クルルのおじさん 料理を楽しむ

名古屋を想う

平兵衛酢。 3月後半に植えてから順調に育っています。丈は最初の苗木のほぼ二倍程度に伸びました。夏の間は虫に食べられて大変。そろそろ寒さ対策が必要になるのかしら。日向の専門家の意見・教えを請わなければ・・・。2018年10月9日、撮影。

 

 

久しぶりに神奈川の自宅でノンビリとテレビを見ていましたら、NHKの「#ネタドリ・首都圏情報」という番組で”エスカレーターに止まって乗る運動”を紹介していました。エスカレーターは、関西・大阪圏を除けば、左側に止まって乗る=右側は空けておく=急ぐ人は右側を歩く(稀には走る人もいるかも)というのがほぼ常識化していますが、障害者・高齢者の安心・安全のため左右両側ともに止まって乗りましょう!、「エスカレーター、止まって乗りたい人もいる」というキャンペーンを実施している理学療法士の方の活動を紹介したものです。2020年の五輪パラを目指して”誰にも住みやすい優しい町=東京”にしようという取り組みの一つとしてNHKがネタドリしたもの。

 

 

この理学療法士さんの患者さんの一人が足が不自由な方。杖をついて歩いているものの階段を上る時には、右手で手すりを支えながら登らないとバランスが上手く取れない。エスカレーターの左側止まりでは安心して乗っていられない。何とか右側止まりで乗れないモノか、と悩んでいたもの。エスカレーターに乗る時の本来のルールは、全く形骸化しているとは言え「両側ともに止まって乗る」というものであることを再確認して、このキャンペーンを開始された由。一部の鉄道・駅ではこのキャンペーンに同調して、構内アナウンスで”エスカレーターは二列で立ち止まって乗ってください。歩かないでください。止まって乗りたい人もいらっしゃいます。急ぐ方は階段をご利用ください”と呼びかけをするところも出てきているとか。

 

 

かなり以前、このブログで名古屋の地下鉄について、次のように記載したことがあります。2017年4月21日付けの『名古屋の不思議』から抜粋です。

「・・・名古屋の地下鉄のエスカレーターに乗る度に不思議に思うことがあります。かなり大きな張り紙が出ています。一文字づつ「走」「ら」「な」「い」「で」「下」「さ」「い」「、」「歩」「か」「な」「い」「で」「下」「さ」「い」「。」と書いてあります。駅は忘れましたが、「急ぐ人は階段を」、「健康のためには階段を」と言う張り紙もありました。最初は(嫌味で無く)何を言いたいのか全く理解出来ませんでした。・・・しばらくしてから、もっと小さな張り紙に「危険ですから云々」とあるのを発見。なるほど、危険だからじっとしておれ、という意味だったのかと理解が出来ました。でも、東京、大阪等々で、こんな大きなモノに一文字づつ「走・ら・な・い・で」「歩・か・な・い・で」と書いてある表示を目にした記憶が無い・・・」

 「・・・モノ知りの友達にこのことを話したところ、エスカレーターで以前、事故があった。それで安全な乗り方を徹底しようという動きがあって、その一環としてこのような注意書きが増えたのであろうと・・・。エスカレーターの安全基準というのは、ステップに立ち止まって利用するのが前提になっている由。ステップに巻き込まれる、挟まれる事故が多いそうです。・・・」

「公共の場所での事故、その場所を管理している役所の責任、ついつい過剰な対応ぶりにつながるのかしらとも思います。もちろん、事故の当事者だけでなく、周辺にいる、特に赤ちゃん・子供連れ、お年寄りが、もらい事故に巻き込まれないように注意することは必要ですから、事故を起こさない、事故に巻き込まれない工夫は必要だと思います。それにしても名古屋の地下鉄は何故これほどまでに過剰なアピールをしているのやら。・・・スマートでないですよね。「魅力の無い街」の理由の一つになっているかもしれません。・・・」

 

 

 随分と手厳しいことを記載していたのですが、ネタドリの通り「優しい町」作りの取り組みの一環として「エスカレーターに止まって乗る運動」というのはアリかなあ、と思いました。回りの人への”優しさ”乃至は”思いやり”という観点からのキャンペーンというのは説得力がありそうに思います。名古屋の地下鉄も視点をチョット変えてアピールを工夫したら、もっと、共感を呼ぶことになるのではと思いました。

 

 

ついでに、名古屋市が実施した2018年度の「都市ブランドイメージ調査」のことですが、残念ながら前回調査に続いて、名古屋市は全国8都市で「最も訪れたくない街」だったそうです。前回の調査のことはこのブログで記載しましたが( 2017年1月31日『名古屋の魅力』をご参照ください)、今回の調査でも、名古屋を訪問したいという人は突出して少ないまま。前回同様、他都市では地元を「最も魅力的」と答えるのに対して、名古屋だけは唯一、他都市が魅力的だと答えているそうです。都市ブランドイメージ=ダントツの最下位です。

名古屋の市長さんは記者団にイメージ向上の具体策として「名古屋城天守木造化、世界で一つの魅力をつくらないと」とご自身の目玉施策の重要性をアピールされていたそうです(日経9月6日記事より)。

あまり”優しい街”とか”思いやりのある街”とかを魅力ポイントとしてカウントされていないようですね。チト残念です。

 

 

ちなみに、第三者が行っている調査では名古屋市は結構上位にランク付けられています。これも日経記事(10月4日付け)ですが、森ビルのシンクタンクである森記念財団都市戦略研究所の調査では、東京を除く都市の中で名古屋市は総合で堂々の第4位。ビジネス、生活のしやすさなどでの評価で、各道府県72都市を対象としたものです。一位は京都市、次いで、福岡市、大阪市、そして第4位が名古屋市です。何をターゲットにしてアンケート調査をしているのか大切な点だと思いますが、マアマア立派なモンですよね。

 

 

 得意の「ソーメン・ゴーヤ・チャンプルー」。これは名古屋の隠れ家でのモノですが、神奈川の自宅で料理したら結構、評判が良かったです。一安心。2018年10月2日、料理と撮影。

 

 

日野原先生のこと、その2.;讃歌

 

