クルルのおじさん 料理を楽しむ

吉本隆明「共同幻想論」:芋づる読書・その1.

 

久しぶりにNHK100分de名著を見ました。2020年7月の「吉本隆明共同幻想論」。前回と同じく、司会はタレントの伊集院光さん、アナウンサーの安部みちこさん。今回の先生は、先崎彰容(せんざき・あきなか)さん、1975年生まれ、日本大学の教授の方です。

 

『芋づる読書・その2.』の本を読んでいる時、ちょうど、NHKでこの番組が放送されることに気づいたので、毎週の録画の手配をして本屋さんでテキストを買ってきました。

 

先に白状しておきますが「共同幻想論」の原書そのものは読んだことはありません。この本が刊行されたのは1968年です。テキストをめくると、昔懐かしい写真が掲載されていました。1968年10月21日の国際反戦デー、全国各地でベトナム戦争反対の集会・デモが行われていた時の写真、それから、1969年1月18日、東大安田講堂に機動隊が出動した時の写真。このような社会背景のなかで刊行されたこの本は、”学生運動や思想界に衝撃を与えた”、と言い伝えられています。1950年生まれの僕は”東大入試中止”世代そのものですから、当時の学生の例に漏れず、この本の頁をパラパラとめくった記憶はあります。残念ながら、難解というのか退屈というのか中身を理解する以前の段階で中断したままになっておりました。

 

それでも、当時の仲間との会話のなかで「左右のイデオロギーを超えたところにいる巨人、吉本隆明はなにか得体の知れないミステリアスな人」(これは、「その2.」の宇田川悟さんの表現です。言い得て妙、気にいっています。)と言う印象を強く持っていました。前回の100分de名著(三木清を分かり易く読み解いてくれました)が大変に面白かったこともあり、昔、手に負えなかった本の中身を少しはカジルことが出来るかなと、放送を楽しみにしておりました。

  

前回、三木清『人生論ノート』のブログを埋め込んでおきます。

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今回は、先崎先生がこの難しい本の読み方を丁寧に指導・解説してくれます。司会のお二人が突っ込んだり纏めたり、これも上手く進行を助けてくれます。原書を読まないで、テキストを読みTV解説を見るだけで分かった(読んだ)つもりになることは、本来の読書の「道」からは逸脱しているのでしょうが、この番組は難しい本の骨子・概要を理解するきっかけになる良い企画だと評価しています。

 

 

以下、先崎先生の講義のまとめです。お付き合い頂ければ嬉しいです。先崎先生によると、この本は、

「国家とは、共同体とは、そして、法とはなんなのか?国家と個人との関係はなんなのか?について、そもそも国家とはどのようなプロセスで誕生したのかに遡って、吉本が(放送のなかでは呼び捨て表現になっていますので、僕もそれに倣って)内外の膨大な思想・哲学を参照しつつ、自らの思想を突き詰めて、独自の手法で思想体系を打ち立てたもの」。

 

 

そして「何故、吉本がこの本を書かねばならなかったのか」の説明が秀逸でした。吉本の敗戦体験が大きく影響していると。「戦時中、学生であった吉本は、読書に基づく撤退した思索の結果、戦争を肯定し国家のために死ぬことも覚悟していた」、いわゆる、皇国少年であったそうです。「しかし敗戦により、自分が確信をもって抱いていた死生観は全否定されてしまった」。そのショック振りは僕もスゴクよく分かるように感じます。

 

 

その敗戦体験から吉本は「なぜ、人は何かを信じ込んでしまうのか。戦前の日本の国家体制をなぜ自分は信じ切ってしまったのか。共同幻想にのめり込んでいったのか」を突き詰めて考えていきます。

 

「国家、法、宗教、土俗信仰、全ての共同体は『幻想』で作られている。この『共同幻想』の成り立ちを解明できれば、人間が他者と関係を結ぶことで起こるさまざまな現象を理解できるはず」と思索を進めていったそうです。

 

 

面白いところは、吉本の思索のなかで、発想の原点はマルクスエンゲルスなのですが、西欧型の国家イメージと日本人のそれには大きな差異があることを感じてしまう。「西欧型の国家イメージは、国家権力・法と言う硬質な存在が、日常生活のうえに聳(そび)えている、日常生活とは別にシステムを組み上げている。ところが、日本人にとって(テキストには「日本人を含むアジア人にとって」とありますが僕はあえて日本人だけにしておきます。理由は、「その2.」で)、国家とは、同胞とか血縁とかの共同体と重なり、同じ顔、同じ皮膚、ことばの同質性まで含めてしまう。」

 

 

「『共同幻想論』は、直接的には『遠野物語』と『古事記』の二冊を徹底的に読み込むことで、国家誕生の瞬間を追いかけた作品です。つまり、日本思想の遺産をもちいて、普遍的な国家の成り立ちを追いかけた作品です。」との説明ですが、ここで”普遍的”というのはあくまでも”日本と言う国家”に限定してのことだと感じます。

 

 

独特の用語がいっぱい出てきます。「共同幻想」「対幻想」「個人幻想」、「共同幻想は個体の幻想(個人幻想)と『逆立』する構造を持っている」等々。吉本が、詩人であること、文学から出発したことが深く影響していると感じられます(僕の個人の感想です)。

 「関係の絶対性」、吉本が作り出した有名な言葉とのことですが、テキストに沿って簡単に括ってしまうと「どれだけ自分が正しいと信じていても、それは独善である可能性があり」、「逆に、同調圧力を強いてくる体制の中に合って『それはおかしいんじゃないか』と抵う発想力をどう保つのかが重要である」と、極めて妥当なことを指摘しているように思いました。

 

 

国家の成り立ちを追いかけるに際して、個人・夫婦・家族・共同体に遡っての思索がなされますが、「とりわけ私が驚いたのは、吉本が嫉妬と疑似性的な関係を非常に重視している---国家の起源を問い直す作業が、人間関係のうち最も根源的な他人との比較や羨望の感情、更に男女間の性的な駆け引きをめぐり展開されていること」と先崎先生ご指摘の通り、大変に驚かされます。

 

 

吉本の思索のなかでは、ドイツの哲学者ニーチェ(1844-1900)に影響を受けたところも多いようです。「神の死」という言葉、代表作の「道徳の系譜」等々。先崎先生の言い方では、「私(先崎)は、ヨーロッパ全土を二千年単位で覆いつくした(キリスト教世界の)神こそ、『共同幻想』に他ならないと考えます。屈折した自分を抱え込み、良心の疚しさ(やましさ)に喘ぐ人間が、それでも自己肯定するにはどうすればよいか。神と言う共同幻想の発明こそ、その答えだった」、「ニーチェは、この共同幻想をどうすれば克服できるか---キリスト教道徳の発生の起源を暴露することで二千年の共同幻想の爆破を試みた」。過激な言い方をされていますが、この文脈で「共同幻想」という言葉を読むと、何を言わんとしているのかチョットは分かるような気がしました。

 

 

ハラリさんが「天地創造ハリーポッターのお話と同じ”虚構”である。神はポケモンと同じ、実際には存在しない」と言ってたのを思い出しました。

 

 

ハラリさんのことを書いた最初のブログを埋め込んでおきます) 

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国家の起源を思索する時に、家族から原始農耕社会=母方の血筋を重視する氏族的共同体、そしてそれが父権制優位の部族社会に転換していく様を「対幻想」という概念を使って説明されていますが、うまくまとめられません(「対幻想」という表現がしっくりこない)。

 

 

刑法の登場が国家である、というの吉本の定義が出てきます。刑法の登場により「古事記」のスサノオ神話的な共同幻想から抜け出して、共同幻想の最終形態である「国家」が具体化したという考えです。それまでの「清祓の祭儀」から全く異なる「刑法の罰則」への移行で強靭な国家が具体化したと。理解出来そうな気がします。

 

 

吉本の思索が続きます。先崎先生の説明に沿って言えば「男系中心の共同体は権力争いが不可避---駆け引きと抗争、好悪と嫉妬の感情が国政運営の舞台上で繰り広げられる---こうした共同幻想に取りつかれ、他者との駆け引きに明け暮れる人間が、そこから身を引き剥がす術はあるのか」「人間は政治的経済的自由だけでは救われない---共同幻想との関係をめぐってどのような可能性が人間にあるのか」。

 

 

このテーマに対する思索で「個人幻想(または、個体幻想、自己幻想)」に焦点を当てて考察があります。「古事記」「遠野物語」だけでなく、夏目漱石の「道草」、森鴎外の「半日」、そして芥川龍之介の「歯車」も分析の俎上に載せられているそうです。先崎先生は「共同幻想に対抗できる個人幻想はあるのか」という言い方をしていますが、僕には「対幻想」がピンとこないのと同様に「個人幻想」という言葉はやはりピンときませんでした。ここの「幻想」と言う使い方が良く分かりませんでした。

 

 

先生の説明が続きます。

「吉本が『共同幻想』と逆立の可能性を見出す『個人幻想』とは、いったいどのような特徴をもっているのか?」、テキスト自体が難解な文章ですよね。

「残念ながら、『共同幻想論』には答えは有りません。この著作が難解であると同時に、曖昧なまま結論なく終わっていると批判される理由です」となっています。

一方で、吉本が行った『共同幻想論』執筆時の講演を読み解いています。「自立の思想的拠点」「個体・家族・共同性としての人間」。「大衆」「自立」というキーワードで、「自分の生活圏にしか興味を抱かない大衆---日々生きていることで、あらゆる現実的な課題が否応なしに降ってくる---本人が好むと好まざるとを問わず、生活している限り、次々と襲い来る諸事に一つひとつ対応する姿に、吉本は『自立』の思想的拠点を見出し---個人幻想のモデルを探りだそうとした」。

