クルルのおじさん 料理を楽しむ

大人の遠足

 木曾三川公園の展望タワーからの眺望です。展望タワーは360度の景色が望めます。この写真はタワーから南向きを撮影したもの。向かって右側が揖斐川、真ん中が長良川、左やや遠方に見えるのが木曽川。展望タワーは長良川揖斐川の合流地点に立っています。眼下、写真手前右側の林の中に治水神社があり、その先に千本松原が続いています。「宝暦治水」の最大の難工事=油島洗堰締め切り工事、完成後に薩摩藩士が松を植えたものだそうです。2019年8月4日撮影。

 

 

延期となっていた大人の遠足「木曽三川巡り」を8月4日・日曜日に実行することが出来ました。朝9時にドラゴン先生の事務所駐車場に集合、先生のレクサスに乗せてもらって出発。名古屋市内から30分程度のドライブで木曽三川公園センターの駐車場に到着しました。まだ駐車している車も疎らな状態です。まずは展望タワーに。開館は10時からでした(道理でまだ来場者が疎らでありました)。それでも係の方は親切に中に入れてくれました。一階は展示フロアーになっており、この地域の地形・地質、治水事業の歴史、木曽三川に生息する魚、鳥、昆虫、植物等々が紹介されています。展望タワーは地上65m。何も余分なものが置かれていない、ゆったりした気分で眺望を楽しむことが出来ます。”木曽三川雄大な流れ、輪中地帯独特の水郷の景観が360度、一望出来ます”=パンフの受け売り文句ですが、まさにその通りです。

 

 

川の流れの雄大なことに比べて、千本松原の堤防のなんと細いこと。長良川揖斐川を分流させる最大の難工事であったとのことですが、大型重機が存在しない時代に、人の手でよくやったものだと改めて驚かされます。

 

 

タワーから降り、治水神社、宝暦治水之碑に向かいました。以前のブログに記載した通りですが(『学園生活』(本年5月20日)、『円空さん』(同6月10日)をご参照ください)、宝暦治水之碑が建立されたのは明治時代になってから(明治33=1900年)。治水神社は昭和になってからです(昭和13=1938年)。正しい歴史認識というのは、時の政治体制により何時の時代も難しいものだと思いますが、こと木曽三川の治水事業に関しては薩摩義士の顕彰が行われることが出来て本当に良かったと感じております。明治の時に、それに尽力された西田家10代目の西田喜兵衛さんに敬意を表したいと思います。

 

  

治水神社は、林の中にひっそりと建っていました。 

 治水神社の薩摩義士の像です。立派な”薩摩武士”が、姿形は”人足”そのものです。これだけでも大変なことだったでしょう。治水の工法は当時でもイロイロな工夫がされており、その流儀も多数あったそうです。杭を打ち柵を作り蛇篭と言われる竹材で編んだ大きな籠に砕石を詰め込んだものを埋めていく、というのが基本の由。写真のような装備で荒れ狂う河川に立ち向かったのですから、その大変さは想像も出来ないですね。同じく8月4日撮影。

 

 

治水神社から千本松原を南に歩きました。車が通行できる片側一車線の道路(108号線)が通っています。僕たちは、炎天下、汗びっしょりになりながら松林をゆっくりと散策しました。右側に揖斐川が流れているのが見えます。左は道路。道路の位置が高くて、その向こう側にある長良川は見えません。15-20分ほど歩いて、宝暦治水之碑に。ここには道路からの車の駐車場もあり、碑の前に立つと左右を流れている長良川揖斐川を同時に見ることが出来ます。『学園生活』<木曾三川・今昔>の講義では、”濃尾平野は東高西低の地形で、木曽川揖斐川の水位の差は2.4mもある”ということでしたが、この碑の場所から長良川揖斐川を眺めるとそんなものではありません。”少なくとも5m、いや、10mはあるのではなかろうか”。これには流石のドラゴン先生も初めて実感して驚いた様子。「実際に足を運んで見ないと分からないものですねえ」と感慨深げでした。

 

 

碑の近くには「木曽三川治水の先駆者」として”平田靱負(ゆきえ)”と”ヨハネス・デ・レーケ”の肖像レリーフが一枚の台に並べて設置されていました。デ・レーケさんは、オランダ人の技師。31歳で来日して以降30数年間、日本の河川の治水事業に貢献された方、「治水の恩人」と言われています。宝暦治水の約150年の後、明治20(1887)年から明治45(1912)年の工事にて木曽三川の完全分流は完成したそうです。「明治改修」とか「明治治水」と呼ばれています。明治政府は当時の国家予算の12%を費やした由。まさに国家事業だったのですねえ。

 

 

全くの余談ですが、今回の遠足でタマタマ発見した面白いこと。極めてローカルな話題なので関心度は低いと思いますが・・・。

【問い】愛知県と岐阜県三重県が一か所で接しているポイントはあるでしょうか?。

【ヒント】岐阜県は内陸の県で、愛知県と三重県は伊勢湾に面している県ですから、当然、どこかで三県が一か所で接しているポイントがあるのですが。いままで余り考えたことがありませんでした(単に、関心が無かった)。

【答え】はい、答えは「あり」です。今回訪れた木曽三川公園センター~治水神社~宝暦治水之碑は、岐阜県です。岐阜県の最南端が「宝暦治水之碑」周辺となります。そして、この碑の長良川側のポイント、多分、川のど真ん中が県境になっていて、東側が愛知県、南側が三重県。という訳で、この長良川のど真ん中の一点で、三県は一つに接しています。(註;これは、僕が地図を見ていて発見したことなので、読み違えがあれば申し訳ありません。どなたか確認ください)。

ついでに、木曽三川の河口(=伊勢湾に注ぎ込んでいるところ)は、すべて三重県です。木曽川は、愛知県と岐阜県の県境を流れ、長良川揖斐川岐阜県を流れて伊勢湾に注ぎ込んでいますが、最後の伊勢湾に注ぎ込む地域は全て三重県となっています。きっと何か理由があるのでしょうが寡聞にして存じておりません。

 

 

お昼は休憩も兼ねてセンター内のレストランに。先生のお薦めもありナマズ料理を注文しました。この地域の名物料理の一つとか。”えっ、ナマズ!”と一瞬驚きましたが、薄れゆく記憶の中で”そういえば、昔、食べたことがある”ことを思い出しました。”あの顔形に似合わず淡白な上品なお味であった”。記憶の通り懐かしく美味しく頂きました。お昼の定食なので、ご飯も一緒に出されましたが、糖質制限法のドラゴン先生は当然の如くご飯にはほとんど手を付けず。僕は完食。汗をかいた後なのビールを飲みたいところでしたが、流石に遠慮しました。このころになると、沢山の来場者でレストランもほぼ満席の状態。家族連れが圧倒的に多い。おじさん二人で遠足に来ているのは僕達くらいであったことでしょう。

 

 

食後のコーヒーを飲みながら、おじさん二人は、これ以降の行動計画を真剣に検討しました。と言っても、ホームグラウンドかつ運転手の先生の意見がほぼ100%。”せっかく来たのだから”がキーワードです。近くにある、上げ馬神事、流鏑馬神事で有名な多度大社(三重県)、そして養老の滝(岐阜県)を回りました。更に話が弾み、琵琶湖を観に行こう!と。普段、名古屋では車を運転していない僕は距離感がピンときていないので、「琵琶湖までいくのは大変に長時間の運転になるのでは」と心配しましたが、先生は仕事の関係もあり、彦根あたりまで車での日帰り往復は全く当たり前の行動範囲になっている由。地べたの道を通り、関ヶ原経由、伊吹の山を望みながら、一路、琵琶湖に。僕も、この辺りは東名から名神の高速道路を何度も走行したことがありますが、一般道は初めて。関ヶ原の戦いの場所の風情が今でも残っている景色を堪能することが出来ました。

”ところで、なんで琵琶湖にまで?”。

更に異常な展開になってきました。なんと「名物チャンポンの店があるから早めの夕食を食べて帰ろう」とのこと。

お昼のナマズ定食でもご飯はほんの一口しか食べていない糖質制限法のおっさんが、突然「チャンポンを食べる」と言い出しました。”面白い。喜んで、お付き合いしましょう”。

滋賀県に入りました。琵琶湖の湖岸道路を走り、彦根城近くの鄙びたラーメン屋に。何、ラーメン屋、チャンポンとちゃうやん?!。 

 

