クルルのおじさん 料理を楽しむ

沖縄旅行

11月3日から5日まで二泊三日で沖縄旅行に行きました。既に何回も書きました通り、平均年齢70歳の五人組(正確に計算したら本当にピッタリ70.1歳でした。おばあちゃんの94歳が光っています)の珍道中です。3日の朝、羽田空港に集合。東京・神奈川では朝晩は随分と寒く感じるようになっていましたから、皆さん結構な厚着です。くれぐれも風邪をひいたり事故に遭わないように注意して、健康・安全一番の旅行にすることを確認し合いました。

 

前日、沖縄県立博物館・美術館に電話を入れて下調べをしてみました。「ニシムイ・コレクション」のことを確認したかったのですが、最初に応答された方は全くご存知ありませんでした(ややショック)。交代して応対してくれた方が丁寧にお話をしてくれました。僕はこのコレクションは常設されているものと思っていたのですが、そうでは無く、普段はニシムイの代表的な画家の作品が数点は展示されているだけとのこと(これでかなりテンションが下がってしまいました)。僕の気配を察してか、その方は親切に「11月3日は文化の日で無料開放していますから是非に足を運んでください」と言ってくれました。よく出来た方だと感心しました。

空港で5人組で行動予定を打ち合わせ。チームリーダー格の義姉さんが、かなり欲張ったスケジュールを作成していました。サラリと「ニシムイ・コレクション」の話をしたところ、予想通り全く反応無し。却下されたも同然に。まあ、僕の気合が当初ほど入っていないこともあるから止む無しか。今回は、おばあちゃんが楽しめるように、行きたいところを案内する係に徹しようと腹を括りました。

 

 

空港でレンタカーをして、まずは首里城公園に。駐車場の確保が大変でしたが、運よく首里城に最短距離の場所に駐車。交通整理のおじさん、首里城公園の案内のおじさん、皆さん沖縄の伝統衣装で案内してくれます。威厳のある顔付き、とっつきにくいような風貌です。ところが話をすると大変に愛嬌があり親切。厳つい表情と何とも言えぬ可愛いところのギャップが面白く好感が持てます。女性=おばちゃんにはムチャクチャ優しい。特に、おばあちゃんはモテモテ状態。

 

三連休で観光客が多くて大変そうなので車イスを利用させてもらいました。見学のコースは大変に良く整備されており車イス対応はほぼ完璧に出来ています。段差が少ないことはもちろんエレベーターだけでなくリフト・昇降機の段取りよく準備されています。普段あまり車イスに乗ったことが無いおばあちゃんは「楽ねえ」と感激しておりました。本人は歩いて回る覚悟をしていましたので余計にそう感じたのでしょう。よかった、よかった。

 

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 首里城、書院・鎖之間(さすのま)庭園。庭園を観ながら王朝時代の伝統菓子を頂けます。書院は国王の執務室で、中国皇帝の使者(冊封使)を接待するときにも使用する。鎖之間は、王子・側近の控え所、兼、会議室。2017年11月3日撮影。

 

 

首里城の中には沖縄文化、琉球王朝の歴史が展示されています。第二次大戦で沖縄は文字通りの焼け野原となり、大半の文化財も消失、破壊されました。後日の日経記事で知りましたが、16世紀初頭に琉球独自の様式で作られ首里城そばの玉陵(王の陸墓)を見守る「玉陵石獅子」の石彫の復刻作業が進んでいるそうです。県立博物館・美術館が地元の彫刻家に依頼して行っているが、当時を知る人や伝統工芸品の後継者が減り、復元はますます難しくなっていて、戦前の写真が頼りの由。戦争の記憶を忘れないようにと沖縄戦の傷痕をあえて残そうとする活動もあるそうです(11月6日、日経夕刊文化)。

 

この旅行の前には、英国一家のマイケル君の本、原田マハさんの「太陽の棘」、それとウンチク本の「沖縄の神と食の文化」を読んだことは前に記載した通りですが、その後、アメリカ人ジャーナリストによる「大日本帝国の興亡」を読みました。全5巻の大著。その完結編です。著者は1912年生れのジョン・トーランドさん。この本で、1971年度のピュリッツァー賞を受賞されています。沖縄戦の詳細が記載されていますが、やはり悲惨とか言いようがありません。この時の国政を担うトップの思考経路が残念ながら全く国民ファーストではないことが確認されます。いつの世の中もそうなのでしょうかねえ。「三か月の沖縄戦で、米軍の死者・行方不明者は1万2千人、太平洋戦争における最大の犠牲者であった。日本側の死者・行方不明者は18万5千人。民間人の死傷者が空前の比率であった。しかも彼らの犠牲は何の役にも立たなかった」と記述されています。

 

沖縄衣装のおじさん。一見、強面ながらも、おばあちゃんの車イスを世話して昇降機を操作してくれる時など、顔をクシャクシャにしておばあちゃんに愛嬌を振りまいてくれている。”このおっさん達の親御さんやご親戚にもきっとイロイロな歴史があるんやろうなあ”と思い、威厳に満ちた顔が、悲哀に満ちているかのようにも見えてきました。

 

 

おばあちゃんのお兄さんが戦死されたのは「牧港」というところです。首里城公園から北西に12㎞ほどの距離にある港。当時、既に米軍は沖縄に上陸しほぼ沖縄全土を制圧していて首里での攻防が激しさを増していた時。首里を死守しようとしていた日本軍を支援するために広島から海路はるばる駆けつけたものの残念ながら上陸することさえ出来ず。現在の嘉手納基地方面からの米軍の圧倒的な砲撃で無念の戦死をされた由。

 

やや肌寒く感じる午後、牧港の漁港の岸壁にレンタカーを停めて、皆でお祈りしました。家族と一緒に撮影したお兄さんの威風堂々の軍服姿の写真を持参していました。線香を焚いてお経を読んでご供養。この写真には、何故かおばあちゃんは写っていない。ご両親と男の兄弟のみ。おばあちゃんは自分が写っていないことを悔しがっていました。

 

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牧港漁港。肌寒かったですが、穏やかな景色でした。2017年11月3日撮影。

 

 

ホテルに入ったのは、既に暗くなってからでした。良く動いた一日で、お昼も軽く食べただけだったので、おばあちゃんも含め全員腹ペコ状態。ご供養の時、シンミリしていましたが食べるモノの話になると何んともかしましいこと。食欲があるのは健康の証拠だ。いよいよ、長寿の秘密に迫れるか。気合をいれてホテルのチェックイン担当の方に食事の相談をしたところ、何んと、ホテル内のレストラン、食事処は既に予約で一杯!ホテルでは食事をすることが出来ない!。

 

その2.に続きます。

 

 

 

 

同期会、一年の後

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沖縄旅行、二日目。沖縄美ら海水族館。大水槽で泳ぐジンベエザメ、マンタとかサンゴの飼育は素晴しい!一見の価値あり。写真は「タコクラゲ」何んとも面白かったです。2017年11月4日撮影。沖縄旅行は、別途、記載します。

 

 

