クルルのおじさん 料理を楽しむ

小山実稚恵さん・讃歌

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 名古屋市東山動植物園の「紅葉ライトアップ」。都会のど真ん中で紅葉ライトアップを楽しめます。今年は特に紅葉が鮮やかとか。2017年11月19日、撮影。

 

 

初めて小山実稚恵さんのコンサートを聴いたのは今年(2017年)の4月でした。宗次ホールの10周年記念コンサート。当時は、恥ずかしながらそれほど有名なピアニストさんとは存じておらず、一緒に行った会社の仲間=Kちゃんから説明を受けて説教をされる始末。このKちゃん、一時はピアニストを志したレベルの弾き手なので、そういう方からすると、”この小山さん”を認識していないことが信じられないという驚きの様子。僕はややしょげ込みながらも ”そんなこと言われても知らなかったのだからしょうがないやろ。何か文句あんのか” と心の中で嘯きながら、気持ちを落ち着かせておりました。それも一瞬のこと。演奏が始まって、本当にビックリ。それまでに何回も宗次ホールでピアノ演奏は聴いていたのに、全く、音が違う。ピアノの音を表現するのに適切かどうか不安ですが、何か「ドカーン!」てな響き。弾いている小山さんの集中力が凄い。ゾーンに入っているというのはこういう状態を言うのだろうと見ていて(聴いていて)感じられる気配です。一方では、不思議なくらいの平静さ。曲の合間に、拍手への返礼のお辞儀をされますが、爽やかとしか言いようがない表情。あれだけ迫力のある演奏がウソのような平静さ。きっと脈拍数も全く変化が無いものと思われます。

アンコールに三回も反応してくれました。義理のアンコールでは無い、これがアンコールだ。正に演奏者と聴衆が一体になっているという空気が充満していました。

 

終了後、ホールでCD即売のサイン会。Kちゃんは、記念のCDを買って憧れの小山さんのサインを貰おうと。宗次オーナーさんがいらしゃって小山さんをエスコートしていたので、サイン待ちの列にならんでいるKちゃんと小山さんとの写真を撮らせてもらうことをお願い、快くご了承を頂きました。Kちゃんは憧れの小山さんとの2ショットを撮影してもらい大満足。僕も今までのコンサートの中で間違いなく一番感激したコンクールでありました。

 

 

このことを親しくお付き合い頂いている地元のピアニストの先生に話したところ「我が偏愛のピアニスト」(青柳いずみこ著、中央公論新社)という本を貸してくれました。青柳さんというのは、現役のピアニストであり、かつ、文筆家。ピアノ、音楽に関するイロイロな執筆をされています。この本は青柳さんの独断=偏愛で選んだピアニストとの対談集で、その一つに小山さんが登場していました。

青柳さんに言わせると、「 小山さんはピアノ留学経験無しで、チャイコフスキーショパンの二つの国際ピアノコンクールに入賞した『純国産の世界的ピアニスト』」。また「ステージに強いピアニスト」との紹介をされています。全く、同感。あの集中力、聴衆を引き寄せる力は凄い。更に、小山さんの「手」はピアノの指導者から見ると何千人か何万人に一人の手だそうです。もちろん、単にグローブのように大きい手という意味ではありません。

 

対談のなかで小山さんの話で面白いのは「スポーツ観戦が好き。テニスでも野球でも、何故、あのボールがあの位置に飛んで行くのかを考え込んで観戦している」とか。また、これは笑って納得しましたが「『ズオーン』という音を出したい」と。ご本人の目指すところの音の一つの表現ですが、「ズオーン」という言い方が大変に面白かった。僕は、コンサートで「ドカーン」という音を聞きましたが「ズオーン」とは同義であろう。とすると僕の耳は小山さんが出したがっている音を聴いたことになる。大したもんだ。

また、青柳さんが「ステージに強いピアニスト」と評する通り、ご本人もコンサートで弾いていると、気持ちが良くなり、高揚してノリノリになるとのことです。僕が聴いたコンサートではまさにノリ捲っていたのかと嬉しくなりました。

 

 

 

『同期会、一年の後』(2017年11月12日)に記載したコンサートは僕にとって二回目の小山さんのコンサートでした。これは「音の旅」と題して、全国6都市で2006年から2017年のナント12年間に渡り24回やってらっしゃるリサイタルシリーズの最終回です。

先ほどの青柳さんの「我が偏愛のピアニスト」の対談でもこの「音の旅」が話題になっていますが、コンサートを開始する時点で、既に最終回のプログラムは決められていたそうです。最初にバッハのクラヴィーアⅠ-1が来て、シューマンブラームスショパンと続き、最後にベートヴェンのソナタ32-111で終わる。

実際にその通りのプログラムでした。12年24回のコンサートを開始する時点で最終回の演目をイメージしていたそうですから大したものだと思います。

 

この時のコンサートでは、終了時に、宗次オーナーさんが花束を持って登壇されました。普段の講演の時には、冗談・シャレの連発で話しだすと止まらない宗次さんですが、この時は珍しく声が上ずっていました。これだけ聴き込んでいる方でも感激していたんでしょうね。

 

僕にとっても最初のは衝撃的なコンサート、そして、今回は大変に素晴らしいコンサートでした。次回、三回目が楽しみです。パンフを見たら、来年の春には、アンコール公演が予定されているそうで、今から楽しみです。

 

 

 

このコンサートの前に、また件のピアニストの先生から今回は小山さんご自身が出された本『点と魂と』を借りて読んでいました。副題が「スイートスポットを探して」となっています。スポーツ選手から始まりイロイロな分野の達人の方との対談をベースにしたもの。小山さんの極意を垣間見ることが出来ます。

●「テニスのラケット、野球のバット、ゴルフのクラブ・・・スイートスポットという観点からはピアノも同じ」と。

●「スポーツもライブである、あの臨場感、生の迫力、選手の気迫、これらが好きで好きでたまらない」。ご自分のコンサートでのノリノリが改めて納得出来ます。

●脱力と集中、感覚の磨き方、体幹を鍛える・・・「スポーツだけでなく、どんな仕事や創作にも『スイートスポット』がある。それは、仕事のコツであったり、心や身体の整え方であったり、達人は『仕事の極意』を独自の方法で会得されている。」とのことです。

僕の感性は、小山さんを「体育系求道者的ピアニスト」と命名しました。

  

 

これを書いている時に、NHKで「第86回 日本音楽コンクール」ピアノ部門のドキュメンタリーが放映されました。若手のピアニストの登竜門、ファイナリスト4人のそれぞれの様子が生き生きと。そう言えば、本年の第156回直木賞(そして第14回本屋大賞も)受賞作は『蜜蜂と遠雷』(恩田陸さん、幻冬舎)で浜松国際ピアノコンクールを題材にした傑作でした。長編でありましたが一気に読んだことを思いましました。

「太陽の棘」で絵画、「蜜蜂と遠雷」で音楽=ピアノの感動を楽しむことが出来ました。「みをつくし料理帖」で料理も楽しみましたが、ちょっと意味が違うような気がします。料理の感動は芸術の域に届くものでしょうか。料理は芸術に昇華するものでしょうか?。