 「ラーメン」の看板なのにお店のメニューはほぼ全てチャンポン。ラーメンは一種類のみ。「(近隣の方、人づてに教えてもらった方以外は)この店にチャンポンを食べに来る人はいない!。この店のチャンポンは絶品なのですよ」と。”そりゃそやろ、ラーメン屋にわざわざチャンポン食べにきまへんで。なんで看板を〈チャンポン〉にしないの”と思いますが、客が多くなり過ぎて味が落ちたり、売切れたりすることを懸念するフアン心理かと、沈黙を守りました。お薦めの、キムチチャンポンを。僕にとっては初めての経験。キムチとチャンポンとは!?。良く味があうことに驚きました。先生は一年ぶり(数年ぶり?)の麺類の食事の由。お昼のご飯はほとんど食べなかったのに、チャンポンは完食。意思は固い(固そうに見える)が、融通無碍・臨機応変。美味しいモノを楽しむ、食べたいものは(たまには)食べる、そういうアタリマエのカワイらしい人間性を確認できて大変に安心しました。

 

 

酒を飲まずに一緒に食事をしたのは初めてのことでした。お互いにアル中ではないことが証明されてなにより。もっとも、先生は最近、何もイベントがない時には、アルコールは飲んでいないとか。アルコールが無いから話が盛り上がった?会話が冴えていたのかしら。少なくとも僕はアルコール依存症ではなかったことを確認できて一安心でした。(註:その日、隠れ家に戻ってシャワーを浴びてスッキリした後には、やはり、ビールをグビッと飲んでしまいましたが・・・。美味しかった。)

 

 

 ラーメンとチャンポンは麺そのものが違うはずです。以前、一度調べたことがあるのですが全く頭に残っていませんでした。お店のおばちゃんに聞けば良かったかとも思いましたが”いやいや、そんな無粋な質問したらアカン”と思い直しました。もう一度、自分で調べてみようと思います。新しい発見があれば、その内に書いてみたいと思います。

 

 

来週は、もう五山送り火の時節です。今年もまた、ドラゴン先生の京都のマンションにお邪魔することに。恒例の行事になりつつあります。今回のツアーはアルコール無しでした。糖質制限法のおっさんがチャンポン食べたい!と言い出したのと同様に、送り火では今回のアルコール無しの反動がでてしまうのか・・・いまから、楽しみです。いつも冷静でキレイな先生のお嬢さまと、一緒に楽しくお酒を付き合って飲んでくれる旦那さんと再会出来ることも楽しみに。 

 

 

面白い名古屋

  

お気に入りのポスターです。名古屋の地下鉄の構内、車両内に張ってあります。信長、秀吉、家康は永遠のスーパースターですね。三人の個性も上手く描けており、かなりインパクトがある作品だと思います。リュックを前に抱えて乗る人も多くなっているし、席を譲るシーンもよく見かけます。ポスターの効果が出ているかと(残念ながら、歩きスマホは多いですねえ。ぶつかりそうになって怖い時があります)。それと、名古屋弁の勉強になります。信長「たゃーぎゃーにしなかんゾ。たぁーけモンが」、秀吉「ところかまわずはダチかんわぁ」、家康「ぜったゃあ ゆずったれせんわ。でぇえらぁ 若かったもんで かんわ」。話言葉をひらがな・カタカナで表記してもらうとイントネーション、アクセントが分かるような気がするのですが・・・。大阪弁より難しいかと。2019年7月28日、撮影。

 

  

7月26日・金曜日、台風6号が接近。朝から雨となりました。翌日は、暴風雨懸念との天気予報でしたので、ドラゴン先生と相談の結果、大人の遠足は延期としました。さて、どうしたものか=雨の土曜日は、読書、料理、ピアノの練習にかぎる、のんびりと楽しむことにしようと考えていたところに、先生からメールがあり。”遠足が無くなって二人とも時間があるわけだから、興味があれば、名古屋市科学館で開催されている「絶滅動物研究所」を見に行こう、とのお誘いを頂きました。科学館で「絶滅動物」を勉強してから反省会(反省会というのは飲み会のことです)をやろうということになりました。絶滅危惧種の二人のおっさんが「絶滅動物」を勉強するのは何かの縁かと、反省会を楽しみに参加しました。

 

 

この名古屋市科学館プラネタリウムで有名ですが、常設展示も充実しています。今年1月30日のこのブログに「スイーツ展」の写真を掲載して紹介しましたが、学芸員の方がイロイロと工夫してイベントホールでは特別展の企画もよくされています。毎回、人気があります。このイベントホールでの特別展示では、写真撮影を「可」としている(一部は、不可です)のも喜ばれる理由の一つかと。今回の「絶滅動物研究所」は、科学館・生命館開設30周年と地元中京TV開局50周年の特別企画。ドラゴン先生も開催のお手伝いをしている由。”「絶滅動物」何故、絶滅してしまったの?”とサブタイトルが付けられていました。”多くの生き物と共に生きる地球の未来を考えます!”とも。展示を見ていて、ハラリさんの「サピエンス全史」を思い出しました。人類種は「唯一生き延びた」「史上最も危険な種」なんですねえ。アメリカンバイソンの剥製が展示されていました。寂しそうな、恨めしそうな目をしておりました。

 

 

夜の反省会まで、時間があったので、科学館・理工館の常設展示で時間をつぶしました。沢山の親子連れで賑わっています。人工的に雷を発生させる装置とか、竜巻を発生させる装置とか、かなり大掛かりな仕掛けが設置されていて大人が見ても飽きません。アルキメデス揚水ポンプ、何でも知ってるドラゴン先生が説明してくれたのですが、僕はまだ理屈が理解出来ていないかも。

ちなみに、常設展示場だけであれば、子供さんの入場料は無料です。写真を撮って子供たち家族にラインで送りました。もう少し彼らの子供たち(=僕の孫たち)が大きくなれば、隠れ家に遊びに来るときに足を運べばきっと喜ぶと思います。

 

水のゾーンにある「アルキメデスの揚水ポンプ」。真ん中の軸の周りをらせん上にホースを巻き付けてある。ホースの両はしは開いていて、下の口は水に浸かっている。軸を回転させるとアーラ不思議!ホースの中の水が下から上に上がっていく。アルキメデスの時代か更にもっと古い時代に実用化されていたそうですから、人類の英知は本当に凄いものですね。この原理、まだ、分かったような分からないような気分です。2019年7月27日、撮影。

 

 

雨が激しく降っていたので、最寄りの焼き鳥屋さんに入りました。ビールで乾杯!と思いきや、相変わらず、糖質制限をしているドラゴン先生はハイボールを注文。この食事法では野菜にも制限がある由。端折って言えば、根菜は避けるべし、葉モノ野菜が推奨される。一方、油モノはokで、特に制限しないで食べて良い。聞いていると気が変になりそうなので、話題を変えました。最近、気になっている名古屋の人の地下鉄の乗り方。

 

 

「名古屋の人は地下鉄に乗車すると入口付近で停まる傾向が強い。奥(=座席と座席の間のスペース)に進まない。朝のラッシュ時も然り、お昼の空いている時も然り。僕は席が空いていれば座りたいと思うので奥に入ろうとするのだが、奥に入ろうとする乗客を妨害するような立ち方をしている。ちょっと体をづらして通してくれれば良さそうなものなのに。一歩も動かず。本人が降りることを最優先しているのではなかろうか。そもそも、東京・神奈川に比べて、車両の幅が狭いのが問題なのかもしれない・・・」とここまでお話したところ、例によって突っ込みが入りました。

「東京の地下鉄は、銀座線と丸の内線を除けば、他は”狭軌”のはず。名古屋の地下鉄の軌間が特に狭いということはないはずである」。

”ええっ、あんた、地下鉄の事も詳しいの?ホントになんでもよう知ったはりますなあ?”。だがしかし、普段あまり地下鉄を利用しない先生に対して、最近特に注意して観察している僕の感覚が間違っているとは思えない(思いたくない)。しばしの間、例によって「狭い」、いや「狭くない」で一通りの議論。まあ、これは、お互いに調べてみようということで今回はお開きとなりました。

 

 

隠れ家に帰って、早速に調べ事。何と、ショックなことに名古屋の地下鉄の幅は狭くありませんでした。レール幅(=軌間、ゲージ)は、世界標準軌が1435㎜となっているそうです。このレール幅が運行上も安定して乗り心地も良いとされている由。新幹線のレール幅がこのサイズです。これは素直に納得。しかし、これから先が大変なショックでした。

東京の地下鉄では、先生の言う通り、銀座線、丸の内線がこのサイズでありました。これに対して狭軌=1067㎜が、JR在来線、(銀座線、丸の内線を除く)東京メトロ、東急、西武、東武小田急等々。

