クルルのおじさん 料理を楽しむ

『卒業』

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支笏湖の北方民族伝統工芸品・限定遺作品を取り扱っているお店で買ったもの。表情豊かな作品かと。買ったのは2018年5月。撮影は2018年6月20日

 

 

6月14日付けで、会社の一切の役職から退任しました。僕の仕事人生の卒業です。6月14日は、碧南の会社の全社集会で挨拶する機会を頂きました。翌15日は、日向の会社の同じく全社集会で同じ機会を頂きました。2003年に碧南の会社に来て以来、早いもので15年経っています。当時、若手・中堅の社員だった仲間が、今では、会社の中核を担う幹部・役員に成長しています。挨拶の時にも、「そのことが大変に嬉しく、頼もしく思っている」ことをお話ししました。また、会社を離れても、名古屋での生活を続けるつもりで、神奈川の留守宅と名古屋のマンションを行き来する生活をしてみるつもりであることも話しました。説明を端折ったので「何、それ?」と思われた方も多かったかもしれません。

 

 

日向の会社の常勤の役員さんは、昨年度から、全員が日向の会社の生え抜きの方々になっています。「自分としてはそれを大変に嬉しく思っている。今の役員さんもその重さを改めて認識して頂いて頑張って欲しい」旨をお話ししました。最後まで、説教じみたことを話したかと後で心配になりましたが、役員の方が「ありがとうございました。苦しかった時のことを思い出してジーンときました。チョット、ウルウルしてしまいました。」と言ってくれたので、”言いたかったことは通じてたんや”と思って、僕の方もウルウルしそうになりましたが、流石に涙は見せないで済ますことが出来ました。その夜は幹部・役員さんとの懇親会がありました。翌日の土曜日は恒例の懇親ゴルフが予定されており、ゴルフの話題を中心にひたすらに明るく楽しく場を盛り上げることが出来ました。

 

 

先週あたりから、お客さん・取引先への挨拶回りをやっています。久しぶりに大忙し。夜の会食も続いています。なぞなぞクイズ「減らすのは大変に難しく、増やすのはチョー簡単なことは何でしょう?」。貯金は全く逆だと思いますが、正解の一つは体重でしょう(個人差はもちろんあります)。僕の場合、会食=食事を楽しむと同時にお酒を飲んでしまうことですから抑えていた体重も簡単に増加傾向になってきます。この生活パターンは7月上旬くらいまで続くことになります。ハードなスケジュールで彼方此方回ることになるので、結構、疲れますが、ちゃんと挨拶回りさせて貰えるだけでも本当に有難いことだと感謝しています。その時に、僕のお腹回りはどうなっていることやら、やや心配、かなり心配、大変に心配です。

 

 

そんな訳で「卒業」しても挨拶回りがあり、それが一段落するのはもう少し後になりそうなのですが、はてさて、その後は、どんな生活になるのでしょうか。それなりの準備をしてきたし、覚悟は出来ているはずなのですが。不安と言うのでは無いと思っているのですが、まだ、実感が沸いてこないというところです。

 会社・仕事に行かなくても良い=行く必要が無い=行かねばならないところが無い。時間を潰すことは、それなりにいくらでもあると思っているのですが、それで自分が満足したり、充実したりを実感できるものなのかしら。仕事というのは、お金=お給料を頂いて、さらに、仕事上の充実感、達成感、満足感も持つことが出来て、こんな有難いものは他には無いのかもしれませんねえ。やはり、僕は会社・仕事人間だったんでしょうねえ。

 

 

本屋さんでその関係のコーナーを覗くと、例によって沢山の本が並んでいます。定年後のなんじゃら、とかそういう類の本。僕は、料理の本とか、健康とか、ゴルフの本とか所謂ノウハウ本も結構よく読んでいるほうかも知れませんが、このテーマの本は読んでみようと思わないですね。端から全く期待していない。天邪鬼な性格からなのか、尤もらしいことが書いてあるだけでアホらしいものと読まないで勝手に決めてかかっている。

 でも一方では、「卒業」後の生き方について、先達からの金言とか心構えとか、すっと腹に落ちるフレーズを求めているのは間違いのないところです。ふとした時に、そういう言葉に出会うと素直に嬉しくなることがあります。この一年の間にも有難いことに、そういう出会いがありました。

 

 

日経新聞であったと思いますが、某大手トップ飲料メーカーさんの広告の一面広告がありました。製品の宣伝ではなくイメージ広告。タイトルは「60代の若者たちへ」。今まで仕事、仕事で生きてきて、とうとう会社・仕事から離れることになった年代に対するこの会社のアピール広告でしょう。脚本家・劇作家・演出家の倉本聰さんのメッセージが掲載されている。倉本さんは1935年生れ、15歳も年上です。所謂、カッコ良く老いていると思わせてくれる方。短い文章でしたが、それを更に短くすると

「長く生きることより、どのように生きるかに価値がある。」

「もう一度、原点や初心に立ち返ってみてはいかがか。」

「この先どう生きるか。しまっておいた夢を取り出してみないか。」

しまっておいた夢を取り出して、アームチェアに座ってこの会社のウイスキーをロックで飲んでいる姿を想像してしまいそうな、相変わらず上手いアピール広告だなあと感心しました。言葉というのは大変なもので、頭のなかではこのような気持ちを持っていることは分かっているのに、それを言葉に書き表すということが出来ない。プロの文章家さんの凄いところだと思います。

 

 

もう一つは、図書館で借りてよんだ本の中で出会いました。河合隼雄さん「出会いの不思議」創元社。もともとは中央公論社の巻頭言に掲載された短文を纏めたもの。学者、研究者、知識人等々の方と面談した時、または、彼らの文章を読んた時に、河合さんが関西弁でいう「オモロイ」と感じたことを綴ったもの。 

 

「隠遁生活ではなく”陽遁”を」

「年齢が来たから、それまでの地位を退く人は多い。その時に、退職とか考えずに”陽遁”すると思うと、ずいぶん感じが変わる。煩わしいい俗事を離れて、自分の好きな世界に陽気に入っていく。何かを失うのではなく、新しい生活を拓くことになる。白洲正子の晩年は、まさに陽遁であった。」河合さんの言葉ではなくて、どなたか学者さんが引退されるに際してのコメントであったと思います。

「煩わしいい俗事を離れて、自分の好きな世界に陽気に入っていく。」これも、倉本さんのメッセージと同様にナカナカ一行では言い表せない言葉でオモロイなあと思いました。

 

 

挨拶回り雄の道中で、カズオ・イシグロを更に二冊読みました。「日の名残り」と「私を離さないで」。「日の名残り」は、退任・退職・引退しようとしている立場の方が読むと、更に印象深い読み物かと思います。イシグロのおっさんは、やはり、只者ではない。大した作家だと思いました。

 

本日は、若干メランコリックになっているのかも知れないクルルのおじさんでありました。

 

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沖縄のグラス。いつも連れて行ってもらう那覇にある地元の料理屋さんで泡盛を頂くときに出てくるグラスです。工芸品店とかお土産屋さん等々で同じ輝き・色調のものを探すのですが今まで見つけられず仕舞い。今回で当分このお店にも来れないかと思い、思い切ってお店の方に話をしたら破格のお値段=そのお店の仕入値段で分けてくれました。これで焼酎を飲んだら、夢を取り出せるかな。2018年6月17日撮影。