 

「沈黙の言語的意味性」というのが吉本の「最重要概念」との解釈です。

 

繰り返しになりますが、引用すると、「生活者は日々の生活と労働を黙々とこなし、一人ひとりがなすべきことをやっている---この不器用さを『沈黙』と名づけよう。しかし、国家、法的規範が日常の生活リズムを奪う時、個人的な生活感覚から、それをおかしいと考え始める。知識人の誘導によって走りだすのではなく、生活が乱されるから政治に注目する---こうした態度を『沈黙の有意味性』と呼ぶことにしよう」。

 

 

このことを詳しく説明するために、吉本は夏目漱石の晩年の随筆「思い出す事など」を引用して使っているそうです。漱石の見て取った「互殺(ごさつ)の和」を、吉本は「大衆の原像」として読み込んだと。「生活とは、秩序を支え続ける普段の営みのこと---子を育て、老いた親を看取り、そして自分もまた死んでいく。それだけの事の中に、誠にささやかだが劇的な一人の人生が隠されている」。

 

 

吉本には知識人が大衆を啓蒙し、政治活動に駆り立てることへの違和感があったそうです。「一時的で情緒的な集団化、自分たちの行為の正しさを『信じて』疑わない共同幻想を吉本は警戒していた---それに対抗するのが、理想や正義に煽られることなく、不断の営みを続ける生活、その生活を支える個人の生き方」であると。

 

 

先崎先生の最後のまとめの一部です。

「政治的立場の左右など関係無いのです。私たちは常に、共同幻想がもつ魔力に惹きつけられやすい存在です。吉本が考える自立した個人とは、一つの情報を信じ一気に凝集するのとは正反対の存在です」。

90分で吉本隆明さんを理解したとは言えないでしょうが、「古事記」「遠野物語」からエンゲルスニーチェに亘り、はたまた、漱石、鴎外、龍之介も読み解いて、思索を書き上げた吉本さんはやはり大変な思索家であったと感じました。最後まで、「対幻想」「個人幻想」の幻想の意味がピンとこないのが残念でしたが。

 

 

息抜きのおまけです。

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左;ソーメンのトマトサラダ。キュウリ、ネギ、バジルの葉も加えて。オリーブ油とマジックソルト・ガーリック味で。2020年7月27日、料理と撮影。

右;タコとキュウリのサラダ。 同じくオリーブ油とマジックソルト・ガーリック味で。オリーブ油は頂いた井上誠耕園のレモンオリーブ油を使いました。美味しい。2020年7月28日、料理と撮影。

 

 

NHK俳句、6月末から三週分

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神奈川の留守宅、コンテナ野菜が元気に生育してます。ベランダにネットを張りました。キュウリ、追加三本が実っています。明日くらいには収穫出来るかな。雨が続いて鬱陶しい限りですが、野菜が元気に育っているのを見ると嬉しくなります。2020年7月18日、撮影。

 


 

駆け足で、三週間分のまとめです。例によって、僕の備忘録として書いています。お付き合い頂ければ嬉しいです。

 

 

6月第四週は「俳句さく咲く!」。先生は櫂未知子さん、”俳句、ゼロからの出発”と題して、生徒さんが四名。芸能人、俳優、アイドルの方々。ようやく、皆さんがスタジオで一堂に会しての収録となりました。それでも、お互いの距離は十分に間を空けています。事前に先生から生徒さんに夏の季語を中心に10句の宿題が出されており、それぞれに先生が採点し、その結果を発表。また、先生が夏の季語の実物をスタジオに持ち込んで紹介---今はもう使われていないモノ、珍しいモノがほとんどでした。起こし絵、竹婦人(夫人)---(チクフジン、と読むそうです)、蝿帳(ハイチョウ)、蠅取器、花氷、水中花、等々。”昭和の時代(以前)”の風物かと。最初の二つは僕もかすかに記憶にあると感じる程度、近代生活博物館に展示してもおかしく無い類のモノでした。”こんなモノ(今では生活の場に無いモノ)を題材にしてワザワザ若い世代の方が句を読む意味があるのかしら?”と感じましたが、イロイロな「季語」があることの説明なのでしょう。

 

 

今週のテーマは「季語って何?②」。TV番組のなかでは「今、その瞬間を切り取る!のが季語である」との説明がありました。

 

   仮通夜や冷やし中華に紅少し   未知子

 

テキストにある櫂先生の説明では「俳句は、とにかく『今』が全てです。季語は、ものごとの移り変わりを述べるものでは無く、ピークを描くもの」「(季語は)今、自分がここにいる、ただそれを証明するためのもの」「季語と今日を大事にすることを提案したいと思います」と記載されていました。「今でしょ!」と言う一世風靡したフレーズを思い出しました。「今、その瞬間を切り取る!」面白いですね(もちろん、僕には実際に句を作る時に出来るものではありませんが)。

 

 

また、この句の「冷やし中華」を例にとって、俳句は文字数(17文字)ではなく音数=17音である、ということを説明されていました。「冷やし中華」は何音か?。正解は6音。音の数え方の説明として、ローマ字にしてみれば分かり易いと。

冷やし中華=hi ya shi chu u ka ---母音の数を数える=6音。別な例として、

郭公(カッコウ)=ka ku ko u だから4音。との説明でした。

 

僕はこの説明には大変に違和感があり。

冷やし中華=hi ya shi chi yu u ka と書けば母音7音となるし、

郭公(カッコウ)=ka kko u  と書けば母音3音だし。

昔、同じような数え方のことで理屈がはっきりしないと感じた(要は、よく分からなかった)ことを思い出しました。もう少し、分かり易い説明を探してみたいと思います。櫂先生に楯突いている訳ではありません、念のため。

  

 

何の関係もありませんが、郭公(カッコウ)は、下重暁子さんの俳号です。暁子さんは高校の大先輩。今でもお元気に文筆活動を続けられています。「この一句---108人の俳人たち」という俳句の本を思い出して本棚から取り出して見てみました。イロイロな句会にも参加されています。あとがきで「話の特集句会」で選ばれたご自身の句を紹介されていました。

 

   郭公鳴く空の高さを測りかね   (郭公こと)下重暁子

 

先生の暉峻康隆さんからはいつも「おまえさんの句は頭で作るから色気が無い」と言われていたそうです。分かるような気がします、そして、頭の良さそうな方の句だと感じます(この句では、下重さんは、郭公を3音と捉えているように感じますが・・・僕もシツコイですね)。

 

 

講義の最後に「箱庭」を兼題にして俄か句会が催されました。先生から”惜しい句”と評された生徒さんは居残り授業。居残り、懐かしい言葉です。

 

原句    独り身の箱庭にだけ妻子あり   武雅

 

添削後   箱庭の中にだけゐる妻子かな   

 

生徒の塚地武雅さんは「独り身」を表現したかったとのことですが、櫂先生に言わせると「だけ」の一言でその意味は読み取れる。もっとスッキリ表現するほうが良い、との添削でした。”なるほど、添削の妙”と思いつつ、”何やらスッキリし過ぎでないかい”と思ったり。

 

 

読者投句の兼題は「甘酒」でした。入選6句、特選=俳句大賞1句が紹介されます。

 

大賞   甘酒や電波時計は静かなり

 

入選の中で、僕が面白いと思った句です。 

 

     甘酒や神輿の屋根の見え隠れ

 

テキストに掲載されていた先生の句、

 

     甘酒や神田にしづかなるポスター   未知子

 

 

 

続いて、7月第一週の放送ですが、テキスト7月号の表紙の句に偶然の繋がりを発見しました。表紙の句を、櫂さんが”選・鑑賞””しています。

 

     みつ豆はジャズのごとくに美しき   國弘賢治

  

 

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お馴染みNHKテキスト「みんなの料理」、2007年7月号です。13年も前の号ですが、この中で同じく櫂さんがこの句を紹介しています。7月の旬を読んだ句として櫂さんの一押しなんだと感じます。

 

 今回、改めて読んでみると、この句は「蜜豆」というデザートがピカピカに輝いていた時代の句でなかろうか、と感じてしまいました。今の時代、今の世代の方にはピンと来ないかも。13年前の「きょうの料理」の解説にありましたが、作者の国弘賢治さんは大正2年(1913年)、山口県生まれ。幼いころに脊椎カリエスに罹り、起居もままならぬ状態でずっと過ごしたまま40代で亡くなったそうです。蜜豆は美しく輝いていたんでしょうねえ。「蜜豆」は7月の季語ですが、僕たち昭和の時代の人間が受け取る印象と、現代の世代の方が受け取る印象は既に異なっているんじゃあないのかしら、と思いました。

 

 

きょうの料理」2007年4月号は僕の料理の原点で、それから一年間、継続購読したフアンであったことは、以前のブログで記載したと思いますが、今でも(暇に任せて)その月のモノを寝る前に見ることがあります。今回は、そうやって頁を捲っている時に、偶然、この句を見つけたものです。面白いものです。

 

 

かつての「きょうの料理」が出てくるブログです。ご参考まで。自分で”懐かしいなあ””と感じています。

kururupapa.hatenadiary.jp

 

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音数の数え方をググってみました。これが正解なのか不案内ですが、シンプル・分かりやすい説明です。この説明によれば、

●小さな「ゃ、ゅ、ょ」それから「ぁ、ぃ、ぅ、ぇ、ぉ」は前の字と合わせて1音。

●小さな「っ」はそれだけで1音。

●音を伸ばす「ー」(長音符)は、それだけで1音。

だそうです。この数え方だと「郭公」は4音ですね。暁子さんは上5を字余りで詠んだ、という事ですかね。未知子さんの「甘酒」の句の下5も字余りですかね。

 

