クルルのおじさん 料理を楽しむ

NHK俳句・佳作に取って頂きました

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東山公園ウオーキングコースを歩きました。曼珠沙華が何故か一輪だけ咲いていました。なかなかの風情。四連休最後の日です。東山動植物園の回りを大きく一周する散策コースが整備されています。東山一万歩コース。結構、高低差があり一気に歩くとよいトレーニングになります。以前に比べて園内の入場者も増えてきたようです。2020年9月22日、撮影。

 

 

9月のNHK俳句のことを書こうとしていたのですが、第三週の放送を見た後、本屋さんで10月号を買ったら、僕の句が佳作に掲載して頂いておりました。

 

   庭先の水引の白四十九日   孔瑠々

 

毎号、巻末に入選句と佳作の一覧が掲載されています。10月号には、8月に放送された兼題の入選句、それから、佳作が掲載されています。8月第一週の放送への投句は6月20日が締め切りですから、投句してから4か月近く経過していることになります。いつも買った後、自分が投句した兼題の欄は、さり気無く、それとはなしに・・・いやちがうなあ、ひょとしたら!?と期待に胸を膨らませて、でも、自分に対しては”別に期待している訳ではないでえ”と言い聞かせながら、更には”載ってなかっても別にショックとちゃうでえ”と言い訳しながら・・・ソワソワしながら見るのですが、そして、今までは、その予防線を張った通りに、ずっと落ち込んでいたのですが、今回は、自分の句を見つけることが出来てしまいました。僕にとっては二回目の快挙。やったあ!。自分の句が活字になっているというのは嬉しいものです。もちろん、早速に関係各位にはメールで自慢しまくりました。

  

 

小澤實さんが取ってくれました。小澤さんが取ってくれたというのは、やはり、嬉しいなあ。投句しない限り「水引の花」なんて季題で句を詠むことは有りえなかったでしょうから、季節外れの時期ながら与えられた宿題の季語を作句するというのも勉強になるものなんですねえ。改めて納得出来ました。

 

 

季題「水引の花」の8月放送のことを記載したブログを埋め込んでおきます。

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ちなみに、番組放送では、特選三句、入選六句、合計九句だけが紹介されます。今回、佳作の数をちゃんと数えてみると延べ4頁に亘り、計180句が掲載されていました。暇ですから、一人になって佳作に掲載されている180句全部を読んでみましたが、読むだけで30分はかかりました。途中、眠くなりました。投句は全部で何句届いているのか知りませんが、選句するのも大変なエネルギーかと感じました。選者というのは、大変なステータスだと思いますが、やはり、これも大変なお仕事だと思います。

 

 

この句を詠んだのは、6月上旬に長女の旦那のお母様がお亡くなりになり、ご葬儀に参列したあとのことでした。居酒屋ヒデさんのお母様です。隠れ家に戻ってから、生前のお母様が丁寧に手入れをされていた、ヒデさんの実家、長野のご自宅の庭を思い浮かべ、四十九日の法要をイメージして作った句でありました。佳作に取ってもらえて嬉しかったです。改めてご冥福お祈りしたいです。

 

 

小川軽舟さんが「俳句と暮らす」のなかで「平凡な日常をかけがえのない記憶として残す」云々と書かれていたのを思い出しました。自分の句ながら、今、読み返すと確かにその時の景色、情景がアリアリと思い出されます。”俳句の面白さ”をちょこっと実感出来た様にも思いました。 

 

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以下、9月のNHK俳句です。例によって、僕の備忘録として纏めています。お付き合い頂ければ嬉しいです。 

 

 

9月第一週です。司会は戸田菜穂さん、選者は小澤實さん。「令和の新星」のゲストは田中惣一郎さん。1991年生まれの方。兼題は「鰍(カジカ)」で、冒頭に田中さんの句が紹介されました。

 

   寸前の今の鰍ぞ消たりける(けたりける)  田中惣一郎

 

「消たりける」という言い回しにインパクトがありました。さらに、

 

   ひさかたのひらがなのひが落つるは花  田中惣一郎

 

小澤さんの解説では、「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ  紀友則」の名歌の本歌取り、”落花と「ひ」が重なる”、あえて古語を用い続けている田中さんの句を高く評価されていました。何やらクイズのような面白みもあり感心しました。今週の特選三句です。

 

三席   年上の少女に貢ぐ鰍かな

 

二席   尻あげて石もちあげぬ鰍突く

 

一席   突くヤスに鰍からみぬ鋭き歯みせ(ヤスは漢字)

 

特選には選ばれませんでしたが、僕が面白いと思った句です。

 

     少年の背は無防備や鰍突く

 

     鰍突く赤ふんどしの爺様と

 

「鰍」という題で、これほど広がりが出るものかと感心しました。番組では、秋川渓谷に田中さんが鰍を釣りに行き、その情景を句を詠むという企画がありましたが、やや(かなり)わざとらしかった様に思ってしまいました。

 

 

9月第二週です。司会は武井壮さん、選者は対馬康子さん。「こころを詠む」、今週のテーマは「海外の景色から」。対馬さんの主張は「自分の心の真実を見つけることが、俳句という短詩型の力によって可能である」、そして「その短詩型の力は、日本を離れても変わりはない。こころを詠むことに国境はないから」と。今週の兼題は「葡萄」です。冒頭の句です。

 

   天辺に噴火口据え葡萄熟る   中村和弘

 

テキストに掲載されていた句です。

 

   ミネルヴァのふくろうの眼して葡萄食ふ   有馬朗人(ありまあきと)

 

季語の面白いところでしょうか、「葡萄」という一言で確かに世界が広がる、何やら歴史を感じ、その景色が出てくるものだ、と思います。テキストに掲載されていた選者の句です。

 

   渤海の沖を見ている葡萄かな   康子

 

今週の特選三句です。

 

三席   種無しの芯に酸ある葡萄かな

 

二席   手の中に朝と夜あり黒葡萄

 

一席   貰いたる葡萄一粒ずつ旅路

 

今週のゲストは個性派俳優の加藤諒さん。司会の武井さんとは「俳句さく咲く」で3年間いっしょに俳句を勉強した仲とのこと。二人それぞれの海外詠を披露され、俳句五段飛ばしに挑戦されていました。省略します。

 

対馬さんの評のなかで「ただの感想俳句ではなくて、そこに、生活感、社会感が切り取られて(表現されているので、良い句になっている)」とコメントがありました。単純に気持ちを表現するだけでは、まだまだ面白みに欠けるとの指摘なんでしょうね。俳句は奥が深いモノであることよ。

 

 

第三週は、司会、岸本葉子さん。選者は、西村和子さん。ゲストは俳優、映画監督の奥田瑛二さん。奥田さんは俳句歴30年、「寂明」というなにやら由緒ありげな俳号をお持ちです。今週の兼題は「蟷螂(かまきり)」。さっそくに奥田さんの句が披露されました。

 

  かまきりや喰んで始末の明日をみる   瑛二

 

”カマキリのオスとメスの凄まじいばかりの生き様を詠んだ”とトクトクと語っていました。もう少し寡黙なオッサンかと思っていましたが、予想に反しました。句の披露はご本人が記載した色紙を見せて行いますが、この時の奥田さんの色紙は字のバランス、書体ともに素晴らしいものでした。床の間に飾ることが出来そうな。この方の書のセンスを感じます。

 

「ようこそ句会へ」は、点盛りの結果が出た後の「合評」です。合評句会というやり方では、自分が選んだ句について理由、意見を述べることになっている由。この時に「選句眼」が育つと。「披講が終われば指導者の講評を聴いていればよい、という句会とは違い、合評句会は緊張の連続」とのことです。今回は、合評句会の練習ということで、岸本さん、奥田さんがそれぞれ「天」「知」「人」カードを手にして、西村さんが選んた入選9句を選句していました。選んだ理由、そして、選ばなかった理由をコメントし合いながらのミニ句会となりました。西村さんが選んだ特選三句です。

 

三席  賢者にも愚者にも怒りいぼむしり

 

二席  蟷螂の雄の定めを目の当たり

 

一席  蟷螂の押さえて何か動くもの

 

三席の「怒り」をどう読むか、岸本さんが西村先生に質問していましたが、この時の説明が面白かった。「どう解釈しても良いのです。作者の意図はどちらでも良いのです。自分が見出した長所を強調しましょう。読み手によって作者さえも意識していなかった長所が見出されたり、想像の世界を発見したり、それが合評の面白いところです」。そういうものなんですねえ。特選には選ばれませんでしたが、僕が面白いなあ、と思った句です。岸本さんが「天」に取っていました。

 

    かまきりのゐてシーソーをあきらめる

  

 

第四週は、「俳句さく咲く」。先生は櫂美知子さん、生徒さんが四名。レギュラーの桜井紗季さんが欠席、代わりに同じグループ(東京パフォーマンスドール)の上西星来さんが登場。上西さんは以前3年間、この番組で俳句を勉強した由。九月の宿題の季語は、「爽やか」「月」「秋の水」「秋の灯」「秋祭」「蜻蛉(とんぼ)」「葡萄」それと自由。この宿題は視聴者には事前に開示されていませんが、練習になるでしょうから、兼題とは別に開示してもよさそうに思います。相変わらず、櫂先生は厳しい指導。生徒さんの句には”季重なり”で注意されているのが多く見られます。確かに”この世は季語だらけ”。「秋の灯」という季語の説明では、これは夕方から夜=暗い~闇の中、を意味している季語であるから、その句のなかに「”闇”とか”暗い””黒”という言葉を入れるのは意味がない、季語を理解していない証拠」と鋭い指摘がされていました。「葡萄」の句は、生徒さんがそれぞれ頑張って作っていましたが、第二週の兼題「葡萄」の入選句と比べるとかなりの力量の差があったように感じました。何事も比較すると分かり易いのかも知れません。

 

今週のテーマは「切れ字『や』を試したい」。「かな」と同じく感嘆、強調する言葉ですが、「かな」がもっぱら下五に使うのに対して「や」は上五に使う、そして、景色・情景を転換させる使い方を説明されていました。「かな」の時にも解説がありましたが、切れ字は原則一句に一つだけ使う。焦点を絞る!。なるほど。櫂先生の句です。

 

   稲妻や箒に残る母の癖   櫂美知子

 