お葬式

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永良部のユリの写真、その1。今年も豪華に咲いてくれました。奥にヘベスの苗木が植わっているのですが、この写真では見えないくらいユリがいっぱいに咲いています。2018年6月3日、撮影。

 

 

 

取引先の会長さんの奥様が亡くなられました。葬儀・告別式に参列してきました。早く到着したので会長さんに元気を出してもらうよう挨拶をしようとしたのですが、会長さんの目が真っ赤でした。言葉が出てこず涙が出てしまいました。会長さんが喪主としてのご挨拶をされた時には、思わずもらい泣きをして、また、涙が止まりませんでした。心よりご冥福をお祈りしたいという気持ちと、同時に、残された旦那さん=会長さんが早く元気になって欲しいという気持ちを強くしました。

 

 

小麦粉、砂糖、お米等々の取り扱いで全国トップクラスの会社の会長さんです。会社の会長だけでなく業界団体の役職もされている方なので、多数の方々が弔問に来られていました。僕は、そのなかでも長年にわたり、そして、公私にわたり深くお付き合いをさせて頂いている一人であろうと思います。会社経営振り、営業・販売方針等々では、いつも強気で積極的な会長さんです。商売の話になるとお互いに激しくやり取りする時もありましたが、いつも良い刺激を頂ける方です。仕事で壇上に立って挨拶をする際には、強面の顔で”みんなで一生懸命頑張って儲けましょう”と気合を入れた威勢の良い挨拶をされるのが常でありました。

 

 

この日ばかりは、喪主さんとしてのご挨拶はボロボロ、クシャクシャでした。もともと挨拶は得意ではない。気持ちを大切にされて、強気の姿勢を前に出してやってられる方だと感じておりますが、この日も、自分の気持ちを分かってもらえるように素直に話しようとされていました。「自分が会社で社長、会長をやることが出来ているのは、仕事以外の全てを安心して任せることが出来た女房がいてくれたからだ。自分より先に逝くなんて信じられない。残念でならない。」という趣旨のことを何回も言葉に詰まりながら、顔をクシャクシャにされながら挨拶されていました。参列していたほぼ全ての皆さんが、亡くなられた奥様の存在がいかに大きかったのかを改めて認識されたことと思います。

 

 

この葬儀には、喪主さんと大変に仲の良いもう一人の業界の重鎮の方(この方も会社の会長さんです)が東京から参列されると連絡があったので、名古屋駅で待ち合わせをして一緒に会場に入りました。葬儀の席でも横に並んで参列していましたが、喪主さんのご挨拶の時、ふと横を見ると僕よりも激しく涙を流されているのが目に入ってしまいました。三人の年齢ですが、この方が最年長=70歳後半、喪主の会長さんが真ん中=70歳前半、僕が最年少=60歳後半。客観的には三人とももう立派なおじいちゃんですが、僕も含めて三人とも極めてお元気、その年には見えない方ばかり(自分で言うのはチト恥ずかしいですが)。僕も自分では気持ちを若く保っていると自負していますが、最年少の僕よりもお二人はずっと気持ちが若い。仕事は現役で熱心にやられているし、話題は豊富、自分の気持ちを熱く語る、熱心に議論する。ゴルフも楽しく一緒によくやっています。いつもキャデイさんが年齢を聞いて驚くくらい。

 

 

昨年の5月に、それぞれ夫婦一緒に六人で会食をしました。喪主の会長さんの亡くなられた奥様にお会いしたのはこの時が初めてでした。年長さんのご夫妻が会話をリードして場を盛り上げて頂き、大変に楽しい会食でありました。年中の喪主さんは、男だけの会食の時には仕事の話中心に強気で迫力のある話しぶりで会話をリードし、年長さんも年少さんの僕も黙らされることがあるのですが、この時ばかりは勝手が違ってか、大変に大人しく優しい旦那さん振りでありました。口の悪い(=三人ともに、常に相手にスキあらば突っ込もうと準備しているタイプですから)年長さんと年少さんの僕の二人は、喪主さんのいつもと違う態度に、思わず膝を打ち、声を合わせて「そうか、アンタは奥さんが一緒のときはすごーく優しくて良い旦那さんになるんだ。これからは、いつも奥さんに同席して頂くことにしよう。回りの方々が大変に助かる!」と声をあげて大喜びしました。調子に乗って、僕は奥様に向かって「奥様はすばらしい猛獣使いですね」と大変に失礼なことを言ってしまいました。奥様は優しく「そんなことありませんよ。家では優しい旦那さんです。」と笑って軽く往なしてくれました。その間、旦那さんは、余り会話には入らず、恥ずかしそうな、ふてくされているような怖い顔をしていました。内心では”こいつら、勝手なことをしゃべりやがって、けしからん。あとで覚えておれ。”と紋々としていたことなのでしょう。

 

 

奥様は享年70歳。お元気に生活されていたとのことですが、5月上旬に突然に倒れられました。介護の甲斐なくお亡くなりになったそうです。余りにも若く、そして、全く急過ぎるご逝去です。

 

 

この年齢になってからですが、この数年、仕事関係で親しくなった方と、夫婦でお会いする・会食する機会を持たせて頂くようになりました。旦那さんは皆さん元気で仕事大好き人間ばかりですが、家庭の外=仕事の場と家庭内での表情に結構個人差があることを感じます。①家庭外も家庭内も全く変わらず、素晴らしい企業人であり家庭人である方。②仕事では厳しく激しく近寄りがたい様に見えるが、いったんご家庭に入ると、本当に優しい旦那さんに変身する方。③外面はそこそこ優しく何かと気を遣うように見えるが、家の中では我が侭、勝手し放題の方。

はい、年長さんは①のタイプ。年中さん(喪主さん)は②のタイプ。そして年少さん(僕のこと)は③のタイプかと思います。

 

 

 ご遺族をお見送りしている時に、沢山の参列者のなかに、老舗の海苔・ゴマ等々の食品会社のオーナー会長さんの顔をお見かけました。この方は年長さんほどのご年齢の方。足をチョット悪くされてますが、全く、お元気。やはり、目を真っ赤にされていました。「旦那が先に逝くと女房は元気になって10歳ほど若返るというのにねえ」と冗談を言いながら、しみじみと「女房が先にいったら、ダメだねえ。辛いだろうねえ。キビしいねえ。喪主さんに何と声を掛けたら良いのか分からなかったよ。」としみじみと仰ってました。参列者の皆さんも、もし、自分のカミさんがそうなったらと考えられて神妙な気持ちになられていた方が沢山いらっしゃったかと感じます。

多分、この夜、少なくないご家庭で、「かーちゃん、元気で長生きしてよねえ。最低でも、僕より長く生きないと困るよ」てな会話があったのではないかと思います。 

  

年長さんは、出てくる前に奥様に同様のお話をされたそうです。奥様は、一枚も二枚も上手で、”当たり前でしょ。あなたは私よりも先に逝く方が良いです。そうでないと、あなたが一人残ると、子供達にも会社の方にもとにかく周りの人に迷惑をかけてしまうから。”と厳しく言い返されたそうです。「いやはや、全く。俺は一人になると迷惑なバイ菌みたいに言いよる。当たってるから何も言い返せなかったわ。やはり考えれば考えるほどカミさんには”お先にゴメン、あっちで待っとるからねえ”で逝きたいわなあ。」と。誠に奥様の突っ込みは明言であると感心致しました。