名古屋市美術館でのビュールレ・コレクションに行ってきました。開催される前から、地下鉄の車両を始め街の至るところ多数のポスターが張られ大変な宣伝ぶりでした。美術館の入り口にもそのポスターの特大版が飾られていました。「絵画史上、最強の美少女」と書いて「美少女」に”センター”とルビを振ってあります。AKB48等々の”センター”をイメージさせるものと思いますが、なかなかのキャッチコピーだと感心しておりました。ルノワールの名作です。なんと、このセンターの美少女は当時まだ8歳であったとのことです。その既に完成された姿・形に只々驚きです。2018年9月14日、撮影。

 

 

日野原先生のことは、このブログで何回も書いておりますが、最近、偶々ですが、ご著書を二冊読みました。今まで新聞・雑誌の記事、対談、訳本は読んでいましたが著書を読むのは初めてであったと思います。

 

「100歳になるための100の方法;未来への勇気ある挑戦」、文藝春秋。単行本は2004年1月に刊行。僕が読んだのは例によってbookoffで買った文庫本。文庫本は2009年1月が第一刷。その第四刷、2017年7月30日のモノです。後述の通り、先生が亡くなったのが2017年7月18日ですから、その後に印刷されたものですね。

 

前書きの一番最初の書き出しが「私は2003年10月に満92歳の誕生日を迎えました」と記載があり。大のフアンとは言え、天の邪鬼の僕は”へえ、92歳で「未来への勇気ある挑戦」とはねえ”とウガッタ見方をしてしまいました。ご本人も前書きの最後に「100歳をめざす今回の著述に対して読者のご批判を賜りたいと希望して」いると書かれているので、ご本人も流石に肩に力が入り過ぎているのを反省されながら書いているのかな、と思ったものです。

 

 

ところがドッコイ。この先生の日常生活の様子を読んでビックリ仰天。仕事、仕事、仕事。病院に出勤は当たり前、一週間に三回ほど講演に出かける。毎日、複数の新聞・雑誌・専門書に眼を通す。毎日、自分宛てに届く20~30通!の手紙を読み、返信の必要なモノには翌日に返信する。毎日、執筆を2-3時間やる。急ぐ原稿があるので週に一回は徹夜!して400字の原稿用紙20から25枚を書き下ろす。自宅だけではなく、移動中の車、飛行機、新幹線、いつでもどこでも原稿を書くか校正をしている。食事にかける時間は一日を通して1時間半くらいのみ(忙しくて時間が無い!)。摂取カロリーは基礎代謝量程度のみに抑えている。ご本人が「自分でもよく過労死しないと思う」とおっしゃってます。

 

 

日野原さんは生涯現役を続けていたというのは有名なお話ですが、この日常を見ると、所謂、50~60歳代のバリバリの第一線の最高責任者と同等か、多分、それ以上のご活躍ぶり。ここまでの”現役”を継続されているとは恥ずかしながら全く存じておりませんでした。

 

「引退を間近に控えた人へ」という項がありました。以前にも書いたことがありますが、僕はこの類の書き物は”当たり前のことをえらそうな物言いでモットモらしく書いてあるだけ”と思い込んでおり、まず読まなかったのですが、今回は、その前段で92歳になってもこれだけの日常を熟している先生の活動にビックリ仰天でしたので、謙虚に真面目に読みました。2018年6月21日付け『卒業』で記載した倉本聰さんの言葉、河合隼雄さんの記述を久しぶりに思い出しました。重複するので内容は記載しませんが、年を取ってからも元気な人の極意は、根っこのところで共通していると感じます。

 

日野原先生の生活で面白いのは「運動の時間がないので、階段を使う。エスカレーターには乗らない。空港では動く歩道に乗らない。階段を駆け上がったり、動く歩道の横を早足で歩いたり。それに乗っている若い世代を追い抜こうとする。上手く追い抜いた時には”ヤッターという達成感”を感じ」てらっしゃるそうで、そのことが健康法になっていると。僕も歩くのは大好きで、散歩する時には道行く通行人を追い抜いて勝手に喜んでいる気持ちが確かにありますが、92歳のおじいちゃんが”ヤッターという達成感”を健康法だと言われるのには全く脱帽だと思いました。

 

また、もう一つの驚きは、この年齢になられても「三年先のダイアリーをつけて」らっしゃるそうです。未来への勇気ある挑戦そのもののような気がします。そして、何事につけてユーモアを持って話されている、表現されているというのは素晴らしいと感じます。また、この本の第三章は「人との会話から得られるヒント」で、著名人との対談が掲載されていますが、一番最後は遠藤周作さんとの対談です。患者の気持ちについて、病院について、医療制度について、意見交換をされています。医学・医療・病院に係わる方は是非ご一読されますようお薦めです。

 

 

もう一冊の本は、カミさんが買って読んでいました。「生きていくあなたへ 105歳 どうしても遺したかった言葉」、幻冬舎

「100歳になるため・・」を読んだ時、家にあったのを思い出して、続けて読みました。巻末にこの本のタイトル「生きていくあなたへ;最後のメッセージ」と書かれた項があります。2017年1月31日にご自宅で話をされたものとのこと。以下、抜粋です。

 

「私の長い人生が終わろうとしているけれど・・・。今私は、新たな旅立ちの心意気を感じています。言い尽くせない感謝の気持ちと喜びを胸に・・・。・・・私のこの旅を静かにトボトボともう少し続けたいという気持ちがしています。・・・感謝に満ちた気持ちで、キープオンゴーイング!。」

 

ご自宅でこの話をされた後、約半年経った2017年7月18日に105年10か月の生涯をご自宅で静かに閉じられたとのことです。105歳で最後の最後まで「キープオンゴーイング」と心から言える先生はやはり凄い。この本は感動して泣けます。

 

 