今年も大学のゼミの同期会に参加してきました。今年は、7人が参加。東京から、名古屋から、京都から。生憎と台風22号が接近しており雨の中での開催となりましたが、天候の影響でのドタキャンはゼロ。予定していた方々は全員が無事に集まることが出来ました。僕は名古屋でどうしても聴きたかったピアノのコンサートがあったので、それを聴いてから遅れて参加させてもらいました。

今回は、同期会のメンバーの一人=A君が持っている伊豆半島・宇佐美にある別荘でのお泊り旅行となりました。僕以外のメンバーは、2時に宇佐美駅に集合。A君の別荘に入り休息、のんびりとアルコールを入れながら歓談。その後、近くにある地域のコニュニティーの温泉に。ゆったりと温泉につかり、また、別荘に戻って食事前のウォーミングアップ=アルコールを再度注入。一人遅れてくるヤツ=僕のこと、のために夕食の開始時間を遅めにしてくれ、会食は7時からスタートに。食事の場所は宇佐美駅の近くの江戸前のすし屋さん。ご夫婦でやられているこじんまりとしたお店です。地元の海の幸をふんだんに使った煮物、刺身、揚げ物、〆は当然、江戸前のにぎり。ここはA君の馴染みの店で、奥の座敷を借り切り、漁港の市場の新鮮な魚をこれでもかというほど出してくれました。また、A君初めお酒大好きおじさんが自慢の日本酒、焼酎の銘柄モノを持ち込んでくれ、大変に美味しく頂けました。

 

 

この日、僕は名古屋の宗次ホールで開催されたピアノコンサートを聴いてから伊豆に移動しました。小山実稚恵さんのコンサート。「音の旅」と題して何んと12年間に渡り24回やってらっしゃるリサイタルシリーズの最終回です。チケットは手に入らないと思っていたのですが、縁あって確保することが出来ました。同期会の日に重なっていたのですが、時刻表を調べるとなんとか夕食には遅れながらも参加できそうなので、コンサートを聴いてからの参加にさせてもらいました。小山さんのコンサートを聴くのは二回目。「永遠の音を刻む」と副題にある通り、素晴らしい演奏、素晴らしいコンサートでした。アンコール公演も多分開催されることになるのでしょう。このコンサートのこと、小山さんのこと、ピアノのことは、別途、書いてみたいと思ってます。

 

 

夕食の開始時間を遅めにしてくれたお陰で、乾杯には間に合わなかったものの、食事がだされはじめた丁度よいタイミングで加わることが出来ました。みんな、よく食べること、飲むこと、話は一切途切れない、相変わらず時間があっという間に過ぎていきます。

誰ともなく話題になりましたが「この同期会を開始した当初は、会話がもっとぎこちなかった。話題も通り一編の近況報告的なものが多かった。やはり、一泊して、風呂・温泉に入って、ゆっくりと話が出来る環境で会を何回かやるうちに和んできた。大学時代の我々のゼミは、それほど、ゼミ全体で纏まって活動していた訳ではない。他のゼミで活発なところは一緒に飲み会をしたり旅行をしたり、そういう行事を頻繁にやっていたように思う。この数年の同期会で、学生時代に話したよりも沢山のことをお互いに楽しく話合っていると感じている」と。同窓・同クラス・同ゼミのパワーは、素晴らしいと思います。学生から社会人になり、社会人としてのお勤めもほぼ一区切り尽きつつあるタイミングということも和やかに会話が出来る背景にあるのでしょう。

 

僕は、一人遅れて参加しましたので、話に入っていこうとすると話題が重複して流れが悪くなってしまいます。「それはさっき話したやないか!」てなことが2-3回続くとバツが悪くなります。これは申し訳ない。いろいろな理由はあろうとも遅刻して参加するのはよろしくない、と痛感しました。遅刻するよりも、中退・早退する方がまだ気が利いているように思います。とにかく遅刻はいけません。

 

 

昨年も記載しましたが(2016年11月3日『同期会』をご参照ください)、社会人としてそれぞれのお仕事に一区切りついて、みんながどんな生活をしているのか、お互いに参考になるし刺激にもなります。昨年の同期会から一年が経ち、今年も興味深く拝聴しました。

●「ピアノ教室」。残念ながら彼=D君は今回欠席で、彼がピアノのレッスンを継続して受けているか否か知ることは出来ませんでした。ちなみに、D君は卒業後ゼミに残り母校の教授になった学究肌で、近年、教授を退任のあと専門分野での研究グループを立ち上げてその纏め役になっている由。ピアノのレッスンもきっと頑張って続けていることでしょう。

 

●「晴耕雨読」。今回、本人=I君は自分から話題にしませんでした。僕は興味があったので、是非、聞いてみたかったのですが、遅れてきたので、あまり突っ込むことが出来ませんでした。翌日、別な友(=K君)の解説。「昨年、I君は肩に力が入り過ぎていたと思う。仕事を終え何かを開始した初年度は、詳細な計画を立てて飛ばし過ぎる傾向にあるもの。二年、三年経つと、自然に、収まるところに収まるものである」。K君は早めにリタイアしたこの道の上級者。上級者のコメントには説得力がありました。来年、I君にその後の生活を聞くのが今から楽しみです。

 

●「料理教室」。これは今回のホスト役のA君です。教室通いを継続している様子。彼は何かにつけ自然体で対応している。別荘生活も然り、月に数回=ほとんど毎週、別荘を利用していると。一人だけの時もあり。あるいは、友達を招待したり、お子様の家族が来たり、もちろん、奥さんもいらっしゃったり。奥さんとはお互いにベッタリせず、仲良く旅行に行ったり、ゴルフを一緒にしたり。この奥さんとの間合いはいいなあと感心します。ちなみに二日目の朝食は、A君が手際よく7人分を準備してくれました。大皿にスライスハムを人数分プラス並べ、キュウリの薄切りを添え、一人一個の目玉焼きを焼いて載せてありました。トーストは各自で、飲み物・コーヒーも各自で。ビジュアル的にもシンプルでセンス良く、男7人なのに、何か落ち着いたリッチな気分で朝食を頂きました。

 

これ以外でも、皆さんイロイロですが、それぞれ充実した生活を楽しんでいるようです。得意な英語を使って、かなり本格的に外国人に日本語を教える仕組みを作って活動している人。故郷の岐阜で地域の組長さんになって、地域行事に精を出している人。同じく、故郷、熊本で地元の中小企業さんに貿易取引の支援をやっている人。

 

 

 伊豆は、良いところですねえ。食べ物が旨い。それほどは高くない。いや、中身を考えれれば安いかも。また、最近は各地で異常気象・大雨の被害が出ていて、どこにいても安全面には十分な留意が必要ですが、伊豆の地盤は安定・強固で、よく言われる通り昔から古くから有る別荘地というのは何かにつけて安心感が高いように感じます。

二日目は観光の予定でしたが、強い雨が続いていたため中止。ゆったりと朝食を頂いたあと、ゴルフ組以外は早めの解散としました。ホスト役のA君は別荘と駅を2-3往復。僕は前夜飲み過ぎの影響でグロッキーな状態。夕方までは、もう二度とお酒の顔を見たくない状態が続いていました。そして三日目、台風一過の秋の晴天。ゴルフ組四人は近くの名門ゴルフ場で爽やかなゴルフを楽しむことが出来ました。

 

来年は、大学の地元、神戸を中心にして開催することをを決めました。来年は遅れないように参加して、最初から会話に入って、是非、みなさんのその後を聞いてみたいものです。それぞれが奥さん・家族とどんな間合いで生活しているか、そして、自分自身の時間をどんなふうに楽しんで過ごしているか、元気で再会出来るのを楽しみにしたいです。また、この会での懇親ゴルフは今回が初めてでしたが、お酒もゴルフも大好きニンゲンが四人いることが確認出来て、是非、これからも元気に懇親ゴルフも続けたいものだと四人の意見が一致しました。

 

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沖縄旅行三日目、漸く快晴。やはり沖縄は晴れの日が似合う。2017年11月5日撮影。

 

 

 

 

沖縄=ゴーヤチャンプルー、その2.