 

 

以前、このブログで書きましたが(『ひと手間』2016/11/13、『台所』2016/9/22、を読んでいただければ嬉しいです。)僕の兄も嫁ハンに先立たれました。今、どういう生活をしているかと言いますと、仕事が忙しいので助かっていると。兄は昭和22年生まれの旧企業戦士ですが、元々公認会計士の資格を持っており、今は自分の事務所を開いていますので、世間でいえば「先生」と呼ばれる立場にあります。腕に覚えの資格を持っていることにどれだけ助けられていることか。僕の尊敬する弁護士先生も同様の生活を送られております。昭和前半の世代は、仕事を中心にしたなんとも真面目な生き方をしていることかと感心します。

 

 

年中さんの会長さんが今からどういう生き方をされることになるのか。とにかく、今は、ご自身の健康に十二分にご留意くださるようにエールを送りたいと思います。そして、改めて、亡くなられた奥様のご冥福を心よりお祈りしたいと思います。合掌。

 

 

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引越しの後、どこに仕舞ったのか分からなくなっていたノートが出てきました。レシピを書き込んだノート。軽く200頁はあると思います。久しぶりにスパニッシュオムレツ。最近は、料理の色=緑、赤、そして白、黄ともう一つ計5色を組み合わせることにチョットだけ拘っています。パン・ウエイさんの本を読んだ影響です。中国4000年の知恵!だとか。焦がしすぎたのが残念。2018年6月8日、料理・撮影。

 

 

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永良部のユリの写真、その2。名古屋でお世話になっている先生のご自宅。2~3年前に球根をプレゼントしたら、奥様がしっかりと育てられて、今や、庭中に咲いています。鉢植えにされている一角。この左側には地植えしてあるユリの花が咲いています。2018年5月31日、撮影。

 

カズオ・イシグロ、その2.

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 北海道、支笏湖の観光船。支笏湖は透明度の高い湖。乗船して地下の座席に着くと湖底が見えるように設計されている。座った途端にヒメマス、ニジマスがお出迎え。お客様との最後になるであろう懇親会に参加してきました。皆さんに感謝の気持ちをお伝えすることが出来ました。感謝、感謝です。2018年5月25日撮影。

 

 

かなり前に、電子書籍と在来の本の比較をしている記事を読んだことがあります。普通の本の良さ=電子書籍では感じられないであろうことの一つに、普通の本は読んでいて残りの枚数が分かる。その時点で半分まで読んだとか、残り1/3になったとかが 一目瞭然に感じられることを挙げられていました。久しぶりに500頁近い長編小説を読み終わりましたが、最後の最後までハラハラドキドキ、まだ、終わらないで頂戴、もっと続けて欲しいと感じながら、あっという間に、全部、読み終えてしまいました。やはり、頁を自分で捲りながら、今、この物語のどの辺りにいるのかを感じながら読む方が楽しいと思います。

 

 

カズオ・イシグロさん著「忘れられた巨人」。文庫本で478頁の長編力作です。長編小説としては「わたしを離さないで」以来10年ぶり、短編集「夜想組曲」からも6年ぶりの作品の由。2015年に発表されて、日本でもすぐに翻訳出版されたそうです。前回の『カズオ・イシグロ』でテレビ番組=「文学白熱教室」の事を書きましたが、この番組は「忘れられた巨人」の日本での販売プロモーションを兼ねた企画で来日された時に収録されたもののようです。本を読み終えてから、もう一度、借りたビデオ録画を見てみました。

 

「発表直後の講演だから、内容の詳細は言えないが」と前置きしながら、この小説の骨子を紹介されていました。アーサー王伝説を土台にしたファンタジー的な舞台設定です。「みんなが出来事を忘れていく、記憶が朧げになっていく。その原因は、ドラゴンの魔法の息。ドラゴンを退治すれば記憶が戻るはずとの見方が多いのだが、いやいや、嫌な記憶を封印することで平和が保たれているのだから殺してはならないという空気も結構強い」。主人公は老夫婦、そして、戦士と少年、賢者、さらに老騎士と面白いキャラクターが登場します。イシグロさんは嫌がるのでしょうがファンタジー映画を見ているような素晴らしい展開です。

 

 

イシグロさんの解説によると、

「この物語では語り手の口調が一貫していない。それが物語の進展とともに、徐々に正直になっていく。信頼が置ける様になってくる。すなわち、現実に正面から向き合う様子が描かれている。」

更に、怖い話を例をとって話されていましたが、

「第二次世界対戦中、フランスでは、強い強制があったわけでは無いにも拘わらずナチスドイツへの多くの追従があった。人々は疑心暗鬼になっていた。戦後、ドゴールはフランス国民は”全員が”勇敢にナチスに立ち向かったと信じている状況を作り出した。そうする以外に国をまとめる方法はなかった。」

「現在に至る社会でも状況は変わっていない。ルワンダの状況、南アフリカアパルトヘイト、ユーゴの状況、いたるところに”葬り去られた記憶”がある。」

最初この番組を見た時には、この件は、ほとんど印象に残っていませんでしたが、結構、この本のことを触れられていたのを認識しました。

シャレになりませんが、僕は自分自身の記憶がすぐに消えてしまっていることにかなりの危機感を感じました。いや、これは記憶以前の問題でそもそも番組を見ても何も頭に入っていないのかと一層、不安になりました。これもインパクトの強いこの小説の影響を受けたからだと思いたいのですが。

 

 

講演での彼の解説を説明するとエラク理屈っぽい小説のような印象を与えることになるかと懸念しますが、この小説自体は全くそんなことはありません。素晴らしいファンタジーであり、老夫婦のラブストーリーであり、そして、サスペンス小説です。冒頭に書いた通り、最後の最後までハラハラドキドキ、最後の最後に何が起こるのか!。これは今から読まれる皆様の為に控えさせて頂きます。

最終章に近いところは東京から名古屋に向かう新幹線のなかで読んでいました。あと、わずかで読破できそうというところで名古屋駅に到着してしまいました。読むのを中断するのが残念なので、そのまま駅構内の喫茶店に突入して読み終えました。多分、30-40分ほどの時間だったと思いますが、時間の経つのを忘れておりました。

 

 

 「辛うじて記憶が残っている間に息子に会いたい。記憶がなくなったらお互いの愛も消えていくのでは」と心配しつつ息子を探す旅に出る二人。強い絆と愛情で結ばれている年寄りのご夫婦が主人公です。寓話も至る所にちりばめられています。島への渡し船に一緒に乗船するためには船頭さんの質問をクリアーする必要があります。クリアーしなければそこで夫婦は別れ別れになってしまいます。愛情、信頼が問われます。この話が最後までサスペンス的な緊張感を持たせています。

 

 

原題は「the buried Giant」。英語を逐語訳すれば「埋葬された巨人」とか「葬られた巨人」になろうかと思いますが、「忘れられた巨人」と訳されて小説のタイトルとなっています。地中に葬られ忘れられていた巨人(思い出したくない嫌な記憶)が動き出す恐怖。読みようによっては、ドラゴンの魔法をかけられていること自体を忘れてしまうようになることの恐ろしさ、を言ってるのかも知れませんねえ。

