クルルのおじさん 料理を楽しむ

「飲酒ガイドライン」

今朝(2月20日)の日経朝刊に掲載されていました。

厚労省が「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン」を正式決定して2月19日に公表したもの。興味と関心はあったのでHPで全文読んでみました。記事にある純アルコール量(20g)を可視化した図表はありませんでしたが、「疾病別の発症リスクと飲酒量(純アルコール量)」の表が掲載されていました。確かに「純アルコール量」で説明する方が分かり易いと感じます。

「高血圧」「食道がん」は少量でも飲めば発症のリスクが高くなるそうです。「大腸がん」は20g/日以上で。「一日当たりの適度なアルコール量」というのは記載されていないのですが、発症リスクを示すことにより「アルコール健康障害の発生を防止する」、「不適切な飲酒を減らす」ために活用されることを目的としているそうです。

 

とにかく飲み過ぎは以ての外。一週間のうち飲酒しない日を設ける。飲む前、飲む時には「食べる」。飲む時には「水を飲む」。のが肝要のようです。僕はこの注意事項の二つ「飲む時には『食べる』『水を飲む』」だけはクリヤー出来ていますので、少しは安心(?)しましたが、そろそろ真剣に「飲む量」「飲む頻度」に注意しながら飲むことを心がけようと考えています。

 

資料として「海外のガイドラインに記載のある飲酒量(純アルコール量)」が添付されていました(ただし、各国ごとに基準、位置づけが異なるので単純比較は難しいそうです)。欧米が概して厳しいガイドライン。カナダが一番厳しい=26g/週(=4g/日!)、イタリアが二番目に厳しい=12g/日、次いでオーストラリア、イギリス。日本の基準を20g/日と捉えるとこれらの国が日本よりも厳しい基準。大らかなのは、アメリカ(28g/日)、ロシア、ニュージーランド(ともに30g/日)、韓国(40g/日)。”イタリアが二番目に厳しい”、というのは”呑み助が多いからガイドラインが厳しくなっているのか”と勘ぐってしまいます(スミマセン)。

 

 

NHK俳句です。2月第二週、選者は山田佳乃さん、ゲストにはエッセイスト・タレントの小島慶子さん。今週の兼題は「針供養」。2月8日が針供養の日とか。淡嶋神社に出向き神前の豆腐や蒟蒻に古い針を刺して供養する。京都、関西では2月ではなく、12月8日に行われる由。淡嶋神社の起源とされる和歌山県淡嶋神社では2月8日。東京、関東も2月8日。場所、地域で異なっています。面白いですね。名句の紹介がありました。

 

   古妻や針の供養の子沢山   飯田蛇笏

子沢山の時代、上の子の服を繕っては下の子に着せていた時代。僕らの小さい時はこの風情が残っていました。懐かしい。

特選六句で面白いと思った句です。

   着流しの男ぶりなり針供養

一瞬、テリーちゃんのことが頭を過ぎりました。たまに作務衣っぽい和服姿で飲み会に登場します。なかなかに着こなしが良くてよく似合ってます。

 

特選三句です。

一席   空を縫う雨音ゆかし針供養

二席   まち針の影のはなびら針供養

三席   針供養女のひとり老いゆきぬ

 

改めて角川の歳時記を見てみると、「春」と「冬」の季語の両方に記載がありました。句を読んでみましたが、何故「春」に収めているのか、あるいは「冬」なのか、僕にはよく分かりませんでした。難しいものです。

 

 

第三週、選者は村上鞆彦さん、ゲストにはナント本物のテリー伊藤さんが登場。今回のテーマは「老い」ですが、テリーさん「『老いる』なんて何も良い事無し---生きてるだけでめっけもん---『ままならないこと』をやる」、それで70歳近くになってから大学院に入り修士になったそうです。

「老い」をテーマにした名句(テキスト記載も含め)です。面白い句がたくさん紹介されていました。

 

   衰や歯に喰いあてし海苔の砂   芭蕉   (衰=おとろい)

   老人のかたちになって水洟かむ   八田木枯   (水洟=みずばな)

   蛍の夜老い放題に老いんとす   飯島晴子

   狐火を詠む卒翁でございかな   阿波野青畝

「蛍の」句、”食べ放題”、”飲み放題”、”言いたい放題”、等の用例のなかでテリーさんも司会の柴田さんも「老い放題」を絶賛していました。楽しい、良い句ですねえ。

 

今週の兼題は「海苔」、特選三句です。

一席   有明の海苔ぞ厚かぞ濃ゆかぞと

二席   海苔干すや海を嫌いになどなれぬ

三席   海苔汁をふはりふはりと飲みにけり

「海苔干すや」の句は石巻市の方の句です。

 

テリーさん、久しぶりに拝見(TVでしかお目にかかったことはありませんが)、お元気でなによりでした(ちょっとふっくらしたかな)。ググったら1949年生まれ、僕より一歳年長さんでした。友達のテリーちゃんは数歳年少さんです。

 

テリーちゃんに紹介してもらった「うお浜」のことを記載したブログです。

kururupapa.hatenadiary.jp

陶芸クラブの仲間で中国杭州出身のS君と「うお浜」で飲み会をすることになりました。その日の午前中、たまたまラインでテリーちゃんと交信していたら「夜は空いているから参戦してもよいですか?」と。

結局、夕方5時の開店から10時くらいまで延々と飲み放題、おしゃべり放題を続けました。お二人はまだ若いですが(S君は、33歳でした。僕の子供達より若かった!)、僕一人「老い放題」。ご迷惑はかけなったと思いますが、調子に乗って飲み過ぎは良くありませんね。大変に楽しく歓談できましたが、ちと反省です。「ガイドライン」からは勿論大きく逸脱していました。

 

「男の料理教室」です。

   

「タラの磯辺揚げ」「とろふわ、たらこ豆腐」。薄切りの餅をのせたタラの磯辺揚げが予想外の旨さ!。「とろふわ、たらこ豆腐」もブロッコリー、えのきを入れて美味しく頂きました。92歳の長老さんと近くの席になり、ビール、日本酒を楽しく頂きました。缶ビール一個とコップ酒、これだと何とかガイドラインに収まっているかな(夜の部は別にしてですが)。

 

おまけです。水墨画、先輩に追いつくために一人「四君子」の練習です。

   

「蘭」2点。2月3日、撮影。

   

「梅」2点。左「白梅」、右「紅梅」(のつもり)。2月16日、撮影。
4点とも有名な水墨画の先生の作品を真似して描いたモノです。この後は「四君子」最後の「菊」に挑戦します。クラブの先輩達は「雪山」「冬山」「里山」等を描いていますが、僕はまだまだそのレベルにあらず。当分はマイペースで練習を続けたいと思います。先輩たちが優しく、厳しく講評してくれるのが励みになります。