 

 

7月第一週です。司会は戸田菜穂さん。選者が小澤實さん。ゲストにはモモコグミカンパニーのモモコさん。全く存じておりませんが、いかにも感性が高そうな方です。VTR出演で「令和の新星」が登場していました。7月テキストの佐藤文香(あやか)さん。それから、以前のブログ(6月12日付け)で「コロナでTV出演が没にされて可哀そう」と書いた、テキスト5月号の阪西敦子さんも登場していました。よかったですね。NHKも味な演出構成をするものです。

 

 

5月号の兼題は「素足」でしたが、阪西さんの句です。

 

  サックスのぐるりに映り素足なる   敦子

 

7月の兼題は「水着」、佐藤さんの句、

 

  少女みな紺の水着を絞りけり   文香

 

読者投句の一席に選ばれたのは、

 

  水着とは手縫いのパンツ魚追う

 

という句でした。あまりピンときませんでした。

ゲストのモモコさんの句、

 

  帰り道夏夜に浮かぶ涙声   モモコ

 

これを小澤さんが添削。「ぎゅうぎゅうに詰め込みすぎで窮屈である」との評です。

 

  夏の夜や涙声出る帰り道

 

櫂さん、小澤さん、共に先生が添削するとスッキリします。「削る」というのは難しいことだと痛感します。

 

 

 

第二週は、司会、武井壮さん。選者、対馬康子さん。ゲストに東京パフォーマンスドールの方(すみません、この方も全く存じておりません)。この方と武井さんは、第4週の「俳句さく咲く」で過去何年か一緒に生徒として勉強した由です。武井さん、スポーツ番組で良くお見掛けする、かつてのブルースリーを優しくしたようなイメージの方です。何回かこの番組で拝見していますが、勉強熱心で感性が高い方だなあ、と感じています。

 

 

兼題は「髪洗う」。難しそうな季語だなあ、と思いました。対馬さんが紹介した宇多喜代子さんの句です。

 

   髪洗うまでの優柔不断なか   宇多喜代子

 

対馬さんが一席に選んだ句、

 

   髪洗う一本の源流となる

 

テキストに掲載の対馬さんの句、

 

   髪洗うたび流されていく純情  康子

 

 

対馬さんは、番組で「俳句五段とばし!」を提唱されています。”頭の柔軟体操=想像を広げる”ことを狙った俳句の練習方法だそうです。①一つの句から②さらに表現を整える、③設定を広げる、④「取り合わせ」を、⑤見えない世界へ、と変化させていくと。「俳句さく咲く」が初心者向けとすれば、これは、初級か中級、上級者向けのエクササイズかと思います。番組では、ゲストの方の句、

 

   新曲のカウント数へ髪洗う

 

これを対馬さんが⑤に飛ばして、

 

   洗い髪スーパーノバを響かせて

 

と展開されていました。「スーパーノバ」というのは、宇宙・天体の世界で超新星(の爆発)のことを意味するそうですが、若者は人気のポップグループと理解するそうです。康子先生は僕より三歳年下ですが、なんとお若いこと、”飛んで”ますねえ。

 

  

 

鯱城学園が「9月から再開する」との案内が届きました。「クラスを半分に分けて、それぞれ隔週で登校。登校時には検温・消毒を行い、構内ではマスク着用、三密を避ける」対策を徹底するとのことです。また、「体育祭、文化祭、修学旅行は今年度は中止」となりました。出席日数が半減以下になりますから、希望する学生は一年留年も可能にするとのことです。クラブ活動も早ければ7月中には再開されそうです。

 

ここに来て、首都圏での感染者数が再度、急上昇していますから、まだ全く予断を許しませんが、コロナを『凌ぎ』ながら新しい常態を模索していきたいですね。

 

クラブ活動は、以前のパソコンクラブを三学期に退部して、新しく『陶芸クラブ』に移籍させてもらっています。その後、コロナ騒ぎで一切活動が出来ておりませんので、再開されれば、初めての参加になります。嬉しい限り、楽しみにしています。

  

年寄り大学では、「遅れ」というのは大した問題ではないと認識していますが、児童・生徒・学生の皆さんにとっては一年一年が大切な時間ですから「遅れ」というのは由々しき一大事、コロナでの「遅れ」が大問題となる懸念が高くなっていることが心配です。折しも首都圏の大学では後期の授業もオンラインをベースにするとの報道がなされています。新入生の諸君は、4月以降、学生証を受け取りに一回、登校しただけだそうです。7月17日の夜のNHKニュース。

感染者が再度、急増していることに対して、都府県の首長さんのテレビ会見が放映されていますが、相変わらず、ほとんど内容がないですねえ。ご自分のアピールの為だけという印象が益々強くなります。かなり寂しいです。

 

   

おまけの一句です。能天気な句です。

 

   朝採りの野菜を茹でてビールかな   孔瑠々

 

コロナ騒ぎの影響もあり、各地で豪雨の跡片付けのボランティアの人員が不足しているそうです。何もお手伝い出来なくて申し訳ないです。。。。。

 

 

『China Syndorome』

 

久しぶりに千種区の図書館に行きました。留守宅でプランターに夏野菜を植えたので、チャンと実を付けてくれます様にと栽培のハウツー本を探しに。「コンテナで育てる野菜とハーブ」という格好のタイトルの本を見つけました。食べ物・料理・健康関連の書棚をプラプラしていましたら、掲題の本を見つけました。

 

 

『史上最悪のウイルス---そいつは、中国奥地から世界に広がる』上・下巻、文藝春秋社発行。著者は、カール・タロー・グリーンフェルドさん、1964年、神戸生まれの方です。お母さんが芥川賞作家(米谷ふみ子さん)、お父さんがアメリカ人でアカデミー賞にノミネートされた劇作家。原書タイトルは『China Syndorome』、2005年の春にニューヨークで出版。日本語版は2007年1月第一刷発行です。

 

 

SARS」騒ぎは、2002年の暮れから2003年にかけてのことでしたが、著者は、当時、香港に拠点を置く雑誌「タイム」アジア版の編集長で香港に赴任中であったそうです。2002年11月から2004年1月までの出来事を編集長・記者として丹念に追いかけたノンフィクションです。

本年の新型コロナ騒ぎの折に、かつてのパンデミックの事が何度も詳しく報道されていますが、「SARS」のことは ”大騒ぎしたのは覚えているが、ほとんど気が着かないうちにいつのまにか収束していた” 程度の印象しかありませんでした。

 

 

本を手に取ってパラパラと頁を捲った時には、”エッ、「SARS」騒ぎはそんな昔の出来事やったんや”と自分の記憶のエエ加減さに驚くと共に、”そういえば、この本のことを評価していた書評があったなあ”と微かに記憶が蘇ったりして、野菜栽培のハウツー本と一緒に借りてきました。首都圏で連日100人超の感染者が出ているし、自分では注意していると思っているモノの、ややコロナ騒ぎに馴れてきていて、緊張感が無くなりつつあると感じていた時でしたので、もっと最近のことと思っていた”昔”の「SARS」騒ぎを改めて今の状況下で読んでみようかと。

 

 

上下で500頁近い力作です。大変に面白かったです。「SARS」は、結果的には発生から8カ月ほどで収束。WHO調べでは、26か国・3地域(香港、マカオ、台湾を指しています)に広がり、感染者8,400人、死者876人ですから、今回の新型コロナ騒ぎとは比較になりません。が、今回の新型コロナ騒ぎに関連しそうな、背景?を改めて考えさせられるところが多々ありました。

 

 

本の構成は4部に分かれています。「SARS」対策で重要な役割を果たした香港大学のウイルス学者さん、この本の主人公の一人ですが、彼のウイルスに対する調査研究のスタンスに沿ったものです。第一部、それはなにか?、第二部、それはなにをするのか?、第三部、それはどこからくるのか?、第四部、それをどう殺すのか?。この切り口で構成されているので、このノンフィクションが高級の社会的サスペンス仕立てに出来上がっているように思いました。構成力と共に筆者の筆力が読み物としての面白さを倍増させていると思います。相変わらず日本語の邦訳タイトルは仰々しいと思いますが、これくらいのネイミングをしておかないと読者の注意を引かないのでしょうね。邦訳タイトルが「チャイナシンドローム」であれば僕も手に取っていなかったかも知れません。

 

 

最初の感染は、2002年の暮れに、すでに始まっていたそうです。香港を抱え込むようにしている中国最南部の省、広東省で感染が拡大していきます。時代背景が詳細に記載されています。イラク戦争が風雲急を告げる時期であったこと。

中国では経済成長が軌道に乗り、食料の不足を心配する暮らしから美味しい料理を楽しむ時代に差し掛かろうとしていた時代。広東料理は、所謂、ゲテモノ喰いで有名ですが、「野味の時代」と形容されています。美味しいもの、珍しいモノを求める人々が増えてきた。深圳の東門市場と言うのは、中国の野生動物市場の最大手の一つだそうです。生態学者に言わせると地球上には3千万種の動物がいるそうで、それぞれが一つ以上のウイルスの宿主となっている。当時、4千種のウイルスが既に知られており、そのうち150種は動物からヒトに感染するそうです。まだ、知られていないウイルスが無限に近い位いるんですねえ。

野生動物市場がウイルスにとっては新しい宿主を見つけ出す無尽蔵のホームのようなものだとの記述が大変に説得力を持っています。「SARSコロナウイルス塩基配列RNAリボ核酸ウイルスであることが後日発見されていきますが、このウイルスは、増加するのが早く、かつ、突然変異が多い=新しい繁殖のための宿主を見つけ出す。このウイルスのホームが、世界でも有数の(決して衛生状況が良いとは言えない)過密都市のど真ん中にあったことが、SARSウイルスが発現した原因のようです。

