クルルのおじさん 料理を楽しむ

『一休と一路』鯱城学園・9月25日

   

 本文とは関係ないのですが、この講座の翌日、名古屋城オペラの初日の公演に行きました。お世話になっている名古屋のMホールの代表さんが誘ってくれました。久しぶりに早めの夕食をご一緒してから黄昏時の舞台に。M代表さんのお陰で最前列の席を準備してくれていました。野外オペラ「蝶々夫人」。名古屋城天守閣前広場の特設ステージで。お城を背景にした舞台はかつて延岡の薪能に感動したことがありましたが、このオペラの舞台にも感動しました。長崎・日本を題材にした演目であることもこの舞台が似つかわしいことに繋がっていると感じました。2019年9月26日、撮影。

 

 

 

鯱城学園・二学期、二回目の共通講座です。引き続き、僕の備忘録として記載しますので、お付き合い頂ければ嬉しいです。今回のお題は『一休と一路』。「一路」の意味が不明でした。中国が提唱している「一帯一路」構想の「一路」と何か関係があるのか、それにしても一休さんと中国は接点は無さそうだが、と訝しく思いました。お題からいろいろと思いを巡らすことも頭の体操になって楽しいかと。結果は全くのハズレ、中国とは全く関係ありませんでした。

 

 

牧原一路さん。尺八奏者。名古屋にある尺八の会「吸江流尺八 一路会」の代表をされています。平成の虚無僧として修業を重ねられているそうです。また、一休さんの研究もしっかりとされていて「一休と尺八」をテーマにして講演活動を続けていらっしゃるとか。

 

 

第一部は「一休の生涯」と題して、尺八、琵琶、琴の演奏と語り、そして詩吟を加えて一休さんの生涯を描いたもの。「芝居形式で構成してみた」とおっしゃってましたが、芝居というよりは、詩吟を声楽のように受け止めるなら、日本風のオペラに近いような気がしました。尺八、琵琶、琴の演奏と詩吟、そして、歌劇のような抑揚をつけての語りが大迫力、素晴らしいコラボでした。

尺八=牧原 一路さん、琵琶=糸井 藍水さん、琴=林 鈴花さん、詩吟=沢田 千鶴香さん。皆さん、それぞれのジャンルではトップクラスの実力者の由。

 

 

とんちの一休さん、アニメの一休さんは誰でも知っていると思いますが、その実像についての知識はあまりないかと。僕はほとんど知りませんでした。実在していた方なのかどうかも自分では覚束ない状態でした。一路さんは一休さんの研究家で、自分なりの解釈も含め一休さんを”語って”いきます。以下、配布されたレジメを更に要約したものです。

 

 

時は、南北朝の騒乱の時代。一休さん北朝南朝の両方の高貴な方の血筋を引いて生まれた。南朝の忠臣であった楠木正成。彼の死後、その三男正儀は北朝に下ったそうです。その孫娘が北朝の後小松帝の寵愛を受けることになり、そして、生まれたのが一休さん。応永元年(1393年)1月1日の生まれとのこと。元年=1ですから、1-1-1。

 

 

天皇の子でありながら、母親が楠木の血筋ということで幕府の監視下に置かれ5歳のときに安国寺に。利発、聡明な子供であったとか。24歳の時、琵琶法師が「平家」を語るのを聞いた。その「祇王失寵」の段を聴いた一休さんは一晩泣き明かして悟ったと。そして、

 

有濾路(うろじ)より 無濾路(むろじ)に帰る 一休み 

                       雨降らは降れ 風吹かば吹け

 

という歌を詠んで、「一休」という名を授かったそうです。濾=穢れ・煩悩のこととか。一般的には「穢れや煩悩のあるこの世から、それらが無い=あの世に帰るまでの一休み」と解釈されているそうですが、一路さんの解釈は、もっと広く、深いもの。「一休」は一休みではなく、一切のものをやめる=解き放つという意味!と捉えています。父が天皇であるとか、母が楠木の血筋とか、その出自に拘り、悩み苦しんでいたことを、すべてきれいさっぱり忘れよう!、こだわりを捨てて「一休」という名前を名乗ることになったという解釈です。

 

 

「悶々として30年、淡々として30年」。60歳を過ぎてから、一休さんは輝きだしたと。応仁の乱が起こったのが、一休さん74歳の時。京都は焼け野原。一休さんが修行を積んだ大徳寺も焼失。盲目の女性「森女(しんにょ)」から大徳寺の再建を託され、81歳で同寺の住持(住職)に就任。6年の歳月をかけて大徳寺を再建、完成させたそうです。一休さんは、大徳寺が完成しても、そこには住まず、薪村の酬恩庵で森女と仲睦まじく暮らして、88歳の生涯を閉じられた由。

 

 

以上を単に言葉で説明するのではなく、舞台からは、四人の方が持ち味を存分に発揮して迫って来ます。 平家物語の「祇王失寵」の段では、琵琶の演奏と語り、更には、一休さんの歌を詩吟の方が朗々と歌い、琴と尺八の演奏を入れながら、一路さんが物語を熱く語る。今まで聞いたことも見たことも無いような、面白い組み合わせ・構成でありました。脚本・脚色もしっかり作られているものと思います。

 

 

そして、第二部は一路さんが「一休を語る」。

一休さんの禅は「こだわらず」「かたよらず」「とらわれず」。また、一休さんは虚無僧の元祖?という説も紹介されていました。寺も経典も教義も無く、ただ尺八を吹いて衆生を済度する。それが虚無僧の生き方=一休さんの生き方に繋がるとのことです。

 

有名な一休さんトンチ。「このはしをわたるべからず」に対して「橋の真ん中を堂々と歩いて渡った」という話も、一路さんの解釈では、もう少し深い意味があり。北朝南朝だにとらわれずに中道を歩め!ということではと。

 

 

ユーモアもたっぷりで、「一休さんが輝いたのは60歳を過ぎてから。森女とめぐり逢ったのは76歳の時。鯱城学園の皆さんも頑張ってください。いまからですよお!」と大変なエールを送って頂きました。会場の皆さんも大喜び、やんや、やんやの握手喝采。あっという間の一時間半でした。

 

一路さんはご自分のことを「平成の虚無僧」と紹介されていましたが、全くの違和感なし。一路さんが「”平成”から”令和”に修正する必要があろうか」とお話された時に「オオマイゴド、そや、いまは令和やった!」。瞬間、令和を忘れていた自分に気づいてかなり焦りました。

 

 

 

この日のお弁当。残り物を詰め込みました。ソーミンチャンプルーの残り。ナスの甘辛炒めの残り。トマトを添えて。オカズの量がソコソコあったので、大好きなのり弁はご飯の量を少なめにして。写真上のナスの炒めとトマトを入れてある容器、写真下にチラッと見えるお箸は、長女家族が誕生日のお祝いにプレゼントしてくれました。栗原ファミリー・ブランド。息子さんの心平ちゃん作の「こべんとう」セット。この容器と箸、それから「こべんとう」専用のレシピ本も入っていました。心平ちゃんはTV「男子ごはん」でも活躍中。僕は大変なフアンの一人でビデオを撮ってほぼ毎回見ています。2019年9月25日、料理と撮影。

 

 

 

午後は専門講座。今日の園芸学科は久しぶりに教室で。今、注目を集めている(らしい)「たねダンゴ」を教えて頂きました。たねダンゴ作りとプランターへの植え付け。

 

講師の先生は(公財)名古屋市みどりの協会からお二人の先生に来ていただきました。新しい緑化の手法として注目されているそうです。ダンゴ作りは面白い工作のようなものですから、子供達も喜んで手伝ってくれる。親子で一緒にダンゴ作りをして、一緒に植えて、それが発芽して、そして花が咲くことを一緒に楽しむ!。

 

今回は、秋播きのタネを5-6種類混ぜたものを作りました。数種類を混ぜることで、開花期が短いものでも開花のタイミングの違いでリレーのように次々と花を咲かせてくれるそうです。ダンゴ一つは、教室で早速にプランターに植え付け。一人当たり5-6個のダンゴを持ち帰り、各自、おうちのプランター・庭に植え付けしました。

 

  

たねダンゴの作り方。(公財)名古屋市みどりの協会の資料です。今日、隠れ家のプランターを見たら、ちゃんと発芽してくれていました。水やり、日に当てなきゃあ。来春が楽しみです。2019年10月3日、撮影。

 

「世界の文化と食を学ぶ」講座・ドイツ編

ドイツ料理!。シュワルツワルド風ポテトスープ、ドイツ東南部のフリカデレ(ドイツのハンバーグ)、キャベツのサラダ(コールザルト)ときゅうりのサラダ(グルケンザラト)、ドイツパン。椙山女学園大学での最終講座。目玉焼きは材料の卵が中途半端に余ったのでオマケで目玉焼きにして僕だけ頂いたもの。全て美味しく頂きました。2019年9月19日、料理と撮影、食事。(一番最後にメニューを撮って添付しておきました。)