 

 

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同じく東山の動植物園。実際には、もっと幽玄の風情が漂っておりました。 写真の技量の無さを痛感します。ドラゴン先生やきっちゃんはキット見たとおりの景色を撮影出来るのでしょうね。残念。

 

沖縄旅行、その3・番外編

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沖縄県立博物館・美術館を訪問しました。まずは外観に驚きました。2017年11月17日撮影。

 

 

『沖縄旅行』の後、2週間ほどで、沖縄出張の機会がありました。いつも通り、会社訪問、会食・ゴルフだけのトンボ帰りの予定であったのですが、人気の沖縄は訪問客が大変に多く、その為に、予定しようとしていた帰りのフライトを予約することが出来ませんでした。キャンセル待ちを入れてありましたが、これも最後まで取ることが出来ません。通常であれば、空港近くの食事処に行き、反省会と称して午後~夕方からアルコールを呑んで時間を潰すことが多いのですが、この時の僕は極めて素直に、

”これは、沖縄の神様が僕に時間をくれたのに違いない。「ニシムイ」を見に行かねば”

との啓示を感じ取りました。同行者、訪問先の方々に、その旨をお伝えして自由時間にしてもらいました。社内外の皆様方は、普段であれば酒飲みのお付き合いをさせられると覚悟されていたところに、「県立博物館・美術館に行きたい!」てな発言が出た訳ですから、”このおっさん、ついに頭でもブツケタのかなあ”とか、”昨晩、飲み過ぎたから今日はアルコールを見たくないのかしらん”とか言葉には出さないまでもキョトンとされておりました。 お一人現地に駐在されている方が「自分もまだ訪問したことが無いので、良い機会ですからご一緒させて下さい」と道案内をかって出てくれました。

 

 

冒頭の写真の通り、その外観に驚きました。この設計の由来は存じておりませんが、設計家の感じておられるところを強く反映された建物のように思います。「ニシムイ」のメンバーの年長で中心であった名渡山愛順さんの作品が何点か展示されていました。展示を一覧した後に美術館の事務所・閲覧室で「ニシムイ」のことをお聞きしましたら、親切にイロイロな資料を見せて頂けました。また「戦後70年特別企画展 ニシムイ 太陽のキャンパス」の記録集が販売されていました。僕は「太陽の棘」の印象が極めて強く、この記録集は大変に興味深く拝見しました。スタンレー・スタインバーグ軍医と玉那覇正吉との交流。時が流れ、2007年、カリフォルニアで弟子たちにより開催された「生きるために描く」絵画展。それがキッカケになり半世紀の時を経て里帰りを果たした「ニシムイ」の絵の数々。

  

 

『沖縄旅行(その1)』で、日経夕刊に記載されていた「玉陵石獅子」の復刻作業のことを紹介しましたが、そもそも、ニシムイの画家たちは、郷土の文化財を守るために修復や保存活動を積極的に行っていたそうです。その代表的な事例として「玉陵」(たまうどぅん、と発音するそうです)と名渡山愛順さんのことが記載されています。

 

1960年代初め、玉陵敷地の一部を売却しセンター・会館を建設する計画が行政から出されたそうです。重要文化財の逸失になると名渡山愛順を中心にして建設阻止の運動が展開され「玉陵を守る協議会」が設立された。行政は工事を強行したが、名渡山愛順自らブルドーザーの前に立ちはだかり工事を中止させた由。反対運動の盛り上がりでこの計画は白紙に戻されたとのことです。

 

1961年1月、玉陵の獅子を500年前の形に復元修理する玉那覇政吉さんと笹村良紀さんの写真が掲載されています。このニシムイの方々の思いが現在に繋がっているのだということが良く理解出来ました。

 

 

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●名渡山愛順さんの「首里の追憶」。今回、展示されていました。1946年の作品。この時期にこんなに穏やかな絵を描かれていたというのが驚きです。「ニシムイ・太陽のキャンパス 戦後70年特別企画展」の記録集から。以下の写真は同じくこの記録集から。2017年11月24日撮影。

 

 

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 ●原田マハさんの「太陽の棘」・文春文庫のカバーの写真が左下のもの。「スタンレー・スタインバーグ肖像」1949年の作品。原田さんは里帰りしたニシムイコレクションを見て、スタインバーグさんの処に取材に行き、その取材を基にニシムイを舞台にした玉那覇正吉さんとの交流を描いた。

 

 

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●玉那覇正吉さん作品(同上)。左下は1948年、右下は1949年の「自画像」。上は1954年の「老母像」。1948年の「自画像」が凄くインパクトがあります。これの現物を実際に見たかったのですが残念でした。

 

 

原田マハさんの本は、この「太陽の棘」がキッカケになり、何冊か読んでみました。「楽園のカンヴァス」、「独立記念日」、「ジヴェルニーの食卓」、「黒幕のゲルニカ」。全て近くの公立図書館で借りて読みました。絵画・画家を題材にした筆力は凄い!と思います。『沖縄=ゴーヤチャンプルー、その2.』(2017/10/30)で書いた通りですが、さすがに「本の目利き=読書の達人」のお薦めです。良い本を紹介されると本当に嬉しくなります。「キュレーター」という職業が今一つ理解出来なかったので、ついでに、長谷川裕子さん「キュレーション・知と感性を揺さぶる力」集英社新書も読んでみました。漸く「キューレーター」「キュレーション」の意味が理解出来たような気になりました。

 

 

 

 話があちこちの飛びますが、沖縄旅行の三日目のことを記載します。蛇足です。

最終日、快晴。朝ゆっくりとホテルのブッフェで朝食をとり、万座毛を観光して那覇市外に。この日は「首里城祭り」のパレードが国際通りで開催される日で、おばあちゃんが是非に観たいと言っていたものです。お年寄りが遠慮せずにやりたい事をはっきりと主張出来るのは素晴しいと思います。僕もこんな年寄りになりたいなあ。

義姉の知り合いの方が那覇近郊にお住まいで、お休みのところをわざわざ出てきて下さり、駐車場の手配、見学する場所の段取りを手際良くやってくれました。ムチャクチャ親切な方で、親切さが表情に表れている方です。こんな奥様のいらっしゃるご家庭は団欒に満ちているのであろうと感じます。

 

首里城祭りのパレードは、昔のお殿様、お姫様の行列、民俗舞踊が続きます。行列の後半に子供たちが中心に元気な踊りを披露する連が出てきました。子供中心と言っても、学芸会のレベルでは無く、由緒正しい舞踏団体で厳しい修行を重ねた、ほぼプロのレベルです。皆で掛け声をかけながら、生き生きとした表情です。「踊っているのが楽しいよ、一緒に楽しんでくださいね」という一人ひとりの表情です。

首里城の案内役のおじちゃん、親切にお付き合いしてくれた知り合いの方、生き生きと踊っている子供たち、「ニシムイ」の画家たち・・・喜びも悲しみに一緒に仕舞い込んで、皆さん、生き生きとされていました。

 

 

蛇足の蛇足になりますが、今回の出張で、僕は、相変わらず能天気に「ホーク卵おにぎり」と「ソーキそば」を美味しく頂きました。沖縄は、やはり青空が似合いますねえ。

  

 

 

 

沖縄旅行、その2.