偶々というのは重なるものです。内田樹さんであれば、こういう出会いを、もう少し、気の利いた言い回しをしてくれると思うのですが、日野原先生と一緒にお仕事をされていた方と会食する機会がありました。在宅医療を専門とされているお医者さん。認知症予防等々の啓蒙活動をされており、そのNPO法人のお仕事を僕の兄がお手伝いしている関係です。仲間内の食事会に誘ってくれました。僕よりも若干はお若い先生ですから、日野原先生より40年ほど若いことになります。これだけ年の開きがある先生どうしが一緒に仕事をしていたということですから、改めて日野原さんが異常に長い期間、現役をされていたということが実感されます。初めてお会いしたのですが最初から盛り上がって、それから僕が日野原さんのフアンであることを話ししたら更に盛り上がりました。先生からも日野原さんのことをイロイロと伺って、益々、日野原さんのフアンになりました。この先生のことは、ご本人の了解を得てから、もう少し詳しくお話をしてみたいと思ってます。

 

日野原先生、亡くなられた後も、益々、インパクトを感じさせて頂ける方ですねえ。僕も「keep on going」のスピリットを大切にしたいと思います。

改めてご冥福をお祈りします。 

 

 

美術館のすぐ近くにある名古屋市科学館プラネタリウム」、世界最大規模のモノです。名古屋市のど真ん中にあります。こんなにオモロイところが一杯あるのに何故人気度が全国主要8都市中あいかわらず最低なのかしら。生活をすると本当に良いところであると実感するのですがね。2018年9月14日、撮影。

 

 

おまけ。ある日の夕食。「サンラータン」は、栗原はるみと大庭英子のやり方を参考にして作りました(こういう場合は敬・略です)。まだ中途半端な、インパクトに乏しい味。お酢を投入するタイミングが両者で異なる。まだまだ工夫が必要です。「油揚げの何でも詰め込み焼き」は、①チャーハンの具の残り、玉ねぎみじん切りに②チーズ&/or③塩コンブを乗せたもの。簡単・上手い!、結構、満足してます。「しょうゆ豆」を齧りながら「沖縄のグラスで宮崎の焼酎」で反省会です。2018年9月28日、料理と撮影。

 

 

 

「フランス女性は太らない」

 

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9月17日に長野市芸術館、ユベール・スダーン指揮、アンサンブル・ノーヴァ、舘野泉さんのピアノを聴きに行ってきました。2017年3月19日付けの『3・11』で書きましたが、泉さんの「命の響き」を読んでから是非聴きたいと思っていました。ブログ「森のちいさなアトリエから」の”はんな”さんに教えてもらいました。写真はコンサート終了後の泉さんが弾いたピアノ。まだ余韻が残っているような。同日、撮影。

 

 

古本屋さん巡りをしていて見つけた本です。「フランス女性は太らない」=好きなものを食べ、人生を楽しむ秘訣=ミレイユ・ジュリアーノ著、羽田̪詩津子訳、日経ビジネス文庫。2005年6月単行本刊行、2013年2月文庫本。

 

昨年の今頃『体質改善=とりあえずの集大成、食べ物編・その2.』(2017年8月27日)でドミニック・ローホーさんの「シンプルに暮らす」という本の事を書きましたが、調べてみると「シンプルに・・」は第一刷が2011年4月でした。「フランス女性は・・」の方が早く出版されていたことになるようです。とにかく、またまたフランスの女性の本です。今回、買ったきっかけは、本の最初の頁に「年に300回の外食(もちろんフルコース、アルコール付き)でも太らない!」と書かれてあったのが目に入ってしまったからです。僕にとっては核心に迫るようなキャッチコピーでした。どうもこういう文句には弱い。すぐに引き付けられてしまいます。

 

 

買った時には「シンプルに・・・」本のことはすっかり頭から抜け落ちており、この本に集中してそれなりに興味深く読み進みました。フランス人は男女を問わずに面白い考え方・生き方を身に着けてそれを実際の生活に活かしてるなあ、と感心したところです。その辺りで、そう言えば以前に同じような印象を持ったことがあったなあ、と漸くに思い出し本箱を探してみたら「シンプルに・・」がありました。まだ、ボケていないことを祈りたいです。

 

 

ミレイユさんはビジネスに生きる女性で、会社の最高責任者としてビジネス上のお付き合いが連日続く生活をされている由。「フルコースの料理(アルコールも)を自分で好きなだけ食べているが、それでも太ったりしない」。これは凄いことだと思います。体質的に太らない方ではない。若い時にアメリカ留学された時には、羽目を外してアメリカの食文化を楽しんでしまい、食べることに歯止めが効かなかった。帰郷した際に父親から「おまえはジャガイモ袋にそっくりだ」と酷評されたとか。キツイ親父さんの一言です。爾来、多くのフランス女性がやっている秘訣を実践してご自分で”楽しみ”ながらバランスの良い体重を維持することが出来ていると。この本は全世界で300万部のベストセラーとのことですから「フランス」「フランス女性」という言葉はこの世界では大変なブランドになっているのでしょうね。

 

 

この方の極意は良い意味で「自分をだますこと」。

「食べ物を楽しめるのは最初の数口だけだ。漫然と機械的に食べることを止める」。「”より少なく”が”より豊か”であることを知り、節制しながら何でも食べて自分を満足させる」。

その為のプロセス、体質改善の方法、それを維持する方法、果ては五感を研ぎ澄まして生きる喜びを追及する秘訣まで、それぞれのレシピも含めて記載されております。「女性を対象に書いた」とのことですが、男性が読んでも十分参考になると思います。

 

 

この本を読んでいる途中、「アンチ・エイジング=紫外線の怖さ」の講演を聴く機会があり、その時のスクリーン資料で、往年のフランスの有名な女優サン(BBと呼ばれてました)の写真が写されました。日光浴の悪影響でまだ50歳代の時の写真なのに、見るからに皮膚がガサガサの様子。驚いたのは、同時にエラクお太りになっていたこと。ミレイユさんの自信たっぷりな本を読んでいたところだったので、ついつい皮肉にも「フランス女性は太らない(人もいる)」と本の題名を変えた方がよさそうだと思ってしまいました。

 

 

一方で、改めて「シンプルに・・・」をパラパラと見ていたら、同趣旨の事が記載されているのに気が付きました。「質の高いものを、少しだけ」「一口に幸せを感じる」等々。やはり、フランス文化というのは綿々と繋がっているということなのでしょう。以前の『体質改善=とりあえずの集大成、食べ物編・その2.』にも記載しましたが、ローホーさんの金言です。 