これイイ句ですね。味わいがあると感じました。

生徒さんの「ミニ句会」の兼題は「秋の声」。特選に選ばれたのは、代打出演の上西さんの句です。

 

   白線の轍ぼんやり秋の声   上西星来

 

先生も他の生徒さんも”運動会、運動場の景色を詠んだもの”と解釈していましたが、本人は”歩道の白線を詠んだもの”とのことでした。これも、第三週の西村さんが説明していた通り「どう解釈しても良い」ことの良い例になりそうです。上西さんは、宿題でも最高点、ミニ句会でも特選、と三年間の勉強の実力、先輩ぶりを発揮していました。

 

投句の兼題は「玉蜀黍(とうもろこし)」。大賞に選ばれたのは、

 

   唐黍や飛行機雲の行く先は

 

投句の方は、八王子市立の中学校となっていました。中学生の方なのですかね。素晴らしい。入選句の中で、僕が面白いと思った句です。

 

   この先に家ありますと玉蜀黍

 

各号の巻末に掲載される佳作の数ですが、第四週だけは、延べ3頁、134句でした。番組のなかで生徒さんの指導を行っているし、投句を講評する時間も無い程のてんこ盛りの授業ですから、先生の大変さを勘案して佳作の数を少なくしているのかも知れませんね。

 

 

おまけの句です。

 

   萩のはな雑草押しのけ陣ひろげ   孔瑠々

 

   秋の青思わずマスクを取り外し   孔瑠々

   

  

 おまけの料理です。

 

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バーミキュラ鍋、ローストポークに挑戦しました。たまに立ち寄る街の肉屋さんで、安くて美味しそうな塊があったので。人参を加えた方が彩りが良かったかな。盛り付け、下手ですねえ、反省です。ソースに工夫の余地ありでした。次回は、ローストビーフをトライしてみようかと思っています。 9月26日、料理と撮影。

 

  

食欲の秋、読書の秋。一年で一番気持ちの良い季節になって来ました。今年は(も)夏が暑かったから、秋の爽やかさを余計に感じることが出来ています。日本の四季は有難いものですねえ。まだまだコロナに油断することなく十分に注意して「凌いで」いきたいものです。皆さま方もご自愛下さいませ。

 

  

9月中旬の日常

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久しぶりに平和公園を歩きました。約一時間半。それでも汗びっしょりとはなりませんでした。朝、それから夕方は風が涼しくなってきています。歩いていて気持ち良い。秋の気配ですね。TVの天気ニュースでは、名古屋は最低気温が20℃を下回ったとか。

  

9月15日の平和公園の写真です。携帯で撮った写真ですが、夕暮れ時の名古屋市千種区の”秋”の気配を上手く撮れたかと。

左;いつもの散歩コースです。パンパスグラスは秋に似合います(偉そうなことを言ってますが、かつては名前を知りませんでした)。

中;平和公園の入り口すぐ近くに千種区の体育館があります。年寄りは格安の料金で利用できますが、この半年は利用していません。

右;東山動物園のスカイタワー。ここの最上階にあるレストラン、お子様ランチはお値打ちです。

  

昨年のブログです。全くの偶然でしたが、同じく9月15日に撮影していました。”ススキ?”なんて書いてましたね。

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最近、過去の記事を載せることが多くなっています。年寄りの懐古趣味ですかね?。

昨年のこの時期は、鯱城学園の二学期とか路上を歩くカメの写真とかお弁当の写真とか、そして小雪ちゃんがウリをポリポリ食べてくれたとか、話題が豊富でした。やはり、コロナ禍は日常を変えていますね。ちなみにコユちゃんはウリ大好きになった後、メロン大好きになってしまったそうです。やっぱ、ウリはメロンの甘さには勝てないか。これはコロナ禍とは関係なさそうです。

 

 

9月12日(土)は、古稀を迎えての最初のピアノのレッスンでした。ショックな出来事がありました。ナント開始時間を一時間、間違えました。土曜日はほぼ毎回、午後一時からのレッスンにしてもらっているので、時間を勘違いしたという訳では無い。いつも通りに早めに昼食を取り、出発の準備を整えた後、どういう訳か”まだ時間がある、もう少し練習してから行こう”と思ってしまったようです。結構、集中して練習ができたように思います。”よし、今日はレッスン頑張るぞ”とやや気負って出発。自分では予定通りの時間に到着したつもりで「こんにちは!よろしくお願いしまーす」と挨拶したところ、先生が驚いた顔をして「xxさん、今日のレッスンはいつも通り1時の約束でしたよね」と。自分ではその通りだと思っていたので”先生、何を言っているのかしら”と思ったのですが、時計を見るとナント2時まえです。古稀にしてボケが出たのか、時間が一時間ワープしたのか、動揺の極みでした。平常心を取り戻すのに時間がかかってしまいレッスンは散々でした。先生は「事故を心配したが無事で何より」と優しく慰めてくれました。マンションを出発する前の練習に集中し過ぎて1時間、時間が飛んだ!?としか考えようがありません。昔から試験の前の一夜漬けは集中して出来ていたように思います(関係ないかな)。そして、これは間違いなくコロナ禍は関係ないことだと思っています。

 

 

ピアノのレッスンで、かつて失敗したことを思いだしてしまいました。最初の先生との最初のレッスンの日。その前にご挨拶(面接かな?)に伺った時は車で行きましたので、歩いて行くのはこの日が初めてでした。地図で見る限り分かりやすい場所。よく散歩で歩いていた道の一本西側の道に沿ったところが先生のピアノ教室。

名古屋では珍しく5㎝ほどの雪が降った日です。日が暮れて、道路にはまだ雪が残っていました。自分がよく知っている散歩コースからピアノ教室方面の道に向かおうとした時、随分と起伏が激しく、道が細かく入り組んでいることに気づいて驚きました。積雪で足場が悪い中、エイヤッで進んで行きましたが、簡単だと思っていた道が迷路のように。道に迷った時は元のポイントに戻るのが鉄則ですから、そうしようと思ったのですが戻っているつもりが更に分からない景色のところに出てしまいました。レッスンの時間も迫ってきています。電話して遅れるかも知れないことを伝えようと思ったのですが、携帯に先生の電話をまだ登録していません。これはヤバい、万事休す(窮す)。

 

その時、交差点にパトカーが止まっているのが目に入りました。積雪でのトラブル・事故の警戒をしていたものと思います。藁にもすがる思い!。”先生のお宅は小学校の体育館の裏手”ということだけは覚えていましたので、行き方を教えて!と。僕の焦り様が尋常では無かったのか、パニクッているオッサンに説明するのが邪魔くさいと思ったのか、はたまた、大変に親切なお巡りさんであったのか、一言「送ってあげますよ」と。ピアノ教室の玄関門の前までパトカーを横付けしてくれました(サイレンは無しでした)。先生も家の方も気づきはしなかったと思いますが、先生にお話ししたら、もう大笑い。涙を流さんばかりの大笑い。地下鉄の駅からこんなに分かり易い道順なのにそれを迷ったというのが理解出来ない様子でした。そりゃそうでしょう。レッスンどころではないレッスン初日でした。2014年1月29日が僕のピアノ記念日(生徒になることを了承してもらった日)で、この事件?は翌週の2014年2月8日のことでした。爾来、今年の3月末まで楽しくレッスンを指導頂き、今の先生に引き継いで頂きました。感謝ですね。二回目のピアノ記念日は、2020年4月3日です。早いものでもう半年近くになっています。

 

教訓;地図では高低差は読めません。特に名古屋では大きい道から外れると大変な高低差に出会う場所が結構あります。侮ることの無いように。・・・もっとも、今は、グーグルマップとか利用できるからこんなバカなトラブルは起こらないかな。

  

 

なんの脈絡もありませんが、9月12日(土)にはテニスの全米オープン大坂なおみ選手が優勝しました。2018年の全米、2019年の全豪に続くグランドスラム(四大大会)三度目の勝利、快挙ですね。まだ22歳です。日経新聞の解説では、昨年末からベルギー人の有名なコーチについており「ポジテイブな態度が大切」で「大事な場面では自分に集中すること」に取り組んだそうです。シャラポワ選手のフィットネスコーチを務めたこともある日本人のコーチもチームに加わり「あまり言わなかったけど、4月からは真剣に練習をしていた」と笑いながらの本人のコメントです。相変わらず愛嬌たっぷりです。

 

今回は、テニスそのものでは無くて、黒人差別の被害者の名前が入った黒いマスクを着用して試合に臨んでいたことも大変な話題になっていました。一回戦から着用して決勝までの試合数と同じ7枚を用意して、約束通りに全てを披露したと。全米オープンの前哨戦では、黒人への銃撃事件に抗議するため試合を棄権することを発表。「今はテニスの試合よりも皆がもっと考えないといけない大切なことがある」旨コメントしていました。プロのスポーツ選手がケガ以外で棄権を表明するのはなかなか出来ないことだと思います。彼女の行動に対しては賛否両論、イロイロな意見・報道がされていますが、本人が責任をもってやっていることは立派なことだと感じます(この前哨戦は主催者側が日程調整して、大坂選手は準決勝を勝ち上がったのですが、結局は負傷のため決勝を棄権したそうです)。

   

以前、なおみ選手のことを記載したブログです。 

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今回、国籍の話はあまり話題になっていなかった(?)様ですが、大坂選手は、2019年10月の22歳の誕生日の時に「日本国籍」を選択したそうです。2020年、東京オリンピックのが延期になったのは残念でしょうね。

 

   全米に七枚のマスク九月かな   孔瑠々

 

  

 

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久しぶりに日向の平兵衛酢(=HEBESU=へべす)が届きました。これは優れものです。料理には何にでも使えます。特に、鍋に良し。更には、焼酎のロックに果汁をたっぷりと入れるのが良し。香り、風味がアップします。イモ焼酎が高級アルコールに変身。何回もこのブログに記載しましたが、また埋め込みしておきます(ホントに昔の記事のリファーが多いなあ)。 最初のピアノの先生と今のピアノの先生のお宅にお裾分けしました。2020年9月16日、撮影。

 

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名古屋の隠れ家に植えた苗木が大きく育っています。まだ実を付けるには至っていません。もうあと1~2年はかかるのかなあ。2020年9月18日、撮影。

 

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左;平兵衛酢が成長しています。

右;仲間からもらった丁字草です。 これも根ずいてくれたように思いますが・・・。

 

 