 

 

 

鯱城学園の二学期が始まった日の翌日に椙山女学園大学での「世界の文化と食を学ぶ」講座の四回目=最終回が開催されました。椙山女学園大学と千種生涯学習センターの共催講座です。今回は「ドイツ編」。一週間前に三回目があり、ドイツ人の先生から「ドイツとは?」の講義がありました。この日最終回はドイツ料理の実習です。欲張っていろんなところに顔を出すようになって、”申し込んだはイイが欠席することが増えてしまうかも?”と心配していましたが、ナントカ、この講座は全四回とも出席することが出来ました。四回すべて内容の濃い楽しい講座でした。来年も参加したいものだと思っています。

 

 

 

三回目の講義のお題は「ドイツとは?」。講師は1985年生まれのドイツ人の方。マーセル・アイカマン=Marcel Eikermannさん。日本語で「真世流 藍花万」と漢字表記されています。言語学者。犬が大好き、奥さんは日本人、椙山女学園大学では非常勤講師をされていると。もちろんこの講義は日本語で。イントネーションは少しだけ外国人特有のものが入っていましたが、それはそれはキレイな正しい日本語を話されていました。書く方も、ひらがな・カタカナは全く不自由無し。漢字もかなりのレベルのものをスラスラと書かれていました。「真世流 藍花万」のそれぞれの漢字の意味も分かった上で使っているそうです。エライもんですね。日本文化では、茶道、能に関心がある由。

 

今回の講座のテーマは「ドイツ文化」でしたが、「日本文化」を語らせても面白かったかもしれません。多分、ご専門の分野では、僕たちの知識以上に深く勉強されているような気がします。アイカマン先生、普段から、講義は出来るだけ双方向で、学生が参加する形を心掛けているとのことでした。

 

 

講義は、この先生がドイツを深く愛していることが素直に感じられる内容でした。スクリーンに写真、資料を映し出しながら講義がスタート。最初の切り口は「ドイツはおとぎ話みたい」!、ノイシュヴァンシュタイン城をはじめとしておとぎ話の舞台になるようなお城・田園風景を紹介。このノイシュヴァンシュタイン城はデイズニーランドのお城のモデルになっているそうです。僕は全く知りませんでした。受講していたかなりの方が訪問したことがあると手を挙げていました。日本からのドイツツアーの有力コースの一つの由。「おとぎ話」のあとは「ドイツは伝統を大切にしている」「ドイツは動物が好きだ」「ドイツは歴史を大切にしている」「ドイツは色々な発明をしている」、そして最後は「ドイツは美味しい」。ドイツが勤勉・質素、派手ではなく質実剛健な国民気質の国であることが良く理解できる説明でした。

 

 

「ドイツは色々な発明をしている」の件では、参加型講義の面白さを堪能させてもらいました。この講座ではその折々に、学生にイロイロな質問をしながら進めていくやり方をされていました。「発明」の件では、ガソリンエンジンジェット機、ロケット、アスピリンICカードのチップ、等々がドイツでの発明であることを紹介。そのあとで、質問が出されました。「ドイツは機械・医学/薬品等で沢山の発明をしている国ですが、ドイツで発明され、その後の世界の文化の発展に大変に寄与・貢献した発明とは一体何でしょうか?」

 

ナント僕は質問を聞いた瞬間に答えが分かりました。というよりも「ドイツ」と「発明」のキーワードから、直ぐにこの発明のことが頭に浮かんでおり、質問されるまでの説明の中で、何故、この発明のことを話しないのかと不思議に思って聞いていたほどでした。

”そうか、質問するためにドイツのこの発明を残しておいたんや!”

あまり間髪入れずに答えを言うのもやや憚られたので、先生の目が皆さんを一巡するのを確認してから「はーい、印刷、活版印刷でしょ」と答えました。先生は、やや驚いたような気配。皆さんは答えを聞くと”そうだそうだ”という感じ。先生が「誰の発明が知ってますか?」と聞いた時には、何人かの方から「グーテンベルグ!」と答えがありました。「さすがにこの講座に来ている方はよく勉強されている。最近の学生さんは、知らない方がほとんどです」と笑っていました。

 

そして先生から追い打ちの質問。「そうです。印刷はドイツが生んだ偉大な発明です。この発明はそれ以降の世界の文化の発展に大きく貢献したのです。それでは、皆さん。同様の、日本の偉大な発明は何だと思いますか?」。皆さん、しばし、無言の状態。”うーむ、日本は発明というのは不得意やからなあ。難しいなあ”と思ったのですが、この日は、珍しく冴えている日でありました。NHKの朝ドラが蘇りました。

「はーい、インスタントラーメンやあ!」。先生も、皆さんも笑って納得していたように思います。

印刷技術の発明の話は、ハラリさんが『サピエンス全史』か『ホモデウス』のなかで触れていたように思います。懐かしい記事です。久しぶりに埋め込みしておきます。

 

kururupapa.hatenadiary.jp

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「ドイツは美味しい」では、ドイツの食材を紹介。「美味しい」と言いながら、先生は、ドイツのハム・ソーセージ、チーズ、ポテト・じゃがいも、そして、白ワイン!みんな大好きなのですが、30歳を超えてからは健康を考えて、すべてに控えめな食事を心掛けているそうです。基本的には「お酒は止めた、お肉は控えめに」の食生活を実践していると。なんと自己制御が自然に出来ることか。”さすがドイツ人!お若いのに素晴らしい、けど、美味しいモノ食べないでもったいないなあ!!”。最後は、ドイツ語会話=挨拶言葉をみんなで発音練習してお開きに。

 

 

四回目、いよいよ最終回。ドイツ料理の実習です。講師は、前回同様の加賀谷みえ子教授。有難いことに前回の班と同じメンバー構成でした。僕たちの班だけが5人。他の班は4人。この5人が面白い発見に繋がりました。フリカデレ、というのはドイツのハンバーグのことですが、タネをビニール袋に入れて良く混ぜ合わせる=捏ねてなじませる。ちょっとは力仕事ですから、この作業は僕が担当。リーダーの指示に従って真面目にやりました。良く捏ねたあとは、タネをビニール袋からボウルに出して、人数分に等分に分けて、それを一人二個分に円盤状に成形する。

 

ここで僕にとっては問題・課題が発生。他の班は四名ですから、ボウルに出したタネに指で十文字を書けば簡単に四等分出来る。しかし五等分にするのはどうすればよいの?瞬時には適切なやり方が頭に浮かびませんでした。星の形とかヒトデの形を考えながらもどうすればよいのかイメージが湧いてこない。頼りになるリーダーの方に”何か良い方法ありますか?”と聞いたのですが、やや困ったような表情。その時に、各テーブルを回っていたこの講座の助手の方が横からアドバイスしてくれました。

 

「はい、簡単に出来ます。最初に、六等分する線を入れてください」。その通り、縦・斜め・斜めに指で線を入れました。「1/6分を更に五等分する線を入れるのですか?邪魔臭いですね?」とお聞きしたら、「そんな厳密に分ける意味ないでしょ。このひと切れを少しずつへつって、それぞれに少しずつ加えていけば大体五等分の出来上がりですよ」。なるほど、数学的に分割する話ではないから、作業的に簡単で分かりやすいやり方が台所の知恵なんだあ、といたく納得しました。

 

リーダーと話したら、この方は「Yの字(の線)を書いて、その左右を更に半分に線を入れればよいかなあ」と考えたそうです。ピザとかホットケーキを五等分する時にはこうしていると。これもグッドアイデア!台所の知恵か。読売ジャイアンツフアンの方は、簡単に出来そうな気がします。

 

「ケーキを切れない非行少年たち」というタイトルの本を思い出しました。彼らに料理を教えてあげるのが良いのではと。ベンツのマークを見せてあげたらケーキも簡単に三等分出来るだろうと思いました。(この本も書評欄で書名だけ見ただけなので内容は存じておりません。勝手に引用して申し訳ありません。)

 

 

ちなみにこの作業をしている時には、料理用の手袋をつけてやっております。加賀谷先生のアドバイス。「料理する時に手を汚さないように(というよりも最近の学生さんは手が汚れるのを嫌がるので)料理用のビニールの手袋をつけてやってもらうようにしています。大事なことは、手袋を付けた後で自分の手を洗うのと同じように手袋を付けた手を洗ってください!これを習慣にするように教えています。」とのことでした。これも目から鱗。良い指導だと思いました。

 

 