「 料理をして、控えめに、楽しんで食べる。」

 

 

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 高校時代の集まりで、本の目利きの師匠から「総特集 白洲正子」を頂戴しました。文藝別冊、2000年2月発行。正子さんご逝去(1998年、88歳にて)後の特集です。河合隼雄さんとの対談も収められています。凛々しい表情に驚きます。ちなみに衣装は三宅一生さん。

「日本女性は太らない!」というお題で、正子さんに一冊書いておいてもらえば面白かったと。”そんな軽いモン、誰が書くか”、と一刀両断でしょうが。2018年9月15日、撮影。

 

 

 

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おまけ;日経・土曜版に連載されている「かんたん美味」(ベターホームのお料理教室)から。2018年6月30日付けのレシピ「トマト牛丼」のスープを大目にしてご飯無しで頂きました。写真写りは不味そうですが、むちゃ簡単なのにソコソコ美味しかったです。ミツバが無かったので、干した紫蘇の葉(最近、凝っています)を代わりに使いました。2018年9月16日、料理と撮影。

 

知の巨人vs全41巻

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 青山やぶ蕎麦。昔の仲間四人で懐かしいお店に。女将さん、相変わらずにこやかでお元気そうでした。日本酒で気持ちよくほろ酔い気分に。もちろん、だし巻き玉子も頂いて、最後の〆は皆ンな揃って”モリ”を頂きました。2018年9月3日、撮影。

 

 

『7月の豪雨』の後、『かつて経験の無い暑さ』が続きましたが、台風の発生も異常に多い年になりました。遂に非常に強い台風21号が四国・関西に上陸、関西空港が全面閉鎖、タンカーが連絡橋に衝突して数千人の方が空港に閉じ込められる事態に。”こりゃあ大変だ”と思っていたら、今度は北海道で最大震度7地震が発生しました。TVで映される山肌が連続して剥き出しになっている姿を見て啞然としました。お亡くなりになった方々、被災された方々には、心よりお悔みとお見舞いを申し上げます。

 

それにしても、『3・11』から考えても東北、九州、中国・四国、そして今回の関西、北海道と日本全国で自然災害が多発しています。僕の活動の拠点は名古屋と東京・神奈川で、幸いにして今に至るまでは大きな災害は発生していませんが、逆に言えば今まで以上に少なくとも心の準備だけはしておかねばと考えてしまいます。年をとっても「自分の城は自分で守る」という気概だけは風化させないようにしたいものです。

 

 

小林秀雄さんの「考えるヒント」を読みました。 三部構成になっていて、第一部が「考えるヒント」、第二部「四季」、第三部はソ連・ヨーロッパ紀行。1959(昭和34)年から1964(昭和39)にかけて「文藝春秋」等に掲載されたエッセイ・評論を集めたモノです。

 

小林秀雄の名前・書き物に触れたのは高校生になったばかりの時であったかと思います。僕の兄(=三歳年上)が、同じ年に大学生になり友達から借りた本を読んで薦めてくれたモノです。それが「考えるヒント」であったと思うのですが、一冊の本であったか、文春等の雑誌であったのか定かではありません。

当時=昭和40(1965)年ごろになると普通のインテリの方々にも小林秀雄はすっかり有名になっていたようです。背伸びして無理して意地張って読んでみましたが、ほとんど内容を理解出来なかったように思い出します。中身は分からないなりに畳み掛けるような文章のタッチ、テンポが良くて「随分とアタマの回転が速い人なんやろなあ」とだけは感じたように思っているのですが、これも自分がそう思ったのか、兄がそう講釈していたのが自分の記憶になっているのか定かではありません。

 

 

小林秀雄を読み直そうと思ったのは(初めて読むのに等しいですが)、白洲正子さんの影響です。「白洲正子自伝」を読んだ後に「いまなぜ青山二郎なのか」を読みました。あの正子さんが、青山二郎小林秀雄川上徹太郎の付き合いの輪の中に入りたいと願望したそうです。小林秀雄が「俺たちは秀才だが、あいつ(=青山二郎)だけは天才だ」と受け止めている件等々、小林秀雄の生き様も随所に出てくるのですが、それが僕が高校時代に感じた印象とはかけ離れていたように思え、機会があれば秀雄さんの本を読んでみようと思っていました。

 

 

「考えるヒント」の中に「批評」という項が出てきます。秀雄さんは「書きたいものを書いていたら、それが世間で批評と呼ばれるものになった」と。

「自分の仕事の具体例を顧みると、批評文としてよく書かれているモノは、皆他人への讃辞であって、悪口ではないことに気付く」「そこから素直に発言して見ると、批評とは人をほめる特殊な技術だ」。

 

彼は国内外の先達の遺した書物・文章のなかの彼らの天才の部分を深く感じ取り、それを読み解き解説することが自然に出来たのだと思います。そして読書量の多さにも圧倒されます。よくぞこれだけの書き物を読み込んだものだ。

 

それに加えて交流の広さ、深さがお互いを磨いたんでしょうね。メデイア、出版社は小林秀雄=「知の巨人」と宣伝しますが、「知の巨人」が天才と受け止めていた「青山学院」の存在が大きかったことが正子さんの書き物から十分に窺えます。ちなみに青山二郎は1901(明治34)年生まれ、小林秀雄は一歳年下で白洲二郎さんと同じ年。正子さんは1910(明治43)年生まれでした。「考えるヒント」は彼が50代後半から60代前半、所謂、油の乗り切った時のモノだと思います。皆さん、お元気で70歳後半から80歳後半まで、当時の方とすれば大変に長生きされたようです。正子さんは、1998(平成10)年にお亡くなりになりましたから、明治・大正・昭和・平成を生き抜かれたことになります。

 

ついでに僕が白洲正子さんを読むキッカケになった河合隼雄さんは、1928(昭和3)年生れ。彼らよりほぼ四半世紀若い世代です。『感謝、スピリッツを揺さぶってくれる方々に』(2017年12月31日)で登場して頂いた方々は概して僕の年代に近い同時代人ですが、その一世代、二世代上の方々も、結構、スピリッツを揺さぶってくれるものだと今さらながら感心しております。