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沖縄グラスで焼酎を飲みながら(泡盛ではない、スミマセン)。もちろん、日向の平兵衛酢を入れて。2017年10月23日撮影。

 

 

『沖縄=ゴーヤチャンプルー』で書きました通り、 11月におばあちゃんと一緒に沖縄を旅行します。僕のカミさんのお母様。94歳。杖は使いますが良く歩きます。食事もゆっくりですが僕たちとほぼ同量食べます。今回の旅行のメンバーは、娘二人=昔のムスメ=僕のカミさんとお姉さん、それにおばあちゃんの弟さんのご長男。僕を含めて平均年齢は四捨五入すると70歳。おばあちゃんのお兄さんは軍人さんで沖縄で戦死されています。今まで何回も足を運ぼうとするたびに機会を逸していて、今回が、おばあちゃんにとっては初めての慰霊の旅です。おばあちゃんを案内するのに、ちょっとは沖縄の知識を得ておかねばと俄か仕込みですが沖縄の本を改めて読んでみました。さすがに英国一家のマイケル君の本の知識だけで沖縄を語るのは申し訳ないような。確か初めて沖縄に出張した時に那覇空港の本屋で地元を紹介する本が並んでいて、その中の一冊を買った記憶が。本棚を探したら見つかりました。

 

『沖縄の神と食の文化』監修、赤嶺正信さん。青春出版社。2003年4月第一刷。僕が買ったのは、多分、2004年だと思います。例によってザアっと読んだだけ。何も頭に残っていません。監修の赤嶺さんは、1954年沖縄生れ、琉球大学の文学部教授、民俗学専攻。監修ですから、ご自身が書かれた訳では無いと思いますが、地元生まれ・地元大学の民族学専攻の教授の方が監修をされていれば、いい加減なことは書いてないであろうと思って買った記憶があります。各地の空港、駅の本屋さんには、その土地の歴史、風習、文化に関する本を集めたコーナーがあります。その場所でしか手に取ってみる機会が少ない本。偶に面白いモノに当たります。読み返してみて、この本も結構アタリであったことに今頃気づきました。

  

 沖縄の文化を語るときには「女性優位と男系原理」という表現が使われることがあるそうです。沖縄では、家の継承は男系主義。村落・字を構成するのは、門中と呼ばれる親族集団ですが、これは全くの男系社会。先祖の位牌を祀る権利は長男だけ。それを継承することで父系血筋の一環性を厳守しているとのことです。

一方、祭祀を司る役割は女性が卓越している。女性たちにより祭祀が営まれる御嶽は、原則的には男子禁制になっている由。御嶽というのは、各村落に少なくとも一つは存在する聖地で、村落の守護神が祀られており、その村落の祭祀が執り行われる祭場のこと。丘の上など高台の緑濃い森の中にあることが多いそうです。門中の祭祀は女性の司祭者が中心になって執り行われる訳ですが、女性は生家の司祭になることはあっても、婚家の司祭になることはないとのことです。

 

「日本では一般的に”結婚したら婚家の人間”という意識が強いと思うが、沖縄の場合は、女性が結婚したあともその生家とのつながりが強い。生家あるいは生家の属する門中の成員権を保持する傾向にある」とか。門中は、男系原理ながら祭祀における女性優位が大きく影響しているような印象を受けました。

 

大変な逸話が紹介されています。沖縄のある島の男のお話。ある時、自分の姉妹と自分の妻と合計四人で船に乗った。運悪くその船が難破。男は必至で妻を助けたが、姉妹は溺死してしまった。島に戻った男は人々から非難された。どちらかを助けるのであれば、姉妹を優先すべきと。「妻はまた捜せば見つかるが、姉妹はそういう訳にはいかない」。一理あるかと思うもののなんとも悍ましいお言葉。"この話は沖縄のしきたりの強さ、その一方では夫婦の絆の構造的な弱さを示唆している、これが、沖縄が離婚率全国一位になっている背景にあるのでは"との指摘が記載されていました。

 

 

 マイケル君ではありませんが、11月の旅行で沖縄の長寿の秘訣を垣間見ることが出来れば面白いなあと楽しみにしています。もちろん、この本にも「長寿の島の四大食材」が紹介されています。そもそも沖縄では、食事のことを「ヌイグスイ」とか「クスイムン」とかいうそうです。ヌイグスイは「命の薬」という意味、クスイムンは「薬になるもの」だそうです。口にするものはすべて血や肉になり、体の健康を作るという考え方。中国の医食同源の影響を早くから受けており、体にいいものを食べる習慣が受け継がれていると。

 

四大食材その1.豚:沖縄では「豚は鳴き声以外、余すところなく全てを食べ尽くす」と言われるそうです(これは沖縄の名言なのか、中国から伝わった言葉なのか、やや気になるところですが)。豚は元々中国から入ってきたそうですが、大量の飼料を必要とする豚は飼育することが難しい、大変に貴重な食材でありました。貴重な優れた効用を持つ豚を残さず全て始末して食べ尽くすというのは先人の知恵なのでしょう。17世紀にこれも中国から持ち返ったサツマイモが普及して豚の飼育に繋がったそうです。公設市場の食肉店には豚の各部位が豪快に置かれているそうで、これはチラッとは覗いてみたいなあと思います。

 

その2.豆腐:沖縄豆腐、島豆腐。「食品成分表のなかでも、木綿豆腐と区別され”沖縄豆腐”と表記されている」そうです。ご存知、ゴーヤチャンプルーはこの沖縄豆腐が当然よく合います。木綿豆腐よりも、ずっと、しっかりした豆腐です。大好きです。「豆腐よう」も大好きです。島豆腐を発酵させた発酵食品。紅麹で発酵させたものと聞きました。チーズのような珍味ですね。これは酒の肴によし、これも大好きです。

 

その3.昆布:「沖縄は昆布の消費量が全国一」との記載がありますが今でもそうなのかチト心配です。沖縄で昆布が採れる訳では無いのに・・・これは交易によるもの、とのことです。18世紀後半だそうですが、薩摩商人が琉球の黒糖を対価として、北前船により蝦夷から琉球に運ばれて昆布を入手。それを進貢貿易により中国に輸出。1820年代には琉球から中国への積み荷の何んと80%を昆布が占めていたそうです。同時に地場の食生活にも大きく影響を与え、豚肉との相性の良さもあり琉球料理に欠かせない食材となったと。