食事の後は、前回も同様でしたが、使った食器・調理道具・器具を全てキレイに洗って拭いて所定の場所にしまって終了となります。みなさん、ほんとにテキパキと。僕は洗う、拭く、というのは大の苦手です。隠れ家で一人で料理をする時もシンクがいっぱいになるまでㇹっておく、どうしようもなくなってから嫌々やることが多い。これもその時々にテキパキと習慣になればよいのでしょうねえ。

 

 

 

料理の講座の二回ともに班構成は同じメンバーに恵まれ大変に楽しかったです。班の割り振りは アイウエオ順の由。そして、来年もこの講座は継続されるそうです。皆さん揃って、来年も参加したいねえ、と。一年後に、また元気に参加出来て、お料理講座でまた再会!なんてのも面白いでしょうねえ。

 

  

 ドイツ料理のメニューを添付しておきます。ご参照下さいませ。2019年9月28日、撮影。

 

最近、10日ごとに記事を書いていますが、今回はチョット頑張って臨時号にしました。各種行事が多く書きたいことが増えて喜んで(困って)います。

 

 

二学期の始まり

名古屋市千種区平和公園です。朝夕は、かなり過ごしやすくなってきました。夕方、買い物を兼ねてウオーキング。ススキ?が綺麗な銀髪のごとくに輝いていました。秋の気配かと。但し、後ろの木が紅葉しているように見えるのは夕日の当たり具合によるものです。念のため。2019年9月15日、撮影。

  

 

鯱城学園の二学期が始まりました。久しぶりに鯱城ホールでの共通講座です。もっとも、園芸講座を専攻している学生は、夏休みの期間中も農園実習や各班ごとの水遣り当番が頻繁にあったので、あまり、久しぶりという感じはありません。暑い時期、炎天下で助け合って水遣りを行い、作物の収穫も体験しているので、各班ごとに一体感、連帯感、仲間意識が強くなったような気がします。個人的には、畑作業は全く初めての経験でありましたし、自分で植えた作物を収穫することの面白さを少しは味わえて、大変に喜んでいるところです。ナス、カボチャ、シシトウ、ピーマン、トウガラシ、ズッキーニ、トウモロコシ、シロウリ。整理してみれば思っていた以上にたくさんの種類の野菜を楽しまさせていただきました。素人でも失敗しないで育てることが出来るように準備・段取りをして頂いた農園実習の先生方に改めて感謝です。

 

 

二学期には鯱城学園の二大イベントがあります。10月の体育祭、11月の文化祭。体育祭のプログラムが印刷され配布されました。全員参加型のイベントです。二学年で合計千人近い学生がいて、そのほぼ全員(プラス応援のご家族)が参加するのでしょうから、マジに大変なイベントです。各専門講座のクラスごとに、お揃いのカラーTシャツが準備されています。また、年齢層を考慮して、とにかく「ケガ・事故の無い」体育祭とすることが謳われています。携帯品として、健康保健証、常備薬を忘れないようにとか、当日の朝には、それぞれが「健康調査票」を提出すること、と注意書きがあるのも鯱城学園・体育祭ならではの記載でしょう。プログラムを一覧する限り、演目の目玉は、二学年混成で行うフォークダンス演舞かと思います。懐かしのオクラホマミクサーと炭鉱節。但し、この炭坑節はダンシングヒーロー曲版になっている由です。

 

 

名古屋(愛知県全体?)は盆踊りが盛んな地域だそうです。そして、いかにも盆踊りの曲だけで盛り上がるのではなく、ポップス曲をアレンジして、それを老若男女が一緒に踊って楽しむのが流行っていると。盆踊りシーズンの前には、踊り・振り付けの講習会が催されており、参加申し込みは(かなりは女性とか)が多数あり大変に盛況とのことです。全く、知りませんでした。

 

ダンシングヒーロー」は懐かしの荻野目洋子さん。ちょっと前に、大阪の登美丘高校のダンス部の歯切れのよい踊りが一世風靡したのは覚えていますが、あの曲で炭坑節を踊るというのはどんな具合になるものでしょうか。来週から体育祭に備えての練習会が各クラスごとに行われるそうです。鯱城学園の体育祭は今年で第34回。僕たちが34回生ですから、毎年、ちゃんと開催されているということですね。すべてが学生の自主運営、自主企画によるものだそうです。毎年のノウハウの蓄積が出来ているということが素晴らしいと思います。でも、「ダンシングヒーローの炭坑節」をホントにみんなで揃って踊れるものかどうか、かなり不安ですね。

 

 

 

二学期、最初の講義は『名古屋の地名で遊ぶ』。講師は、OASIS都市研究所の杉野尚夫さん。1942年のお生まれの方。名古屋大学の大学院を卒業され名古屋市役所に勤務、ずっと都市問題を担当・研究されていた方です。70歳近くになられてから著書「名古屋地名ものがたり」を出版。”地名”を真面目に研究しつつその面白い由来や発見を楽しまれているそうです。”名古屋の地名の面白さ”ということでローカルな話題が多かったのですが、全国ベースの話で興味深かったことを記載します。

 

 

●どうして地名は漢字2文字が多いのでしょうか?

このお話をする際に、演壇の大型スクリーンの画面に”チコちゃん”のイラストを映しだして「皆さん、こんなこと考えたこと無い、エエッ?って言えば、チコちゃんに叱られますよ」と軽く冗談を飛ばしながら。あれ?、恥ずかしながら、僕は全く考えたことがありませんでした。タマタマでは無く、ちゃんとした理由があったことに驚きました。

 

奈良時代平城京遷都のすぐ後、律令政府がお触れを出したそうです。”地名は二字の好ましい字とせよ!”、このお触れが「好字二字化令」、716年(和銅6年)の時のことだそうです。当時は中国の唐を見習うことが行政の基本とかで、唐の地名が漢字二字であったことから、それを真似して、このお触れを出したとか。それまで、三文字名であった地名、一文字の地名は、このお触れにより、多くが二字に変更されたとのことです。そして、変更によりかえって紛らわしい、読み方が難しくなった事例が沢山出たとのことです。

 

例えば、「上野(こうずけ)」はそれまでは「上毛野(かみつけぬ)」であった。また「下野(しもつけ)」は「下毛野(しもつけぬ)」であった。講師の方のご意見では、一文字削る時に、「毛」を削ったことが間違い。どうせ削るなら「野」を削るべきであったと解説されていました。講師ご本人も、昔から「上野」をなぜ「こうずけ」と読むのか理解できず悩んでいたが、この令のことを知り、初めて理解出来たように感じたと。現在でも読み難い地名があるのは、この令による変更が原因であることが結構多いそうです。

また、一文字の地名では、「泉」は「和泉」に、「木」は「紀伊」に変更され、これもかえって読み方が難しくなった事例として紹介されていました。同感、納得ですね。これら二文字表記が奈良時代まで遡るお触れ=令=法律によるものとは全く知りませんでした。

 

 

●県の名前と県庁所在の都市名が同一な県と異なる県がありますが、これには何か理由があると思いますか?(註;鹿児島県鹿児島市、福岡県福岡市vs愛知県名古屋市、石川県金沢市、等々のことです)。

 

 最初にちょっと歴史の復習をされました。明治時代、明治2年に藩籍奉還=旧藩主の所領であったものを中央政府の管轄地に。その後、明治4年廃藩置県=藩が無くなり「県」が誕生。

 

一般的な解釈は、最初は藩名を県名にしていた。それが、整理統合の段階・過程で変更され、県名と都市名にズレが生じた、という面白くもなんとも無い説明でありました。が、宮武外骨さん(慶応3年~昭和30年)という反骨精神溢れるジャーナリストが昭和16年(1941年)に発表した珍説・異説?を紹介されました。

 

この方の説によると“”明治政府に忠勤の藩は、藩名がそのまま県名になった。九州の県名が代表例。態度が曖昧な藩は、藩名を県名とされなかった。松江藩は、島根郡→島根県に。水戸藩は、茨城郡→茨城県に。名古屋も名古屋藩ながら、愛知郡→愛知県に。朝敵と見做されていた藩には、更に、過酷な処置がなされた。会津藩、長岡藩は、藩名を県名にされずに、県庁所在地も別なところに置かれた“”というものです。この説は学術的な妥当性は検証されていないとの注釈がつけられていましたが、なるほど、面白い観点からの見方かと感心しました。

 

 

 

この日の午後、園芸のクラスはバスに乗って鯱城学園から郊外の農園に移動。農園実習です。キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーの苗を作付けしました。これ以外では、サツマイモ、サトイモ、ネギ、ニンジン、ジャガイモが現在、生育中です。

収穫を終えたナス、ピーマン、シシトウ、トウガラシは掘り起こして畝の整理を。次回以降にダイコン、タマネギ、ハクサイ、シュンギク、ミズナ等を植え付け予定とのことです。

 

 