 

古本屋回りは続いており、隠れ家の机の上には、河合さん、白洲さん、小林さん、遠藤(周作)さんの文庫本がゴロゴロしています。ちょっと傍には、1950年の同じ年生まれ、内田樹さんの本が「俺を読む順番は何時来るんやあ」と睨んでいるように思えます(表紙に樹さんらしいおっさんの似顔絵が書いてあるので)。

 

 

 

相変わらず能天気に「卒業時代」を楽しんでいます。退任の挨拶状を発送して以降、しばらく交流が途絶えていた方々から嬉しいお便りを頂きました。有難いことなので、少なくとも、この半年は何かのお誘いを頂いたら万難を排して参加すること、と固く心に誓いました(カミさんからは、”どうせ自分がお酒を飲みたいからでしょ”、と見透かされているようですが)。という訳で今は専ら旧交を暖めています。数か月から半年くらいで一段落したら、その次は、新しい出会いを見いだせる何かを探したいなあと思っています。

 

 

9月3日は僕の誕生日なのですが、長女のダンナが愛読書をドーンとプレゼントしてくれました。『蒼太の包丁、銀座・板前修業日記』本庄敬・画、末田雄一郎・作、平成15(2003)年9月から週刊漫画サンデーに掲載、平成25(2013)年3月まで連載。これを単行本にしたもので全41巻。読みだすと止まらなくなりますが、勿体ないので、チビリチビリと読んでいます。スラムダンクを二回目に読んだ時は、2泊3日ほどで全巻読みつくしました。これは一か月くらいかけて楽しむことが出来ればと大切に読んでいます。結構、泣けますよ。41巻ですが完結しているというのは良いことだと思います。評判が良いからと言って、ダラダラと連載を続けるものではなかろうと。ついでに、包丁は「庖丁」の方がそれらしくて良かろうと思いますが。いじわる爺さんです。

 

長女の旦那も料理大好き人間です。僕よりも数段上の本格派。僕が「追い回し」であれば彼は「焼き方」以上かな。彼が事も無げに作った角煮のレシピを口述してもらい記録してあります。以前、僕も何度か作ってみたのですが、その都度、固くなってしまい、まだ満足できるモノになっていません。そのうちにトロトロの角煮を作ってみたいものです。蒼太クンは角煮はつくらないだろうなあ。

 

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 画面が横になったままでスミマセン。何度か角度を変える技を使えたのですが、これはウマく出来なかったです。2018年9月6日、撮影。

 

 

 

蕎麦屋さん

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武相荘」に展示されている軽井沢ゴルフ倶楽部のTシャツと白洲次郎さんのゴルフメモ。ご自分が理事長をされていた軽井沢ゴルフ倶楽部では「リゾートで気取る必要な無い。倶楽部Tシャツでラウンドしてよし」とTシャツでのプレイを許可したそうです。Tシャツの背には直筆の「PLAY FAST」が印刷されている。「スコアばかり気にする人もいる。私などは如何にその夜の酒の味をよくするか、と云うことでやっている」とのコメントは全く同感。いい人だったんですねえ。撮影は2018年8月10日、武相荘にて。

 

 

茨城県にゴルフに行きました。"since1958”の歴史と伝統のある名門ゴルフ倶楽部です。コースコンディションも素晴らしくまさにチャンピオンコース。残念ながら次郎さんのような理解ある理事長さんではないからかドレスコードは結構うるさかった。男子半ズボンにはハイソックスの着用がmustとなっています。女子には適用されていないのが不可解。同伴のメンバーの方がマスター室に問い合わせしてくれましたが「ダメなものはダメ」という凛々しいお答しかありませんでした。

 

 

この日は、昔の商社時代に苦楽をともにした仲間との懇親会。お盆を過ぎて暑さも和らいだと思ったのが、またぶり返していたのが心配でした。幸いなことに曇り空、風もそこそこ気持ち良く、雷は全く無し、雨も瞬間だけ霧雨程度のお湿りと、この2か月の天気を考えるとほぼ最高の状態でした。

皆さん、それなりの腕前ながらも、懇親会の趣旨を弁えてか、はたまた、もともと次郎さん流の考えに近い方ばかりなのか、和気あいあいに徹しきったためかスコアはボロボロ。それでも”おにぎり”はそれなりの動きが出ましたが、勝者が終了後のかき氷をご馳走して丸く収まる程度の楽しい懇親ゴルフとなりました。帰路も倶楽部バスに乗車して常磐線の駅に。

 

東京・関東でのゴルフは往復に時間がかかるのが大変です。名古屋はゴルフ天国の一つだと思います。30分程度で行けるゴルフ場が何か所があるし、一時間かければ沢山のゴルフ場があります。それに比べて、東京・関東地方の広がり・大きさには改めて驚いてしまいます。神奈川の自宅から電車を乗り継ぎ、倶楽部バスを利用してこのゴルフ場に到着するのに2時間以上、3時間近くかかります。読み物をしていれば良さそうですが、普段あまり乗車しない線では乗り換え等々で間違いがないか、乗り過ごしたりしないかと心配になります。余り落ち着いて読書という感じではありません。

 

 

それでも帰りは皆さんと一緒ですから、あっという間に秋葉原の駅に。のんびり歩いて神田須田町にある老舗の蕎麦屋さんに予定通り6時に到着しました。「神田まつや」さん。ゴルフをしていないもう一人の仲間がちょっと前に席を取ってくれており、待つこともなく入口近くの席に座ることが出来ました。もうこの時間でお店はほぼ満員。海外の方々のグループもあちこちにいる様子。西洋人が慣れた手つきで音を立てて蕎麦を啜って食べているのも何やらヘンテコな感じがしないでもありませんが、日本食も本当にポピュラーになったものだと実感します。この「神田まつや」さんは「神田やぶ蕎麦」に並ぶ名店。もちろん、全部手打ちのおそば。つなぎには鶏卵を使用しているそうです。

 

 