 

 

「暦の上では」

2024年の立春は2月4日。「暦の上では春」ですが今から寒い日々が続くことになりそう。2月3日の日経の「あすへの話題」に土井義晴さんの「オーガニックな暦」という記事が掲載されていました。以下、全文コピーです。

 

『オーガニックな暦』

「暦の上では春」と言われた暦とは旧暦。ならば、邪気を払う鬼やらいの豆まきの日の節分は新年を迎える前日の大晦日(おおみそか)。その翌日が新春の正月だ。大寒のすぐ後に春が来る旧暦(太陰暦)は、人間の目にみえる月が満ち欠ける29.5日に基づいたもの。今のカレンダーは地球が太陽を回る一年約365.25日を基点にした新暦太陽暦)。

日本人の発明である歳時記は、季節の移ろいを暮らしの暦に照らした美的表現。睦月(むつき)(新暦2月)に梅の花が咲き、弥生になれば、白蓮(びゃくれん)、桃、半ばに山椒(さんしょ)が芽吹く。卯月(うづき)(新暦5月)、春たけなわの桜に筍(たけのこ)、桜鯛(さくらだい)。皐月(さつき)(新暦6月)、新緑の夏が来て、初なりの茄子(なす)がそろそろ。文月(新暦8月)、露地もんの小ぶりな茗荷(みょうが)が出回り、秋が来る。

気温に合わせ4分割したカレンダーの春は3、4、5月。夏は6、7、8月。秋は9、10、11月。冬は12、1、2月。そうしたら、はしり、さかり、なごりという細やかな季節感とは、ずれた。すると新暦の無機質な時計の時間に支配され、季節の移ろいを知る機会を失い、感性は鈍る。

「暦の上ではとっくに春なのに、今朝はずいぶん冷え込みましたね」「そろそろ花が咲きますね」と挨拶を交わす。大自然とあなたと私は一つである。人間だけじゃなくそれぞれの生命に社会と時間があるという。

目玉焼きを蓋はしないで弱火で焼く。やがて白身は盛り上がり、黄身はナイフを入れても流れない。早く焼き上げたいという我を無くし、卵にまかせたら、人生一の目玉焼きが焼けた。花鳥風月というオーガニックな時間をメインにしたらおもしろい。

さて、私も季節の時間の今を生きていく。

土井善晴、日経「あすへの話題」、2024年2月3日)

・・・・・

 

土井さんらしい美味しそうな「暦」の記事を楽しく拝見しましたが、いつもこの種の「暦」に纏わる書き物を読む時に、僕自身、旧暦と新暦というのが相変わらず分かったようで分かっていない(時々、全く分からなくなる)と感じています。

偶々ですが、今日(2月10日)の日経「くらし探検隊」に「日付が毎年変わる旧正月春節)」という記事が出ていました。昨年の旧正月は1月22日、今年は2月10日、来年は1月29日、と大きなブレがあります。この理由はこの記事を読むとそれほど抵抗なく理解が出来ました。以下、解説の要約。

 

旧正月は旧暦の正月のこと。旧暦は月の満ち欠け(新月から新月まで)を一か月=約29.5日としているから一年は約354日。太陽の動きに沿っての季節は約365日の周期で変化するから、旧暦では年々、暦と季節がズレる。この為に2~3年に一度「うるう月」を導入して一年を13カ月としてそのズレを修正する。太陽暦は暦と季節が合うのが特徴だ。」

なるほどと思いながら、ちょっと待てよ。” 立春は毎年2月3日、4日辺りで一定している。旧正月のブレほど大きくないのは何故なのかしら ”。以前、疑問に思ったことで再度悩むことになりました。

 

ググること約一時間。「国立天文台」のウェブに分かり易い解説がありました(多分、昔、見たことがありそう)。以下、その要約。

・・・

立春」は「二十四節気」に基づくモノ。月の満ち欠けを基にした暦では実際の季節と合致しないから、農業従事者には季節を知る手立てとして「二十四節気」が使われていた。こちらは太陽の動き=昼と夜の時間を元にして決めたモノ。現在の暦も太陽の動きを元にしているため、現在の暦で二十四節気の月日は毎年ほぼ同じとなる。

・・・

おおっ、何と分かり易い解説。これでスッキリしたような。さらに丁寧な解説が続いて記載されていました。

 

「旧暦の方が季節に合っている、と感じている人が多いのは何故だろうか?」

この疑問に対する答えは、

「『旧暦』から現在の暦への日付の読み替えがうまくいっていないから」

「『旧暦』の日付をそのまま現在の日付に移してしまったことがあるから」。

改めて今日の日経記事「くれし探検隊」を読むと良い解説が掲載されていました。

「伝統的行事は旧暦に由来するものが多い・・・。中秋の名月のように旧暦の日付を守る手法。端午の節句のように旧暦の日付を生かして新暦に置き換える手法。8月の盆のように旧暦の日付を一か月遅らせる『月遅れ』という手法。」

 

イロイロな「読み替え」方法を使っているから、ややこしく感じてしまうのでしょうね。今回は、結構、スッキリした気持ちになりました。

土井さんの真似をして「さて、私も季節の時間の今を生きて」いきたいと思います。

 

 

NHK俳句です。第一週は夏井いつきさんの「凡人からの脱出」。今週の兼題は「入学試験」。春の季語、傍題には「受験生」「受験子」等があり。脱ボン句で紹介された句です。

   受験子の御守り三つ梅模様

「梅」も季語ではあるがこの句の場合の梅は御守りの柄にすぎない、「受験子」が明確に季語である。季重なりと言わないで良かろう、との解説がありました。

季重なり」は絶対にダメというものではないが、季語=主役が二つ登場することになり、どうしても焦点がボヤケル。「主」「脇」を明確に、メリハリをつけるべし=初心者は無理しない方が良い、と分かり易い説明がありました。特選6句で面白いと思った句です。

   二日目は居らず隣の受験生

   野球部は雪かき入学試験の日

 

テキストを見たら4月以降の選者が紹介されていました。第四週の高野ムツオさん以外は全て交代、新しい選者さんになります。夏井さんの「凡人からの脱出」は三月で終了の様です。

 

日経俳壇、2月3日の句です。

   師の見つめし光求めて葱刻む

「黒田杏子さんの代表句を思う」と選者の横澤放川さんの評。

   白葱のひかりの棒をいま刻む   黒田杏子

いい句ですね。

もう一句、神野紗季選。

   ただならぬ災禍こたつにゐて良いか

 