お陰様で、今年の夏はナスをよく食べました。2~3本の株からこれほど沢山のナスが収穫出来ることに驚きました。収穫した作物は極力、無駄にはせず。知り合いの方にお裾分けしたり、自分で料理したり。ナス料理のレパートリーが増えました。神奈川の自宅に帰る時にはキャリーバッグに詰め込んで持ち帰ったり。自分で育てた作物を自慢したいから。カミさんが長男宅を訪問する時にも持参したそうです。

 

 

小雪ちゃんが僕が育てたシロウリを食べて、すっかり気にいったそうです。シロウリはウリ=メロンの一種で、上手く育つと糖度が高くなって甘みが出るそうなのですが、僕が収穫したものは、自分で食べた限りでは甘みはほのかに感じる程度。それがかえって良かったのか、小雪ちゃんは大好きになったと。食感が面白かったのかも知れません。ポリポリと手づかみで食べている映像を、長男が撮影してライン動画で送ってくれました。

ラインは便利ですねえ。

僕の誕生日には子供達がそれぞれの子供(=僕の孫)の動画を送ってくれました。タカトくんとアラタくんは「〇□△さん!(僕の名前です。カミさんの影響もあり僕も名前で呼んでもらっています=”おじいちゃん”とは呼ばれていません)、お誕生日、おめでとう」と語り掛けてくれました。小雪姫は、ノリノリでパパと一緒にハッピバースデイトユを踊って歌ってくれました。まだ5カ月のサクトくんは画面からはみ出すほどのニコニコ顔でした。

 

 

名古屋市千種区星が丘近辺の歩道で。散歩の途中で大きなカメさんが散歩しているのに遭遇しました。後ろの女性が飼い主さん。ケヅメリクガメ(蹴爪・陸・亀)というそうです。12歳とのこと。立派な甲羅で大変な存在感。僕が写真を撮らせてもらっている間に子供たちも集まってきて甲羅を触って喜んでいました。飼い主さんによれば、植物食ですごく温厚な性格、人に危害を加えるようなことはあり得ないとのこと。街にこんな大きなカメさんが散歩しているとは!。名古屋って、やはり面白いトコロでしょう。2019年9月12日、撮影

 

 

 

おまけです。

 久しぶりのお弁当。得意の海苔弁にボロボロ卵のっけ、南高梅。ナスの揚げ浸し、ナスの甘辛炒め、ピーマン・しらす・油揚げ炒め、ボロボロ卵の残りを詰めて。海苔弁は、ご飯+おかかポン酢+海苔を二段に重ねて。味が浸み込んで予想以上に旨かったです。ナス、ピーマンはもちろん収穫したものです。鯱城学園、二学期開始の日。2019年9月18日、料理と撮影。

 

ブログ開始から4年目に

名古屋市千種区平和公園。お気に入りの散歩コース。変に人の手が入った様子はなく自然な感じで花が咲いていました。名前は知りません。曼殊沙華の花の一種かとも思いますが。ご存知の方は教えてくださいませ。2019年9月1日、撮影。

 

 

このブログを開始してから早いものでマル三年が経過、四年目に入りました。「はてなブログ」さんからは、節目の時にはメール連絡が入るようになっていて(このリマインドは良いシステムであると思います。“”頑張ろうっ!気分“”を高めてくれます)、今回もこれで改めて認識することが出来ました。ありがとうございます。

 

 

最初の一年が経過した時には、自分でも“”よく一年続けることが出来たもんだ“”と嬉しくなったことを覚えています。一年経過しただけなのに『足掛け三年』なんて記事を書いたことを懐かしく思い出しました。最近、得意になった「埋め込み」を又しておきます。ちょっと注意して他の方のブログを見てみると、かなりの方が、このワザを当たり前に駆使されていることに気付きました。マル三年でようやくこのワザを習得して喜んでいる訳ですから、まあ“”おめでたいこと”と思うのですが。新しいことを身に着けることが出来るというのは、とにかく素直に嬉しいことです。そして“”継続は力なり“”ではありませんが続けられているということを自分でも嬉しく思っています。

 

 

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この『足掛け三年』の記事で記載している通り、僕の誕生日は1950年(昭和25年)9月3日です。満年齢で69歳になりました。古稀=「人生七十古来稀なり」は70歳に到達することのお祝いです。モノの本によれば、「還暦」は満年齢で「古希」は数え年齢でお祝い事をすると解説されています。数え年では僕は今年が古希になるのですが、最近では、満年齢でお祝い事をする方が圧倒的に多くなっているようです。僕の家族でもイロイロと意見があったようですが、カミさんの一言で、満年齢ベース=来年にやろう、ということになりました。

 

 

長生きしていることは、それなりにお目出度い、というのは分かるのですが、60歳も後半になって、更に年を取ったことを殊更オメデトウというのにはヤヤ違和感があります。下重暁子さんの最近の著書=「年齢は捨てなさい」というタイトルが新聞広告にデカデカと出ていましたが、“”その通り、年を取ったら自分の年齢に縛られる必要はなかろう“”という気がします(この本はまだ読んでなくてタイトルを見ただけのことなので、内容・意味するところが違っていればゴメンなさい、です)。来年の古希の祝いも、70歳を祝うというよりも、家族が集まってみんなで元気に楽しい食事会の場になれば良いなあ、と思っています。子供たちもそれぞれ忙しい日常生活を送っていますから、何か機会、キッカケがある方が集まりやすいですよね。

 

 

ちなみに、下重暁子さんは僕の高校の先輩です。1936年のお生まれですから大先輩になりますが、それこそ、年を重ねられるにつれベストセラーを連発されているように思います。下重さんのますますのご活躍をお祈りしたいと思います。

 

  

9月1日の日曜日の午後、テレビ愛知の開局記念番組で、東山動物園のコアラ舎を特集していました。何回も書いてますが、孫の新くん家族と遊びに行ったばかりだったので、しばらく、チャンネルを変えず、見るともなく見ていました。

コアラはユーカリの葉しか食べないそうです。東山動物園の周辺を取り囲んでいる東山公園平和公園にはユーカリの植林が多数ありますが、これは動物園のコアラを育てるためのもの。ユーカリの種類も沢山あり、飼育員さんのお話では、個々のコアラそれぞれの年齢・体調により、好んで食べる葉と食べてくれない葉があるそうです。元気に繁殖をしてもらうためには大変なご苦労がある由です。この公園は、ご存知の通り、僕のお気に入れの散歩コースですが、最初にユーカリの植林を見た時には大変に驚いたものです。その時の一句、

 

   コアラとは ユーカリを食べる 怪獣や   孔瑠々

 

先日、新くん一家とコアラ舎に入った時に、コアラ舎のなかで大変な歓声が起こりました。「うわあー、コアラが動いとーる!動いてるのを見るのは初めてやあッ!」。そうなんです。なんと、コアラが動いていました。木と木の間に張ってあるロープをヨチヨチとぶら下がって移動しておりました。見ていた皆さんが大喝采!。

言われてみれば、その通り。コアラのお決まりのポーズは木の枝とか幹をしっかとダッコしてジッと動かない。起きているのか寝ているのか分からない。木をダッコしてジッとしている姿がカワイイから様になっている。ナマケモノと言うモノグサな動物がいますが、コアラも同様かと。外見のカワイイところが大違いなのでしょう。新くんは、コアラが動いているところを見て覚えているかなあ?。

(註:後で調べたら、ナマケモノは哺乳類には珍しい変温動物。ごく少量の食物摂取で生命を維持出来るそうです。コアラは恒温動物で摂食量は桁違いに多い由。もっとアクションがあっても良さそうですね。)

 

 

番組で面白かったところです。思わず膝を打ちました。クイズ形式でテンポの良い進め方でした。

「コアラはユーカリしか食べません。しかし、赤ちゃんコアラは生まれてすぐには、この葉を食べることが出来ません。それでは、お母さんコアラは離乳食として赤ちゃんコアラに一体何を食べさせているのでしょうか?」

 

答えを聞いた瞬間に全てを理解出来ました。答えを直ぐに思いつかなったのが残念、悔しい限りです。

 

またまた埋め込みですが『共生微生物』をご参照下さい。

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この記事は(人間の体内の)微生物の生態系が崩れ始めたことに警鐘を鳴らしているイギリスのドクター先生の本を紹介したものですが、その最後のほうに、

『最終の第8章「微生物生態系を修復する」は、あっと驚く方法による予防が治療に勝るということの考察・示唆です。敢えて内容は記載しませんので、是非、ごゆっくりと読書を楽しんでください』

と記載してあります。この第8章の内容が、このクイズの答えに合致していると思いました。クイズの答えは、はい、その通り。お母さんコアラの「うんち」なのです。

 

 