 

 

感染は、広東省から香港に広がり、さらに、北米、ベトナムシンガポールに拡大して行きますが、この過程での最大の問題点は、中国政府・共産党・官僚の隠蔽体質。広東省では奇病流行の噂が広がり、香港では最先端の医療機関、医師・研究者が原因究明に乗り出しているにも関わらず、中国当局=衛生局は情報出し渋りを続けます。更には、「この病気はそれほど心配する恐れはない!」と嘘の説明まで。現場で対応に当たった多数の医師・医療関係者が感染し重篤な状態に陥ったのは、情報共有が全く出来ていなかったからと指摘されています。

 

 

訳者の方が、訳者あとがきで纏めていますが、「(SARSの)生みの親が、高度成長で産業化された野味産業・野味文化、野生動物市場だとすると、育ての親は、中国共産党官僚機構の情報管理体制=抜きがたい隠蔽体質である」と。

 

 

SARSの症状も詳細に記載されています。本から抜粋しますと「高熱とからせき---呼吸が乱れ、血中酸素濃度が低下、胸部Ⅹ線写真には白い影(ホワイトアウト)が映る。生命を維持するのに必要な最低限の酸素を維持できず、意識混濁、死に至る」と。生々しい詳細な記載が随所に出てきます。現在のコロナの重篤化した症状と同じ。怖いです。

 

 

2003年3月15日は、中国・全国人民代表会議(所謂、全人代)で、この年は、国家主席江沢民から胡錦涛に変わる政権移譲の年度でした。政府・共産党にとっては最大行事で、ひたすら中国が安泰であることを世界にアピールする機会です。パンデミックに繋がるかも知れない感染症が蔓延しているなどと死んでも言えない。3月には北京でも感染拡大していたそうですが政府機関からは一切公表されなかった、いや、感染者がいることも否定されていたそうです。

 

WHOは、現在では、中国寄りだとトランプ大統領から攻撃されていますが、当時は、中国当局に原因究明、情報公開を厳しく迫っていたことが生々しく記載されています。SARSの名称も、それまで「非典型肺炎」と訳の分からない略称が使われていたものを、WHO本部(ジュネーブ)の医師がこの感染の怖さを世界に認識させるために、Severe(重症) Acute(急性) Respiratory(呼吸器) Syndorome(症候群)の頭文字をとって「SARS」と名付けた由。

ただし、特定の国、地域に紐つかない名称に配慮したはずの「SARS」ですが、結果的には、Special Administrative Region の頭文字「SAR」と同一になってしまっていた。「SAR」とは特別行政区=香港のことです。

 

 

2003年4月には感染者2000人超、死者240人超となっていたそうですが、中国国内で、一人の医師が内部告発に立ち上がり、それがきっかけとなり、タイム誌を初め海外メデイアが報道。内部告発の真贋を見極めるための取材活動ぶりが生き生きと描写されています。中国の新体制は旧勢力との権力闘争の一つとして、大々的に国家を挙げてのSARS撲滅キャンペーンを行うことを決定し、今回も見られたような独裁体制の国家でなければ出来ないようなやり方・手段で強引に抑え込んだそうです。

 

前後して、4月には、カナダのブリティッシュコロンビア大で、「SARSコロナウイルスが特定されます。従来のコロナウイルス科のウイルスは軽い風邪程度の流行感染病と認識されていたものが、動物に感染してやっかいな突然変異を起こしたモノらしいと。

 

また、前述の香港大学のウイルス学者さんの活躍で、ヒトへの感染は「ハクビシン」の体内のウイルスによるものということが解明され、中国では野生動物の販売が禁止されることに繋がったと。ここまでで、「それはなにか」「それはなにをするのか」「それはどこからきたのか」が明らかにされたのですが、最後の「それをどう殺すのか」にたどり着く前に、このウイルスの季節的な特性からなのか、7月以降には一般市民の新規感染者は出なくなったそうです。

 

「ウイルスを制圧したのに成功したと言えるのか?」「このウイルスが感染力を初めから欠いていただけなのか?」「季節の変化が影響したのか?」この本のなかでも明らかではなさそうです。SFサスペンス風に言えば、ウイルスが回りの様子を見て、チョットわが身を潜めたと考えられるのかも知れませんね(僕の妄想です、念のため)。

 

 

現在の状況に繋がっているかも知れないと思ったことです。

「SAR」収束後、中国政府は、2003年8月には野生動物の販売禁止令を解除しました。その後の中国経済の急成長もあり、益々、珍しいものを食べたい人々は増加しているそうです。また、この頃=2003年7月ごろから香港を対象にした「反政府活動法案」の動きが出ており、香港ではそれに反対する抗議活動が激しくなってきたことが記載されています。本年6月30日に、香港への「国家安全法」が成立・施行されましたが、その最初の動きがこのころのことだったようです。

そして、「SARS」収束後、中国は、透明性を欠いたスタンスを変えることなく(中国では、疫病の集団感染情報は国家機密に属する、という考えとか)、WHOとは”協調姿勢を明確して対応する方針””に転換していった由です。今回の新型コロナ騒ぎでの中国の初期対応、および、それに対するWHOの評価に対して、トランプ大統領は強い非難をしていますが、中国側は「SARS」騒ぎの時から、この時の来るのを見越してWHOとの協調姿勢を構築していたようにも感じ取れました。

 

 

 7月8日の日経夕刊では、とうとうアメリカがWHO脱会を正式に国連に通告したことが報じられています。また、驚いたことに同日の記事では、ブラジルのボルソナロ大統領が新型コロナウイルス検査で陽性反応が出たことも報じられていました。彼は65歳。陽性反応が出た後も「コロナはただの風邪」と公言続け、コロナ対策を実質的には何も行わず経済活動を維持するとの主張を継続しているようです。中国の有り様は別にして、西側の影響力の大きな国家の指導者も大変に個性が強い方々が増えたようで、今回のコロナ危機で世界の混迷はますます深まることになりそうですね。

 

 

首都圏では、東京では6日連続で100人超の新規感染者となるなど、埼玉、千葉、神奈川での増加も懸念されています。政府は、”感染が増えているのは、重篤化しない若者に新規感染が多いから”であり、また、”医療設備に対応余力・能力があること” を主な理由に緊急事態の宣言は検討していないとか。経済の再生を図りたい(財政の限界もあるでしょうから)ということでしょうが、若者の感染が増加して、それが、感染したら重篤化する可能性の高い年寄りに広がっていくことに対しての懸念・対応策等々はぜんぜん聞こえてこない。

4月に緊急事態を宣言した時の、"ほっておくと級数的に感染が拡大する" と言う説明は何だったんでしょうね。対応が一貫していなくとも、その時々に真摯な説明をするのが行政の責任だと強く感じてしまいますねえ。説明になっていない!、相変わらずイライラが募ります。

 

「若者は感染しても重篤化しないから大丈夫です」「年寄りは自分で責任もって感染しない様にしてください」というのが政府・行政の見解のように聞こえます。早くワクチン開発が進むことを祈りたいです。または、「SARS」の時と同じように、ウイルスが自ら身を隠してくれることを期待したくなりますねえ。

 

 

 

おまけです。 

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農園に水遣り当番で行きました。前々日、前日が雨だったので、収穫に精を出しました。久しぶりの青空の下、ナス、ピーマン、シシトウを収穫しました。2020年7月2日、撮影。

 

   つかのまの梅雨の晴れ間に茄子たわわ   孔瑠々

 

茄子は季語(晩夏)だそうで、季語のダブりがダメなんでしょうね。どう詠めばよいのかまだ分かっておりません。トホホ。「NHK俳句」は別途また記載したいと思ってます。

 

 

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右、久しぶりに夏野菜カレー。かつて師匠から”太陽の恵み”とネーミングしてもらいました。味に切れがなかった、やや残念。ナス、カボチャ、ピーマン、しし唐、トマトを大量に。頂いた名古屋コーチンを使って。カレー粉とルーを両方使いました。2020年7月7日、料理と撮影。

左、留守宅でのプランター。隠れ家から育て方を云々する以前に、既に、キュウリが実っていました。ナント早いこと。これ以降の処理・対応で、一苗からどれだけのキュウリが収穫出来るかの差が出るはずなのですが??。2020年7月7日、カミさん撮影。

6月のNHK俳句、その2.