 

その4.サツマイモ:「薩摩イモ」と言いますが、やはり、中国から琉球に入り、それから薩摩に渡り、そして「サツマイモ」と言う名前で全国に広がったと。薩摩では「琉球イモ」乃至は「唐イモ」と呼ばれていたとか。「沖縄は概して耕地が狭く土地も痩せている。年に何度も台風が来襲、逆に旱魃の被害も。農民たちは度重なる飢饉に苦しんでいた。1605年、中国からサツマイモ(甘藷)を持ち帰り栽培を開始。狭い畑でも効率よく栽培出来て、また、台風、旱魃にも比較的強かった。サツマイモを導入してから庶民の栄養状態が良くなり、人口が著しく増加」したそうです。「同時に豚、牛の飼料となり、養豚が盛んに。豚料理の豊富な沖縄料理の発展に影響を与えた」と。

 

 

 いよいよ、料理です。「沖縄そば」、「ポーク」、「タコライス」が紹介されています(ゴーヤチャンプルーは出てきません)。

 

沖縄料理その1.沖縄そば:意外と沖縄そばの歴史は新しいそうです。明治35年の「支那そばや開業」の広告が沖縄初のそば屋だとか。また、ご存知の方はご存知の通り「沖縄のソバは蕎麦ではない。蕎麦粉は一切使わない、小麦粉のみで作られている」。

「ソーキそば」、大好きです。豚のあばら骨の部分を煮込んだものをトッピングに入れてあります。

 

その2.ポーク=ポークランチョンミート、缶詰めです。これはてっきり沖縄産と思っていました。この本が執筆された時点では「この缶詰はアメリカ、デンマーク製が中心で、日本に輸入される9割が沖縄で消費されている。かつて米軍物資が民間に払い下げされた配給物資の一つであり、配給が終了後も安価に手に入る保存食であったので、庶民の食生活に取り入れられるようになった」。

「ポーク玉子おにぎり」、これも大好きです。ソーキそばとポーク玉子おにぎり。沖縄で初めてゴルフをした時に、朝食にソーキそば、途中の軽食にホーク玉子おにぎりを初めて食べました。とても美味しく頂きました。

 

その3.タコライス。最近では沖縄発祥の食べ物としてすっかり有名になりましたが、メキシコ料理のタコスの具をライスの上に山盛りに載せたもの。昔は笑い話のネタになっていたようにも思いますが、タコは入っていません。僕は,それほどキーンではありません(どうも僕の脳はチャーハンの方が旨いと思い込んでいるらしい)。

 

おばあちゃんには、沖縄宮廷料理を紹介しようかとおもっていたのですが、やっぱ、僕もB級グルメおじさんなのか。この本には結局「ゴーヤチャンプルー」のことは紹介されていませんでした。当たり前すぎるからでしょうか。その代わり「異国の文化を受け入れ、さらに沖縄独自のものにアレンジしてしまう」=「チャンプルー精神」という言い方をされています。「チャンプルー精神が生んだ”タコライス”」とか。「チャンプルー」にはこういうニュアンスがあるのですかね。

 

 

ゴーヤチャンプルー、「きょうの料理」で見たはずだと、これも本棚を捜してみました。2008年7月号に高城順子さんの「ゴーヤーのにんにくみそチャンプルー」が掲載されており、僕も当時ちゃんと料理していました。チャンプルーは、豆腐がmustと信じていた僕は、わざわざこのレシピに豆腐を加えて料理していました。「チャンプルーとは豆腐とゴーヤである。高城順子、ボケたのか!」なんて不遜な手書きのメモが残っていました。いやはや、思い込みとは恐ろしいことで。高城先生、スミマセンでした。

 

 

「太陽の棘」、原田マハ著、文春文庫。本の目利き=読書の達人の先生に紹介頂いた本です。雨が続く週末にブラブラ本屋巡りをしていたら、目に留まったので即買い。2016年11月、第一刷即第二刷。初出は、別冊文芸春秋、2012年11月~2014年1月。戦後の沖縄をベースにした小説。いきなり主人公がゴーヤチャンプルーを食べるシーンが出てきて思わず笑ってしまいましたが、この本は、そんなに軽い本ではありませんでした。今度の旅行で、那覇にある沖縄県立博物館・美術館で「ニシムイ・コレクション」を見ることが出来れば、と思いました。

 

 今回は、沖縄のウンチクでした。長寿のおばあちゃんと一緒に沖縄のかつての長寿の秘訣に触れられるか、楽しい旅行をしてきたいと思っています。

 

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本文と全く脈絡がありませんが、金沢駅正面玄関。久しぶりに訪問。かつては鼓のモニュメントのみだったと思いますが、「鼓門」とそれを全体に被っている「もてなしドーム」が完成。日向市駅も立派だと思いますが、金沢駅は凄いですね。2017年10月17日撮影。

 

 

大阪=タコ焼き

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クルルのおじさんの「黄身乗っけナットドーフ」です。納豆が見えませんが、 ちりめんとおかかとネギの下に潜んでいます。これに日向の平兵衛酢ポン酢をかけて、ざあっと混ぜて頂きます。美味しそうに撮れました!?。10月15日撮影。

 

英国一家、日本を食べる』の三回目です。この本の構成を改めて見ますと、パリでの話(なぜ日本に行くことになったのか)から始まり、後は、日本全国を食べ回った話が続きます。東京の話が全6話、京都が5話、北海道が2話、大阪が2話、福岡と沖縄が1話づつ、それから、調理師学校の話が2話、そしてエピローグとなっています。100日間で、東京、横浜、北海道、京都、大阪、広島、福岡、そして、沖縄を巡った。長男クンは6歳、次男クンは4歳の可愛い盛りでありました。

どういう訳か、大阪の評価が随分と高い。訪日前の取材・調査で「著名なフランス人のレストラン批評家が”大阪は世界一エキサイテイングな食の街。世界のなかでも大阪は特に好きな食の街”だと言っている」とか、「ヨーロッパやアメリカのトップシェフたちが”インスピレーションを求めて訪ねる街として大阪”の名前を挙げている」とか、「大阪は(日本の)食の首都であるという評判が高まっている」とかめっぽう大阪を持ち上げた記載が多くでてきます。

筆者自身も「日本の都市のなかでは大阪を一番楽しみにして」わくわくする気持ちを抑えきれなかった由です。

大阪生まれの僕としては、何やらこそばゆい気持ち。一般的に、大阪を評する時は「どぎつい」という言葉に集約されると思います。そのドギツサが災いして他の都道府県の方々から揶揄されたり、凹まされたりしますが、全く、屁の河童。反骨精神が旺盛で、それが大阪のバイタリテイになっていると思います。逆に、あまり素直に褒められる経験が無いので、褒められたら逆に驚いて戸惑ってしまう。そんなに褒めても何も出ませんよ、と言ってみたくなります。

 