 

 

イシグロさんは、「何故、小説なのか」に大変に拘っていますが、小説の手法として「記憶」というものを意図的に駆使して物語を進めているそうです。演劇、映画・テレビのドラマ等々では表現出来ないモノ、紙の上・小説でしか描けないモノ。それが、記憶という表現方法だと。30年前の記憶と10分前の記憶を織り交ぜて物語を展開していく手法であるとおっしゃってます。それにしてもイシグロさんの素直な語り口には改めて驚いてしまいます。自分の小説の云わばノウハウ=イメージの育て方、小説の構成についての手法、書き方等々、手の内を全く平気ですべて曝け出しているような感じです。これが彼の言う「思いを伝える、感情を分かち合う」ということにも繋がっているのでしょうね。

 

 

久しぶりにbook offに行きました。以前、行った時には、イシグロさんの本を見つけることが出来なかったのですが、この日は、”ハヤカワ”のコーナーが目に入ったので探してみると置いてありました。”そうや、イシグロさんは外国人作家に属しておるんだわ”。以前、僕は日本人作家のア・イ・の欄を探していたのでした。ホンマ、アホですねえ。

置いてあった三冊を買ってきました。「遠い山なみの光」「日の名残り」「わたしを離さないで」。当分、電車に乗っている時間が短く感じそうです。

 

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良い本を読んで気分充実。 久しぶりの二品の料理。

①もやしを食べる為の焼きそば。ニンニク・しょうがをたっぷり。お肉は明宝ハムと合いひき肉、ピーマン・人参・玉ねぎ、油揚げと竹輪も。麺の味付けは醤油とお酒とお酢。最後に胡椒と唐辛子で辛めの味付けに。塩は使わず。

②アボガドサラダ。キュウリ、玉ねぎ、らっきょ漬けを全て微塵切りに。アボガドも同様に細かくカット。

アボガドは皮を剥くのが邪魔くさそうに思っていましたが、先日、カミさんから手ほどきを受け簡単だと理解出来ました。今、アボガドの皮むきにハマっています。撮影技術の拙さが残念。2018年5月29日撮影。

 

カズオ・イシグロ

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神奈川の留守宅の平兵衛酢の苗木です。手前の永良部のユリが沢山大きく育っているので、やや分かり難いかも。当初50㎝程度の苗木でしたが、こちらでも順調に育ってくれています。新しい枝は既に20㎝程度伸びています。2018年5月21日撮影。

 

 

散歩の延長でプラプラと近くの図書館に入りました。特に何を探すでもなく本棚を覗いていたら カズオ・イシグロさんの本が置いてありました。ちょうど出張に行くタイミングだったので、あるだけ借りてきました。「浮世の画家」「わたしたちが孤児だったころ」「夜想組曲」の三冊。

 

 

イシグロさんのことは恥ずかしながら、昨年、ノーベル文学賞に輝かれた時まで、殆ど知りませんでした。辛うじて名前は聞いたことが有る程度の認識。ノーベル賞を受賞されてから、多くの記事を目にして、そして、興味を持つようになりました。単純な話がキッカケです。週刊新潮の記事に、戦前、イシグロさんの祖父が中国・天津に渡りお仕事をされていた時のことが記載されており、その時に勤務されていた会社が僕が務めていた総合商社であったというだけの話です。それだけのことで一気に距離を近く感じるようになりました。この週刊誌の記事は、イシグロさんを分かりやすく紹介していて好感の持てる記事であったと思います。

 

 

その記事を読んだ時には、僕はまだイシグロを一冊も読んだことは無い状態。ノーベル賞の受賞というのは大変なもので、すっかり、時の人になっています。新聞、雑誌、テレビの番組等々で、情報が勝手に入ってくる。一冊も作品を読まないうちに、その作家の周辺情報をこれだけ知ってしまうというのは、今までに無かったことかも知れません。

 

 

経歴がユニークです。1954年、長崎生まれ。僕よりも4歳年下です。父親の仕事の関係で5歳でイギリスに渡ることに。当初は短期間、例えば一年ほとで帰る予定で考えていたものが、父親のお仕事(=海洋学者さんです)が現地で評価されてイギリス滞在が長期化。そのまま英国に滞在を続け、英国籍を取得。一時は音楽家、それもロックスターを目指したそうですが、方向転換して作家に。本人もインタビューで答えている通り、日本人家庭で育ったものの、家庭の外では完全にイギリス人として育った。学校では日本人は一人もいない。イギリス人以上に完全なキングズイングリッシュを身に着けた方の由。

 

 

僕が彼に興味を持っていることに興味を持ってくれた知り合いが、テレビ番組のビデオを貸してくれました。今年の新春に放送されたNHKの番組「文学白熱教室」。再放送です。昨年、ノーべル賞を受賞されたのに伴いアンコール放映されたもの。この番組中で、ご本人が自分の年齢を「今、60歳」と仰ってましたから、受賞よりずっと前の2014年か2015年ごろの番組かと思います。

イシグロさんご本人が学生相手に「小説とは何か?、何故、小説なのか?」を語りかける形式で、学生さん(日本人が中心のようですが、欧米・アジア系らしき外国人も参加している。日本人と思われる方も英語を流ちょうに操っている。日本での番組と思いますが、これも面白い構成だと思いました。)からも自由に質問が飛び交って、それに真摯に受け答えするイシグロさんの姿勢に大変に好感が持てました。まず、表情と声が良い。お顔つきもなかなかにハンサム、気品のある顔と言って良いのではと思います。

 

 

最初の長編二作は日本を舞台にした小説。僕が借りた「浮世の画家」が二作目。1986年の発表ですから、30歳代前半の作品。ご本人の言葉によると「薄らいでいく記憶を保存しておきたい」という強い気持ちが執筆の源にあるとか。「戦前に一世を風靡した画家が、戦後、時代遅れになってしまう様を描いたもの」と淡々とコメントしていましたが、日本人以上に日本のことを瑞々しく描写していると大変に関心しました。イシグロさん自身が実際には知らない「日本という世界」のイメージは祖父の影響を大きく受けて出来上がっているとのことです。

原書は当然英語ですから、この本は翻訳されたものですが、この翻訳が素晴らしいと思いました。日本生まれで日本人の顔つき・風貌をした作家が英国で英語で書いた日本を舞台にした小説。それを日本人の方が翻訳して、僕が読んでいる。何やら不思議な感覚です。翻訳は飛田茂雄さん。飛田さんは巻末にコメントを記載されてますが、「人間の独善性に対する厳しい批判」そして「年じゅう自己正当化しなければ生きていけない弱い人間に対する深い同情」と多分イシグロさんが描きたかったことを簡潔に評価されています。飛田さんは2002年にご逝去。翻訳されたものは、イシグロさんのお母様がお読みになって、その翻訳の日本語が素晴らしいことをイシグロさんにお伝えになっていたとのことです。

また、イシグロさんの小説の各章には、その時の年月が記載されているのですが、この本の最後の章は、1950年6月。1950年が大好きな僕はこれも気に入った理由の一つになっているのかも知れません。

 