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東山動植物園、合歓の木に花が咲いていました。熱帯植物のような感じがしました。動植物園は再開されていますが”密”を防ぐため入場者数を制限しています。小雪ちゃんが名古屋に遊びに来てくれました。小雪ちゃんパパ(僕の長男)が頑張って事前に全員の予約をしてくれ、半日かけて動物を見て回りました。コユちゃん(小雪ちゃんは自分のことをこう呼びます)は上野動物園には何回も行ったことがあるそうです。東山ではコアラを楽しみに。2020年6月20日、撮影。

 

 

NHK俳句、6月第二週、第三週のまとめです。例によって僕の備忘録として記載しています。お付き合い頂ければ嬉しいです。両放送とも、5月分と6月分の二回分の入選句をまとめて発表していますので、駆け足での講評です。次回からは平常の進行に戻ることが出来るのでしょう。番組制作・出演の皆さん、ご苦労様です。

 

 

6月第二週。選者の対馬康子さん、司会・パートナーの武井壮さんのお二人はリモート出演です。スタジオにはアナウンサーの方が一人居て、モニターに映されているお二人をつないでの進行役をされていました。

 

 

5月の兼題は「夏落葉」。夏落葉という季語は、恥ずかしながら、あまりピンときていませんでした。テキストの対馬さんの解説です。「一年中、緑の葉を保つ木(常盤木=トキワギ、と言うのですねえ)も、夏にかけて新葉が出るころに古い葉を落としてひそかに新旧交代をしている」。同じ初夏でも「若葉」とか「新緑」というと新鮮、みずみずしい様子ですが、それとは対照的に常盤木落葉、夏落葉というと、「陰と陽が合わさった独特の感性を研ぎ澄まして見出された季語」とのことです。

 

 

特選三句です。

 

三席   クリップで挟めぬ夜明け夏落葉

 

二席   夏落葉輪廻といふは惜しみなく

 

一席   夏落葉ばさりと月の欠けており

 

使いこなすのが難しい季語のように思いました。テキストを見ていたら、対馬康子さんが、この季語の解説のなかで第三週の選者の西村和子さんの句を取られていました。

 

     夏落葉男の齢首すぢに   西村和子   (齢=よわい)

 

対馬さんの評です。「ネクタイを締め、精悍に頑張っている男性。会話をしているその男性の首筋の動きに若々しく見えてもふと老いの始まりを見た、女性ならではの目線」と。男性としてはドキッとするような景色ですかね。確かにこの季語の風情が活かされているように思いました。

 

 

続いて、6月の兼題は「蛇」。対馬さんの好み?趣味?流儀?なのか何やらおどろおどろしい、気持ち良いとは言えない季語を兼題にされているような(僕は個人的に、気持ち悪いから、蛇は好きではないですね)感じがしてしまいました。

 

特選三句です。

 

三席   樹の灰の樹のおもかげを蛇滑る

 

二席   山河行く金剛力の蛇なりし

 

一席   蛇とほる身重の白きワンピース

 

これも難しい季語のように感じました。特選には選ばれませんでしたが、僕が(かろうじて)面白いなと思った句です。武井さんも取っていました。

 

     真夜中のピアノに棲みし蛇起こす

 

テキストに掲載されていた選者の一句です。

 

     蛇打たれ笑い崩るる如く死す   康子

 

余りにもリアル過ぎて気持ち悪くなりそうに感じました。対馬康子さんのテキストの解説を抜粋しておきます。

 

「俳句の作り方には大きく分けて、いわゆる取り合わせの句と一物仕立ての句がある。一物仕立ての句は、季語のことだけを詠んでいくスタイル。取り合わせの句は、季語部分と非季語部分の二つのものがぶつかり合うことで、連想の妙を呼び出す方法。”蛇”というどちらかというと孤独を思わせるものが配合により変わってゆきます」とのことです。理屈はなるほど!と分かるようにも思うのですが、このワザを使いこなすにはまだまだ時間が掛かりそうに感じます。

 

 

 

6月第三週です。選者は西村和子さん、司会は岸本葉子さん、ゲストに滝村雅晴さん。この回から、スタジオでお三方揃っての収録になりました。やはりモニター出演ではなく同じ場所に全員そろってお話される方が、見ていて(聴いていて)も楽ですね。まだ席の間隔を空けているようにも思いましたが、少しは”平常”に近づいてきました。

 

 

5月の兼題は「蚕豆(ソラマメ)」。

ゲストの滝村さんは「パパ料理研究家」。家族のためにパパが作る(作れる)料理を提唱されているとか。西村さんの息子さんとも交流があるそうです。選者の一句です。

 

      蚕豆は莢ごと焼かむ甘からむ   西村和子

 

西村さんは蚕豆を食べる時には、長い間ずーと、莢を剥いて塩ゆでして食べていたそうです。ある日、息子さんとバーベキューをした時、そのまま焼いて食べるとワタまで甘いということを発見して感激したそうです。その時のことを詠んだ句。そして、その食べ方を息子さんに教えてくれたのがゲストの滝村さんであった由。いい話、いい句ですね。特選三句です。

 

三席   蚕豆の莢の内なる綿甘し    (綿=わた、甘し=うまし)

 

二席   蚕豆やふくよかなりし母の指

 

一席   はじき豆土佐の女はよく笑う

 

特選には選ばれなかったですが、面白いと思った句です。

 

     蚕豆が好きで馴染みになりにけり

 

     蚕豆や教授の皿に皮のなく

 

やはり、食べ物をお題にした句は楽しいかと。

 

 

6月の兼題は「さくらんぼ」。食べ物が続きます。選者の方の個性が出ているのか、ディレクターさんの注文が入っているのか並べて比較してみると面白いものですね。コロナ巣籠りの影響もあり、投稿が大変に多かったそうです。分かるような気がします。特選三句です。

 

三席   さくらんぼ採りたし四十肩痛し

 

二席   桜桃の記憶は父の肩車   

     (桜桃(おうとう)=さくらの一種・さくらの果実=サクランボのこと)

 

一席   色づいてきてさくらんぼ騒ぎ出す

 

同じく特選外ですが面白いと思った句です。

 

     無頼派の集う酒場のさくらん

 

     さくらんぼ硝子の青に冷やされて

 

ゲストの滝村さんは「俳句に興味を持ちました。西村先生について教えて頂ければ」とエールを送っていましたが、西村さんから「料理が好きな方は俳句もお上手ですよ」といわれて満更でもない様子でした。僕も「料理は好きなんやけどなあ」と思いましたが、「料理がお上手な方は」の間違いだったかもしれません。

 

 

パパ料理研究家の滝村さんが紹介された旬の一品。お題は「トウモロコシ」。

『皮付きのトウモロコシをそのままの状態でレンジに(ラップをしないで)。3分半で美味しく頂ける』と。誰でも出来る超簡単な料理(W数は特に説明無しでした)。

 

司会の岸本さんが「皮付きのままだと剥いだ時にあのモジャモジャが!」と楽しそうにはしゃいでいました。岸本葉子さんは、日経新聞の夕刊「人生後半はじめまして」の欄にエッセイを定期寄稿されています。この数回は、コロナ関連の話題ばかり。「こんなときこそ」とか「「断捨離タイム」とか「快適な巣籠り生活」とか。自然体の語り口のなかにハッとするようなフレーズが出てきます。ご本人も「俳句大好き人間」と言い切っていますが、俳句で身に着いたモノを捉える力のなせるところかと楽しく拝読しております。

 

 

 

6月17日に名古屋の隠れ家に「特別定額給付金」の案内が届きました。必要な添付書類のコピーを近くのコンビニまで取りに行きましたが、同じような趣の方が2-3人いらっしゃったように思います。翌日に申請書を投函。

 

たまたまですが、今日(6月26日)の日経朝刊の三面記事に「名古屋市民『支給遅すぎる』、10万円給付率4.7%」の見出し記事が掲載されていました。大きな自治体でも早いところは早い。札幌市約99%、神戸市83.4%と高い給付率です。逆に、横浜市が約17%、大阪市は3.1%。名古屋は大阪と並び随分と遅いのですねえ。

 

同記事。飲食店でアルバイトをしている学生(19歳)さんのお話。「10万円で助かると思ったが、給付よりも(アルバイトの)シフトの方が先に元に戻った」とあきれ顔とか。シャレにならないですねえ。河村市長は22日に作業の遅れを謝罪、現在、人海戦術で対応しているそうです。6月中に申請書を返送された給付が終わるのは7月中になる見込みとか。行政のIT化の遅れが丸見えになってしまいましたが、個人番号カードとか何だったんでしょうねえ。大変な手間と税金が費やされていると思いますが。ヤリッパナシで無駄にされたままなんでしょうねえ。相変わらずイライラが募ります。

 

 

文藝春秋の7月号は引き続きコロナ特集「コロナ後の世界」。このなかで柳田邦男さんが「リスク分析先進国・ドイツ---日本と何が違うのか?、コロナ対策再検証・この国の『危機管理』を問う」と題して12頁に亘る寄稿をしています。ドイツとの対比の中で、「検査も診察も無い『自宅待機』への疑問=なぜこのようなゆがんだ限定的な体制を、国はコロナ対策の柱の一つにしたのか!?。今月号は前編で、来月号で詳細が検証されるのではと楽しみにしています。次の段階への対応を少しでもスムーズに進められるように、何かにつけて、きっちりと検証をしておきたいですよね。

 

 

 

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東山動植物園。 観客数を制限しているので、ゆっくり、近くで見ることが出来ました。

イケメンゴリラで有名な「シャバーニ君」。ガラス越しですが、手が届くような距離で見ることが出来ました。コユちゃん(小雪ちゃんは自分のことをこう呼びます)が泣き出すかと心配しましたが、パパにしがみつきながらも興味深そうに見ていました。シャバーニ君はホントにイケメンです。映画俳優の風情、貫禄があります。

ゾウさんのところでは餌付けをしているところを見ることが出来ました。キリンさんも屋外に出てきてゆったりと散歩していました。

この動物園には「ふれあい広場」があります。ヤギさん、ヒツジさんに触れあいながら餌をやったり、モルモット等々の小動物を膝に抱いて撫でることが出来るように工夫された一角です。残念ながら、閉鎖されておりました。また、次回の楽しみに。

 

 

     父の日の甚平を着てブログかな   孔瑠々

 

 

おまけです。

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神奈川の自宅のベランダと庭をいじくってもらいました。スペースがちょっとできたので野菜を植えました。大型のプランターに園芸・野菜用の土、肥料を入れて、近くのホームセンターで苗を買ってきました。向かって右から、きゅうり、青紫蘇、ゴーヤ、とうがらし、ゴーヤ、イタリアンパセリ。鯱城学園・園芸科の学習の成果が出てくれるかどうか。育つかな?。6月14日、撮影。

 

