クルルのおじさん 料理を楽しむ

体質改善=とりあえずの集大成:食べ物編

大変に仰々しいタイトルになりました。この半年ほどの試行錯誤のまとめです。薬に頼らず体質改善を試みることで正常な血圧を取り戻したいという気持ちが原点です。体質改善の要諦は、一に適度・適切な運動、二に食事の量と質、三は敢えて言えばストレスフリーの生活。この三つの持続を心掛けることで自分の体質を正常な血圧水準のモノに改善したいと思っています。まあ、体質は個人によってかなり異なるものでしょうから、どれだけ普遍性があるのかは全く不案内ですので、僕の備忘録的なモノ程度とご理解頂ければ幸いです。

 

今回は、食べ物編です。「お酢」が中心になっています。分量は一人分のつもりですが、やや多めかも知れません。自分で試してみて継続できているものを紹介します。

 

まずは、ドリンク系です。

●豆乳ベースのお酢ドリンク

作り方:①豆乳150㏄、②お酢(米酢)大さじ2、③沖縄・奄美のきびオリゴ大さじ2、④しょうが(チューブものでOK、2㎝分)をシェーカーに投入してシェイクするだけ。

ポイントは、シェーカーでシェイクすること。それから、③のリキッドのきびオリゴです。教科書では、黒砂糖をかき混ぜる、と説明されていたのですが、これはあまり上手く混ざらない。上手く出来ないというのは、ストレスを感じて、継続する気持ちが失せてしまう。手前ミソで恐縮ですが、その点③を使うと手軽にスッキリ簡単に出来ます。これが継続出来る大切な要点だと感じております。量は、適宜、調整して下さい。

 

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2017年8月12日、撮影。このシェーカーが優れものです。お隣の「沖縄・奄美のきびオリゴ」と伴に無くてはならないモノになってます。

 

●甘酒のお酢ドリンク

作り方:豆乳の代わりに甘酒を入れるだけ。甘酒に③を加えると甘くなり過ぎと思いがちですが、逆に、お酢の口当たりが柔らかくなって飲みやすくなります。シェイクが重くなりますが、豪快にシェイクして下さい。

・・・一種類だけだとどうしても飽きてしまうので、二種類を準備しています。きょうの料理ビギナーズ2017年7月号のレシピを参考にしました。お酢ドリンクに慣れれば、ベースは何でもOKになります。トマトジュース(食塩無添加のもの)、牛乳でもいけます(ドロッとなりますが)。

ちなみに、酸性度の高い飲食物が原因で歯が溶ける恐れがある、との恐ろしい記事がありました。ダイエットのために黒酢の原液を朝晩飲んでいたりすると酸蝕歯の原因になるそうです(2017年8月12日、日経プラス1)。酢の原液をそのまま飲むと胃には強すぎて気持ち悪くなるように思いますが。ご注意下さい。

 

続いてサラダ系です。

●トマトとさらし玉ねぎとしらすのサラダ

作り方:①トマト一個、包丁で薄くスライス。②玉ねぎ半個を薄切り、塩を小さじ半分振り、さらし布巾で包んで揉む。ぬめりが出たら水につけて塩とぬめりを落とす。かたく絞る。③シラス、大さじ2。食べる直前に器にもり、④米酢、大さじ2.と⑤沖縄・奄美のきびオリゴ、大さじ2.で合える。

・・・「おかずのクッキング」2010年8/9月号の土井さんのレシピが基です。最近のテレビで土井さんがトマトのカットの仕方を紹介していて、更にしらすを乗せていたので採用しました。これも⑤を使うと簡単に合えることが出来ます。トマトの赤い色=リコピンは、抜群の抗酸化作用を持つ。血管と血液の老化を防いでくれるそうです。僕は、玉ねぎをさらさないでも抵抗無く食べることが出来るので、薄切にしたままで頂いています。

 

●きゅうりとワカメとしらすの酢の物

作り方:①きゅうり1本、薄切に。今まで包丁で切っていましたが、簡単に薄切りが出来る道具がありました。今はこれを使っています。重宝しています。②わかめ30-50gほど。以前は戻して使っていましたが、最近は、スーパーで生ワカメを買ってきてます。③しらす、大さじ2ほど。これらを食べる直前に器に盛り、④米酢、大さじ2.と⑤沖縄・奄美のきびオリゴ、大さじ2.で合える。

・・・夏の定番です。これもおかずのクッキングの土井さんのレシピが基になっています。土井さんの美味しく盛り付けるコツが記載されてました。器に盛り付ける時に、最上部に少し盛り足して体裁を整え、紅ショウガとか松の実とかを頂上に乗せる。これを「天盛り」すると言うそうです。このひと手間をさりげなく加えるのがプロですね。僕はアマですね。

 

●タコときゅうりのからし味噌酢

作り方:①茹でタコ100gほど、酢をかけて洗い、ブツ切り、または、そぎ切りにする。②きゅうり1本、薄切に。

からし味噌酢を準備する。③白味噌・大さじ1~2 、④練からし・小さじ1、⑤米酢・大さじ2、⑥沖縄・奄美のきびオリゴ・大さじ1、をよく混ぜ合わせる。器に盛り付けて、からし味噌酢をかけ、サラダのようにざっくりと合える。

・・・僕の大好きな一品です。からしを多めに入れて、鼻にツーンとくるのを涙しながら楽しんでいます。お酒にもあいます。タコはもともと大好きな素材ですが、モノの本によると、高タンパクで低カロリー=減量時に適。また、アミノ酸タウリンが豊富。熱に強い栄養素で、血圧をコントロールし体の恒常性維持に不可欠とか。益々、好きになってます(タコ焼き、食べよッと)。

別な土井さんの料理本に、「夏は酢の味」と。「暑さで溶けそうな体が酸っぱいモノを食べるとシャキっと元気になる気がする。和え物をサラダのような感覚で毎日のように食卓にのせる」ことを薦めてました。同感です。

 

●ヒジキのサラダ(これはノンお酢です)

作り方:①乾燥ヒジキ25gを20分くらい水で戻す。鍋にお湯を沸かし、さっと茹でる。②きゅうり1本を2㎜くらい斜め薄切に、さらに縦に2㎜の細切りに。③ニンジン1/3本くらい、同様に細切りに。④ごま油40㏄と⑤醤油40㏄をボールにいれる。材料をボールに入れて合える。

・・・ヒジキをサラダ風に頂けるレシピです。僕の先生のご家庭のサラダの定番。オリジナルは鶏のささみを茹でて細かく割いて加えます。僕は簡単にハムを入れたりしてお茶を濁しています。追加で缶詰の豆(ひよこ豆とか)、コーンを加えてます。ごま油が芳ばしいです。

 

●モズクにお酢

作り方:①生モズク30~50gに②お酢、大さじ1と③沖縄・奄美のきびオリゴ、大さじ1を合える。

・・・以前は、カップに入った黒酢モズクか三杯酢モズクを頂いてました。たまたまスーパーで生モズクを見たので、自分で②と③を加えてやってみたもの。最近はこれにキュウリの薄切を加えて頂いています。