陶芸の仲間と話していたら、僕たちの先輩達(=立派な元気な後期高齢者さん)が何人かチームを組んで被災地のボランテイア活動に応募したことが話題になりました。仲間達のほとんでは(揶揄するつもりは全く無いのです)「二次災害を起こさない様に」「逆に迷惑を掛けない様に」という意見でした。仲間の一人はハッキリと「年寄りは出しゃばって人に迷惑かけてはダメ。出来る範囲で金銭的な支援に応じるのが一番である」と言い切っていました。僕は恥ずかしながらここまでクリヤーに言い切れないし、”金銭支援しか他に出来ること無し”と言われると忸怩たる思いがしますが、実際にはその通りだなあと感じてしまいます(但し、支援活動に名を借りたサギも多いそうですから、公的機関への寄付、信頼出来るルートでの支援を心掛ける必要がありそうですが)。

 

引き続き、楽しい会食(飲み会)を続けています。あほ桐の集まり、テリーさんとの会食、、。ドラゴン先生には再度、件のラーメン屋さんにご一緒してもらいました。注文を取りに来てくれたお兄さんに訳を話してお礼の菓子折りを渡したら、その方が店の看板の台の上に置いてあったカギを見つけてくれた方でした。嬉しい限りです。

 

しし鍋「20周年」も無事に楽しく何時ものメンバーが元気に集まって行うことが出来ました。女将さんが支援金ボックスを設置していて、お客さんにお釣りを寄付するように呼び掛けていました。大変に信頼出来る女将さんなので、皆、喜んで応じていました。輪が広がると良いですねえ。

 

  

暮しの手帖」、2-3月号。「そこにはいつも歌があった」。歌手、沢知恵さんが「国立療養所、長島愛生園」で2023年10月9日に行ったコンサートを基にした記事です。ドラゴン先生は引き続いて関係者の方々との連絡を取り続けているそうです。継続して関与しているというのはエライですねえ。

 

「世界のオザワ」、小澤征爾さん、2月6日にご逝去。今日(2月10日)の日経俳壇の句です。横澤放川選。

   秋時雨続々昭和の男逝く

モチロン、小澤さんの死を悼んで詠んだ句では在りませんが、昭和が益々遠くなってきているなあ、と感じました。小澤さんは1935年(昭和10年)9月1日、お生まれ。

全くの蛇足ですが、何故、この時節の選句に「秋時雨」なんだろうか。「季語」「季節感」、やはり難しいです。

オザワさん、謹んで哀悼の気持ちを捧げたいと思います。

 

 

陶芸作品、2024年その1.

楽陶館、陶芸・研究cコースの作品が焼き上がりました。三回作陶して素焼きしてもらい四回目に施釉。一回のコースは12週(12回)ありますので、三回、作品を焼き上げてもらえます。cコースでの初めての作品です。自分の備忘録としての作品メモです。お付き合い頂ければ嬉しいです。

 

これが今回のメイン作品。直径25㎝強のお皿。今まで最大の大きさ。織部を上下・左右から掛けて(中心には掛けないで)、青呉須で模様を描いてから透明釉を全体に掛けました。写真写りはそれ程悪くなさそうですが、実際には余りスッキリしない色合いです。ロクロでの成形は上手く出来たと思っていたのですが、焼き上がりは一部、平坦でなく形が少し歪んでいました。青呉須の模様は透明釉にクッキリと出ています。そのうち水墨の腕を磨いて何か描きたいものです。

 

  

小皿。近所でハナミズキを剪定していたので枝をもらいました。タタラで5~7㎜の板を挽いて、その上に枝を押し付けて模様をつけたもの。

釉薬、左は織部→乾燥、一部を拭き取り→青磁を二重掛け。右は青磁。現物の色合いは青磁一色の方が鮮やかな様に思います。

水墨画の落款用にイニシャルを刻んだゴム印を追加で作ったのですが、それを押し付けてみました。左の方、クリアーに出てくれて面白いなあと。

 

  

左、同じくハナミズキの枝とマンションにある千両?の実を押し付けて模様を付けました。青呉須と赤化粧で色付けして白マットと透釉釉を。これはなかなかいい感じに仕上がりました。右、ロクロでカップを。取っ手を付けて、模様にラインを刻んで鎬を加えました。織部青磁で施釉。薄く作ったつもりでしたがまだ重たかった。色合いも今一歩です。

 

いつもの仲間と作品が焼き上がった時にはお昼を食べながらお互いの作品の鑑賞をやっています。比べてみるとやはり僕のは粗っぽい(丁寧でない)のが目に着きます。仲間は「味があってよい」と優しく慰めて?くれますが、もう少しナントカしたいものです。当初は気にならなかった(気にしていなかった)のが気になりだしているのは少しは観る目が出来てきたからかしら。

 

 

NHK俳句です。

一月の第三週。選者は村上鞆彦さん。ゲストは松田ゆう姫さん、松田優作さんのご長女。今週のテーマは「不意の出来事」。元旦の地震のショックが今も続いていますから、よくぞこのテーマを設定したと驚くばかりでした。番組、テキストで紹介された句です。

   一瞬にしてみな遺品雲の峰   櫂未知子

   車にも仰臥という死春の月   高野ムツオ

ムツオさん(第四週の選者さん)は宮城県多賀城市在住で、外出先で地震に遭い歩いて帰宅、その時に津波被害の惨状を目の当たりにしたそうです(テキストの解説)。テキストには「2019年末から始まったコロナ禍、これも不意の出来事と言えます」と。

   不要不急の新茶を買ひに外出す   仁平勝

「飄々とした可笑しさのなかに、己を曲げぬしたたかさが窺える」(鞆彦さんの講評)。

今週の兼題は「悴む(かじかむ)」。

入選句です。

   促され遺影を持つ手悴める

特選三句です。

一席   薔薇窓のひかり悴む掌にもらふ

二席   傘の柄に悴む通夜の拳かな

三席   悴むや竹刀に当たる日の光

薔薇窓はステンドグラスがはめ込まれた円形の窓のことだそうです。

 

第四週、選者は高野ムツオさん。今回も「句会」です。メンバーは俳人の西山ゆかりさん、木暮陶句郎さん、ゲストの伊集院光さん、中西アルノさん。伊集院さんは二回目の登場。句会のテーマは「扉」。点数の多い順です。

5点   落第の額扉に押し付けて   ゆりこ

5点   冷蔵庫の扉開ければ林檎姫   ムツオ

2点   回転扉でて春服のすそひらり   アルノ

2点   初見舞扉内外笑支度   光

1点   扉絵は夢二のをんな暖炉燃ゆ   木暮

 

今回も楽しい面白い句会でした。ムツオさんが「林檎姫」とカワユイ表現をしたので盛り上がっていました。アルノさんの句、「でて」はあえて言う必要が無いのでは、という俳人からの講評に対し伊集院さんが「でて」で「本人が出て」ということが分かり情景が浮かぶ、と指摘していました。なるほど、と感心しました。伊集院さん、前回(10月第四週)では最高点でしたが、今回は、やや悔しそうでありました。