モノの本によると「藪そば」というのは、もともとのお店が本当に藪の中にあった由。1750年ゴロに雑司ヶ谷鬼子母神近くの藪のなかに「藪の蕎麦切り」というお店が有り、現在あちこちにある「やぶ蕎麦」の元祖になるとか。ついでに江戸のそば屋は「二八そば」の看板を立てていたそうですが、この「二八」は、僕はそば粉とつなぎの小麦粉の配合割合と思っていましたが、そうではなくてお蕎麦の値段との説もあるそうです。それもちょっと捻ってあって九九の2x8=16文で食べられるという意味だったとか。当時、田舎から出てきた人はこの意味が理解出来ずにお店とひと悶着あったこともあるとか。京都にしても東京にしても自分が世界の中心にいるという気分が強くなると自分たちだけに通じる決め事をそれを知らない人にも押し付けることになっていたのでしょうねえ。

 

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文字通り自分が世界の中心にいると信じ込んでいるであろうお二人。人形遣いとその人形という見立てです。面白いというよりは最近の報道を見ていると何やら怖いですね。この写真記事にはコメント一切なし。日経新聞に掲載されていました。 撮影したのは2018年7月30日なので、7月の新聞であったと思います。本文とは全く関係ありませんが、痛く印象に残っていたので。

 

 

 

美味しいそば屋さんのお酒(=もちろん、日本酒です)は”安くて旨い”という定評があります。また酒の肴も旨い。酒飲みには堪りません。このお店も勿論そうでした。最近は味わいながらゆっくりと頂くことを漸く理解しつつあるのか、深酒することもなく気持ちの良いほろ酔い気分を楽しむことが出来ました。ただ一つ残念だったこと、だし巻き玉子がメニューにありませんでした。何故かしら?。そば屋さんには必須アイテムと信じていたのですが。

 

 

来月には、ほぼ同じメンバーで我々のホームグラウンドであった港区青山の本家やぶ蕎麦で懇親会をやる予定になっています。ここも「まつや」さんと同じく昔からのお店。そば屋さんは概してテーブルの席と席の間隔が狭く、椅子も”腰掛け”的なものが多い(立派なひじ掛けがついているような椅子ではない)。満員になると関係の無いお隣のグループの会話も耳に入ってくるように思いますが、どういう訳はあまりうるさいとは感じないで、心地よい喧騒のなかで飲食を楽しめるような気がします。古いお店の佇まいが上手く馴染んでそういう気配になっているのかと感じます。

とにかく、青山のやぶ蕎麦には”だし巻き玉子”は間違いなくあるのです。今から楽しみです。

 

 

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「有次」を使って。今年の夏はオクラ、厚揚げ、この写真では使っていませんが、油揚げ、ゴーヤに挑戦しました。2018年8月22日、料理と撮影。

油揚げ、厚揚げは親しい料理の師匠が得意の食材としていることに影響を受けて。それと料理研究家小林カツ代さんが「油揚げは日本のベーコンです」と書いていたのが大変に印象に残って。もともと大豆製品大好き人間だったのですが一層好きになりました。カツ代さんは2014年に76歳で亡くなられました。今でも沢山の本が本屋さんに並んでいます。僕も何冊か本を持っています。あまり料理の決め事をとやかく言わずに指導されているのが良いと思います。「誰もが料理できるようにしたい」と。「誰もが」というのは「女性の誰もが」ということではなくて「男も女も誰もが」という思いだそうです。

 

 

京都、送り火

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比叡山延暦寺、東塔地域にある「戒壇院」。江戸時代初期に再建された国の重要文化財。平たく言えば僧になるための戒律を受けるお堂。ボランテイアの方が詳しく東塔地域を案内・説明してくれました。根本中堂=総本堂は現在、改修工事中。平成28(2016)年から約10年かけての大改修とのことです。2018年8月16日撮影。

 

 

 

三年続けてドラゴン先生の京都のマンションに「大文字」送り火を見に行きました。今年二回目の参加となるウナル後輩がその日は夏休みを取得、自宅から車で行くので一緒に乗せてもらうことに。名古屋の隠れ家を早めに出発して、途中、比叡山延暦寺・東塔地域を散策、そのあと安部晴明神社に立ち寄ってから先生のマンションに夕方到着しました。心配された雨も無く、夜8時からの「大文字」の送り火を楽しむことが出来ました。例年通り、先生の娘さんご夫妻も参加、一息ついたところで食事は近くの洋食屋まで散歩がてら出かけることになりました。

 

この近辺を勝手知ったるドラゴン先生の指導のもと、繁盛しているお店のお客さんが一巡する時間を計って。狙い違わず、ちょうど席が空いたところで待つこともなく注文することが出来ました。昔懐かしい洋食屋さんです。オムライス、焼き飯、チキンカツ・デミグラソース、特性サラダ、あともう一品。大人五人とは言え、マンションで小料理、おつまみで結構出来上がっている割には注文しすぎではなかろうか。おまけにドラゴン先生は、このところ低糖質生活を実践しているとか。この注文はどう見ても炭水化物リッチである。さては糖質制限の反動が出たか。なんだかんだ言いながらも、娘さんご夫妻がまだ夕食を取られてなかったこともあり、それなりにお皿をキレイに片付けることが出来ました。

 

 久しぶりに爽やかな夜、また、ゆっくりとマンションに戻り、改めて乾杯。今までの反省の効果が出たものか今回はゆっくりと歓談、いろいろなお話を夜が更けるまで楽しむことが出来ました。三回目にして「送り火」の夜らしい時間をすごせたのかなと。翌朝、ウナル後輩は朝一番でお仕事に復帰、ドラゴン先生も名古屋にトンボ帰り、卒業生の僕はのんびりと予定の行動に入りました。

 

 

 

昨年、紹介してもらったイノダコーヒー本店に。すでに行列が出来ていましたが、これは想定通り。持参した本を読みながら”待つを楽しむ”。20分ほどで僕の順が来たので、昨年座ったお店の裏にあるベランダ席を所望。下の写真のテーブルが4-5席はあるゆったりしたスペースですが、行列が出来ていても席が満杯になるまでにはお客さんを入れない。まして相席なんか以ての外。お陰様ででノンビリと朝食を楽しむことが出来ました。

 