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 ●今帰仁城跡の入り口近くにある”さとうきびジュース”のお店。その場で絞りたてのジュースが飲めます。辛口コメントですが、ここのさとうきびは刈り取ってからこの家の裏で保管されており、絞るまでにかなり時間が経っている様子。その為、ジュースの風味がやや新鮮さに欠けたものになっています。もちろん、それでも十分に美味しかったです。2017年11月4日撮影。

 

 

沖縄で泊まったのは名護市喜瀬にある有名なリゾートホテルでした。九州・沖縄サミットの会場にもなった場所・施設です。かなり贅沢なホテルですが、おばあちゃんの初めての沖縄旅行ということでもあり全員が賛成してくれたのでここに決めました。但し、個人で高級リゾートに泊まった経験はほとんど無かったので、ホテルでの食事は予約しておくものだ、ということに頭が回っておりませんでした。連休の初日ということもあり、なんとホテルのレストランは予約で一杯。ブッフェ形式の食堂だけは予約の必要がなく食事は可能ということでしたが、値段が高い割には何の特色も無さそう。余りにも芸が無いので遠慮することにしました。

 

”さあて困った、夕食を食べにホテルの外に出かけなくてはならない。ムウッ、再度、車の運転か、運転するとお酒は飲めない、これはチト辛いなあ”、一人悩んでいると、横にいて何の役にも立たないと思っていたホテルの案内係の人が「ちかくの沖縄料理のお店は、このホテルに送迎サービスをしてくれますよ。送迎は無料ですよ。」と僕の心の中を見透かしたようなアドバイスをしてくれました。

 

部屋に荷物を置いて身支度を整えて(シャワーを浴びる時間もありましたが、やや肌寒いので止めておきました)一服したら丁度よい時間になってお迎えの車が来てくれました。大変に人気・評判の沖縄郷土料理のお店でした。初日の夜から、沖縄の(かつての)長寿の秘訣に迫れるか!。

 

僕は何人かで食事を注文する時に、ついつい沢山注文する傾向にありますが、この時もそうなりました。折角だからイロイロな種類の料理をたのんでみんなで分け合って(取り合って)食べると旨い!(註:これは、沢山食べる人・早く食べる人が割り勘勝ちする鉄則です。こんな食べ方をしていると”腹八分”には程遠くなるのは頭では分かっているのですが、食いしん坊のサガですねえ)。

 

一人がドンドン注文し始めると、他の人も負けてはならじと思うのでしょう。あれも食べよう、これも食べよう。沢山の種類を頼んで、みんなでつまみ食い。チャンプルーもゴーヤとお麩の二種類。野菜は新鮮なサラダだけでなく煮込み、炒めモノも注文。豆腐も、島豆腐と落花生豆腐。お店の方のお勧めに従って、白身のお魚の唐揚げ(グルクン)と、豚の煮込み・角煮も。おそばも汁そばと焼きそば。〆は五穀米の焼きメシのような料理。ビールはもちろんオリオンビール、それから泡盛を水割り、ロックで。女性陣も負けじとカクテルを。おばあちゃんはお酒は飲めませんが、お茶、ジュースを楽しみ、料理のお皿には全てに箸を付けていました。あっぱれ、あっぱれ。

 

 

食べ過ぎ、飲み過ぎだあ、これでは長寿に結びつかないと反省しつつも、お陰様で、部屋に戻ってから時間をかけてゆっくりと風呂に入り、ぐっすりと休むことが出来ました。翌朝、爽やかな目覚めで、あれだけ食べて飲んだというのに、お腹の状態も爽やかでした。これが沖縄料理の素晴らしさかと。

二日目は観光。美ら海水族館今帰仁城跡、古宇利島(ハートの形に見える岩が見られます。ミーハーのおばあちゃんのご所望でお連れしました)。お昼は街道添いの雰囲気の良さそうな沖縄郷土料理のお店を見つけて飛び込みで入りました。沖縄そば、野菜サラダ、野菜・果物のジュースを美味しく頂きました。

 

 

さて、二日目の夕食はどうするか。ホテルで予約可能な料理は和食、中華、イタリアン。皆さん結構食欲はある様子。夜・昼と沖縄料理を食べたから、ホテルのレストランを希望するかと思いきや、再度、沖縄料理でOKと。調べてもらうと”純血アグー豚のしゃぶしゃぶと沖縄郷土料理”というお店が良さそうということに。

結果、大正解、大満足でした。前夜と同じようにイロイロな種類の沖縄料理を注文して、〆にアグー豚のしゃぶしゃぶを頂きました。さすがに注文は控えめにしたはずなのですが、それでも食べ過ぎ状態に。昨晩が130%だとするとこの時は110%くらいかと思います。

 

僕はもちろん(量だけではなく、内容も)満足していたのですが、お食事が終わって勘定をしている時に、店のご主人が見送りの挨拶に出て来てくれたので思い切って聞いてみました。「アグー豚シャブも美味しかったし郷土料理も美味しかった。昨日から夜・昼・夜と沖縄料理を続けて食べた。大変に満足しているのではあるが、もう少し沖縄料理としてバリエーションを工夫すればよいのでは?例えば、名古屋では、一日目に”ひつまぶし”を食べたら、二日目はコーチン鶏鍋の店に行くとか、味噌煮込みうどんとか。ジャンルの違う料理がある。はたまたB級グルメで、土手煮、手羽先、ラーメン、おでん。その土地・そのお店ならではのバリエーションがイロイロとあるでょ。」

 

嫌味な客のモノ言いに対して、ご主人様は、怒ることもなく嫌な顔一つする訳でもなく、淡々と「それが沖縄料理の良さなんですよ、同じように感じるかも知れませんが、お店(=各家庭)によってそれぞれの味付けがある。毎日、同じようなものを食べて飽きないかと言われますが、飽きが来なくて美味しく頂けるのが沖縄料理の良いところだと思っています。バランスも良くとれていますから、健康にも良いのです。もっとも、最近の(沖縄の)子はやはり飽きてしまうのか、アメリカ的な料理を食べることが多くなっているかも知れませんねえ」。僕よりもはるかにお若いご主人ですが達観されていて、かつ、沖縄料理を愛されているのでしょう、なかなかに含蓄のあるしっかりされたお言葉でありました。

 

今回、食べた沖縄料理のベスト5.を平均年齢70歳が選びました。

ゴーヤチャンプルー。素直にゴーヤが美味しかった。本州で食べるゴーヤの味と違う気がする。②島ラッキョー(テンプラ、浅漬け)。③紅芋のテンプラ。④海ブドウ(おひたし、サラダ)。これも新鮮さが全く異なる。⑤もづくの酢の物。