この翻訳された日本語の本を読んだ後で、英語で書かれている原書を読むことが出来れば面白いだろうなあと思いました。日本人の感性が表現されている小説だと思いますが、それをナマの英語で表現したら、どのように書かれているものなのかしらという興味が沸いてきております。

 

 

この日本を舞台にした二作がそれぞれ英国での権威ある賞を受賞してイシグロさんは英国で作家としての地位を確立されたのですが、ご本人は、”日本のことを題材にしている日本生まれの英国人の作家”という評価には不満があったそうで、ご自分としては、もっと普遍的なテーマを扱っていると自負されていたと。これが、第三作目の「日の名残り」につながっていくとのことです。この三作目で、英国文学の最高峰と言われるブッカー賞というのを受賞。”日本”という注釈無しの”英国人の作家”として最高水準の一人との評価を揺るぎないものにされたそうです。

ご本人に言わせると「小説の舞台は動かすことが出来る。ジャンルも変えることが出来る。アイデアの奥深いところに価値がある。」とのことです。この本も読んでみたいですね。

 

 

このテレビ番組でのご本人のお話「何故、小説なのか?」は大変に興味深いものでした。素直な真摯な語り口が大変に印象的な。「(曖昧な)記憶を通して語る」ことの小説の手法としての面白さもよく理解できるような気がしました(最も、昨今の日本の国会での答弁に出てくる「私の記憶のたどる限り」云々は全くシャレにならないと思いますが。蛇足です)。

 

図書館に返却に行き、また、本棚を覗いてみたら「忘れられた巨人」がありました。これは2015年の発表。借りてきました。今日からまた出張に出るので道中の読書が楽しみです。ちなみに出版社はすべて早川書房。何かの記事に、地道に翻訳出版を続け良質の海外の作家を日本のフアンに送り続けているハヤカワを評価するコメントが出ていましたが、全く、同感です。これからも良い作家を発掘・紹介して欲しいものです。感謝。

 

 

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名古屋のマンションの平兵衛酢の苗木。こちらの方が、生育が早い。新しい枝は50㎝程度に成長。前回掲載以降に虫が発生、葉っぱを食べられてしまいました。殺虫剤は一切使用せずに退治したらその後は発生していません。多分、苗木の土の中に卵が着いていたのかと。虫よけにミントの鉢を置いてみました。オマジナイ。2018年5月24日撮影。

 

東名走破

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 東名高速のパーキングエリアで。ちょっとした公園があって山々の向こうに良い角度で富士山を展望出来る。薄曇りのお天気がチト残念でした。2018年4月29日撮影。

 

 

4月末に、カミさんと一緒に東名を走破しました。自宅から出発して横浜町田🆋で東名高速に入り名古屋のマンションまで。毎日もっと長い距離を走っている遠距離のドライバーさんがいらっしゃいますから「走破」というほど大袈裟なものではないのですが、僕にとってはかなり久しぶりの長距離ドライブ。時間をかけてよいので、ひたすら安全運転を心掛けました。

運転は僕だけです。カミさんも免許書は持っているのですが、そして「交代で運転しようか」と言ってくれるのですが、今までほとんどずっとペーパードライバー。今更、運転を再開して、万が一・・・。やはり、事故が怖いので運転はご遠慮して頂いています。僕が一人で運転できなくなった時にどうするかが問題かも知れませんが、まあ、それはその時に考えればよかろうと。

 

車はホンダのCR-V、日向時代からの自慢の四駆です。もう12年選手。既に何世代も前のモデルです。最近のクルマが全般的に何やら劇画的にゴテゴテしているのと比較すると、かなりスマートだと評価しています。僕が日向から名古屋に戻った時から、このホンダは留守宅に留めてあります。長男がたまにドライブしたり、僕が帰った時に買い物に行くか、ほんの偶にゴルフに行くときに利用する程度。バッテリーが上がらないように注意が必要な使用頻度です。

 

 

 大型連休前半の二日目なので渋滞の程度が心配でした。自宅から横浜町田🆋に入るまで16号線の渋滞が心配でしたが、数年前に途中の246号線との交差点が高架に整備され、昔の酷い渋滞はなくなっていました。車が空いていれば10分程度で行ける距離なのですが、ここは渋滞が当たり前で1時間以上かかることがよくありました。道路整備の効果が出ています。感謝。東名に入ってから厚木🆋辺りまでは、相変わらず車が多かったですが、ナントか流れている。40~60~80㎞程度のスピードで走れたように思います。最初は、とにかくゆっくりと安全に運転しようと思っていた僕にとってはちょうど良い混み具合でありました。

 

 

その後は大変にスムーズな流れになりました。僕の場合、安全運転とは車間距離を十二分に保つこと。もともと、前後の車との距離を詰めるのも詰められるのも嫌いです。制限速度をチョット超えたくらいで、走行車線中心で、そして休憩を多くとって運転しました。

 心なしか、一昔前に比べて、皆さんの運転が大人しくなったように感じました。昔は、やや混んでいる時には、隙あらば追い抜かそうとカリカリした運転をしているドライバーがいたり、空いている時は、後ろから凄いスピードで詰めてきてドケドケと威嚇するような運転をする人が大勢いらっしゃったように思いますが、心なしか少なくなったように思いました。走行車線をのんびりと運転していたからそう思ったのかも知れません。

 

ゆっくりノンビリ運転を続けてお昼は静岡辺り休憩。急ぐ旅ではない、安全第一なのですが、昔のイメージでいえば、もう名古屋の近くに着いていてもおかしくない時間が経過しています。人の体は面白いもので、ゆっくり安全に運転していれば、それほど疲れを感じることは無いだろうとイメージしていたのですが、久しぶりに運転席で固まって運転している訳ですから、それだけで十分に疲れてくる。 ”ゆっくり運転するというのも却って疲れるもんやなあ”と。

運転に慣れてきたというのもあってか、それ以降は、それなりのスピードで、追い越し車線も頻繁に走ってメリハリをつけた運転に切り替えました。但し、車間距離だけは十二分に保って。その方が心地よい緊張感を感じることが出来て、却って、体が楽に感じました。やはり、自分なりの楽なペースというのがあるのですかね。

 

 

 名古屋でのメインイベントは、名古屋でお世話になっている方の結婚式・披露宴。この席に僕たち夫婦で出席するように声をかけて頂いたので。新婦さんはプロのピアニスト。演奏活動を続けながら、ピアノの教室を開いていらっしゃる方。出席しているお友達もほとんどが音楽家の方々です。披露宴は、簡潔なご挨拶のあとは美味しい食事を頂きながらの演奏会という感じでした。とりわけ、新婦さんの弟さんのピアノの演奏が素晴しかった。彼は本格的にピアノを習っていたのは幼年期のみということなのですが、この日のために練習を重ね、堂々とした熱演ぶりでありました。いわゆるアマチュアの方の演奏は彼一人であったと思いますが、その日、一番の拍手を浴びていました。ご家族の結婚式・披露宴の席で男の子(彼は立派な成人男子です、念のため)がお祝いのピアノ演奏を披露するというのは良いもんですねえ。 

 

 