大阪編・その1.のタイトルは「世界最速のファストフード」。これは、回転ずしとインスタントラーメンのこと。どちらも1958年に大阪で開発された由、等々のことが記載されてますが、マイケル君のもっぱら関心は、タコ焼きとお好み焼き。道頓堀は、その心のふるさと、道頓堀食べ歩き記がガイジンの目線で面白く描かれています。

また、「辻静雄が・・・マイケル君がその著書”Japanese Cooking; a simple art"を読んだことが、そもそも日本に行きたあーい!と一念発起した原点なのですが・・・日本料理において、大阪、あるいは関西を重視している割には、その著書のなかで、タコ焼きにもお好み焼きにも全く触れていない」ことにツッコミを入れてます。

マイケル君自身、「屋台の食べ物は、まともに取り上げるほどのものじゃないと(辻静雄は)思っていたのかもしれない」と言ってますが、これも面白い視点。彼は、お好み焼きに惚れ込んでいて、「世界に広まる次の日本の料理のトレンドはお好み焼きと今でも思っている」そうです。

 

ここで、ようやく分かりました。「マイケル君、あんた、ホンマはB級グルメ人間なんやろ!」。

 

大阪関西人、関西コナモン文化圏の人間にとっては、タコ焼きとお好み焼きはソウルフードそのものかと心の底から思います。

僕にとって、人生で初めて、それも自分一人だけで買い物をしたのがタコ焼きでした。10円のタコ焼き。幼稚園の時だったと思います。僕の家ではお小遣いを子供には与えてくれませんでした。中学生、いやひょっとすると高校生の時も余分な小遣いは貰えなかったように思います。お正月のお年玉等々を頂いた時も、すぐに没収されて預金されていました。子供に小遣い、小銭を持たせてはいけない、というのが我が家訓にあったのかしら!?。

それなのに、何故、幼稚園児の僕が一人でタコ焼きを買いに行くことになったのか。今回、イロイロ考えてみた結果、実は、おばちゃん、おじいちゃんがタコ焼き大好き人間だったのではと思い当たりました。おばあちゃんは、自分で買いに行くのが恥ずかしいので=プライドが高いから、孫をダシにしてタコ焼きを買いに走らせたのではないかと。

僕は当時、大変な恥ずかしがり屋さん。大人の人に話かけることなど全く出来なかった。ましてや、一人で買い物にいくなんで怖くて出来なかったように思います。タコ焼きを食べたいのに、いつもおばあちゃんに駄々を捏ねていました。それが、いざ出かけてみると、お店のおばちゃんの優しさに一安心。さらに、いつもオマケまで頂きました。一個だけだったけど。10円で随分沢山あったように思います。家に飛んで帰り、家内の溶接工場で仕事をしていたおじいちゃんの休憩時間に、おばあちゃんと一緒に三人で食べました。一人で買い物に行ったことを自慢して「おまけの一個は僕のもんや」と誇らしげに自己主張していたような。お母ちゃんは、その頃、外で働いていました。兄貴は既に小学生であったのでしょう。いま思えば、このこと=タコ焼きを買って来て三人だけで食べていたことは、ひょっとすると三人だけの秘密であったのかも知れません。

タコは値段が高かったはずで、タコ焼き一個にタコが一かけ入っているかどうか不確かでありました。偶に大きなタコが入っていたら大喜びしていたように記憶します。

実は、策士のおばあちゃんが、恥ずかしがり屋で満足に人と話が出来ない孫を、タコ焼きを餌にして社会の荒波?の中に放り込んだのかも知れません。

  

愛知県知多半島沖に「タコの島」があります。10月14日・土曜日の日経「産直の旅」で紹介されてました。日間賀島。この辺りは、フグ、アナゴ、ワタリガニ等々魚介類の宝庫ですが、一番の名物がタコです。

半島の南端からフェリーで20分ほどで島に到着します。フェリーに少し乗るだけで都会の喧騒から完全に離れて、のんびりとした風情を楽しめます。圧巻はタコの丸ゆで。体長が20-30㎝のタコが丸々茹でられて出てきます。豪快にハサミで切って食べる。絶品です。

名古屋からも近いので何回も行きました。地方の食通のお客さんにわざわざ足を運んでもらったり、大学のゼミの同期会を日間賀島の旅館でやったり。口の肥えている方々も、このタコの丸ゆでには感激してくれます。幸か不幸か、僕が見た限りでは、日間賀島にタコ焼き屋さんは無かったように思います。

 

マイケル君ご一家にも、是非、足を運んでもらいたかったと思いまが、イギリス人、ヨーロッパ人がタコの丸ゆでを見たら、どんな反応をしますやら。卒倒するかしら・・。残念ながら、マイケル君ご一家は、日間賀島どころか名古屋にも来てくれませんでした。

 

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 10月14日・土曜日、日経「日間賀島」の記事。(上の写真)タコの干物作り体験が出来るそうです。(下の写真)名物、タコの丸ゆで。タコしゃぶも楽しめます。

 

追記:マイケル君の名誉のために補足しますと、大阪編・その2.ではちゃんと伝統調味料である”味噌蔵”を訪ねたことが記載されています。単なるB級グルメ食べ歩きおじさんではないのです。ただし、味噌蔵の話を書きたいのであれば、それこそ、大阪でなく『八丁味噌』だと思います。大阪に、昔ながらの味噌造りをしているイギリス人のおじさんがいたからのようですが、それにしても、残念なことをしたものだと思います。

マイケル君、中部を素通りするなんて・・・。僕が中部地域の行政の責任者であれば、マイケル君に公開質問状「君はなぜ中部に来なかったのか?」を出してますね。

 

 

沖縄=ゴーヤチャンプルー

前回に続き『英国一家、日本を食べる』を再読して面白かったクダリの紹介です。以前、読んだ時にはそれ程記憶に残らなかったのに、今回、読み直してみると結構、面白いと思ってしまいました。僕が如何にいい加減に本を読んでいるのか分かってしまって恥ずかしく思いますが・・。

 

 沖縄は、かつて、長寿県ナンバーワンでありました。最近では肥満の増加と共に、成人病疾患が増加しているようです。一番の理由は、かつての沖縄伝統料理(=健康に最適な料理)中心の生活が大きく変わり、アメリカ風食生活に転換してしまったことと指摘されています。ゴーヤチャンプルーは、日本の各地では沖縄の健康食としてすっかり有名になってしまったのに、肝心の地元では相対的に沖縄料理を食べなくなっているのでしょうね。

 

英国一家のマイケル・ブースさん。沖縄も訪問しています。日本滞在100日間の間によくぞこれだけ精力的に全国を駆け巡ったものだと感心します。沖縄についての著者マイケルの関心は、沖縄が不老長寿の島・健康な島・長生き出来る秘密がある場所と聞き及んでいるところから来ています。

前回、記載した通り英国一家が来日したのは、2007年8月末。彼は、35歳(のはずです⇒註)。この年齢で彼は「日に何度か死について考える。自分の死という惨たらしい現実と格闘して」生きていたそうです。「短くても充実した人生なんてお断りだ。70歳どころか、100歳過ぎまで生き延びたい。」という強い願望を持っている。沖縄についての章のタイトルも「不死身でいたい?---沖縄」となっています。