鯱城学園は一学期は完全に休校継続です。二学期以降どうなるかを検討中とのこと。来年4月からの意向調査(アンケート)が届きました。もう一度二年生を続けたいか、このまま卒業するか、というもの。仲間と話したら、ほとんどの方が”もう一年やりたい!”とのことでした。僕もそう返信しました。園芸科は、農園・作物があるので、植え付け・水遣り・収穫等々で集まる機会もありますが、他の学科・クラブは完全にお休みの様です。もちろん、一年間のお付き合いのお陰でゴルフをしたり少人数で会食をしたりの集まりはありますから二年生はまだマシだと思いますが、今年の4月入学の一年生は全く自宅待機のまま(のはず)。年寄りの大学だから”已む無し”ですが、ホントの一年生、小さい子供達の教育(遊び)環境は心配ですね。日本の政府の危機対応力は頼りにならないことが分かってしまいましたから、自分達で、現場現場で工夫してやっていくしかないと思います。親御さん、現場の先生方は益々大変かと思いますが、頑張って下さいませ。医療の現場、教育の現場、社会のインフラに従事されている皆さま方、引き続き、くれぐれもご自愛のほど。

 

 

6月のNHK俳句と「新タマ」料理

 

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 左:留守宅でも沖永良部のユリが満開です。今、庭に手を入れているので撮る角度が難しかったようですがアップで上手くとれました。カミさん撮影。右:”新しい”ピアノの先生宅での鉢植えです。鉢植えでもキレイに咲いてくれました。ブログでこのユリを見た方から”欲しい!”と言う声を頂いてます。以前の会社の方にお願いしていますが、また分けて貰えればホントに嬉しいですねえ。2020年6月、撮影。

 

 

 

6月2日に「アベマスク」が郵便受けに入れられていました。マスクは、2月の初めには、まだ、繁華街のドラッグストアの店頭で販売されているのを見ることが出来ていました。中国の方と思しき方々が我先に買いあさっていた。ノンビリしている人間(僕のこと)はボケーと見ておりましたが、その後、コロナ騒ぎが本格化してくるとあっという間に店頭から無くなりました。名古屋の隠れ家にはほとんで在庫が無かったので大切に使用しておりました。その後、顧問をしている会社で取引先さんから社員用に供給してもらえることになり社内販売をしてくれました。自家製のマスクの活用が盛んになったり、4月後半から5月に入ると街中でも「マスク有ります」の看板を散見するようになりました。民間の知恵と工夫の方がスムーズに機能しているということでしょうか。アベマスクは日本政府の対応スピードを象徴するものになってしまったかも知れません。封に入れたまま当分は飾ったおこうと思っています。

 

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10万円の案内は残念ながら、まだ、来ておらず。主要都市部では時間が掛かっているそうですから、已む無しと思っています。日経新聞が6月9日から「検証コロナ・危うい統治」というシリーズを掲載し始めています。日本政府の対応がもたつきていることを厳しく指摘しています。本日(6月11日)までの三回を読む限りでは、もっぱら官僚制度の不備=組織防衛優先、既得権、縦割り・つぎはぎ行政、の指摘が中心になっているような。この10数年、もっと前からかな、時の政府は政治・官邸主導を得意げに吹聴していた訳ですから「検証コロナ」という観点からは、もっと政治そのもの、政府と官僚制度の両方に焦点をあてて記載してほしいなあと感じております。

 

 

 

コロナ騒動をちょっと頭から追い払い、NHK俳句、6月の第一週です。引き続き、リモート収録ではありますが、選者=小澤實さん、パートナー=戸田菜穂さん、ゲスト=生駒大祐さんをテレビ会議方式で繋いで、アナウンサーの方が進行役での放送となりました。

 

 

今回も、駆け足で二か月分を紹介、5月の兼題は「素足」。例によって特選三句を紹介します。

 

三席   素足すき杉下駄が好き銭湯も

 

戸田さんの評価が秀逸でした。「この女性の後ろ姿が見えるようです」。

 

二席   ネクタイを緩め素足を砂浜へ

 

「仕事から遊びへ、その瞬間を切り取った」。小澤さんの評に納得。自分も経験があるように思う瞬間です。

 

一席   素足たのしむペディキュアは海の色

 

これを一席に取った小澤さんにも感心しましたが、また、戸田さんのコメントが振るっていました。「女性は足の指のオシャレには自分の本当の姿がでるもの。その女性が目に浮かぶようです」と。

 

特選には選ばれませんでしたが、僕が良いなあと思った句です。お二人の会話のなかでも評価が高かったように感じました。総じてレベルが高いということでしょうか。   

 

   二階より素足の少女駆け下り来

 

   雲を見て素足をのせる文机

 

   素足のパンプス喫茶ともしびB定食

 

最後の句の戸田さんの感想がまた面白かったです。「向田邦子さんを思い出します。リズム、そして、言葉が面白い」と。それにしても、この句は7・7・5ですが、形式に拘ることなく、良い句を取ってくれる選者小澤さんの懐の深さも人気がある所以なんでしょうね。

 

 

続いて、6月の兼題「夏」。二ヵ月分を一回でこなそうとしていますから、駆け足での押せ押せの時間配分です。特選三句を紹介します。

 

 

三席   渋滞と焼きそばソース浜の夏

 

二席   冷凍保存の受精卵にも夏が来る

 

一席   びしょ濡れがうれしい夏の子どもかな

 

今回も、何やら観念的な二席の句を取りつつ、すごーい素直な句を一席にしている選者・小澤さんの選句に感心、面白さを堪能しました。これ以外にも、面白いなあと思った句です。

 

  シミーズは母の普段着夏来る(註;母の字は、女編に”比”でした)

 

  隈笹の葉のはきはきと夏来る

 

「シミーズは」の句は、皆さんから"如何にも昭和の句である、昭和の映画のシーン、郷愁を感じる”とのコメントが寄せられていました。同感です。「夏」、普通の言葉ですが、俳句の季語として使う時には大変に広がり奥行きを表すことが出来るもんだと。改めて、俳句の「季語」の面白さをチョット理解出来たような気になりました。

 

 

今回のゲストは、生駒大祐さん。1987年生れの方。小澤さんが紹介した句は、

 

   夏の木の感情空に漂えり   生駒大祐

 

小澤さんの評は「ここにアニミズム的な自然観を感じ取りました」。また、大祐さんの句には所謂「本歌取り」の句が多いことを指摘。「芭蕉は晩年、『かるみ』をめざした」そうです。日常のことばを大切に句作し、それ以来、本歌取りという「踏跡(とうせき)の技法」が多用されることはなかった。「大祐は先行の詩歌を愛し交響することで『かるみ』中心の俳句史への抵抗を行っているのかも知れません」という高い評価をされていました。これも小澤さんの懐が深いことがなせる評価なのかと面白かったです。

 

 

テキストの5月号を見ると、ゲストは女性の俳人の方でした。この方は、コロナ騒動のためにTVに出演する機会を逸したことになります。夏の甲子園が中止されたことが象徴しているように、この騒ぎで人生が変わってしまう方々も多数いらっしゃるだろうと思います。悔しいでしょうね。ホントに残念な気がしています。めげずに頑張って欲しいものです(言葉で書くと陳腐で情けなくなりますが)。

 

 

 

おまけ、新タマ料理自慢です。

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 師匠の作品、三品。 左;ローストビーフで新タマを巻いて、好みの味で。中;新タマ、厚めの輪切りをゴマ油で焼いて、豚ミンチ、破竹、ピーマンの牡蠣油炒めのっけ。左;同じく新タマ厚切りに紫蘇キムチのっけ。

 

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左;仲間の作品。右奥が話題の「トロ玉」。左奥、冷奴に青じそ+新タマのっけ。手前;水菜、パプリカと。バジル、青じそのっけ。

右;居酒屋クルル。左が話題の「トロ玉」。右奥、冷奴にタマネギ酢のっけ。手前は、新タマとツナ・コーン。

 

話題の「トロ玉」の作り方を紹介します。師匠の自慢作です。

●皮を剥く、芯を取る。バターを芯のところに入れ、醤油をたらりと。耐熱容器に入れてラップ。700Wのレンジで6分。新タマがトロトロになります。

簡単!、早い、旨い!。是非、お試しください。

 

解除・再開 ⇒『凌ぐ!』を続ける

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今年も永良部のユリが満開です。これは名古屋でお世話になっている方のお庭。数年前に球根を差し上げたら何シーズンも続けてキレイに咲かせて頂いています。嬉しいですねえ。2020年6月1日、撮影。

 

 

 

 5月25日、緊急事態宣言が全面解除されました。4月7日に 7都府県を対象に宣言が発令されて以来、ほぼ、一か月半ぶり。4月16日には、緊急事態宣言の対象が全国47都道府県に拡大され、13都道府県は「特定警戒都道府県」に指定されていました。約一か月後の5月14日に 39県で宣言解除、5月21日には関西3府県で解除され、25日に残りの首都圏、北海道の 5都道県で解除となりました。

 

但し、世界全体ではコロナの勢いに衰えは見えておらず。5月25日のWHO(世界保健機関)の会見では「感染拡大の第一波の真っただ中」との警鐘が鳴らされています。南米など新興国で患者が急増しているほか、規制を緩和し始めた先進国に第二波が到来するリスクがくすぶっているとの見方です(5月27日、日経)。

 

 

5月12日のブログで、日本の政府の対策に対する僕の印象として「イライラが減らない、ストレスを感じる」と記載してしまいました。

kururupapa.hatenadiary.jp

 

今日の日経記事に僕の感じていることをキチンと整理して纏めてくれている記事を見つけましたので、全文コピーを貼り付けておきます。日経電子版には数日前に掲載されていたのですが、紙面に掲載されたのは本日(6月1日)でした。

 

 

・・・以下、日経記事です。

コロナ 免れた感染爆発 日本の対策「勝因」見えず 

合理性欠いた自粛要請

 