おまけのバーミキュラ鍋料理です。

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左;豚の角煮。半熟卵は別途に同じくバーミキュラ鍋で調理。角煮を調理した後に、火を消してから加えた。見栄え、盛り付けがダメですが、角煮は冷えてからもトロトロの柔らい旨いモノが出来ました。全てレシピ通りです。師匠のヒデさんに恩返し出来そう。9月11日、料理と撮影。

右;野菜の蒸し焼き。ひたすら弱火で。油揚げと豆を加えて。野菜はホントに美味しいです。 9月13日、料理と撮影。

 

 

今回はこの辺で。徒然なるままに9月の日常と失敗話でした。コロナ騒ぎ、少しは落ち着いてきているように思いますが、引き続き、ご自愛のほど。

コキとなりブログは開始5年目に

 

 ブログ開始してから5年目に入りました。二年目の時には、「誕生日ベースで『足掛け三年』になりました」なんて能天気な記事を書いて一人で喜んでいたことを思い出します。懐かしくもあり、かなり恥ずかしい気がしますが、改めて、自分が書いたものを残しておくことが出来て、それを気が向いた時に気楽に読み返すことが出来る、というのは面白い仕組みだと感心しています。場を提供してくれている「はてなブログ」さん、それから、一番最初に初期設定を全てやってくれたエキプロさん、および、ご子息(ご長男)に感謝です。

 

 

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『足掛け三年』の意味は、ブログに最初の記事を掲載したのが2016年9月2日で、僕の誕生日が9月3日、この『足掛け三年』の記事は2017年9月7日だから、というだけのことなのですが(詳細は、上の記事をご参照下さい)、誕生日にからむ日に開始したというのが大変に面白く感じています。今となっては、わざと誕生日の前日に掲載を開始したものやら、偶然だったのか定かではなくなっています。自分の記憶がホントにいい加減なものになってきていると実感します。

  

 

昨年の記事を読み返すと、(昨年の)誕生日前後には、家族内で”古稀のお祝いはどうするか、何時やるものか?でイロイロと盛り上がっていたのを思い出します。”数え年でやるのが本来のやり方である”とか”今の時代は、全て、満年齢でやるのが分かり易い”とか、いろいろな意見が飛び交いましたが、カミさんの一言で”満年齢でやりましょう”ということになったことでした。

 

 

コロナ禍での生活がずっと続いているからなのでしょう。8月末には、神奈川の留守宅に帰ってのんびりゴロゴロしておったのですが、”家族集まって会食しよう”とか”近場でよいから家族揃ってお泊りに行こう”とかの発想は全く頭の片隅にも浮かんできませんでした。コロナ禍での日常生活に慣れ過ぎてしまったのか、コロナに洗脳されてしまったのか、怖いような気がします。

 

 

誕生日の朝、子供たちからラインでメッセージを頂戴しました。また、孫の動画も沢山、添付してくれました。みんな、それぞれ元気に踊ってくれたり、大きな声で「xxxさん、お誕生日、おめでとう!」と言ってくれたり(うちの家では相変わらず、孫達からは”おじいちゃん”、”おばあちゃん”とは呼ばないで、それぞれファーストネームで呼んでもらっています)。カミさんと二人だけの誕生日でしたが、それこそ”リモート”でお祝いをしてもらって大変に嬉しかったです。

 

 

『おばあちゃんとは呼ばせない』、これも懐かしい記事です。

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来年は、のんびり気楽に安心して家族旅行に行ける状態に戻っていることでしょうかね。この状態が続くと、ホントに今の変則的な生活のパターンが体に染みついてしまうかもしれませんね。新しい日常、というものをもっと真剣に考えなきゃあまずいのかしら、と改めて感じました。

 

 

新くんの誕生日は9月1日。僕と二日違いということもあり、8月29日に留守宅でのんびりしていたら、居酒屋ヒデさんから「ちょっと(誕生日には)前ですが、プレ誕生会はいかがですか」とお誘いを頂きました。カミさんと二人で新くんの誕生日プレゼントを見繕って居酒屋ヒデさんマンションに。

 

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この日の居酒屋ヒデさんのお料理です。左から、トマトのニンニクたれ和え、アボガドとクリームチーズのワサビ醤油和え、長いお皿は、カツオのニンニク生姜醤油漬けと鯛の昆布締め、丸いお皿が鶏モモ酒蒸し・ネギと水菜添え、生ハムの胡椒とオリーブオイル和え、焼きナス・花椒たれ。ビール、白ワイン、麦焼酎の炭酸割で頂きました。2020年8月29日、撮影。

 

この日には、子供達から誕生日のお祝いということで、長女が代表して、僕の大好きな日本酒を準備してプレゼントしてくれました(実際は、ヒデさんが見繕ってくれた様子)。また、「メインの贈り物は名古屋の隠れ家の方に配達されるように手配した」と嬉しいことを言ってくれました。
 

 

 

 隠れ家に戻った日の夜に、子供達からの誕生日祝いを受け取りました。

バーミキュラ鍋」。

”素材本来の味を引き出す、無水調理が可能、メードインジャパンの圧倒的な技術力!”。名古屋市に本社がある愛知ドビーという会社が開発した「目指したのは世界一、素材本来の味を引き出す鍋」(以上、添付の説明書、会社のHPからの抜粋)です。メードインジャパンどころかメードインナゴヤや!。それだけでも愛着が湧きました。これも、料理が得意なヒデさんが見繕って手配してくれた由です。みんなに感謝、感謝です。

 

 

隠れ家で早速に鍋を使いました。説明書に書いてあるレシピを順番に。 

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右;第一作、無水カレー。中;第二作、ミネストローネ。左;第三作、ポトフ。

 

第一作の無水カレーは水分が出る野菜をあまり加えなかったからか、かなり、コテコテになってしまいました。ワインか水を加えればよかったか、説明書にある通り「弱火」をもっと徹底すればよかったかと反省です。それでも味は美味しかったです。第二作、第三作は大成功。野菜がホントに美味しい。たまたま名古屋に来ていた長男にカレーの残りとミネストローネを強制試食してもらいました。「美味しい!」と絶賛して喜んで食べてくれました(そりゃ、そう言うだろうよ)。2020年9月3、4、6日、料理と撮影。無水カレーは必ずリベンジしたいと思っています。

 

 

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バーミキュラ鍋です。蓋に名前が刻印されているのです。名前フルスペル、ピリオド、苗字イニシャル、そして「70」と。記念の品です。2020年9月6日、撮影。

キャッチコピーに「使えば料理が楽しくなる」と記載されていますが、まさにその通り。これで、隠れ家の台所には、中華鍋「戦艦大和」、「有次の庖丁」、に加え「バーミキュラ鍋」が揃いました。腕を磨いて使いこなしたい。

 

ちなみに、「バーミキュラ」という名前は、鋳物の特殊材質である「コンパクテッド・バーミキュラ」に由来するそうです。このバーミキュラ鋳鉄は、熱伝導に優れて、かつ強度も高い、鋳物鍋にとって最高の材質とか。この材質が製品開発成功のキーポイントであったことから「バーミキュラ」と名付けたと(これも添付の説明書から)。 

 

前々回、記載した通り、長男は来年4月から名古屋に来ることになっていますが、それまでには、この新兵器を使いこなしてコユちゃんに僕の自慢の料理を食べさせたいものです。

 

 

古稀の一句です。

 

    古稀となりバーミキュラ鍋葉月かな   孔瑠々

 

 

今回の長男の名古屋訪問は、来年4月のコユちゃんの幼稚園・保育園の説明会に参加するため。台風10号が接近しつつあるので、もともと日帰りの予定を前日の夜に来て隠れ家に一泊(当日に新幹線が遅れると大変だから)。翌日に説明会に参加した後(二人で名古屋の駅で昼食をとりましたが)長男は急いで東京に帰っていきました。

 

 

その日の夜、僕はピアノのレッスンです。今の先生にはこの4月からレッスンをして頂いています。以前の先生(最初の先生)がレッスンの引継ぎを頼んでくれて、引き受けて頂き教えてもらっています。ご自宅でピアノ演奏会を続けられています。以前の先生の縁で僕も何度かはこのピアノ演奏会(ピアノサロン・心音といいます)を聴きに伺ったりしていたので、よく存じていたのですが、ピアノ会で演奏を気楽に聴く立場と生徒としてレッスンを受ける立場では大違い。もともとピアノに対する真剣度が高く、妥協を許さないようなスタイルであろうことは感じておりましたが、実際にレッスンを受けてみると、予想以上に熱血レッスンでした。レッスンは一時間なのですが、気が着いたら2時間近くやっていたということもザラにあります。有難い限りです。

 

 

開示するのは恥ずかしいのですが、今、僕はアンドレ・ギャニオンの「めぐり逢い」を練習しています。僕の稚拙なレベルでは、譜面の音符の通りに左右両方の指でチャンと鍵盤を弾くことが出来るかどうかに全精力のほぼ100%の注意が必要なのです。抑揚を付けたり、強弱・メリハリを付けたり、作曲者の想いを汲み取って表現するなんぞ、至難の業。先生が弾くと僕の音では音が違う、同じ曲でも似て非なるものに聴こえる。ああ、これは感性の乏しさか、センスのなさか、と落ち込むときが多々ありますが、そこはそれ、ストレスを楽しく出来る楽観的な性格が幸いし、かつ、先生の旦那さんを味方につけて、楽しくレッスンを続けさせて頂いております。

 

 

はい、楽しくレッスンを続けられている一つの大きな要因が旦那サンの存在です。この日、レッスンのあと部屋の気配をサロンに変え、僕の誕生日祝いをしてくれました(定例のピアノ演奏会の時にも、最終回の終了後の打ち上げ時には、ワイン・お茶で歓談する時間を大切にされています)。そして、この旦那サンは独力でピアノを練習中。いつぞやの”漁師のおじさんがフジコフェミングを弾く”状況と似ているかも知れません。奥さんはピアノの先生で演奏家。旦那サンご本人は全くの初心者、そして、あまり奥さん先生の指導を素直に受けないタイプ(漁師さんではありません、念のため)。旦那サンは今、毎日、ビートルズの「イエスタデイ」に挑戦中で、時間の許す時には、続けて2-3時間以上、平気で集中して練習するそうですから、僕よりも数段上のレベルですね。

 