 まだ未消化のユーカリの葉と、ユーカリの葉を体内で消化・吸収するためにお母さんの消化器官のなかで生きて働いている微生物!。赤ちゃんコアラがこれを一緒に食べることにより、栄養も取れ、かつ、微生物を体内に取り込むことが出来て、その後、ユーカリを食べることが出来る体質になる。「共生微生物」の著者のコリンさんが、人間の「微生物生態系を修復する」ために考察・示唆していることをコアラくんが実証してくれているような気分になりました。

 

 

普段あまり民放の番組は見ていないのですが(この時も実は次の時間帯の女子ゴルフを見ようと思ってチャンネルを回したのですが)、親しみのある東山動物園のコアラ舎の特集で大変に楽しめた内容でありました。大満足でした。

女子ゴルフは、期待の渋野日向子選手は5位に終わりました。全英女子の優勝で大ブレイク、以来、ツアーでは注目度ダントツの一番になってます。5位ながら国内オーバーパーなしの連続ラウンド記録を28ラウンドとしてアン・ソンジュ選手の持つツアー記録に並んだそうです。大したものですね。渋野選手にも引き続いての活躍を祈念してエールを送りたいと思います。

 

 

 「世界の文化と食」の講座。アメリカ編、二回目。お待ちかねのアメリカ料理。2019年9月5日、料理、撮影、そして試食。

リットーは半分に切った片方しか見えておらず、残念。アルミホイルを両方とも剥がしてから撮影すれば見栄えが良かったかと反省しております。

 

 

さすがは椙山女学園大学。これぞアメリカ料理!と納得出来る料理を紹介してくれました。講師は、同大学管理栄養学科教授の加賀谷みえ子さん。「アメリカ料理~多民族が共存する国のフュージョン(融合)料理~」と題して、①サッコタッシュチャウダー(豆たっぷり煮込みスープ)、②サンフランシスコ風チキンブリットーモントレージャックチーズ入りロールサンドウイッチ)、③レモネード ウイズ キウイフルーツの三点。

 

 

アメリカ先住民を含めて多民族が共存する国のフュージョン料理=アメリカ料理という位置づけが素晴らしいと思いました。最近のアメリカは融合とはほど遠い方向に向かっているのではないかと心配になりますが。この料理を食べて“”共存“”を思い出して欲しいものです。

 

 

参加者は各班に分かれ、僕達の班は5人で協力し合って。お陰様でメンバーにも恵まれました。こういう時は自然にリーダー役の方が出てくるもので、適切なリーダーシップのもと、皆さん仲良く大変に楽しいお料理の時間でした。美味しかったです。メニューの写真を添付しておきます。拡大してもらえれば読めると思うのですが。

 

    

 

 

9月8日、日曜日。池袋のおじいちゃん=僕のカミさんのお父さんの13回忌が開催されました。僕の家族も全員集合。おばあちゃんは、元気に親戚の皆さん、おじいちゃんの古いお友達との交流を喜んでいました。もちろん、ひ孫たち=僕の孫たちとのスキンシップも出来て、これが一番楽しかったのではと思え嬉しかったです。おじいちゃんのことは又書いておきたいと思っています。

 

 

 

「世界の文化と食を学ぶ」講座・アメリカ編

名古屋市千種区星が丘にある椙山女学園大学、星が丘キャンパスの正門。椙山=「すぎやま」と読みます。初めて見た時には読めませんでした。学園創始者の方の苗字だそうです。尾張藩の士族であった方の由。名古屋では知らない人はいない(多分)有名女子大の一つです。2019年8月29日、撮影。

 

 

このキャンパスで開催された「世界の文化と食を学ぼう!」講座を聴講しに出かけました。僕が食べること・料理・食の文化等々に興味・関心を持っていることをよく知っている方がこの講座のことを紹介してくれました。名古屋市千種生涯学習センターと椙山女学園大学の共催です。夏休みの期間を利用しての一般・社会人に対するオープン講座。

 

 

このキャンパスの場所は、前回の記事で書きました「東山動植物園」の星が丘門のすぐ近くです。要するに、僕の散歩・ウォーキングコースの一角。僕の隠れ家から歩いて行ける場所ということもあり気楽に受講の申し込みをしました。近くには、星が丘三越があり、ゆるやかな坂道に沿ってアパレル、グルメのお店が入っている「星が丘テラス」があります。テラスで食事も楽しめるようになっています。この通り沿いは、それなりの良い雰囲気になっており、名古屋では珍しくかなりおしゃれな街並みです。

 

 

この女学園がこの通り沿いにあるということは理解していましたが、実際の場所は知りませんでした。隠れ家からの道すがら、つらつら考えると、そもそも、女子大の構内に入場するのは学生時代に遡るかと。僕の出身大学の地域では、神戸女学院大学というのが男子学生の一番人気の一つでありましたが、そう言えば、内田樹おじさんはこの大学の教授をされておりました。何故か、樹おじさんがご自身の著書のなかで神戸女学院ヴォーリズ設計の講堂を絶賛していたことを思い出しました。残念ながら、学生時代の僕は、講堂・校舎のたたずまい等には関心は無し。”もう少し注意して見学しておけばよかったのかなあ、もったいないことをしていたのかなあ”と今更ながら思いました。

 

 

椙山女学園大学、星が丘キャンパスは、星が丘テラスの通りから東側に入ってすぐの処にありました。通りをチョット入るだけで、全く閑静なたたずまい。写真のように緑も豊かな良い環境です。

 

 

 この講座は、夏のこの時期に開講されているもの。今年が三年目。テーマは継続して「世界の文化と食を学ぶ」となっており、初年度は、ハンガリー・韓国。二年目は、フランス・中国。そして、今年は、アメリカとドイツ。今日は、アメリカについての講義です。

 講師は、同大学国際コミュニケーション学部の塚田 守教授。お題は「カリフォルニアにおける人種民族の多様性」。・・・、うん?「食」ではないの?。

「食文化」と早とちりしていましたが、よく案内を見ると「世界の文化と食を学ぶ」となっています。「食文化」では無くもっと大きな括りでの「文化」でした。

この講座は全四回あります。週に一回、四週間に亘って。来週の二回目は、「アメリカ料理を作ってみよう!」となっています。来週は「食文化」というよりも「食=料理」そのものになるようです。内容を理解しないで、受講している自分のエエ加減さに改めて反省です。

 

 

塚田教授先生。多分、僕よりも5-6歳ほどはお若い年代の方かと。学生時代からアメリカ社会の研究をされていた由。 調査・研究法が大変にユニークなもので、その時々の調査のテーマに応じて、とにかく実際に現地に足を運び、イロイロな方々と面談・ヒアリングを重ねて論文に纏め上げているとか。「ライフ・ストーリー・インタビュー」というのがキーワードとのこと。ご自身の著書を参照しながら、調査・研究の具体的なやり方、進め方を紹介されましたが、ホントにユニークなものです。

 

著書の一つ「教師の”ライフヒストリー”から見える現代アメリカ・・・人種・民族・ジェンダーと教育の視点から」。カリフォルニア州サンホセ市で現地の小学・中学・高校の教師をされている方々との面談・インタビューを通して現代アメリカ社会を読み解いていくもの。それぞれの教師の方の個人の経験・体験に非常に重きを置いて調査するそうです。質問事項には、「何故、教師になったのか?、教師としての経験は?、教師として楽しいこと、苦しいこと?、最近のアメリカの教育について?」等々。フィールド調査の結果として、この地域の社会は「人種民族の住み分け社会」であること。マイノリティは地域によって異なること。「不平等社会」ではあるが、その情報を公開していること。不利な人たちを助成する措置・政策があること、を実証し指摘されていました。

 

 

なんでわざわざ手間のかかる”フィールド調査”方式を取っているのか、よく理解出来ないところが多々あるのですが、先生のお話の面白さもあり、アッと言う間の講義でありました。サービス精神溢れた先生で、テーマの「多様性」に掛けて、カリフォルニア州の「多様な」食べ物を画像により紹介してくれました。「多様な」カリフォルニア・ロール、「多様な」ハンバーガー、「多様な」タコス、「多様な」メキシカン料理。ちなみに、先生は学生時代(多分)に公費でミシガン州に留学。1970年代の後半の頃の由。貧乏学生であったので、マグドナルドのビッグマック・セットを大変に有難く、そして美味しく食べたそうです。「たまに小遣いに余裕がある時には、20セントほど高価なバーガーキングを食べました。それがまた大変に嬉しかった!」と懐かしそうにお話されていました。

 

 

そうなんですよねえ。1970年代というのは、アメリカがピカピカに輝いていた時代だったと思います。日本で初めてマグドナルドの店が出されたのは、1971年7月のこと。一等地の東京銀座4丁目の三越の一階に鳴り物入りでオープンしたのですが、まだまだそれほど一般的な食べ物ではありませんでした。僕も1970年代中ごろにニューヨークに2年ほどいましたが、その当時、食べたハンバーガー、ピザ、そしてホットドッグ!はホント、美味しかったなあと思いだしました。