一方、名古屋の地下鉄では、標準軌東山線名城線名港線。僕が日常乗車している東山線標準軌!、ええっ新幹線と同じ広い幅なの??。狭軌は、鶴舞線桜通線。何とドラゴン先生のおっしゃる通り。これは完敗か!?、と落ち込みそうになりましたが、少し冷静に考えてみると、いやいや、座席と座席の間で吊革を持って立っている時の感覚は、間違いなく名古屋の地下鉄は窮屈だ。東急、東京メトロ等々に比べて狭いはずだ!。きっと何か誤解かマヤカシがあるはずだ。自分の感覚を信じて謎解きを続行。そして、やっと一安心出来ました。

 

結論から言えば、「レール幅の広い・狭いと車両の幅(車体幅)の広い・狭いは、必ずしも一致していない」ということでした。

 

そもそも狭軌というのは文字通りレール幅が狭いのですが、その狭さは標準軌と遜色のない車体幅が成立する、確保することが出来る最小のレール幅とのことです。名古屋の東山線標準軌のレール幅ながら車体幅は2550㎜。一方、銀座線は同じ標準軌ですが車体幅は2800㎜。この差、約30㎝!、やはり名古屋の地下鉄(の車体幅)は狭かった。僕の感覚に間違いなかったことが確認できてホッと一息。

 

名古屋の地下鉄を設計する際には「安全・迅速・静寂」をキーワードとしたとのことで、乗り心地・騒音対策・安全性に配慮し車両に重量制限を加えた結果、やや狭い車両になったそうです。プラットホームの設計、トンネルの大きさ等々もこの狭い車両サイズに合わせて作られているので、今更、車両幅を広げるというのは難しいとのこと。

 

今回の論戦は、両者それぞれ、車両幅とレール幅という別々なことを議論していたということで引き分けかと。肝心の「名古屋の人は入口付近に留まる傾向がある」というテーマについてはまた別な機会に持ち越しです。

その後、地元の若い世代の人に同じ話をして聞いてみたのですが、「そう言われればそうですねえ、ドアー付近に留まることが多いですねえ」との返事でした。奥が狭いことも一因かと思いますが、そもそも、余り混んでいないので、出入口付近に留まる傾向が強いのですかね。もう少し調べてみます。

  

 

名古屋の(地下鉄の)エスカレーターのことは、このブログで何回も記載しましたが、7月22日からエスカレーター乗り方改革!「みんなで手すりにつかまろう」キャンペーンが全国で展開されています。エスカレーターでは右立ち、左立ち云々がありますが、両方ともに歩かない・走らない、立ち止まって乗りましょう!事故防止、障害者・お年寄りに優しい安全な乗り方をしましょう!というキャンペーンです。いよいよ名古屋の「歩かないで」「走らないで」の張り紙ポスターが全国をリードすることになってきましたかね。徹底されると良いですねえ。ついでに張り紙ポスターも三人のスーパースターに登場してもらって、もう少し、センスの良いものに変更して欲しいですね。

 

 

≪追記;訂正とお詫び≫、2019年8月1日、記です。

信頼する情報筋(=ドラゴン先生です)から資料提供を頂きました。銀座線の車体幅を、ブログの本文で2800㎜と記載しましたが、2600㎜が正しいです。銀座線以外の東京メトロは2800㎜以上の幅があります。僕が引用したのは、名古屋市交通局のコラム「地下鉄東山線のサイズが小さいわけ」(2018/7/9)からでした。東山線が小さいのはその通りですが、東京メトロのなかで銀座線だけはそれほど広くありませんでした。

許可を頂ければ、面白い資料なので、次回のブログに改めて提供資料を掲載します。取り急ぎ、訂正とお詫びです。

 

 

農園実習で収穫した成果です。前回のブログで「晴(耕)無し」と書いたら、急に真夏日に様変わり。二時間の作業で汗びっしょりになりました。収穫作業とは別に、ナスの枝を短く落として根切り作業をしました。そして追加の肥料を投入。また、秋口にかけて収穫できるようにと。持てる限りリュックと手さげ袋に詰め込んで持ち帰りました。ピアノの先生のご家族にもお裾分け。7月24日・水曜日、収穫と撮影。(註:ビニール袋はトマトで、これは格安価格でプロの農家さんから戴いたもの)。

 

 

オマケの料理。鶏肉・夏野菜カレーです。

鶏肉にカレー粉・小麦粉で下味をつけて炒めておく。ニンニク・しょうが・玉ねぎをキツネ色に炒めて。収穫したピーマン、ナス、しし唐を加え、鶏肉を戻し入れ。トマトを切り口を下にして入れて、蓋。弱火でじっくりと煮る。カレー粉が足りなかったので、ルーを細かく刻んで使いました。大成功。美味しかったです。2019年7月27日、料理と撮影。

名古屋の梅雨明けは、28日・日曜日。昨年よりも19日遅い、平年よりも7日遅い梅雨明けとのこと。益々、暑くなりそうです。皆さま、ご自愛のほど。

晴(耕)ナシ雨読たまに料理

隠れ家のベランダ。ハイビスカスの花が咲きました。三鉢買ったものが一鉢だけ残りました。冬は部屋の中に入れて。元気な緑の葉を着けて背丈も大きくなっておりました。観葉植物と考えておりましたが、きれいな花が咲いてくれました。2019年7月12日、撮影。

 

 

今年の7月は日照時間の不足が顕著のようです。作物の生育に悪影響を与え、野菜の値段が上がっていることがTV・新聞で報道されています。キュウリが高い!。昨年は『平成30年7月豪雨』と『かつて経験のない異常な暑さ』で大変でしたが、今年の天気も困ったものです。7月中旬になっても雨の日が続き、残念なことに楽しみにしていたゴルフが二回も中止になりました。最近、ゴルフは雨の時にはやらないようにしています。レインウエアの機能は昔に比べると格段に向上していますが、やはり、雨に当たると終わってから体が重く、疲れがドーンとくるように思います。年齢を自覚して、無理をしてはいけないと自分に言い聞かせています。同伴のプレイヤーも同じ年代の方がほとんどですから、皆さん同じように考えるようです。天気予報を見て、前日に中止することもあれば、当日、ゴルフ場に集合して話合いの上、中止・延期として解散することも結構あります。

 

 

お陰様で時間の余裕が沢山できました。買った後、積んだままになっていた本を、神奈川の自宅で手当たり次第に読むことが出来ました。自宅に居るときは、カミさんが台所の片づけ、洗い物、炊飯、等々をやってくれます。隠れ家に居る時よりも僕の仕事は少なくて済みますから、朝・昼の食事はカミさんの手を煩わせることなく、自分でチャッチャッと準備して食べるようにしています。僕は納豆と豆腐と卵があれば生きていけます(+野菜)。気が向けば、レシピを見ないでも作れる料理=チャーハン、焼きそば、そして、得意のソーミンチャンプルーを二人分作って食べることもあります。夜は、二人とも予定が無い時には家でカミさんの手料理中心に、または、二人で外に食べに行ったり。それぞれ何かしらの用事があるので別々の時が結構あります。要は、お互いに相手を拘束しない=自分のペースを大切にしての生活を心掛けています。

 

 

中村紘子さんの「ピアニストという蛮族がいる」(1992年1月、第一刷)。この本は月刊の文藝春秋に1990年1月から連載され、その年の「文藝春秋・読者賞」を受賞したもの。本の帯に「大宅賞受賞の名ピアニストが描く”わが部族”の自画像」とある通りですが、音楽に魅入られたピアニストたちの世界、巨匠たちの「奇行」「伝説」を描いたもの。

巻末に実物大のショパンの手の写真とラフマニノフの手の大きさを説明するための鍵盤の写真が添付されています。ショパンの左手を石膏で型どったもの(=これは紘子さんがワルシャワショパン協会から記念に貰われたモノとか)の写真ですが、ショパンの手は女性のモノと見紛うばかり何と細く華奢であることか。一方、ラフマニノフはそもそも身長が2mに達するほどの長身で、手も大きくて柔軟。右手の人差指、中指、薬指でド、ミ、ソを押さえ、小指でオクターブ上のドを押さえ、更にさらに、余った親指を下に潜らせて、次のミを弾いたとか。

僕も手は大きい方だと思うのですが、レッスンを受けていて感じてしまうのは、大切なのは手の大きさそのものより、それぞれの指の柔軟性と独立性かと。僕の指の関節は固くて連動してしまいます。独立性と柔軟性は天性のモノかとやっかみ気分になってしまいますが、練習というよりも訓練!である程度は矯正することが可能とのことです。この写真にも「拷問器具にも似た指の強化器具」が紹介されています。もっとも、ラフマニノフの手が余りにも柔軟過ぎるのは「”マルファン症候群”と言われる、結合組織が侵される遺伝病である」との研究論文も出ているとのこと。ラフマニノフご本人は病気であることを認識しないまま、この病気による眼精疲労、頭痛に生涯苦しんだそうです。