この日も、ビールとワインを頂きながら、奥さま(もうこの時は先生から奥さまに変身しています)が料理を出すために席を外している時に、奥さま先生の熱血指導振りを話題に(酒のつまみに)。”ピアノを教える時には人格が変わったようになっていると思う”と、お互いの共通認識です。そして、”レベルの高いこと、難しいことを平気で要求する”。僕が奥さま先生の指導についていけないことを溢すと”お互いセンスが無いのかなあ”と慰めあったり。生徒の僕をホッとさせてくれる優しい存在です。

 

 

おまけの古稀の句です。

 

     古稀となりピアノが響く九月かな   孔瑠々

 

 

台風10号が、9月6日から7日に沖縄、奄美、九州に猛威を振るいました。名古屋でも、7日の未明・早朝から激しい風雨、出勤時は一旦収まり、曇りから晴れ間が見える程でしたが、途中で再度、激しい雨になりました。空を見上げると、晴れているところ、曇っているところ、多分、豪雨であろうところがはっきり区分して見て取れます。お昼に珍しく外出しましたが、車のワイパーが機能しなくなるのではと心配するほどの豪雨。昔、マレーシア・シンガポール時代のスコールを思い出しました。雨の境目、境界が目で分かる景色でした。日本も間違いなく亜熱帯・熱帯化していると実感します。お天気が不安定化しているのも「新しい日常」と考えて対応しないとダメなようです。

 

 

皆さま方くれぐれもご自愛くださいます様に。 今回は「バーミキュラ鍋」とピアノレッスンのお話でした。このブログもまだ当分は続けていきたいと考えております。引き続き、よろしくお付き合い下さいませ。

 

 

猛暑日が続く8月、NHK俳句

 

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鯱城学園・園芸科の農園にナスの収穫と山芋の水遣りに行きました。学園は本年度は来年の春までの休校が決定されましたが、畑の作物はコロナ騒ぎに関係なく育ってくれています。先生方のご尽力に感謝。生徒も各班でローテーションを組んで水遣りに行っています。野菜に水遣り、自分たちも十分に水分補給を注意しながらやっています。2020年8月23日、撮影。

 

 

暦の上では立秋を過ぎると季節は秋=秋の気配が立ち始める、とされていますが、お盆を過ぎても暑いですね。それも半端な暑さでない、猛暑日が続いています。日差しがホントに強いです。僕の隠れ家から最寄りの駅にはなだらかな下り坂です。のんびり歩けば15分程度の楽な道のり。夏は、普段の生活では、何時も半パン、ポロシャツ・Tシャツ姿で過ごしておりますが、会社に行くときだけは、ワイシャツにスラックススタイルです。上着は着ないし、持って歩くこともしてません。クールビズが定着したお陰でもちろんネクタイは無し。気楽な涼しそうなカッコウなのですが、今年の夏はこれでも暑い。週に2回ほどは顧問をしている会社に出社するのですが、ワイシャツ・ズボン姿には暑さが応えます。

 

朝から日差しが強い時には、日傘を使うことにしました。と言っても普通の折り畳みの傘を差すだけですが。随分と頭、背中の暑さが和らぎます。

日傘を差していないでオフィス街を歩く時には、ビルの影、街路樹の影がホントに助かりますねえ。何も遮るモノが無い時、電線の何本かの細い影さえ直射日光を遮ってくれそうに感じます。それほど日差しが強い。

 

帰りは駅からなだらかな上り坂になります。なだらかとは言え、約15分の上り。夕方でもまだまだ暑いので、汗びっしょりになります。隠れ家のドアを開ける時には、汗が滴り落ちている状態。部屋のなかは温室状態。ベランダへの窓を開けて同時にエアコンもオンにしてお風呂に一直線。シャワーの温度調節を青線(水のところ)にしても出てくるのはお湯。しばらく出しっぱなしにしておくと漸く水らしいものが出てくる。頭からシャワーを浴びて、文字通りクールダウン。コロナ対策も兼ねて丁寧に石鹸で手、顔、体を洗い、うがいを十二分にやっています。

 

最近は夜もエアコンをオンにして寝るのが当たり前になりました。熱中症対策として推奨されているし、こんなに暑くてはエアコン無しに寝ることは出来ない。しかし、コロナ騒ぎもあって、一日中、家に籠りエアコンの中で生活していることが体に良かろうはずは無い。一日に一回は、びっしょりと汗をかくのはキット健康に良いことだと信じております。当初から、駅からの上り坂を一気に歩き切ることが出来なくなる時は、隠れ家生活をギブアップするタイミングであろうと思っていましたが、今はこの距離が体力維持に役立ってくれていると実感しております(シンドイですけど)。

 

僕のカミさんのお母さんは、今年の10月で97歳になりますが、まだまだ元気です。コロナ騒ぎで外出を控えざるを得ない生活になっていますが、一日一回は自宅の屋上に出て15分ほどは日光浴を兼ねた散歩を続けていると。ちゃんと帽子を被り、手すりにつかまって安全を確保しながら、ゆっくりと自分のペースで歩いている由。これが健康の秘訣かと感心しています。これからも見習いたいものです。なお、おばあちゃんが散歩している時は家族の誰かが見守っていますので、ご安心ください。

 

 

さて、猛暑日の最中、季節は秋のNHK俳句です。僕の備忘録として書いています。お付き合い頂ければ嬉しいです。

 

 

8月第一週、選者は小澤實さん。司会は戸田菜穂さん。今月のゲスト=「令和の新星」は村上鞆彦(ともひこ)さん。若くして「南風」の主宰を務められている方。今週の兼題は「水引の花」ですが、小澤さんが選んだ村上さんの句、

 

   みづひきの花の一粒づつ空へ   村上鞆彦

 

対談のなかで、小澤さんが”(自分は)時には空想も交えて作句する”と話しを振ったのに対して、村上さんは「自分は、実際にモノを見て、顔を近づけてしっかりと見て作る句風」であると。テキストのこの句に対する解説には「視線が動いて、句に動きが生まれている‐‐‐なかなか成功しがたい植物の季語を用いた一物俳句を成り立たせている」と評されていました。なるほど。

村上さんの句をもう一句、

 

   振り消してマッチの匂う秋の雨   村上鞆彦

 

これは昭和世代の僕たちにはしっくりと納得出来る句かと。句の情景が膨らむように感じます。但し、時代が移ってマッチで火をつけることが無くなりつつある世代の方がこれを読んだ時、何のこっちゃ、と思うのではないかと心配になりますが。村上さんは1979年生れ、小澤さんとは二回りほどの年の差=親子のようなものですね。小澤さんが相変わらずフェアに後輩をリードする姿、後輩を盛り立てようとしている話し方に好感が持てます。

 

兼題「水引の花」の特選三句です。「水引の花」なんて題を句に読むのは難しいなあと思っていましたが、面白い句が沢山寄せられていました。なんとレベルが高いことか。

 

三席   水引の花やモンクの弾くピアノ

 

二席   水引草臨月の子の来ておりし

 

一席   水引草サドルの凹みにゅうと消ゆ

 

特選には選ばれませんでしたが、面白いと思った句、

 

     水引やひとりぼっちのけんけんぱ

 

 

第二週は、対馬康子さんが選者。司会は武井荘さん。ゲストにソロヴォーカリスト姿月あさとさん。あさとさんはかつて宝塚「宙組」のトップスターであった方だそうです。面白かったのは、対馬さんがあさとさんの大のフアン。番組の中でも興奮した面持ちで「(憧れの方と対面して)動機が止まらない」状態であると。司会の武井さんから「顔が赤くなっているよう」と冷やかされていました。あさとさんの駆け出しのころからのビデオを何度も見たほどの入れ込みようであった由。今でいう「追っかけ」以上の熱心なフアンですね。更に、対馬さんの句集のなかには、あさとさんを詠んだ句が21句も収められていると。それを今回ご本人に朗読してもらって感激していました。普段、クールでそれほど表情を変えず、やや前衛的な句を読んでいる感じの対馬さんが女学生のような素の表情を見せているのが大変に面白かったです。女子にとっては憧れの宝塚スターというのがどれだけ重いものかを垣間見たように感じました。対馬さんは昭和28年生れ、僕より三つ下ですが、いつまでも感性が若い、豊かである方だなあと改めて感心しました。

 

 

今週の兼題は「七夕」。七夕は旧暦の7月7日で今年は8月25日に相当するそうです。俳句では秋の季語になります。以下、特選三句です。

 

三席   七夕の竹に一枚殷墟文字

 

二席   似たようなビル七夕の夜が乾く

 

一席   七夕や疎水は星を流れをり

 

特選には選ばれませんでしたが、面白いと思った句です(僕は分かりやすい平易な句が好きなのかな)。

 

     終着の駅に七夕飾りかな

 

     七夕のきみさっそうたるハーレー

 

 

第三週です。選者は西村和子さん、司会は岸本葉子さん、ゲストに平野文さん。平野さんは声優、「うる星やつら」のラムちゃんの声で有名な方とか。俳句歴も十年以上のベテランです。兼題は「蜩(ひぐらし)」。セミは夏の季語ですが、蜩は秋の季語とか。蜩は立秋を過ぎて鳴くものだそうです。

 

大急ぎで特選三句です。

 

三席   蜩や昇降口に影長く

 

二席   蜩や杉の雨滴の落ちきらず

 

一席   供花のなき墓へひぐらし惜しみなく

 

一席の句は”悠久の時の流れを感じる”と高く評価されていました。供花=くげ、と読むそうです。特選には選ばれませんでしたが、味わい深いと思った句です。

 

     蜩やトロ箱洗う女子衆

 

     かなかなの途切れて我に返りたる

 

ゲストの平野さんの句、

 

     ひぐらしの夢あともさきも色消えて   文

 

中七は「夢のあとさき」とせず字余り覚悟であえて「夢あともさきも」とした由。「夢のあとさき」はどこかで聞いたことがある言葉だから嫌だったと。面白いですね、俳句の熟練の方はこういう考え方するんだ、と参考になりました。

この週のテーマは「ようこそ句会へ」で句会の流れの説明がありました。今回は「披講」と「名乗り」。「披講」というのは選句の結果を読みあげること。名前を読み上げられた人は、間髪をいれずに「名乗り」をあげる。「はいッ」とか「わたしです」とか余分なことは言わない。またフルネームで答えるのではなく、名前または俳号でテンポよく堂々と感謝の気持ちを込めて簡潔に答えるのが正しい「名乗り」だそうです。句会の”作法”だけはイメージが出来るようになってきました。