以上、意外と在り来たりのものが並びました。健康に良さそうなモノばかりです。最近は、沖縄の食材は人気がありますから、名古屋でも東京でも同じものが簡単に手に入りますが、食べ較べてみると、似て非なるモノかと思うくらい。新鮮さ、素材の美味しさが選ばれた理由でしょう。

 

 但し、幸か不幸かお値段が張らないモノばかり。これらを食べるためにわざわざ沖縄に足を運ぼうということに繋がるものか。せっかく、沖縄に行くんだから、是非、これを食べるぞというものは無いのかしら。なんとか工夫して「xxを食べに沖縄に行こう」ツアーを企画出来ればもっとお客さんが増えるのではなかろうか。

お節介なおじさんは何かもったいないような気がして仕方がありません。尤も、沖縄に行ったらあれを食べるぞ!というものが無くとも、それ以上に人を引き寄せる魅力が沢山ある訳ですから、料理屋のご主人が言われる通り、今のままの体に優しい沖縄料理が丁度良いのだろう!とも思うのですがね。

 

 

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世界遺産今帰仁城跡(ナキジングスク)。14世紀の中国の史書にこの頃の沖縄本島の支配者である琉球国三王が登場するそうです。北部地域=北山、中部地域=中山、南部地域=南山の三王がそれぞれ支配していました。北山王の拠点がこの今帰仁城。2017年11月4日撮影。

 

 

 

沖縄旅行

11月3日から5日まで二泊三日で沖縄旅行に行きました。既に何回も書きました通り、平均年齢70歳の五人組(正確に計算したら本当にピッタリ70.1歳でした。おばあちゃんの94歳が光っています)の珍道中です。3日の朝、羽田空港に集合。東京・神奈川では朝晩は随分と寒く感じるようになっていましたから、皆さん結構な厚着です。くれぐれも風邪をひいたり事故に遭わないように注意して、健康・安全一番の旅行にすることを確認し合いました。

 

前日、沖縄県立博物館・美術館に電話を入れて下調べをしてみました。「ニシムイ・コレクション」のことを確認したかったのですが、最初に応答された方は全くご存知ありませんでした(ややショック)。交代して応対してくれた方が丁寧にお話をしてくれました。僕はこのコレクションは常設されているものと思っていたのですが、そうでは無く、普段はニシムイの代表的な画家の作品が数点は展示されているだけとのこと(これでかなりテンションが下がってしまいました)。僕の気配を察してか、その方は親切に「11月3日は文化の日で無料開放していますから是非に足を運んでください」と言ってくれました。よく出来た方だと感心しました。

空港で5人組で行動予定を打ち合わせ。チームリーダー格の義姉さんが、かなり欲張ったスケジュールを作成していました。サラリと「ニシムイ・コレクション」の話をしたところ、予想通り全く反応無し。却下されたも同然に。まあ、僕の気合が当初ほど入っていないこともあるから止む無しか。今回は、おばあちゃんが楽しめるように、行きたいところを案内する係に徹しようと腹を括りました。

 

 

空港でレンタカーをして、まずは首里城公園に。駐車場の確保が大変でしたが、運よく首里城に最短距離の場所に駐車。交通整理のおじさん、首里城公園の案内のおじさん、皆さん沖縄の伝統衣装で案内してくれます。威厳のある顔付き、とっつきにくいような風貌です。ところが話をすると大変に愛嬌があり親切。厳つい表情と何とも言えぬ可愛いところのギャップが面白く好感が持てます。女性=おばちゃんにはムチャクチャ優しい。特に、おばあちゃんはモテモテ状態。

 

三連休で観光客が多くて大変そうなので車イスを利用させてもらいました。見学のコースは大変に良く整備されており車イス対応はほぼ完璧に出来ています。段差が少ないことはもちろんエレベーターだけでなくリフト・昇降機の段取りよく準備されています。普段あまり車イスに乗ったことが無いおばあちゃんは「楽ねえ」と感激しておりました。本人は歩いて回る覚悟をしていましたので余計にそう感じたのでしょう。よかった、よかった。

 

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 ●首里城、書院・鎖之間(さすのま)庭園。庭園を観ながら王朝時代の伝統菓子を頂けます。書院は国王の執務室で、中国皇帝の使者(冊封使)を接待するときにも使用する。鎖之間は、王子・側近の控え所、兼、会議室。2017年11月3日撮影。

 

 

首里城の中には沖縄文化、琉球王朝の歴史が展示されています。第二次大戦で沖縄は文字通りの焼け野原となり、大半の文化財も消失、破壊されました。後日の日経記事で知りましたが、16世紀初頭に琉球独自の様式で作られ首里城そばの玉陵(王の陸墓)を見守る「玉陵石獅子」の石彫の復刻作業が進んでいるそうです。県立博物館・美術館が地元の彫刻家に依頼して行っているが、当時を知る人や伝統工芸品の後継者が減り、復元はますます難しくなっていて、戦前の写真が頼りの由。戦争の記憶を忘れないようにと沖縄戦の傷痕をあえて残そうとする活動もあるそうです(11月6日、日経夕刊文化)。

 

この旅行の前には、英国一家のマイケル君の本、原田マハさんの「太陽の棘」、それとウンチク本の「沖縄の神と食の文化」を読んだことは前に記載した通りですが、その後、アメリカ人ジャーナリストによる「大日本帝国の興亡」を読みました。全5巻の大著。その完結編です。著者は1912年生れのジョン・トーランドさん。この本で、1971年度のピュリッツァー賞を受賞されています。沖縄戦の詳細が記載されていますが、やはり悲惨とか言いようがありません。この時の国政を担うトップの思考経路が残念ながら全く国民ファーストではないことが確認されます。いつの世の中もそうなのでしょうかねえ。「三か月の沖縄戦で、米軍の死者・行方不明者は1万2千人、太平洋戦争における最大の犠牲者であった。日本側の死者・行方不明者は18万5千人。民間人の死傷者が空前の比率であった。しかも彼らの犠牲は何の役にも立たなかった」と記述されています。

 

沖縄衣装のおじさん。一見、強面ながらも、おばあちゃんの車イスを世話して昇降機を操作してくれる時など、顔をクシャクシャにしておばあちゃんに愛嬌を振りまいてくれている。”このおっさん達の親御さんやご親戚にもきっとイロイロな歴史があるんやろうなあ”と思い、威厳に満ちた顔が、悲哀に満ちているかのようにも見えてきました。

 

 

おばあちゃんのお兄さんが戦死されたのは「牧港」というところです。首里城公園から北西に12㎞ほどの距離にある港。当時、既に米軍は沖縄に上陸しほぼ沖縄全土を制圧していて首里での攻防が激しさを増していた時。首里を死守しようとしていた日本軍を支援するために広島から海路はるばる駆けつけたものの残念ながら上陸することさえ出来ず。現在の嘉手納基地方面からの米軍の圧倒的な砲撃で無念の戦死をされた由。

 

やや肌寒く感じる午後、牧港の漁港の岸壁にレンタカーを停めて、皆でお祈りしました。家族と一緒に撮影したお兄さんの威風堂々の軍服姿の写真を持参していました。線香を焚いてお経を読んでご供養。この写真には、何故かおばあちゃんは写っていない。ご両親と男の兄弟のみ。おばあちゃんは自分が写っていないことを悔しがっていました。