二番目のテーマは、カミさんに名古屋の新しい住居の住み心地をチェックしてもらうため。ついでに、車があるので各種の買い物。

カミさんが滞在中は、基本的には私が料理を作りました。といっても、前回紹介した「炭水化物系主食のみ但し野菜は結構沢山摂っている」料理であることに変化はありません。朝はトースト・レタスサンド、または、ご飯と納豆・豆腐定食。夜はもちろん「戦艦ヤマト」の各種チャーハン。隠し味=レタス・サンドにワサビ、チャーハンにはショウガ(これは隠し味とは言わないのかしら)は結構、評価が高かった。この2か月ほどの自分の料理に対してちょっとは自信がつきました。

 

 

家のなかで毎食ずっと同じ系統のものを食べると当然ストレスが発生しますから、近隣の散策を兼ねて、普段一人では行かない近くの食堂にも足を運びました。といっても二軒だけですが。到着した日の夜は、そば屋さん。名古屋は美味しいそば屋さんがあちこちにあるわけではないと思います。また、名古屋では麺類と言えば、蕎麦よりも”きしめん”、乃至は、味噌煮込みうどん、カレーうどん等々”うどん”の方が有名かも。このそば屋さんでも、冬は味噌煮込みうどんが人気メニューの由。”ええっ、そば屋でうどん系も出すのかいな”と思いつつも、随分と繁盛しているお店でした。開店早々に行ったのですが、ほぼ、満席の状態。ボクの経験からは、混んでいるそば屋は旨い→旨いそば屋の酒とつまみはほぼ間違いなく美味しい。ここもアタリでした。気持ち良くほろ酔い気分になりました。

 

もう一軒は、レトロなたたずまいの洋食屋さん。NHKの朝ドラの舞台になりそうな昭和の香りがするお店。近くの人が食べていたのが美味しそうに見えたので「あれと同じもの頂戴」と注文したら、大きなお皿にオムライス、メンチカツ、サラダが一緒盛りされて出てきました。このボリュームでこの値段はお値打ちである。オムライスを外で食べるのは久しぶりでしたが、やはりプロの味。美味しかったです。おなか一杯になりましたが、残さないで全て食べてしまいました。次回は好きな本を持参して単品料理とコーヒーを注文して、のんびり喫茶店代わりに利用させて頂ければありがたいなあと思いました。

 

 

あっと言う間に帰る日に。帰路は、最初から自分のペースで運転しました。初めて、新東名を通りました。清水を過ぎた辺りだったと思いますが、また富士山がキレイに見えました。尾根沿いに雪が残っている。北斎の版画のような景色です。往路と同様にやや曇り空ですが、富士の裾野のキレイなこと。普段、新幹線から見る景色とはまた違った風情がありました。これは残念ながら写真を撮ることが出来ませんでした。

僕の車のナビは古いバージョンのものなので新東名の一部は検索できない状態でした。画面のなかでホンダが道無き道を走っている。ナビが行先の修正を叫んでナント煩いことか。これは早めに最新のにアップしておく方が良さそうですね。また、新東名はトンネルが多いことを実感しました。運転していて景色を楽しめないというのは寂しいですね。

復路は、最初から、それなりにスピードを出して運転し休憩も短時間で済ませたので、ずいぶんと早く留守宅に帰り着くことが出来ました。事故なく往復できて何より、何より。

 

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留守宅に戻って。愛車ホンダCRーV。走行距離はまだ7万キロ程度。燃費は良くないですが運転していて安定感があります。このモデルはCR-Vの二代目(のはず)。購入時、三代目の発売が迫っていましたが、デザイン的にはこちらの方が完成度が高いとのディーラーさんの話に納得して買ったもの。今でもこのデザインは好きです。飽きが来ません。2018年5月4日撮影。

  

 

7月以降、月に何度かは、名古屋ー横浜を往復する生活をするつもりをしてます。カミさんも移動する機会が増えそう。二人分の交通費を考えると、やはり、新幹線よりも車のほうがコストセーブになるようです。コスト面だけでなく、安全面と、疲れ具合も考えないと。それから、やはり、何か面白いこと、楽しいことに出会えるかどうか。新幹線は本を読めるから良いですが、乗っているだけでは何も面白みはありません(よね)。時間の制約が少ないというのが、面白いことアップにつながるようにならないかなあ。

車か新幹線かと考えていましたら、バス、という選択肢もあることを聞きました。ボクの頭にはバスという発想はありませんでした。高速バス、時間はかかるが値段は安い。結構、快適であると沢山のフアンもいらっしゃるそうです。安全面は?。そりゃ大丈夫なんでしょうねえ。一度トライしてみようかしら。

 

秋口には、公式行事で夫婦で宮崎・日向に出かける予定があります。今回の東名走破でホンダもまだまだ頼りになることが確認できましたし、僕の体力、運転技術もまだ一応は対応できそうなので、神奈川から名古屋経由で、どーんと日向まで、愛車を駆使して行ってみようかとも。関西、四国の知り合いを訪ねながらの気楽なドライブをやってみるのもオモロそうですね。

 

 

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玄関横の鉢植えの数が増えました。花が咲いているというのはナカナカに良いもんです。改めて気にいっております。2018年5月6日撮影。

 

 

 

新しい住いでの生活・諸々

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 3月末に植えた平兵衛酢の苗木が順調に生育しています。新しい枝が沢山出てきました。植えてから20㎝以上伸びていることになります。2018年4月27日撮影。

 

 

2月に引っ越しをしてから早いもので二か月以上経ちました。2月28日付け『平昌オリンピック』で書いた通り引越し当初はお湯が出ない生活を余儀なくさせられましたがお陰様ですっかり落ち着いてきました。玄関には花を鉢植えしたり、室内でも、今まで使っていなかった壺を引っ張り出して花を活けてみたり、ベランダには、ご存じ、平兵衛酢の苗木を植えました。冒頭の写真の通り、文字通りスクスクと育っているようです。いまは、食べるためのバジルを鉢植えして楽しんでいます。古いマンションとは言え新しい住まいでの生活をスタートしたことによるものかと思います。

 

 

もっぱら使っているのは居間・台所と書斎兼寝室。それ以外の部屋はまだ荷物置き場になっています。段ボールの一部はそのままの状態。ひょっとすると開けることのないままに次の移動を迎えることになるのかも。和室だけは早めに整理整頓しておかねば。今は孫の世話で大変な(と言いつつ、結構、喜んでやっているように思いますが)国許からの査察がいつ何時入るかも知れません。

 

 

一番の環境の変化は、駅・繁華街・買い物をする場所から遠いこと。僕はこちらでは日常生活に車は使っていませんので買い物等々には自分の足だけが頼り。この場所を選んだ時には、

”通勤で地下鉄の駅に行くのも、ちょっとした買い物に行くのも、やや遠めの不便な場所である。歩くしかないがそれも健康に良かろうから、ちょうど良い場所だと考えよう”

と思って決めたものでした。以前のマンションは、逆に言えば便利過ぎるほど便利な場所。地下鉄の駅まで徒歩2分、周辺にはスーパー、コンビニ、クリーニング屋さん、本屋さん、喫茶店・食堂・飲み屋さん、日常生活に必要なモノは何でもほぼ5分の距離圏。

 

 確信犯でこの場所に引越しした訳ですが、やはり、遠いモノは遠い。特に、引越し後、生活資材を買うのに最寄りのホームセンターに何度か足を運びましたが、そこそこ重くかつカサのある荷物を持っている時の駅までの距離が遠いことの大変さを実感しました。”こりゃ、大変やわ。僕はこの場所で生きていけるのかしら。”と珍しく弱気になってしまいます。