木暮さん、「夢二忌俳句大会」を主催している由。竹久夢二美人画家として有名ですが、多くの俳句を残していたそうです。9月1日が忌日、秋の季語。2024年は夢二生誕140年、没後90年の節目になるとのことです。

 

特選三句です。

一席  寒夜の扉ひとりになっただけのこと   (寒夜の扉=かんやのと)

二席  はつゆきや絵本の扉よりうさぎ

三席  冬の星扉はそっと閉めてよね

一席の句、ムツオさんが「俳句では『辛い』『寂しい』『怖い』等の感情は詠わないのが良い」と講評しておられました。確かに「潔い」と感じます。 

第四週、句会の講評は勉強にもなるし、”楽しい”、”面白い”番組になっています。但し、俳句では、ここで”楽しい”、”面白い”と記載しないで、それを表す言葉を探すことが出来れば良いのでしょうね。やはり難しいです。

 

 

名古屋の隠れ家にいる時でも、神奈川の自宅にいる時でも、家族以外との食事会(=飲み会)の機会が多くなっています。コロナで激減した反動が徐々に出てきているのでしょう。元気な年寄りは出来るだけ外に出て、おしゃべりする機会を持とうと努力!しているのもその原因の一つかも知れません。年寄りが集まると「健康」「体調」「病気」「薬」の話題から始まり「物価高」「パーテイ券」「大統領選」まで話が広がりますが、最近はやはり「地震」「災害」の話題が。

阪神淡路」から「能登半島」までを考える時、東京・神奈川から愛知にかけての地域がナント有難く、大きな災害に見舞われていないことか。

村上鞆彦さんのテーマ「不意の出来事」のテキストをもう一度読み直してみようと思いました。

 

鍵が見つかった!

久しぶりに読書のお話です。千種図書館に頼んでいた本の貸し出し準備が出来たという連絡を頂きました。年明け、バタバタしていましたが、少々はバタバタしている方が本を読みたいと言う気持ちが強くなる、読書の集中力は高まるものかも知れません。

「悪意の科学」。筆者はサイモン・マカシー・ジョーンズさん、ダブリン大の心理学准教授で幻覚症研究の権威の由。プレシ南日子さん訳。インターシフト合同出版、2023年1月第一刷。副題にある「意地悪な行動はなぜ進化し社会を動かしているのか?」、第一章の「たとえ損をしても意地悪をしたくなる」(のは何故?)、第六章の「勝たせたくないから投票する」(2016年の米大統領選、トランプvsヒラリークリントン、について)等々、興味深い記述がありました。反面、何かにつけ「悪意」「意地悪」をこじつけて繋げている箇所が気になりましたが全体として面白く読むことが出来ました。

 

この本を読んでしばらくした時の日経・春秋の記事です。1月17日付け。

東日本大震災の行方不明者の遺骨や所持品が、岸辺に漂着していないか。今も警察や海上保安庁が人知れず、地道な捜索活動を継続していることをご存じだろうか。おそらく世界に類例のない公務であろう。なぜ、そこまでするのか。一昨年の秋、捜索現場を取材した。

福島県富岡町の海岸で警察官が整列し、沖に向かって黙とうをささげていた。消波ブロックの隙間を熊手でかき出す作業を繰り返す。警官のなかに、大阪府警から志願して来た30代の男性がいた。聞けば、1995年の阪神大震災兵庫県の母親の実家が半壊したという。「被災地で貢献したかった」と志を語ってくれた。

▼「被災地のリレー」という言葉がある。助けてもらった恩を、別の被災地で返す。見ず知らずの人々への返礼を求めない贈与である。阪神大震災の被災者は2004年の新潟県中越地震の際、炊き出しなどに尽力した。中越地震の被災者は東日本大震災仮設住宅に救援物資を届けた。新たな社会を築く希望かもしれない。

▼ボランティアはかえって迷惑だ。義援金を送ればいい。近年、こんな空気が広がっていないか。確かに宿泊や食事のあてもなく現地入りするのは迷惑だ。ただ、行政の指示で動員される存在ではないはずだ。阪神大震災からきょうで29年。能登半島地震の現場でも、民間の善意と知恵を生かす共助のあり方が問われている。』

 

「被災地のリレー」っていい言葉ですねえ。「見ず知らずの人々への返礼を求めない贈与」、日本人の特性なんでしょうか。「自分にコストが掛かってでも利他を行おうとする行為」=「善意」。「悪意の科学」の真逆の話です。大切にしていきたいモノだと思いました。

今年の米大統領選。「悪意の科学」ではありませんが「悪意が政治を動かす」ことになりませんように。

 

 

NHK俳句です。一月第二週。選者は山田佳乃さん、ゲストは映画監督の安藤桃子さん。今週の兼題は「寒造」。「寒中に酒を造ること、また、作られた酒のこと。古来寒中の水は身体によいと・・・」(テキストの解説から)。テキストに載っていた句です。

 

   もと歌につづくくだかけ寒造   西山泊雲   (”もと”は舟編に「元」、酒母のこと。酒作りの仕事の運びは「唄」によっていた。「くだかけ」はニワトリの古い名前で、朝早く鳴くニワトリの声を言っている(テキスト解説)。

   寒造震災耐へし太柱   井上芙美子   

この震災は阪神・淡路大震災の由(テキスト解説)。

 

番組でも紹介された句です。

   寒造酒を神とも我が子とも   上野一考

 

特選句で印象に残った句です。

   大枡に能登の塩乗せ寒造

   東北に玉風来たり寒造

「玉風」は日本海沿岸、北西からの季節風。地域特有の言葉で季語にもなっているとか(地貌(ちぼう)季語とも言われるそうです)。大枡の句(投句の締め切りは昨年11月です)、早く能登が安寧を取り戻しますように。

 

特選三句です。

一席   静の杜氏動の蔵人寒造

二席   銀色の闇へ目をやる寒造

三席   角張って角張って呑む寒造

 

 

18日(木曜日)、今年初めてドラゴン先生と会食。「龍」年の山歩きの年間計画をしようと。予約したお店に約束の時間の5分前ぐらいに到着した時、ドラゴン先生から携帯に電話が入ってきました。”ムッ、これはきっと遅れることの連絡であろう”と思いましたが然にあらず。「ウナルさんがタマタマ打ち合わせで事務所に来ている」と。ウナルさんはかつての僕の後輩。勿論モアザンウエルカムなので(怖い顔をした)お店のご主人に頼んで席を作ってもらいました(人気のお店でこの日もほぼ満席、予約した時もカウンター席二人分しか空いていなかった)。やや嫌そうな怖い顔をしたご主人に対しても丁寧にお願いして席を作って頂くことが出来るようになりました。年の功ですかね。