 

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●牧港漁港。肌寒かったですが、穏やかな景色でした。2017年11月3日撮影。

 

 

ホテルに入ったのは、既に暗くなってからでした。良く動いた一日で、お昼も軽く食べただけだったので、おばあちゃんも含め全員腹ペコ状態。ご供養の時、シンミリしていましたが食べるモノの話になると何んともかしましいこと。食欲があるのは健康の証拠だ。いよいよ、長寿の秘密に迫れるか。気合をいれてホテルのチェックイン担当の方に食事の相談をしたところ、何んと、ホテル内のレストラン、食事処は既に予約で一杯!ホテルでは食事をすることが出来ない!。

 

その2.に続きます。

 

 

 

 

同期会、一年の後

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沖縄旅行、二日目。沖縄美ら海水族館。大水槽で泳ぐジンベエザメ、マンタとかサンゴの飼育は素晴しい!一見の価値あり。写真は「タコクラゲ」何んとも面白かったです。2017年11月4日撮影。沖縄旅行は、別途、記載します。

 

 

今年も大学のゼミの同期会に参加してきました。今年は、7人が参加。東京から、名古屋から、京都から。生憎と台風22号が接近しており雨の中での開催となりましたが、天候の影響でのドタキャンはゼロ。予定していた方々は全員が無事に集まることが出来ました。僕は名古屋でどうしても聴きたかったピアノのコンサートがあったので、それを聴いてから遅れて参加させてもらいました。

今回は、同期会のメンバーの一人=A君が持っている伊豆半島・宇佐美にある別荘でのお泊り旅行となりました。僕以外のメンバーは、2時に宇佐美駅に集合。A君の別荘に入り休息、のんびりとアルコールを入れながら歓談。その後、近くにある地域のコニュニティーの温泉に。ゆったりと温泉につかり、また、別荘に戻って食事前のウォーミングアップ=アルコールを再度注入。一人遅れてくるヤツ=僕のこと、のために夕食の開始時間を遅めにしてくれ、会食は7時からスタートに。食事の場所は宇佐美駅の近くの江戸前のすし屋さん。ご夫婦でやられているこじんまりとしたお店です。地元の海の幸をふんだんに使った煮物、刺身、揚げ物、〆は当然、江戸前のにぎり。ここはA君の馴染みの店で、奥の座敷を借り切り、漁港の市場の新鮮な魚をこれでもかというほど出してくれました。また、A君初めお酒大好きおじさんが自慢の日本酒、焼酎の銘柄モノを持ち込んでくれ、大変に美味しく頂けました。

 

 

この日、僕は名古屋の宗次ホールで開催されたピアノコンサートを聴いてから伊豆に移動しました。小山実稚恵さんのコンサート。「音の旅」と題して何んと12年間に渡り24回やってらっしゃるリサイタルシリーズの最終回です。チケットは手に入らないと思っていたのですが、縁あって確保することが出来ました。同期会の日に重なっていたのですが、時刻表を調べるとなんとか夕食には遅れながらも参加できそうなので、コンサートを聴いてからの参加にさせてもらいました。小山さんのコンサートを聴くのは二回目。「永遠の音を刻む」と副題にある通り、素晴らしい演奏、素晴らしいコンサートでした。アンコール公演も多分開催されることになるのでしょう。このコンサートのこと、小山さんのこと、ピアノのことは、別途、書いてみたいと思ってます。

 

 

夕食の開始時間を遅めにしてくれたお陰で、乾杯には間に合わなかったものの、食事がだされはじめた丁度よいタイミングで加わることが出来ました。みんな、よく食べること、飲むこと、話は一切途切れない、相変わらず時間があっという間に過ぎていきます。

誰ともなく話題になりましたが「この同期会を開始した当初は、会話がもっとぎこちなかった。話題も通り一編の近況報告的なものが多かった。やはり、一泊して、風呂・温泉に入って、ゆっくりと話が出来る環境で会を何回かやるうちに和んできた。大学時代の我々のゼミは、それほど、ゼミ全体で纏まって活動していた訳ではない。他のゼミで活発なところは一緒に飲み会をしたり旅行をしたり、そういう行事を頻繁にやっていたように思う。この数年の同期会で、学生時代に話したよりも沢山のことをお互いに楽しく話合っていると感じている」と。同窓・同クラス・同ゼミのパワーは、素晴らしいと思います。学生から社会人になり、社会人としてのお勤めもほぼ一区切り尽きつつあるタイミングということも和やかに会話が出来る背景にあるのでしょう。

 

僕は、一人遅れて参加しましたので、話に入っていこうとすると話題が重複して流れが悪くなってしまいます。「それはさっき話したやないか!」てなことが2-3回続くとバツが悪くなります。これは申し訳ない。いろいろな理由はあろうとも遅刻して参加するのはよろしくない、と痛感しました。遅刻するよりも、中退・早退する方がまだ気が利いているように思います。とにかく遅刻はいけません。

 

 

昨年も記載しましたが(2016年11月3日『同期会』をご参照ください)、社会人としてそれぞれのお仕事に一区切りついて、みんながどんな生活をしているのか、お互いに参考になるし刺激にもなります。昨年の同期会から一年が経ち、今年も興味深く拝聴しました。

●「ピアノ教室」。残念ながら彼=D君は今回欠席で、彼がピアノのレッスンを継続して受けているか否か知ることは出来ませんでした。ちなみに、D君は卒業後ゼミに残り母校の教授になった学究肌で、近年、教授を退任のあと専門分野での研究グループを立ち上げてその纏め役になっている由。ピアノのレッスンもきっと頑張って続けていることでしょう。

 

●「晴耕雨読」。今回、本人=I君は自分から話題にしませんでした。僕は興味があったので、是非、聞いてみたかったのですが、遅れてきたので、あまり突っ込むことが出来ませんでした。翌日、別な友(=K君)の解説。「昨年、I君は肩に力が入り過ぎていたと思う。仕事を終え何かを開始した初年度は、詳細な計画を立てて飛ばし過ぎる傾向にあるもの。二年、三年経つと、自然に、収まるところに収まるものである」。K君は早めにリタイアしたこの道の上級者。上級者のコメントには説得力がありました。来年、I君にその後の生活を聞くのが今から楽しみです。

 

●「料理教室」。これは今回のホスト役のA君です。教室通いを継続している様子。彼は何かにつけ自然体で対応している。別荘生活も然り、月に数回=ほとんど毎週、別荘を利用していると。一人だけの時もあり。あるいは、友達を招待したり、お子様の家族が来たり、もちろん、奥さんもいらっしゃったり。奥さんとはお互いにベッタリせず、仲良く旅行に行ったり、ゴルフを一緒にしたり。この奥さんとの間合いはいいなあと感心します。ちなみに二日目の朝食は、A君が手際よく7人分を準備してくれました。大皿にスライスハムを人数分プラス並べ、キュウリの薄切りを添え、一人一個の目玉焼きを焼いて載せてありました。トーストは各自で、飲み物・コーヒーも各自で。ビジュアル的にもシンプルでセンス良く、男7人なのに、何か落ち着いたリッチな気分で朝食を頂きました。