隠れ家に戻ってから、以前に記載した記事を自分でも懐かしく読み返しました。この下に「埋め込み」しておきます。最近、このワザを習得しました。エキプロ先生に教わりました。僕のブログとパソコン、IT全般の先生です。教え方が上手い!感謝、感謝です。大変に便利で面白いワザだと感心、気に入っております。 

 

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僕としては、先生の紹介のなかには、僕の大好きな「ホットドッグ」が入っていなかったので、片手落ちではないかと先生に突っ込みを入れたい気分ではありましたが、先生のお人柄に免じて黙っておりました。

 

講義の中で、先生の閑話休題的なお話が大変に面白かった(お題・テーマの話よりも雑談の方が面白かったです。失礼ですね、スミマセン)。

このオープン講座を受講しているのは平均年齢60歳くらいかと。多分、先生と同じような年代。アメリカに関しての雑談で、例えば、先生が、南北戦争=小説・映画の「風と共に去りぬ」=スカーレット・オハラとレッド・バトラー=ビビアン・リークラーク・ゲーブル等々を話題にすると、聞いている皆さんのほとんどがフムフムとうなずいて反応してくれる。

ところが現役の学生さんを相手にこのような話をすると、“”それなんですか?映画見てなーい。オハラさん、知らなーい!“”なんていう反応が当たり前との事。これはマア仕方がないかと思いつつ、もっと驚いてしまうのは「南北戦争というのは、誰と誰が戦ったのでしょう?」と質問すると、”南北だから北アメリカと南アメリカ!”というような奇想天外・無邪気な答えから、”アメリカ国内の人種間の戦争”にしてしまう珍答まで飛び出してくる時があるとか。

先生は、学生はゲーム感覚で軽く考えて回答をしているものと理解しているそうですが、普段、若い世代と交流している先生でも、世代間のギャップというのには、時により、のけ反ってしまうほど大きなものがあるとのことでした。

 

 

次回の講座は「アメリカ料理を作ってみよう」です。“”アメリカ料理“”と正面切って考えると何になるのでしょうねえ。草鞋のように大きなステーキ?、やはりハンバーガー、ホットドッグの類?、はたまたアメリカ先住民の料理?。一体、何を料理するのかしら。期待先行になり過ぎかも知れませんが、かなり、待ち遠しくなってきております。

 

 

オマケです。

       

隠れ家の平兵衛酢の木です。右の写真は、苗木を植えた直後の2018年3月29日に撮影したもの。60㎝ほどの苗木でした。今では背丈は130㎝程に。虫に食われたりしながらも元気に育っている様子です。実が着くのを早く見たいものです。2019年8月23日、撮影。

 

調子にのって、『平兵衛酢の苗木』の記事も「埋め込み」しておきます。  

                                      

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送り火の季節に奥歯が痛い

 

名古屋市東山動植物園に行きました。大型で勢力の強い台風10号が四国に上陸する前日。風がありましたが、温度・湿度ともに高く、シロクマ君もぐったり、文字通りアゴを出していました。2019年8月14日、撮影。 

  

 

長女家族が隠れ家に遊びに来てくれました。”居酒屋ヒデさん”旦那と長男「新(あらた)」くん。新くんは、9月に三歳の誕生日を迎えます。子供(孫ですが)の成長を見ていると全く時間が経つのは早いものだと驚いてしまいます。お陰様で救急車を呼ぶような病気になったこともなく、よく食べ、よく動き回り、元気に育っています。 

以前、新くんを称して”牛若丸”みたいと書きましたが、ほんとによく動きます。一泊二日を一緒にしただけですが、その動き回るテンポがホントに早い。もう少しすると振り切られてしまいそうな気がします。いつまでついて動けるやら、今から心配になりつつあります。

 

 

前回、お泊りに来てくれたのは、今年の5月の連休の時。その時に、彼ら家族三人は初めて揃って動物園に行きました。僕の隠れ家から東山動植物園には小さい子供連れでも歩いて行ける距離です。新くんがどんな反応を示すか?やや不安であったそうですが、結果は大正解。動物達を目の当たりにして、大変に喜んだそうです。もっとも、喜ぶだけではなく、ライオンの檻の前では、怖がって近寄らなかったとか(泣いたのかな?)。怖がったり、驚いたり、不思議がったりして、とにかく、大変に喜んでいたと。今回のお泊りのメインイベントも当然、東山動物園!。

 

 

ところが、彼らが到着した日は、ナントあいにくの休園日。臨時の繰り越し休園の日でした。その前が三連休であったので、通常月曜日の休みが翌日の火曜日に繰り越しになっていたもの。事前のチェック不足であったので、僕も含め全員かなり動揺しました。”エライコッチャ!。どうしよう!”。新くんは、当然、かなり残念な様子です。

大人三人、真剣な討議。翌日の午後には彼らは長野に向かう予定となっています。これは変更できません。相談結果、やや、窮屈なスケジュールになってしまうものの、翌日の午前中に時間の許す限り、とにかく回れる限りで動物達を見に行こうということになりました。

 

 

翌日、開園時間ちょっと前に動物園の北門入り口に到着。台風が接近中のためか、三連休の次の開園日であったためか、お盆の帰省で名古屋の人口が少なくなっているためか、開園を待っている家族連れの数はそれほど多くない。この程度であれば、園内も混雑しないであろうから、効率よく回れば、ほとんどのポイントをゆっくりと回ることが出来そうな気配です。

 

東山動植物園東山公園の敷地内にある市営の動植物園です。動物園と植物園が一体となっています。敷地面積は日本でも有数の大規模なもので、入場者数も東京の上野動物園に次ぐ水準とか。飼育種類数もトップクラス。コアラを近くで見ることが出来るコアラ舎が有名ですし、イケメンゴリラの「シャバーニ」は一世を風靡しました(今でも人気者です)。そして入場料金が安い!。中学生以下の子供たちは入園無料。大人は500円。名古屋市在住の65歳以上は、ナント、100円で入園出来ます。僕も、何度か来園してますが、もっぱら、植物園側の方でした。動物園側を回るのは久しぶりです。長女夫婦は二回目の来園ですが、新くんの好きな動物の場所はちゃんと押さえているようでした。

 

 

驚いたのは、新くんが結構、動物の名前をちゃんと理解している(ように見える)ことでした。たんに「ゾウ」と呼ぶのではなく「〇△ゾウ」と種類を含めて呼んでいる。前回、来場した時に、この動物園の「動物カード」を買ってもらって、家に帰った後も、何回も何回も、そのカードを見ながら、動物の名前を教えてもらっていたそうです。彼にしてみれば、久しぶりに「カード」の動物の本物さんとの再会ということですかね。

 

ゾウさん、カバさん、クマさん、キリンさん等々がお気に入りのように見受けられました。前回は、トラさんの檻の前では余り近くに寄らなかったそうですが、今回、トラさん(=阪神タイガーズもビックリの立派なトラさんです)の檻の前では怖がる気配はなく、かなりの至近距離で目と目を合わせていたように思いました。

 

もっとも、キリンさんを見た後で、ヒデさんが「最後に、ライオンさんを見て帰ろうか?」と聞いたところ、やや表情を強張らせ、顔を横に振り「行かない」と小さな声で言ったように聞こえました。ライオンさんの迫力にはまだ敵わないのかも知れません(俄雨にあって体が濡れていたし、動き回ってお疲れだったから、早く、隠れ家に帰りたがっていたのかな?)。

 

 

帰る時に、今年も「動物カード」を買ってもらいました。このカード、出ようとしていた正門近くのお土産ショップでは販売しておらず。長女が母親パワーを発揮「きっと、別なお土産ショップには置いてあるはずだ。探して買おう!」。やや回り道でありましたが、最初に入場した北門に戻って探しました。ビンゴ!。こちら側のお土産屋さんでしか販売していないそうです。不思議な話ですが、でも買えてよかった、よかった。新くんが大好きなカードです。これで更に動物ボキャブラリーが増えることでしょう。

 

 

お昼過ぎに戻って、大急ぎでシャワーを浴び、長野に移動する準備。やや時間が押せ押せになっていました。昼食はまだ食べていなかったので冷蔵庫に保存していた自慢のカレー=師匠に命名して頂いた「太陽のめぐみ」を準備しました(こういう事態もあろうかと、前々日に余分に料理しておいたものです。この時は、我ながら自分のカンの良さが嬉しくなりました)。

新くんには、ヒデさんが隠れ家にあったチーズとハムでサンドイッチを、そして、「人参しりしり」をチャチャっと料理。全く手際が良いこと。僕も新くんと奪い合って食べさせてもらいましたが美味しかったです。長女とヒデさんの二人は、僕の「太陽のめぐみ」カレーを美味い!と喜んで食べてくれました。家でカレーを作るときは新くん仕様の味付けになるので、大人味のカレーは久しぶりであると。よかった、よかった。