 

やや心配なニュース。ヒジキ、ワカメ、モズク、コンブ等々の海藻の取引価格が上がっているそうです。健康ブームで需要が伸びているとか。一方で、海水温の変動とか人手不足で生産のほうは伸び悩んでいる。三重県産ヒジキの価格は、この三年間で二倍になった。三陸地方のワカメも高い。沖縄のモズクは、前年比三割高とか(日経新聞、8月9日記事から)。僕のような方が世の中には沢山いらっしゃるのだと思います。是非とも、安定供給をお願いしたいですね。

 

次はいよいよ主食、メインデッシュになるのですが、高血圧の読者向けの料理・食材の本の骨子は、1.減塩しても美味しさは変わらないように、お酢、柑橘類、スパイスを活用して工夫する。2.真正面から、血圧によい様々な成分・機能を持つ食材を食べることを薦める、というものです。僕は、2.を中心に考えているのですが、長くなり過ぎましたので、次回の「とりあえずの集大成:食べ物編・その2.」に記載します。お楽しみにして?下さいませ。

 

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これが「平兵衛酢(へべす)」の木です。日向の工場の場内に約100本育っています。高さは、150~200cmほど。今年は順調に生育しているはずなのですが・・・。2017年7月18日、撮影。

日野原先生のこと

日野原重明先生が亡くなられました。2017年7月18日、都内のご自宅で亡くなられたそうです。105歳のご生涯。新聞各紙にも大きく報道されていました。生涯現役の日野原さん、肩書は「聖路加国際病院名誉院長」となっていました。

 

 主要新聞の報道の骨子です。

●医療の旧弊打破に挑む、チーム医療や予防医療の手法を定着させた信念の経営者。

●高齢になっても元気な姿でメデイアに登場、健康の尊さを訴えた。

●成人病を「生活習慣病」と言い換えるように提言。

●小中学生に命の授業を行い、命の大切さや平和の尊さを伝える活動に取り組んだ。

●2000年には75歳以上の元気で自立した高齢者の「新老人の会」を発足。

●多数の著書あり、「葉っぱのフレデイー」のミュージカルの脚本まで執筆。

などが日野原さんの業績として称賛されています。1970年に起きた「よど号ハイジャック事件」には乗客として遭遇。1995年3月の地下鉄サリン事件では、院長して陣頭指揮、同病院が救助の最前線となり多数の患者を収容された。ご本人も大変に数奇な経験をされており、とにかく「最後までパワフルに生きておられた」と言うことだと思います。

 

 このブログでも何回か登場して頂きました。もちろん、僕自身が日野原さんの大フアンの一人だからです。「新老人」!、面白い感性をされている、いい言葉ですよねえ。「愛し・愛される」、「創めること(はじめること、と読みます)」、「耐えること」の三つが新老人にはとても大切だと。この三つのモットーを基にして「子供たちに平和と愛の大切さを伝える」ことを柱にして実際に亡くなられる前までパワフルな活動をされていた。年齢的には、僕よりも40歳ほども年長の大先輩になりますが、日本人にこんな立派な方がいらっしゃって、その方と同時代に一緒に生きていたんだということだけでも本当に嬉しい限りです。とうとう直接お会いすることは出来ませんでしたが、素晴しい方だと思っています。日野原さん、万歳!です。

  

日野原さんは多くの著書を残されています。世代を問わず読者に支持されているとのことで死去された後、書店では追悼コーナーも設置されている由。僕は、申し訳ないことに著書は読んではいないのですが、訳本を一冊、大切に持っています。

 

『平静の心』・・・オスラー博士講演集。新訂増補版。

 

日野原重明・仁木久恵 訳。医学書院。1983年9月に第一版第一刷が発行され、2014年8月に新訂増補版第7刷が出ています。

 

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当時の書評によると、終戦直後、聖路加国際病院連合国司令部に接収されていた時、日野原さんは米軍の図書室で医学関連の文献を読み漁っていたそうです。そこの書籍でオスラー博士の存在を知り、大変な感銘を受けるところとなった。日野原さんは当時、司令部からの命令で幣原喜重郎首相の治療を担当していたそうですが、知り合いになった司令部軍医にオスラー博士の話をしたところ、バワーズという軍大佐が、オスラー博士の著書である『平静の心』を携帯しており、それを日野原さんに譲ってくれたと。その後、日野原さんは、このオスカー博士の考え方を日本の医学関係者にも広げたいと思われ邦訳を買って出られたものです。

1983年第一刷の 訳者 序 には、「私(日野原さん)が臨床医として生き、医学を研究し、医学を教える立場に立って働いていく上で強烈なインスピレーションと、今日の仕事に全力投球できる力を与えてくれたのは、この本に示されたオスラーの言葉である。〈中略〉日本における若い世代の医療専門職に携わる人々にも、文章となって遺されたオスラーの言葉と精神とが強い感化を及ぼすことを切望する。」とあります。大変に感銘を受けられたこと、および、それを日本の若い世代に伝えたいという強い思いがヒシヒシと伝わってきます。

この本は、日野原さんご自身による補足も含め600頁以上の大著です。僕がこの本に興味を持ったのは、勿論、日野原さんに関心があったからですが、もう一つは別な面からの興味もありました。医療専門家に携わる人々の矜持とは如何なるもの(であるべき)なのか。一覧して面白いと思うのは、この本は、医療専門職に携わる人々だけでは無く、広く専門分野を極めたい、専門性を高めたいと思う社会人=ほぼ全ての方々が読者の対象になるだとうと思います。訳者 序にも記載がありますが、実際に米国では「この講演集は、当時の(註、このオスラーさんの講演集が出版されたのは1904年のことです)医学生、看護婦、医師の心に強烈なインスピレーションを与え、医療の世界における専門医の生き方を示す。〈中略〉いわば聖書のような福音を当時の医療職者や学生にもたらし、一般人までがこれを愛読した」そうです。

 

巻末には、日野原さん自身による「ウイリアム・オスラー卿の生涯とその業績ならびに思想について」という纏めの章が掲載されています。こんな名著を数行だけ抜粋して良さを分かってもらうのは無理だとは承知しているのですが、

《オスラーが学生に示した人生指針》

●どんな環境の中におかれても、それに煩わされることなく、自己を抑制する習慣を養うこと。どのような状況にあっても、絶えず物事に集中できるという素晴らしい能力を養うこと。

●毎日繰り返すことを効率の良いシステム的な習慣とすること。

●物事を徹底して行う特性。

●謙遜の徳〈the  grace  of  humility)  を持つこと。

●絶えず勉強し続けよう。

《オスラーの人生訓》

●今日の仕事を精一杯やり、明日のことを思い煩うな。

●己の欲するところを人に施せ。

●悲しみの日が訪れたときには人間に相応しい勇気を持って事に当たることが出来るような平静の心を培う。

 