 

これ以外でも、皆さんイロイロですが、それぞれ充実した生活を楽しんでいるようです。得意な英語を使って、かなり本格的に外国人に日本語を教える仕組みを作って活動している人。故郷の岐阜で地域の組長さんになって、地域行事に精を出している人。同じく、故郷、熊本で地元の中小企業さんに貿易取引の支援をやっている人。

 

 

 伊豆は、良いところですねえ。食べ物が旨い。それほどは高くない。いや、中身を考えれれば安いかも。また、最近は各地で異常気象・大雨の被害が出ていて、どこにいても安全面には十分な留意が必要ですが、伊豆の地盤は安定・強固で、よく言われる通り昔から古くから有る別荘地というのは何かにつけて安心感が高いように感じます。

二日目は観光の予定でしたが、強い雨が続いていたため中止。ゆったりと朝食を頂いたあと、ゴルフ組以外は早めの解散としました。ホスト役のA君は別荘と駅を2-3往復。僕は前夜飲み過ぎの影響でグロッキーな状態。夕方までは、もう二度とお酒の顔を見たくない状態が続いていました。そして三日目、台風一過の秋の晴天。ゴルフ組四人は近くの名門ゴルフ場で爽やかなゴルフを楽しむことが出来ました。

 

来年は、大学の地元、神戸を中心にして開催することをを決めました。来年は遅れないように参加して、最初から会話に入って、是非、みなさんのその後を聞いてみたいものです。それぞれが奥さん・家族とどんな間合いで生活しているか、そして、自分自身の時間をどんなふうに楽しんで過ごしているか、元気で再会出来るのを楽しみにしたいです。また、この会での懇親ゴルフは今回が初めてでしたが、お酒もゴルフも大好きニンゲンが四人いることが確認出来て、是非、これからも元気に懇親ゴルフも続けたいものだと四人の意見が一致しました。

 

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沖縄旅行三日目、漸く快晴。やはり沖縄は晴れの日が似合う。2017年11月5日撮影。

 

 

 

 

沖縄=ゴーヤチャンプルー、その2.

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沖縄グラスで焼酎を飲みながら(泡盛ではない、スミマセン)。もちろん、日向の平兵衛酢を入れて。2017年10月23日撮影。

 

 

『沖縄=ゴーヤチャンプルー』で書きました通り、 11月におばあちゃんと一緒に沖縄を旅行します。僕のカミさんのお母様。94歳。杖は使いますが良く歩きます。食事もゆっくりですが僕たちとほぼ同量食べます。今回の旅行のメンバーは、娘二人=昔のムスメ=僕のカミさんとお姉さん、それにおばあちゃんの弟さんのご長男。僕を含めて平均年齢は四捨五入すると70歳。おばあちゃんのお兄さんは軍人さんで沖縄で戦死されています。今まで何回も足を運ぼうとするたびに機会を逸していて、今回が、おばあちゃんにとっては初めての慰霊の旅です。おばあちゃんを案内するのに、ちょっとは沖縄の知識を得ておかねばと俄か仕込みですが沖縄の本を改めて読んでみました。さすがに英国一家のマイケル君の本の知識だけで沖縄を語るのは申し訳ないような。確か初めて沖縄に出張した時に那覇空港の本屋で地元を紹介する本が並んでいて、その中の一冊を買った記憶が。本棚を探したら見つかりました。

 

『沖縄の神と食の文化』監修、赤嶺正信さん。青春出版社。2003年4月第一刷。僕が買ったのは、多分、2004年だと思います。例によってザアっと読んだだけ。何も頭に残っていません。監修の赤嶺さんは、1954年沖縄生れ、琉球大学の文学部教授、民俗学専攻。監修ですから、ご自身が書かれた訳では無いと思いますが、地元生まれ・地元大学の民族学専攻の教授の方が監修をされていれば、いい加減なことは書いてないであろうと思って買った記憶があります。各地の空港、駅の本屋さんには、その土地の歴史、風習、文化に関する本を集めたコーナーがあります。その場所でしか手に取ってみる機会が少ない本。偶に面白いモノに当たります。読み返してみて、この本も結構アタリであったことに今頃気づきました。

  

 沖縄の文化を語るときには「女性優位と男系原理」という表現が使われることがあるそうです。沖縄では、家の継承は男系主義。村落・字を構成するのは、門中と呼ばれる親族集団ですが、これは全くの男系社会。先祖の位牌を祀る権利は長男だけ。それを継承することで父系血筋の一環性を厳守しているとのことです。

一方、祭祀を司る役割は女性が卓越している。女性たちにより祭祀が営まれる御嶽は、原則的には男子禁制になっている由。御嶽というのは、各村落に少なくとも一つは存在する聖地で、村落の守護神が祀られており、その村落の祭祀が執り行われる祭場のこと。丘の上など高台の緑濃い森の中にあることが多いそうです。門中の祭祀は女性の司祭者が中心になって執り行われる訳ですが、女性は生家の司祭になることはあっても、婚家の司祭になることはないとのことです。

 

「日本では一般的に”結婚したら婚家の人間”という意識が強いと思うが、沖縄の場合は、女性が結婚したあともその生家とのつながりが強い。生家あるいは生家の属する門中の成員権を保持する傾向にある」とか。門中は、男系原理ながら祭祀における女性優位が大きく影響しているような印象を受けました。

 

大変な逸話が紹介されています。沖縄のある島の男のお話。ある時、自分の姉妹と自分の妻と合計四人で船に乗った。運悪くその船が難破。男は必至で妻を助けたが、姉妹は溺死してしまった。島に戻った男は人々から非難された。どちらかを助けるのであれば、姉妹を優先すべきと。「妻はまた捜せば見つかるが、姉妹はそういう訳にはいかない」。一理あるかと思うもののなんとも悍ましいお言葉。"この話は沖縄のしきたりの強さ、その一方では夫婦の絆の構造的な弱さを示唆している、これが、沖縄が離婚率全国一位になっている背景にあるのでは"との指摘が記載されていました。

 

 

 マイケル君ではありませんが、11月の旅行で沖縄の長寿の秘訣を垣間見ることが出来れば面白いなあと楽しみにしています。もちろん、この本にも「長寿の島の四大食材」が紹介されています。そもそも沖縄では、食事のことを「ヌイグスイ」とか「クスイムン」とかいうそうです。ヌイグスイは「命の薬」という意味、クスイムンは「薬になるもの」だそうです。口にするものはすべて血や肉になり、体の健康を作るという考え方。中国の医食同源の影響を早くから受けており、体にいいものを食べる習慣が受け継がれていると。

 