緊急事態宣言がほぼひと月半ぶりに解除された。当初恐れられていた感染爆発を免れ、日本の流行はいったん収まりつつある。にもかかわらず、モヤモヤしている人も多いだろう。果たして日本の新型コロナ対策はうまくいったのか。

 

 

 
 ウイルス学者や感染症の医師といった感染症対策のプロが集う「コロナ専門家有志の会」のメンバーの一人が5月中旬、緊急事態宣言の一部解除を前に発した言葉が印象的だった。「感染者は確実に減ってきた。ウイルスを封じ込めているようだ。しかし、いったい何がこんなに効いたのか。よくわからない」
 

パンデミック(世界的大流行)の第1ラウンドでは各国の医療体制や対策の巧拙が感染者数や死亡者数を左右した。情報テクノロジーをうまく使いこなした台湾や、徹底した検査と追跡、隔離で感染を抑え込んだ韓国、官学一体で合理性ある戦略にこだわったドイツなど、「台湾モデル」「韓国モデル」「ドイツモデル」として他国は手本にしようとする。

 

日本は感染者数や死亡者数といった結果だけみるとこうした国々となんら遜色がない。しかし、「日本モデル」という称賛の言葉は聞こえてこない。対策はデータを重んじる合理性や一貫性を欠き、「自粛要請」という矛盾した言葉を国民の行動に強いてきたからだ。まねしようにもまねできるものでない。

外出制限の前提になった「8割」自粛。本来は人と人との接触を減らす数値目標だった。しかし、緊急事態宣言下でいつの間にか主要ターミナル駅や繁華街といった都市部への人出(人の流れ)の削減にすり替わった。人出が減るのと、人と人との接触が減るのとはイコールではない。そもそも接触機会の削減をどう定量的に示すかも定まった手法はない。

緊急事態宣言が始まった4月8日以降、各都道府県では一体、何割の接触削減が達成できたのか。それによって感染者や死亡者の動向にどう影響したか。今後、きちんとした検証が待たれる。

 

PCR検査不足に対する説明が不十分な点も社会に不安や不信をかき立てた。厚生労働省の医系技官が中心になって、検査の絞り込みを決めたとされる。疫学調査を優先し医療崩壊を防ぐのが目的なら、過少検査でも問題がないとする根拠を丁寧に説明すべきだった。

 

発足当初から政府内での位置づけが不明確だった専門家会議の迷走も、対策への信頼を損なう要因になった。同会議はあくまで医学的な見地から政府に助言を行う組織で政策の決定者ではない。にもかかわらず時に大いなる存在感を示した。

極め付きは専門家会議が5月4日に公表した「新しい生活様式」だ。買い物では通販を積極的に利用し、食事の際は対面ではなく横並びに座る。生活の場面ごとにきめ細かく示した実践例は、医学的助言とはほど遠いものだった。責任をとりたくない政治や行政が、専門家という権威を巧みに利用したともいえる。

 

日本大学の福田充教授(危機管理学)は「(新型コロナのような)感染症対策では情報を収集、分析、調査し適切にわかりやすく伝える能力が国に問われる。何かが隠されていると思わせるのは、リスクコミュニケーションとしては大失敗」と指摘する。

秋以降、北半球では流行の大きな第2波がくると予想される。政府は第1波で感染者と死亡者数が比較的少なくすんだ「勝因」をきちんと分析し明らかにする必要がある。再び、むやみに「8割減」を求められても国民はついていかない。

編集委員 矢野寿彦)

 

・・・6月1日付け、日経新聞です。良い記事だと思うのですが、何故か11面の余り目立たない場所に載せられています。この編集委員の矢野さんには「クルルのおじさん」賞を差し上げたいと思っています(気持ちだけです、念のため)。

 

 

 

6月に入り都内の学校が約三カ月ぶりの再開と報じられています。新くん(長女の息子です)の保育園の入園式も遅れていましたが、本日、無事に行われたとのことです。元気いっぱいの新くんは式の後、「もっと、みんなと一緒に遊びたい!」と号泣していたとか。遊べないのは辛いですよねえ。五月の最終週末辺りから繁華街・商店街での人通りも増えてきている様子。東京都の休業要請緩和も第二段階に移行した由。僕はこの日経記事の通り”モヤモヤした気分”が続いたままですが、巷で言われている「命を守り、生活を守る」ための覚悟の上での再開だと認識しています。ワクチンが開発されるか山中さんのおっしゃるファクターⅩが解明されるか、根本的な解決策が確立するまでは、個々人が今まで通り(以上)の基本動作の徹底を続けることが必要なんでしょうね。

 

 

 

このブログで政治的なことを記載するのは本意では無いのですが、アメリカでは大統領の(いつもながらの)不適切・不謹慎な言動からデモが暴徒化したり、中国では香港への統制強化のための国家安全法を採択したり(ドサクサに紛れてという意味ではどこかの国と同じですが。どこかの国では茶番以下の展開になって情けない限りですねえ。これもストレスが増す大きな原因の一つですね)。将来、ハラリさんのような歴史学者さんが2020年のことを記載する時には”呆れて筆が折れてしまうのでは”と恥ずかしくなりそうです。

 

 

 

楽しい話題!。NHK俳句です。新年度の新しい放送がスタートしました。五月最終週は、新年度の番組 、楽しみにしていた櫂未知子さんが登場。この番組は他の週の構成とは異なり、俳句初心者から勉強中の芸能人・俳優・アイドルの方々四人が生徒さんとなり、一年に亘って櫂先生に俳句の指導を受けるというモノ。タイトルは「俳句さく咲く」”俳句ゼロからの出発”となっています。まだスタジオに集合しての撮影ではなく”リモート収録”と言われる各所離れた場所からのテレビ会議方式の収録です。

 

 

櫂さんは俳句の世界では”厳しい指導”で有名とか。ご本人もご自分のことを”ハイ、厳しいです”、”口が悪いです”とハッキリとおっしゃっていました。歯切れが良さそう。5月のテーマは「季語って何?」。厳しい指導ぶりでしたが、ポイントを着いているように感じました。改めて認識出来ましたが、俳句の季節は「春」「夏」「秋」「冬」の四季と「新年」を併せて五つある。一句に季語は一つだけしか入れない。何故なら、季語を二つ入れると視点が動いてしまうから。今回の放送では、テキスト4月号と5月号の投句を纏めて紹介、かなり忙しい時間構成でありました。櫂さんが選んだ特選と櫂さんの句を記載しておきます。

 

四月の兼題は「つぼ焼き」、特選(=この番組では「さく咲く俳句大賞」というらしい)は、

 

  壺焼きに天より落つる醤油かな

 

五月の兼題は「鰹」、特選は、

 

  甲板は蘇芳に暮れて初鰹

 

テキストに載っていた櫂さんの句は、

 

  壺焼きや数えて淡き舟ばかり  未知子

 

  閃光をわがものとして鰹かな  未知子

 

4月のテキストで興味深かったところ。櫂さんは「心をこめる、季節の移り変わりを大切にする」という精神論めいたことよりも、まず、「音数を数える」=定型詩としての俳句を徹底することが先決と言い切っています。ご本人は「中七女」と自称するくらい真ん中の七音に拘っているとか。カミ、シモが6音になることは有り得ることながら、中が八音になってしまう場合、名句が生まれた例はほとんどない、との指摘。

 

5月号のテキストでは「季語」について。いわく「他の文芸が頼りに出来るものを一切持たない中で、俳句は『歳時記』に載っている『季語』という強い見方を持っている」、「歳時記は『あなたはけっして一人ではない』と教えてくれる」、「まずは『歳時記』を楽しむ、そこから出発しましょう」、「あれこれ悩まず、『あ、これも季語』と感動することが、俳句の出発点」とのことでした。確かに、「季語」って知っていそうであまり知りませんねえ。勉強しよっ!(と思います)。

 

 

 

明るい話題!。鯱城学園はまだ休校が続いていますが、園芸科では畑作業があります。と言っても、緊急事態の時には各自で行動を自粛していましたから、ほぼ2か月ぶりのことですが(この間は、先生たちが畑の管理を続けてくれていました)、連絡網で、水やり登板・タマネギの収穫の案内がありました。

 

久しぶりに朝、農園に。前日、雨が降っていたので水遣りは不要、タマネギの収穫は初めての経験ですので、うまく出来るのかやや不安ではありましたが、到着したら、優しい班長さんと先生が待っていてくれました。班長さんに手伝ってもらって(というよりほぼ全部、班長さんがやってくれた)あっという間に収穫完了。僕が植え付けしたタマネギは発芽の状態が良くなかったので心配していたのですが、それでも結構な量を収穫することが出来ました。先生たちが収穫したタマネギまでおまけに頂いて、リュックは満杯、かつ、手さげ袋もいっぱい。50-60個は、あったと思います。持ち帰るのが大変でしたが、マンションで小分けにして、お世話になっている方にお裾分け、久しぶりに近所のお店で一杯やりました。少しづつ日常が回復しつつあるように感じます。

 

 

 

  夏めきてカドの居酒屋笑い声  孔瑠々

 

 

 おまけです。

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収穫したタマネギで「タマネギ酢」を作りました。米酢、はちみつを投入。当分は、タマネギ三昧の生活になりそうです。新タマネギは、サラダで食べると美味しいですが、うまく乾燥させると半年から一年は保存できる状態になるそうです。いわゆる普通のタマネギに。乾燥させる時には、タマネギどうしをくっつけない様にと。「密着」はダメのようです。野菜乾燥用のネットのなかに笊を敷いて間を空けて並べ日陰に吊るして乾燥しています。うまくいくかな?。2020年6月1日、撮影。

 

 

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巣籠り生活で「料理」の機会が増えました。TV等でもその種の番組が増えているように。全国あちこちで料理の腕前を上達させて方がたくさん生まれているのでは!、楽しく過ごせれば良いですねえ。チヂミ、そばめし、ニラレバ炒めです。2020年5月下旬に料理、撮影。

『凌ぐ!』2020年5月の日常、その2.