 

テキストに記載されている西村さんの思いです。「(コロナ騒ぎで)すべての句会が休会を余儀無くされている‐‐‐句会は『三密』悪条件の最たるもの---『不要不急』のこと、そのものが句会かも」という気持ちがある一方で、芭蕉の言葉を紹介していました。「風雅は夏炉冬扇の如し。衆にさかひて用いる所なし」。「夏のいろりと冬の扇のように無用のもの、(不要不急どころか)あっても何の役にも立たない」という覚悟とか。西村さんも「こんな非常時だから、自分にとって俳句とは何か、句会の本質と魅力を考え直す機会を与えられたと受け止めている」とご自分の覚悟を書かれていました。いいコメントだと思いました。

 

 

第四週は、「俳句さく咲く」。先生が櫂未知子さん。生徒さんが四名。先生と生徒さんの間合い、呼吸が良くなってきています。出演者がお互いによく馴染んできて面白い番組になってきました。俳句初心者向けの授業だから、やはり僕にとっては一番ピッタリの週かと感じております。

 

例によって宿題の返却から。8月の宿題・季題は、新涼、天の川、花野、踊、墓参、虫、桃、および自由三句。生徒さんの宿題句に対して厳しい講評がボンボンと。「相変わらず季語の重なりが多い」「季語を十分に理解出来ていない。朝に鳴くのはセミ、虫は夜に鳴くもの」「俳句では、お吸い物、お酒とは言わない=”お”は着けない」「勉強すれば、もっときれいな言葉に出会うことが出来る。老眼とは言わないで”花眼”と言う表現がある」。

授業のテーマは切れ字。ーーー最もポピュラーなものが「や」「かな」「けり」。そのなかでも「かな」。詠嘆を表現している、あえて言えば「!」という意味になろうか。下5で使うのが最も効果がある。そして切れ字は一句に原則一つのみ。焦点を一つに集中することーーー。櫂先生の指導は分かりやすいですね。

 

「障子貼る」をテーマに吟行に出かけて、実際に障子貼りの体験を全員でやってから作句したり。また別な場面では「新涼」をテーマにミニ句会を。今までいつも下の順位であった生徒さんの一人、田中要次さんの句を先生が特選に取りました。

 

   新涼やスープカレーの湯気踊る   ようじ

 

”季節は秋になり、そして、美味しそうだと感じさせる良い句になっている”と高い評価。強面の要次さんも感激の表情、嬉しくて半泣き状態でした。要次さんはこれで俳句にハマることになるでしょう。食べ物を詠んだ句は大好きです。僕も良い句だと思いました。

 

今週の兼題は「唐辛子」。この週は授業がテンコ盛りなので、投句に対する先生の講評が無いのが残念ですが。

 

さく咲く俳句大賞の句

 

   曲り家に風の抜け道唐辛子

 

入選句の中で面白かった句、

 

   湯の町に朝市ありてとうがらし

 

   唐辛子三輪の山肌新なり

 

端折って纏めたら、一回で四週間分を記載することが出来てしまいました。NHK俳句の勉強、続けます。

 

 

オマケの句です。

 

   盆過ぎの燃える日差しにナスを穫り   孔瑠々

 

   軒先の床几の席で冷トマト   孔瑠々

 

 

 おまけの料理です。

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 左、そうめんと夏野菜の炒めたん。右、夏野菜特にピーマンそのままカレー。2020年8月22日、23日、料理と撮影。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

2020年、京都・五山送り火

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京都新聞に掲載された写真です。グーグル検索して借りてきました。六点の大文字。2020年の京都五山送り火です。今年だけの景色で終わりますように。2020年8月16日、京都市

 

 

今年も8月16日、京都五山送り火の日にドラゴン先生の京都のマンションにお邪魔してきました。夕方5時ごろに到着、汗が収まるのを待ってから、近所の小料理屋さんに。例年同様に、娘さんご夫妻も参加。僕たちが着いた時には、すでに到着されておりました。お二人ともにお元気そうで何よりです。

 

 

今年の京都は、コロナ騒ぎのため、三大祭りの全てが大幅な規模の縮小となっています。5月の葵祭では、王朝行列の「路頭の儀」が中止されました。7月の祇園祭でも、ハイライトの山鉾巡行、神輿渡御、宵山行事が全て中止となりました。それでも神事は執り行われたということですが、そもそも祇園祭は「疫病退散」がお祭りの目的であった由です。869年(貞観11年)、災疫の除去を願ったのが始まりであったとか。

三大祭の最後は時代祭。10月22日ですが、これも既に行列巡行を中止との決定がなされています。時代祭は、京都御所から平安神宮まで各時代の装束衣装に身を包んだ市民の方々が鮮やかに練り歩くのですが、三密を避けるためこの行列中止は止む無しとの判断。神事は執り行われます。

 

 

このような状況のなかでの五山送り火。イロイロな議論があったそうですが、三密を避けるというのはマストになっていますので、三大祭と同様に大幅に規模を縮小、点火を線から点に縮小しての実施となりました。如意ケ嶽の「大」の字は、中心と頂点・端の計6カ所に点火。「鳥居形」は上部2カ所だけ。左大文字は「大」の中心の一カ所。「船形」は頂点の一カ所。「妙」「法」は中心部の一カ所のみに点火するというもの。如意ヶ嶽の大文字がドラゴン先生の京都のマンションから良く見えるのですが、これが冒頭の写真のようになりました。

 

 

もともと送り火は、お盆に迎えたご先祖さんの霊を見送るためのものですから、本来の趣旨を思い起こして家の中で静かにお見送りする、というのも理に適っているのかと。やや優等性的な考えですかね。

 

 

京都(いや関西全般!)には「反骨」と「挑戦・創造」というのが気風として残っていると信じていますが、遡る8月8日の夜、この如意ヶ嶽に「大」の字が点灯していたそうです。例年通りの大きさの「大」の字を夜空に浮かび上がらせ翌未明には消えていたとか。LEDライトを丁寧に並べたのであろうとの解説もされています。TVの放送では、「何者かが人工的なライトを勝手に点灯した」、関係者・街の方への取材では批判的なものが大多数です。「神聖な行事に対して罰当たり行為」「度が過ぎた悪戯」と。

 

京都の面白いところは、表向きの批判の声とは別に、巷では”この時世だから余計に大事にせず許してやろう”という空気があるように感じられることです。もっと笑ってしまうのは「また京大生のいたずらちゃうの?」という声まで上がっているとか。「あれだけの大きさの『大』を浮かび上がらせがのだから、集まった人数も多いはず、準備に手間・金もかかっている」等々、その手際の良さを称賛しているようなコメントも。ご先祖の霊を送るという神聖な行事に対する冒瀆という意味では批判されて止む無しと思いますが、ナントも、京都の懐の深さを伺い知れる事件であったように感じました。

 

 

送り火が消えてからも、イロイロな話をしていると時間はあっという間に過ぎていきます。翌日お仕事のある娘さんご夫妻はお帰りに。今年の僕は、今までほどには飲み過ぎず、最後まで意識もしっかりと歓談出来ておりました(と本人は思っているのですが)。

食事の時に、娘さんの旦那さんが付き合ってくれたので、久しぶりに冷酒を十分に堪能していましたから、マンションに戻ってからは喉が渇いて美味しいお水を頂いていたからだと思います。

 

  

翌日は、月曜日でしたが、ドラゴン先生も休みを取っており、のんびりと大人の散歩。いつものイノダコーヒー本店で朝食。此処もコロナの影響でしょう、過去、何度か行った中でも、やはり一番空いていました。待ち時間無し。直ぐに奥のテラス席に案内してもらえました。ここは喫煙席です(註、僕は随分と前にタバコは止めました。もうお一人の方はまだ喫煙しています!)。サラダたっぷりの朝食を楽しみました。残念、写真を撮り忘れ。過去のブログを最後に埋め込んでおきます。お店の景色と朝食の写真が掲載されています。

 

 

散歩日和とは言えない猛暑日。おじさん二人はこの日の行動予定を真剣に打ち合わせ。朝食を食べながら、昼食は何を食べるかの相談です。遅めの昼食をとる処を決めてからそこに至る工程を検討。とは言え、アウェイの僕はホームのドラゴン先生の方針を追認するのみ。キーワードは”歩こう!”ということになりました。連日、熱中症云々が報道されている中で70前後のお年寄り二人の行動計画としてはイカガなものかと言わざるを得ません。これは暴挙かも。

 

 

歩きました、歩きました。イノダコーヒーから錦市場に。久しぶりに「有次」錦店に立ち寄りました。冷やかしです。此処もやはりお客が少ない。お店の方も手持ち無沙汰のようなのでドラゴン先生の刃物の講釈で盛り上がりました。

 

「はれま」のちりめん山椒と昆布を買いに京都大丸まで足を運びました。自分用のお土産に買いました。アツアツのご飯が大変に美味しく頂けます。

 

再度、岡崎方面に戻り、みやこめっせの伝統産業ミュージアムに。ここは入場料は無料です。伝統工芸品がたくさん飾られています。ご立派、お見事な作品です。独楽を回して、小さな鐘をついて遊んでいたら係の方が心配そうな顔つきで注視されているのが分かりました。僕達以外には見学者はいなかったと思います。その後、僕たちが館内に居る間中、その係の方の視線を感じておりました(註、ルール通りに見て回っていました。決して、触ってはいけないものを触ったりした訳ではありません、念のため)。

 

本屋さんに入り、一旦、解散。集合時間を決めて、それぞれ好きな本棚巡り。本好きのドラゴン先生は予め名古屋では買えない本を探すのを楽しみに来ており、何冊かをゲット。娘さんからは”本ばかり増やしてどないするのよ”といつも小言を言われている由です。本屋さんから外に出て、近くにある京都市京セラ美術館に。大規模なリノベーションを終えてリニューアルオープンしたのですが、ここにもコロナの影響が。すでに、お昼にいい時間になっていたのですが、お腹のほうは、少々遅くなっても大丈夫な状態であるので、入場できるものであればと入り口に行きましたが、案の定、「事前予約・定員制」となっており入館は不可。館内に入ることすら出来ない徹底ぶりでありました。

 

 