 

 

巻末の資料の写真です。僕は中指と薬指の関節が固いので、ミとソを押さえることも一苦労。ドミソを押さえたままで小指で次のドを押さえる!?。ましてや、そこから親指を下に潜らせるなんて有り得ない、としか言いようがないですねえ。2019年7月20日、撮影。

 

 

紘子さんが大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したのは「チャイコフスキー・コンクール」です。これは、僕が読んだ初めての紘子さんの本。元々は1988年11月に中央公論から刊行。僕が読んだのは新潮文庫、2012(平成24)年3月発行のモノ。紘子さんご本人は、ご存じの通り、1965年のショパン・コンクールで入賞と最年少者賞を受賞された世界クラスのピアニスト。後には、この両方のコンクールの審査員を歴任されています。チャイコフスキー・コンクールの審査員は1982年から。この本は、1986年のコンクールを中心に書かれたものです。この本のなかでも紹介されていますが、僕の大好きな小山実稚恵さんがこのコンクールに3位入賞したのが1982年のこと=紘子さんが審査員を務めて最初のコンクールだったのですね。ついでに、ヴァイオリンの諏訪内晶子さんが一位になったのは1990年のコンクール。この時の話もこの新潮文庫版には「ピアニストが聴くペレストロイカ」として追加収録されています。

小山実稚恵さんのことは『同期会・一年の後』(2017年11月12日)、『小山実稚恵さん・讃歌』(2017年12月10日)で書きましたが、ショパンチャイコフスキーの両方のコンクールで入賞した唯一の日本人。小山さんの手は、その筋の方が見ると何千人、何万人に一人の「手」だそうです。

 

 

紘子さんの『蛮族』のなかで印象深いピアニストの一人がイグナッツ・パデレフスキー。ピアニストから政治家、それも独立ポーランドの初代首相になった方。超遅咲きのピアニストとして有名で、爆発的な人気を博したのは31歳の時のアメリカ・デビューとか。国民的な英雄として第一次大戦後のポーランド共和国の初代首相に。「鍵盤のパトリオット」のタイトルの通り、その後、1939年ナチス・ドイツポーランドに侵入してワルシャワを陥落させた時には既に79歳の高齢ながら、祖国救済のキャンペーンコンサートをアメリカで展開。残念ながら、その無理が祟って、1941年に滞在中のニューヨークのホテルで病死された。友人であったフランクリン・ルーズベルト大統領の計らいでワシントンのアーリントン墓地に埋葬されたそうです。紘子さんの本では、「その後何度か故国ポーランドのクラコフ市にあるバーベル城(クラクフのヴァヴェル城)に埋葬しようという動きが起こったが、共産党政権のもとでは実現しなかった」となっていましたが、たまたま調べてみたら、1992年にワルシャワに埋葬された由です。時の移り変わりを感じました。

 

 

紘子さんは、2016年7月に72歳で逝去されました。隠れ家にあった「チャイコフスキー・コンクール」の文庫本を開いてみたら、本文の目次の後にさりげなく「福田章二さんに」と書かれてました。オシャレですねえ。福田章二さん=ダンナさん=庄司薫さん=「赤頭巾ちゃん気をつけて」の芥川賞作家さんです。お二人が結婚された時に、高校時代の友人が物知り顔で言ってたことを思い出しました。

「”赤頭巾ちゃん”のなかで主人公の薫くんが紘子さんのことを話題にして”あんなにキレイな先生についてピアノを教えてもらえれば云々”と書いてある行がある。そのことが切っ掛けになってお二人の交際が始まったのだ!」。

この会話はてっきり高校時代のものと思い込んでいましたが、よく考えると「赤頭巾ちゃん」は東大入試中止の時代を背景にした物語。お二人の結婚は当然もっと後の話。僕の記憶も時空を自由に飛び回るようになってきたのかと。当時、庄司薫さんの本はほぼ全部買って読んでいたように思います。自宅の押し入れを探してみましたが見つかりませんでした。

 

 

今年のチャイコフスキー・コンクール(正式には「チャイコフスキー国際コンクール」)のピアノ部門では、藤田真央(まお)さんが二位に入りました。20歳。ピアノ部門では、2002年に上原彩子さんが初優勝したそうですが、それに次ぐ快挙と報じられています(日経、6月28日記事)。YouTubeでコンクールの模様を見ましたが、演奏時の表情が本当に豊かな良い表情の好青年だと思いました(真央ちゃんですが男の子です、念のため)。益々の活躍を期待したいですね。

 

 

今日は、夕方、僕のピアノの先生が主催する”リトルピアニスト・コンサート”を聴きに行ってきます。毎年開かれているコンサートで今年で6回目。僕が行くのは二回目です。第一部は、小学一年生から中学一年生までの生徒さんそれぞれの演奏。第二部は、チェロとソプラノのお友達が共演して先生のピアノ・コンサート。”発表会”と言わずに子供達の”コンサート”としているのが先生のコダワリです。子供達が緊張しながらも真剣に一生懸命に演奏しているのを聴く(見る)とホントにすごいなあと感心します。

 

 

本年3月19日のブログ『居酒屋ヒデさん』を参照ください。シェフ・ヒデさんの料理です。前回は写真を撮るのを忘れたので、今回はチャンと撮ってきました。

豚の角煮とゆで卵、鶏肉と豆腐の「棒々鶏風」サラダ、アボガドとマグロのサラダ、イワシのマリネ、エビとマッシュルームのアヒージョ、ラタトゥイユ、すべて手作り。イワシは自分で三枚に下ろした由。それとバゲット、ビールとワインで堪能しました。牛若丸の「新」(あらた)くんとも遊べて楽しい時間を過ごせました。2019年7月14日、撮影。

 

一学期の終了

名古屋市中区、大須の商店街の一角にある居酒屋「大須亭」。2019年7月8日、撮影。

 

大須の商店街は下町の風情を残しているところです。そして歴史があるところです。関ヶ原の戦いの後、徳川家康尾張徳川家の居城として名古屋城の築城を決定。それまでの長い間この地域の中心であった清州から、お城も含めて丸ごと引っ越しすることになったそうです。清州は交通の要衝ではありましたが、水害に弱いというのが移築の大きな要因の一つであったとか。ここにも「木曽三川」の影響があったのですね。1612(慶長17)年から移住は開始され、家臣、町民のみならず寺社仏閣まで徹底的なものであった由。この都市丸ごとの移転のことは”清州越え”といわれており、これが名古屋という都市の誕生だそうです。その時に、岐阜県羽島市大須にあった真福寺を移転したものが現在の大須観音。以降、その周辺地域は大須観音門前町として栄え”大須”と呼ばれるようになったと。

 

大須が本格的に賑わいを見せるようになったのは尾張徳川7代藩主の宗春さんの時代。江戸では8代将軍の吉宗さんが質素倹約の政治を行っていたのに対して、宗春さんは芝居や芸事を奨励して消費促進の開放政策を推進した。宗春さんが盛り場としての大須の源を築いてくれた。有名な大須演芸場の起源もこの辺りに遡るのかも知れませんね。以上、ほとんど大須商店街のホームページからの受け売りです。

 

 

前置きが長くなりましたが、この居酒屋さんに、飲み友達の”きっちゃん”と久しぶりに一緒しました。きっちゃんは「猪鍋」が切っ掛けで親しくなったお友達です。このブログの『子供食堂』(2019年2月20日付け)の一番最後のおまけの「猪鍋」の写真の説明で紹介した通りですが、もう15年以上の付き合いになります。

 

思い起こせば、きっちゃんとの最初の出会いは結構、衝撃的?なものでした。僕が名古屋に赴任してそれほど時間が経っていない頃。寒い冬の日、取引先にご不幸がありその葬儀・告別式に参列するために、北海道に日帰りで出張しました。土曜日でした。かなりハードな工程で、早朝の便で札幌に飛び参列後トンボ帰りで名古屋に。セントレアに到着したのはもう夕方になっていました。当時も僕は単身赴任。自分で料理してマンションで一人で食事をするなんてことは夢にも考えていない頃でした。セントレアからの帰路、当然のように地下鉄を途中下車。漸く一人でも出入り出来るようになった馴染みのお店に行きました。そのお店が「猪鍋」のお店。メンバーズクラブ、とはいっても気楽なスナックのようなお店(ママさん、スミマセン。居心地のよい家庭的なお店です)。店に入るや疲れていたのでドタッとソファに座り込んだのですが、ふと横を見ると丸顔の人の好さそうなおっちゃんがお店の人と2-3人で家族的な雰囲気で鍋を囲んでいました。”ふーむ、栄のメンバーズクラブで鍋?どうなってんのや?”。そうこうするうちに、そのおっちゃんが僕の方を手招きして「よかったら、一緒にいかがですか!美味しい猪鍋がちょうど食べ頃ですよお!」。それが”きっちゃん”でした。

