先生からメールが入り今年は実施されることの確認を頂きました。最初のキッカケとなった立命館大学での展示会でお世話になった「T女史」、それから神谷美恵子さんの次男さんの奥様=神谷永子さんも毎年このツアーに参加されているのですが、ドラゴン先生が皆さんが参加する日程に合わせて参加申し込みをしてくれました。神谷永子さんにお会い出来るのが神谷美恵子さんフアンの僕にとっては大変に楽しみなことでありました。

 

三連休の初日ということもあり新幹線はかなり混んでいました。僕は名古屋から、前夜に京都に入っていたドラゴン先生は京都から乗車。姫路駅で合流して山陽本線に乗り換え、更に播州赤穂駅赤穂線に乗り換え、「日生(ひなせ)」というローカルな駅で下車しました。ここから船に乗って長島愛生園に向かいます。T女史、神谷永子さんグループとも無事に合流できて、T女史が永子さんをドラゴン先生に紹介してくれました。そして、ドラゴン先生が僕を紹介。「この人(僕のこと)は神谷恵美子さんの大のフアンなんですよー」と。船を待つ時間、それから乗船して長島を一周するクルージングの間、永子さんは我々二人と一緒にいてくれたので、予想以上にたくさんお話をお聞きすることが出来ました。

僕の方からも立命館での展示会がきっかけで神谷恵美子さんを知る処となったこと、本をたくさん読んだこと、ご子息兄弟と僕の兄弟がほぼ同じ年代なので勝手に大変な親近感を持ったこと(ともに二人兄弟で兄が同じ年生まれ、弟さんは僕よりも一つ年長さん)を話しました。永子さんも喜んでくれて「それでは私とxxさん(僕のこと)は同じ年!」と言ってくれたので親近感が更に増しました。

 

この日は台風の影響で風が強く曇り空。雨の予報は無かったのですが、船から降りる時には雨模様となってきました。愛生園の職員さんの親切な引率で島を案内して頂きました。港では入所者代表の中尾さんが車椅子ながら元気にお出迎え、挨拶を頂きました。87歳になられるそうです。「歴史館」にて職員さんから「ハンセン病、および、長島愛生園の歴史」についてレクチャーを受けビデオを見ました。

その後、雨は降っていましたが、史跡巡りに。長島愛生園は1930(昭和5)年11月20日に初めての国立療養所として開設されたものです。「収容桟橋跡」;入所時、家族などの付き添いはこの桟橋までしか入れなかったそうです。入所者にとっては家族、社会との別れの場所。「収容所(回春寮)」;入所者は現金など所持品は全て取り上げられ(逃走させないための措置)、消毒風呂に。社会との完全な隔絶です。「監房」;懲戒権は園長に与えられていた。ほとんど裁判は行われていない。逃走した者が多く収監されたそうです。そして「納骨堂」;職員さんから「普通、療養・病院施設に墓は隣接していることはありません」「ハンセン病に対する偏見、差別の目は患者だけでなく家族にも及んでいたため、遺族が遺骨を引き取ることも困難なことであった」と説明がありました。2002(平成14)年に再建された立派な納骨堂でした。

 

歴史館二階にある復元された園長室の一角には神谷恵美子さんの写真と直筆のカルテ、手紙が展示されていました。以前、読んだ神谷美恵子さん日記のことを思い出しました。

「生きがい」の原稿がほぼ出来上がったころの日記。「N(旦那さん)が(原稿を見て)oKとしてくれた。それをT(次男クン)に話したら『女は自己陶酔するからイカン、そこが問題だ』と言って、私の頭を何遍もつついてくれた」。これほど正確に思い出したわけでは無かったのですが、次男クンが自分の頭を「つついてくれた」という表現が頭に残っていました。

帰りの船でもT女史、永子さんと四人で一緒に座ることが出来たので、この日記を思い出したことを話してしまいました。この次男クンの突っ込みと美恵子お母ちゃんの受け止め方が大変に印象に残ったので読んだ後で調べたのですが、この日記は1965年(昭和40年)で、次男クンはまだ高校生だったはず。永子さんに「高校生坊主がよくぞこんな生意気なことを言ったもんだ」とついつい喋ってしまいましたが、永子さんも甚く同感してくれて「全く。きっと生意気盛りだったんよねえ」と(ホントは自分のダンナを捉まえて勝手なことをいうオッサンやなあ、と思われたかもですが)。

立派な医者、教授、翻訳家、執筆家でありますが、それ以上に良き妻、良き母親であられたことが神谷美恵子さんの大きな魅力であることを改めて感じました。そして良いご家族であったのだなあと永子さんとお会いして改めて確認することが出来た様に思いました。

 

過去の神谷さん関連のブログです。思った以上にいろいろ記載していました。

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立命館大学で「長島愛生園」の展示イベントを見学した時のことです。この時に初めて「神谷美恵子」さんの存在を知ることになりました。

 

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神谷美恵子さんのご子息、兄弟お二人が我々兄弟とほぼ同じ年代であることを発見して、勝手に親近感を抱いたことを記載しておりました。

 