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仕方がないので美術館を一周。オープンスペースの日本庭園に「杉本博司」さんの作品が展示されていました。新館の「東山キューブ」の開館記念にこの作家さんの個展が開催されているところでした。個展のタイトルは「瑠璃の浄土」、この作品のタイトルは「硝子の茶室」。この茶室は2021年1月までの限定展示です。設置・撤去にも大変な費用がかさむことであろうなあ、とあらぬ心配をしてしまいました。杉本さんは、1948年生まれの現代美術作家、写真家。ほぼ僕たちと同世代の方。恥ずかしながら存じておりませんでした。”このガラスの茶室の中は、いったい何度cくらいの暑さになっているのであろうや?”とマタマタあらむ心配です。

 

 

昼食は、京大病院の横にあるカレー屋さん。聖護院さんのすぐ近くです。カツカレーが評判のお店。狭い店内はカウンター席のみです。ここにもコロナの影響。コロナ対応をしっかりとされているので、カウンター席をはぼ半減させており、一度に座れるのは4席程度に抑えられています。僕たちが到着した時にも、店内には3-4名のお客さんでしたが、店の方から”表でお待ちください”と言われました。対応が爽やかであったので、文句も言わず暑い外で気持ちよく待つことが出来ました。お若いご夫婦が二人で仕事をされています。馴染みのドラゴン先生が「おかあちゃんは今日はいないの?」と聞いていましたが、若奥さんが「コロナも心配ですし、それに、このあまりの暑さに休んでもろうています」とのことでした。エライ若夫婦さんです。ドラゴン先生はご飯を少なめに注文しましたが、僕はフツウ盛りを。ターメリックライスです。美味しかった。ですが、確かに、ライスの量は十二分にありました。少なめにすればよかった。場所柄、学生さん等若い方が多いのでどうしても量的に多めになるのでしょう。それでもチャンと完食しました。

 

 

昼食のあと、ゆっくりと先生のマンションに戻りました。朝、出発してからナント、 13,000歩。この炎天下、猛暑日に年寄り二人がロングウオーク。無事にマンションに帰れてよかった、よかった(ちなみに、適宜適切には水分補給、休憩はとっておりますので、ご安心くださいませ)。マンションで体をクールダウンさせてから、ゆっくりと名古屋に向かいました。本年も充実の五山送り火でした。

 

 

最近あったドラゴン先生との繋がり・縁(エニシ)の話です。僕の長男(=小雪ちゃんのパパ)は医者の卵ですが、来年から名古屋で勤務することが決まりました。この数か月、その準備のために名古屋に来て希望の大学病院の説明会に出たり、もっぱらネットで先生の面接を受けたり説明を受けたりしておりました。僕は、ドラゴン先生のもう一人の娘さんが、名古屋で同じく医学の分野で活躍されており、それが僕の長男が希望している専門分野であることを知っていましたので、その過程で、娘さん先生から何か参考になることでも聞ければ有難いなあと思い、ドラゴン先生に相談したことがあったのですが、そこでまた面白いつながりを見出しました。お互いに驚いております。

 

 

かつての記事です。長男が無事に医科大を卒業した時のモノです。親バカです。

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いつかのドラゴン先生との反省会の折に、僕の長男が希望している大学の専門分野の話をしたのですが、その医局の教授先生がドラゴン先生の旧知の方でありました。”公私ともに大変にオープンな先生で責任感も強い。自分の娘は直接の教えを受けたことは無いと思うが、人望も厚く、その分野での第一人者である”と。医局の教授先生というのはとっても”エライ”方ですから、長男はまだ面識はないだろうと思ったのですが、その日に隠れ家に戻ってからその話を伝えたところ、ナント、その時期に説明、面接等々でお世話を頂いているのがその教授先生その方でした。

 

その数日後には、長男から”内定のような通知を頂戴した”との連絡を受けたので、早速、ドラゴン先生にその旨を報告。大変に喜んで頂きました。

 

送り火の日も、娘さんご夫妻が帰られた後、最後に缶ビールを開けながら(註、僕だけです)、また、僕の長男とその教授先生の話になりました。

「そのうちに、名古屋でその教授先生を入れて反省会をやりましょう」と。名古屋が狭いところなのか、ドラゴン先生の顔とお付き合いの範囲が広くて大きいのか、良く分かりませんが、次から次に広がりが出てくるというのは面白いものなだあ、とお互いに感心したところです。

 

 

 おまけの一句です。

   

   六点を心がつなぐ大文字   孔瑠々  

 

 

以下、いままでの五山送り火のブログです。いつもながら自分でも懐かしいなあと感じます。五年間、あっという間ですねえ。振り返ってみても、間違いなく今年が一番暑かったと思います。来年はさらに!ですかねえ。コロナを凌いで、暑さにも負けずに、元気に来年の送り火を迎えたいものです。皆さまもくれぐれもご自愛のほど。

 

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「7月後半のNHK俳句」と『俳句の作りよう』高浜虚子

 

7月後半のNHK俳句です。いつもと同じく、僕の備忘録として書いています。お付き合い頂ければ嬉しいです。

 

 

7月第三週、先生は、西村和子さん。司会は、岸本葉子さん。ゲストに、スポーツジャーナリストの増田明美さん。増田さんの俳句歴はもう20年にもなるそうです。西村先生とも交流があるとのこと。透明感のあるハキハキとした声で、相変わらず堂々とお話をされていました。物怖じしないタイプの方なのでしょう。今までのゲストの方の中では、一番、発言の回数が多かったように思います。自分の好きな西村先生の句を紹介していました。

 

    蝉しぐれ障子開けても閉ざしても   西村和子

 

今週の兼題は「月見草」。特選三句を紹介しますと、

 

第三席  吾にまだ残る純情月見草

 

第二席  月見草砂丘の砂は夜うごく

 

第一席  艇庫番一人となりて月見草

 

この西村先生の放送が一番時間をかけて丁寧に投句に対する講評をしているように感じます。第一席の句は、”その情景が良く見える、そして、時間の経過が良く詠われているところが大変によかった”との評でありました。なるほど。時間を詠むというのは難しいことの様です。言われてみれば確かにその通りかと思います。特選には選ばれなかった句で、僕が良いなと思った句です。

 

     俯きて帰る球児ら月見草

 

ゲストの増田さんの句です。

 

     目標のなき日々育つ月見草   カンナ(増田さんの俳号です)

 

僕の好きな句を増田さんも取ってましたが、やはりスポーツ界に身を置いている方ですね。第二席の句は、司会の葉子さんが月見草と砂丘の「取り合わせ」が面白いと評価していました。季語が良く働いており、幻想的な風情が漂っている由です。<なるほど>。

 

 

この第三週は「ようこそ句会へ」がテーマで、この週は、句会での「清記」「選句」のやり方、進め方を解説していました。テキストとはチョットずれている様です。テキストの5月、6月号の内容が今回の放送内容でした。コロナの影響がこんなところにも出ています。

 

「清記」は第三者が清書すること。清記する立場の心構えとしては、とにかく、正確に読みやすいように丁寧に書くことと。句を詠んだ本人が間違った漢字を使っている場合には、そのまま記載して、小さく”ママ”と振っておくのが丁寧な清記のあり方とか。「選句」とは文字通り自分が良いと思う句を選ぶこと。西村先生は「選句の時間」を「他人の句を選ぶ時間であると同時に、自作と再会する時間でもある」と説明。ドイツの詩人リルケの「若き詩人への手紙」にある「自作の詩に他人の筆跡で再開すること---重要であり新鮮な知覚に満ちている」という件をいつも思い出しているとのことでした。

 

テキストに記載されている選者の一句、

 

   目覚めたるばかりの色に月見草   西村和子

 

司会の岸本葉子さんはエッセイストです。7/30(木)の日経「人生後半はじめまして」にエッセイが掲載されています。この日のタイトルは「夏の旅行になやんだあげくに・・・」。東京の方がこの夏休みに地方への旅行、帰省等々を計画する際の、お互いに遠慮、気兼ねする様を女性らしいきめ細かい気持ちの揺れとして書かれていました。この方のエッセイは読んでいて安らぎを感じます。

 

 

テキストに掲載されていました西村先生の添削コーナー、面白いと思った添削です。

 

原句   寄り目してそら豆を剥く幼顔

 

「幼子の表情を具体的に描いた点は成功しているが、せっかく『目』に焦点を絞ったのに、最後に『顔』に広げてしまったのは残念」との評。<なるほど>。

 

添削例  ①寄り目してそら豆を剥く幼かな

     ②寄り目してそら豆を剥く幼子よ

 

 

 

第四週は「俳句さく咲く」。先生は櫂未知子さん、生徒さんが四人。前回と同様に生徒さんに夏(七月)の季語の宿題が出されており、その採点結果からスタート。今回の宿題の季題は、七月・雲の峰・土用波・夏帽子・夏料理・海月(くらげ)・百日紅さるすべり)・自由。最高点を取ったのは前回に続き櫻井紗季さん(東京パフォーマンスドール)、この番組4年目でこの中では一番の俳句経験者だそうです。厳しい指導が有名な櫂先生は最高点の方には特に厳しい指摘をされていました。

 

   山よりも高く聳える雲の峰   櫻井紗季

 

櫂先生の評は「そりゃそだろ」。そして「山と峰という親戚の言葉を使うとは4年目とは思えぬこの失態!」と。<なるほど>。

 

 

 

例によって偶然の面白さですが、この時、高浜虚子著の「俳句の作りよう」を読んでいました。話が横道に逸れ長くなると思いますが、この本の紹介です。この本は虚子が大正2年(1913年)11月から俳句雑誌「ホトトギス」に連載したものが単行本化されたもの。

 

 

「俳句を作ってみたいという考えがありながら、さてどういうふうにして手をつけ始めたらいいのか判らぬ------私(虚子)はそういうことを話す人にはいつも、

何でもいいから十七字を並べてごらんなさい。

とお答えするのであります。」という書き出しで始まっています。

  

虚子さんの書き様が分かり易い、そして、面白いと思いますので引用を続けます。

「とにかく十七字を並べてみるに限ります。けれども十七字を並べるというだけでは、漠然として拠り所がないかもしれません。それで私はとりあえずこうおすすめします。

「や」「かな」「けり」のうち一つを使ってごらんなさい。」

 

そして、四季の言葉を例示して、その「どれか一つを詠んでごらんなさい」と。無造作に作った自作の句を列挙してあります。「無造作にできるものであることを明らかにするために----こういう句作を試みたのであります」と。