 

きっちゃんは、僕よりもちょっと年長さん。猪鍋で出会った時は、お互いにまだ50歳代。本年、彼は目出度く70歳になった由。現役時代は真面目なエンジニアさん。卒業後は、趣味の写真撮影の腕・技を駆使してボランティアのカメラマン活動をされている。話題も豊富。調子に乗ると親父ギャグを連発します。口の悪い関西系おじさんからは”クサァー”と突っ込まれることがあります。

 

今回、飲んだ時ご本人が了承してくれたので記載しますが、きっちゃんの名前は「吉正」=よしまさ。何やら将軍さまか藩主さまのご末裔のようなお名前ですが、高校時代に、古典に詳しい国語の先生が「この名前は”きっしょう”と読むべきである」と主張されたそうです。”人の名前の読み方を勝手に主張するなよお”と思いつつ、語感が良かったので、それ以降”きっしょう”転じて”きっちゃん”が彼の通り名になった由。メルアドには、”きっしょう”=kissyou〇×△と書いてあります。”きっしょう”をローマ字書きする時は「kisshou」と「[kissyou」のいずれも使えますが、きっちゃんは「kissyou」と。茶化すのが大好な僕は「これ(=kissyou)は”kiss you”を縮めたのかいな!?」と冷やかしましたが、意外とシャイで真面目なきっちゃんはキチンと語源を説明してくれました。最近でも、2-3カ月に一度は二人だけであったり、お互いの友人を連れてきたりして飲み会を続けています。二人とも体力・気力を充実させて飲み会から脱落しないように。あと最低でも10年ほどは楽しく元気に飲み会を続けたいものです。

 

書いていて思い出しましたが、このお店のママさんは鹿児島出身の方。木曽三川の治水工事での薩摩藩士の話を最初に聞いたのは、このママさんからでありました。この薩摩藩士を追悼する行事は、名古屋・中京地域の鹿児島県人会の毎年恒例の一大行事の一つになっている由です。鹿児島の方々の繋がりはしっかりされていると感じますが、木曽三川が、ここでも繋がっていることを再認識しました。ドラゴン先生との大人の遠足「木曽三川」はいよいよ今月の末です。イロイロな繋がりを感じながら現地視察?を楽しみにしたいと思っています。

 

 

木曽三川」の講義から始まった鯱城学園の一学期が本日で終了しました。早いものです。4月からは鯱城学園での活動も加わったことで、お陰様で楽しく忙しい毎日を過ごせているように思います。

 

 

一学期最後の共通講義は「地域の福祉を考える~誰もが安心して笑顔で暮らす名古屋を目指して~」。社会福祉法人名古屋市社会福祉協議会、地域福祉推進部長の方のお話でした。現役の部長さんですから、やや硬いお話でしたが、行政の役割・考え方等々を丁寧に説明されていました。2016年の社会福祉法の一部改正、「ニッポン一億総活躍プラン;地域共生社会」の政策展開、等々、普段あまり説明を受ける機会が無い事項を分かりやすく丁寧にお話されていました。この方は個人的にも「ボランティアという生き方=人、社会のために動いてみる」ことを大変に大切なことと考えられていることが強く印象に残った講義でありました。

 

 

一方、夏休み期間中でも専門講座の農園実習は続きます。畑仕事には夏休みはありません(というほど、必死にやってる感、はありませんが・・)。全員参加の実習とは別に各班での水遣り登板もあります。また、各個々人で自分の作物を収穫する必要がある。”必要がある”というのでは無く、収穫を楽しめるようになりたいもんだ。先週後半には、班長さんからの連絡網で「そろそろトウモロコシの収穫が可能になっているから各自で注意する方が良い」とのアドバイスがありました。早速に日曜日の夕方に農園に。「まだ収穫にはやや早い」との意見もありましたが、余り頻繁に農園に足を運べる訳では無いので半分以上を収穫しました。初めてのトウモロコシの収穫。また、ナス、ピーマン、しし唐、トウガラシも収穫しました。トウモロコシは、カミさんが教えてくれた僕でも出来る超簡単料理=レン・チン3分、で食べました。小粒ながら、何も味を付けないでビールの美味しいつまみになりました。ナス等々は、以下の写真の通りです。

 

今日、班の皆さんと話したら「やはり収穫は朝が良い」との事でした。”朝穫り野菜は美味しい”と。言葉を知らないわけではありませんでしたが、実際に収穫する時には、全く、アタマにはありませんでした。無知蒙昧!どう反省すればよいものか?。次回以降に活かしたいと思います。

 

 

 

いつもの「のり弁」にナス・人参・ピーマン・しし唐・ソーセージの甘酢炒め煮をのっけ。南高梅を今回は師匠のコメントを忖度して、ややトップ目におきました。おかずは、トマトと玉子炒め、総菜のごまめ、ピーマンとじゃこの炒め煮、総菜のフライ。2019年7月10日、料理と撮影。

最近、この「なすの甘酢炒め煮」に凝っています。ケチャップを投入します。ナスに酢とケチャップが良く合う。他の野菜も加えたのですが、うまく馴染んでいるように思いました。美味しかった。

ナス、ピーマン、しし唐は農園で収穫したものです。今日で学園は夏休み、お弁当を作る機会が無くなってしまいます。残念なような、ホット一安心のような、やや複雑な心境であります。

 

 

お弁当・考

お弁当シリーズです。2019年6月26日、調理と撮影。師匠のアドバイスで百均でシリコンおかず仕切りを購入しました。確かにスッキリ。のり弁にニラじゃこ玉子炒めのっけ(この日はご飯を少なめに。前日、食べ過ぎたので)。おかずは、ゴーヤ・人参の味噌炒め、キノコの炒め煮、自家製の鶏ハムにラッキョの黒酢漬け(このラッキョは頂きモノ)。スペースが余ったので、ニラじゃこ玉子焼きも加えて。美味しくいただけたのですが・・・。弁当作りも数回目にして既にマンネリの兆しが。最初に作った時の喜び感、面白さが薄れてきております。楽しく継続できるように何か工夫をしなければと・・・。

 

 

弁当は保冷剤を入れて包み、それを保冷バッグに入れて持ち運んでいます。今回も、美味しく頂くことが出来ました。手作りの弁当っていうのは美味しいですよね。作ってもらっても、自分で作っても(今のところですが)。同じ料理を作って、家で普段通りの器に装って食べるよりも”お弁当”として食べる方が美味しいような気がしています。何故かしら。一度、試しに家で食べる時に”お弁当”状態にして食べてみようかと思っています。

 

 

 一方では、すでにマンネリの兆しが。”同じ材料・料理で構成したくない(かといって時間の制約がある)”。そして、”やはり見た目も鮮やかにキメタイ、華やかな弁当にしたい”という贅沢な願望があるのですが、そもそも、それほど料理の幅・技を持っていないし沢山の種類の料理を一度に作った経験も無い訳だから、何回か作れば、すぐに手詰まりになるのは自明のこと。自分の料理のレパートリーをちょっと考えれば当たり前のことなのですが、この矛盾する思いをどうこなしていけばよいのやら。

 

 

僕の料理の原点は『(料理の)本』ですから、やはりここは原点に戻って書斎の蔵書のなかから料理の本を見直しました。平易に言えば、リビングの一角に設置した収納力抜群の本棚に収めてある、溜めてしまった料理本のホコリをぬぐい取り出してみました。アルアル、有るもんです。何冊も。弁当作りのコンセプトの再構築(大袈裟な話です)に役立ちそうな本を見つけました。「きょうの料理」のバックナンバー、「暮らしの手帖・お弁当特集号」、それから、何冊かの単行本。

数多くいらっしゃる高名な料理研究家さんの中でも人気・実力トップクラスのお二人、小林カツ代さんと栗原はるみさんの本がありました(カツ代さんは残念ながら既に他界されています)。

お二人にはこのブログにも登場してもらっています。『ごちそうさまが聞きたくてvs単身おじさんの朝ごはん』2016年10月5日、『本棚』2018年10月20日、等をご参照下さい。カツ代さんの文庫本は沢山ありました。カツ代さんの文章は切れがよくてそれだけでも面白いと思います。栗原さんの本が意外と少なく、これは”多分、図書館で借りて読んでいたから”と思っていましたら、「栗原さんちの朝20分のお弁当」という本を見つけました。”ふーむ、買った記憶が全く無い”。1992年3月第一刷、2006年3月第63刷です。凄い刷数であることに、あらためて感心、司馬遼太郎さんもビックリでしょうね。パラパラと見たら、巻末に本の中で紹介されている料理のIndexが掲載されていました。この分類が面白い。〇大きなおかず・・・●肉、●魚介etc etc、〇中くらいのおかず、〇小さなおかず、〇作っておくと便利なおかず、〇ご飯ものetc、となっています。”こういう分類の表現は上手いなあ”、シリコンカップの隙間をうまく埋めつつ、全体のバランスを良くすること。僕に欠落しているのは、”〇小さなおかず、〇作っておくと便利なおかず”ということに気がつきました。カツ代さんの「時短料理」、栗原さんの「小さなおかず」が僕の弁当作りのキーワードになりそうです。