僕はキリスト教徒ではありませんが、宗教の心をバックボーンにこういう考え方を実践出来る人=先生が何年か何十年か、または、何百年のあいだには、一人、または、数人かは存在されるんですねえ。人間っていいなあ、と思います。日野原さんは凄い。そして、その日野原さんに、強いインスピレーションと仕事への力を与えたオスラーさんも凄い。

 

日野原さんは、胃ろうを含む延命治療を望まず、そして、在宅医療で。ご自宅で最後まで食事や水を口にされていたそうです。終末期医療の在り方についても、最後まで自分の生き様を貫き、主義主張を実践されているのが、多くのフアンがいる理由であると思います。 2015年11月ごろの雑誌インタビューでの日野原さん語録です。

「無理な延命治療は患者を苦しめ、家族や社会にも思い負担を強いている。〈中略〉医師の務めは、最後まで患者さんのクオリテイー・オブ・ライフを保ち、家族ときちんとした形でお別れをしてもらうことです。」

 

仲間うちで、日野原さんの話題になった時「生涯現役とは仰るものの、そして、尊敬する立派な方ではあるものの、この年齢になられたお医者さんに、実際に診てもらうのには抵抗があるわなあ。」などど嘯いたことがありました。大変に失礼なことを言いました。診てもらってお話を聴かせて頂く機会があったらよかったのになあ、と悔やんでおります。心よりご冥福をお祈りしたいと思います。

  

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輪島、朝市の通りに行く途中のお店で。7月末でも紫陽花が満開。初めての色でした。2017年7月末、撮影。

お酢の話、その2.

そういう訳で、今度は、お酢の本を手当たり次第探して読んでみました。

『健康!酢タマネギ』(宝島社) は通勤途上の駅のコンビニの書棚で見つけて買いました。2016年10月、第三刷発行。これは、結構、早い時期に買ったと思います。そもそもは玉ねぎの食べ方をもっと知りたいと。酢との組み合わせというのが当時の僕には新鮮でした。レシピも掲載されていたので重宝しています。この酢タマネギを活用して料理を作れないかとイロイロなレシピを研究(?)したあげく自分なりに工夫して到達したのが『中華鍋』で写真を掲載した鰯の料理でした。楽しかったのでクックパッドの「クルルのおじさんのキッチン」に「僕でも出来る 鰯のエスカベッシュ風」として載せました。命名は料理の師匠のchaさんです。今回、この本をざっと見直したら、なんと、「イワシの酢タマネギ エスカベッシュ」というレシピが掲載されていました。自分が見落としていたのを棚に上げ、自分の創意工夫を否定されたようでショックでした。作り方もほほ一緒なので余計にがっかり。世の中には努力が報われないことも多くあるものなんだと滅入りました。全く、大げさなことです。なんとか、気持ちを立て直して、僕の心の中では、この料理は自らが工夫した料理なんだと言い聞かせて、その後も機会あるごとに作っております。もちろん鍋は「戦艦ヤマト」です。結構、美味しいです。

 

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本箱で眠っていた本に「お酢」がテーマのものがありました。

『世界に広がる 日本の酢の文化』。奥村彪生さん監修、岩崎信也さん著、ミツカングループ企画。2003年1月初版。これは随分前に、多分、2004~2005年ごろに同社の方から頂いた本です。ミツカンさんは、昔風に言えば尾張之国は知多郡半田村にある、今では調味料と納豆を中心とする大手の食品メーカーさん。もちろん「お酢」がミツカンさんの事業の原点です。「お酢」に焦点を当てつつ「おすし」についての考察が大変に分かりやすく面白い読み物になっています。例によって興味深いところを抜粋します。

●お酒とお酢は、発酵食品の原点。平城京跡から出土した木簡に、すでに「酢」の文字が出てくる。酒があれば酢も造られる。・・・この辺りは、内堀さんの「酢は酒から作る、と書きます」という言い回しと同じで面白いですね・・・ヴィネガーは、ヴァン(=ワイン)とネーグル(=酸っぱい)の複合語であると。酢はワインが酸っぱくなった=酸敗したものを示すものと言う意味が表現されている。

 

・・・以下、中国の発酵食品について解き明かし、「おすし」との関わりを詳細に記載しているところが大変に興味深かったです。

●「醤」は、鳥獣・魚の肉を叩き潰して、塩と酒を混ぜて壺につけこんで発酵させたもの。醸造調味料。紀元前三世紀=前漢初期の文献によると、紀元前10世紀ごろには100種類以上の醤があった由。

●その「醤」とは別な発酵食品として、「鮨」は=魚の塩辛。醤油とは違い原料の形状をある程度は残したもの。

●さらに、別なモノとして「鮓」がある。「鮓」は、貯蔵した魚とのことで「鮨」とは区別されている。三世紀ごろの辞書に「『鮓』は、魚の漬物。塩と米とで醸す。馴れたら食べる」との解説があり。古代の「すし」として知られる「なれずし」の初出と。「なれずし」とは、米飯などのでんぷんの乳酸発酵を利用した塩蔵発酵食品。この乳酸性の酸味を伴うところに最大の特徴がある。

 

・・・その後、中国では「鮨」と「鮓」は同義と混同されることになってしまったそうです。もともと「鮓」は、東南アジア山地民の保存食、ないしは、同じく東南アジアで水田耕作を行う平地民の食べ物が起源とのこと(最近は、後者の説が有力とか)。中国の辞書の記載で両者を混同したのは、輸入された外国の食べ物のため、編者自身が「鮓」を知らなかった(見たことがなかった)からと考えられています。

・・・日本では、奈良、平安の時代は、酢は自家製がほとんど。戦国時代に酢造りが重要な地位を占めるようになり、業としての「酒造」「酢造」の言葉が出てくるようになった由。技術革新=酒造において火入れ(加熱処理)技術の実用化がそのきっかけになったそうです。

 

 ●すしは、古代・中世の「なれずし」(酢を使わない発酵すし=魚の保存方法、漬物の一種。おそらく飯は食べなかった)から、江戸時代に入って、酢を使う「早やすし」に変わってきた。

・・・そこに「握りすし」が誕生。大ブレークしたそうです。そして、この握りすしにぴったりの酢が「粕酢」。尾張の粕酢が江戸で大評判となり、ミツカンさんの「山吹」が握りすし用の酢の市場シェアのほぼ大半を押さえた。この「山吹」は日本でのブランド・マーケティング成功の第一号事例と言われています。

●寿司(寿し)は、江戸時代末期に生まれた和製漢字。平安時代には、鮓=酒志(スシ)、鮨=須之(スシ)と読んでいたと。

・・・すしの語源は、味がすっぱいから「すし」。すし=酸っぱい、新井白石さんの研究でも「スは酸なり、シは助詞なり」との記載があるとか。これは分かりやすいですね。さらに、鮓と鮨をつなげて鮓鮨として読むと「サシ」になり、それが、なまって「スシ」になったとの説もあるそうです。