 

また、料理に費やする時間が短くなりました。ないしは、新しいメニューに挑戦(オーバーな表現ですが)する機会が減ったように思っています。以前は、新聞、雑誌、ネットの料理記事を見て、面白そう=美味しそうと思ったら、気持ちに余裕のある暇な時には、すぐに近所のデパート・スーパー・八百屋さんに食材を買いに走ったものでした。「思い立ったが吉日」です。近かったから全く抵抗がありませんでした。

 

 

食事・料理というのは自分の生活・気分が反映して面白いものだなあ、と感じています。

引っ越し当初は、荷物の整理が出来ていなかったので、そこにあるモノを食べて飢え?を凌いでいました。お米の在庫があるのはナント有難いことかと。ご飯だけは当初から炊きました。断捨離の不得手な性格が幸いしてか、引越し荷物のなかに、たくさんの缶詰、レトルト食品、即席麺があったので大変に重宝しました。これはこれで美味しいのですが、やはり、連日食べると飽きる。フレッシュなモノを食べたいなあと。ニュアンスはやや違うのですが、作り立てを食べたいなあと。野菜と肉を買ってきて、チャーハン生活が始まりました。少し余裕ができてからは、焼きそばも定番メニューとなりました。「戦艦ヤマト」は大活躍しております。IHではなく、ガスコンロの火力の強さがこの中華鍋の威力を更に発揮させているように思います。更に、ラーメン・ちゃんぽんモドキの麺類もかなりの頻度で登場するようになりました。

朝食は、ごはん+納豆と豆腐をベースにした和定食。乃至は、トースト(1/8カットのもの)にワサビとマヨネーズ、キュウリの薄切りを乗せ、ハムエッグを置き、その上から大量のレタスでカバーして包丁で二切れにカット=トースト・レタスサンドの出来上がりです。大きい口を開けてガブリとかぶりつくと旨いです。レタスが安くなったのが大変に嬉しく思いました。

 

という訳で「炭水化物系主食」を中心とした食生活をしております(野菜は大好きなので、たくさん加えるようにしています。また、どういう訳か、ビール・日本酒・焼酎・ウイスキーの類が品切れしたことはありません)。

要するに、おかず、つまみの類が無い食事です。そして、つまみが無くてもサケは飲める、ということが改めて分かりました。

 

自分の料理の実力がよく分かります。一々レシピを見て作らないといけない料理は今は邪魔くさいから全然手がつかない。 ボクの料理のレベルでは”これを作って食べたいなあ”と思うときには、よし、つくるぞ!と気合を入れて買い物に行って材料を揃えて、そして料理を作る(買い物に行ったついでに余分なおつまみもついつい買ってしまいます)。今の新生活では、まだ、料理以外にやりたいこと、やらなければならないことが沢山あるので、身に着いていない料理をやってみようというガッツが沸いてこない。更に、買い物に行くのに遠くて時間がかかるから、ついつい億劫になってしまう。買い物に行ったときには、想像力が欠如していて”アレをつくるからコレを買っておこう”なんて知恵は出てこない。いつもの豆腐、納豆、各種野菜等々を買うだけ。これが「炭水化物系主食のみに近い但し野菜は結構沢山摂っている食生活」の説明になるかと思います。

 

 

とは言うものの時間が経過するに連れ、慣れとは面白いもので、ようやく最近になり駅までの歩く時間・距離が気にならなくなってきました。往路はやや下りなので散歩気分で気持ち良く歩ける。復路は当然登りです。「チトしんどい。疲れている時、荷物を持っている時、それから、チョット飲んで気持ち良くなっている時、これは辛い」と感じていたのですが、人間の頭と体というのは、よく出来ているようで、それなりの対応が出来てきているように感じます。自然にゆっくりと時間をかけて歩くようになったり。今年の春は特に暖かい、いや暑いですから、復路では汗をかく、嫌だなあと思っていたのですが帰ってからすぐにシャワーを浴びるようになりました。暖かくなってきたからシャワーも気持ちが良い。うまく出来ているものです。車の無い生活で荷物運びの大変さを感じさせられましたが、最近は、山歩き用にではなくリュックの便利さがよく認識できるようになりました。

また、街の通りを歩く時間が長くなると、いろいろな景色も見えてくるようになりました。この通りにはこんなに沢山のハナミズキが植えられていたのか、とか、ツツジがキレイにさいておるねえ、とか。はたまた、街中の公園で小さな子供達が元気に遊んでいるのをに出くわして”おー、結構たくさんの子供たちが(この辺りには)おるんや”と楽しくなったりとか。

 もともと歩くのは好きですが、更に一歩進んで、もっと歩くのを楽しめるようになれればいいなあと。逆に言えば、駅までの往路、復路を歩けなくなったら、この場所での生活をギブアップするときなんでしょうねえ。

 

今の時代から改めて思えば、水道・ガス・電気が無い時代の昔々の人にとっては、炊事・料理は大変な作業だったんでしょうね。水汲み、火を熾す。炊事、家事だけで一日が過ぎてしまっていた。とは言え、その時代ではそういう生活が当たり前だから不便を感じてなかったんでしょうかね。いずれにしても、今の生活をもっと楽しんで「楽しんで料理、楽しんで街歩き」をしたいものです。

 

 

そろそろ、国許からの視察もありそうです。連れ合いも孫の世話のお手伝いで大忙しながら、やや落ち着いてきた様子。5月の連休には名古屋で公式行事の予定もあり。久しぶりに車を運転して神奈川から一緒に名古屋に来てみようかしら。  

 

f:id:hayakira-kururu:20180501070039j:plain 4月25日に愛知県の大村知事が「ジブリパーク」の基本デザインを発表。「ハウルの動く城」「もののけ姫」などの作品をモチーフに愛・地球博記念公園内に5つのエリアを整備する方針。2022年度中の開業を目指すそうです(2018年4月26日、日経新聞)。

 

ジプリパーク構想は順調に進んでいる様子です。引き続きエールを送りたいと思います。この時まで元気に歩ける状態を是非、維持していたいものです。新しい住まいでは寝室を「サツキとメイの家」の書斎のような部屋にしたいなあと思っています。

 

訃報二件。高畑勲さん。4月5日ご逝去、享年82歳。後輩の宮崎駿さんとスタジオジブリを創設。「火垂るの墓」は凄いとしか言いようがないアニメでした。加藤廣さん。4月7日ご逝去、享年87歳。ナント75歳直前に「信長の棺」で小説家デビュー。「信長の棺」ほか本能寺三部作はいずれもベストセラーに。謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

 

1950年生れ、その2.