 

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かつての「ウナル後輩」が登場するブログです。懐かしいです。

 

ドラゴン先生とも本年初めて、ウナルさんとは何年振りになるのか、当然に話は大変に盛り上がりあっという間に時間が過ぎました。現役パリパリのウナルさんドラゴン先生と打ち合わせのあと東京に移動する予定をしていたので、時間を惜しんでの会食となりました。早めに店を出てウナルさんは名古屋駅に。ご苦労様です。

コロナ以降、夜の会食に「二次会」という言葉は死語になっていると思いますが、ウナルさんを見送って、さあどうするか。こんな時にトンデモナイことを言い出すのがドラゴン先生です。普段は「糖質制限」等々を声高に唱えているお方ですが「〆の料理を食べなかった。すぐ近くによく知っている旨いラーメン屋があるが、どうする」。女性にデザート・ケーキ、ドラゴン先生にラーメン。どちらも別腹ということでしょうか。確かにお気に入りの店はすぐ近くにありました。

お互いにラーメンを頼み、二人でビールを一本だけ頼み、元々の主題である「山歩き」の話で盛り上がりました。よくおしゃべりして気持ち良く帰路に。食べ過ぎですが、飲み過ぎでは無い。しっかりした足取りで隠れ家に到着しました。

ここで大事件発生。カギが無い!。酔って朦朧としている状態ではなく、ポケット、バッグを二回ほど探しましたがやはり無い。幸いに予備の鍵は秘密の場所に置いてあったのでそれを取り出して部屋の中に入りましたが、カギが無い、ということに納得がいかず。着替えをしてからもう一度、衣服のポケット、バッグの中身をチェック。やはり無い。どこで無くしたのか?。

冷静に(自分では)記憶をたどりました。カギは携帯(電話)と同じポケットにしまっていた。最初のお店でドラゴン先生と電話した後に携帯は席に置いたままにしていた。お店を出る時にドラゴン先生から「携帯を忘れているぞ」と注意されて驚いて受け取った。ポケットにしまった。その時点では間違いなくカギはポケットにあった(はず)。二軒目のラーメン屋さんで携帯を取り出した(何かを検索した)。その時の携帯の出し入れの際に誤ってカギを落としたのでは。

我ながらの名推理に元気が出て来て、急いでラーメン屋さんに電話を入れました。事情を話すと極めて丁寧な対応。ちょうど閉店後のお掃除が終わったところだが残念ながら落とし物は何も見つかっていないと。万事休す。

 

最近は忘れ物は多々あるのです。傘を忘れたり、持っていくべきものを忘れて外出してしまったり、先方に渡すために持って行ったものを渡すのを忘れてそのまま持ち帰ったり、全く、マンガのような忘れものが多くなっています。でも、落とし物をしたことは無かった。夜、ベッドに入っても依然として釈然とせず、極めて寝つきの悪い一夜となりました(といっても良く寝ていたと思いますが)。

翌日、諦めの悪い性格かと自分でも驚きましたが、再度、カバンと衣類を総点検。当たり前ですが、やはり、無いモノは無い。お昼ごろ、お店が営業開始する時間を待って、もう一度ラーメン屋さんに電話、一軒目のお店にも電話。有難いことに両方ともに親切な対応をしてくれましたが、やはり落とし物は無しであったと。”もはやこれまで、諦めよう”と自分に言い聞かせました。

 

翌々日、今日(20日、土曜日)のことですが、気持ちを切り替えて、陶芸クラブ、水墨画クラブ、その後、長男宅での食事会に。夕方、長男のマンションに行く時まで携帯をチェックすることも無かったのですが、気づくとラーメン屋さんから昼頃に電話が入っている!。もしかしたら!。お店の夜の開店時間を待って電話しました。ビンゴ!。

なんと店内ではなく店の前の通りにあるそのお店の看板の台の上に鍵が置かれてあったそうです。誰が置いてくれたものやら。また、お店の方に僕の電話を伝えていた訳では無かったのですが、先方の電話にはこちらの電話番号が自動的に記録されていて(これは飲食店では良くありそう)、結果的には僕が当日の夜と翌日の昼に二回電話を入れていたのが幸いして、鍵を見つけた時に(二回電話を入れてきた)この人であろうと推測して僕に電話してきてくれた様です。奇跡としか言いようがありません。

 

新京・伏見店。御園座の東側の筋を入った直ぐの処です。ラーメンはドラゴン先生のお墨付き、勿論、旨い。ツマミにはゲソカラ(ゲソのから揚げ)が名物。僕のカギはこの看板の台の上に置かれていたとか。僕の推理は全く外れで、どうしてお店の外で落としてしまったのは全く分かりませんが、お店の方の丁寧・親切な対応、カギを台の上に載せてくれた方の「善意」に感謝、感謝です。

 

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昔のブログで同じく「鍵」を描いた記事がありました。これも懐かしいです。

 

 

おまけです。水墨画「竹」です。

  

昨年からの宿題、「新年を寿ぐ」がテーマでした。僕は水墨画の基本教材とされている四君子「竹」「蘭」「梅」「菊」の「竹」を練習していたので「竹」を見てもらいました。仲間、先輩が暖かく講評してくれました。嬉しい限りです。

 

 

2024年、年明け

大変な年明けになってしまいました。ちょうど、長男のマンションでカミさんと二人だけで留守番をしている時でした。緊急地震速報のブザーが鳴り響くのとほぼ同時に震度4の恐ろしさを感じました。能登半島地震。現地、最大震度7

長男は一時帰宅していた嫁さんを病院に送りに行っている途中でした。小雪ちゃん、司くんも一緒に。クルマの中では揺れは感じることが無かったそうです。子供達が恐がらないで済んだのが何よりだったと思いました。

地震発生後一週間以上経過したのに、まだ被害の全体が把握できていない状態が続いています。一昨日から冬将軍の到来、輪島市珠洲市などで道路の復興の遅れ、停電・断水、孤立状態が伝えられています。死者は202人に、この内6人は災害関連死(日経1月10日、朝刊)。お祈りするしか無い、堪えられない状態です。

 

お陰様で長男の嫁さんはその後、無事に退院することが出来ました。まだ体力の回復には時間が掛かりそうですが、一家四人の平常の生活に戻りつつあります。里帰りしていたお母様も一昨日(1月8日)帰って来てくれました。

 

長男が宿直勤務で不在の時、じじ・ばば二人で小雪チャンと司くん二人の世話をしましたが、思ったよりもスムーズに出来ました(カミさんがほとんど全部やってくれたから)。二人も状況をそれとなく理解してくれている様で僕からすると大変に良い子で、小雪チャンはすっかりとお姉さんの役割を果たしていました。僕が活躍したのは二度だけ。小雪チャンと司くんを連れて三人で買い物に、上手くいったので翌日にもう一度近所の公園に遊びに行きました。一人で二人を見ているのは大変でしたが、一緒に楽しい時間を過ごすことが出来ました。事故も無く二人を無事に長男夫婦に引き渡せたことでホッとしています。