・・・「なれずし」=乳酸性の酸味を伴う塩蔵発酵食品、飯は食べない。⇒「なまなり」(生成)。酢酸発酵による酸味も受け入れ、飯を食べるようになった。料理において酸っぱい=「酢」が重視されることに。⇒酢を使う「早やずし」、そして「握りすし」へと。従来の発酵食品、保存食品と完全に縁が切れた。まったく違う食べ物の誕生!!との記述が説得力があります。

 

 

ミツカンさんは尾張ですが、お隣の三河に「南三河食文化研究会」という地元の醸造業(白醤油、味醂、日本酒、味噌)の方が参加されている研究会があります。2015年4月28日付けの中部経済新聞に紹介記事が掲載されていました。キーパーソンは、お二方。碧南市、小伴天の長田社長と高浜市、おとうふ工房いしかわの石川社長。

長田社長は、愛知大学のオープンカレッジで愛知の食をテーマにした講座を継続されています。また、2015年2月には地元食材を使って地元ならではの料理を提供しようと、同じ碧南市に”小伴天はなれ「一灯」”をオープンされています。 三河の食文化を後世に伝えたいという思いが込められた料理を味わうことが出来ます。

石川社長は、首都圏で愛知県産品の販売に注力。いしかわの店舗でテーマを決めて地元食材を楽しむ会を開催。南三河食文化研究会の代表。「醸造業でこれだけの業種が一か所に集まっているのは全国的にも珍しい」とのことで、この地域の食文化の発信、地域の食文化を守ろうと地元の醸造業の社長さんや地元の食に携わる方との交流を深めていらっしゃってます。

ちなみに南三河とは、旧東海道より南側の三河を指している。主な食材としては、碧南のニンジン、タマネギ。魚介、ちりめんじゃこ、アサリ。一色のウナギ、西尾の抹茶が有名なところ。

僕は、すっかり、お酢メーカーの方も参加されていると思っていたのですが、記載されていません。今度、参加して何故なのか聞いてみたいですね。

 

 「鮨 そのほか」新潮文庫阿川弘之さんの随筆・随想です。平成27年9月発行。すし=鮨、と書かれてますね。貰いもののすしを駅の浮浪者にあげた人物の味わいのある回想です。今の時代の作家の方には描けないストーリーでしょうね。阿川さんは2015年没。娘さんの佐和子さんのご結婚の報道には、彼の地で素直に喜んでますかね。

 

僕の大好きな「きょうの料理 ビギナーズ」2017年7月号。10周年、特別企画第二弾が「ちょっと すっぱい酢」です。即買いしました。料理の本はクセになりますね。次々と買ってしまいます。

 

 

お酢を使った料理のレシピを含むウンチクを書こうと思っていたのですが次回以降に改めます。次回の高校同期会の社会科見学は、半田のミツカンさんの酢の博物館と碧南の一灯さんでの会食にしようかしら。

 

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 血圧・血管に関する本、図書館にも多くの本が置かれてます。「薬に頼らず!、薬を飲まず!血圧を下げたい!」という願望は強いですね。どちらの道に進むにしても無理をしてはいけないのでしょうね。これらの本の中には、これは面白い・きっと効果があると思った運動、マッサージがありましたので、これも、次回以降に記載を心掛けます。

 

 

お酢の話

最近、お酢にハマっています。

きっかけは、父の日のお祝いに長女夫婦から「飲む酢・デザートビネガー」なるものを頂いたことからです。パンフレットに「酢は、酒から作る、と書きます」と書いてあります。ウマい表現だなあと感心しました。岐阜県八百津町にある内堀醸造さんのお酢です。以前からよく知っているお酢屋さんですが、「飲む酢」は買ったことがありませんでした。パンフレットに写真が載っていますが、ご主人の内堀さんは自称「スムリエ」。ワインのソムリエをもじった呼称だと思いますが、ホテルの食事会などの場で「酢のおいしさ新発見」等の話を中心に講演をされながら、お酢の料理を提供。お酢の消費拡大の啓蒙活動をされています。タキシード姿がお似合いの楽しい方です。

もらって以来、毎日、大さじ一杯分をイロイロな方法で飲んだり、食べたりしています。お酢健康法です。どのようにして食べているのかは後に記載します。

 

実は、昨年末から、血圧が高めになっているのが気がかりになっていました。血圧が上がるのは加齢による自然現象だからそれほど神経質になる必要はないという説もありますが、やはり不安になります。でも、薬を飲むのには元々強い抵抗があるところに、あるお医者さんとある出来事がきっかけになり、血圧降下剤を飲まないで対処しようと思い立ちました。家族・友人・賢者のアドバイスを得て、この年齢になってからですが、改めて体質改善をトライしようと。

基本は適切な運動と腹八分目の食事、過度のお酒を控えることと理解しています。僕の場合は、①お酒を美味しく頂いて、ついつい飲み過ぎてしまう。飲み過ぎない飲み方を!会得する必要がある。②美味しいモノは食べ過ぎてしまう。お酒を飲む時には自然に食べる量が減る方がいらっしゃいますが、僕の場合は良く食べてしまう。また、会食の時に料理を残すのは申し訳ない(勿体ない)と思っている。③運動はやっているつもりながらムラがある。

 

例によって、本を手当たり次第に読み始めました。高血圧に関して何んと沢山の本が出版されていることか。ベストセラーも沢山あるようです。薬に頼らないで血圧を下げたいと願っている人が多くいらっしゃるということの現れでしょう。この種の本のほとんどは「安易に薬に頼らない方が良い。薬に頼らないでも血圧を低下させることは可能である。良い習慣を身に着けることが大切だ。運動(マッサージ、ストレッチを含めて)と食事(食材、食べる量、食べ方)が肝」という主旨のものです。

天の邪鬼の性格と言うのは困ったもので、「問答無用、とにかく薬を飲め」と言われると間違いなく反発してしまいますが、逆に「薬に頼るな。薬に頼らなくとも血圧は低下する」とい言われても「それホンマかいな?」と思ってしまいます。意見はイロイロあって然るべきとは思うのですが、もう少し、両者歩み寄った丁寧な説明が欲しいところですし、所謂、統一見解があってもよいのではと思うのですが。まあ、人間の体のことですから、一人ひとりがそれぞれ違うのでしょうから、普段から信頼の出来るお医者さんに相談に乗ってもらって、患者側の不安なことや希望することを聞いてもらいながら、両者納得した上で対応方針を決めて進めていくしかないのでしょうね。高齢者がどんどんと増えていく時代ですから、今まで以上に、主治医さん、かかりつけのお医者さんの重要性が益々高くなっていくものと感じます。

 