沖縄に対する思い入れは大変なモノがあったようで「沖縄の人たちは、永遠の命の秘訣をしっているーーそれはオーバーだとしても、少なくとも、年齢が3桁になるまで健康で活動的に生きられる秘訣は知っている」と思い込んでいます。「沖縄の人たちは何世紀も前から、もしかしたら何千年も前から、健康的な暮らしをしてきたと言われている。紀元前3世紀に沖縄と貿易を始めていた中国では、沖縄のことを『不死の人の国』と呼んでいた」とか。

 

沖縄の人の長寿に関する研究の第一人者である博士(沖縄在住のカナダ人です)を博士の自宅に訪ねて面談しています。

博士がマイケルに長寿の秘密を解説しますが、この時にどういう訳かゴーヤーチャンプルーを食べながら話をしています。暗示的なシーンです。「沖縄の人は、塩分をあまり摂りません。・・・平均で週に3回は魚を食べます。全粒の穀物、野菜、大豆食品もたっぷりと摂ります。そして、豆腐や昆布は、世界の誰よりも多く食べています。タウリンを豊富に含むイカやタコもたくさん食べています」と。まるで健康のための教科書そのものの食生活の様子が紹介されています。沖縄のサツマイモ=紅芋の評価もすこぶる高い。そして、この博士の認識として面白いのが「口に入れないモノも重要である」と。つまり「食べ過ぎないことが長生きの鍵になる」。

マイケルも食べ過ぎない習慣が大切であることをよく理解しています。「台風、病気、貧困、地理的な孤立によって、沖縄の人たちはたび重なる飢饉に耐えてきた。食べる量を少なくすることは、沖縄の人々の精神はもちろん、おそらく遺伝子にも、深く刻まれている」、「そういう(食生活)の哲学を表す『腹八分』という言葉まであるくらいだ」と。筆者マイケル自身は、食べること大好き人間ですが、この「腹八分」という自制心については100%共鳴しているようで、「人類の進化の過程で、大勢の人間が食物を過剰に摂取するようになったのは、せいぜい20世紀になってからのことで、僕らの肉体はもっとずっと少ない量の食事にまだ順応出来る」、「日頃から『腹八分』を実行するくらいのちょっとした自制心は誰だって持ち合わせているはずだと僕は思う」と極めて真っ当な見解を述べています。

 

筆者の沖縄に対する思い込みは訪日前の調査によるものかと思われますが、その資料がやや古い年代のものであったのかもしれません。博士との面談の際も「沖縄の人が長寿である時代は終わりを告げそうだ」と指摘されています。筆者自身も「アメリカのファーストフードに馴染み・・・肉類だって、親の世代の倍ほど食べている。かつて痩せていた沖縄の人は、この数十年で、日本で一番BMIが高い集団になってしまった」と嘆いています。

 

 博士の研究では、沖縄の高齢者が健康なのは4つの要因、すなわち、食事、運動、心を満たす信仰があること、友情や社会支援システムなどの社会心理的な要素、これらがバランスが良く取れていることが高齢者が活動的に、自立して暮らし、社会に貢献していることの背景にあるとのことです。

 

 (註)マイケル君が当時35歳と推測するのは、この章の最初に「ウインブルドンでボルグがマッケンローに負けた、確か9歳の時と記憶する」との記述があるからです。ボルグが6連覇を逃したのが1981年。その時9歳=1972年生れ。この来日が2007年ですから35歳と。男性の著者の場合、生年月日を記載する方が多いですが彼の本には記載がありませんでした。これも彼独特のシャレの世界ですかね。

 

 

かつての県別の平均寿命の推移を調べてみましたら、1980年、1985年の調査結果では、男女ともに沖縄が全国no.1。その後、男は1990年代に4-5位に、2000年代に入ると更に急落して25-29位に、2010年には30位。一方女子は、1975年調査再開から2005年までNO.1を維持。2010年は3位になっている由。人口10万人あたりの100歳以上の高齢者数でも、沖縄は2009年まではno.1であったものの、その後低下し2017年度では全国10位となっているらしいです。データの出所は不案内です。

 

本年7月20日付けの日経新聞の記事では、「1990年から2015年までの25年間で、日本の平均寿命は4.2歳延びた。県別に見ると、平均寿命が最も長い県と短い県の差が最大3.1歳に広がっている」と。東京大学の研究発表です。これによると2015年の沖縄の平均寿命は81.9歳で全国46位、健康寿命も72.9歳で同46位となっています。これは厚生省などのデータを使って分析したものと記載がありました。データの整合性は不案内のままですが、沖縄=長寿県というのは完全に昔話になってしまったということですかねえ。

 

 

沖縄には仕事の関係で年に何回も訪問しています。あまり余裕のある出張ではありません。この11月には家族で旅行する予定をしております。おばあちゃん=僕のかみさんのお母様と一緒に行きます。少しはのんびり出来るかと、そして、ひょっとするとかつての長寿の秘訣に接することが出来るかもと考えるようになりました。またその時には沖縄訪問記を書いてみたいと思っています。

 

ゴーヤチャンプルー。実は僕の得意の料理の一つなのです。料理して写真を載せようかと思ったのですが、残念、時季を逸しました。11月に訪問時に本場のゴーヤチャンプルーを楽しめれば嬉しいです。

チャンプルーというのは沖縄の方言で、混ぜこぜ・ごちゃまぜの意味とか。いろいろな食材と豆腐とを炒めた料理。あくまでも豆腐がベースと教わりました。ゴーヤチャンプルーと言えば、ゴーヤをメインにしたチャンプルー。沖縄の固い豆腐=島豆腐がよく合います。レシピとして豆腐はmustと信じておりましたが、mustでは無く、ソーミンチャンプルー等、豆腐を加えなくともチャンプルーと呼ばれるモノもあると最近指摘をうけました。

また、チャンプルーは「ちゃんぽん」(長崎ちゃんぽんのちゃんぽん)の沖縄方言読みとの説もあるそうですが、僕は順序が逆ではないかと思っています。一方では、ネシア・マレー語のcampur(チャンプル=混ぜる、混ぜたモノの意とか)に由来しているとの説もあるそうですが、こちらの方が筋が通りそうだと感じます。

 

ゴーヤが無いからという訳ではありませんが、最近「黄身乗せナットドーフ(納豆豆腐)」 に凝ってます。かつて神田の居酒屋で酒のつまみによく食べました。今、考えてみても健康的ツマミno.1と思います。美味しく出来つつあるのですが写真を撮ると写り映えがしない(と言うよりも気持ち悪い)ので、また、改めて表現方法を工夫します。

天高く馬肥える秋を向かえて、「腹八分」よりも更に進んで「飢餓感を感じる健康法」、はたまた、今や死語になった「ひもじさに耐える健康法」が必要な年代になりつつあるのかと感じ始めている今日この頃です。

 

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 2017年10月1日撮影。碧南の工場、正門へのアプローチ。「クルル」マークを花壇に表現。今日は会社の社友会(OB/現役の家族懇親会)。会社・工場を見てもらってから、安城のデンパークでバーべキュー。腹 120%になります。自制心は何処にか。ヒモジイは日本では完全な死語になってしまったか。

 