 

 

この辺りから、僕は右下側の奥歯に違和感を感じ始めたのです。数日前から、やや変な感じがしていたのですが、それほどの抵抗は無くそのままにしておりました。ここにきて、やや不吉な予感。沁みるような、噛み合わせに抵抗があるような、歯が浮いているというのか、虫歯の痛さの前兆のような気配。これはヤバイかも。

 

 

長女家族をタクシーに乗せて見送った後、歯医者さんに電話。さすがにお盆でお休みです。翌日も休みで、翌々日になってようやく診察が受けられる。それまで酷い痛みにならなければよいが・・・。翌々日は京都・五山送り火の日です。

 

 

16日、朝一番で歯医者さんに行きました。先生の見立てでは、「虫歯による痛さではなかろう。多分、先日、奥歯の詰め物を詰め直したところと回りの他の歯との接触バランスが悪いのが原因であろう」と。奥歯の詰め直しは、この先生に7月末にやってもらったものです。”そんな気楽なことを言ってないで、自分でやった工事なんでしょ。最初から、ちゃんとやっといてよねえ。トホホ‥”。心の中では先生を罵りつつも、一生懸命にお願い。こういう時は神に祈る気分ですね。

 

 

修理・加工していただいたものの奥歯が不確かな状態を抱えたまま、夕方、ドラゴン先生の京都のマンションに到着しました。先生のマンションでの五山送り火も早いもので4年目になります。台風が通り過ぎた後の送り火日和、「大」文字がくっきり鮮やかに夜空に映えました。いつになく、お嬢様ご夫妻も早めの到着。先生の手料理!「煮豚の赤みそダレ」(スミマセン、また、写真を撮るのを失念しました。美味しかった!)。おとうふ工房いしかわの「究極のきぬ」、もちろん冷奴で。僕が京都駅Isetanで買ってきた各種総菜・つまみ等々。ビールで乾杯して、先生は得意のハイボール。僕は冷たいのを避けて先生自慢の赤ワインを遠慮なく。気合が入っているときは奥歯の不調も気にならない。能天気の酒飲みというのは有難いものです。

 

 

先生と僕は、ちょうど「木曽三川巡り」の大人の遠足を楽しんだばかり、お嬢様ご夫妻にその自慢の研究成果を我先にと喋り捲っておりました。先生が僕のブログをパソコンに表示して説明を始めたりして。良く出来たご夫妻で、二人とも、嫌な顔一つせず、先生の(多分、つまらない)講釈を真面目に聞いています。「本気ラーメン」のチャンポンには興味がアリアリの気配でした。

 

 

ご夫妻二人とも先生と同じお仕事をされており、世間では所謂「先生」と呼ばれているお立場。年齢的にも油が乗り切っている時だと思いますが、見ているだけでも”お二人ともに充実している様子だなあ”と感心して楽しくなってきます。こういう時、天邪鬼の僕は、ツイツイ揶揄いたい気分になることがあるのですが、この時は冷静にグッと我慢。若いお二人の代わりに矛先を先生に向けました!。「そもそも、いまだにタバコを吸っているとは、これ如何に!?。糖質制限法も何もあったもんではないだろう!」。まあ、日ごろの意趣返しもかねて、ですかね。僕と二人だけだと間髪入れずに反論があるのですが、この時は、お嬢様が前に座っていますから。予想通り、お嬢様からは「よくぞ言ってくださいました。」との反応、ダンナはさすがに義父の先生に遠慮があるのか、更なる突っ込みはありませんでした。そして、ドラゴン先生は無言でハイボールを飲んでいました(怖っ)。

 

 

奥歯の不調が気がかりであったので、ゆっくりと飲んでいたのが功を奏したのでしょうか。4回目の送り火も楽しく歓談してお開きとなりました。

  

 

翌朝、先生と二人で朝食に出ました。マンションからバスに乗り中心街に。錦市場をプラプラ散歩。「有次」には相変わらず外人客が沢山来ていました。イノダコーヒー店に。いつもの奥の席でゆっくりと朝食をとりました。ここは喫煙が出来る場所です。2019年8月17日、撮影。

 

 

朝食時に、サラダを食べる時に口の右側で噛もうとすると、また違和感を感じてしまいました。心なしか腫れて熱があるような。それほど痛くはないがシッカリと噛むことが難しい。一口づつ慎重に口に運びました。普段、食べるのは早すぎる方なのですが、この時は、先生よりも時間がかかってしまいました。先生からは「これだけの(量の)朝食を食べられるのですから大丈夫ですよ」と嬉しそうな、楽しそうな励ましの言葉がありました。

 

 

朝食の後、イロイロなプランを考えて頂いていたのですが、僕の体調が今一歩の様子を忖度していただき、すぐ近くにある京都文化博物館を見学することにしました。京都の歴史が一覧できるようになっています。特別展示では、祇園祭長刀鉾なぎなたほこ)、それから、池大雅のコレクションが展示されていました。長刀鉾は、祇園祭・前祭の山鉾巡行で常に先頭を行く鉾です。京都の人は、さき(前)の戦争=応仁の乱、と言うそうですが、この長刀鉾は、その応仁の乱よりも以前からその名があり、くじ取り式が始まった明応9年(1500年)から現在に至るまで、常に巡行一番を勤めてきた由緒ある鉾とのことです。僕たちとは違い過ぎる時間軸が日常に残っているところが京都の面白さなんでしょうねえ。ちなみに応仁の乱は、応仁元年(1467年)から文明9年(1478年)の約11年間に及ぶ戦乱です。

「さき(前)の戦争=応仁の乱」と言われると、京都だけは「さきの戦争」以降、500年以上も戦争はなかったのかい!?、と突っ込みたくなりますがねえ(大阪生まれ関西人のボヤキです)。

 

 

京都文化博物館、別館。旧日本銀行京都支店の建物です。重要文化財。この向こう側に本館があり、こちらは近代建築。この別館一階のフロアではロビーコンサートが連日開催されている由 。また、昔の金庫室をそのまま残して、それを喫茶店として利用されています。新旧うまく調和した景観です。京都の街は面白い。2019年8月17日、撮影。

 

 

<追伸>

8月20日、15:00現在、お陰様で、食事する時、右側でもほぼ普通に噛める状態に回復しております。夏バテも関係しているのかも知れません。十分に睡眠をとり暴飲暴食をせず体調を整えたいと思います。皆さまもくれぐれもご自愛のほど。

 

 

2018年8月20日の記事です。

kururupapa.hatenadiary.jp

 

2017年8月27日の記事です。自分でも懐かしく思います。いずれも、2019年8月28日に更新しました。

 

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大人の遠足

 木曾三川公園の展望タワーからの眺望です。展望タワーは360度の景色が望めます。この写真はタワーから南向きを撮影したもの。向かって右側が揖斐川、真ん中が長良川、左やや遠方に見えるのが木曽川。展望タワーは長良川揖斐川の合流地点に立っています。眼下、写真手前右側の林の中に治水神社があり、その先に千本松原が続いています。「宝暦治水」の最大の難工事=油島洗堰締め切り工事、完成後に薩摩藩士が松を植えたものだそうです。2019年8月4日撮影。

 

 

延期となっていた大人の遠足「木曽三川巡り」を8月4日・日曜日に実行することが出来ました。朝9時にドラゴン先生の事務所駐車場に集合、先生のレクサスに乗せてもらって出発。名古屋市内から30分程度のドライブで木曽三川公園センターの駐車場に到着しました。まだ駐車している車も疎らな状態です。まずは展望タワーに。開館は10時からでした(道理でまだ来場者が疎らでありました)。それでも係の方は親切に中に入れてくれました。一階は展示フロアーになっており、この地域の地形・地質、治水事業の歴史、木曽三川に生息する魚、鳥、昆虫、植物等々が紹介されています。展望タワーは地上65m。何も余分なものが置かれていない、ゆったりした気分で眺望を楽しむことが出来ます。”木曽三川雄大な流れ、輪中地帯独特の水郷の景観が360度、一望出来ます”=パンフの受け売り文句ですが、まさにその通りです。

 

 

川の流れの雄大なことに比べて、千本松原の堤防のなんと細いこと。長良川揖斐川を分流させる最大の難工事であったとのことですが、大型重機が存在しない時代に、人の手でよくやったものだと改めて驚かされます。

 

 