今、住んでいる処の近くでは残念ながら信頼出来るお医者さんと巡りあっていない僕としては試行錯誤の連続です。

毎日の体重測定と血圧測定を開始しました。それから、①②③について考えてみました。

①「お酒を飲み過ぎない飲み方」。これは結論から言えば、そんな器用な飲み方は出来ない、無理ですね。僕は気持ち良く飲んでしまいます。しかし、時間軸の概念を導入しました。つまり、かつては、ほぼ連日飲み過ぎていたものですが、今は、飲み過ぎたと思った時には、次の日、更に次の日に、飲み過ぎないように努力する。幸い、以前ほど、お客さんとの会食が連続するということは無くなりつつあるので、一人で食事する時、仲間内で飲む時、等々は、酒の量を減らす。酒を飲む日を無くすると言うは難しいので、飲まないのではなく減らす。お酒を飲みたいと思うのに、飲む日を無くすというのは大変なストレスが溜まり、逆効果になると信じています。

②「美味しいモノを食べ過ぎない、残しても申し訳ないとは思わない」と言うのも無理というのか、寂しいというのか、やはりモッタイナイ。これも①と同様に時間軸を導入しました。食べる時は、四の五の考えないで食べる。食べたいものをモッタイナク残したりしない。但し、人のお皿の分までは食べることはしない。また、自分が気持ち悪くなるまで食べることはしない。そして、食べ過ぎたと思う時は、2-3日の期間のなかで、修正するように心がける。①と同様に、一人メシの時、仲間メシの時は、カラダに良いとされる食材を、体に良いとされる順序で、体に良いと言われる食べ方で、そして、食べ過ぎないように作る、注文するように心がける。

③運動は、まだまだ不十分ながら、とにかくカラダを動かそうと努力しています。会社ではエレベーターを使わない。五階分の階段を歩く。通勤時、また、街のなかでも、エレベーター、エスカレーターを出来る限り使わない。ワザと一つ手前の駅で降りて、一駅分を歩く。これは一度トライしましたが続きません。それよりも早く家に帰って、運動の服装に着替えて歩きに出る方が良さそうに思います。週末は、歩く。公営プールが近くにあるので水泳をする。ゴルフの時は、カートに乗らず歩くことを心がける。また、室内で出来るマッサージ、ストレッチもやるように。「継続する」ということは本当に難しいですねえ。運動ではないですが、一人で出来るツボ・マッサージを、体重・血圧の測定の前にやるように心がけています。

 

以上を組み合わせながら、それなりに継続しています。「三日坊主も10回続ければ一か月になる」という訳の分からない信念のもと、半年くらい続けました。体重は、昨年同時期比較で、最大で5㎏、平均すると3㎏ほどの減量に成功しています。BMIもようやく25を割りました。この過程で、血圧は昨年末から本年初めにかけては第二度高血圧の状態であったものが、この数か月では、第一度高血圧の水準に。たまには、正常高血圧のレベルに低下してきました。何やら、新興宗教の勧誘の体験談のような記載ですが、自分では意外とスンナリと効果が出せたかなあと悦んでいます。こういう状態から、もう一段の降下を狙いたい、常時、正常高血圧のレベルを狙いたいと言う話をしているときに贈られてきたのが、冒頭の内堀醸造さんの「飲む酢・デザートビネガー」であったという訳です。前口上が長すぎましたが、お酢は、確かに、直感的に効きそうだという気がしています。それで、今度は、お酢の本を手当たり次第読み始めた訳です。

・・・・『お酢の話、その②.』に続く。

 

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 サンスベリアの花が咲きました。2004年の浜名湖花博で一苗50㎝程度のものを買ったもの。爾来10数年、大きく成長・株分けして今では7鉢、背丈も150㎝ほどに。自慢のサンスベリアですが、開花をはっきりと認識したのは今回が初めてです。

2017年7月13日、撮影。

 

 

八丁味噌

 八丁味噌は、愛知県岡崎市の八帖町にある二軒の味噌屋さんで作られている味噌です。原料は、大豆と塩のみ。じっくりと時間をかけて熟成された天然醸造の味噌です。

八帖町は昔むかしは、八丁村と呼ばれ、岡崎城から西へ八町の距離(約870m)にあったことが村名の由来になっているとか。古くは、1560年の桶狭間の合戦で徳川軍の「戦陣握り」として八丁味噌が兵食とされていた由。岡崎市を流れる矢作川(やはぎ)流域で栽培されていた矢作大豆、それから、知多半島半田市の成岩(ならわ)および吉良上野介で有名な吉良町饗場(あえば)で生産されていた塩を原料としたものです。吉良上野介さんは忠臣蔵では敵役ですが、地元では、塩田の開発をはじめ産業の振興を図った名君として今でも大変に人気が高いお殿様です。三河岡崎辺りは、高温多湿の気候でコメの栽培にはあまり適していなかったので、地元で採れる大豆の利用を図った。岡崎には、矢作川の水運を利用して塩座が賑わっていたので、塩を活用することが比較的に容易に出来たことも八丁味噌が生まれた背景にあるのでしょう。

 

八丁味噌を生産されている二軒の味噌屋さん、カクキュー(合資会社八丁味噌)さん、まるや八丁味噌さん、を社会科見学に行きました。何を今更、社会科見学か!?ですが、なかなかに面白いモノです。『私の本棚(2016年9月18日)』で書きましたが、僕の高校は大阪ですが今でも同期会が盛んです。愛知県在の仲間でも四半期、半年に一度くらいは集まっています。ただ単にメシ食べて大酒を喰らうだけではモッタイナイと。まあ、みんな年を取ってムチャ飲みが出来なくなったことも理由の一つですが、この2-3回は、地域の文化を探索しつつお酒を飲んで楽しく語り合う会となっています。それで今回のテーマが岡崎城八丁味噌

道中の話題は、「八丁味噌と赤だし味噌とは、そもそも別なモノか否か。別なモノであれば何が違うのか?」という極めて愛知県ローカル的なものでした。僕は別モノであるという認識はありましたが、何が違う?と言われるとウーン?の状態。正解は準備されていたのですが、現地で工場見学をして確認が出来ました。答えは意外と単純で「八丁味噌と米味噌を調合して、八丁味噌の濃厚な味と米味噌の柔らかな甘さを調和させたものが赤だし味噌」とのこと。なるほど、そういうことかと納得しましたが・・・。

 

この時に質問するのを憚ってしまいましたが、一方では、八丁味噌ではない豆味噌がありますよね。いわゆる普通の赤味噌。それを米味噌と調合しても、赤だし味噌と呼ぶんでしょうね。後でウイキペディアで念のために調べたところ、「八丁味噌」の商標認定はされていないそうです。いわゆる普通名称との認識です。それでも、「八丁味噌と呼べるのはこの八帖町の二社だけが生産している味噌である」という事は公知とされているそうで何よりのことと思います。NHKの朝ドラで「純情きらり」というのが2006年上半期に放映されたそうですが(スミマセン、僕は見ていませんでした)、このドラマは、朝ドラでは初めて愛知県を主舞台にしたもので、この八丁味噌の2社が重要な舞台になっていた。八丁味噌といえば、この2社だ、と言うことが広く認知されるのに大変な貢献をしたそうです。NHKさんエライ。