待っている時にふと気づきましたが、このお店では、順番待ちをしている観光客中心お客さんを尻目に、いかにも常連客らしい地元のおっさんが慣れた様子で勝手に入っていく。席も一見(イチゲン)さん席とは別にスペースを確保しているような。席待ちのお客さんも”京都とはこういうもんだろう”と納得しているのか誰も文句も言わずに静観している。一昔前の僕は大変にショートテンパーでしたから、こういう場面ではお店の人を捕まえてオオ声でクレームしていたと思います、「不公平である!」。何も文句を言わずに本を読んでいたというのは成長したということか其れとも単に年寄りになったということか。

 

地元のオッサンたちは気楽な普段着姿ながら何か垢抜けていて様になっている。結構大きな声で話ししているが、声が良いのか、はたまた、京都言葉のアクセントが良いからか、あまり耳障りにはならない。この風情も総合して『京都』ということなんですかね。

 

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イノダコーヒー本店。久しぶりに暑さも和らぎ、気持ち良くベランダ席を楽しめました。この席は喫煙が出来ます。僕はすっと以前にタバコは卒業しました。置いてある新聞を読み、持参した文庫本を30分ほど読み、次に行く処までの時間調整をさせてもらって店を出ました。店の人は嫌な顔一つしませんでした。2018年8月17日撮影。

 

 

知り合いの方が経営しているアクセサリーショップに行きました。カミさんと娘たちに気持ちだけのお土産を。知り合いの社長さんは、あいにくと不在。お託を残して店を出たらすぐに携帯に電話がかかってきました。「事前に連絡をしようかとも思ったが、ぶらり立ち寄りのサプライズということで」またの機会を楽しみに。

 

 

 

次が本日のメインイベント。錦小路の「有次」に行きました。2017年6月11日付けの『庖丁』を是非ご参照くださいませ。「有次と庖丁」の写真通りのお店。錦市場は朝から大勢の買い物客、それも外人観光客の方が多いかと。その中でも「有次」のお店は特に外人の方が沢山来ていました。『庖丁』で書いた通りですが、僕の料理の腕前は魚を捌くところまで達しておらず、今でも同じ状態が続いています。この腕前では、せいぜい三徳庖丁がお似合いと自覚はしているのですが、今回の京都行きでは是非「有次」のお店だけは覗いてみようと考えておりました。

 

恐る恐るお店に入ってぶらぶら見ておりました。大変な種類の庖丁が並んでいるなかに、何やら使いやすそうな庖丁も。これなら僕にでも普段使いが出来るのではと思わせるような。店員さんの親切な説明を聞いているうちに「かなり高価であるが今回買わねば多分これから買う機会は無かろう」と思うようになりました。自分で自分に言い聞かせていたのでしょう。よし!卒業記念の買い物にと覚悟してゲット。「有次と庖丁」の本に書いてあった通りですが、大変丁寧に使い方の説明をして頂き、その間に買った庖丁の裏に僕の銘を刻印してくれました。

 

 

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「歩く」。この日は京都の街中を10㎞以上散策しました。爽やかなお天気で久しぶりに気持ち良く汗をかきました。自分の影が面白くて撮影。2018年8月17日。

 

 

帰路、京都から名古屋まで新幹線を利用せず在来線に乗りました。二度乗り換え。金をかけずに時間をかけて。ノンビリ旅なので持参した本を読みながら帰ろうと。

今は、内田樹さんと河合隼雄さんを同時並行して乱読しております。樹さんの本はほぼ読み終えることが出来ました。たまたま「トリックスター」についての記載が両方の本に。”これは偶然、なにかの因縁?”か。「トリックスター」とか「メタファー」とかは村上春樹さんの専売特許のような印象がありましたが、昔から取り上げられていた概念なんですねえ。あまりピンと来ていませんでした。樹さんが「ブログという発信のツールが無かったら文筆家にはなっていなかった」との記載があり、奇才内田樹もツールのお陰というのは面白いなあと思いました。新幹線であれば40分くらいのところを2時間以上かけて名古屋に到着。卒業生、読書の在来線の旅というのもアリと思います。

 

 

隠れ家に帰り一息ついてから疲れた体をものともせず「有次」を使って料理。玩具を買ってもらった子供が早くそれで遊びたい心境か。といっても焼き飯をつくっただけです。野菜沢山、お肉少な目、ニンニクとショウガは必須食材。人参、ピーマン、玉ねぎ、にんにく、しょうがを切るのに「有次」を初めて使うのは申し訳ないのでは?、家庭菜園で収穫するのに大型のコンバインを繰り出すの如きかとも思いながら、使ってみて、その切れ味にビックリ仰天。今までの包丁はなんだったのか。『庖丁』でも書いた通りですが、そもそも野菜を切るのは一種の快感だと思いますが、これは当分病みつきになりそうな気配です。重量感、握った時のバランス。切れ味が鋭すぎて怖いくらい。ケガしない様に気をつけようっと。

 

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「平常一品 有次」。調理後は丁寧に洗い、即、水気を拭いて庖丁立てに。「有次と庖丁」に記載がありましたが、当主さんが「大げさに言えば、よい鋼の庖丁は人の性格をも一変させる。ずぼらな人が良い庖丁を使うことによって、お世話することが好きになる。そうすると道具が喜んで役に立ってくれるから、余計にまたお世話したくなる。」というのはナルホド当たっているなあと感じております。そのうちに庖丁研ぎを教わろうかしら。2018年8月17日撮影。

 

『武相荘』

 

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旧白洲邸の「武相荘」です。2018年8月10日撮影。 

昔は鶴川村と呼ばれていました。今は、東京都町田市能ケ谷という地名になっています。8月10日(金曜日)のお昼、珍しくカミさんも他に用事が無く、前から行ってみたいと思っていたこともあり、二人でブラリと訪問してきました。神奈川の僕の家から車で一走りのところです。もっとも16号線が平日でも渋滞してますから予想以上に時間はかかりました。

武相荘」という名前は武蔵と相模の境にあるところから付けられた名前ですが、そこは白洲次郎さんのこと。「ブアイソウ」と読ませ「不愛想」を掛けて喜んでいたそうです。

 

 