タワーから降り、治水神社、宝暦治水之碑に向かいました。以前のブログに記載した通りですが(『学園生活』(本年5月20日)、『円空さん』(同6月10日)をご参照ください)、宝暦治水之碑が建立されたのは明治時代になってから(明治33=1900年)。治水神社は昭和になってからです(昭和13=1938年)。正しい歴史認識というのは、時の政治体制により何時の時代も難しいものだと思いますが、こと木曽三川の治水事業に関しては薩摩義士の顕彰が行われることが出来て本当に良かったと感じております。明治の時に、それに尽力された西田家10代目の西田喜兵衛さんに敬意を表したいと思います。

 

  

治水神社は、林の中にひっそりと建っていました。 

 治水神社の薩摩義士の像です。立派な”薩摩武士”が、姿形は”人足”そのものです。これだけでも大変なことだったでしょう。治水の工法は当時でもイロイロな工夫がされており、その流儀も多数あったそうです。杭を打ち柵を作り蛇篭と言われる竹材で編んだ大きな籠に砕石を詰め込んだものを埋めていく、というのが基本の由。写真のような装備で荒れ狂う河川に立ち向かったのですから、その大変さは想像も出来ないですね。同じく8月4日撮影。

 

 

治水神社から千本松原を南に歩きました。車が通行できる片側一車線の道路(108号線)が通っています。僕たちは、炎天下、汗びっしょりになりながら松林をゆっくりと散策しました。右側に揖斐川が流れているのが見えます。左は道路。道路の位置が高くて、その向こう側にある長良川は見えません。15-20分ほど歩いて、宝暦治水之碑に。ここには道路からの車の駐車場もあり、碑の前に立つと左右を流れている長良川揖斐川を同時に見ることが出来ます。『学園生活』<木曾三川・今昔>の講義では、”濃尾平野は東高西低の地形で、木曽川揖斐川の水位の差は2.4mもある”ということでしたが、この碑の場所から長良川揖斐川を眺めるとそんなものではありません。”少なくとも5m、いや、10mはあるのではなかろうか”。これには流石のドラゴン先生も初めて実感して驚いた様子。「実際に足を運んで見ないと分からないものですねえ」と感慨深げでした。

 

 

碑の近くには「木曽三川治水の先駆者」として”平田靱負(ゆきえ)”と”ヨハネス・デ・レーケ”の肖像レリーフが一枚の台に並べて設置されていました。デ・レーケさんは、オランダ人の技師。31歳で来日して以降30数年間、日本の河川の治水事業に貢献された方、「治水の恩人」と言われています。宝暦治水の約150年の後、明治20(1887)年から明治45(1912)年の工事にて木曽三川の完全分流は完成したそうです。「明治改修」とか「明治治水」と呼ばれています。明治政府は当時の国家予算の12%を費やした由。まさに国家事業だったのですねえ。

 

 

全くの余談ですが、今回の遠足でタマタマ発見した面白いこと。極めてローカルな話題なので関心度は低いと思いますが・・・。

【問い】愛知県と岐阜県三重県が一か所で接しているポイントはあるでしょうか?。

【ヒント】岐阜県は内陸の県で、愛知県と三重県は伊勢湾に面している県ですから、当然、どこかで三県が一か所で接しているポイントがあるのですが。いままで余り考えたことがありませんでした(単に、関心が無かった)。

【答え】はい、答えは「あり」です。今回訪れた木曽三川公園センター~治水神社~宝暦治水之碑は、岐阜県です。岐阜県の最南端が「宝暦治水之碑」周辺となります。そして、この碑の長良川側のポイント、多分、川のど真ん中が県境になっていて、東側が愛知県、南側が三重県。という訳で、この長良川のど真ん中の一点で、三県は一つに接しています。(註;これは、僕が地図を見ていて発見したことなので、読み違えがあれば申し訳ありません。どなたか確認ください)。

ついでに、木曽三川の河口(=伊勢湾に注ぎ込んでいるところ)は、すべて三重県です。木曽川は、愛知県と岐阜県の県境を流れ、長良川揖斐川岐阜県を流れて伊勢湾に注ぎ込んでいますが、最後の伊勢湾に注ぎ込む地域は全て三重県となっています。きっと何か理由があるのでしょうが寡聞にして存じておりません。

 

 

お昼は休憩も兼ねてセンター内のレストランに。先生のお薦めもありナマズ料理を注文しました。この地域の名物料理の一つとか。”えっ、ナマズ!”と一瞬驚きましたが、薄れゆく記憶の中で”そういえば、昔、食べたことがある”ことを思い出しました。”あの顔形に似合わず淡白な上品なお味であった”。記憶の通り懐かしく美味しく頂きました。お昼の定食なので、ご飯も一緒に出されましたが、糖質制限法のドラゴン先生は当然の如くご飯にはほとんど手を付けず。僕は完食。汗をかいた後なのビールを飲みたいところでしたが、流石に遠慮しました。このころになると、沢山の来場者でレストランもほぼ満席の状態。家族連れが圧倒的に多い。おじさん二人で遠足に来ているのは僕達くらいであったことでしょう。

 

 

食後のコーヒーを飲みながら、おじさん二人は、これ以降の行動計画を真剣に検討しました。と言っても、ホームグラウンドかつ運転手の先生の意見がほぼ100%。”せっかく来たのだから”がキーワードです。近くにある、上げ馬神事、流鏑馬神事で有名な多度大社(三重県)、そして養老の滝(岐阜県)を回りました。更に話が弾み、琵琶湖を観に行こう!と。普段、名古屋では車を運転していない僕は距離感がピンときていないので、「琵琶湖までいくのは大変に長時間の運転になるのでは」と心配しましたが、先生は仕事の関係もあり、彦根あたりまで車での日帰り往復は全く当たり前の行動範囲になっている由。地べたの道を通り、関ヶ原経由、伊吹の山を望みながら、一路、琵琶湖に。僕も、この辺りは東名から名神の高速道路を何度も走行したことがありますが、一般道は初めて。関ヶ原の戦いの場所の風情が今でも残っている景色を堪能することが出来ました。

”ところで、なんで琵琶湖にまで?”。

更に異常な展開になってきました。なんと「名物チャンポンの店があるから早めの夕食を食べて帰ろう」とのこと。

お昼のナマズ定食でもご飯はほんの一口しか食べていない糖質制限法のおっさんが、突然「チャンポンを食べる」と言い出しました。”面白い。喜んで、お付き合いしましょう”。

滋賀県に入りました。琵琶湖の湖岸道路を走り、彦根城近くの鄙びたラーメン屋に。何、ラーメン屋、チャンポンとちゃうやん?!。 

 

 「ラーメン」の看板なのにお店のメニューはほぼ全てチャンポン。ラーメンは一種類のみ。「(近隣の方、人づてに教えてもらった方以外は)この店にチャンポンを食べに来る人はいない!。この店のチャンポンは絶品なのですよ」と。”そりゃそやろ、ラーメン屋にわざわざチャンポン食べにきまへんで。なんで看板を〈チャンポン〉にしないの”と思いますが、客が多くなり過ぎて味が落ちたり、売切れたりすることを懸念するフアン心理かと、沈黙を守りました。お薦めの、キムチチャンポンを。僕にとっては初めての経験。キムチとチャンポンとは!?。良く味があうことに驚きました。先生は一年ぶり(数年ぶり?)の麺類の食事の由。お昼のご飯はほとんど食べなかったのに、チャンポンは完食。意思は固い(固そうに見える)が、融通無碍・臨機応変。美味しいモノを楽しむ、食べたいものは(たまには)食べる、そういうアタリマエのカワイらしい人間性を確認できて大変に安心しました。

 

 

酒を飲まずに一緒に食事をしたのは初めてのことでした。お互いにアル中ではないことが証明されてなにより。もっとも、先生は最近、何もイベントがない時には、アルコールは飲んでいないとか。アルコールが無いから話が盛り上がった?会話が冴えていたのかしら。少なくとも僕はアルコール依存症ではなかったことを確認できて一安心でした。(註:その日、隠れ家に戻ってシャワーを浴びてスッキリした後には、やはり、ビールをグビッと飲んでしまいましたが・・・。美味しかった。)

 

 

 ラーメンとチャンポンは麺そのものが違うはずです。以前、一度調べたことがあるのですが全く頭に残っていませんでした。お店のおばちゃんに聞けば良かったかとも思いましたが”いやいや、そんな無粋な質問したらアカン”と思い直しました。もう一度、自分で調べてみようと思います。新しい発見があれば、その内に書いてみたいと思います。

 

 

来週は、もう五山送り火の時節です。今年もまた、ドラゴン先生の京都のマンションにお邪魔することに。恒例の行事になりつつあります。今回のツアーはアルコール無しでした。糖質制限法のおっさんがチャンポン食べたい!と言い出したのと同様に、送り火では今回のアルコール無しの反動がでてしまうのか・・・いまから、楽しみです。いつも冷静でキレイな先生のお嬢さまと、一緒に楽しくお酒を付き合って飲んでくれる旦那さんと再会出来ることも楽しみに。