四大食材その1.豚:沖縄では「豚は鳴き声以外、余すところなく全てを食べ尽くす」と言われるそうです(これは沖縄の名言なのか、中国から伝わった言葉なのか、やや気になるところですが)。豚は元々中国から入ってきたそうですが、大量の飼料を必要とする豚は飼育することが難しい、大変に貴重な食材でありました。貴重な優れた効用を持つ豚を残さず全て始末して食べ尽くすというのは先人の知恵なのでしょう。17世紀にこれも中国から持ち返ったサツマイモが普及して豚の飼育に繋がったそうです。公設市場の食肉店には豚の各部位が豪快に置かれているそうで、これはチラッとは覗いてみたいなあと思います。

 

その2.豆腐:沖縄豆腐、島豆腐。「食品成分表のなかでも、木綿豆腐と区別され”沖縄豆腐”と表記されている」そうです。ご存知、ゴーヤチャンプルーはこの沖縄豆腐が当然よく合います。木綿豆腐よりも、ずっと、しっかりした豆腐です。大好きです。「豆腐よう」も大好きです。島豆腐を発酵させた発酵食品。紅麹で発酵させたものと聞きました。チーズのような珍味ですね。これは酒の肴によし、これも大好きです。

 

その3.昆布:「沖縄は昆布の消費量が全国一」との記載がありますが今でもそうなのかチト心配です。沖縄で昆布が採れる訳では無いのに・・・これは交易によるもの、とのことです。18世紀後半だそうですが、薩摩商人が琉球の黒糖を対価として、北前船により蝦夷から琉球に運ばれて昆布を入手。それを進貢貿易により中国に輸出。1820年代には琉球から中国への積み荷の何んと80%を昆布が占めていたそうです。同時に地場の食生活にも大きく影響を与え、豚肉との相性の良さもあり琉球料理に欠かせない食材となったと。

 

その4.サツマイモ:「薩摩イモ」と言いますが、やはり、中国から琉球に入り、それから薩摩に渡り、そして「サツマイモ」と言う名前で全国に広がったと。薩摩では「琉球イモ」乃至は「唐イモ」と呼ばれていたとか。「沖縄は概して耕地が狭く土地も痩せている。年に何度も台風が来襲、逆に旱魃の被害も。農民たちは度重なる飢饉に苦しんでいた。1605年、中国からサツマイモ(甘藷)を持ち帰り栽培を開始。狭い畑でも効率よく栽培出来て、また、台風、旱魃にも比較的強かった。サツマイモを導入してから庶民の栄養状態が良くなり、人口が著しく増加」したそうです。「同時に豚、牛の飼料となり、養豚が盛んに。豚料理の豊富な沖縄料理の発展に影響を与えた」と。

 

 

 いよいよ、料理です。「沖縄そば」、「ポーク」、「タコライス」が紹介されています(ゴーヤチャンプルーは出てきません)。

 

沖縄料理その1.沖縄そば:意外と沖縄そばの歴史は新しいそうです。明治35年の「支那そばや開業」の広告が沖縄初のそば屋だとか。また、ご存知の方はご存知の通り「沖縄のソバは蕎麦ではない。蕎麦粉は一切使わない、小麦粉のみで作られている」。

「ソーキそば」、大好きです。豚のあばら骨の部分を煮込んだものをトッピングに入れてあります。

 

その2.ポーク=ポークランチョンミート、缶詰めです。これはてっきり沖縄産と思っていました。この本が執筆された時点では「この缶詰はアメリカ、デンマーク製が中心で、日本に輸入される9割が沖縄で消費されている。かつて米軍物資が民間に払い下げされた配給物資の一つであり、配給が終了後も安価に手に入る保存食であったので、庶民の食生活に取り入れられるようになった」。

「ポーク玉子おにぎり」、これも大好きです。ソーキそばとポーク玉子おにぎり。沖縄で初めてゴルフをした時に、朝食にソーキそば、途中の軽食にホーク玉子おにぎりを初めて食べました。とても美味しく頂きました。

 

その3.タコライス。最近では沖縄発祥の食べ物としてすっかり有名になりましたが、メキシコ料理のタコスの具をライスの上に山盛りに載せたもの。昔は笑い話のネタになっていたようにも思いますが、タコは入っていません。僕は,それほどキーンではありません(どうも僕の脳はチャーハンの方が旨いと思い込んでいるらしい)。

 

おばあちゃんには、沖縄宮廷料理を紹介しようかとおもっていたのですが、やっぱ、僕もB級グルメおじさんなのか。この本には結局「ゴーヤチャンプルー」のことは紹介されていませんでした。当たり前すぎるからでしょうか。その代わり「異国の文化を受け入れ、さらに沖縄独自のものにアレンジしてしまう」=「チャンプルー精神」という言い方をされています。「チャンプルー精神が生んだ”タコライス”」とか。「チャンプルー」にはこういうニュアンスがあるのですかね。

 

 

ゴーヤチャンプルー、「きょうの料理」で見たはずだと、これも本棚を捜してみました。2008年7月号に高城順子さんの「ゴーヤーのにんにくみそチャンプルー」が掲載されており、僕も当時ちゃんと料理していました。チャンプルーは、豆腐がmustと信じていた僕は、わざわざこのレシピに豆腐を加えて料理していました。「チャンプルーとは豆腐とゴーヤである。高城順子、ボケたのか!」なんて不遜な手書きのメモが残っていました。いやはや、思い込みとは恐ろしいことで。高城先生、スミマセンでした。

 

 

「太陽の棘」、原田マハ著、文春文庫。本の目利き=読書の達人の先生に紹介頂いた本です。雨が続く週末にブラブラ本屋巡りをしていたら、目に留まったので即買い。2016年11月、第一刷即第二刷。初出は、別冊文芸春秋、2012年11月~2014年1月。戦後の沖縄をベースにした小説。いきなり主人公がゴーヤチャンプルーを食べるシーンが出てきて思わず笑ってしまいましたが、この本は、そんなに軽い本ではありませんでした。今度の旅行で、那覇にある沖縄県立博物館・美術館で「ニシムイ・コレクション」を見ることが出来れば、と思いました。

 

 今回は、沖縄のウンチクでした。長寿のおばあちゃんと一緒に沖縄のかつての長寿の秘訣に触れられるか、楽しい旅行をしてきたいと思っています。

 

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本文と全く脈絡がありませんが、金沢駅正面玄関。久しぶりに訪問。かつては鼓のモニュメントのみだったと思いますが、「鼓門」とそれを全体に被っている「もてなしドーム」が完成。日向市駅も立派だと思いますが、金沢駅は凄いですね。2017年10月17日撮影。

 

 

大阪=タコ焼き

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クルルのおじさんの「黄身乗っけナットドーフ」です。納豆が見えませんが、 ちりめんとおかかとネギの下に潜んでいます。これに日向の平兵衛酢ポン酢をかけて、ざあっと混ぜて頂きます。美味しそうに撮れました!?。10月15日撮影。

 

英国一家、日本を食べる』の三回目です。この本の構成を改めて見ますと、パリでの話(なぜ日本に行くことになったのか)から始まり、後は、日本全国を食べ回った話が続きます。東京の話が全6話、京都が5話、北海道が2話、大阪が2話、福岡と沖縄が1話づつ、それから、調理師学校の話が2話、そしてエピローグとなっています。100日間で、東京、横浜、北海道、京都、大阪、広島、福岡、そして、沖縄を巡った。長男クンは6歳、次男クンは4歳の可愛い盛りでありました。