 

 

そして、もう一冊ありました。「げんきときれいをつくる 五味五色」、パン ウエイさん。日経ビジネス文庫、2013年1月第一刷。この本はよく覚えています。この本も料理レシピの本ですが、中国4000年の知恵=「医(薬)食同源」がベースになっているのが興味深いところです。紀元前8世紀、周王朝の時代、お医者さんは四つの位に分けられていたそうですが、その最高位が「食医」。王侯貴族の健康を維持するため彼らの普段の食事を管理する”医者”です。「病気を治すよりも、病気にならないように」というのが「医(薬)食同源」の考え方であることが分かりやすく記載されています。その分かりやすさの極め付きが「五味を食べて内臓を元気に」と「毎日五つの色を食べる」こと。「五味」は省略しますが、五色は白、赤、黄、黒、緑。カロリーを気にするよりも、五味・五色を毎日きちんと摂ることが肝要!という記載が、大変に印象に残っております。僕が”見た目も鮮やかにキメタイ、華やかな弁当にしたい”と思うのは、大変に理にかなっていることを再確認出来て一人で喜んでおります。「今の食事は五年後の元気をつくる」という言葉も改めて大切にしたいと。

「時短料理」と「小さなおかず」そして「五色を食べる」で、弁当作りのモチベーションを維持したいなあ!と励みになりました。 

 

 

鯱城学園の共通講座のまとめを続けます。僕の備忘録です。お付き合いください。

お題は「健康寿命を延ばそう」。副題に「PPKを目指しての”ある”考え方」と書いてありました。「PPK」というのは”ピンピンコロリ”の略だそうです。良く使われるフレーズで、”亡くなる直前ギリギリまで元気な生活を続けていけるのが理想的な生き方”という意味でしょうが、”コロリ”というのは人様の亡くなるときの有り様を表現する言葉としては何か不適切なような感じがします。あまり好きな表現ではありません。講師は鈴鹿医療科学大学の長村洋一さん。6月26日の講義です。

註:ずっと「健康」をテーマにした講義が続いているように見えますが、僕が欠席した6月12日の講義は「大作曲家の知られざる素顔」(講師は、セントラル愛知交響楽団の山本雅士さん(音楽主幹)と山本洋子さん(同、ピアニスト))。「健康」を軸にしながら、いろいろなテーマを取り混ぜた面白い構成となっています。

 

 

副題の付け方には違和感がありましたが、今回も分かり易い講義でした。冒頭に「健康とは?」=世界保健機構(WHO)が定義する「健康」の定義の紹介がありました。「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態である」。WHOの原文は、

「Health is a state of complete physical,mental and social well-being and not merely the abesence of disease or infirmity.」とのこと。普段、僕たちが考えているのは、健康=病気でない状態、だと思いますが、それよりもずっとレベルの高い・範囲の広い状態と位置付けていることが認識出来ました。心身共に、そして、社会的にも上手くいっている状態。「健康」を「幸福」と置き換えてもおかしくないですから、要は、健康=心身ともに幸せな状態のことと理解しました。健康を維持するというのは、かなりハードルが高いことなのかも知れませんね。

 

次に、腹八分目は本当に医者いらずか?との話題を提供されました。海外の学会での研究=カロリー制限食の赤毛サルと自由食の赤毛サルの罹患率比較の研究等々を説明され「カロリー制限が赤毛サルの病気の始まりと死ぬことを遅らせる」という研究成果を説明されました。この講師の面白いところは、一方からの見方だけではなく、他方の別の見方があることも紹介、説明される点。別な研究論文では「カロリー制限は赤毛サルの寿命を長くしなかった」という発表もされている由です。このテーマに対する、この先生の言いたいことは「カロリー制限をしても低栄養にしてはいけない」ということだと理解しました。

それ以降も、「お酒は『百薬の長』?」とか、「菜食者の種類と死亡リスク」とかの興味深いテーマについて、これらについても一方からの見方に止まらず、いろいろな角度から説明をされるのが面白かったです。同じ文脈で「朝食は学力向上の源」という話では、「全国学力・学習状況調査」の結果として、朝食と学力との相関関係がモノの見事に正比例していることを説明する一方、この調査だけでは、それが本当に朝食をキチンと取っていることだけの結果なのか、はたまた、その家庭環境の差が反映されたものかが不明確であることを指摘され、世間では”調査をして問題をすり替えて説明していることが多い”ことに注意すべきとのお話されていました。官僚・役所批判ともとれるお話でしたが、こういう”モノの見方”の見方を中庸の立場から説明されるのは良いことだと思います。

 

冒頭の「健康」の定義に沿って「健康に関与する食の作用」として、

①肉体的影響=栄養素の供給、体力の維持。②精神的、社会的影響=同じ釜の飯を食う。という見方を説明され、「companion」という言葉の語源は=com~(共に) +pan(is)(パン) +ion(すること)ということで、「食事仲間」と楽しく食事をすることが健康に繋がることを説明されました。納得です。やはり、弁当も皆で一緒に食べるから美味しいのでしょうねえ。元気なお年寄りさんの調査から推測できる健康を支える要素も、①良く食べる、②良くしゃべる、③良く動く、ということだそうです。

 

最後に、ハーバード大学の75年に亘る調査のお話がありました。「ヒトが幸福であるために必要なこと」について、75年間に亘って725人の人達を対象にして詳細に観察した調査があるそうです。2015年にその調査結果が報告されているとのことですが、その調査結果の結論は、

「良い人間関係が、我々をより健康に、より幸福にする。(この長年の調査で分かったことは)ただ、それだけでした。」

とのこと。コンパニオン(=食事仲間)と楽しく食事をすることが健康の秘訣、幸せの極意なんですねえ。 

 

 

「カボチャの花」です。蜂や蝶々、はたまた、風により自然に受粉できるのが一番良いそうですが、自然受粉しない場合には、人の手で受粉させることが必要になる由。雌花が開花するのは午前中の早い時間のみとのことで、この日は早めに農園に出向きました。教えられた通りにやったつもりなのですが、どうなることやら。近くで見たのは初めてですが、ホントに綺麗な見事な花です。別な畝に植えてあるナス、しし唐、とうがらしの若取りをしました。他の方に比べて、僕のナスの生育が遅いような気がしました。やや、心配。しし唐、とうがらしは沢山実っていました。この日は水遣り当番で一人で農園に。台風が接近中で雨が降っているので水遣りは不要でした。2019年6月27日、撮影と収穫(というほどのものではありませんが)。

 

 自分で収穫した野菜(なす、しし唐、唐辛子、カボチャ、とうもろこし、いも、等々)を料理して弁当作りが出来るまでは、弁当作りを継続しよう。お弁当作りも継続は力なり!、キットそうだろう!と気合を入れ直しています。

  

 

 おまけです。

鯱城学園の 園芸講座では、農園での実習だけではなく教室での座学もあります。この日のテーマは「斑(ふ)入り植物の魅力」と題して、園芸家の吉田篤さんの講義。ご自身の農園で野生のランを中心に斑入り植物も含め変わった品種(珍しい品種)を1万鉢以上も育てている方。斑入り植物を沢山持参されて、その面白さを説明され、実際に鉢を鑑賞させていただきました。「斑」の種類もたくさんあって、覆輪、縞斑、中斑、散り斑、虎斑、等々いろいろな名称がつけられているそうです。恥ずかしながら、全く、知らない世界でした。ギボウシ、ニシキササ等の鉢を生徒に無料で配布して頂きました。隠れ家のベランダに鉢植えしました。ニシキササ=「錦笹」です。簡単に挿し木で増やせるとのことですが・・。2019年6月26日、撮影。

 

 

料理自慢

沖永良部島のユリ。今年も豪華に咲いてくれました。2016年に植えたものが毎年6月になるとキレイに咲いてくれます。神奈川の自宅の庭で、2019年6月13日、撮影。右後ろに見えるのが平兵衛酢の木です。相変わらず、名古屋の隠れ家の鉢植えのほうが大きく育っています。

 

 

鯱城学園の講座のまとめです。二週分続けてご紹介します(=僕の備忘録です)。

 