 

「まず季題をつかまえて来て、それに切字を使って、それを十七字にしてみるということが、俳句の道に入る第一の条件であります」。”季題を捕まえる、切字を使うと表現が豊かになる、それを十七字にする”、当たり前のことなのでしょうが、大御所さんから、このように平易に優しく説明して頂けると、”よっしゃ、僕にも出来そうや”と感じること間違いないですよね。

 

 

当時の俳句についての拘束打破を主張する人々に対しては、

「比較的拘束の多い俳句の天地にはいって強いて拘束打破を称えるのは愚かなことであります。私(虚子)は十七字、季題という拘束を喜んで俳句の天地におるものであります。この拘束あればこそ俳句の天地が存在するのであります。-------狭いはずの十七字の天地が案外狭くなくって、仏者が芥子粒の中に三千大千世界を見出すようになるのであります」。

以上の内容が、第一章に、初心者に分かり易いように書かれていました。

 

 

参考までに、目次を記載しておきます。第二章は長いタイトルですが、これは芭蕉の弟子の許六の言葉。「取り合わせ」とか「配合」とかの言葉をあえて使わないで説明したので、まわりくどいものになった由です。第七章までの本文だけでは全部で96頁の小冊子の長さですが、内容は、ホントの初心者から多分上級者が見ても参考になるであろう充実した俳句の入門書だと思いました。

 

 

目次

一、まず十七字を並べること

二、題を箱でふせてその箱の上に上って天地乾坤を睨めまわすということ

三、じっと眺め入ること

四、じっと案じ入ること

五、埋字(その一)

六、埋字(その二)

七、古い句を読むこと、新しい句を作ること

 

埋字というのは、初めて知りました。句作法、俳句の研究方法として記載されています。例題が記載されていますが、その一つに、

 

   蟻の道〇〇〇〇〇より続きけり

 

有名な原句があるのですが、例え原句を知っている人でもとにかく”自分の言葉で埋めてみなさい”と。「古句の意味、その作句上の苦心のあとを十分に探り、それを自分の句作に応用することをおすすめするのであります」との説明です。

 

読者・門下生からのイロイロな句を紹介して解説されています。解説を省いて投句を記載しておきます。

   蟻の道縁の下より続きけり

   蟻の道塔より墓地に続きけり

   蟻の道蝉の殻より続きけり

   蟻の道先の先より続きけり

   蟻の道暑き空より続きけり

 

解説の最後に原句の紹介です。

 

   蟻の道雲の峰より続きけり   一茶

 

 

配合法にしても埋字にしても「自分の脳裏から生れ出たものでなく、何だか借り物らしい心持がすることと考えますが、それは必ずしもそうではない」「そこに外物の刺激を受けない限りは、重く下に沈んでいて、ほとんど死んでしまっていて、無に等しいところの思想が(この法による)刺激によって、そろそろと微動を試み始め、ついには溌溂として生動し来るのであります」と記載されていました。上手い的確な表現だなあと感心しました。

 

 

以上、「雲の峰」が兼題に出される時には、虚子さんのこの解説を思い出すだろうなあと思っていた矢先に、櫂先生の「そりゃそだろ」「この失態!」の評が出たのが面白かったというお話です。

 

 

もう一度この虚子さんの本を見たら、冒頭の最初の頁に、

「かつてある人の言葉に『虚子の俳話は俗談平話のうちに俳諧の大乗を説くもの也』とあったことは我が意を得た言である」

「近時は平易にいってすむことを高遠めかしく説くことが流行である。私はそれに与(くみ)しない」(ホトトギス大正二年11月号・虚子講述)、と記載されていました。

虚子さんは、1874年松山生まれ。1959年4月没、85歳だったそうです。今日の俳句隆盛の基盤を作った方と言われてますが、まさにその通りであろうと改めて納得しました。

 

 

 

第四週の「俳句さく咲く!」に話を戻します。番組では先生、生徒揃って浅草に吟行に出かけます。懐かしの金魚すくいを。俳句の世界では、金魚すくいとは言わず「箱釣り」というそうです。授業の最後には「金魚鉢」を兼題にして生徒四人が句作。惜しい句!に選ばれた塚田武雅さんが前回に続き居残り授業となりました。

 

原句    蕎麦頼み来るまで眺む金魚鉢   武雅

 

「頼む」「来る」「眺める」の動詞3個が惜しい、との評。金魚鉢を見てノンビリ寛いでる気持ちを表すのに口語使いも一案とのアドバイスがありました。

 

添削例   蕎麦の来るまで眺めよう金魚鉢

 

指摘の通り、原句ではブスッとして金魚鉢を眺めているかの感じを与えかねないのが解消されていると思います。

 

今週の兼題は「氷菓」でした。「さく咲く大賞」の句です。

 

    太陽に少しかざして氷菓かな

 

第四週は授業内容がいっぱいに詰まっているので投句の評にまでは時間が回らず、入選と特選の発表のみとなっています。選ばれた方はやや寂しいかもですね。

 

選者の一句です。

 

    虹色を尽くせばこんな氷菓かと   未知子

 

 

 

おまけの一句です。

 

    サングラス掛けいざ行かん三七度   孔瑠々

 

 

おまけの料理です。

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 左;久しぶりにスパニッシュオムレツ。ニンジン微塵切り、紫蘇・バジルを刻んで、ハム・チーズを加えて。旨く焼けました。紫蘇とバジルが予想以上にいい香りがしました。

右;大豆水煮の焼いたん。大豆の水煮に片栗粉を加えて。鶏のミンチに同じく紫蘇・バジルを加えて、鰹節と醤油。全てを混ぜてフライパンで焼いただけ。これもいい香りがして美味しかった。もともとは枝豆を使うレシピでしたが、大豆の水煮で代用しました。

久しぶりにカミさんが隠れ家に登場。紫蘇とバジルは神奈川のコンテナ栽培のものを持参してくれました。2020年8月8-9日、料理と撮影。

 

おまけのおまけです。

以前のスパニッシュオムレツの写真が載っている記事を埋め込んでおきます。読み返したら、ホントに懐かしい出来事を書いていました。今でも涙が出てきます。

 

kururupapa.hatenadiary.jp

註;写真は、料理の写真がトップに来るように編集しておきました。少しは料理の腕もあがったかなあ??。

 

 

 

『食は広州に在り』と『吉本隆明「食」を語る』;芋づる読書・その2.

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  新型コロナ感染者が再度、急増しています。30日の朝刊では「全国で29日に確認された新規感染者は1237人、一日あたりの過去最多を更新した」。東京だけでなく首都圏外でも感染が急増。愛知県も例外でなく、同29日には過去最多の167人。大阪、福岡などでも過去最多を更新、今まで感染者がゼロであった岩手県でも2人の感染が確認され、これで47都道府県の全てで感染者がでたことになるそうです。

  

 

鯱城学園の予定は再度、中止・延期になっています。28日は、陶芸クラブの本年度第一回目の集まり(僕にとっては初めて)だったのですが急遽、中止になりました。29日は、個別の懇親会をやる予定であったのですが、これも中止にしました。鯱城学園は”高齢者”の集まりそのものですから、極めて適切な判断だとは思いますが、連日、予定がなくなると気持ちの張りが無くなっていくのを感じます。そして、長く続いている雨。気分が滅入ります。(幸いに被害にはあっていませんので、雨が続いているくらいで文句を言うとバチが当たるかも知れません。被災地の皆さま、くれぐれもご自愛のほど。)

  

 

僕は同年配の方の中では、屋内で、そして、一人でも楽しめるコトをたくさん持っている方だと思っていますが、予定が次々と中止になり、雨で散歩にも行けなくて部屋の中で閉じ籠りとなると、生活のリズムが狂ってストレスが溜まるのを感じています。料理を楽しむのは一日に食べる回数だけしかないし、俳句の勉強、ピアノの練習も朝の時間中心です(両方とも、長い時間は集中できない、長く練習を続ける体力・気力が無いから)。という訳で、やはりまとまった空白の時間は本を読むことになります。

  

 

ちょっと前のブログ『China Syndorome』を書いている時に、このSARS事件の発端になった地名をタイトルにした本が隠れ家の本棚に寝たままになっているのに気が付いていました。『食は広州に在り』。神保町の古本屋さんで買った本。エッセイです、全く気楽に読める本。そして、その本の隣には『吉本隆明「食」を語る』がありました。

 

 

最初から話が逸れますが、吉本隆明は、1960-70年代の学生運動に衝撃を与えた人です。詳しくは「芋づる読書・その1.」に書いた通りですが、そのオッサンが登場する”「食」を語る”と言う本のタイトルが如何にもおかしくて(不釣り合いで)面白いと思い買った本でした。多分、同じ時に、神保町の同じ店で買ったのだと思います。神保町の古本屋さん街には、特定・専門ジャンルの本を扱っている本屋さんが沢山あります。「食」「料理」も人気のあるジャンルの一つだと思います。

 

  

話を戻して『食は広州に在り』。邱永漢(きゅう・えいかん)さん著。日経新聞社、昭和57年(1982年)第一刷ですが、あとがきを読むと、昭和29年(1954年)ゴロ、香港から東京に移り住んだ著者、邱永漢さんがふとした切っ掛けで、大阪の鶴屋八幡がスポンサーをしている「あまカラ」という雑誌に寄稿することになった。2年半ほど連載して一冊分になった時に、龍星閣という本屋さんから出版の誘いを受け、昭和32年(1957年)に大変に立派な装幀の本を出してもらったものらしいです。

  

 

随分と昔に書かれた本だということに驚きますが、中身はいま読んでも全く違和感はありません。大変に面白い内容---食べ物エッセイ---でした。各章のタイトルが中国文字(漢字)で書かれていて、それを日本語で翻訳して書いてあります。

最初の章が「食在廣州」=「食は広州に在り」。

中国人にとっては食べることが如何に大切なことであるか。食糧が不足して食べるものに困っていたから食べることが大切という意味では無く、美味しいものを食べることが人生の重要なことの一つであると。その中国で「食は広州に在り」と言い古されているほど、広州は、食べ物の種類が多く、そしてそれらが全て旨い!という意味であると。ちなみに邸永漢さんは台湾生まれですが、奥さんが広州生まれの方です。

 

 