どういう訳か、大阪の評価が随分と高い。訪日前の取材・調査で「著名なフランス人のレストラン批評家が”大阪は世界一エキサイテイングな食の街。世界のなかでも大阪は特に好きな食の街”だと言っている」とか、「ヨーロッパやアメリカのトップシェフたちが”インスピレーションを求めて訪ねる街として大阪”の名前を挙げている」とか、「大阪は(日本の)食の首都であるという評判が高まっている」とかめっぽう大阪を持ち上げた記載が多くでてきます。

筆者自身も「日本の都市のなかでは大阪を一番楽しみにして」わくわくする気持ちを抑えきれなかった由です。

大阪生まれの僕としては、何やらこそばゆい気持ち。一般的に、大阪を評する時は「どぎつい」という言葉に集約されると思います。そのドギツサが災いして他の都道府県の方々から揶揄されたり、凹まされたりしますが、全く、屁の河童。反骨精神が旺盛で、それが大阪のバイタリテイになっていると思います。逆に、あまり素直に褒められる経験が無いので、褒められたら逆に驚いて戸惑ってしまう。そんなに褒めても何も出ませんよ、と言ってみたくなります。

 

大阪編・その1.のタイトルは「世界最速のファストフード」。これは、回転ずしとインスタントラーメンのこと。どちらも1958年に大阪で開発された由、等々のことが記載されてますが、マイケル君のもっぱら関心は、タコ焼きとお好み焼き。道頓堀は、その心のふるさと、道頓堀食べ歩き記がガイジンの目線で面白く描かれています。

また、「辻静雄が・・・マイケル君がその著書”Japanese Cooking; a simple art"を読んだことが、そもそも日本に行きたあーい!と一念発起した原点なのですが・・・日本料理において、大阪、あるいは関西を重視している割には、その著書のなかで、タコ焼きにもお好み焼きにも全く触れていない」ことにツッコミを入れてます。

マイケル君自身、「屋台の食べ物は、まともに取り上げるほどのものじゃないと(辻静雄は)思っていたのかもしれない」と言ってますが、これも面白い視点。彼は、お好み焼きに惚れ込んでいて、「世界に広まる次の日本の料理のトレンドはお好み焼きと今でも思っている」そうです。

 

ここで、ようやく分かりました。「マイケル君、あんた、ホンマはB級グルメ人間なんやろ!」。

 

大阪関西人、関西コナモン文化圏の人間にとっては、タコ焼きとお好み焼きはソウルフードそのものかと心の底から思います。

僕にとって、人生で初めて、それも自分一人だけで買い物をしたのがタコ焼きでした。10円のタコ焼き。幼稚園の時だったと思います。僕の家ではお小遣いを子供には与えてくれませんでした。中学生、いやひょっとすると高校生の時も余分な小遣いは貰えなかったように思います。お正月のお年玉等々を頂いた時も、すぐに没収されて預金されていました。子供に小遣い、小銭を持たせてはいけない、というのが我が家訓にあったのかしら!?。

それなのに、何故、幼稚園児の僕が一人でタコ焼きを買いに行くことになったのか。今回、イロイロ考えてみた結果、実は、おばちゃん、おじいちゃんがタコ焼き大好き人間だったのではと思い当たりました。おばあちゃんは、自分で買いに行くのが恥ずかしいので=プライドが高いから、孫をダシにしてタコ焼きを買いに走らせたのではないかと。

僕は当時、大変な恥ずかしがり屋さん。大人の人に話かけることなど全く出来なかった。ましてや、一人で買い物にいくなんで怖くて出来なかったように思います。タコ焼きを食べたいのに、いつもおばあちゃんに駄々を捏ねていました。それが、いざ出かけてみると、お店のおばちゃんの優しさに一安心。さらに、いつもオマケまで頂きました。一個だけだったけど。10円で随分沢山あったように思います。家に飛んで帰り、家内の溶接工場で仕事をしていたおじいちゃんの休憩時間に、おばあちゃんと一緒に三人で食べました。一人で買い物に行ったことを自慢して「おまけの一個は僕のもんや」と誇らしげに自己主張していたような。お母ちゃんは、その頃、外で働いていました。兄貴は既に小学生であったのでしょう。いま思えば、このこと=タコ焼きを買って来て三人だけで食べていたことは、ひょっとすると三人だけの秘密であったのかも知れません。

タコは値段が高かったはずで、タコ焼き一個にタコが一かけ入っているかどうか不確かでありました。偶に大きなタコが入っていたら大喜びしていたように記憶します。

実は、策士のおばあちゃんが、恥ずかしがり屋で満足に人と話が出来ない孫を、タコ焼きを餌にして社会の荒波?の中に放り込んだのかも知れません。

  

愛知県知多半島沖に「タコの島」があります。10月14日・土曜日の日経「産直の旅」で紹介されてました。日間賀島。この辺りは、フグ、アナゴ、ワタリガニ等々魚介類の宝庫ですが、一番の名物がタコです。

半島の南端からフェリーで20分ほどで島に到着します。フェリーに少し乗るだけで都会の喧騒から完全に離れて、のんびりとした風情を楽しめます。圧巻はタコの丸ゆで。体長が20-30㎝のタコが丸々茹でられて出てきます。豪快にハサミで切って食べる。絶品です。

名古屋からも近いので何回も行きました。地方の食通のお客さんにわざわざ足を運んでもらったり、大学のゼミの同期会を日間賀島の旅館でやったり。口の肥えている方々も、このタコの丸ゆでには感激してくれます。幸か不幸か、僕が見た限りでは、日間賀島にタコ焼き屋さんは無かったように思います。

 

マイケル君ご一家にも、是非、足を運んでもらいたかったと思いまが、イギリス人、ヨーロッパ人がタコの丸ゆでを見たら、どんな反応をしますやら。卒倒するかしら・・。残念ながら、マイケル君ご一家は、日間賀島どころか名古屋にも来てくれませんでした。

 

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 10月14日・土曜日、日経「日間賀島」の記事。(上の写真)タコの干物作り体験が出来るそうです。(下の写真)名物、タコの丸ゆで。タコしゃぶも楽しめます。

 

追記:マイケル君の名誉のために補足しますと、大阪編・その2.ではちゃんと伝統調味料である”味噌蔵”を訪ねたことが記載されています。単なるB級グルメ食べ歩きおじさんではないのです。ただし、味噌蔵の話を書きたいのであれば、それこそ、大阪でなく『八丁味噌』だと思います。大阪に、昔ながらの味噌造りをしているイギリス人のおじさんがいたからのようですが、それにしても、残念なことをしたものだと思います。

マイケル君、中部を素通りするなんて・・・。僕が中部地域の行政の責任者であれば、マイケル君に公開質問状「君はなぜ中部に来なかったのか?」を出してますね。