 

駄句です。

   元旦や二歳の影は五メートル   孔瑠々

 

 

新年のNHK俳句です。一月、第一週は夏井いつきさんの「凡人からの脱出」。今回の兼題は「氷」。冒頭に「兼題の誤解」の解説がありました。番組では兼題として季語の「氷」が設定されているのですが、この「氷」の捉え方を誤解した投稿が多かったと。即ち、季語としての「氷」ではなく、テーマ、言葉として「氷」を詠めば良いと誤解した投句が多かったそうです。たくさんの季語を例にとって説明されていました。「氷」「蝉氷」「スケート」「滝氷る」「氷柱(つらら)」「氷雨」「氷菓」「氷水」「花氷」「流氷」「薄氷(うすらい)」「氷嚢(ひょうのう)」。

この中で兼題「氷」にOKな季語、言葉は最初の二つ「氷」と「蝉氷」だけだそうです。「スケート」「滝氷る」「氷柱(つらら)」は冬の季語ですが「氷」とは別な(独立した)季語。「氷雨」も別な季語で夏、冬ともに使われるとか。「氷菓」「氷水」「花氷」は夏の季語。「流氷」「薄氷(うすらい)」は春の季語。「氷嚢」に至っては無季、季語では無い。

「蝉氷」とは蝉の翅(はね)の様に透き通って薄い氷のことだそうです。「氷」の傍題。綺麗な表現ですねえ。今回は、これが一番面白かったです。

 

脱ボン、特選句のなかで面白いと思った句です。

脱ボン   丁寧に氷割り行く遅刻の子

特選句   厚氷ぽこんと抜けばみづの息

 

駄句です。

   蝉氷二歳の靴に踏み割られ   孔瑠々

(後で調べたら僕が持っている角川の歳時記には「蝉氷」は載っていませんでした。季語は難しいですねえ)

 

1月7日(日)、ピアノサロン「心音」の第二回「おさらい会」。長男宅に寝泊まりしているカミさんも参加してくれました。僕も含めて4人の演奏。演奏順はくじを引いて決めることになっています。ほぼ全員が最初に弾きたがる(早く弾き終えて楽になりたい)から。「心音」先生のお友達の先生の生徒さん(先生の同級生とか)が一番手、川上ミネさん作曲の「アンジェラ」を。二番手は「心音」先生のお弟子さん、園長先生をされている方でピアノ経験者(この四人の中では一番、お上手)シューベルト即興曲・作品142-3主題を。二人とも練習の時にはノーミスであったのがやはり本番では大変に苦労されていました。

三番目が僕。ジョルジュ・オーリックの「ムーランルージュの歌」。やや練習不足ではありましたが、隠れ家を出る時にはとにかく適度な緊張感と集中力を維持して、楽しく演奏するようにと自分に言い聞かせて臨みました。結果はボロボロ。何度も詰まってしまいました。昨年の一回目の時は手の指が震えているのを感じましたが、今回はそれ以上に全身が固まっていたように。気持ちが空回りしていたのかも。途中から居直り状態で”どうにでもなれ”(ちょっとオーバー)と思ったら、最後だけはちゃんと弾けたように思います。最後が先生の旦那さん。マンシーニの「ひまわり」、僕らの世代には大変に懐かしい曲。僕の失敗が尾を引いたのか旦那さんも苦労されていました。

とにかく全員、無事に(曲を最後まで)弾き終わりました。先生も「生徒を見守る自分の方も力が入りました」とホッと一息。終わった後は恒例の新年懇親会。緊張感から解放されてビール、ワインの美味しいこと。普段から盛り上がりますが、この日は殊の外、皆さん饒舌になっていました(多分、僕が一番はしゃいでいた)。これだけの人に聴いていただける機会があるのは本当に嬉しい、有難いことだと改めて感じました。先生に感謝、感謝です。

次の「おさらい会」も楽しみにして、今週のレッスンからは新しい曲に挑戦です。

 

今日のお昼は鯱城学園・園芸科、四班の新年食事会です。一人、ご家族がコロナ感染となり、ご本人は元気なのですが念のために欠席されることになりました。被災地でコロナ感染が確認された避難所もある由、感染症のリスクが高まっています。被災地だけでなく、我々の日常の中でも、まだまだ、油断は出来ません。

 

おまけです。

1月6日(土)、千種区東山動植物園。長男と小雪チャン、司くんの四人で。切符売り場は長蛇の列、新春から大変な混みようでした。象さん、虎さん、キリンさん、カバさんを見て二人とも大喜び。楽しい写真がたくさん撮れました。

 

一日も早く復旧に向けての動きが始まります様に。苦難を乗り越えて何とか良い一年になります様に。心よりお祈りしております。

 

 

 

名古屋の年末

名古屋の隠れ家で年末年始を過ごすことになりました。初めてのことです。長男のお嫁さんが体調悪くして入院することになり、お嫁さんのお母さんは早くから年末年始は里帰りする予定を組んでいたので、急遽、僕のカミさんが助っ人で名古屋に来て、小雪ちゃん、司くんの世話をすることになりました。カミさんはお嫁さんのお母さんと入れ違いに12月28日に名古屋に来て長男のマンションに寝泊まりしています。

神奈川の自宅用に頼んでおいたおせち料理セットを隠れ家に転送してもらったり、頂きモノの果物、野菜とか、名古屋に滞在中の衣類等々を宅急便で送る手配をしたり、カミさんの方もバタバタしたようでした。

幸いに僕の隠れ家と長男のマンションは地下鉄の駅一つだけの近い所なので、僕がお手伝いに行くのにも便利です。30日、31日は僕もお泊りに行くことになっています。長男は勤務医で、年末から年始にかけて宿直勤務が何日か入っているため。年末年始でも働いている郵便配達の方、地下鉄・電車の運転手の方等々、日常のインフラを維持して頂いている方々は大変だと思っていましたが、勤務医さんもやはり大変な仕事のようです。皆さんに感謝、感謝です。

 

毎日の新聞広告を見ていると年末の大売り出しの広告がたくさん入っているのに改めて驚きました。スーパー、各種専門店はモチロン、普段は目にしたことが無い柳橋中央市場の広告まで。「一般の方、大歓迎。少量でも卸価格!」と。「鮮度抜群」「品数豊富」「卸価格!」が歌い文句。僕の理解では普段は土曜日だけが一般の方の入場も許可されている市場(いちば)です。一、二度、見学方々冷やかしに行って、保存出来るもの、日持ちするものを買ったことがあります。単身者には量が多いのがネックになりますが、活気があって楽しくお値打ちの食材の買い物が出来たことを覚えています。