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リトルスノーの花。二年ぶりに咲きました。小雪ちゃんが生まれた年の「母の日」のお祝いに長男(小雪ちゃんのパパ)がカミさんに送ってくれたもの。その時の花が終わった後もカミさんが丁寧に世話していました。咲くとは思っていなかった。エライ!。2020年5月15日、カミさんが撮影。

 

 

文藝春秋はたまに買って読んでいる雑誌です。「芥川賞」の発表の時には全文掲載されますからほぼ間違いなく買って読んでいます。それ以外の時でも面白そうな特集を組んでいる時には買います。6月号も、先月に続きもコロナ特集「総力特集、緊急事態を超えて」で山中さんと橋下さんの対談記事が掲載されていましたので買って読んでみました。 

 

 

お二人は以前から居酒屋で気楽にお酒を飲む間柄だそうです。もっぱら、橋下さんが酔って話するのを山中さんが聞き役になっている由。文藝春秋5月号の記事のことは、4月27日のブログに書いた通りです。

kururupapa.hatenadiary.jp

 

今月号では、山中さんのコメントが大変に興味深く感心して読みました。この記事の時点で、山中さんが気になっているのは「日本の感染拡大が欧米に比べて緩やか」なこと、そして(科学者の目からは)そこには「絶対に何か理由があるはず」と考えているとのことです。今は分からないこの理由を山中さんは「ファクターⅩ」と呼んでいて、認識を共有している研究者間で情報交換しその理由を解明しようとしているそうです。当初から、東アジア、日本で感染拡大が緩やかなことはイロイロな説(かなりのガセネタも含め)が流布していましたが、信頼に足る科学者の方が真面目に研究・解明しようとしていると聞くと何やら安心出来るように思います。頑張って是非とも解明して頂きたいものです。

 

 

もう一つエライと思うのは、橋下さんが「(政治家が)『家にいよう』というメッセージを発してそのまま平気でいることが出来るのは、犠牲となっている方々への共感力が低い」(この橋下さんのツッコミもいいコト言ってますよね。今回の件では、彼を見直しています)と発言しているのに対して、山中さんが冷静に「僕は、被害者は五種類いると思っている」と、大変に分かり易く整理して話をしていることでした。

 

山中さんが分類している被害者とは、①患者さん、②医療関係者の方々、③ずっと社会インフラを支えている職業の方々(警察官、バスの運転手、宅配業者、等々)、④自粛要請で今までの仕事・生活を犠牲にしている方々、⑤同じく、本来受ける治療・看護が受けられない方々(高齢者、等々)、教育の機会を奪われている子供達。「これらの方々をどうやったら守れるのかという話をもっと盛り上げていかないと」との指摘でした。

特に④、⑤については、どこまで政治・行政が関与すべきか難しいところがあると思いますが、なおざりにされる懸念が強いと思います。TVで垣間見る政府・行政の方々のお話は、どうもポイントが明瞭でない、と感じます。是非、論点を明確にしてアクションに移して欲しいものです。

 

 

さらに、山中さん、「この五種類のどれにも当てはまらない人は、自粛すると同時に、この五種類の困っている人のために何かできないかを考えて欲しい」と訴えていました。この対談の帰路、山中さんは「馴染みの居酒屋がテイクアウトをやり始めたので買って帰ろうと思っている」とのことです。チョットしたことでも今だからこそ「利他の気持ち」を大切にする必要がありますよね。今、この瞬間、自分が出来ることを一つでも、二つでも!、実際にアクションですね。 

 

 

名古屋市の宗次ホールさん。コンサートは軒並み中止、延期の状態が続いています。ホール自体も大変な経営環境に陥っていると思いますが、活動が出来なくなって苦境に立たされている演奏家さん達を支援する活動を開始されています。 

munetsuguhall.com

4月15日の演奏家応援企画第一弾です。過去に開催したコンサート、生演奏のDVDを返礼品にして演奏家さん達への支援を募集されているものです。若手演奏家さんがイロイロな場所で行ったライブ演奏が収録されています。こういうライブ演奏のDVDって珍しいかと。僕の知ってる演奏家の方は出てなかったですが、のんびりお酒飲みながらDVDを見る(いや、聴く!)のも乙なものです。皆さま、是非、応援してあげて下さいませ。

 

 

5月14日には、愛知県を含む39県で非常事態宣言が解除されました。同21日には、関西三県(大阪、京都、兵庫)も解除され、残るは、北海道、首都圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)となりました。

 

  解除後もなぜか家飲み五月かな   孔瑠々

 

川柳みたいかな?、反省。ソロリと日常への回復が進みそうではありますが・・・。五月末から六月初めの景色はどうなっているでしょうか。

 

 

 

5月のNHK俳句ですが、前回、記載した通り、コロナ禍で収録が出来なくなり過去の再放送が続いています。

5月第一週は、昨年5月5日の再放送。

5月第二週は、昨年6月2日の再放送。

5月第三週は、昨年7月7日の再放送。

全て、選者は宇多喜代子さん、司会は小林聡美さん。NHKが宇多さん好みなのか、他の週の選者の方の番組は再放送が出来ない取り決めになっているのか、全く訳が分かりませんが、このままでは季節がドンドンずれていくばかり。宇多さん、聡美さんのお話は面白いので僕は楽しく見ておりますが、折角の再放送ですから、もう少し工夫すればよいのにと大変に残念に思います。勉強を兼ねて宇田さん特選三句を中心に記載します。

 

 

2019年5月5日、兼題は「八十八夜」 

 

一席  八十八夜納屋の扉に農事歴

 

二席  銀座にも八十八夜の雨が降る

 

三席  八十八夜一木一草声を出す

 

投句とは別に宇多さんの好きな句の紹介がありました。

 

    逢いにゆく八十八夜の雨の坂   藤田湘子

 

八十八夜は立春から88日目、5月2日か3日ごろ。雨になることが多い日だそうです。春の季語です。

 

 

2019年6月2日、兼題は「豆飯」

 

一席  豆飯や家族の顔が丸になる

 

二席  夕風ややはらかく盛る豆ごはん

 

三席  まめ光りめしつぶ光る豆御飯

 

特選には選ばれませんでしたが、僕が良いなと思った句。孫を思い出しました。

 

    幼子のあのねそいでね豆ごはん

 

選者の宇多さんの句。

 

    手に馴れた箸よ茶碗よ豆ごはん  宇多喜代子

 

食べ物の句は楽しいですね。

 

 

 

2019年7月7日、兼題は「団扇(うちわ)」

 

第一席  足元へ胸へ顔へと水うちわ

 

第二席  おぐたび海豚(いるか)の跳ねる団扇かな

 

第三席  団扇より蕪村の一句香りたつ

 

やはり季語俳句はその季節に味わうのがよろしいようで。

この年度の宇多さんのテーマは「昭和のくらし」です。毎回、昭和の香りがする道具が登場します。宇多さんがご自宅から持参されているものが多いようです。「ちゃぶ台」が出てきたり、「おひつ」を紹介したり、はたまた、電気が無い時代、ブロック氷で冷やして使う「冷蔵庫」の使い方を説明したり、僕たち世代にはなんとも懐かしい景色。昭和も遠くなりつつあるのでしょうね。

 

 

 

鯱城学園は、5月11日付けのお知らせ葉書では、6月以降も登校禁止、再開の時期は未定となっています。それでも園芸科では、先生と農園近くの有志の方が春播きの種まきをやってくれていて、水遣りだけは順番に各班のなかで日程を決めてやることになりました。生育中の玉ねぎの収穫も6月上旬には行うことになりそうです。

 

 

 

おまけです。

偶にはいつもの平和公園ウオーキングコースから離れ、近隣の歴史散策コースを開拓しようとしています。城山八幡宮、旧末盛城跡に行きました。織田信行の居城です。たまたまですが、前回のNHK大河ドラマ麒麟がくる」で、信行(TVでは信勝)が登場していました。信長暗殺を試みて失敗、逆に信行が打ち取られてしまいました(この出来事の舞台は、末盛城ではなく、信長の那古野城でのことです)。この番組もコロナの影響で撮影が中断されており、とうとう6月14日からは放送中止となるそうです。戦国歴史モノは面白いですね。地元が登場するのも楽しいものです。久しぶりに毎回見ているのにホントに残念なこと。

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名古屋市千種区にある末盛城跡。看板は「末森」表示ですが、案内には「末盛」が使用されています。近隣の住所も「末盛」です。城跡は、明治になってから城山八幡宮となり、近隣の複数の神社が合祀されたそうです。右は御神木の「連理木(れんりぼく)」、一度分かれた幹が再び連なって成長しています。名古屋市内では最大のアベマキ。

 

 

隣にある謎の洋館。 

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末盛城跡、城山八幡宮の社の西側にある何やら由緒のありそうな立派な建物。帰ってから調べたら、関東大震災のあとの昭和3年(928年)に建てられた「昭和塾堂」とのことでした。末盛城の二の丸辺りの場所。青年教育の場として建設された由。満州事変の直前の時期ですが、軍国主義、軍事教育とは一線を画した青年教育のための施設。建物の形は上から見ても横から見ても「人」の文字の形になっており「人づくり」を象徴するものであったと。戦後は、一時、市庁舎、県庁者としても利用されていたそうです。現在は立ち入り禁止になっています。