旧白洲邸というのは、白洲次郎さんと白洲正子さんが1943年(昭和18年)に引越しして以降ずっと住んでおられたお家のこと。当時で言えばド田舎の農村地帯にある、貧しいボロボロの茅葺きの農家です。次郎さんは、戦後、吉田茂に請われてGHQとの折衝に当たり、GHQから「唯一、従順ならざる日本人」との評価?を得た方。正子さんは樺山資紀の孫娘。能・骨董・執筆・経営の達人、安直な表現をすればマルチタレント・スーパーレデイ。僕のなかでは、お二人とも昔からイメージが定着していた方ですが、最近、改めて正子さんの方に興味を持っておりました。

 

 

河合隼雄さんの本を何冊か読んだのですが、とりあえずの最後に読んだ本が対談集。このおっさんは人と対談してオモロイことを見つけ出す名人かと思います。その対談の相手のお一人が白洲正子さん。「能面」で読売文学賞を受賞。他にも「明恵上人」「西行」等々多数の著書あり。河合隼雄さんとの接点も「明恵上人」が切っ掛けとなったそうです。その著書の中の一冊「白洲正子自伝」を例によって古本屋を徘徊している時にたまたま目に留まったので買ってきて読んでおりました。

 

 

この自伝は、1991年(平成3年)から1994年(平成6年)にかけての連載を同年1994年12月に単行本として刊行されたもの。正子さんは1910年生まれですから、81歳から84歳にかけて執筆されたことになります。自伝の構成は「祖父・樺山資紀」の話から始まり、最後は「西国33か所観音巡礼」=1964年(昭和39年)東京オリンピックの年=正子さん54歳の時、観音巡礼の取材の旅をした年のことまで。刊行時、彼女は84歳ですが、その時のあとがきには「人間同士は誤解によって繋がっているのはふつうのことだから・・・」と言いつつ「私に残っているのはただ感謝の念あるのみ。『韋駄天お正』の成れの果てとは、かくの如きものである」との締め括りの言葉。ちなみにご本人は1998年に88歳で他界されていますから、お亡くなりになる4年前のことになります。

 

 

全くの余談ですが、正子さんが「祖父・樺山資紀」を執筆している時、テレビで西郷隆盛を主人公にした『飛ぶが如く』をやっていたそうです。「今でも鹿児島県人にとって、セイゴドンが崇拝の的であるように、私の祖父や父も神さまのように思っていた。その神さまを相手に西南戦争で戦うハメにおちいったのは、祖父にとっては生涯の痛恨事であった」とのこと。いまのNHKは「セゴドン」で、確かに、馴染みがよい響きですが、幕末・明治モノの大河ドラマを見てこう言う感想を述べることが出来る方は年々減ってきてしまってることを痛感します。

 

 

河合隼雄さんとの対談でも紹介されていますが、交友の広さ・深さには本当に感心します。青山二郎さんとか小林秀雄さんとか。解説の方(車谷長吉と仰る方)の彼女に対する見方・この本の読み方が面白い。テーマ「何が正子を正子たらしめているのか」を紐解く糸口をこの本に求めています。僕が興味を持ったのも全く同じことでした。

今時、こんな人いないですよねえ。こんな生き方・考え方が出来る日本人が存在していたこと自体が驚きです。解説者の解析では、よく指摘される彼女の「めぐまれた環境」というのは物の数ではなく、①度胸、②公平な目、③近代を経験した速さ、④能の修行、⑤米国留学・他の海外経験、⑥古典の素養、⑦付き合い・交流の広さ・深さ、等々を指摘されてます。全てモットモ、なるほどなのですが、僕としては、やはり明治維新という革命を勝者として乗り越えた武士の心構え=それも薩摩隼人の血筋を引き継いで、かつ、大変に「恵まれた環境」に育ったことが両方合わさって「正子さんを正子さんたらしめている」と感じています。

 

 

ご夫妻は二男一女を得ておられますが、この「武相荘」を管理・運営されているのは長女の牧山桂子さんとその旦那さん。桂子さんは「白洲次郎・正子」夫妻についての沢山の著書を出されています。その中の一つ「白洲次郎・正子の夕餉」が僕の蔵書のなかにあるのです。恥ずかしながら、何時、何故、買ったものか(全く)覚えていない。多分、写真がキレイで料理も面白そうで、そして、器が立派なものだったからなのでしょう。今回、改めて見たら、やはり器がしっかりしているのに感心しました。また、グルメの極致のようなお二人が庶民の味を好んでいたことも良く理解出来て、それなりに親近感を持ちました。「普通のおでんでは物足りなくて、居酒屋で食べたことがある牛すじやソーセージをいれた邪道おでん。両親も喜んでたべていた」なんて書かれてあると嬉しくなります。このおでんの写真で使われていた鍋は、京都・有次の銅製おでん鍋でした。残念ながら、関西人には欠かせない粉モン系=たこ焼き、お好み焼き系の料理は載せられていませんでした。まあ、これは仕方がないか。勘弁してあげよう。

  

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「PLAY FIRST」。次郎さんは晩年までボルシェを乗り回し、軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長を務めたそうです。自分の信じた原則=プリンシプルには極めて忠実。このPLAY FIRSTもその一つでしょう。武相荘の一角にバー&ギャラリーがありますが、その名前が「PLAY FIRST」と命名されています。

 

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同じく武相荘のレストラン。コーナーのお酒のボトル等々の棚の横に、さり気無く昔風の照明スタンドが。ウエイトレスさんの説明では「次郎さんが自ら製作したもの」と。台所用品、ガーデニング用品等々、自分で製作するのがお好きであった由。誠に”スーパーおもろいご夫妻”だったと思います。ウエイトレスさんが「次郎さんは・・・」という言い方をするのが、大変に新鮮な、親しみのある印象を受けました。

 

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おまけの写真。朝ご飯をゆっくりとったので、ハウスサンドウィッチを二人で分けて食べました。結構ボリュームがありました。撮影は全て2018年8月10日、武相荘にて。

蛇足の言い訳;8月10日に発信しようと頑張ったのですが、機械が言うことを聞いてくれず。ようやく発信できそうです。引き続き宜しくです。