昨29日、何かオモシロい食材があれば、と足を運んでみました。柳橋中央市場名古屋駅から近い、ミッドランドスクエアのすぐ裏(東側)にあります。東京で言えば八重洲に築地の市場があるようなものかと。10時頃に到着したのですが店によっては既に完売状態。それでもお客さんは大勢いてごった返していました。確かに広告にも「売切次第終了」と書いてある。カニ、エビ、マグロ、飛騨牛等々、高額の大きなブロックものが飛ぶように売れていました。何か買って帰ろうと思いましたが、手のかかるものは嫌がられるだろうと。プラプラしていると場内食堂でお寿司パックを売っていました。

 

  

 

司くんはまだお寿司は食べないようですが小雪チャンはマグロ、ホタテ、イクラ、ネギトロなどは食べると聞いていたので、このお寿司パックを買って長男マンションへのお土産にしました。結果、大好評。さすが柳橋の生鮮市場、久しぶりに美味しい握り寿司を堪能することが出来ました。長男は嫁さんのお見舞いに子供達と一緒に行ってきたそうで「元気を取り戻していた、子供達も喜んでいた、本人も子供達の顔を見て更に元気を貰っていた」と喜んでいました。長男もお嫁さんが元気でいてくれることの有難さを再認識した様子。

 ”そう言えば、カミさんは重い病気にかかったり入院したりしたことは無かったなあ。僕は全く何もイエのことをしなかったなあ" と昔を振り返ってしまいました。長男とややシンミリと話すなかで「無事これ名馬」と口が滑り、横からカミさんに睨まれました。「最大級のホメ言葉(のつもりである)」と言い訳しておきました。感謝するしかないですねえ。

 

 

NHK俳句です。本年最後の番組です。第四週は「語ろう、俳句」で選者は高野ムツオさん、今回も「句会」です。メンバーは俳人の小野あらたさん、田中亜美さん、レギュラーの中西アルノさん、ゲストには芸人の古坂大魔王さん。懐かしいピコ太郎さんです。今週の兼題は「靴」、前回に続き無季語の兼題です。点数の多い順に、

5点   靴下の丸まっている暖炉かな   あらた

4点   向き合っている靴と靴虎落笛   ムツオ

3点   凍土踏み焦土を踏みし靴遺る   亜美

3点   陽だまりの冬菫や靴は新しき   アルノ

0点   冬の靴雪踏みしめる無音音   大魔王

という結果になりました。

「靴下」の句はアルノさんが「日常の些細な”アルアル”を詠めている」と「特」、他の方も全員「並」を付けて取っていました。作者のあらたさんが「NHK俳句は『可愛らしさ』が足りない、と感じていた。小さくて可愛い句を作りたかった」と解説。やはりプロの俳人は凄いなあ、と感心しました。それにしても「あらた」さん、良い名前ですね。

ムツオさんの「虎落笛=もがりぶえ」、大魔王、アルノさんは知らなかった言葉だったと。亜美さんの句、ムツオさんから「主張し過ぎている。しかし重いテーマを17音で表しているのは凄い力量」と。アルノさんの句、「冬菫や」の「や」がプロ俳人から評価されていました。「中七の『や』」というそうです。

大魔王さん、0点でやや寂しそう(悔しそう)でした。「無音音=むおんおん」、無音という音(おと)を表現したかったと。ムツオさんから「『冬』、『雪』の重複」、さらに、あらたさんから「踏みしめる、と書けば”靴”も不要になるかも知れない」と鋭い講評がされていました。今までの句会で「0点」は初めてのこと。最低1点は付くようにムツオさん辺りがこころ配りしているのかと穿った見方をしておりましたが、そんなことは無さそうでした。今回も大変に楽しい濃い内容であったと思います。

 

特選三句です。

一席   新しき雪靴まづは手を入るる

二席   人形のよごれぬ靴よ雪催   (雪催=ゆきもよい)

三席   ストーブの前に家族の靴揃ふ

 

 

今日30日の午後から二泊三日で長男のマンションにお泊りに行きます。カミさんが子供達の世話、家事をするのをお手伝いに行くのですが、気持ちは単に小雪ちゃんと司くんと遊ぶために行く様なもの。紅白歌合戦は見れないかも知れません。隠れ家で録画しておこうかと思います。

5年日記の昨年のところを見ると「(大晦日の)夜から熱っぽくなった」との記載がありました。苦しい年明けでした。

新年は7日が「おさらい会(ピアノの発表会)」です。今回は元気に「おさらい会」を迎えたいと思います。長男のお嫁さんもその頃には完全回復していることでしょう。今回のおさらい会には4名が登場予定になっています。緊張が増します。お泊りの時にも小雪チャンのピアノを借りて練習しなきゃあと。

 

おまけです。

  

井上先生の作品を額に飾りました。彩色している作品もあります。『新年を寿ぐ』に相応しい、晴れやかで良いですね。裏打ちをしていません(皴がチト気になります)。改めて裏打ちの練習をしてから失敗しない様に先生の作品の裏打ちしてみたいと思います。

 

今年一年、お付き合い頂きありがとうございました。皆さま、くれぐれも健康にご留意され、お元気で新年をお迎えくださいます様に。

 

 

犬も歩けば

   

陶縁会水墨画クラブの講師、井上昭彦先生の作品です。オリジナルを何枚か分けて戴きました。

戴いた作品の中で、一番、気に入っている作品です。表情が何とも面白い。

 

12月16日(土)の水墨画クラブの例会、井上先生が久しぶりに教室に顔を出されました。ほぼ三カ月ぶり。体調を崩されていてしばらく休養されていました。大きな荷物を抱えて来られました。先生が今までに和紙、画仙紙に描かれた作品ですが(裏打ちはされてはいません)習作というのでしょうか何枚あるか分からないほど。紙の厚さが15㎝ほどになる作品の束が三つほどありました。「家の整理をしている。捨てるには忍びない。クラブの皆さんがよければ貰って欲しい」と。会員からすればまさに宝の山です。時間の許す限り一枚づつ拝見して”欲しい”と思うものを何枚か頂きました(次回以降も先生の作品を鑑賞させて貰って欲しいものを頂くと言う有難い状態が続きます)。

 

この日の講習は「人物画」「自画像」だったのですが、先生が講評をしてくれました。久しぶりに先生の歯切れの良い講評を受けて皆さん、大喜び。僕はこの週から全体の講習とは別に基礎練習をさせてもらうことにしていました。先輩とのレベルが違い過ぎるので、一人で基礎練習したものを持参して、それを皆さんから講評してもらおうと。先生が親切に目を通してくれました。筆の動かし方、調墨の仕方、「葉っぱ」の描き方、先輩達も先生と一緒になって指導してくれました。実技の指導は初めてのことでした。有難いことです。基礎が出来ていないことには話にならない、ということを痛感しました。