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すっかり神谷さんのフアンになって家族にも紹介しまくっている時です。ドラゴン先生がこの年の見学ツアーに申し込みをしてくれました(結果は、コロナで中止でした)。

 

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京都のドラゴン先生のマンションでT女史さんにお会いした時のことです。東山コースを完走した時だったんですねえ。懐かしい。

 

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神谷さん繋がりで『鶴見俊輔伝』を読んでいました。すっかり忘れていましたが、鶴見さんは新婚旅行の際に「長島愛生園」を訪問されていました。

 

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この年(2021年、昨年ですが)のツアー中止が決まった時のものです。山頭火の句は読み返してもやはり面白いです。

 

 

  「歴史館」正面です。

   「収容所(回春寮)」の一室。ぽつんと一台だけベッドが残されていました。

   「納骨堂」。ちょうどお彼岸の準備をされていました。お線香を手向け手を合わせました。いずれも9月17日、撮影。

 

瀬戸内市では世界遺産登録をめざすプロジェクトに取り込んでいるそうです。ハンセン病の歴史を後世に伝えたい!と。その活動資金として「ふるさと納税」で寄付を募集されています。「後世に伝えたいハンセン病の歴史プロジェクト」で是非、検索してください。




NHK俳句です。相変わらず僕の備忘録として書いています。お付き合い頂ければ嬉しいです。9月第二週、司会は武井壮さん、選者は井上弘美さん、ゲストはお笑い芸人の桃沢健輔さん。桃沢さんは今回が三回目、最後の出演です。今週の兼題は「花野」。冒頭、いつもの様にクイズ形式で「花野」のイメージの確認がありました。「花野」は、とにかく人の手が加わっているものではない。自然のものを云う。

手元の俳句歳時記を見ると「秋の草花が一面に咲き乱れる広々とした野原。次の季節には枯野になる寂しさもあわせ持つ」と説明されていました。「『花』は春の季語=桜を指すが、『花野』は秋の季語で草の花を前提とする」そうです。

 

今週の特選三句です。

一席   カルデラの湖を一周花野道   (湖=うみ)

二席   大花野むかし遊覧飛行場

三席   花野原振る手のあれば振り返し

 

テキストの巻頭名句にいいなあと思ったの句がありました。

   岐れてもまた岐れても花野みち   富安風生   

テキストの第二週の欄にも味わいのある句がありました。

   君を訪ふて雨の花野を帰りけり   徳田秋声

井上さんの「俳句ナビ」、桃沢さんの句は省略です。

 

第三週です。司会は武井壮さん、選者は星野高士さん。ゲストは実業家でタレントの黄さん。黄さんは東京在16年の中国の方。今週の会いたい俳人有馬朗人さん。物理学者として政治家として高名な方ですが俳人としても句集「黙示」で「蛇笏賞」受賞とか。今週の兼題は「天高し」、有馬さんの句が紹介されていました。

   天高し分かれては合う絹の道   有馬朗人

   いづこにも龍ゐる国の天高し   同  

 

二句目は中国を訪問した時の句。生涯に有馬さんは中国を60回以上訪問していたそうです。黄さんも「日中の架け橋になりたい」旨、話していました。今週の特選三句です。

一席   角のなき石に座りて天高し

二席   十方へひびく梵鐘天高し

三席   天高し跳ね橋見ゆるところまで

ゲストの黄さんが初めての俳句を披露していました。

   うねうねと龍の近づく天高し   黄

 

選者からも司会者からも「これが初めての句ですか!?」と絶賛されていました。大変なタレントだと感心しました。

 

 

鯱城学園の二学期が始まりました。9月16日(金曜日)、共通講座と園芸科。園芸科では名古屋城菊花大会への出品も視野にいれた「山菊」盆栽に挑戦しているのですが、恥ずかしながら僕が育てていた鉢はことごとく枯れてしまいました。真面目に水遣り等々をやっていたと思うのですが。最初の根の固定が不十分であったのだろうと反省しております。

この日は皆さん、育てている山菊を持参して先生から手入れ指導を受けるのですが、僕は持っていくものが無かったので顔だけ出して退席しようかと思っていました。四班の仲間から「終わってからコーヒーに行こうよ」と励まされて寂しく授業に出ていたら突然に名前を呼ばれて「xxさん(僕のこと)、この鉢を進呈します」と先生からキレイに育てられた一鉢を頂戴してしまいました。嬉しいやら、恥ずかしいやら。気合を入れ直して化粧鉢への植え替え作業をやりました。”今度、この鉢を枯らすことになったら除名、退会処分もんやなあー” と内心ではビクビクものです。週末、東山公園を散策して「苔」を採取。化粧鉢に植え付けしました。

 

  果たして無事に育ってくれるものかしら。仲間と一緒に「第75回名古屋城菊花大会」に出品する予定です。「参加することに意義がある、出品することに意義がある」精神ですね。10月23日から11月23日まで名古屋城で開催されます。

 

 

  アラタくんが育てている「おじぎ草」、二回目の花が咲きました。お見事!。アラタくんママ(長女)が撮影、9月14日。