 

その1.お題は「ドラマが生まれるとき・・歓びと哀しみのはざまで・・」、5月29日の講義。講師は演出家の伊豫田 静弘(いよだ せいこう)さん。NHKで数多くのテレビドラマを演出された方。大河ドラマ国盗り物語」「勝海舟」「草燃える」「いのち」を演出された方と紹介されると”すごーい方なんだ”という空気が会場に漂いました。

前半はギリシャ悲劇「オイデイプース王」を例にとり「ドラマとは”矛盾”と”葛藤”」であることを面白く説明されました。

後半は「自作を語る」と題してスクリーンに一部分を映しながら三つの作品を紹介されました。三作品共に、脚本・山田太一、演出・伊豫田静弘。高名な山田太一さんと作品作りをされており大変な立派な演出家さんなのだとの認識を更に強くしたのですが、この時点で、僕は、山田太一さんと山田洋次さん(「男はつらいよ」の原作・監督の方)をごちゃまぜにしておりました。恥ずかしい話で申し訳ないことです。失礼しました。それでも、山田太一さんが良い作品を沢山作っている脚本家であることに間違いはありません。

紹介された作品は、

①「ながらえば」1982年。主演は、笠智衆宇野重吉長山藍子

②「鳥 帰る」1996年。主演は、田中好子香川京子杉浦直樹

③「いちばん綺麗なとき」1999年。主演は、八千草薫加藤治子夏八木勲

ちなみに「いちばん綺麗なとき」が伊豫田さんの卒業作品であった由。”60歳の時の作品”とのお話がありましたので逆算すると現在80歳。講義されている姿・形、声の張り、驚くほどの若さです。ほんとにこの学園の講師さんは高齢ながら素晴らしくお元気な方々が来られています。僕にとっても大変によい刺激を頂いていると嬉しくなります。

作品の上映は、それぞれ10-15分程度、サワリの部分だけでしたが、説明を受けると”なるほど!”と演出の面白さを堪能することが出来ました。興味深かったのは、タイトルの付け方です。それぞれに元になる詩歌があるとのこと。そして、その詩歌の趣を作品の中にうまく表現されています。

①は新古今和歌集から「ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しとみし世ぞ 今は恋しき」藤原清輔朝臣。②は安住敦さんの「鳥帰る いずこの空も さみしからむに」。ちなみに「鳥帰る」は春の季語とのことです。③が最も衝撃的でした。茨木のり子さんの詩。のり子さんは昭和元年生まれ、戦争の時代に青春を過ごされた方です。昭和33年に出版された詩集とのこと。長くなりますが、全文引用します。

 

『わたしが一番きれいだったとき』

 

わたしが一番きれいだったとき

街々はガラガラ崩れていって

とんでもないところから

青空なんかが見えたりした

 

わたしが一番きれいだったとき

まわりの人達が沢山死んだ

工場で 海で 名もない島で

わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

 

八千草薫さんと加藤治子さんの演技が見事なものでした。「ドラマとは”矛盾”と”葛藤”」とおっしゃるのが少しは理解出来たような気がしました。

 

 

その2.お題は「笑いと健康」。この学園の定番テーマの一つですね。6月5日の講義です。講師は、上越教育大学名誉教授・医学博士の三浦望慶(もちよし)さん。三浦さんは佐賀県出身、現在は名古屋市昭和区にお住まい。大学の名誉教授さんなのですが、なんと腹話術の師範をされている方。登壇された時も、きらきらと輝くスパンコールのステージ・ベスト姿でした。もちろん腹話術に使う人形も持参されての登壇です。「トランプJR」と命名されている人形との掛け合いをしながら楽しく自己紹介、笑いの大切さをお話されました(申し訳ありませんが、僕はこの人形と同じ名のどこかの国のエライ人はキライなので、このネイミングは余り良い趣味とは思いませんでした)。この講師の方のお年は又しても80歳。ノルディックフィットネス協会の名誉会長もされているそうで、身のこなしも軽快そのもの。腹話術をされるくらいですから、声も綺麗によく響く。その1.の伊豫田さんといい、この三浦さんといい、僕よりもほぼ一回り年長さんですが、そのお元気な様子には改めて感服しました。第二、第三の日野原先生がお元気にご活躍されているのを見て嬉しい限りです。

 

サミュエル・ウルマンの有名な「青春」の詩を引用して、豊かなシルバーエイジを紹介されていました。曰く「青春とは、人生のある時期のことではない。それは心のあり様を言う」「歳月を重ねるだけでは人は老いない。理想を失った時に初めて老いるのだ」。

 

「笑顔エクササイズ」(=「口角を上げる」と楽しくなるそうです)を紹介され、それから、「アウエオ体操」(=アウエオといいながら笑顔を。鏡の前でやる。楽しくなるそうです。なぜ、「イ」を飛ばしているのか聞き漏らしました。)を紹介されてから、最後の締めは「人生最高の大笑いで締めましょう」と。

「ワアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ、ハアッ」と会場の皆さんと一緒になって大きな声で大笑いしての締めでありました。

いやはや、一回り近い年長の講師さんから大変な元気を頂戴しました。負けないように体調管理には十分に注意したいものです。

 

 

 

備忘録が長くなりましたが、ここからが本日のメインテーマです。 

お弁当シリーズです。例によって、”のり弁”に、ぶりの照り焼き+しし唐とインゲン煮をのっけ。南高梅を真ん中に。照り焼きの”照り”が出ていないのが残念。

おかずは、ウインナーとブロッコリー炒め。キムチ(これは市販のものです)。それから自慢の「鶏ハムとザワークラウト風キャベツの酢煮込み」。これが見事にマッチしました。自画自賛。鶏ハムは、以前、紹介した炊飯器料理。味付けを濃い目にしてみました。クミンシードを加えて。弁当を食べるときにはお酒は飲みませんが、これはワインのつまみにもグーです。2019年6月17日、撮影。

前日の残りモノがほとんどでしたので料理の時間はかかりませんでしたが、ご飯を冷やすのに時間がかかるのを再認識しました。保冷剤を上下にあてました。 写真に撮ると”色彩が少ないのは寂しい”ということに改めて気が付きました。研究の余地がありそうです。

 

 

そして、これが本日のメインイベント!!です。 

題して「タカトのピザ」。今回からは母親(僕の次女)の許可を頂き名前を記載出来ることになりました。孝斗くん、現在4歳半。彼に画才があることは以前に紹介した通りですが(本年2月10日『読書三昧』の彼の自画像をご覧ください)、最近は料理に関心を持ち出した由。ピザ生地は市販のモノとのことですが、母親が材料を揃えたら自分で工夫してのっけたそうです。想像力が豊か!、料理も天才か⁉・・・爺バカです。

 

爺バカついでに彼の特技を紹介します。なんとエアコンに興味を持っている。それも本体だけでなく室外機にも、それと家電・エアコンメーカーのロゴにも。近くの量販店の家電コーナーを通り過ぎる時には何時も一人立ち止まり、じっくりと観察をしている、エアコンを。何回も見ているので、お店の人から「あっ、タカちゃんが来てる。」と覚えてもらうようになって「家電ボーイ」という愛称も頂戴しているとか。エアコンメーカーには専業のメーカーさんも沢山あります。そういう普段我々大人も余り目にしない専門メーカーのロゴも頭に入っていて、お店の人に「これはxxx(メーカーの名前)」と可愛い声で話して驚かせているとか。

僕はピアノのレッスンを受けていますが、名古屋の隠れ家で自画取り録画をして家族に送ったことがあります。みんなから、それなりの反応が返ってきたのですが、次女からは「タカトに見せたら、背景に映っていたエアコンのホースが長いことに注目していた」と(註;これは隠れ家のマンションでは室外機を設置する場所に制約があるので、エアコン本体までの接続ホースが壁沿いに長くなっているためです)。開口一番、彼が言ったことは「なぜ、あんなにホースが長いの?」。僕には部屋の景色のなかで埋没している一部分に過ぎないのですが、彼の審美眼には合致しなかったのでしょうか。それともエアコンの設置は”かくあるべし”との信念があるのかしら。面白いなあ。面白いところに目が行くもんだ。

その後は、ちゃんと録画を見て僕のピアノ演奏を聴いてリズムをとって喜んでくれていたそうです。・・・嬉しいですねえ、おじいちゃんに元気を与えてくれる可愛い孫です。

今日のお題は、『”孫の料理”自慢』でした。

 

 

円空さん

 

 

荒子観音寺の山門(仁王門)。向かって右に「阿」像、左に「吽」像が。共に3m以上の大作です。円空さん、1676(延宝4)年の作品です。円空さんの像のなかで最大のモノとか。2019年6月8日、撮影。