この日は嬉しいことが重なりました。先輩の一人が水墨画の教科書を持って来てくれました。”かつて自分が基礎を練習をした時に役に立った本”との事。水墨画の教科書本は無数に出版されているのですが、”なかなか良い教科書には巡り合えない。自分が独習した時にお世話になった本”、とのことでした。その通りだと思います。僕も本は好きなので既に何冊かの教材を持っていますが、なかなかシックリくる本には巡り合えていません。”これがいいなあ”と思う本があるのですが、これはかなり古いもので、入会した時にクラブの会長からその本の中身の抜粋コピーを頂いたもの。本の名前、執筆者、出版社が分からず、探すに探せない状態です。良い教科書に巡り合うというのは難しいことだと思います。

 

翌、17日(日)。朝から机に向かい、先生から教えてもらった描き方を練習し、先輩から頂いた本を読み、「竹」に挑戦。水墨画の画題で「四君子」と言われていますが、「蘭」「竹」「梅」「菊」を描くのが基本のキとされています。「四君子」の中で、先輩から”「竹」を練習してみるのが良かろう”とアドバイスを頂いたので、早速に試してみました。結果は見るも無残。竹の「幹」「枝」「葉」、丁寧な解説が書かれているのですが、いざ描いてみると全く似て非なるもの。一時間半ほど格闘しましたが、全く歯が立たず。お手上げです。

諦めの良さは僕のとりえの一つ、気分転換に散歩に出かけました。いつもの平和公園から千種区図書館を経由して買い物して帰ろうと。急に寒くなったり、季節外れの暖かさだったり、相変わらず、異常なお天気が続いていますが、散歩するには気持ちの良い時節です。図書館には借りていた本の返却に立ち寄りました。

千種区図書館では数カ月に一度(多分)、古くなった本を持ち帰り自由で処分してくれる時があります。決まった日時では無いようで、今までにも、タマタマ、足を運んだ時に「リサイクル図書」が提供されていて何冊か頂いたことがありました。不定期にやっていると思いますが、そのタイミングが図書館を訪れた人はラッキーなことかと。本の好きな人には面白い企画だと思います。この日が、その「リサイクル図書」の日でした。

”なんかオモロイ本、あるかいなあ”と見ていたら・・・水墨画・・・の文字が目に入りました。”おや珍しい、こんな(水墨画の)本が「リサイクル図書」に出されるとは”。手に取ってみると、かなり古い本で頁綴じも部分的にはバラバラ状態になっている。頁を捲ってみてドキドキしてきました。見覚えがある。

”おや、まあ、これは、あの本や”。

 

山田玉雲 著。「水墨画基礎入門」秀作社出版。平成元年1月初版、平成11年12月新装版の本でした。

急ぎ帰って中を見ました。僕の持っていたコピーはこの本の前半中心の一部でした。「四君子を描く」という章もありました。「蘭、竹、梅、菊を四君子という・・・絵を学ぶ最初にこの四君子の描法が基本とされ、蘭が曲線、竹が直線、梅と菊は曲線と直線との組み合わせ・・・運筆を学ぶ者の基本」と。

”ナルホド、まずは「竹」=直線から練習せえ、という意味か。先輩は鋭い指摘をしてくれているんやなあ”と素直に感心しました。もう一度、筆をとってみましたが、やはり全く歯が立たずでした。

 

 

NHK俳句です。12月第二週、選者は山田佳乃さん。ゲストは作家の岩下尚史さん。今週の兼題は「薬喰」。「『薬喰』とは寒中に体力をつけるために獣の肉を食べること。獣肉色が禁じられていた時代、寒の内に限り、鹿や猪の肉は血行を整える薬であると秘かに食されていた」「密やかな食だったので、猪は山鯨、兎は鳥と」(テキストの解説から)。番組で紹介された句です。

   裏山に行って戻って薬喰   星野高士

 

テキストにあった面白い句です。

   旨酒のことに吉野の薬喰   小島健

   上物の熊と誘はれ薬喰   茨城和生

 

特選六句の中で面白いと思った句です。

   美しく肉たたまれて薬喰い

特選三句です。

一席   胃の中の猪呑みたがる薬喰

二席   仕留めたる漢を上座薬喰   (漢=おとこ、と読む)

三席   もうゐない月の兎や薬喰い

 

駄句です。

   目一杯食べた言い訳薬喰い   孔瑠々

毎年2月に「猪鍋」をやっています。年甲斐もなく何時も食べ過ぎてしまう。来年は「猪鍋」の20周年です。きっちゃんは今からイロイロと準備に余念がありません。楽しみなことです。

 

第三週です。選者は村上鞆彦さん、ゲストは女優、タレントの柴田理恵さん。村上さんのテーマは「人生を詠う」。今回は「病、看護」です。理恵さんは富山にいらっしゃる94歳のお母さんの介護で東京と往復する生活だとか。

番組で紹介された句です。

   当て所なく師走の街に座り込む   小山正見

作者は、認知症を患った妻との暮らしを俳句に詠み、句集に纏めた。その中の一句とのことです。

テキストにあった句です。泣けます。

   短日や襁褓に父の尿重く   相子知恵   

(襁褓=”むつき”と読む(「おむつ」のこと)、尿=”しと”と読む)

 

今週の兼題は「ストーブ」、特選三句です。

一席   雨に濡れし少女の匂ふ暖炉かな

二席   吾も犬も猫も老いたり暖炉燃ゆ

三席   ストーブや我が顔広く平らなる

テキストにあった村上さんの句です。

   ストーブに手を揉み知らぬ者同士   鞆彦

 

 

おまけです。陶芸の先輩が貸してくれました。

『生誕100年記念、ルーシー・リー展 ~静寂の美へ』。ルーシー・リーは1902年生まれ、イギリスの代表的な陶芸作家。先輩はこのルーシーさんの大のフアンで、彼女の作品に憧れて陶芸に励んでいるそうです。

この本の中に掲載されているルーシーの作品です。

 「うつわ」「フォルム」がルーシー作品のキーワードの由。先輩は僕の眼からは”達人”の域に達している方で、このようなフォルムの作品を多数作っていますが、まだまだルーシーさんの器の線は出せないと。 

 

   

いつの日にか、こんなキレイな器を作ってみたいもんだと思います。

 

急に寒さが厳しくなってきました(といっても「平年並み」とのことですが)。気候、気温の変動のブレ幅が大きすぎるのは厳しいものがあります。皆さま、くれぐれもご自愛下さいませ。