 

工場見学で、八丁味噌の製造は大変に手間と時間がかかるものだということを学習しました。大豆を蒸す。煮るのではない。味噌玉を作る。拳大の大きさ。麴をつけて発酵させるが、大豆麹は大変に難しいとのこと。仕込みでは塩と水を加えてコネ合わす。この割合が重要なポイントになる。塩と水の量は限りなく少なくして発酵に時間をかける。発酵の時間が早くなってしまうので天地返しはやらない。寝かせたまま。仕込みの桶は、高さ、直径ともに2m以上の杉の木桶。その中に約5-6トンの味噌を入れ、布または板一枚を敷いた上に、3-4トンを超す石を積む。この重石の石のサイズはバラバラ。均一に荷重がかかるように積まれる。桶の上に石のピラミッドが出来上がる。全くの職人技です。地震があった時も、この重石は崩れたことが無いとのこと。しっかりと積まれています。

大豆麹を作るのは冬。仕込みが開始されて以降、発酵が進む訳ですが、発酵が進むに連れて、時期的には次の夏にかけて、何んとこの数トンの石が持ち上げられる。発酵の力で重石のピラミッドが上がる!。9月ごろがピークとか。その後、冬にかけて重石は徐々に下がり、2月ごろには元のレベルに収まる。「二夏二冬の歳月をかける」という表現をされています。大豆と塩だけで作ると言われると、塩分が濃さそうな印象を受けますが、全く逆で、出来た製品の塩分は少ないものになっているそうです。八丁味噌は固く、そして、コクが深い。製品は2年から3年半もかけて出荷されることになります。

 

この味噌蔵は、今でも、土間、土壁を出来るだけ残していると。味噌は生きている!。蔵の内部は、酵母・乳酸菌の宝庫とか。生息する自然の微生物の絶妙な働きで旨味成分を自然に引き出し、特有の香りと艶を醸し出しているとの説明がありましたが、なるほどと納得できる風景でありました。案内の方から「深呼吸をしてこの微生物を体の中に取り込んで帰って下さい」とのお話があり、僕は真剣に深呼吸を繰り返しました。

100兆個の共生微生物の働きを期待している僕としては(『共生微生物』2017/1/23を参照下さい)、この地で、数百年以上も活動を続けている微生物を大量に吸収出来て大変に幸せな気持ちになりました。 

 

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 「カクキュウ」さんの蔵。2017年6月撮影。

 

八丁味噌は、煮込めば煮込むほど旨くなるそうです。名古屋メシ、愛知県の地元料理はイロイロとありますが、「味噌」何々が結構多いです。「味噌カツ」、これは名古屋に来るまで知りませんでした。当初は、何故わざわざトンカツに味噌をつけるのか疑問に思いましたが、今では美味しく頂けます。味噌タレの味が旨いのです。でもまあ、毎日、食べたいとは思わないかなあ。「味噌煮込みうどん」、これは八丁味噌の特色=煮込んでも風味が落ちにくいことを上手に利用した料理だと思います。出汁の味は大好きなのですが、残念ながら、よく指摘されている様に、うどんに「芯が残っている」のがいまだに気になります。個人的には、「味噌おでん」「みそ田楽」「どて煮」「どて鍋」が大好きです。ビール、日本酒に合います。食べたことが無い方がいらっしゃれば、是非に、お勧めします。

毎年「なごやめし博覧会」というのが催されています。市の中心部、食堂・レストランの協力を得て開催されています。飲食店回遊型イベントと言うそうです。要するに、街中を食べ歩いて、何が一番、美味しくて、かつ、面白かったかを競い合って盛り上げるイベントです。今年は、2017年10月1日から11月19に開催されるそうです。是非、足をお運び下さいませ。

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愛・地球博記念公園の観覧車のトップポジションから撮影。「サツキのメイの家」は、写真の右上の池の更に右側に広がっている山林のなかにあります。2017年6月撮影。

 

 

 

 

愛・地球博記念公園⇒「ジブリパーク」に

愛・地球博記念公園が「ジブリパーク」に生まれ変わる!。6月1日の新聞記事に出てました。地元名古屋の新聞のみの報道かも知れません。

愛・地球博愛知万博)は、2005年に開かれました。メインの会場は、愛知県長久手市にあった愛知青少年公園(1970年開園)です。その万博の跡地が、愛・地球博記念公園と呼ばれています。万博開催時にも人気が高かったスタジオジブリの「サツキとメイの家」は、その後も残されていて今も公園の一番人気、「となりのトトロ」に登場する昭和30年代の家を再現したものです。

5月31日に、愛知県の大村知事とスタジオジブリの鈴木プロデューサーが名古屋市内で会談して大筋合意したそうです。大村知事が「ジブリの世界観は、愛・地球博の理念を継承することに繋がる」と判断し、県の全面協力を決めたと。

ジブリパークは宮崎俊監督が描いた「となりのトトロ」の世界観を、四季折々の草花や木々に溢れる自然豊かな園内200ヘクタールで再現する。2020年代初頭のオープンを目指すとのことです。またジブリパークを作るために、木々の伐採等の新たな開発はしないというのがコンセンサスになっている由。

 

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愛・地球博記念公園にあるサツキとメイの家」です。6月23日撮影。炊事場、書斎等々、昭和30年代当時のママに保存されていて、古き良き時代を体験出来るようになっています。

 

クルルのおじさんは、この「ジブリパーク」を応援したいと思っています。コンセプトが愛知に合致しそうな気がします。 『名古屋の魅力』、『名古屋の不思議』で書いてしまいましたが、「魅力の無い街」「行きたくない街」をいかに返上するか、大変な課題になっている名古屋ですが、これが切っ掛けになって名古屋・愛知に対する評価が変わる可能性も秘めているのではないかと。

そもそも、観点をチョット変えると、名古屋・愛知は「住みやすい街」として大変に高い評価を受けています。名古屋・愛知から他都府県に移住するかたの比率が低い。大学を他都府県に行っても、また、この地域に戻ってくる。これは、トヨタさんを筆頭に産業基盤が強固、要するに働く場所がある、就職できる会社がある。風土的にはもともと親子一緒の生活を皆さん慣れ親しんでいる。結婚しても親と同居する。2世代、3世代が同じ地所に住んでいるのも珍しくない。都市型生活も楽しめ、また、周辺の豊かな自然環境にも癒される。東京には行ってみたいとは思うが、住みたいとは思わない。こんな有難い場所は他には無いという見方です。

大前提は、地元に立派な企業、経済圏があって、そこで働くことが出来る、生活することが出来る、ということだと思います。トヨタさんには益々頑張っていただかなければいけません。