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 雨上がりの平和公園。新しいマンションから公園の入口まで徒歩5分。最初の坂を登ったお気に入りの場所。今日は会社をお休み。用事が午前中に早く終わったので、昼からのんびりと散歩。引っ越ししてから初めて平和公園ウオーキングです。名古屋市千種区。2018年4月19日撮影。

 

 

面白い本を紹介してもらいました。

「東大入試中止1969、ある受験生カップルの軌跡」、大坂谷吉行さん著。ご本人が発行者、いわゆる自費出版の本です。

 

僕が昔務めていた会社(=関西系の総合商社)の同期会のネットワークがあります。皆さん会社務めから引退・解放されて悠々自適の生活?を送っている方々がほとんど。一部の方はまだ現役生活をされています。同期会として飲み会、ゴルフ会を数か月に一度は催しています。幹事がいわゆる自然体の方で、彼の存在がこの会が上手く運営出来ている大きな要因だと思っています。懇意にしている友人からこのネットワークでこの本の紹介がありました。

 

僕たちの年次は昭和48年入社なのですが、この年に大学を卒業した方々のほとんどが大学入学した時=昭和44年=1969年が「東大入試中止」の年です。この本はこの東大入試中止をテーマで書かれている小説です。時代環境がまさに自分達そのものですから件の友人からは「きっと懐かしみを覚えながら読める」本との紹介のコメントが添えられていました。

 

早速、注文しようとしたのですが、これは自費出版されている本。ネット注文でも引っかからない、行きつけの本屋さんでも取り扱っていない。紹介してくれた友人に聞いて著者のメールアドレスを教えてもらいました。こんな注文の仕方は初めての経験です。

 

メールの返信が無かったので手に入れるのは難しいのかと諦めかけていたら、数日経ってから本が郵送されてきました。結構、簡単・便利なものです。自費出版という出版のやり方もネットの利用が便利になったおかげで、もっと、盛んになるかも知れませんね。但し、支払いは本を受け取った後で銀行振り込みにて行いましたが、発行者からすると代金回収のリスクというのは覚悟しなければならないのでしょうね。

 

 

著者は、大坂谷(おおさかや、と読みます。珍しいお名前です。)吉行さん。当然、1950年生まれです。札幌市生まれで、札幌市立美香保中学校、札幌南高校を卒業。大学入試の時に「東大入試中止」となり進路を大きく変更して北大建築工学科に。卒業後に東大大学院都市工学課程に入り修士および博士課程を修了。現在は、室蘭工業大学名誉教授、工学博士。自ら”バイリンガル作家”と謳われていました。

 

著者がこの本を書いたきっかけは、学生さんとの会話のなかで、ほとんどの学生がかつて東大入試中止があったことを覚えていない、乃至は、かなりの学生がそもそもそんな事があったことすら知らなくなってきている。そう感じているときに、後輩に当たる東大の学生との会話で「東大入試中止は、東大の公式HPに記載されていない」という事実を知ってしまった。著者なりに思うところがあって、東大本部広報課に「意図的な隠蔽ではないか?」と厳しく問い合わせたと。

結果、2018年1月19日から、東大のHPの「沿革」欄に、「昭和44年1月 昭和44年度入学試験の中止を決定」との一行が挿入されたとのことです。 著者としては、この入試中止を自分なりに書いたもので残しておきたいという気持ちでこの小説を自費出版された由。

 

 

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この本の表紙です。何ともセンスを疑ってしまうような表紙ですが。昭和の時代の貸本屋にあった三文漫画を思い出すような。そうなんです。思い出しましたが、僕たちの小学生のころ町には貸本屋さんがありました。貸本屋さん専門の漫画・小説が置いてあって大変に繁盛していました。同世代人が持っているこのレトロ感を狙ったのかしら。もちろん、この本は漫画ではなくて小説です。

 

 

ストーリー自体は、まあ平板なものです。 本のタイトルの通り「ある受験生カップルの軌跡」=青春純愛小説です。主人公は、著者ご本人のように感じられますが、とにかく、秀才中の秀才で、中学時代から高校入試、更には、大学=東大入試を見据えての物事の組み立て方が凄いの一言。同時代にこんな風に考えながら中学・高校時代を生きていた同世代のヤツがいたのだなあ、と感心しました。受験を軸にした「カップルの軌跡」も小説としてそれなりに面白いのですが、やはり、同世代人としては、その時々の出来事が取り上げられているのが何んとも懐かしい。ちなみに、この主人公は、高校時代からススキノで飲む習慣があったそうです。これには完敗・脱帽です。

 

1963年11月22日、米国テキサス州ダラスでのケネデイ大統領暗殺。1964年10月、東京オリンピック。1969年7月、アポロ11号、人類初めての月面着陸。1970年、大阪万博。1973年10月第四次中東戦争=第一次オイルショック、1974年にかけての日本での狂乱物価、等々。これらの出来事がカップルの軌跡と共に記載されており、僕自身の同じ年の記憶を辿りながら忘れていたことも思い出して懐かしく、切なく、また、楽しくなりました。(全くの余談ですが、僕の長男の誕生日が11月22日です。)

  

ご存知「愛と死を見つめて」。マコとミコの二人の文通を書籍化したもの。映画は、1964年9月公開。吉永小百合さん、浜田光男さんが主演。当時の中学・高校生は皆涙して感激した。小百合ちゃんが国民的なスターになった作品の一つかと思いますが、この本の主人公の見方が面白い。「マコさんはこの本がベストセラーになって大金を手にした。まだ若いのであるから、いつまでも、亡くなってしまったミコさんを引きずらないほうが良いと思う。」てなことをカップルの会話のなかで話している。ナント冷静な。当時の僕とは大違いだ。

 

この本には出てこなかったと思いますが、僕の学校で「堀江謙一太平洋ひとりぼっち』」という映画(1963年の公開)を校内で上映して生徒に感想文を書かせたことがありました。大多数は「困難を克服してやり遂げた、凄い日本人だ!あっぱれ!」と称賛したものでしたが、一人だけ「失敗して救助を求めるケースとか、その場合は世間に迷惑をかけていまう、また、親兄弟の心配ぶり等々を本当に充分に考えたのかしら」と批判的な感想を述べた生徒がいました。当時、”ほかの大多数の当たり前の感想とは異なる意見を持って、それを堂々と主張している面白いヤツがいるなあ”と感心しました。「愛と死をみつめて」のクダリで何故こんなことを思い出したのか不思議ですが何かにつけて懐かしい事々でした。

 

「愛と死を見つめて」とか「太平洋ひとりぼっち」とか、「東大入試中止」と一緒で今では知らない方の方が多いのでしょうね。

 

 

 後日、会社の同期会のネットワークで、僕たちの会社の同期の一人が、この本の著者と高校の同期生、同じテニス部で一緒に活動をしていたことが分かりました。著者さんは最近もお元気にススキノで飲んでいらっしゃるようです。世の中、広いようで狭いものです。とにかく、この年になると元気にオサケを楽しめることに感謝ですね。1950年生れの大坂谷さんの益々のご活躍にエールを送りたいと思います。

 

 

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 平和公園ウオーキング・続き。青空の下、ユーカリの木。東山動物園のコアラのためのユーカリの植林のはずです。古い枝をいったん落として新しい枝・葉の成長を促している。晴天。平日の午後ですが、結構、散歩・ウオーキング・ジョギングしている方が沢山いらっしゃいました。はい、やはりお年寄りの方が多いです。

 

 

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同じく平和公園。青空を撮るときに電線、鉄塔が視野に入らないことは良いことだと思います。猫洞池の近くの芝生広場の木。公園に至る街並みにはハナミズキの花が咲いています。ツツジはもうピークを過ぎつつあるのかなあ。あっという間に梅雨、アジサイの時節になるのでしょうね。