同、碧南の工場で栽培しているサトウキビ畑。12月には収穫祭をやります。地元の子供たちにも参加してもらって。採れたてのキビ・ジュースが絶品です。

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大相撲=ちゃんこ料理

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たまには、お酒でなくてコーヒーで寛いでます。瀬戸で買ったお気に入りのコーヒーカップ。おばあちゃんのパッチワークをコースターにして。2017年9月吉日、撮影。

 

大相撲の秋場所が終了しました。千秋楽に何んとか横綱日馬富士が踏ん張って、本割で追いつき決定戦で勝利しての見事な大逆転優勝でした。横綱の面目を保てて何よりです。でも場所前に一人横綱になってしまった日馬富士、前半戦はボロボロの状態で観ていて情けないような状態でした。情けないを通り越して、可哀そうにと同情されていたように感じます。プロ、それも横綱が同情されるようではいけません。一方、これも一人大関豪栄道は、後半までのリードを維持できず、残念ながら優勝叶わずでした。でも、こちらの方は嫌味な言い方になりますが、先場所休場してカド番で迎えた場所ですから、3横綱2大関が休場というのは随分とラッキーだったかと。お相撲の新聞記事は、概して、好意的な書き方が多いかと思います。国技だからですかね。皮肉なコメント、批判的な見方は記事にされないのかも知れません。

今場所は、3横綱2大関以外で人気者の宇良も負傷欠場でした。一部の辛口コメントでは秋場所ならぬ”秋風場所”と揶揄されていましたが、入場者数はいかがものであったのか気になるところです。月曜日の新聞の最終の星取表を見ていましたら、休場していたのに、途中から出場した力士が二人いらっしゃいました。碧山と佐田の海。幕内上位力士が大量に休場するなかで、なんとか場所を盛り上げる、カッコつける必要があるから、駆り出されたのではないかと心配になります。協会とか親方から「お前、休んでる場合とちがうやろ。とにかく、土俵を上がれ!」てなプレッシャーがかかったか??。二人とも復帰後も黒星のほうが多い結果でしたから、それこそ可哀そうな気がします。中途半端に出場して元々のケガが更に悪化することがなければよいのですが。

力士のケガが増えている訳ですが、解説を聞いていると、やはり、力士が大型化していることが最大の原因のようです。重量級、超重量級の力士が増加しているので、本人もそして対戦相手も体重を支える腰、膝、足、足首に大変な負担がかかっている、そして、年間の場所数が昔に比べて増加しているからケガをしても完治する以前に無理をしてでも出場しなければならない、等々、イロイロな指摘がされてます。プロの世界では完全休養することはなかなか難しいことなのでしょう。

カド番大関であった照ノ富士は今場所、途中休場となり大関陥落が決まりました。ケガをする前は、まさに日の出の勢い。相手を睨みつける表情に凄みがありました。ファンです。横綱になるのは間違いない、時間の問題と誰しもが思った時にケガをしました。それ以降は素人の僕がが観ていても、膝・足腰の状態がかなり悪そうなのが分かるくらい。身体のハリも失われつつあるように思います。プッツンして廃業にならなければよいがと心配しています。

 

かなり前に読んだ本で、外人が日本を食べ歩きした話を綴ったものがあり、その中に相撲部屋を訪問取材した際の記載があったなあと思い出し探してみました。

 

英国一家、日本を食べる」、マイケル・ブースさん著、寺西のぶ子さん訳、亜紀書房。2013年4月第一刷、2014年5月第14刷。イギリス人のジャーナリストが日本の食と食生活に興味を持ち、なんと一家全員(奥さん、二人の坊やと一緒に)で100日間、日本の各地を食べ回った時のお話です。プロのジャーナリストですが、訳あって家族同伴の取材旅行をすることになりました。奥さんはもちろん幼い坊や二人を同行しての家族での取材旅行です。

 

再読したら、間違いなく相撲部屋を取材したクダリがありました。この取材旅行は、著者が自身の独特の感性から日本の食と食文化に興味を持ったことがキッカケになっていますから、相撲部屋訪問の目的は当然ちゃんこ料理なのですが、家族ご一緒ということで随所に面白い場面が出てきます。イギリス人というのも結構面白い人種なのだなあと感心させられます。

家族四人ともに日本に初来日です。来日して三日目に相撲部屋の見学に。把瑠都が所属している尾上部屋です。何年の来日なのかは記載が無いように思いましたが、把瑠都のことを「23歳のエストニア出身」と書いてあったので、調べて計算すると2007年と分かりました。また、彼らはこの年の9月場所=秋場所を観戦しています。他の記述でも年月を特定できる記載があったので、2007年8月末の来日というのが今回初めて分かって気分がスッキリしました。たまたま偶然、ちょうど10年前の秋場所のころの旅行記です。

初めて力士のぶつかり稽古を見た奥さんが泥んこになっている力士を見て「不思議だけどすごいキレイだわ」とコメントしたり、茶目っ気のある把瑠都クンが長男クンを土俵に上がらせて真剣勝負、見事、長男クンが把瑠都を押し倒して圧勝したり。旦那さんは、自身の記述から推測するとかなり太目の体形で、甘いもの大好き、美味しい食べ物に目が無いタイプ。来日して以降(まだ三日目ですが)街で自分より大きな太った日本人を見かけたことが無い、それなのにスモーレスラーの体形はどうしてなんだろう。力士はきっと甘いモノ、カロリーの高い美味しいモノをたらふく食べて寝ているからに違いない。それこそ自分が理想とする生活だ。その秘密が相撲部屋の「ちゃんこ料理」だと。大変にマニアックな観点から食べ物に対する関心をもっているジャーナリストであります。

 

ところが、ちゃんこ鍋の中身、具材を見てビックリ。健康に良さそうなモノばかり。この時の尾上親方の説明が素晴らしいものでした。「ただ太るのではなく、けがをしない筋肉を作り上げなきゃなりません」。そして「相撲取りは伝統的に四つ足の動物を食べない。なぜなら、彼らにとって、四つ足になるということは負けを意味するからだ。」これが歴史と伝統の良いことろだと思うのですが、残念ながら「でも、相撲取りの食事は変わってきました」とのことです。 

この取材は2007年のことですから、それから既に10年。海外からの力士は、この10年で更に増加しています。ひょっとすると相撲部屋の食生活も随分と変化しているのではなかろうか。ケガが増えているのは、食生活の変化も関係しているのではなかろうかと門外漢ながら心配しております。

 

把瑠都クンはその後、大関まで順調に昇進しました。将来を嘱望されながらも、結局ケガが原因で廃業したそうです。”ケガをしない体を作る料理”をモットウに力士を育成していた親方の部屋でも、部屋の筆頭力士をケガで失ったわけですから、料理、食事だけではケガを無くすることは難しいのでしょうねえ。照ノ富士がますます心配になります。

 

ちゃんこ料理。大阪の実家の近くの駅前にも有名なお店がありました。おばあちゃんも大好きで、近所のお友達にも参加してもらって、忘年会か新年会をしたこともあったかしら。味は、チョット濃い過ぎていまイチであったように思い出します。