因みに、愛知県の人口は今年初めて「自然減」になる可能性があるとのことですが、「社会増」の為に全体の人口はプラスを維持しているそうです。「自然増・減」というのは、生れた数から死亡者数を引いた人口の増減、「社会増・減」と言うのは、県外からの転入者と県外への転出者の差を言います。これまで愛知県は、東京都、沖縄県と同様に自然増、社会増の両方を維持している数少ない都府県の一つであった。2017年4月の統計見通しでは、年間では「自然減」になりそうとのことです。「自然減」になるのは、1956年の統計開始以来初めて。「社会増」の背景は、やはり、製造業を中心とした経済の好調さによるものと考えられています(5月10日、日経)。

 

ジブリパーク構想は、こんな名古屋・愛知の土地柄に合う、地元の方にも歓迎される、そして、かつ、街の魅力も高め、訪問してみたい街にも繋がるのではないかと感じるんですよね。 この発表のあと、何故もっと盛り上がりがないのかが不思議なくらい。まあ、まだ、県とスタジオジブリは合意したばかりで、今後、運営方法などを協議して企業の参画を募る予定だそうですから、今からの話かとは思いますが。

今年の4月、名古屋市の魅力を発信するためのキャッチコピー「名古屋なんで、だいすき」が公表されました。5月後半には、ロゴマークも披露されています。名古屋らしく?チョット斜に構えて「名古屋なんて」と言いつつ「だいすき」と落としているのはナカナカの出来栄えかと思います。これに愛知の「ジブリパーク」が加われば、魅力度が大幅にアップするものと期待したいところです。

 

愛・地球博記念公園、通称「モリコロ公園」=モリゾウとピッコロの公園、将来の「ジブリパーク」は、名古屋駅から地下鉄東山線で終点の藤が丘に行き、リニモに乗り換え(リニモというのは、リニアモータカーを縮めた愛称)、愛・地球博記念公園駅に。名古屋駅から45分ほどで行けます。公園の周辺も自然がゆったりと残されている。45分で自然がゆったりと残されてところが名古屋・愛知の魅力だと思います。

 

愛知万博の前に、日本で初めて万博を開催したのは、大阪万博。1970年のことです。僕はたまたま偶然ですが、この二つの万博の時には、開催場所の大阪、名古屋に住んでまして、地元の人間として見物に行きました。

1970年の大阪万博の時は、まだ大学生。謳い文句は 「EXPO’70、人類の進歩と調和!」 よく覚えています。それこそ高度経済成長を謳歌していた日本国の国威発揚の場であったような。岡本太郎さんの「太陽の塔」も斬新なものでした。ご自分の顔をデザインされたのかとビックリしました。アメリカ館の「月の石」の展示が爆発的な人気で何時間待つの分からなかったとか。関西人独特の突っ込みでミンナが「人類の辛抱と長蛇」とおちょくっていましたが、予想をはるかに上回る入場者数に達し大成功だったはずです。いま思えば、あれが、大阪のピークやったんかもしれませんねえ。

2005年の愛・地球博の時は、商社時代の東京生活からメーカー勤務の名古屋・碧南生活に移って暫くした時でした。「愛知」にかけて「愛・地球博」と命名。これはウマいと感心したのを覚えています。21世紀になって初めての万博で、万博そのものも従来の参加各国のお国自慢合戦とは趣を変えていたと思います。 

 

なんと大阪が2025年の万博に挑戦するそうです。 政府と大阪府による2025年万博の誘致活動が本格化しています。6月7日には、誘致委員会が誘致活動のシンボルとなるロゴを発表、絵文字でにっこり笑った人々の輪。「Expo2025 osaka-kansai/japan」。

6月13~14日の博覧会国際事務局の総会で、大阪府の松井知事が立候補国としてのプレゼンをやりました。これに先立ち政府は4月に立候補を閣議決定。他にもフランス、ロシア、アゼルバイジャンが立候補しており、開催地は、2018年11月の総会にて加盟国の投票にて決定される由。会場の予定地は市が開発を進める人工島「夢洲」。大阪再生のきっかけにと期待されているとか。(6月19日、日経)。

 

 2020年は東京オリンピックの開催が決まっていますが、これに続き、2025年に向かって大阪は再度、夢洲での万博の開催を志向し、一方で、愛知は跡地の公園の運営を民間中心にして2020年代初頭のオープンを目指すと。比較する意味はあまり無いかもしれませんが、今回は、愛知に軍配が上がるような気がして面白いですね。

 

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同じく愛・地球博記念公園、林床花園。6月23日撮影。

庖丁

図らずも、前回の『中華鍋』に続き料理道具編、その2.『庖丁』です。昨年の9月のブログ『料理って』『続、料理って』で書きましたが、火=料理というのが西洋料理の基にある考え方。かたや、日本料理の神髄は、割烹。すなわち、『割』=切ること、割ること、『烹』=火を用いて煮たり焼いたりすること。つまり、日本料理では「いかに切るか」ということが「いかに火を入れるか」ということと同等以上に重要視されています。この文脈から言えば、僕も最初に『庖丁』を書いてから、その後で『中華鍋』を書く方が良かったのかしらと反省しております。

確かに、日本では家庭で料理をしなくなっている状態を「庖丁の無い家庭」とか「マナ板が無い台所」とか表現してます。切ることに使う道具が、日本では料理・台所・家庭を象徴しているのかも知れません。その流れで言えば、欧米は火がベースだから同じことを表すのに「コンロの無い台所」なんて言ってるのかも知れませんね。電子レンジで全て対応して食生活を送っている方もいらっしゃるような気がしてきます。

 

その庖丁ですが、僕は何の変哲もない、いわゆる、三徳庖丁を使っています。肉、魚、野菜、全てに対応できる「三徳」=万能庖丁という意味だそうです。僕は、野菜大好き人間ですから、庖丁を使っているシーンを振り返ると圧倒的に野菜を捌いているところが出てきます。玉ねぎのみじん切りは最初は手間と時間がかかりましたが今では得意技の一つになりました。キャベツの千切りも楽しい作業かと。雑誌か本で栗原はるみさんが「ただひたすらにキャベツを千切りにするのが大好きです云々」という表現をされたことを覚えていますが、その気持ちはよく分かるように思います。

キュウリの輪切り、トントントンと切るのも楽しいと思います。秘密の技ですが、マナ板の上でトントントンと切るのではなく、空中で、左手にキュウリを持ち、右手に包丁を。手首を柔らかくしてグリップだけで包丁を動かしキュウリを輪切りにすることが出来ます。上手くいけば3-5㎜程度には均一にカット出来ます。問題点は、切ったキュウリの輪切りが流しのなかに散らばってしまうこと、および、やはり危険なことです。よい子の皆さんはマネをしないでください。最近は庖丁を使わず、1.5㎜程度の輪切りが簡単に出来るスライサーを使っています。便利な道具があるものです。