 

 

荒子観音寺の円空さんのところに行って来ました。毎月第2土曜日の13:00から16:00の間は一般公開されています。午前中に鯱城学園・園芸学科のアグリパーク南陽に水遣り登板で行った帰りに立ち寄りました。最も、前日が久しぶりの大雨でしたから、水遣りの必要はありませんでした。前回の農園実習は欠席しましたので、班の方が追加の作物の植え付けをしてくれたので、その様子を見に行きつつ(そもそも、どの畝に何を植えているのか、何回も説明を聞いているのに、いまだにピンと理解できていない)、自分の作物に支柱を立てたり、わき芽を摘んだり、若取りをしてきました。若取りというのは、なす、ピーマン等、植え付けの後すぐに実がなりますが、苗を大きく育てるため、若い実をもぎ取ることです(皆様ご存じのことでしょうが、僕はこんなことも知らないレベルです)。若取りした実も勿論食べることは出来ます。

 

 

『平成最後の日々に「梅原猛」を思う』で記載した通りですが、僕は梅原さんの影響を受けた円空仏のフアンです。荒子観音寺は以前から行ってみたいと思っていました。良い機会なので、行く前に梅原猛さんの「歓喜する円空」を読み直しました。この本は、2004年に「芸術新潮」に連載された「梅原猛円空巡礼」をベースにして加筆されたもの。文庫版は2009年7月に初版発行。僕が買ったのは2009年9月とメモ書きしてありましたから、文庫化されたものをすぐに買ったようです。当時のメモ書き、線を引いた跡があちこちにあるのですが、ほとんど、記憶にありません。情けない話です。

 

 

再読して、円空仏の面白さとは別に、梅原さんがどれだけ円空さんに入れ込んでいたかを再認識することが出来ました。「梅原、生きるにあらず、円空、我がうちに生きるなり!」文庫本の帯にも記載されていますが、円空さんが梅原さんを通して語っているかのような記述と、それ以上に、梅原さんが円空さんと一体になり自分自身について語っている件を改めて興味深く読むことが出来ました。円空さんは「まつばり子=私生児」であった由ですが、梅原さんは「婚外児」で、梅原さんの言い方では「同じ星の下に生まれてきた」と。そして、二人ともに幼くして母親を亡くしています。そのことが、お二人を強く結びつけていると良く理解できます。また、円空さんが木曽三川と深い繋がりがあったことを改めて認識することが出来ました。

円空さんのお母様は、1638(寛永9)年、円空さん7歳の時に木曽川の洪水で亡くなられたそうです。円空さんご自身は1695(元禄8)年、64歳の時に入定しますが、生まれ故郷の岐阜県羽島市から40㎞上流の関市池尻、長良川畔で亡き母を思いつつこの地域の安寧を祈願しての入定であったそうです。

 

 

話が横道に逸れますが、実は『学園生活』(木曽三川・今昔)を書いた後に、ドラゴン先生から大変な反応を頂きました。先生のことは『交遊録、ご飯が美味しい』で説明した通りですが、まさに、武芸百般、僕の敬愛する師匠のお一人です。常日頃から、僕のブログに対して、厳しいツッコミ、容赦の無いコメントを頂いていたのですが、この時は今まで以上にビビットな反応。それもそのはず、よく考えれば当たり前なのですが、先生は岐阜県大垣市の方ですから、ご自分のホームに関するテーマです。それこそストライクゾーンのど真ん中に直球を投げ込んで、ものの見事にバックスクリーンに特大のホームランを打たれてしまった、というところでしょうか。

 

嬉しいことに、僕のブログ記事が切っ掛けになって”自分ももう一度木曽三川を勉強しようと思った。ついては、興味があるなら現地視察をしよう”というお誘いを頂き、7月に先生の車で「木曽三川、歴史の旅」と称して大人の遠足をすることになりました。そして”遠足に行くからには、勉強しとけよ!”とイロイロと宿題が出されました。

 

 

その一つが、木曽三川の治水と西高木家の関わりについてのもの。高木家は、戦国時代に養老山地の東武一帯に勢力を張る土豪関ヶ原合戦での功績により、現在の岐阜県大垣市を任される旗本に。江戸に常駐した一般の旗本とは異なり、知行所に在住して参勤交代を行う交代寄合として大名並みの殊遇を受けていた由。西家・東家・北家の高木三家は明治維新まで同地を支配していたとのことです。寛永年間の1624年以降は、幕命を受けて川通御用の役儀を務め、1705年(宝永2年)以降は、水行奉行に。近世を通じて木曽三川流域の治水に重要な役割を果たした。

この旗本西高木家の古文書が、名古屋大学附属図書館に「高木家文書」として所蔵されています。既に52,000点以上が整理され「高木家文書目録」が刊行されており、2019年3月には重要文化財指定に。名古屋大学の資産が重文指定されるのは初めてのこととか。ドラゴン先生のご指導を受け、名古屋大学の附属図書館に足を運びました。

 

図書館の閲覧室の受付手前に、「高木家文書」専用の常設展示室が設けられており、古文書、古地図の展示・解説がされています。 俄か研究ながら僕の受け止め方です。

 

薩摩藩に「濃尾川普請御手伝」が下命されたのは1753年(宝暦3年)のこと(いわゆる宝暦治水の開始)。高木家はそれを遡る1705年(宝永2年)に水行奉行に。その後1735(享保20)年に、高木奉行、笠松郡代、地元庄屋の嘆願書を受けて井澤為永が幕府に対し治水を提言。この提言への幕府の反応が薩摩藩に対する「御手伝」の下命に繋がっています。ちなみに、円空さんが入定した1695年(元禄8年)は、高木家が水行奉行になる6年前のことです。ほぼ、同時代のことだったのですねえ。

 

 薩摩藩士の宝暦治水の話が世に知れるところとなったのは明治になってからのこと。現在の桑名市揖斐川沿岸の村の庄屋であった西田家の十代目、西田喜兵衛さん(1845年~1925年)が薩摩義士の顕彰に人生の大半を捧げて、碑の建立、誌の編纂に尽力された結果です。宝暦治水の当時、西田家当主はその地域の代官職であり、薩摩藩に協力を惜しまず、土地不案内であった平田靱負の良き相談相手であった由。「薩摩藩の恩、忘するべからず!」との記録を子孫に残したそうです。明治になり、先祖の意思を継いだ西田さんが「濃尾勢三大川・宝暦治水誌」を編纂し刊行したことによります。小林誠一さん(研究者)によるこの本の復刻版が、附属図書館に収められています。1998(平成10)年の版です。

 

長い間、地元の方々は、治水対策に苦労を重ねてきていた。それを理解しつつ、薩摩の方々に思いを馳せるのが、正しい、真っ当な歴史認識なのだなあと感じております。遠足は、まだ一か月先、あと何回附属図書館に足を運べるやら。僕としては、梅原さんに紹介してもらった円空さんと、特大ホームランを打たれた「木曽三川流域治水」の2つのテーマが結びついていることを認識することが出来て、驚き=感動!に近いモノを感じているところであります。

  

 

荒子観音寺の円空仏ですが、展示スペースが限られていて、やや残念な印象を受けました。円空仏は現在、全国で約5,340体残っているそうですが、そのうち、1,250体が荒子観音寺にあるそうです。梅原さんが「荒子観音寺は円空仏のワンダーランド‼」と書いているのもよく理解できます。ボランティアの方が沢山おられて、円空仏の紹介を丁寧にされていました。また、別棟での「木端会」で円空仏の木彫りの体験・指導をされています。円空さんに対する畏敬の念と親しみの気持ちが一体になったボランティア活動だと感じました。僕にとっては残念ながら、お寺のパンフレットには梅原さんのことについて何も触れられていませんでした。

 

木端会の部屋に置いてある円空仏のレプリカです。こちらは写真撮影「可」。梅原さんの分類では、円空さん第二期=1672(漢文2)年から1679(延多から)年の作品で、梅原さんに言わせると護法神円空オリジナルとのことです。第三期の前衛的な円空仏も好きですが、この時期の護法神も味わい深い作品だと思います。2019年6月8日、撮影。

 

 

 おまけ;お弁当、三回目。相変わらずの海苔弁に、南高梅とボロボロ卵焼きのっけ。人参・ナス・玉ねぎの揚げびたし、ソーセージ炒め、きゅうり竹輪、大根クルル漬け、らっきょ酢漬け。アドバイスを受け、ちゃんと冷ましてから詰めて、保冷剤を押し当てて持参。自己評価:上出来。ビジュアルもまあまあ。卵はソボロよりもこれくらいの大きさの方が食感が良いように思われる。2019年6月5日、料理と撮影。