東京の亀戸でむかーし食べたちゃんこ鍋は美味しかったなあ。ちゃんこ料理には、イロイロな種類のものがあるそうで、尾上部屋では10種類くらいのものがあり、みんなが当番で作るので、それぞれ得意なのがあるとのことです。あの亀戸のは「ソップ炊き」だったと思うのですが。お魚(鰺でしょう)のツミレがなんとも旨い味でありました。まだお店があれば、もう一度、お邪魔して食べてみたいなあと改めて思いました。

ソップ炊きはご存知の通り、鶏ガラスープで美味しい味を出しているちゃんこ鍋ですが、その鶏ガラからソップ型力士=筋肉質・痩せ型力士と言う呼び方があったそうです。初代の貴乃花さんが典型です。今では、死語になってますかねえ。

  

番付表を見ていると関取の名前も、随分と難しい変わった名前が増えてきているように思います。昔は、栃錦若乃花柏戸大鵬北の富士北の湖貴乃花、等々字体を見てもキレイな言葉が多かったように感じます。「の」、「ノ」、「乃」の使い方も面白いですね。今場所の番付け表では、稀勢の里、千代の国、佐田の海隠岐の海、朝乃山。日本人力士は、「の」か「乃」。モンゴル勢中心の外人力士は、照ノ富士、栃ノ心、逸ノ城、貴ノ岩。全て「ノ」。ちなみに、豪栄道の「栄」は出身高校である埼玉栄高校の「栄」であると教えてもらいました。

 

次の場所には、今場所休場した力士さん達が全員元気な姿で登場してくれますように。ケガをしない体つくりに励んでくださいませ。

  

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2017年9月25日、日経。大相撲秋場所、最終成績。昔むかし、甲子園でも有名な東海大相模高校の”大相模”のところだけを見て、ついつい、”大相撲”と間違えた人がいました。それ以降シャレ半分で”トウカイ・オオズモウ”と呼ばれています。

 

みをつくし料理帖、その2.

全10巻、読破してしまいました。最後の三巻は、エンターテインメント小説の粋を尽くした出来上がり。スリルとサスペンス、謎解きの面白さ、主人公の恋の行方は・・・。毎回出てくる料理のお話も最後まで面白かったです。

 

時代背景は、文化から文政に移る時。最後の場面が、ちょうど、文政に年号が改められた時代に設定されています。昭和25年生れのおじさんの目からは、昭和30年代に大人気であった人情物のチャンバラ映画を観ているような。チャンバラ・シーンはありませんが、懐かしい匂いがします。

 

『食は人の天なり』・・・「口から摂るものだけが、ひとの身体を作ります。つまり、料理はひとの命を支える最も大切なものです。だからこそ、贅を尽くした特別なものではなく、食べるひとの心と身体を日々健やかに保ち得る料理を作り続けていきたい。」澪さんの心意気です。

 

この小説には、漢字が沢山使われていて丁寧に読み仮名を振ってあります。振り仮名が無ければ読み難いので大変に助かります。そして、漢字で表現されているという趣が、この小説の流れに凄く味を深めているように思います。編集には手間が掛かって、また、印刷のコストは高くなるのでしょうが、これも作者の拘りだと感心します。

 

以下、頭の体操です。読めますか?。台所・料理の道具などは、もはや、死語になっているのもありそうな。昭和20年代のおじさんの郷愁ですかね。僕らが小さい時には、日常、身の回りでゴロゴロしていたモノばかりと思うのですが・・・。(読みは、最後の写真の後に記載してあります。)

 

①料理、食材

牡蠣、味醂、生姜、時雨蛤、蜆の佃煮、山葵、山椒、花鰹、心太、瓢箪、干瓢、豌豆、牛蒡、蒟蒻、蒲鉾・・・15点満点です。

 

②料理道具、その他

箸、酒の肴、行李、女将さん、夕餉、爪楊枝、暖簾、勿体ない、炙る、擂り鉢、蕎麦屋、盥、衝立、俎板、竈、襷、手拭い、柄杓、砥石、御櫃・・・20点満点です。

  

牛蒡、蒟蒻、蒲鉾、というのは思い出が深い漢字です。亡くなったおばあちゃん(僕の母親のことです)が一度目に倒れたあと、リハビリの時に、字を書けるように無理やり手を動かす訓練をしていたのですが、頑張り屋さんのおばあちゃんは「ついでに頭の体操や!」と忘れないように、わざわざ、難しい漢字を書く練習をしていました。お見舞いに行った時に、突然、「牛蒡」「蒟蒻」「蒲鉾」と書かれた時には、正直大変に驚きました。”おばあちゃん、あんた、ひょっとしたら天才やったのか!?”。最初の二つは、書くどころか読むのも定かでなく冷や汗をかきました。

 

立春大吉」、おめでたい言葉も思い出しました。「この文字は縦半分に折れば、左右がぴたりと重なるから縁起が良い。また、裏からみても同じく「立春大吉」と読めるから厄除けになる。」とのことです。

 

 小説がドラマ化、映画化されることは結構あると思います。残念ながら、どちらも上出来というのは滅多にお目にかかれるものではないように思います。一方で、小説を読んでいて主人公のイメージが湧いてくる俳優さんが頭に浮かぶとこれは面白い。僕は最近の俳優さんの名前を余り多く知りませんが、今回の黒木さんがそうでしたが、たまたま、もう一作品、パッと主人公が浮かんだ小説があります。和田竜さん作の「村上海賊の娘」。読んだ瞬間に、これがもし映画化されるとしたら、主人公は、”杏ちゃん”しかいないと思いました。ひょっとしたら、作者は杏ちゃんをイメージしながら、主人公を創り上げたのではないかと思うくらいです。最も、この小説の活劇シーンを映像化するのはコスト的に大変に経費がかかりそうで映画化は難しいだろうなあと心配になりますが・・・。やるのであれば”杏ちゃん”が若くて体力のあるうちに是非、実現して欲しいものです。ちなみに、この小説は「有次」の本を読んだ時に面白そうに思って読んでみたのですが、庖丁、刀、鍛冶の話はそれ程出てきませんでした。ちょっと残念でした。

 

NHKの「みをつくし料理帖」は全8回で終了。話の途中で中断されています。小説の最終巻までやっていないはず。人気があれば、次のシリーズという意図なのかしら。是非、テレビでも完結まで製作して欲しいですね。

  

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 澪ちゃんの料理に影響されて?。「稲荷納豆」と命名。宮崎の芋焼酎「川越」をロックで、それに平兵衛酢を絞って。稲荷納豆は平兵衛酢ポン酢で。ドミニックさん流のゆったり一人メシのイメージです。2017年9月17日撮影。・・・八個全部食べた訳ではありませんから、念のため。

 

①かき、みりん、しょうが、しぐれハマグリ、シジミのつくだに、わさび、さんしょう、はながつお、ところてん、ひょうたん、かんぴょう、エンドウ、ごぼう、こんにゃく、かまぼこ

 

②はし、さけのさかな、こうり、おかみさん、ゆうげ、つまようじ、のれん、もったいない、あぶる、すりばち、そばや、たらい、ついたて、まないた、かまど、たすき、てぬぐい、ひしゃく、といし、おひつ