レタスを丸ごと買ってきて保存する技も覚えました。単に半分にカットしてそれぞれの芯のところに庖丁を入れて芯を取り除くだけです。レタスですから庖丁が気持ちよく入ります。それをラップまたはビニール袋に入れて冷蔵庫に。最低1週間は新鮮、パリパリ状態が維持出来ます。その他、大根、ニンジン、ジャガイモ、かぼちゃ(ちょっと硬いか)等々、野菜を庖丁で切るということには、何か「快感」が伴っているかも知れません。スパッと切れるから。僕が野菜料理大好きなのは、切るのが気持ち良いというのも影響しているかと思うくらい。

 

庖丁は、右手の親指と人差し指で刃元の腹をしっかりと握ります。人差し指を庖丁の峰に添えたりしない。残りの三本で柄を握る。これはゴルフのパターの握り方と一緒なので気にいっています。構えは、まず、まな板に正対。右足を半歩後ろに、そうすると体の面がまな板に45度の角度になります。これは自分で編み出したスタンスだと自負していたのですが、残念、その筋の本には、同じ説明が随所に見られました。皆さん同じようなことを考えるものだと感心しました。左手の指は、第一関節を柔らかく垂直に落として食材を軽く押さえる=横から見れば庖丁の刃と並行になっている。安全第一を心掛けています。

 

「有次と庖丁」という本があります。江弘毅さん著。新潮社。2014年3月初版。思い出してザアっと読み返してみました。最初に読んだときには全く記憶に残っていませんでしたが、改めて読むと面白いことをたくさん再発見しました。

僕が使っているのは「三徳庖丁」ですが、この庖丁は、両刃の牛刀から派生したものだそうです。意外と最近になって出来たもので、洋食が家庭に入り込んだ高度成長期に日本で作られたものだそうです。その基になっている牛刀というのは、文明開化で西洋化が進んだ東京で(牛・豚の肉料理に対応するために)肉を切るため両刃の新しい庖丁を東京・横浜の鍛冶屋、包丁屋が作ったものだとか。それまでは、庖丁と言えば「和庖丁」だった訳ですね。

「有次」というのは京都・錦市場でただ一軒、庖丁・料理道具を取り扱っているお店、和庖丁の老舗です。ご当主は何んと18代目になられるとか。このお店は藤原 有次という方が刀鍛冶として永禄三年=1560年に創業されたそうです。明治から大正にかけて包丁が主要な品目となり、鍛冶屋さんから包丁屋さんに。その時に、堺の鍛冶屋さんである沖芝一門の「打刃物」「本焼き庖丁」を取り扱うようになった。この沖芝一門も元々は村上水軍の刀鍛冶で広島・京都・堺の世界で有次さんと深い繋がりに。刀匠の伝統的な鍛冶仕事、鉄を打って鋳造する打刃物が今や世界的にも高い評価を得られている由。ちなみに、洋庖丁、三徳庖丁のほとんでは、抜刃物=鋼をプレス機で型抜きするものとのことです。

このお店、ここの包丁が凄いと思うのは、お客さん(プロの料理人、素人の個人を問わず)と包丁一本で何十年ものお付き合いを続けられていること。京都の歴史と伝統そのものが支えてくれているのかとも思います。庖丁に対する日々の”お世話”と定期的な”研ぎ”の重要性そして喜びをお客さんと共有されている。当主さん「大げさに言えば、よい鋼の庖丁は人の性格をも一変させる。ずぼらな人が良い庖丁を使うことによって、お世話することが好きになる。そうすると道具が喜んで役に立ってくれるから、余計にまたお世話したくなる。それを見ている子供たちは当然素直ないい子に育ちます」(註:原文は京都言葉で書いてあり、もっと味わいがあります。)

この考え方(思想ですね)を基に、更に更に、深く和包丁の世界を知ってもらうために「有次」のお店では、包丁研ぎ、魚のおろし方、料理、の三つの教室を開いていると。どれも予約がずっと先まで埋まっているそうです。古い割烹の料理人さんは、有次の柳刃庖丁を三十年以上使っており、「研いで研いで、ちびてちびて」そして、ぺテイナイフになっても使っているとか。

 

昔むかし「庖丁一本さらしに巻いて」と言う歌詞の歌謡曲がありました。「月の法善寺横丁」、歌は藤島恒夫さん。昭和35年=1960年発売。大阪では結構流行っていて子供の頃に訳も分からず歌っていたのを覚えていますが、今回、初めて時代環境と「庖丁」の重みが理解出来ました。「庖丁」は花形職人のシンボルだった。大正後半から昭和初めの時期、大阪や京都で対面式の板前割烹の料理屋スタイルが確立していたそうです。それまでの料理店、料亭では、料理人は奥の厨房で料理する。それを仲居さんが座敷に運んできて座敷のお客さんにだすというスタイルですが、板前割烹、上方割烹では、客の目の前で包丁を握り、その切れ味と腕前を披露する。割=庖丁方、烹=煮方とに分かれていたらしいですが、やはり、庖丁方が花形であり、庖丁方の板前にとっては、打刃物・本焼き庖丁は大変なステイタス・シンボルであったと。お客さんの前で魚を捌き刺身を引く。出来上がった皿の上の料理を鑑賞する以前に、板前の庖丁捌き・調理プロセスを目の当たりに出来る。日本刀様の刃紋を持つ庖丁の腕と技があれば男一匹カッコよく生きていけた時代。この本の表紙の帯のコピーには「有次===包丁こそ和食である。」と書いてありますが、なるほどと納得させられたような気がしました。

 

ここで漸く気が着きました。そうか、僕が全く頓着しないで三徳庖丁を使っているのは、やはり、魚を捌くことをほとんどしていないからだ。「割」の基本は、魚を捌く、刺身を引く。僕には、まだ、出刃庖丁、柳葉(刺身)庖丁を使う場面がないから気にならないでいたのか。料理の奥も深いなあ。いつの日か、京都に行って、庖丁を買いたいと思うようになるかしら?

 

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 留守宅の永良部のゆりが満開。これだけ咲いてくれると豪華です。2017年6月11日撮影。

 

おまけ

数年前、名古屋のマンションの近くにあるカウンターのステーキハウス(板前割烹ステーキハウスだ!!)で、メインデッシュのあとですが、チーズを出してくれました。ワインとチーズの組み合わせは、僕が大好きなものの一つなので。普段は、バゲットを普通に切って、それにチーズをのせて頂いていましたが、このお店ではホントに薄く(3㎜程度のイメージ)切って、ちょっとオーブンで炙ったものを添えて出してくれました。チョット炙ったバゲットは蝶々の葉模様のように美しく。もの凄く美味かったです。それこそ目の前で切ってくれましたが、あの時のナイフ(庖丁)捌きは神業に思えました。パン・バゲット切り用のギザギザのついた刃の長いナイフではなかった。今思えば、刺身庖丁のような鋭い刃の細身の長い庖丁のように思えます。マンションの台所でやってみても上手くカット出来ませんでした。バゲットが違うのかと思っていましたが、庖丁が違ったのかしら。大将にイロイロと教わっておけばよかった。このお店は、数年前に急に引っ越しされてしまいました。残念。