邸永漢さんというのは、僕らの世代には大変に有名な実業家、経営コンサルタントで、同時に作家、エッセイストの方です。1924年の生まれ(生まれは前述の通り台湾です。台湾は当時、日本の統治下でした)、東大経済卒業。僕には、文筆家のイメージよりも「金儲けの神様」と呼ばれていた経営コンサルタントとしての記憶が強くありますが、作家として1955年に直木賞を受賞されていますから、作家・エッセイストとして有名になられた方が早かったようです。

 

 

とにかく、この「食」のエッセイを書かれた時期が1950年後半であった、ということに改めて驚かされます。戦後から高度成長期に転換しつつある日本であったのでしょうが、まだまだ、腹いっぱい食べることに一生懸命の時代であった(少なくとも、僕の家はそうやったなあ)かと思います。中国の食・料理、中国の文化そのものは、時の国家・政権、戦争の影響、等々には影響を受けないものだ、ということが根底にあるのでしょうか。それとも彼が属しているブルジョア階級(古い言葉や)の中でのみ話題にされる内容の本だったのでしょうか。

最近、イロイロな料理の本、食べ物の本が出版されていると思いますが、今の時代にグルメ本として出版されても全く違和感を感じない。面白いと思ったところを簡単に紹介します。

 

 

広東料理の食べ物の範囲の広さは、昔から、ずっーと有名であったようです。猫、犬、蛇、鼠の類から田圃の泥の中に沸く虫まで、人間の口に入れて害のないモノはことごとく食膳に供される。そして、その料理の方法も研究されつくしていると。要するに”美味しい、旨い”と感じさせるレベルにまで料理しているとのことです。

例えば、蛇は毒蛇まで調理されるそうですが、割いたあとの蛇が毒を持っていないかどうか調べるのが大変なノウハウとか。一つの例として蛇を水で煮る時に煮汁のなかに大豆を10粒ばかりいっしょに入れて、あく抜きをした後も大豆の色が変わっていなければ、無毒になっている証拠とか。時間と手間と金をかけて料理した蛇は形はグロテスクでも大変に柔らかく味も良いとか。まあ、この方はお金持ちですから、ゲテモノ料理と言っても高級調味在料を加えた宮廷料理風のものを想像します。やや僻んでしまいます。

SARSの時には、中国も高度成長に差し掛かりつつあり、生活の向上に応じてゲテモノ料理を試そうとする人が多くなりすぎていた「野味の時代」であったのが背景にあるように改めて思ってしまいました。

 

 

僕の大好きな「豆腐」についての章がありました。「豆腐談義」---豆腐を食わせる話。

「どこの料理もそうであるが、シナ料理でも正式な宴席になると料理の出し方に一定の順序がある」そうです。また、「中国人のあいだでは昔から『不時不食』と言って季節のモノでないと食べない」という考え方があるとか。

この「不時不食」の制約を受けない食べ物が豆腐。夏でも冬でもうまい、料理の方法も多種多様であると。しかし、「豆腐は中国でも家庭の常食として賞用されているが、いわゆる粗菜に属して、正式宴会には顔を出さないことになっている」とか。友人から「豆腐は料理の仕方によっては決して平凡なものではないよ」と言われて、邱永漢さんも大いに共鳴したそうです。

 

 

著者が「豆腐の発明者は淮南王劉安(わいなんおうりゅうあん)であると言い伝えられている」と書いたら、友人から日本の豆腐屋の看板に「淮南遺風」と書いたのがあると教えられたと。まさか豆腐屋の親父さんが自分で書いた看板では無いとは思いつつ、一昔前の日本人の漢学に対するウンチクは大したものだと感心したとの記述がありました。戦後間もなくの時代のはずですが、日本の民度、教養水準は大したもんであったと思います。ちなみに、淮南王劉安は「淮南子」の編纂で有名な方、漢の高祖の孫です。「淮南子」は「人間万事塞翁が馬」を含んでいる故事成語集で有名です(ググって知りました)。

 

 

この本の「あとがき」に、著者が丸谷才一の寄稿を載せています。最初に「丸谷才一が自著の『食通知ったかぶり』で、(この本を)戦後の食べ物三大名著の一つに取り上げた」ことが記載されており、その縁で、この本が中央文庫に組み入れられた時に、丸谷さんに解説を書いてもらったそうです。 これが面白かったです。日本と中国では、国家を見る時の見方が全く違うものだと改めて思いました。ちょうどこの時に、「芋づる読書、その1.」7月のNHK100分de名著「吉本隆明共同幻想論」を見ている時だったので。

 

 

丸谷曰く、

邱永漢は亡国の民である。---彼には、国は何度も亡び、王朝は何度も改まるという、そしてそれにもかかわらず個人は悠々として生きてゆくという、中国何千年の伝統が身についていた。そのような彼にとって、たかが一度の戦争に破れ、あわてふためいている当時の日本人の暮らし方は、まことにみっともないものに見えたに相違ない。国が亡んだとて、そんなことくらい何でもないではないか。大事なのは個人がこの一回限りの生を楽しむこと---彼はそういう趣旨の手紙を、亡国の民の先輩として、我々後輩に書き続けたのである。」というモノです。

 

 

「その1.」で記載した通りですが、吉本の「共同幻想論」は1968年に出版されていて、戦争を肯定し国家のために死ぬことを覚悟していた吉本隆明が、敗戦により自分が確信をもって抱いていた死生観が全否定されてしまったことが原点です。

 邱永漢さんは台湾人(お母様は日本人)ですから、敗戦の受け止め方が違うのは当然のことだとは思いますが、吉本隆明とは対極にある敗戦の受け止め方。丸谷さんの寄稿を自分のあとがきに載せている訳ですから、丸谷さんの書いている気分は全くその通りということなのでしょう。吉本が「共同幻想論」を記載した背景には敗戦の原体験が大きく影響している訳ですから、もし、その時点で中国の方の国家に対する考え方、いい意味でも悪い意味でも”亡国の民”のイメージを掴んでいたら、どうなっていたのかしら、と余計な想像をしてしまいました。「その1.」の「国家とは」の件であえて日本だけに限定した理由です。

 

  

このお二人を対比することに意味があるのか分かりませんが、偶然とは面白いもので、調べていると、このお二人、邱永漢さんと吉本隆明さんは同じ年に生まれ、同じ年に亡くなっていたことを知りました。僕は本を読むときに、その著者の時代背景が気になるのでいつも生年月日を調べていますが、面白い発見だと思いました。

 吉本隆明1924年大正13年)11月、東京市月島生まれ。邱永漢、同じく1924年3月、台湾台南市生まれ。そして、ともに2012年都内の病院にて亡くなったそうです。

 

 

 

駆け足で、吉本さんの本の話をします。 『吉本隆明「食」を語る』。朝日新聞社、2005年3月、第一刷発行です。聞き手、宇田川悟さんとの対談。宇田川さんは1947年生まれの作家。パリに長く住まれてフランス社会・文化に詳しい方とか。当然、食文化にも造詣が深い。偶然ですが「食はフランスに在り」と言うタイトルの本も出されています。「サントリークウォータリー」誌のホスト役として吉本隆明とのインタビュー記事を掲載したのをきっかけに吉本さんと「食」をめぐる風景を全て聞き出したいと30時間以上の対話を行ったものです。

 

 

宇田川さんの”あとがき”にある吉本像がしっくりきます。「私たちべビーブーマーにとって左右のイデオロギーを超えたところにいる巨人、吉本隆明は何か得体の知れないミステリアスな人である。---戦後最大の思想家と言われる大きな存在は、私と同じ世代の人間なら誰にでもそれとなく影を落としている。」

 

 

この対談集は「食」を切り口にして、吉本隆明の年代ごとの姿を描いたもの。目次を見ると分かり易いですが、Ⅰ戦前=幼少期、Ⅱ戦中・敗戦、そして、Ⅲ戦後=サラリーマンから物書きへ、Ⅳ家庭生活をめぐる料理考、Ⅴ老年を迎え、今、思うこと。この本を読み直している時、ちょうど「その1.」のNHK100分de名著が放送されていましたので、吉本が「共同幻想論」を著した背景を別な観点=「食」からも伺い知ることが出来て、両方を平行して読んだり視聴したり、興味深く楽しむことが出来ました。

 

 

吉本ばななさんは、吉本さんの次女ですが、彼女の著書「キッチン」について触れているところがあります。また、自分の失敗談として「子ども(ばななさん)の作品について、編集者に頼まれて一度だけ雑誌に評論をかいて褒めてしまった」ら、周りから非難されたとか、親の七光りだと子どもが嫌味を言われたとか。しかし、そのうち、吉本さんのほうが「ばななさんのお父さんですね」なんて言われて”わあ”と思ったとか。「自分の子どもの作品を論じることは、どんなに公平にやっても、やるべきでないというのが反省」とのことですが、この辺りは「戦後最大の思想家」もそこら辺にいる親バカおやじと変わらないものですね。

 

 

この本の刊行は、吉本さんが、すでに81歳の時のものですが、2003年には、79歳でそれまでの講演集に手を加えた「夏目漱石を読む」で小林秀雄賞を受賞されています。晩年までお元気だったのですね。宇田川さんのあとがきに「戦前戦後という困難な時代を生きてきた、今や八十歳を迎える吉本さんの底知れぬヒューマンな魅力に取りつかれた」というのが、何やら安らぎを覚えたコメントでありました。

 

 

 おまけです。その1.その2.を読んで頂き、お疲れ様でした。ありがとうございました。

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左;得意のお好み焼き;残っているモノを構わず入れました。竹輪とかハムとか、キャベツに加え刻んだネギを大量に。

右;人参しりしり;人参を丁寧に刻んだつもりでしたが、余りキレイに切れていなかった。ツナ缶も加えて。唐辛子でピリッと。味はOKでした。

いずれも、2020年7月30日、料理と撮影。

 

おまけ、その2.です。

本日、31日。大相撲7月場所で元大関の平幕 照ノ富士が、一敗対決で、新大関 朝乃山を下して単独トップに立ちました。明日にも優勝が懸かります。大関を陥落した時のブログを埋め込んでおきます。この時、僕は、彼(照ノ富士)が廃業するのではと心配しておりました。復活して何よりです。今日の一番は、TV実況で見ることが出来ましたが、体のハリ、色つやも良く、ケガさえしなければ期待が持てそうです。

 

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